全595件 (595件中 1-50件目)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。少し前からお知らせさせていただいていたとおり、明日16日からマスターのブログがこちらにお引越しになります。ここ楽天ブログでは4年間に渡り、約600本のコラムを書かせていただきました。4年間の間に430000人の方がいらしてくださり、はじめた当初では想像つかなったような感じです。このブログを書き続けてきたことで、本当にたくさんの方たちとであわせていただきました。また、このブログを書きはじめたときは、個人セッションはやっていたものの、セミナーはやっていませんでしたので、このブログに人生の転機をいただいた感じです。これまで、楽天ブログ「ショットバーマスターが伝える 幸せを呼ぶ人 そうじゃない人」にいらしてくださり、本当にありがとうございました。書く場所は変わりますが、これからも気づいたこと、わたしや友人たちに素敵なことをおこしてくれた知恵を惜しみなくお伝えしていこうと思います。新しいブログはこちらです。これからもどうぞよろしくお願いいたします。わたしの人生を変える機会をくれた楽天ブログ、本当にありがとう。こころから感謝します。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのおこしを、こころよりお待ちしております。いってらっしゃいませ。PS 明日16日のとークラブでお会いするみなさん、 お会いするのを楽しみにしていますね。
May 15, 2009
コメント(4)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。今日はめちゃいいお天気でした。我が家の庭には、まるでお寺のような大きな樹があるのですが、風に木の葉がさわさわと揺れる音が、すごくここちよいBGMになってくていました。(写真が庭の樹です)では、今日の話題です。自分の周りにあるもの、起こってくるできごとは、すべて鏡だといわれます。で、イヤな気分にさせる人が目の前に現れたとしたら、その人は、自分のみたくない部分を見せに来る役割の人といわれていますよね。で、「え~、こんなの鏡じゃないー」って言いたくなって、でも、「鏡なんだよなー」、「なんの鏡なん?これ?」とか、「受け入れたいけど、受け入れなくちゃ~」とか、よく七転八倒したりしますよね。で、なんで七転八倒してしまうかというと、このイヤな感情を感じたくないから、イヤな感情を感じさせる現実が二度と起こってほしくないから、なんとかしたくて七転八倒しちゃいます。ということは、のぞむのは、起こる現実を変わってほしいってことですよね?起こってほしいことは、「この鏡なんなんだよぉ!?」とか、「鏡なんて認めたくないー」とか、「受け入れたくないけど、どうしたら受け入れられるのぉ?」って、七転八倒することではないですよね(笑)。さて、この世界のことわりである鏡のしくみは、実はものすごくシンプルです。自分が発信したものが、シンプルに返ってくるだけです。それは、壁に向かってボールを投げたら、自分のとこにろに返ってくるのと同じく、とてもとてもシンプルなんです。まっすぐにボールを投げたら、まっすぐに返ってくるし、斜めに投げたら、斜めに返ってくるわけです。で、わたしたちがむしゃくしゃする時ってどういう状態かというと、斜めになげたから、斜めに返ってくるボールに対して、「なんで斜めに返ってくるねん!」と、うなっている状態なんですね。斜めに投げて、斜めに返ってきたボールに、「なんで斜めやねん!」って言っている人がいたら、すごくこっけいで笑ってしまうんだけど、でも、自分の身に起こったことだと、それがみえないから、「なんでやねん!」って言ってしまいたくなるわけです。なんで自分のことは見えなくなるかというと、まわりのみんながそれに気づいていないから。だから、それが当たり前だと信じ込んじゃってきたからです。それともうひとつは、今これが自分だと(無意識に)認識している存在が、自分なんだと思い込んでいて、目の前の人は、他者だと信じ込んでいるためです。(↑これ、けっこう深い)ちなみに、斜めにボールを投げて、斜めに返ってくるってどういうことかというと、「イヤだけど、受け入れるの難しい~」って、ボールを投げたので、「イヤだけど、受け入れるの難しい~」ってボールが返ってくるようなものです。ホントは実に実に、シンプルなのです。わたしたちに起こってほしい現実は、「難しい~」とか「なんで~」とか感じる現実ではなくて、自分に起こってほしい現実なワケですよね。優しい気持ちになったり、ワクワクしたり、穏やかな気持ちなるような現実ですよね。じゃあ、どうすればいいのか?わたしたちの世界のことわりは、すごくシンプルです。自分が発したものが、自分に返ってくるだけです。としたら、自分がしてほしいことを、自分の周りにする。やさしく返ってくるボールを受けたければ、やさしくなげるって感じです。イヤなボールが返ってこないようにするのではなく、気持ちのいいボールが返ってくるようにする。そしたら、気持ちのいいボールを投げるってことになりますよね。この世界のことわりは、ほんとうにシンプルです。イヤ現実を起こらないようにするのではなく、気持ちのいい、やさしい気持ちになる現実を創りだすために、自分はどんなボールを投げるのかな?って、よかったら意識してみてください。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへ今週の土曜日、16日からブログをこちらにお引越しします。よかったら、読者登録してくださいね。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのおこしを、こころよりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
