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第一章 降ってきた厄災(B)
声にならない悲鳴を上げるエドワードに、アルフォンスは慌てて駆け寄る。
「だ、大丈夫っ、兄さん!?」
「ぐうぅ……!」
あまりの衝撃に言葉も出ない。
頭を抱えて痛みに耐えていたエドワードは、ふと遠くから悲鳴が聞こえたような気がして前を見た。アルフォンスも同じように悲鳴が聞こえたのか左右を見回している。だが、悲鳴の主はどこにもいない。
二人は顔を見合わせると、同時に頭上を仰いだ。
「きゃあああああああーっ」
見上げた空には雲が浮かんでおり、まるで雲から落ちてきたかのように少女が降ってきた。
「ぐえっ!!」
ちょうど少女の落下地点にいたエドワードは下敷きになり、潰されたカエルのような声を上げる。
「ちょ、ちょっと! 二人とも平気!?」
アルフォンスは、エドワードと少女の傍らに屈み込もうとしたが、それより早く
、少女がパッと目を開けた。
「花、花、花! 花はどこっ? 花~っ!」
少女は自分が落ちたことよりも花が大事なのか、上半身を起こし、ぺたんと座り込んだ姿勢のまま辺りを見渡した。
そのあまりにも焦っている様子に、アルフォンスは呆気にとられながら、とりあえず花なの在処を少女に告げる。
「あの……そこ」
「え?」
「左手」
アルフォンスに示され、少女は自分の左手を持ち上げた。そこにはしっかりと花が握られていた。
「あ~っ、良かったあ! ちゃんとあった~っ!」
ホッとしたように少女が息を吐いた。
年の頃は十二~十四歳ほどであろうか。茶色のズボンから除く膝小僧に擦り傷がついているのも気にせず、赤みがかった濃い茶色の瞳で何度もはなの無事を確かめている。ズボンと同じ茶色の上着にも中の白いシャツにも土埃がが付き、顎のラインまで伸ばされた赤い髪は乱れてしまっている。しかし、花が無事だと分かっても、それらを直そうとしない少女からは目先のことに夢中になりやすい、子供っぽさが感じられた。
花を手にして、少女はピョン、と立ち上がる。
「さ、帰らなくっちゃ!」
何事もなかったかのように歩き出した少女に、地面から声がかけられた。
「……あー、ちょっと、ちょっと」
エドワードは仰向けに倒れたまま、少女を呼んだ。
「そこのおまえ。なにかオレに言うことはないのか?」
「?」
降り返った少女はまるで初めてエドワードに気づいたかのよに目を丸くした。
「あら、あなた。何故そんなところで寝ていらっしゃるの?」
外見とは全く似合ってない言葉を引きつった顔で話すその様子は、エドワードに気づきながらも面倒ごとを避けようとしているのがバレバレであった。
その態度に、エドワードはカチンと来て勢いよく立ち上がった。
「おいコラ小娘! しれが突然人の上に落ちてきたヤツの言う台詞かよ? 無視して去ろうなんてずいぶんな態度なんじゃねーかっ? そもそもそんな言葉を使っても、白々しいだけなんだよ! 上品さの欠片もねーしな!」
少女の重みを一身に受けるという災難をかぶった上に、心配の言葉どころか無視までもされそうになってエドワードは怒る。
しかし少女は少女で無視した理由はあったらしい。
「上品じゃなくて悪かったわね!だいたいあたしに言わせれば、こんな山奥をウロウロしてるあんた達は山賊にしか見えないのよ! 関わり合うのを避けようとするのは当然でしょ!」
ことば使いを戻し、勢いよくそう言ってツンと横を向いた少女に、エドワードはさらに怒りを倍増させた。
「山賊なわけねーだろ! とにかく謝れ! オレはあんたの下敷きになっちまったんだぞ! 迷惑かけてごめんなさいとか、いうべき台詞が山ほどあんだろが!」
「なによ、そんなに怒ることないじゃない!」
頭ごなしに怒鳴られて、少女もカチンときたようだった。
「大体、迷惑ってないよ? 迷惑を受けたのはあたしの方よ! あたしはねぇ、あんたさえいなけりゃもっと華麗に着地できたの! それを邪魔してくれちゃって! こっちこそ迷惑よ!」
「なんだと、てめぇ!」
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて、落ち着いて」
今にも殴り合いになりそうなエドワードと少女の間に、アルフォンスが割って入る。
「幸い、お互い大したケガもなかったんだし、もういいじゃない」
