Novalis

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Saschaの詩・2




Saschaの詩



2001~2003年作の詩より


『この美しい夜に』

この美しい夜に
口づけする

したたる緑の呼吸に
胸はしんしんと喜びに満たされ
永遠の真実に約束する

「私はいつでもここにもどる今も、ずっとずっと先も・・・」
終わりの無い輪舞は
暗闇の暖かな光の中で
私を抱きしめる

手を差し伸べれば、その中にゆっくりと招かれ
静かで研ぎ澄まされたステップに
うっとり、とっぷりひたって行く

なんという至福の時

あなたと私にこころからありがとう
そして、乾杯



『さらさらと・・・』

「さらさらと 流れるのは時かしら」

透き通る河のそこで

1つの美しいいきものが

ささやきました

「ぽっつーん、ぽったーん、あ、またひとつ」

ふれると 波紋がひろがります

ひとつ、ひとつの波紋の中に

「わたしたち」という

うつくしい、ありふれた、とくべつの

いきものたちが泳いでいます

きょうもまた

いのちのみずに うるおって

いきかえって

よみがえっていきました



『ユリアは』

ユリアはお母さんの腕に抱かれ

夢の中でうつらうつら

昨日は輝いていた瞳で

あすを見つめることなく

静かにやすらぎの音楽に耳を傾け

魂の声を聞く

「生きるの」

「生きるの」


そう、あなたの体は生命に満ちている

少しばかりの勇気

少しばかりの情熱

少しばかりの希望

いっぽ、進もう

いっぽ、前を見て

そこには生命の花園が待っている

・・・・・




『縁、円、延、沿、演、・・・・・』

温かなゆりかごの中で
おーん、おんと音が響く

私の知らないと思っていたことは
その中に眠っていた

澄んだ空気と、きんいろの魂は
その中でゆーらり、ゆらりと温められて
やがて、ゆっくりと形になっていく

はっと、目覚めれば
そこは天上も、地上もなく
延々と混沌と、始めと終りがあった。

そして、また
ゆっくり
私たちは
温まる

長い、長い呼吸の中で^^。



『やはり、夜景がとてもロマンティックでした。^^。』

川面に反射する橋の街灯のひかり、

それを砕いて、遊覧船がゆるゆるとドナウを遡ってゆく。

闇の中、昼間そびえ立っていた王宮が、国会議事堂が、

柔らかなオレンジ色の灯りに包まれ、今はここだけの

小さな世界、まるでここだけの秘密を作り出している。

両岸を繋ぐ真珠のたまを連ねたようなライティングに、

急に橋々は重々しさから開放され、

たまにやってくる旅行者の心を、

ゆっくりとお伽の国へ誘うのでありました。



『そこに輝く私は、あなた。』

私の見ているのは
時には金色の
時にはコバルトブルーの
絶え間なくあふれる
「永遠」

その光泉に向かい

「あなたに恋いをしている
ああ、あなたに夢中なのだ」

と、微笑みつつ
そっと囁いてみる

すると
返って来る。同じ熱情が。

そうだ
私はあなただ。

静かで止まっているのに
絶えず変わっていく

一瞬なのに
沢山の時を刻んでいる

そして、「それ」以外の何者でもない。
宇宙の中の外

私たちはひとつ。
そして別々の「経験」の中にいる

同じひかりを
見つめながら
まといながら



『ひとつに繋がっている。♪』

子供をKindergarten(幼稚園、直訳すると子供の庭)に朝連れて行った帰り、

アイロンをかけている時、

犬と散歩している時、

お風呂にとっぷり漬かっている時、

意識は自在に飛び回る。

過去の、現在の、未来の

全ては1つに繋がり、

右に、左に

美しい螺旋の光を描いている。

魂は、開放の中で打ち震える。

ぽたりと、時の雫は落とされたのだ。

それは、遠い過去。

今の、今。

すっくと健やかに立つ未来に。

自分のそのまた、自分。そのまた自分。

まるで、鏡の中の鏡。

美しい呼吸は、1つに繋がり、

終りを知らない。

それが、わたしたち。^^。



『誰もいない家の・・・』

窓から雨がしとしと降っているのを眺めていた。

春はいっせいに緑達が外気に向かって呼吸を始める時。
太陽の光も大切。
お水もとっても大切。
外はマイナスイオンでいっぱいだ。

この時期の典型的天候を「April Wetter、アプリル ヴェッター(四月のお天気)」という。

雨が降ったり、雪が降ったり。
気温が上がって夏日みたいになったり。

他の月に対してこんな表現はしないので、
日替わりでくるくる変化するこの時期のお天気を、
人々の間でこう呼ぶようになったのだろう。

4月のお天気は、私のこころにも似ているではないか。

そうだ、私も自然の一部であった。^^。



『自分について思うこと。優しくなること。』

「まず、自分から。」何度も自分に言い返してきた言葉です。
時にはとても簡単。で、時々とっても難しい。でも結局自分にもどって来る。
人生には色んな選択肢があって、できるならいつも「住み良いじ・ぶ・ん」でありたい、といつも思います。
優しい自分。
愛らしい自分。
頼れる自分。
癒せる自分。
勇気ある自分。
落ち着いている自分。
自信のある自分。