May 14, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。26日からブログをお引越しさせていただくとお伝えさせていただいていますが、今日ウェブ担当の友人が、またデザインに手を入れてくれました。少しの違いなのですが、ぐっと雰囲気がよくなってきて、嬉しく思います。マスターのプロフィール写真も、追加しましたが、カッコつけてます(笑)。こちらです(よかったら読者登録してくださいね)さて、わたしは、ある時とてもおもしろいことに気がついて、それを楽しむようになりました。それはなにかというと、イヤな感情が、一瞬でイヤでもなんでもなくなるヒミツの方法です。(方法というか、厳密に言うとセンスのジャンルかな?)なにかちょっと気分を損ねるような出来事を見たり、言葉を見聞きしたりした時とか、自分が批判されたように感じるようなことがあったとしますね。で、たいていの場合、腹が立っちゃう。「自分は悪くない」って感情が出てきたりとか、相手のこと責めたり、反撃したくなったりとか、そんな感情が出てきますよね。で、多くの場合は自分でもよくわかんないうちに、アタマに血がのぼちゃったりして、正当化をはじめちゃいます。いかに自分が罪のない被害者なのかを自分の中や外で証明したくなるってヤツです。で、これら一連の感情はスイッチを入れたら、電気が勝手につくように、ほとんど自動的に行われるように、(過去の様々な経験から)回路ができちゃっています。ゆえに、ほとんど無自覚に、自動的に反応し、自分が自動的に反応していることに、気づかないことさえ、気づかないわけです。で、ある時気づいてためしてみて、「おお、これおもしろい」と感じているものがあります。それは、「批判されていると感じているのは、自分ではなく、自分の自我だったんだじゃん」って、自分で言葉にしてみるというものです。これがわたしには、実におもしろい結果につながりました。すっと、センターに戻るというか、こころがとても静かに、穏やかになるのです。よく悟りをひらいたお坊さんや、聖者の話に、無我の境地というものがあります。無我とは、読んで字のごとく、「我(自我)」が無い状態のことです。この境地に至ると、自分というものがあると思い込んでいたのが、実は幻想であることに気づいたり、すべてはひとつであることに気づくといわれています。さて、この無我の境地は、修行をしたり、ある大きなきっかけから至ったりするものだと言われています。が、これが自分だと思っていたもの「我」と、我ではないホントの自分「真我」というものは、別なのだということは、なんとなくは理解できます。どんなのかというと、たとえばわたしの場合だったら、濱田浩朱という名前で、42歳で、2人の子供の父親で、セミナー講師で、個人セッションをやっていて、ブログやメルマガを書いていて、こういう友人たちがいて、こういう性格で、これが得意で、これが苦手で、これこれこういう経験をしてきた人、「これらが自分」って思い込んでいました。そして、それがしごく当たり前のことで、それが不思議だともなんとも思ってきたことがなかったわけです。ところがある時、わたしは気がつきます。(実際にはある朝、ぼーっとしていた時でした)ああ、自分ってホントは名前もなくて、歳とかいろんな思い込みも関係なくて、何も欠けてない、完璧な存在で、今まで自分だと思っていたのは、自分の自我だったんじゃん。実は自分は、名前もなにもない存在なんじゃんって気がついたわけです。で、話を最初に戻します。わたしたちが自分だと思っていたのは、ホントの自分ではなく、これが自分だと思っていた自我だったわけです。たとえば、わたしが濱田浩朱が自分だと思い込んでいる状態だと、批判(に感じる)言葉を聞いたいりすると、濱田浩朱が批判されたと感じてしまうわけです。そしたら、いろいろな感情が出てきます。「俺は、講演家だぞ」とか、「すごくがんばってきたんだぞ」とか、「お前は俺のなにを知っているって言うんだ?」とか、いろんな感情が出てきます。そして、自分の経験や自分に関わる周りのものも批判されたように感じて、自分自身を批判されたように感じてしまいます。なぜなら、それら自分を自分と表現する「要素が自分」だと思い込んできたからです。(↑ここが超重要です)ところが、批判(されたよう)に感じたのは、実は自我のことであって、本当の自分のことではないんだって、自分自身に言ってみると、まるで魔法のように、すっとこころが静かになるんです。これは、悟ってないとできないかというと、そうではないようで、不思議と誰もがこころがすっと静かになるのを体験します。ただ、そんな簡単に正当化から降りたくないという自我への執着が強ければ、容易には静かにはならないかもしれませんが。でも、「ああ、ホントの自分のことじゃなくて、自我のことだったんだ」って言葉を口にしてみると、不思議と静かになるのは、何人もの人たちが試してもらって、体験しています。まさに言霊の力なりって感じです。さきに方法というよりは、センスとお伝えしたのは、これは知識やスキルのジャンルではなくて、実際にやってみて、そこで「感じる」ものだからです。知るのではなくて、実際にやってみて、勘をとるといった感じでしょうか。よかったら試してみてください。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへ本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのおこしを、こころよりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
May 13, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。先日からお知らせさせていただいていますが、5月16日より、ブログをこちらにお引越しします。よかったら、読者登録くださいね。さて、先日友人から、ある本を薦められました。「きっとマスターすごく気に入ると思う」と薦められた本です。桜井章一さんの「勝負強い人間になる52ヶ条」という本。著者の桜井さんは、20年間、麻雀の世界で無敗で生きてこられたそう。わたしは残念ながら麻雀のことは、詳しくないのですが、でも彼の生き方には、「おお」と共感するところがいっぱいです。まだ本は読んでいる途中なのですが、読むはじめた瞬間から、「お、この本、すごくワクワクの予感がする」っていう感覚を感じていました。本の中で彼が語っているのは、「思考」ではなく、「感じる感性」を磨くことが大切だということ。わたしがセミナーで伝えてきたことそのものでもあります。思考はぐるぐる回るもの、一瞬の感覚と一瞬の判断が、人生を切り拓いていきます。(今もたまに思考にいっちゃいますが(笑))わたしはよくサイクリングに出かけて自然に触れに行くように、彼も自然に触れ、海や小川のせせらぎに、感性を磨いてもらっているそうです。この本のもっとも、「お、これいい!」って感じたのが、若い頃は勝負にこだわっていたけど、やがて勝負にこだわらなくなってきた。ここまでは、他でもたまに耳にするもの。で、「素晴らしいな」と感じたのが、次の一文。「「勝つ」ことではなく、勝負を越えた本当の「強さ」を求めるようになっていった」というもの。よかったら、自然に触れにいってみてください。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへ※マスターの東京個人セッション 24日が追加になりました http://www.bar-aars.com/session.html本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのおこしを、こころよりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