「そうそう。いいこというじゃない、鎧の人」
少女はすかさずアルフォンスに同意したが、怒りが収まらないエドワードは食い下がった。
「アル! こんな小娘の味方すんじゃねーよ! コイツはオレの上に落ちてきて謝るどころか、言うに事欠いて、下にいたオレが悪かったようにいってるんだぞ!? 礼儀しらずにもほどがある!」
相手が異性であろうと、ケンカをするときは本気になるのがエドワードである。拳を固めて少女に近づこうとしたが、それを察した少女は一歩下がりながら肩を竦めてさらにこう言った。
「だってそうじゃない!? そんない小さいんだもん。あんまり小さいから上から見えなかったのよ!」
「なっ……な、な……! ち、小さ……小さっ……」
謝罪どころか、一番言われたくない単語を口にされて、エドワードは怒りのあまり絶句した。
「せめてこっちの鎧の人ぐらい目立ってくれればちゃんと避けてあげられたのに。恨むなら小さい自分を恨んでねっ」
「……~っっっ!」
今日だけで、三人もの相手に身長のことを口にされたエドワードの怒りは頂点に達する。しかも目の前にいる三人目が一番口が悪いときているのだ。
一発殴ってでも謝らせてやる、と決意したエドワードだったが、この三人目はたちの悪さだけでなく逃げ足も一番だった。
「じゃ、そういうことで。バイバイ、金髪おチビちゃん!」
少女は極めつけのひと言を言い置いて、さっさと身を翻す。
「なっ!? 待ちやがれ クソ小娘ーッ!」
道の向こうに走り去る少女を、エドワードはすぐさま追いかける。
「ちょっと、兄さん!」
「あの生意気な小娘を捕まえて絶対に訂正させてやる! 誰がチ……だ! 撤回しろおぉぉぉっ!」
「……上から落ちてきたことを謝らせるんじゃないの?」
いつのまにか目的がズレているエドワードに、慌ててついて行きながらアルフォンスは首を傾げる。だが、『小さい』という単語に我を忘れるエドワードにはそんなことはどうでもいいようだった。
「小娘め! 待ちやがれえぇぇーっ!」
徐々に薄暗くなる山道の奥で、少女の白い手足だけがチラチラと見える。エドワードはそれを追って走ったが、ところどころに転がっている岩に足下を取られてるうちに、少女はあっというまに見えなくなってしまった。
「あの子、足が速いねぇ」
追いついてきたアルフォンスが感心する横で、エドワードは目を凝らしたが、少女はどこにも見えなかった。
すっかり日が沈むと、明かりのない山道では足下さえ見えなくなってしまい、自然、ゆっくりとした足取りになる。
しかし、エドワードは諦めなかった。
「あの大きな岩を曲がればヒースガルドだよな。そっちに行ったかっ?」
この時間、待ちの中は街灯で明るいはずである。そうなればすぐに少女を見つけられるだろう。ヒースガルドに着いて、少女を謝らせ、訂正させる。そうすれば、気持ちよく中央行きの列車に乗れるというものだ。
エドワードは転ばないよう気を付けながら、ヒースガルドへと続く角を曲がった。
記憶にある限りでは、町の入り口には大きな広場と噴水があり、それを囲むように数軒の店が並んでいるはずだった。小さいながらも人の多い町だったので、噴水前の店はいつもひと仕事終えた人たちで賑わっており、その奥にある駅から漏れる明かりを肴に一杯引っかける姿が見えるのである。
だがそこにあるヒースガルドは記憶とはほど遠い景色だった。
「なんだよ、これ……」
「どういうこと……?」
エドワードとアルフォンスは、呆然と立ち尽くすしかなかった。
二人を迎え入れた町には明かり一つなく、薄暗いまま沈黙していたのである。
談笑する人々の声も、家路を急ぐ子供の姿もない。店のシャッターはすべて閉まっており、噴水は水を吹きあげることなく澱んだ水を湛えている。家々は傾き、奥に見える駅のガラスはどれも割られ、通りに作られたベンチのほとんどが崩れていた。
町は完全な廃墟と化していた。
無言で町を見つめる二人の横で、看板がキィ、と音を立てて風に揺れた。
「ヒースガルド……」
エドワードは看板の文字を読む。
「間違いない。ここはヒースガルドだ。けど、どうして誰もいないんだ。しかもこんなに壊れた物ばかり……」
潰れている樽をエドワードは足先でつつく。
「まるで、自然に朽ちたいうより、壊されたみたいだ……」
「に、兄さん……!」
隣に立つアルフォンスが、エドワードの肩を叩いた。
「ん?」
