土井中照の日々これ好物(子規・漱石と食べものとモノ)

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2021.09.04
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カテゴリ: 正岡子規
 野間叟柳は、日本派俳句で日本最初に誕生した地方結社・松風会の中心メンバーです。
 松風会は、明治27年3月27日に、松山尋常高等小学校の校長・中村一義(愛松)、教頭・野間門三郎(叟柳)、訓導・伴政孝(狸伴)ら3人を発起人として、大島梅屋、国安半石、河野青里、永木永水、乃万撫松、阪本伸緑、玉井馬風、服部華山、白石南竹ら、松山尋常高等小学校の教員たちにより結成されました。この名前は、芭蕉の道をたどるという意味て蕉風会はどうかという提案があり、松山だから松風会がよかろうとばかりの命名ですから、何が新俳句なのかよくわかりません。
 この日は、狸伴の家に同校有志が集まって句会が開かれ、その会で同意を得たものです。
 やがて、会員には海南新聞記者の柳原碌堂(極堂)、県学務主任の大導寺松露、弁護士の天野箕山、海南新聞社員の森孤鶴(盲天外)、正宗寺住職の釈佛海(一宿)、子規の叔父で市吏員の岡村三鼠、愛媛新聞編集主任の御手洗不迷、教員の久松陽松、松本野堀、近藤我観らが参加し、週1回の持ち回りで句会を開き、俳句に熱をあげていました。
 叟柳は、元治元(1864)年3月10日、旧藩士・野間大作の長男として、温泉郡柳井町に生まれました。本名は門三郎といいます。
 父は一雲と号して、京都の桜井梅室門の宗匠で、奥平鶯居にも学んでいます。そのため、叟柳も早くから発句に親しみました。愛媛師範を卒業して、教員生活にはいりましたが、たまたま松山高等小学校で、校長の中村一義をはじめとする教員一同が雑談していると、校長が「君は発句がうまいという話を聞いた。ぽくの句を批評してくれ」とい割れたので、「二三言批評を試み、発句というものはこういうふうにいうものだと、例句をあげて懇説したところ、たちまち興がわいて」、一同は「わらび」の題で句作しようと、その夜さっそく湊町1丁目にあった伴政孝(狸伴)の家に集まったのが松風会の発端であったと、語っています。
 叟柳は、松風会で宗匠格として選句をしたり講釈を請け負いますが、月並みの域を出ませんでした。そのうち子規の教えをうけた下村為山が帰省し、代わって指導することになりますが、 叟柳は、句作の上でも他の人々を引き離し、会員からもその技量を認められました。





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最終更新日  2021.09.04 19:00:06
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