奇跡と偶然は紙一重。てか、槍投げるか!

奇跡と偶然は紙一重。てか、槍投げるか!

私の陸上競技史PART2


 そして激動の2000年が始まりました。

まずはインターハイ支部予選。
このときはこの大会がインターハイに向かっての
スタートラインなのだということなんてさらさら
知りもしませんでした。
4月たしか雨が降っていました。先輩のイガの
引退試合となるこの試合で、一緒に投げました。
結果は二人とも、惨敗。都大会は夢のまた夢・・・
イガ泣いてました。いちお自分は自己ベスト、
28mくらい、今の半分ですな。

そんな支部予選から自分は他の高校の槍投げの
先生なんかの指導をたくさん受けて、
夏休みの鬼のような夏合宿を乗り越えて(中身はまた今度)、
秋の新人戦支部予選を迎えていました。
この直前の夏の都立合同記録会では35mくらいになってました。
ちなみにこのときマイルに出て、”死”
をみました。ほんとやばかった。

そして新人戦支部予選。
投げた!・・・
飛んだ!・・・
41m!!!かなりびっくり!
まさか支部でベストが出せるとは。
そしてこの時期、毎日朝ウェイトをしに
高校には7時半に登校していました。
そして授業ではしっかり睡眠、(少しはやってたよ!)
そして富士森で投擲練習、走り練習。
もう陸上陸上陸上・・・・・・・・・
な毎日でした。
彼女にも、「今は陸上ばかりだから、都大会終わったらデートしよう」
などと、いう始末。これホント。
そして都大会。
予選、Y沢先生の車が渋滞に巻き込まれるという
アクシデントで俄然テンション上げ上げになって
アップは30分くらいで投げた一投・・・
44m!!!またもベスト!!
このことを川島先生に報告すると
先生泣いてたんだそうな。
てか先生、まだ予選ですよ・・・
そして決勝。
まあいい経験にしようと思ったら、
エイトに残ってしまい、
さらには自己ベストを投げての
第5位!!!
もう驚き以外の何でもない。
真っ先に先生に報告。
毎日朝練習しに来る自分のために
毎朝来てもらってホント、ありがとうございました!
感謝です。
このとき、夏合宿でもらったある言葉が
心の底から、実感できた気がした。
それはまた次の機会に、書きます。
ようは、最高の2000年だったってことだ



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