エドワードは弟を振り仰ぐ。しかし、アルフォンスは自分を見ていなかった。
「なんだよ?」
アルフォンスは前方に顔を向けたまま、一ヶ所を指さした。
「?」
つられてそっちへ顔を向けたエドワードは、そこで固まってしまう。
「な、なんだありゃあ・・・・・・」
壊れた店の中から、巨大な物体が起きあがるところだった。
ゆっくりと足を踏み出し、広場に姿を現したその物体は、山に住んでるような野生の動物たちとは遥かにかけ離れた容姿を持つ獣だった。
「兄さん、あれって・・・・・・」
「ああ・・・・・・!」
薄暗い闇の中でヒ光る青い目が、エドワードとアルフォンスを睨めつけた。
四本の足先にある鋭いかぎ爪が地面を引っか掻き、尻から生えた二本の尻尾が鞭のようにしなっては広場で傾いている街灯に打ちつけられる。長く黒い全身を覆うように生えていたが、その顔だけは毛がなく、代わりに鱗がびっしりと生えていた。ワニのような大きく裂けた口を持つ頭部には、角が二本乗っかっている。
その姿はヤギともゴリラともワニともつかない不恰好なものだった。
「あれは・・・・・・キメラだ!」
エドワードの声に反応したかのようにキメラが吼えた。すると、それに反応するかのように町の方々から空気を震わす咆哮が次々に上がった。
「なんで町にキメラが・・・・・・!?」
「おいおい、冗談だろ? いつからヒースガルドはキメラの巣窟になったんだよっ?」
牙をむく鱗の生えたイノシシ。空を飛ぶ翼のついた蛇。二つの頭をもつオオカミ。
エドワードとアルフォンスは、いつのまにか暗闇の中から現れたキメラたちに囲まれていた。
エドワードたちがキメラ相手に戦う羽目になる、少し前。
ヒースガルド地方から遠く離れた東方司令部に、一本の電話がかかってきた。
「大佐、アームストロング少佐からお電話です」
通信担当のフェリー曹長がロイに声をかける。
兵士たちが大勢働く広い部屋には司令官用のひときわ大きな机がある。そこで届けられたばかりの書類を読んでいたロイが顔を上げた。
ロイ・マスタングは、大佐と国家錬金術師、二つの肩書きを持つ東方司令部でる。さらりとした黒髪が額にかかっているせいか童顔に見られることが多いが、その漆黒の瞳は鋭く光り、先見の明と的確な判断の持ち主であることを垣間見せた。異例の出世で若くして大佐になったため敵は多いがその地位以上の実力を持っていることは部下の誰もが知っており、信頼は厚い。
「・・・・・・少佐から?」
ロイは書類を手にしたまま、フェリーが持ってきた受話器を受け取った。
「私だ」
「お忙しいところを申し訳ありません」
電話の向こうでアームストロングが珍しく恐縮したような声を出した。
「実は面倒なことが起こりまして・・・・・・」
「ああ、列車事故の件だな。報告は受けたぞ。リゼンブールから中央に向かう途中、事故が起きたそうじゃないか」
アームストロングが護衛の任務の最中に列車事故に遭ったことをいっているのかと思い、ロイは先にそう言う。
すでに別の軍基地から詳細な連絡は受けており、東方司令部も派遣する隊の編成やらなにやらで多くの兵士がバタバタと動いているところであった。場合によってはロイも行くつもりであったが、死者もなく、他の基地からの救助で間に合いそうだったため、別の事件に集中しようとしていたのである。
「脱線事故のせいで少々予定は狂うだろうが、あの兄弟を無事に中央に連れていってくれればそれでいい」
「いえ、その護衛の件で・・・・・・」
「・・・・・・どうした?」
相変わらず歯切れの悪い声を聞いて、ロイはそこでやっとアームストロングが列車事故のことで電話をしてきたのではないと気がつく。
「なにかあったのか?」
「実は・・・・・・エルリック兄弟は早く中央に行きたいからと、一足先に最寄りの駅のヒースガルドに行ってしまったのです。申し訳ありません。護衛として失格でありました」
「なんだって!? よりによって、二人きりでヒースガルドに行っただと・・・・・・!」
「本当に申し訳ありません。今からすぐに追いかけるつもりですが、我が輩が追いつく前に、あの兄弟が中央に着く可能性があります。その場合に備えて、念のため中央駅で別の護衛を待たせておいて・・・」
己の失態をキチンとカバーしようとするアームストロングの言葉をロイは遮った。
「いや、あの二人がすぐに中央に着くことはない」
「は? 、と申しますと?」