私にとっての、自分探しは(今のところ)皆さんとHP上でお話すること。(本当に楽しい)
ほら、また新しい自分が見えてきた。^^。ありがとう。



『今日、感激したこと。』

昨日から、ちらほら雪が降ってきた。
始め花びらかと思って目で追っていたら、土の上で、すっと消えた。
オーストリアの花冷えの季節は、妙に冷え込む。
だが、そんな寒さの中に凛と咲いているりんごの花は、美しく実に感動的だ。
今は夕方の青空が広がっている。
今日も、金星がピカーっと、深い藍色の西空に輝くのだろう。
いくつもの飛行機雲を従えて。



『ある時、私は・・・、 。』

魂の、欲の、感情の浄化を止めた。
有るものは、有る。

「そうなのだ、いいではないの。
それならそれで。

好きなだけ、そこにいれば。^^」

って、自分を認めた。

時間はいくらでもある。
出会いたい人にもいつでも会える。

今日はイエス・キリストの昇天した日。
今度の日曜日、復活する。

そうしてここの人々は、また、新たに生まれ、
新たに生きる。

あながち、儀式と言うものも、新たなる日々の為に
必要なものかもしれない。

それが毎日であればどうだろう。
私は、日々新しくなっていくではないか。

朝の目覚めにそのことを、思い出してみよう。
そうすれば、私は昨日の私よりずっと軽い自分になっているはず。^^




『種をまくとき、刈るときには時がある。』

それぞれの時間の゛ながれ゛があります。

とても似ていて同じ「時」を生きている人もいます。

でも、一つとして同じものはないです。

私はあなたを愛しています。

でも、他の形で他の人も愛しています。

あなたに恋いをしていて、どきどきしてるけど、
あの人のことも大好き。

それでいいと思う。

人は、好きなだけ、そこに留まっていればよいのです。

いつかは、変化してゆきます。

魂は行く先を確実に知っているのですから。

変化を見つめていたい、そう思います。

あたたかく、やさしく。

そうならなければそうで、そうなったら、そう、で・・・。

全ては、美しく完結しているのです。
愛に始まり、愛に完結するのです。



『^^ みんなお互い、引き寄せあってる。』


偶然の一致に気づくと、色々な人、物が引き寄せられてくると言う。
みんな答えを携えて来るという。
では、よく観察してみよう。
きっと、私の知りたかった答えが見つかるはず。
暖かな気持ちで、歓迎しよう。
全ては、来るようにして、来てくれたのだから。
なになになーに?と微笑んで受け入れよう。
全ては私自身なのだから。
そして、全てにあ・り・が・と・う!!(^0^)



『また、新たに今日という日を生きる。』

体のエネルギーが低下している時、
なにがなんでも微笑んでみます。

微笑みながら、鼻でゆっくり息をしてみます。

歌を歌っていて感動した時のこと、子供の可愛いしぐさなど、どんどんフィードバックしてきます。

そうすると、周りのものが輝いて、くっきり鮮やかに見えてくるのです。

そして、なんだかわくわくして、いい気分になります。

皆さんもこんなこと、ありますか?




『この「うた」を、読んでくださるあなたにささげる。』

あなたと私は1つ。
内であり外
行きつ戻りつ、世界は呼吸する。

あなたを活用して。
美しく広がれ。
プロセスはいつも
どんな時もあなたによって
創造される。

あなたは創造者そのもの

忘れないで、

あなたは「愛」そのもの

私はあなたを抱きしめる。
そして、あなたをしずかに解き放つ。

永遠の時の中で。
忘れないで。
いつも、そう、無限にあなたと私は1つ。

「モーツアルトのLaudate Dominumの日本語訳をしている時に、ふっと浮かんだ「うた」

Laudate Dominum

主を称えよ、全ての民よ彼を称えよ
父とその息子に栄光あれ そして聖霊に
初めにそうであったように、そして今もなお!
永遠に、そして無限に
アーメン(かく有らしめたまえ、という祈りの結びのことば)


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