夢子の夢

夢子の夢

夢子のスペイン・ポルトガルの旅1

スペイン・ポルトガル旅行記(5・18~5・27)

5月18日(木)
AM.7:55関空集合と言うことで、家をシャトルバスで6:00に出発。
チェッインのときあれだけお願いしてあったのに席がアイルシートではなかった。--;
定刻AM.9;55ルフトハンザLH741はおばはん夢子を含む
35人の大人数のツアーを乗せて満席状態で、少し雨模様の関西国際空港をTAKE OFF。
4本もの映画(2本英語版、2本日本語版)を制覇して、うつらうつら、ファーー、ごそごそ、もそもそ、、、
ほんまにこの飛行機の時間何とかもっと楽しめないものか!!!
たとえば皆でビンゴゲームとか、カラオケ大会とか、ダンスパーティとかさあ!!、
先回のニュージーランドのときの飛行機は各席で好きに選べるオンディマンドだったので、音楽を聴いたり映画を見たり
選択の余地があったが今回はスクリーンが所々に下りてくるタイプで退屈この上ない。
音楽も前のほうが楽しめるチャンネルが多かった。
なんだかんだと言いつつ、飛行機は12時間後フランクフルトに到着。
曇り空の空港には始めてみた西?(南?)アフリカの飛行機やインドの飛行機が止まっていた。
2時間半のトランジット2時間のフライトの後、現地時間19:30(日本時間翌日の真夜中のAM2;30)
スペインバルセロナに到着。

スペイン国旗


真昼のように明るい空に目を細めて、昼間の時間を7時間長く過ごせたと喜んで寝る時間まで待てばいい訳よとひとり納得。
バスでホテルに直行。
とにかくお疲れさん!!
もう寝る!!
おやすみなさい!!!
ZZZZzzzz-----------!


5月19日(金)晴れ
ブエノス・ディアス!! (スペイン語のおはようさん)
さあースペイン旅行のスタートだ!!
お天気もまずまずだが念のため、バスに手荷物で折りたたみ傘を用意する。
まずはあのガウディのグエル公園へ。
グエル公園1

グエル公園3


もう雨の心配すっかりなくなりいいお天気!!
実はグエル公園は分譲地として開発されたのだが60個の分譲地のうち3個しか売れなかった。
買ったのはもちろん本人ガウディとガウディのパトロンのお金持ちエウセビオ・グエルとそのパトロンの弁護士の3人と身内のみ。
もちろんガウディの住んでいた家は今でも残っている。
その時代にはまだ街中の便利な暮らしのほうが、緑をふんだんに取り入れた自然豊かな郊外の分譲地よりいいと思われたとか。
ガウディはあまりに時代より先を生きていたようだ。
あの異様な形のグエル公園の柱は、椰子の幹をあらわしていて上に降った雨水は椰子の幹の形をした柱の中の穴を通って地下の
貯水槽にためられているとか。
いま、ビルの緑化だ貯水だと言われているがガウディは100年以上も前からそんなことを考えていたのだ。
やっぱり天才だわ!!
いつの世も、天才は天才ゆえに一般人の理解を超えた先を生きていて受入れられることが難しかったのかも。
その後、今度はあの聖家族教会(サグダラ・ファミリア)へ。

ガウディのサグダラファミリア

誕生の門と外尾悦郎さんの果物の塔


このサグダラ・ファミリア1882年の起工。
1年だけ建築家ビリャールが担当したが1883年にガウディが2代目建築家に就任。
1887年デザインを大幅変更して地下礼拝堂完成。
1892年「誕生の門」の工事開始。
ガウディは31歳でこのサグダラ・ファミリアにかかわり1926年に市電にひかれて死ぬまで人生を教会制作にささげた。
なくなる前年の1925年『誕生の門』の聖ベルナベにささげた最初の鐘塔が完成。
市電にひかれはガウディはグエル公園の自宅に帰らずサグダラ・ファミリアの工事現場に寝起きしていたとか。
そしてあまり汚い身なりだったので当時でもすでに有名になっていたあのアントニオ・ガウディとは気づかれることなく
2日間も死体置き場に放置されていたのだとか。
そうでなかったなら、サグダラ・ファミリアはもうとっくに完成しているのだろうか?
1930年『誕生の門」の4つの塔の完成。
1978年日本人の外尾悦郎氏が彫刻家として参加。
何十回も訪れている添乗員さんは「時々外尾さんに出会いますよ。前のツアーの方は見つけておばさんたちは一緒に写真をパチリとしていましたよ。」と言っていたが残念ながらお会いできなかった。
でも、ガウディのデザインのアールヌーボーの『誕生の門』の横の外尾悦郎さんの果物の塔も1993年に完成した直線的でCG的な造形の『受難の門』の4本の塔もしっかり見てきた。
残りの栄光(復活)の門の4本が出来、完成するまでに後200年と言われていたサグダラ・ファミリももう後20,30年後には完成するのではと言われるくらいになってきてるとか。
その費用は大半(80%)は観光客の入場料と寄付だそうだ。
『誕生の門』の4本の塔、『受難の門』の4本の塔、『栄光(復活)の門』の4本の塔あわせて12本の塔はイエスキリストの弟子12使徒を表してるとか。
建築中のイランの赤い石の上にはキリストが立ち173Mのキリストの塔になるのだそうだ。
後20年後に完成したら、もう一度行けるだろうか??30年後なら完全に無理だが、20年後なら体力さえあれば行けそうだわ。
ああーー!!完成したら見てみたいなあー!!
その後バスの車窓からガウディの作ったカサ・ミラやカサ・バトリョ(カサとは家のこと)を見てピカソ美術館へ。
ピカソ美術館でもツアーだから、自由に見られなかったが日本では青の時代やキュビズムがあまりに有名だが、14歳で描いた母や叔父や自画像を見て本当に14歳の油絵とは思えなかった。
以前私は大阪の美術館でピカソのデッサンを見て寒気がしたことがある。
とにかくピカソ=キュビズムの印象が強すぎて、雨にぬれたくもの巣に蝶がかかり、その蝶をくもが狙っていると言うデッサン。
ほんまにの精密な写実には大げさだけど寒気のようなショックを受けたことがある。
ただ一言「すごいわ!!」としかいえなかった。
その経験があるにもかかわらずまたもやピカソの写実の力のすごさに感心してしまった。
ピカソと父親はあまり仲がよくなかったらしい。
と言うのも父親も画家だったが息子の才能に嫉妬してたからだとか。
うなずける話だなあー!!
最後のほうで、ピカソが、ベラスケスの「ラスメ二ーナス」をピカソ風に描いた58枚の作品のマルガリータに思わずにんまり。
プラド美術館のベラスケスの『ラスメニーナス』を見るのが楽しみになった。
そうなんやこれがあのマルガリータなんや!!
恋多き画家ピカソも36歳で最初の妻オルガと73歳で50歳も年下の23歳のジャックリーンと2回結婚しただけ。
でも恋人や愛人にも子供が出来ちゃんとわが子として認めて育てたようだ。
一時バッグのブランドで人気のあったパロマ・ピカソも娘さん。
ピカソの父が鳩の画家と言われ後年ピカソも9枚の鳩の絵を書いている。
パロマとは鳩のこと。