ロイは気を取り直すように大きく息を吐くと、受話器を持ち直した。
「・・・・・・そのぶんだと、中央への中間報告は少佐の耳に入っていないようだな。実は、ヒースガルドは今、混乱の状態にあるんだ」
「混乱? 錬金術師が集まっているらしいことは二人に聞きましたが、そのことで・・・・・・?」
「詳しくは後で話す。とにかく私も都合がつき次第そちらに向かおう。少佐はそこで列車事故の後始末をしていてくれ」
ロイは電話を切ると、部屋で働く部下たちを呼ぶ。
「フェリー曹長!」
「あ、はいっ」
眼鏡をかけた、優しい面持ちのフェリーはすぐに立ち上がってロイのもとへ来る。
「なんでしょうか?」
「ヒースガルド辺境軍司令部に行くための道のりを調べておいてくれ。先刻の事故のせいで、列車がどこまで行けるか分からん。その場合は・・・・・・ブレダ少尉、ファルマン准尉!」
「はい」
「なんなりと」
「ここからヒースガルドまでの各駅に、車を用意しておけ!」
「了解しました」
「すぐ手配します」
少々太り気味で豪快な体型のブレダと、長身で線が細く繊細そうなファルマンが各軍支部の保有する車を調べだす。
「ハボック少尉は武器の確認!」
「了解~」
「なるべく強力なのを用意しろ」
「分っかりまし・・・・・・」
茫洋とした風貌のハボックはすぐに武器庫の鍵に手を伸ばしかけたが、その手をピタリと止める。
「・・・・・・大佐、俺たちは強力な武器が必要な場所に行くので?」
「そうだ」
ロイが頷くと、たった今仕事にかかろうとしていた一同が不安そうな表情を見せた。
「大佐がヒースガルドを調査しているのは知っていましたけど・・・。そんな武器がいるほどの事件が起きているんですか?」
一同は調査の詳細までは知らないのである。緊張しながら尋ねるフェリーに、ロイは簡単に説明をした。
「今、ヒースガルド地方ではキメラが氾濫するという事件が起きている。その件について内々に調査をしている最中だったのだが、どうもエルリック兄弟が現地に入ってしまったらしい。彼らなら大丈夫だとは思うが万が一のこともあるし、調査の方も佳境を迎えた。これを機に、準備を整えて向かうことにする」
「ってことは、俺たちがキメラを相手にするんですか!?」
「無理ですよー!」
「ヒースガルドには辺境とはいえちゃんとした軍施設があるでしょう? そこから武器を借りればいいですし、なにより我々が出なくても、そこがキメラを鎮圧するのでは?」
「そうですよ。我々が相手をしなくても・・・・・・」
「いいや」
ロイは口々に不安を訴える部下たちに、首を振った。
「我々が鎮圧する対象はキメラではない。・・・・・・分かるな?」
なにかを含むようなその台詞に、ハボックが、なるほど、と手を叩いた。
「大佐の手柄となるなら、俺たちも頑張らなくちゃ行けないッスね」
「そういうことだ」
一同はロイがなぜ内々に調査を進めていたのかを理解する。
キメラが氾濫している原因に軍関係者が関わっており、ロイはそれを摘発するつもりなのだ。場合によっては武器を持って抵抗する部隊と戦うかもしれない。だから、こちらもそれを上回る火力を持つ武器を念のために用意しておくのだろう。
「ということは、こっちの動きを悟られず、向こうの真意を確認しなくてはいけないということですね。下準備なしに突っ込むわけにはいきませんな・・・・・・」
ファルマンが顎をつまみながら考え込む横で、ブレダも眉を寄せる。
「それにエドたちのことも心配だ。いざというとき、連絡がつかないとまずいですぜ。すぐにでも誰かが現地に行った方がよくないですか?」
キメラと軍、というやっかいな存在を相手にすることになって少々慎重になる面々だったが、ロイは彼らの憂いを一蹴するかのように、手にしていた書類をパン、と叩いた。
「安心しろ」
それは先ほどアームストロングと電話する前に、ロイ宛に届けられただかりの書類であった。
紙面にはヒースガルドで起きているキメラ氾濫についての報告書と、それに軍関係者が関わっているのではないかという推測と根拠がびっしりと書かれている。
「すでに潜入捜査に行っている者がいる。あの兄弟のお守りも任せることにしよう」
そう言って、ロイはニヤリと笑った。
第二章 再開(A)
に続く・・・
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