May 13, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。昨日は友人と一緒に、お気に入りのバーに行ってきました。写真は、わたしの生まれ年の66年物のウィスキーです。(だいぶ暗いですね(笑))以前紹介したこともあるのですが、中国の賢者の言葉だったか、おもしろい明言があります。「鳥には空気がみえない、魚には水がみえない、そして、人には自分がみえない」というもの。とても深い名言だと、今また感心します。人には自分がみえないというのは、少し考えたらよくわかりますが、さらにこの言葉が奥深いのは、自分という「自我」に振り回されるのは、人間特有のものであることを現している点が、「おお、深いなぁ」と感じちゃいます。セッションをしていて、ひじょうに学ばせてもらうのが、多くの場合、人は自分がなにをしているのかに気づかないでいるということです。実は、自分が怒っていたり、悲しんでいたり、あきらめていたりしていることを、知らないことさえ、気づいていなかったりするのです。そして更に興味深いのは、自分が自分の未来を予定していることにも、気づいていなかったりします。たとえば、「あの人はそのうちこうなるだろう」みたいな言葉を、(自分では気づかずに)怒りと共に表現しているとしたら、それは自分が近い将来そうなることを宣言しているといった具合です。なぜ、そういうメカニズムになるかは、長くなるので、ここでは割愛しますが、結論から言うと、人は自分で言った言葉どおりの人生を生きるようにできているようなのです。無意識に発した言葉であっても、(無意識であればあるほど)人は自分の言葉への約束を果たすようにできているみたいです。セッションをやっていて気づかされた、ひじょうに興味深いことは、人は問題も解決策も、すべて自分で話しているということです。つまり人は、自分で自分の答えを言っているのですが、でも、それに気づかないのです。なぜかというと、「人は自分がみえない」という習性をもっているから。このことに気づいていくのは、決して難しいことではないのですが、人には自分がみえないもの。そして、その人の周りには、その人と同じ質の人が集っているものなので、シンプルな答えが、シンプルであるほどみえないのでしょう。ゆえに、中立に、客観的に接する専門家というものが、あるのかもしれませんね。さて、間もなくブログをお引越しするとお伝えしていますが、16日(土)から新しいブログをスタートします。新しいブログはこちら(よかったら、読者登録してくださいね)新しいブログも、どうぞよろしくお願いします。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへ※マスターの東京での個人セッション、22日、24日とも、あとひと枠だけあります http://www.bar-aars.com/session.htmlトークライブ in 京都の詳細はこちら本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのおこしを、こころよりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
May 12, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。先日、友人の心屋仁之介こと、ぢんちゃんの2冊目の著作、「光と影の法則」の出版記念講演会がありました。ぢんちゃんの講演は、笑いいっぱいで、本当におもしろいのです。で、当日わたしは、音響係として応援に行ってきました。セミナーでも、講演会でも、イベントはいつもとても楽しい。写真は講演後、友人たちと一緒に撮影したもの。後の2人の男性の左側がわたしで、となりの男性が、今週末16日に京都で一緒にトークライブをやる、福永涼人さんです。で、下の段の真ん中の女性が、メルマガ「ネクラでブサイク彼氏が5人」で知られる、北川涼子ちゃん。彼女とは、23日に東京でトークライブをやります。福永さんは、何人もの成功者を無名時代から、成功に導いた癒し系だけど、めっちゃプロフェッショナルなコンサルタント。人の才能や魅力を見つけ、引き出す天才です。なにせ、子供のころから、テレビを見ては、「このアイドル、どうしたら、売れるようになるだろう」ってなことばかり考えていた子供だったそう(笑)。人生や幸せの本質ってなんじゃ?って研究をずっとやってきたマスターと、人の才能や魅力を見極める涼人さんとのトークライブのテーマは、「やりたいことを本当に仕事にする方法」。2人とも直感で、どんどんいっちゃう人なので(笑)、どんなトークライブになるか、今からワクワクしております。トークライブにご興味ある方は、こちらをみてね涼子ちゃんとのトークライブの詳細はこちらのメルマガをご覧ください(主催が今回マスターんとこでないので、HPありませんゴメンなさい)さて、少し前からお知らせしていますが、システムの関係で、間もなくブログをお引越しします。お引越し先のブログはこちらです(読者登録ができます)かっこつけた写真がバナーになってます(笑)。こちらのブログは、書き始めてちょうど4年になります。長いようで、ホントにあっという間という感じです。振り返ってみたら、セミナーやセッションは、このブログを書きはじめたことから、いつの間にかやるようになっていました。書きはじめた当初は、まさかセミナーやセッションをやるようになるとは、考えてもみませんでした。そういう意味で、このブログには本当にお世話になったと思います。新しいブログも、どうぞよろしくお願いします。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへPS マスターの個人セッション詳細はこちら http://www.bar-aars.com/session.html本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。