昼食はフィデワ(パスタのパエリアのような、見た目には細かく切った麺で作った焼きそばのようなもの)
見た目に濃い色をしてるから味が濃いかと思いきや味は薄くとにかくやわらかすぎる延びた焼きそばの細麺の細切れの脂っこすぎるもの。
食べられへんくらい脂っこいのにニンニク入りマヨネーズのようなものをかけると美味しいと各テーブルに持ってくる。
試してみたが、余計脂っこくなっただけ。
やっぱりあかん!!コーラを飲んでパンを少しかじってサラダだけ食べて終了。--;

その後バスで次のバレンシアへ移動。
途中タラゴナ付近でバスが止まり、道から外れた歩きにくい草一杯の山道をハイキングのように歩き
ローマ時代の水道橋(ラス・ファレラス)を見る。
ローマ時代の遺跡がこんなに立派に残ってるなんてやっぱりヨーロッパよネエー!!と感心してしまった。

夕食は本場バレンシアのパエリア
お昼のフィデワよりはずっと美味しかったが、やっぱり油が、、、

スペイン名物パエリア


お疲れ様。
明日に備え、昨晩はシャワーしか使えなかったのでバスタブにたっぷり湯を張りゆっくりおふろにはいり、
おやすみなさい!!
ZZZZ================zz----


5月20日(土)
バレンシア~クエンカ~マドリッド

本日もお天気! <
まずはバレンシアの町の観光
クィーンスクエアーの大聖堂(カテドラル)。
私は今まで大聖堂と言うのは街で一番大きな教会のことだと思っていたが、そうではなくカトリックの司教様がいる教会のことで
街に1つしかないのだそうだ。
土曜日だからか中ではミサの最中。
静かに中に入りフラッシュなしならパチリとしていいとか。

バレンシアの大聖堂


何かのお祭りなのか花で作られた巨大なタペストリーが大聖堂の壁に飾られていた。
次にヨーロッパで最も美しいゴシック建築と言われる商品取引所だったラ・ロンハ(1996年に世界遺産)の見学。

バレンシアのラ・ロンハ


中庭や街路樹にオレンジの木が目立つ。
誰も採らないのかしらと日本人なら誰もが思う。
しかし誰も採らないらしい。このオレンジはマーマレード様のすっぱいオレンジだとか。
バレンシアは15世紀城壁の街で、12の城門があり夜は城門がしまり敵を防いだのだそうだ。今は2つの城門だけが残っていた。
ナポレオンが攻めたときの弾のあとが城壁に一杯残っていた。今でもスペイン人はナポレオンは大嫌いだそうだ。
その後毎年2月のバレンシアの火祭りのモニュメントを飾っているファーリャス美術館を見て、宙づり家で有名な歴史的城塞都市
クエンカの観光。バスを降りてからかなりの坂道を歩く。
思っていたよりスペインは坂の多い町が多い。
スペイン自体がかなり標高のある国らしい。
きつい坂道を登り下をのぞくと目がくらみそうに深い谷にかかるさびたような、正直、重量制限しなくていいの??というような橋を渡る。
谷のこちらから向こう岸に建っている家を見ると、明らかに8,9階での100年以上前に修復した木製の手すりのベランダ。
絶対にあのベランダには出たくないわ。谷に突き出してる感じだもの。そのままベランダの手すりごと崩れ落ちそう。
固いしっかりした岩盤の上に建っているらしい。
だから橋を渡って町の中から同じ家を見ると向こうの道からは4階建てにしか見えない。
家が岩盤に食い込んで岩盤を利用したように建っているのだとか。

20日クエンカの宙刷りの家


ちょっと分かりにくいかも。???

