あま野球日記@大学野球

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2010.11.24
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カテゴリ: 近鉄バファローズ
■夕刊フジから。
前ロッキーズの 松井稼頭央 内野手(35)の楽天入りが決定的となった。2003年オフに西武からメッツにFA移籍した松井は、ロッキーズを経て07年オフにアストロズ入り。今季は結果を残せず戦力外となり、古巣ロッキーズ傘下の3Aでプレーしていた。
来季は日本でのプレーを希望する松井に対し、楽天とオリックスが争奪戦を展開。星野新監督の下、打線と二遊間の強化を目指していた楽天が獲得に成功した。
すでに楽天は、同じく元メジャーリーガーの 岩村明憲 を2年総額3億円で獲得。松井はそれを上回る大型契約となる見込みという。しかし、ポスティングシステム(入札制度)でメジャー移籍を目指したエースの岩隈とアスレチックスとの交渉が決裂。12月7日の期限までにまとまらなければ、アスレチックスから楽天に支払われるはずだった約16億円の入札金は消滅する。

楽天、資金は大丈夫か? ま、そんなことはボクの心配することではないが。
岩村明憲 。たしか彼は近鉄バファローズ嫌いの男だった。実は 岩村のお兄さん(敬士さん)が元・近鉄の選手だったが、入団後に球団とのトラブルに見舞われ た。そのため弟・明憲がプロに進むにあたり 「近鉄に入団するのだけはイヤ」 と言い放ったエピソードがある。

そして 松井稼頭央 。俊足好打で、韋駄天(いだてん)ぶりはつとに有名だ。また1998年、ロッテ・ 小坂誠 (当時)との盗塁王争いは、別な意味で強く記憶に残っている。


■今日付の日刊ゲンダイでは、 村松有人 (元ホークス)のことが記事になっていた。タイトルは「ベースを駆け抜けた20年、高橋コーチから教わった極限の盗塁術」。そうそう、村松もたしか韋駄天だった。以下、日刊ゲンダイの記事を要約。

高橋コーチとは、当時ホークスの走塁コーチだった 高橋慶彦 さんのこと(この人も韋駄天だった)。この高橋コーチの一言が、村松に人生の一大転機をもたらした。 「おまえは足を生かさないと生きていけないぞ」 。そして、こんなアドバイスを村松に送った。

「いいか村松、投手の癖を見分けるだけの盗塁をするな。目から入った情報は頭を通らず、足の指先ですぐに反応するまで練習しろ。走り出す瞬間、陸上のスタート板を蹴るイメージが出てくるようになるから。・・・人間にはすごい能力があるんだよ。でも、ほとんどの人は訓練している間に飽きてしまう。・・・危機感をもって観察眼を磨くように努力すれば、投手の動きを見て、無意識に足の裏、指先が反応するようになるんだ」。

訓練する前から飽きることの多いボクには、高橋コーチの言葉の意味を理解することが難しい・・・しょんぼり


■韋駄天で思い出した。その昔、ボクが大好きだった近鉄バファローズには 藤瀬史朗 がいた。 あの1979年の日本シリーズ、代走で出場した藤瀬が・・・嗚呼 号泣 涙なしには語れない。そして、そのもっと以前には、ロッテオリオンズにいた 飯島秀雄 の名も記憶にある。

飯島秀雄。オリンピックの短距離走で活躍した世界ランナーである。記録は100mで10秒1。野球にはズブな素人だったからデビュー当時は珍走も多かった。ただボクは憶えていないけれど、 大和球士 著『野球百年』(時事通信社、昭和51年刊)に興味深い逸話が紹介されていた。それは飯島の、一世一代の大活躍の場面。以下、一部を引用。1969年(昭和44年)のことだった。

飯島の快脚ぶりを見ようと、ロッテの本陣東京球場へ詰めかけたファンを十分に堪能させる日が訪れた。6月15日のロッテ対近鉄戦がそれであった。近鉄は阪急を追う優勝の対抗馬として人気上昇中であり、ロッテに飯島ありで、このシングル試合は約1万6千人の観衆を呼んだ。

スコア0-0のまま迎えた5回裏、ロッテの攻撃。
二死、篠原が中前安打、ここで濃人監督が「代走、飯島」を告げた。
背番号88の飯島が一塁に向かうと、一塁側スタンドから嵐の拍手。打者は醍醐。カウント1-0後の2球目、飯島は走った。頭から滑り込んだ。二塁ベース外側に左手で鮮やかにタッチした。「セーフ」。またも拍手のうず。そしてカウント1-3の後、飯島は三塁に突進した。早い。やっぱり早い。スタートがそれほどいいとは思われなかったが、スピードが違う。野球選手の快脚とは一ケタ早さが違う。完全に三塁セーフ。あわてた捕手児玉の送球は高くそれて、飯島は歓声うず巻く中に、ホームベースを走り抜けた。テープが飛んだ。回はまだ5回、試合は半ばなのに、祝福のテープがホームベース近くに舞った。

1-0、ロッテが勝った。二盗、三盗、決勝点。まさに飯島はこの世の千両役者であった。皮肉な結果が生れた。 飯島の日本一の快脚にしてやられた近鉄は、大詰めの対阪急4連戦に2勝を必要としながら3連敗して初の優勝を逃した。もし、プロ球界が素人の飯島の足を封じて近鉄がこの試合に勝っていたら、最後の4連戦に1勝で優勝となり、多分近鉄はチーム結成以来の初優勝を飾っていたことであろう。
 (以上、『野球百年』)


近鉄バファローズ の優勝には、この時もロッテが立ちはだかった。 1988年、 有藤道世 の9分間の抗議にしてやられた近鉄は2勝を必要としながら1勝1引分けで優勝を逃した。もしこの年、ロッテが有藤を監督にしていなかったら、無駄な9分間の中断はなく、近鉄は優勝を飾っていたことであろう。



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Last updated  2010.11.25 06:18:43
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