奇跡と偶然は紙一重。てか、槍投げるか!

奇跡と偶然は紙一重。てか、槍投げるか!

”It"と呼ばれた子

今午前3時くらい、
2時間くらいかな。ずっとある本を読んでました。日記の題名になっている本です。読んだ人はいるんでしょうか?ぜひ感想を聞いてみたいです。
今日バイトで数学を教えている生徒に、ぜひ読んでみてほしい本があると言われて呼んだのがこの本だった。題名は知っていた、けっこう聞いたことはあった。でも内容はあまり知らなかった、こんな内容だとは・・・
これから書くことに関して、俺は本の内容の真偽は関係ないと思ってる。確かに疑問の余地はある部分はあるけれど、それは重要視するところではない。この本を読んで漠然と感じたこと、”児童虐待”の本当の部分、
そしてそこから繰り返され伝えられる、”虐待”の原因となるものを、自分なりに解釈した。
読んだ人と読んでない人がいるだろうから、内容には深くは触れない。おおまかに言えば、普通に幸せだった家庭が、崩れていくさまを描いているといったところだ。日本のドラマにでもありそうな話だ。でも、中身はそんな生優しいものじゃ決してない。読むのには覚悟がいる。それでも、読んでほしいと、俺は思う。
俺が一番注目したフレーズ、P・218の
「憎しみだけがぼくに残されたすべてだった」がそれだ。
子どもは絶望が始まると、
驚愕・悲しみ・辛さ→覚悟・決意・希望という段階を心に抱く。
早い遅いは別にして。(当事者にしかわからないことだと思うけど、俺はこう思う。)この段階で、何らかの形で虐待から救いだされた子どもは、おそらくだけど、大きな傷を負いつつも、立ち直ることができて、”暴力”の悪循環はそこまではつづかないだろう。しかし、さっきの言葉、「憎しみだけが・・・」の段階に達した時に、子どもは、もう元には戻れないのかもしれない。作者はたぶん、そうなってしまってでも自分に勝てたひとなんだと思う。けど、それは特殊な場合で、実際の世界の多くの、”暴力の悪循環”になってしまっているひとたちは、”憎しみ”の人間になってしまっているのだろう。人って自分自身を取り繕うことは、できる。けど、子ども時代に刻まれた思い・悲しみ・憎しみは、簡単に払拭できるものじゃない。
それが今の時代に起きる、悲惨な児童虐待の、根源になっているんじゃないかと、俺は考える。あくまで俺自身の考えだけど。数字だけで見るこういった問題の分析はもう終わりにしないと、本当の部分に切り込んでいくことが必要だろ。
俺が教師になって(なれなくても、塾ででも)生徒には考えてもらいたいし、実際、”虐待”を受けている子がいたとしたならば、
そばでただただ、話をきいていてやりたい。
味方でいてあげたい。そう思う。
こんなことはなってからってかんじかもしれないけど、
今考えることにだって、意味はあると思う。
教師目指す人も、児童福祉法とか人権教育の法令暗記ばかりする前に
こういう本読んでみてほしい。
俺はこういった本を読んだり、ひとから話を聞いたりして、
自分なりの”教育”や”子ども”に対する考え・思いを、
積み上げていきたいと思ってる。
どの教育の参考書・文献にも載ってない自分だけの考えを・・・
そんな決意を生むきっかけに、この本はなりました。。。

最後に、

”「早く殺してほしい・・・」、そう願って
私は両手を合わせて祈った。”

こんな思いをする子どもは一人もいてはいけないと思うし、
それを許さない気持ちを全員が持っていないと、
児童虐待はなくならないのかもしれない。。。


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