昼食はトルティーヤ(スペイン風オムレツ)ジャガイモの入ったオムレツ。<
少しは食べられたが、半分以上お残し。--;

バスでマドリッドに移動。

夕食はコシード(豆と肉の煮込み料理)このコシードはとっても食べられなかった。
豆はヒヨコマメだから塩辛いながらも少しはいただけたが、硬くてばさばさの肉や内臓や血が詰まったソーセージがあかん!!
ああーいつものことながら一日の食事で一番いいのは毎日朝食。
だって、パンにバターにコーヒーにあればフルーツやヨーグルトがあって食べられるものがあるもの。
ああー、カップめんでも持ってくればよかったナアーーーーーー!!と言うのが正直な感想。
なんでもいいからパンとバターとコーヒーだけでいいからヘンなもんはいらんから!!(ごめんなさい!!)

明日は楽しみなプラド美術館とトレドの町の観光だわ!!
おやすみなさい!!
GU=--------zz--



5月21日(日)
天気:晴れ!!

マドリード観光&プラド美術館⇒トレド観光
今日もいいお天気。
まずは、『ドン・キホーティ』の作者セルバンテスの没後300年を記念して造られたセルバンテスの像とドン・キホーティとサンチョパンサの銅像のあるスペイン広場。
理由はよく分からないが、スペイン広場と言う広場はヨーロッパのいろいろな都市にあるらしい。
前にイタリアへ行ったときに仲間の人が、ローマにあるスペイン広場のことを『ローマ広場、ローマ広場』と言われていっしょに行こうと誘われたのに我々は「いや、私たちはスペイン広場に行く予定だから。」と断ったことがある。^~^;
近くで、何かのイベントなのかかなりの人出があり、音楽隊が出てにぎやかに吹奏楽の演奏をしていた。
次に王宮の観光。
ここの記憶がすっぽり落ちている。
何処に行ってももう覚えてるのが難しい!!??--;
そして、期待のプラド美術館へ。
プラドでは、始めに、めぼしきものが何番目の部屋にあるかの説明を受けて、その後ゴヤの銅像前集合まで自由。各人好きなように好きな絵を見てきなさいと解散。
友達と二人目指すは、ベラスケスの『ラスメニーナス』(スペイン語で女官たち)

ラスメニーナス


マルガリータ王女が肖像画を描いてもらってるのを王と后がおとなしく描いてもらってるか見たところが鏡に映っている。
女官たちというタイトルだが、主役はマルガリータ王女。
左の女官が手につぼを持っているが前はお菓子を持っていたとか。
でも、マルガリータはもう子供じゃないのよと言うことでつぼに描き直したとか。
この絵をピカソが自分の「ラスメニーナス」として描いているのをバルセロナのピカソ美術館で見ているだけに、本家の『ラスメニーナス」を興味深く見て、ベラスケスの絶筆の『マルガリータ女王』の絵とを行ったりきたりして見比べてみた。
このマルガリータの8歳のときの『青い服のマルガリータ』を見たことがあるが、本当に青い服のビロードの生地の質感がすばらしかったのを思い出した。
この絶筆の『マルガリータ』はベラスケスが完成前になくなって、弟子が仕上げたため少しタッチが違うとか。
確かに近くで見るとサテンの質感や光沢を出すための白い絵の具が汚く見えるが、少し離れてみると、なるほどサテンの輝きがきれいに見える。
だからこの絵は近くで見てから必ず離れたところからもう一度ゆっくり楽しまないといけない絵だわ。
マルガリータはスペインのハプスブルグ家からオーストリアのハプスブルグ家に13歳で嫁ぎ出産が原因で22歳でなくなった。
たくさんの肖像画は幼い頃から、嫁ぎ先に成長記録の写真の代わりに送られるためのものだったとか。(当時は写真がなかったから。)

『バッカスの勝利』
『ブレダの開城』
『アラクネの寓話』などを見て

次はゴヤ

着衣のマハ

裸のマハ


ゴヤと言えば『裸のマハ』と『着衣のマハ』
マハとは名前ではなくスペイン語でいい女・いきな女と言う意味だとか。
一人の女性の裸体と着衣の姿を描いた珍しい作品。
この2枚は当時の宰相ゴドイの屋敷から1808年に発見されて以来、このモデルは13代アルバ公爵婦人(公爵家はヨーロッパの貴族の中でも最も古い歴史を持つスペイン第一の家柄で婦人は12代目の娘)もしくはゴドイの愛人ぺピータ・トゥドーかが人々のうわさに上り、スキャンダラスは20Cまでもちこされたとか。
現在では首相ゴドイの愛人がモデルと言う説が有力。
しかしアルバ公爵夫人はゴヤと恋仲であったともいわれている。
ゴヤは彼女を思わせる数々の作品を残している。
一説では毒殺されたとも言われ40歳で急死した公爵夫人はゴヤの息子のハビエールに年金をあたえると遺言を残していた。
(ハビエールは父の財産を当てにして一生何もしないで送ったダメ息子)
また、首が不自然なので(体のに対して首が立ちすぎてるものね)身体と顔は別人という説もあるようだ。
すばらしいタッチの裸のマハに対して着衣のマハはタッチが少し荒い。
裸のマハをカモフラージュするために急いで着衣のマハが描かれたという話を聞いたことがあるがなんとなくうなずける感じ。
当時は裸体画は禁止だった。
次に
『カルロス4世の家族』
中心にマリア・ルイーズが気の強そうな性格がよく描かれている。
横のカルロス4世は人はよいが切れ者ではない感じがこれまたよく出ている。
事実王妃の愛人宰相ゴドイが実権をにぎっていた。
王妃の両隣の子供はゴドイとの間に出来た子供だとも言われている。(ものすごいなー!
全部で13人だったので、13という数はよくないとして左端にキャンバスに向かっているゴヤ自身を書き加えたとか、ベラスケスの『ラスメニーナス』を意識してたとかいわれているとか。