May 11, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。たくさんの幸せな人生へと、みずからの人生を拓いていった人たちに出会ってきて、確信とも感じる気づきを得たことがあります。それは、人が幸せな人生を成功させていく過程は、自分のいろんな執着している思い込みを手放していくことなんだなぁということです。幸せになるためにはこうでなければならない、お金もちになるためには、こうでないとならない、お金持ちってこんな人に違いない、お金持ちって、こんなヤツに違いない、稼げない人って、こんな扱いをされるものだ、男はこうでなければ、女はこうでなければ、親とは、子供とは、長女とは、長男とは、警察は、役員は、政治家は....。たくさんの、でなければならないを、わたしたちは信じ込んでいるんだけど、なかなか普段はそのことに気づけませんよね。なぜかというと、まわりの人たちもそう信じているから、自分も不思議に思ってみることもない。わたしはそういう意味では、少し変った子供だったのかもしれません。みんなはこう言うけど、本当はどうなんだろう?このことに幼い頃から興味がありました。とは言っても、高校に進学するあたりからは、まわりと同じく、様々な思い込みにどっぷりつかりましたが。でも、変化の種子は、幼い頃から用意されているもの。5歳くらいの時に、叔父にせがんで描いてもらった、機関車の絵が、斜めの角度から遠近法を使って描かれていたたことが、「違う角度で見ると、違ったものがみえるんだ」ってことの、将来花開く種子でした。そして、中学生の時にみた映画「2001年宇宙の旅」も、わたしの人生に大きく影響を与えてくれました。みんなが難解だ、わからないって、さじをなげるものに、理解したいって、すごく興味を持って、子供のころの種子が芽を吹き始めたきっかけ、水やりのようなものだったと思います。人は様々な思い込みを真実と信じて生きてきました。そして、思い込みを解いて、ある意味目覚め、自由になっていく人が、自由に人生のあらゆる豊かさを享受していくのをみてきました。さて、思い込みというと、高校時代だったか、おもしろい出来事を思い出します。高校時代、わたしはバイクが大好きなバイク少年でした。うちの学校は珍しくバイクに乗っていい学校だったのです。当時は、バイクの3ナイ運動が激しくなりだした頃でしたが、(バイクは「乗らない」「買わない」「(免許を)取らない」という運動) 校長先生が、「法律が許す限り、わしは許す」という豪快な人で(笑)、うちの学校はバイクに乗っていい学校でした。ただし、通学に使うのはダメでした。(バリバリ伝説やララバイみたいに、乗っていきたかったなぁ(笑))さて、話はそれましたが、バイク好きだったので、よくテレビでバイクのレースが放送されていたりすると、家で観ていたものです。そんなある日、レースの放送を観ていた時のことです。レース車両のバイクのタイヤが、スリックタイヤなのをみて、(溝のないツルツルの表面のタイヤ)母が「溝がないじゃない、危ないじゃないか」って言ったんです。わたしは、「溝は雨の日に、水はけを良くする為のもので、天気のいい日は、地面により多くの面積が当たる、溝のないタイヤの方が、よく地面に喰いつくんだよ」と説明しました。ですが、母の頭の中には、溝のないタイヤ=磨り減ったタイヤという、思い込みがしっかりとあるようで、いくら説明しても理解できません。さらに、わたしが溝がなくても滑らない理由を説明すればするほど、「おかしい」、「あぶない」とがんばるのです(笑)。当時のわたしには、まだ理解できませんでしたが、「わかれよ」って立ち位置から接していたので、「わかりたくない」って力学が発生していたのです。わたしは母に、知らないことを教えたつもりでいましたが、「わかれよ」って立ち位置から接していたので、自分を否定されたように(無意識のうちに)感じて、「わかりたくない」に転じたのでしょう。そういえば、叔母が子供に、「チョコレート食べたら鼻血がでるよ」って言っていた時に、「それ、都市伝説だよ」って言ったら、同じような反応だったなぁ(笑)。おもしろいもので、その10年後くらいに叔母が、その子に、「コーラを飲むと骨が溶けるよ」って言った際に、今度はその子に、「それ、誰が言ってたん?」、「都市伝説ちゃうのん?」って言い返されているのをみて、「おお、なにかに気がつくまで、歴史は繰り返されるんだなぁ」と感慨深いものがありました(笑)。わたしたちは、この世界の中で、様々な思い込みを持っていますが、この思い込みに「あ!」って気づいた時は、ものすごく視野や世界観が広がる感動を味わいます。思い込みは、不自由さも与えますが、気づいた時の喜びは、ひとしおです。楽しみたいものですね。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへ※マスターの東京個人セッション 24日が追加になりました http://www.bar-aars.com/session.htmlPS 明日9日大阪にて、友人の心屋仁之介さんの出版記念講演会があります。 わたしも応援に行っていますので、よかったら、わたしみつけてください。 多分、音響手伝ってると思う。 日程 平成21年5月9日(土) 時間 13時30分~14時30分 事前サイン会(直感メッセージつき) 14時30分~17時00分 心屋仁之助 講演(サプライズゲストあり) 17時00分~ サイン会(直感メッセージつき) 場所 TKP大阪梅田ビジネスセンター http://tkpumeda.net/access/index.html 住所:〒553-0003 大阪府大阪市福島区福島5-4-21 TKPゲートタワービル アクセス:JR「大阪駅」・阪急「梅田駅」 ・阪神「梅田駅」・地下鉄四つ橋線「西梅田駅」の 地下街を通って 6-2番出口より徒歩30秒 本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのおこしを、こころよりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
May 8, 2009
コメント(1)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。先日友人と話していて、すごく面白い話題で盛り上がりました。とくに盛り上がったのが、お金と豊かさのハナシ。お金と男女関係は、実は密接に関係しているっていうのが、めちゃ盛り上がったのですが、これはかなり深い話なので、5月23日のトークライブの中でお話しますね。(なんか宣伝みたいですが、けっこうディープなので、文章にしにくい(笑))さて、とくに「おおー!!」と盛り上がったのが、なぜ多くの人は、お金がほしいと思いながらも、多くのお金を手に入れないのかという話です。実はお金持ちの人と、そうでない人と両方と話をしてみると、お金に関する考え方が、180度違うのがわかります。お金持ちの人と話してみると、「お金を稼ぐことはむちゃくちゃ簡単なのに、なんでみんな稼がないんだろう?」って真剣に不思議がります。逆に、お金持ちじゃないって人と話すと、お金を手に入れるのは難しい様々な理由を話されます。要はお金を稼ぐのは容易だと思っている人は、容易に手に入れることを実現するし、難しいと思っている人たちは、難しいってことを実現しているわけです。さて、お金を手に入れるのが難しいっていう人と話していると、スキルがないとか、大好きなことがみつかってないとか、成功者の器でないとか、成功者のようなことができていないなど、いろんな理由が出てきます。ところが、お金持ちの人たちにきいてみると、そんなものは関係ないことがみえてきます。めちゃ不思議な話に聞こえるかもしれませんが、彼らに聞いてみると、お金が入っていると思ってるから、入ってくるんであって、スキルも理由も、器も関係ないって言っちゃうのです。彼らが言うのは、「だって、成功者は人格者みたいに、思っている人がすごく多くて、自分は違うから、お金が入ってこないって思っている人多いでしょ?」、「でも、悪いやつでも、お金持ってるやつは持ってるんだよ」って言うわけです。まさにその通り。彼らいわくは、「お金は入ってくるって思っている人のところには入ってくるし、悩んでようがなんだろうが、入りだすと、とめられなくなっちゃうんだよね」って言います。そして、お金がはいってこないと思っている人に、セッションをしてみると、実はスキルとか、そういうものとは、まったく無関係のの理由が出てきます。親より成功してはいけないとか、お金は汚いものだとか、他の人を差し置いて成功するわけにはいかないとか、いろんなものが出てくるわけです。で、昨日、「おお~!!」ってなったのが、「お金をたくさん手に入れちゃいけないって思いを、なかなか手放せないんだよね」ってひとりの友人が言ったときに、もうひとりの友人が言った一言。「それ、思うはいいんだけど、それ思って受け取れるもの受け取らないことで、誰か一人でも喜ぶ人がいるのん?」って。それを言われた友人は、鳩が豆鉄砲食らった状態。「誰も喜ばないこと、わざわざして、受け取らないのって、やっていたいことなのかな?」って友人に言われて、もうひとりの友人も、「うわぁ~、ホンマやぁ」って言い出しました。で、わたしも、まさにホントだねぇって、盛り上がったわけです。お金と豊かさの話題は、すごくおもしろい。思いもよらない思い込みがたくさんあるのです。そして友人と盛り上がりましたが、お金と男女関係は、もっとも感情を揺さぶられるテーマでもあります。ゆえに、お金を受け取る受け取らないっていうのが、人の最後の砦だったりするのです。(↑かなり深いです)さて、お金と男女間とは、どんな深い関わりがあるのか、これは、23日のトークライブで(笑)。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへ※マスターのトークライブが東京と、京都の2箇所で行われます。 詳細は、今週発行のメルマガ「ショットバーマスターが伝える幸せの知恵」に 記載してありますので、そちらをご覧ください。 http://archive.mag2.com/0000277171/index.html※マスターの東京個人セッション 24日が追加になりました http://www.bar-aars.com/session.html本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのおこしを、こころよりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
May 7, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。「マスターはなぜ人生の仕組みに気づいていったの?」、「どうやって、自分のライフワークに出会ったの?」って質問を受けることがたまにあります。いちばんのきっかけというか、エンジンがかかったのは、お金をたくさん手に入れたのに、幸せになれなかったという、体験からでした。これは勿論、お金は幸せとは無関係だから必要ないっていうようなことではありません。お金によって得られる喜びや恩恵はたくさんありますし、今はそれをとても、喜んで使えるようになりました。けれど、かつてのわたしは、お金が不安を解消してくれて、不安がなくなることが幸せにつながると信じていたんです。まさか、自分がお金を欲していた理由が、幸せになるためじゃなくて、恐れから逃げたかったからだとは、当時のわたしには、見当もつかないことでした。わたしは20代のおわりごろに、アパレルのビジネスで成功して、たくさんのお金を手にするようになっていました。ところが、喜びは束の間、すぐに「まだダメだ」、「まだなにかが足りない」って不安を感じるようになっていきました。そして同時に、不思議なカタチで、どんどんお金が手元から消えていってしまったのです。はじめのうちは、なんとか減ったお金を取りもどそうと、(不安を解消しようと)必死にあれこれがんばりましたが、どんどんおかしな方向に流れていって、とうとうなにもかもやる気をなくしてしまいました。そして、数ヶ月間、ひきこもり状態になってしまったんです。最初は、うまくできない自分自身にすごく腹を立て、悲しくなって、自分のことを責めまくっていました。ですがある日、「待てよ?そもそもなんでこうなるんだろう?」ってところに立ちはじめたんです。幸せに成功した人たちや賢者たちは、お金だけでは幸せになれないいうけれど、あれって、ホントはどういう意味なんだろう?そして、幸せってなんなんだろう?ってことに、ものすごく興味を持つようになったんです。そこから、わたしの人生の転機はやってきました。いろんな成功者や賢者、聖者たちと出会いながら、自らの人生で検証し、自ら気づいていくということをやっていくうちに、自分が本当に生きたい人生に目覚めていった感じです。人は不安や恐れを感じる出来事から、不安や恐れを感じたくないために、逃げようとしてしまいます。ですが、それら感情を感じさせる問題の中に、自分が本当に生きたい人生への種子が含まれています。それがわたしにとっては、事業で成功した後に、大きな借金を背負うというカタチでやってきました。今は借金もすべてなくなり、お金と気持ちよく付き合えるようになってきました。あの経験があったおかげだと、今は深く感謝しています。(あの当時は思えませんでしたが(笑))問題は、本当に生きたい人生への扉です。今度、「なんでこんなことが起きるの!?」って出来事に遭遇することがあったら、大きなギフトにつながっているっていうことを、できたら思い出してみてください。みえるものが違ってくるかもしれませんヨ。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへPS マスターの個人セッション 5月後半スケジュールアップしました http://www.bar-aars.com/session.html本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。