『5月2日:エジプト人親衛隊との戦闘』
『5月3日:プリンスペ・ビオの丘の銃殺』

5月3日


はじめ、『5月3日:』のほうを見て写真を撮り次の部屋に行ってしまって、「あれ??5月2日:がない???」と探し回ってしまった。
ちゃんと並んで展示されてるのにーー;
『5月2日』は1808年5月2日マドリードで民衆がナポレオンのフランス軍に抵抗した事実を題材にいている。
当時来たアフリカの一部もスペイン領だったので、ターバンを巻いたイスラム兵もいる。
『5月3日』は1808年5月3日抵抗した民衆はプリンシペ・ビオの丘でフランス兵に銃殺された。
兵隊は顔を描かずに機会に様に描かれて冷酷さが強調されているとか。
手を上げている白い服の男はキリストをあらわしていててに十字架に貼り付けになったときの釘の跡がある。
『我が子を喰らうサトゥルノ』この絵は神話がモチーフの不気味な絵でゴヤが隠居してた家の壁に描かれた「黒い絵」シリーズの1つ。
神が自分の子を食べるというショッキングなテーマ。
不安定な社会と自分自身も聴覚を失ったゴヤ。
画面を覆う黒はゴヤの孤独と絶望を表しているらしいが私には少し難しい過ぎるテーマ。

そして次はエル・グレコ(エル・グレコとはスペイン語でギリシャ人の意味)
『聖三位一体』
トレドで描いた最初の作品。
この教会の主祭壇を飾る絵とした作品で衝撃的なでデビューをした。グレコの絵は細長い顔や体で一目で分かる。
『胸に手をおく騎士』上品で静かな憂いを含んだミステリアスな肖像画。
モデルの決意や誠実さが伝わってくるようなまっすぐこちらを見つめる瞳にどきり!

何度も時計を確認してバタバタとボッチェチェリーやフラ・アンジェリコの作品をかけ足で見てミュージアムショップへ。
ショップではレジがゆっくりユックリでイライライラ!!!「いつも日本人はハリー・アップね!」といわれたイタリアローマのことを思い出して我慢して待つ。
ゴヤの銅像前に集合時間前にはいけたが、ほとんどの方はもう集まっていて暇そうにして待っていた。
皆見たんやろか???
添乗員さんではないが、ツアーで一番好き嫌い(興味のあるなし)が一番よく出るのがツアー中の美術館だとか。
好きな人は「短すぎる!!!」といい、興味のない人は「こんなところであんまり時間つぶさんでも。」と言うとかーー;

その後昼食は名物のタパス(おつまみ料理)
今回は一番美味しくてお腹一杯食べてしまった。^0^

午後からはお待ちかねのトレドの観光

タホ川に尾囲まれたトレドの町

トレドの町2


世界遺産トレドの町はタホ川にに囲まれた要塞都市で高台から全体を眺めるとまるで別世界にタイムスリップしたような感じ。
言葉ではうまく説明できないが来てよかった!!
期待以上にすばらしかった!!
タホ川に囲まれるようにたたずむこの街は、古代ローマ時代から要塞都市として栄えた歴史を持ち、イスラム時代にはイスラム教、キリスト教、ユダヤ教という3つの宗教が互いを尊重しながら共存していたという。
カテドラルやサンタ・トメ教会などを細入り組んだ迷路のような石畳の坂道や狭い路地を歩く。
トレドの町3

トレドの大聖堂


街のほぼ中央にカテドラルの鐘楼があり目印になるが、方向音痴の私は絶対一人では元にもどれない街。
見失ったら大変とあまり余所見をせずにガイドさんにしっかりついて歩いた。^^*
トレドでは金銀を使った象嵌細工が有名ということだったので思い出にイスラム文様のペンダントトップを買ってしまった。
安いものは15ユーロくらいからあると聞いていたのにやっぱり手彫りの素敵なものは100ユーロはしてそれなりのお値段だった。
やっぱり、買ったのは免税手続きのいるそれなりのお値段になってしまった。^0^

バスで、マドリードに戻る。
ツアーの中に入っていなかった、ソフィア王妃芸術センターのピカソの『ゲルニカ』をタクシーを飛ばしてでも見に行きたいと添乗員さんに頼んでいた我々オバさん2人+ご夫婦の2人=4人は、時間的に無理+明朝7:30出発(ということは起床は5:30)
ということで涙を呑む。--;
「また来る理由が出来たヤンねエー!!」とうそぶく夢子であった。--;

夕食のメニューは豚の丸焼き。
前のパエリヤのようにまず丸のまま披露されたらいやだナーと思っていたら,今回は一人ずつに切り分けられて出てきた。
ほっとした。
本日もしっかりお疲れさんでした。

おやすみなさーーーい!