May 6, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。たしか去年のいま時分だったと思うのですが、マザー・テレサのドキュメンタリー映画が公開されていて、友人を誘って観に行きました。友人に、「マザー・テレサの映画観に行かない?」って誘ったら、「え~、マザー・テレサって、なんか偽善ってイメージあるのよね」って言い出したしたのですが(おいおい(笑))、「ううん、あの人、汽車で旅をしている最中に、突然啓示をうけとって、あの人生をはじめたらしいよ」って、僕は答えたんですね。そしたら友人は、「え?そうなの?じゃあ行く」って(おいおい(笑))。さて、小さな映画館で上映されたマザー・テレサのドキュメンタリーは、2本立て。その映画2本が素晴らしかったのは、偉人マザー・テレサではなく、ひとりの人間としてのマザー・テレサの生き様を、友人の視点から撮影していることでした。わたしがすごく感銘を受け、驚いたのが、(これまでも何度か書きましたが)反戦の集会で講演をしてほしいと依頼がきた際に、「平和のための集会なら行かせてもらいますが、反戦のための集まりであるならば、行けません」と断ったシーンでした。マザー・テレサは、戦争を批判することによって、この世界のことわりとして、新たな争いが、自動的に発生してしまうことを、理解していたんです。「この平和のための集会なら参加します」という彼女の言葉は、わたしの人生にも大きな影響を与えてくれました。わたしが講演をさせていただく際に、「なぜ世界から、紛争がなくならいのでしょう?」「飢餓や貧富の差がなくならないのでしょう?」という質問をいろんな方から何度かうけたことがあるのですが、これにも同じく通じるところでがあります。これについては、今週木曜日発行のメルマガ、「ショットバーマスターが伝える幸せの知恵」で描いていますので、よかったら、そちらを読んでくださいね。(自分で言うのもなんですが、深いです(笑))この映画でもうひとつ、感動的なシーンは、マザーの施設が、国の都合で移転しなくてはならなくなったシーン。国の交渉役の女性がマザーのもとに訪れ、「施設を移転することを承諾してほしい」とやってきました。マザーの施設のある土地に、別の大きな施設をつくるので、移転してほしいというのです。その代わり、移転先の土地も施設も、ちゃんと用意するという話でした。ですが、マザーはこれに対し、「わたしたちはここがいいんです」と言って、「うん」と答えません。施設を移転することで、収容している人たちにも、他の多くの人たちにも大きな負担がかかるだろうからということが、会話の感じからは読み取れます。交渉役の女性は困ってしまいます。国との間に板ばさみにあってしまうからです。「お願いです、どうか施設の移転を受け入れていただけませんか?」と何度もお願いする女性に、マザーは「ここがいいんです」とがんばり続けます。画面を観ていたら、交渉役の女性がだんだん可哀想になってきて、「マザー、頑固だなぁ」って少し思いはじめてきていました。「女性はもう一度、移転をお願いできませんか?」と懇願します。そうしたら、ある瞬間、マザーが突然こう言ったんです。「わかりました」、「それがイエスの意思なら、それに従います」。画面を観ていたわたしも驚きましたが、本当に驚いたのは、交渉役の女性でした。彼女は交渉の成功を喜ぶのではなく、マザーの言葉に、カミナリに打たれているようでした。マザーの言葉のあと、その女性は言葉を失い、立ち尽くしていました。そして奇跡は起きました。国は、向こう50年間、その土地を無償でマザーたちに貸し出すことを約束してくれたのです。いったいなにが起きたのでしょう?そして、交渉役の女性のこころには、なにが起きたのでしょう?マザーは、手放し、受け入れる姿を交渉役の女性に体現しました。あのシーンは、何度思い出しても、胸が熱くなってしまいます。それほど、感動的なシーンでした。映画のラストは、マザーがローマ法王に面会し、法王の抱擁をうけるシーンでした。気丈なマザーが、法王に抱かれるシーンでは、まるで小さな女の子のように無邪気に、嬉しそうに抱かれていました。その姿にそれだけでまた、すごく胸が熱くなっちゃいました。あの2本の映画からうけとったギフトは、本当になににもかえがたいものでした。残念ながらDVD化は、されていないのですが、いつかまた、あの映画に再会できる日を楽しみにしています。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへ※マスターのトークライブが東京と、京都の2箇所で行われます。 詳細は、今週発行のメルマガ「ショットバーマスターが伝える幸せの知恵」に 記載してありますので、そちらをご覧ください。PS マスターの個人セッション 5月後半スケジュールアップしました http://www.bar-aars.com/session.html本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。
May 5, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。先日、忌野清志郎さんが亡くなられて、一ファンだったわたしも、ビックリしました。と同時に、やんちゃなロッカーだった清志郎さんが、後年、自転車を愛し、自然を愛し、人と笑顔で交流する姿は、多くの人に、人は素直な自分を表現していいんだって、みせてくれていたのだと感じています。やんちゃなロッカー時代の清志郎さんは、目覚めたいヤツ、目覚めようぜって言ってくれていたように感じるし、後年は、生きてるって素晴らしいじゃんって姿を、みせてくれていたように感じます。清志郎さんは、自転車が大好きなことで有名で、3日乗らなければ、アタマがおかしくなると言っていたほどの、自転車好きだったそうです。わたしも高校時代から、自転車でのんびり旅をするのが、大好きですので、清志郎さんの自転車ライフについて、ネットで検索してみました。そしたら、沖縄でツーリングに旅行に行かれた際の、動画が出てきました。これね自然を楽しみ、いろんな土地のいろんな人たちと触れ合う姿が、そこにはありました。そして、雄大な海を前にしたあるシーンが出てきた時、なにげないお店で、おしゃべりをしているシーンが出てきた時、おばあちゃんとしゃべてるシーンが出てきた時、なんだかすごく感動してしまいました。「ああ、人生ってけして長くないんだな」、「そして、自然や人と過ごせる貴重な、ときなんだなぁ」「一瞬の夢のような貴重な人生、思い切り楽しもう!」「この世界にせかっく来たんだから、この世界を毎瞬思い切り楽しもう」って気づかせてもらいました。清志郎さんありがとう。素敵なメッセージを残して、旅立たれたやんちゃなロッカー。子供ごころを忘れることなく、生きたい人生を生きてみせてくれた素敵なロッカー。あなたは、最高にカッコよかったです。またきっと、どこかで会いましょう。本当にありがとう。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへPS マスターの個人セッション 5月後半スケジュールアップしました http://www.bar-aars.com/session.html本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。