GAo=======zzzzzz---------------

(マドリードの夜もふけ行く。)



5月22日(月)

マドリッド~ラマンチャ地方をとおり~コルドバ~グラナダ
本日も上天気!! でも、朝早いこともあり気温は14度とかなり寒い!!!

今日はかなりの移動と観光のため、朝食を済ませて朝7:30にはバスは出発。
と言うことで朝5:30起床。
2時間い近くバスで走り、荒野に風車の立ち並ぶラマンチャ地方へ。
ミゲール・セルバンテスが58歳で書いた『ドン・キホーテ』はあまりにも有名だから実在の人物かと思っていたら、架空の人物。
騎士道小説を読みすぎて気がふれたラマンチャの老騎士が農夫のサンチョ・パンサを従えて遍歴の騎士となって旅に出る。
『ドン・キホーテイ』
小説の舞台となったカスティーリャ・ラ・マンチャはアラビア語で「乾いた土地」を意味する。
メセタ・セントラルと呼ばれるイベリア半島中央高原の南部に位置して穏やかに起伏する赤茶けた大地にブドウ畑が広がり丘の上に数基のコンスエグラの風車が立っていた。
「見よ!あの醜怪な巨人を!!拙者がこれからやつらと一戦交え,奴らを皆殺し、、、」
「ご主人様!!!アレは風車でございますよ!!」
と言うドン・キホーテイとお供のサンチョ・パンサのおかしなやり取りが聞こえてきそう。
風車の屋根の軒先に長い棒がついている。この棒に牛や馬やロバをつないで風車小屋の周りをくるくるクルクルと回らせて粉ひきに使っていたとか。
風車の立つ丘に降り立つと風がものすごく強くとっても寒い!!
風車をバックにハイ!パチリ!!

ラマンチャの風車



次のコルドバへバスの旅は続く。

コルドバ
ローマ時代以前から街が拓かれ、8C中ごろ、後ウマイヤ朝の時代には首都として栄えた
かつての繁栄を物語るイスラムの古都コルドバ。
この街も細い石畳の道を歩いての観光。
まず、旧ユダヤ人街。迷路のように入り組んだ細い道の両側には美しい花が飾られて白壁の家が並んでいる。

コルドバの花の小道


民家の中庭には鉢植えの花が置かれ、素敵な空間を作っていた。

その後、メスキータ(世界遺産)
メスキータとは回教(イスラム教)のモスク
 ・ミラレット(塔)
 ・中庭(手や足を洗って清める)
 ・祈りの場所
で構成されている。

コルドバ:メスキータ

敷地はモスクとオレンジの中庭で構成されている。
その後また1236年にコルドバがキリスト教徒に再征服されると、再び聖堂として使用されるが、モスクに敬意を表して「円柱の森」などはそのまま残されている。
神のおわす場所、聖なる場所は不思議に征服者が変わり宗教が変わっても同じ場所であると言う面白い発見をした。
イスラムとキリスト教が渾然一体になってるメスキータが本来の宗教のあるべき姿ではないかしら。
自分の神のみが唯一絶対ではなく他民族の神もまた彼らの神であるとすることができれば、現在も続く宗教や民族の摩擦が政治経済をも巻き込んだ争いになることもないはずなのに。
そんな簡単なことではないかもしれないが、イスラム教のモスクとキリスト教の教会がそれぞれ対立することなく存在するの円柱の森に立つと祈りの気持ちになるのが不思議。

昼食はガスパチョ(冷たいトマトスープ)
暑くて暑くて喉がからからだったので,ちょっと酸味のあるトマトのスープとたっぷりの野菜サラダに感激!!
美味しかったわ!!
そしてバスはひたすらグラナダに向かって走る。
グラナダ近くになるとシェラ・ネバダ山脈にまだ雪が残るのが見えた。

グラナダ(ざくろと言う意味)
シェラ・ネバダ山脈に抱かれたグラナダは13C後半、イスラム時代最後のナスル王朝の首都として栄えた。
山の雪解け水は湧き水や小川になって町に潤いをあたえれている。

アルハンブラ宮殿とヘネラリーフェ庭園の見学。
グラナダヘネラリーフェ公園1

グラダナヘネラリーフェ庭園1


ヘネラリーフェは王族の夏の宮殿(別荘)として建てられた離宮と庭園からなる。
アルハンブラ宮殿から谷を隔てた丘の上にあり、バラが咲き乱れ、清涼感のある水音のする「アセキアの中庭」が素敵だった。
シェラ・ネバダ山脈の雪解け水をふんだんに使った、緑豊かなすばらしい庭園だったわ。

夕方6時からの予約だったので、少し観光客も少なくユックリと庭園を楽しみ、アルハンブラ宮殿の観光に。

アルハンブラ宮殿

アルハンブラ宮殿アラヤネスの庭

アルハンブル:諸王の間

アルハンブラ二姉妹の間


アルハンブラとはアラビア語で「赤い城」の意味。
アル○○○と言う地名はアラビア語の「赤い、、、、」と言う意味だとか。

城壁は船の形をしていると言う。
アルハンブラ宮殿は町の東の丘に立ち、城塞アルカサバ、王宮などイスラム芸術の粋が結集した建物が建っている。
宮殿のいたるところに果物や草花をモチーフにした透かし彫りがあってその緻密な装飾が見事。
また宮廷内の中庭を流れる水路や噴水にふんだんに使われている水の音が心地良い。

コルドバに8Cに始まり14Cフェルナンド3世のレコンキスタ(国土回復運動)によりコルドバを終われ、イスラムの最後の町として栄えた町がグラナダ。

今日はイスラムの始まったコルドバと最後の王が開城したグラナダを見たことになる。

夕食は久しぶりにほっとできる中華!!
と言うことで、皆がそれぞれに期待していった。
もちろんそれなりに美味しかったが、やはりスペインの中華と言う感じ。
とわ言え、焼きそばや酢豚??イカとアスパラの炒め物、白身魚のあんかけ、白ご飯。
いろいろたっぷり出てきたが、最後には皆同じ味付けだったことに気づく。
世界中で、どの国どの町でもあまり期待を裏切らないのが中華と韓国料理。
でも、当たり前だが何処の国でもその国風の中華や韓国料理になっている。^^;

さて本日はこれで観光終了。ではなく、添乗員さんが「オプションでフラメンコのルーツとも言うべきグラナダの洞窟のジプシーのフラメンコに希望者がまとまればご案内しますが。希望者いらっしゃいますか?」と聞いたのが昨日のバスの中。
全員が「ハーーーイ!!」と手を上げた。
添乗員さん「かなりきついスケジュールの日です。旅の中盤でお疲れもそろそろ出ます。決して皆が手を上げるからといって無理しないでくださいね。もう一度お聞きします。遠慮や無理はダメですよ。行きたい人??」
全員大きな声で元気よく「ハーーーーーーーーーーイ!!!」
と言うことでいったんバスはホテルにチェックイン。
皆各自のスーツケースが各自の部屋に届き部屋に大きな問題がなければ、直ぐにロビー集合。
直ぐにお迎えのマイクロバス2台に分乗して出発と相成った。

二台のマイクロバスに分かれて元気なおじさんおばさんはホテルをPM.10;20出発。
グラナダの町は東からアルハンブラ宮殿の立つアルハンブラの丘、真ん中のアルバイシンのある丘、そして洞窟のフラメンコのあるサクラモンテの丘の3つの丘がある。

その二つ目のアルバイシン地区のマイクロバスもこれ以上は入れないような細い急な石畳を35人おじさんおばさんは黙々と真夜中に近いなんとなく危険なにおいのする町を歩く。
団体で洞窟のフラメンコの店からのお迎えの人もガイドさんもバスの運転手さんも添乗員さんもいるからこそ出来た行動。
一人や二人じゃ絶対怖くて歩けへん。^~^;
迎えに来てくれた叔父さん、かなりのお年(おじいちゃんといってもいいくらい!!)。
私たちの乗ったマイクロバスの前の席に乗り込むや調子よく歌いだし、指パッチンでカスタネットより大きな音を出し、真夜中なのに陽気で異様に元気で楽しそう。^~^;
さすがにスペイン・アンダルシア!!!!

アルバイシン地区の暗い細い急な石畳の道をかなり歩く。
アルバイシンの丘を登ったわけよね。真夜中に。

おおーなんと向こうの丘には夜景でくっきりとアルハンブラ宮殿が!!!!
皆グラナダの市街の夜景とくっきりと浮かび上がった美しいアルハンブラ宮殿に感動!!
皆いっせいにシャッターを切る、でもやっぱり夜景は難しかった。
次の朝ホテルのフロントでグラナダとアルハンブラ宮殿の夜景の絵葉書を買う。
また、歩いて丘を下り、バスに乗り、今度はもう1つの丘サクラモンテの丘へ。

やっとサクラモンテの丘の洞窟のジプシーのフラメンコが始まったのはすっかり真夜中の12時を回ってから。

狭い洞窟を利用した店の中は両壁にいすが置かれているだけ。
生ぬるいコーラを飲んでいると真っ赤の水玉のドレスや真っ黒な水玉のドレスを着た女たちやフラメンコギターを弾くおじさんたちが登場。
グラナダ:洞窟のフラメンコ2

グレナダ:洞窟のフラメンコ3

グラナダ:洞窟のフラメンコ6



添乗員さんから聞いてはいたが、踊りだしたジプシーのフラメンコはショーという洗練されたものではない分より情熱的に陶酔しきって踊っている。
触れば触れるくらいに近くで髪を振り乱して踊る踊り子に圧倒されてしまった。
中でも洗濯籠のようなものを抱えて畏怖堂々と登場した黒い水玉の服のオバアさんの踊りは、年季が入っていて貫禄が違うわ。
さっきののりのりの指パッチンカスタネットのおじいさんと夫婦で、踊っているのは娘や息子や孫たちかもしれない。
きっと家族親族なんだろう。
1時間少しのフラメンコを見てまたバスでホテルに帰り、とにかく、風呂に入りシャンプーしてベッドに入ったのが夜中の2:30。
なんぼなんでもお疲れさんやワ!!!
明日は10時出発と言っても、朝食には8時頃行かないとナアーー!

とにかくもう寝なくっちゃーーーーーー!!

お休みなさーーーーーーーーーーーーーイ!!!