May 5, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。間もなくブログのお引越しと、HPのリニューアルをしますので、先日そこで掲載する写真を撮影してもらいました。写真を撮影してくれたのは、友人の原田さん。ちょっとカッコつけちゃってます(笑)。ブログのお引越しとHPリニューの日程が分かりましたら、おしらせしますね。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへPS マスターの個人セッション 5月後半スケジュールアップしました http://www.bar-aars.com/session.html本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
May 4, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。先日、不思議なことが起こりました。うちの家の庭には大きな樹があるのですが、この樹にミツバチが巣をつくったようで、庭には、ミツバチが飛び交うようになりました。時を同じくして、ご近所の家の庭先にも、ミツバチが巣をつくったようで、「どうしようか?」という話になっていました。というのも、退治するのは簡単ですが、ここ数年、世界中からミツバチが行方不明になり続けて、大きな問題になっているのを知っていたからです。ミツバチ飼育をしている業者が引き取りにきてくれるかもしれないという話も耳にしていましたので、業者からの連絡を待つことにしました。さて、うちの庭と、ご近所の庭には、ミツバチが飛び交うようになっていたのですが、異変はある日突然起こりました。ご近所のミツバチが、ある日突然、巣ごと消えてしまったんです。昨日まで、そこに巣があったのに、影も形もなくなっていたそうです。ミツバチが世界各地で、忽然といなくなり、死骸さえもみつからないとはきいていましたが、まさかすぐ近所でも同じことが起きるとは。うちの家の庭には、あいかわらずミツバチが飛びまわっています。なにがおこっているのかな?とっても不思議ですね。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへ本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころよりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
May 3, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。幸せな成功者たちはみな、豊かさには制限はない、豊かさは無尽蔵だと伝えてくれます。本当に望めば、誰もが無尽蔵の豊かさを受け取ることができる。多くの人が豊かでないのは、豊かさに限りがあると思い込んでいるからだとも言います。わたしも昔、この知恵をしることとなりましたが、長い間は、アタマで分かったつもりでいて、実のところ、ピンとはきていませんでした。ある日のこと。わたしは昔からよくサイクリングに出かけるのですが、よく行く原っぱでひとやすみをしていました。ベンチに腰掛けたのですが、足もとをみるとタンポポの綿帽子が風に揺れています。少し強い風が吹いたと思うと、綿帽子の種子たちが、ふわっと風に乗って飛んでいきました。そのとき、「あ、これって、無限の豊かさなんじゃん!」って気がついたんです。ひとつのタンポポの花が、たくさんの種を生み出します。そしてそれらは風に乗り、それぞれがまた花となります。それら花はまた、たくさんの種を生み、またその種たちから、たくさんの花が生まれます。こうやって、どんどん花は豊かさを謳歌していきます。「ああ、本来豊かさには制限はないんじゃん」、「そして、これがこの世界の、とても自然なことなんじゃん」って、アタマではなく、感覚として理解した瞬間でした。昔から多くの賢者たちがこのことを、まったく同じく、植物の実と収穫にたとえて伝えてくれてきましたが、体験として、はじめて理解した瞬間でした。豊かさが無限であることを、知識として知っていることと、理解し、信じていることはまったく異なります。それまでは、知識として知っているけれど、その知識を、理解しているわけではありませんでしたので、心の奥では信じられてはいませんでした。ですが、「ああ、そうなのか」と気づいた瞬間、それが確固たる信念の種になりました。一度得た気づきは、二度と失われることはないといわれます。風に乗る種子を見た瞬間、とても嬉しい気持ちになったことを、思い出しました。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへ本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
May 1, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。映画「マトリックス・シリーズ」をはじめ、「陰と陽」、「光と闇の統合」、「内面と外面」、「選択」をテーマとした作品はたくさんあります。映画「スターウォーズ・シリーズ」もそのひとつとして、知られていますよね。先日、セッションの際に気がついたことがあります。ライフワークは、よく親子2代で完成されると言われています。自分の親ができなかったことを、その子供が完成させるというものです。映画「スターウォーズ・シリーズ」のエピソード1から3では、アナキン・スカイウォーカーという一人の善良な男が、大切なものを失くしたくないという思いがどんどん強化され、やがてそれは強い執着へと変り、ダークサイドへと堕ちて、最後は暗黒の騎士となってしまいます。そして、エピソード4から6では、その息子ルークがまた、ダークサイドへと誘惑されていきます。ですが、エピソード6でルークは、ダークサイドへの誘惑を、強固な意志で断ち切ります。皇帝の「父の意思を継ぎ、ダークサイドに入れ」と言う誘惑に対し、ルークは、「僕はダークサイドには、入らない」、「僕はジェダイの騎士だ、父もそうだった」と語って、持っていた武器も放棄します。