GAGU==========zzzz--------



5月23日(火)

グラナダ~ミハス~セビーリア
本日も上天気なり!!
今朝は昨日のハードスケジュールを埋め合わせるようにツアー中一番ごゆっくりの出発で10:00出発。

でも、結局は7:30頃には起きて、取り合えず朝食をとりに降りることにした。
皆さん早起きなんやねエー!!
もう大半の方が朝食を始められていたり早い方は終わりかけていらっしゃった。
今朝の朝食はコーヒーもカプチーノやエスプレッソと選べるくらいにたっぷりあり、パンも私の好きなやわらかいクロワッサンまであって、その上ヨーグルトも美味しかった。
久しぶりの美味しい朝食に感謝!!!

今日はバスでピカソの生誕地マラガを通り地中海が見える海岸沿いの道をミハスへ向かうスペインの情熱が凝縮されたようなアンダルシアの輝く太陽と地中海の海。
そして白い壁の家並み。
コスタ・デル・ソル
ソルとは太陽のこと。つまりは太陽海岸。
太陽海岸コスタ・デル・ソルはジブラルタル海峡のタリファから東のアルメリアまでのやく300kmの地中海沿岸のリゾート地。
ミハスの村は本当に歩いても直ぐにひと回りできそうなほど小さな村で、家々の壁がアンダルシアの強い太陽をはね返すように白い。
白い家の村ミハス。

ミハス2

ミハス3


楽しみにしていたミハスがミハスにふさわしい上天気のかんかん照りの太陽で最高!!
太陽がとても強くてサングラスと目深にかぶった帽子と日焼け防止の長袖シャツは必需品だ。
バスを降りたところで、ガイドさんの顔なじみのアーモンドに砂糖の煮溶かしたカラメルをからめたものを売っている屋台が出ていた。
味見して美味しかったので、このおじさんに一袋1ユーロで2袋買う。
ここでまず、教会の中の洞窟のマリアを見学。
その後自由散策。
友達とぶらぶら歩きながら、おみやげ物のお店をのぞく。
海抜420mあるこの町からは地中海と裾野に広がる町が一望できすばらしい眺めだった。
快晴の時には遠くアフリカ大陸を見ることが出来るそうだ。
ほんまにジブラルタル海峡をフェリーで渡ればアフリカはもうそこなんだなあー!!
旅も中盤、皆さんともいろいろ旅の情報交換をしてると、皆さん結構アフリカやトルコを旅して面白かったといわれる。
遺跡が好きな友達は30数時間飛行機に乗らねばならないアンデスのナスカの地上絵を諦める代わりに、絶対トルコのカッパドキアを見に行こうと言い出した。
来年はトルコかなあー!
うちのオジさんが許可するとは思えへんけどナアー!
来年のことはともかく、今この白い家の村ミハスと地中海の絶景を楽しまなくっちゃ!!

アマポーラというアンダルシアに咲く赤いけしの花の名前のお店で、可愛いペンダント
トップを息子のガールフレンドに買う。
このお土産を渡せる頃、まだガールフレンドでいてくれるやろか??
友達が「別のガールフレンドになってたらその子にあげたらいいやん。」という。
買ったアーモンドをカリカリポリポリ食べながら、バスは次のセビーリアに向かう。

昼食はイカの墨煮。
意外に美味しかった。

セビリーアへのバスの中は異常な静けさ??いやかすかな寝息!!
昨日のハードスケジュールのお疲れで午後のまさにシエスタタイム。

セビリーアに少し早めに到着して、早めだが本日もツアーに入っていたフラメンコのディナーショー。
お昼もたっぷりいただいて、寝てただけだから早めの夕食はあまり食べられなかった。

今日のフラメンコショーは昨日のグラナダの洞窟のジプシーのフラメンコのように土臭くない洗練されたショーで衣装もダンサーもとってもおしゃれだった。
今日のフラメンコのダンサーたちはセビリーアのフラメンコの学校を出た人ばっかりで、フラメンコをジプシーの踊りだというと怒り出すそうだ。

女性ダンサーもとても美人が多いが、男性たちのかっこいハンサムなこと。
ウーン目の保養になるワアー!!

セビリアのフラメンコ1

セビリアのフラメンコ2


きれいなフラメンコショーを楽しんでホテルへ。

ゆっくりお風呂に入り、お・や・す・み・な・さ・い!!!

ZZZZ=====zzz--------------夢の中へ



5月24日(水)

セビリア~エヴォラ~リスボン

今日もお天気!!
セビーリア:ベラスケスやムーリーリョの出身地
街路樹にブラジルからわたって来たというジャカランダと言う紫の花が一杯咲いていてきれいだった。
ジャカランダの花は春の終わりと秋の二回咲くそうだ。

ジャカランダの花(リスボン)


黄金の塔
1220年に立てられた12角形の塔で、かつて金色の陶器パネルで覆われていたので黄金の塔と呼ばれているが、さすがにスペイン。
盗めるものはなんでも盗まれるということで今はただの塔で黄金は一枚もない黄金の塔。

セビーリア大学
かつては王立のタバコ工場。
メリメ作の「カルメン」の舞台になったところ。
ここでカルメンが働いていたということになっている。

アルカサール
イスラム芸術の粋を極めたムデハル様式の豪華な宮殿。

カテドラル(世界遺産)
ヨーロッパ屈指の規模を誇るキリスト教とイスラム教が共存する大聖堂。
イスラム時代に建てられたモスクを基礎にして1402年から約1世紀もの歳月をかけて建造された大聖堂。
内部は93枚のステンドグラスが飾られ、堂内に美しい色の光が差し込んでいる。

ヒラルダの塔
高さ98m。イスラム時代は礼拝を呼びかけが行われる尖塔のミナレットだったが、16世紀にカテドラルの鐘楼塔に改築された。

セビリア

セビリアのカテドラル

セビリアの:アルカサール

セビリアの町



空の青さに目を細めて見上げていたら、ガイドさんが「絵の具にセビリアンブルーて言うのがあるでしょ。あの色ですよ」
私は 「ああーセビリアンブルー!!!本当だわ。セビリアンブルーてこのセビリアの空の青から来てるんだアーー!!」 なぜかひとりセビリアの青い空の下、セビリアンブルーの絵の具をキャンパスに塗りたくったように感動してしまった夢子であった。なんにでも感動しやすいのよね。^~^*

エヴォラ(世界遺産)へバスで移動

町の北側に残る全長9kmの古代ローマ時代の水道橋跡がある。
エボラの町も坂の多い石畳の道を歩く。
なんとなく不安になりそう感じの若者たちがたむろするような街角を昼食の予定のレストランを捜しながら???歩く。

今日はほんまにいろいろとトラブルが。

まず、
ツアーメンバーの一人が、急にお腹が痛くなり、レストランを捜すうちにどこかのトイレに駆け込んだらしくいなくなる。
次は、その方の友達のおばさんともうひとりのおばさんがいないことが分かる。
取り合えず、いるメンバーをレストランに押し込み、「決してここから勝手に捜しに出ないでください!!」と言いおいて、ガイドさん、バスの運転手さん、添乗員さんが迷子になってる3人を捜しに店をとび出していく。
残された我々はアサリと豚肉の炒め物と言う日本では考えられない食材の取り合わせのメニューを不安と疲れで無言で黙々といただく。
私は、アサリの味噌汁と豚のしょうが焼きのほうがよかったナアーなんて思いながら食べていた。
とそのとき、
私の隣に座った連れの一人がいなくなっている片方のおばさんが「私皆について歩くだけで精一杯だったのよ。Aちゃん!!どうしたんやろ??、、、、、悪いけど、何度あるか見てくれる!!」とにゅうっと体温計を私の前に出す。
「エエーッツ!!!!」
「あのこの体温計、何計ったん??」とアホみたいなことを言ってしまった。
「私の体温!!」(決して漫才じゃありません!!!)
「何処で計ったん??」
「わきの下」
「エエェーーーッツ!!」
「何度アル??」
「だって考えられへん数字やもん!!」
「もう一回計るわ」
、、、、、、、、
「今度は?」
「ああーーーーーーー!!大変や!やっぱりまちがじゃなかったんよ!39.2℃もあるじゃん!!えらいことヤン!!」
向かいの席の親子(母と娘、ややピンボケ気味?・)が「昨日のフラメンコのショーのときからこの人うわごとみたいなこと言ってたもん。」と言う。
何でこんなになる前に誰も何もいわへんのよ!!!
何で本人もそんなに我慢するのよ!!!
「添乗員さんに言わないと!」と言うと「本人がいいと言うんだから。大人なんだから、あんまり差し出がましいこと言えないしね。」
と言う。
「エエエーーーーーーーーーーーッツ!!」そんな場合じゃないんじゃない。
周りのおばさんではなんともなりそうにないので、落ち着いた感じのご夫婦のご主人に話してみたら、やっぱり添乗員さんに伝えてくださった。
やっと39.2℃も熱のあるおばさんは運転手さんとバスで、皆が歩いて観光するうち待つことになった。
迷子になった3人もひとりのトイレにかけ込んだおばさんを待ってあげてたと言う事で無事に合流した。

なんなん今日は!!
朝一番から、バス酔いしないはずの私の友達が、突然「夢ちゃん、アカン気分が悪い!!ビニルの袋!!!」と言って真っ青になってるのに始まって、今日はツアー始まって以来のてんやわんやの一日だった。
大体いくらベテラン添乗員と言えども35人の大勢を一人の添乗員というのは無理があるんじゃないかしら?
やはり1グループ20人まで位でないとね。

てんやわんやのエヴォラからバスでリスボンへ
皆お疲れで、本日もシエスタタイム!!!


リスボン
楽しみにしていた哀愁漂うファドのディナーショー。

ファドのディナーショー1

ファドのディナーショー2



このときのテーブルは大きなテーブルで3組のご夫婦と我々おばさん二人の8人。
このご夫婦たちがワインがぐびぐびいけちゃうと言う方ばっかり!!
グラスを重ねるにつれてテンションは上がるは上がるは!!!!
おしゃべりな私もただ唖然!!
ファドの歌い手本人が自分のCDを売りに来た。
息子が以前ヨーロッパ一人旅の途中にパリから、蚤の市でポルトガルギターを見つけて、「買って帰っていいか?」と電話してきたことを思い出して、ポルトガルギターのCDとファドのCDをお土産に買う。

今日はいろいろあってほんまにお疲れさんでした。
隣の部屋??からものすごい咳込みが聞こえる。
彼女かしら??
肺炎にでもなってなきゃいいんだけど。

おやすみなさい!!

GUu===-----zzzzz----





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