このルークの生き方の尊厳と、父アナキンへの愛が、アナキンをダークサイドから引き戻します。大切なものを失いたくないという願いが執着になり、やがて自分を見失い、「自分は悪くない」、「自分は正しい」と自我の正当化へと走り、ダークサイドに身を落としてしまったアナキン。自我の正当化のために、数限りない罪をおかし、正当化すればするほど自分を苦しめてきたアナキン。そんなアナキンを、ルークは父を尊敬し、自分は父の意思を継いで、ジェダイとして生きる姿をみせ、アナキンは、長年の(自らの)呪縛から開放され、許されます。20数年間の間、闇をさまよい、苦しんできたアナキンは、この時、許され、自身の意思で皇帝を倒します。ルークとアナキンの対決は、実はルークの内面の葛藤を表しています。そしてルークが父を許すくだりは、ルークが自身の中の「闇の否定」と「自己の正当化」いう執着を手放し、それらを許し、統合するというプロセスでした。ひじょうにおもしろいのは、ルークとアナキンのやり取りの最中、彼らのいる要塞の外では、帝国軍と反乱軍の決戦が行われていました。ルークがやっていたことは、自分の中の闇を許し、統合していくという、ある意味ごく個人的なプロセスですよね。けれど、ルークが自分の中の闇を許し統合すると、時を同じくして、外の戦いも終焉を迎えます。そして長く続いた帝国による闇の時代が終焉を迎えます。わたしたちのまわりに起こる現実は、わたしたちの内面が創りだしたものと言われていますよね。そして、外で起こる、感情を揺さぶられる様々な出来事は、わたしたちの内面の葛藤と言えます。映画「スターウォーズ・エピソード6」で、ルークは父との対決を通して、実は自分の内面の闇を許し、統合するという選択を実行します。すると同時に、外での争いも収束していきました。これは、わたしたちの人生にも同じことがいえます。わたしたちの多くはこれまで、自分以外の何かを手に入れたり、自分の外の環境や、誰かを変えることで、不安から解放され、幸せになれると生きてきました。けれど、これまでも多くの賢者が伝えてきてくれたように、実は逆で、自身の自我への執着を手放し、自身が平安になっていくほどに、外の世界はそれにみあった世界へと変化していきます。視点を、意識を、180度ひっくり返すこと。自分を責めるのではなく、「まるっきりさかさにものごとをとらえていたのかも」と、ただそこに立ちはじめてみることで、なにかが変りはじめるのかもしれませんね。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへPS マスターの個人セッション 5月前半スケジュールアップしました http://www.bar-aars.com/session.html本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 30, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。「うしろが、もうつかえてますよ」 これ、十数年前、わたしの当時のビジネスの上司が、彼のメンターから言われた言葉です。 わたしの上司は、自分のビジネスで経済的な自由を得て、悠々自適な生活を送っていました。 同世代のお勤めに出ている人の収入に比すると、彼の収入は、とても多い金額でした。 で、彼もその収入に満足していて、自分のやりたいことをやり、自由に流行や趣味を楽しんでいました。 ところが、彼のメンターは、「そこで満足していることで、後ろの人たち先に進めなくて、つかえてしまっているんですよ」と彼に伝えたんですね。 わたしはその場に同席していましたが、メンターは笑顔で伝えたものの、その言葉を言われて、彼は「え?」って感じの顔をしていたのをよく覚えています。 でも、わたしは、人生や世の中の仕組みのことが、ほとんど分かっていなかった当時でも、彼のメンターが言ったことが、なんとなくですが、わかる気がしました。 彼のメンターが言いたかったことは、勿論、「そんなとこで満足してないで、社会のリーダーらしく、ちゃんとしなさい」みたいな、お説教っぽいことを言いたかったわけではありません。 メンターが伝えたかったことは、「もう充分に器を拡大する準備のある人が、立ち止まって満足していると、あなたの周りの人たちの豊かさを受け取る流れを滞らせてしまいますよ」ということだと感じていました。 豊かさは、世の中に流れる血液のようなものだといわれています。 気持ちよく受け取り、気持ちよく流す。 そして、そのパイプも増えたり、広がっていくことで、より多くの豊かさが、循環するようになります。 人によっては、自分は、今より大きな豊かさを受け取るには、まだ値しないと自分を責めている人もいるかもしれません。 けれど、その人が、より受け取り、流すようになることで、世の中に豊かさが流れるようになっていきます。 キレイな血液を体に流してあげるように、豊かさもまた、キレイに流して、自他共に豊かさを体験していきたいですね。 よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへ 本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 28, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。 マスターのセミナーに来られた方は、体験されたことがあると思いますが、セミナー中一対一でQ&Aからはじまってセッションする際、「なんで相手のいろんなことがわかるんだろう?」ってちょっと不思議に感じる場面があります。 相手の感じている喜びとか不安とか、なにが糸口になるのかとかが、するすると出てくる、ちょっと不思議な感じです。 でも実はこれ、本当は誰にでもできることです。 よく雑誌やテレビでいろんな能力をお持ちの方が登場すると、わたしたちは、その人が特別な人のようにみえます。 でも、本当は誰もが可能なことなんです。 どのアプローチや、どんな感じ方がもっともその人らしいかという、個性はありますが、誰もが自分に許可を出したら、可能なものです。 わたしがいつも気をつけているのは、自分がポジやネガに傾いたりしないこと。 自分の中心から、シーソーの真ん中から、その人と関われているかどうかということです。 なぜなら、使いようによっては、自分を特別な存在みたいに、みせることもできるし、人を怖がらせたり、言うことを聞かせたりすることもできちゃうからです。 でも、そんなことしたって、相手の人はもちろんのこと、自分自身も幸せじゃありませんよね。 もっとも大事で、本質的なことなのですが、セッションで誰かに癒しが起きる時、同時に自分にも癒しが起きているんです。 セミナーに集まってくる人たちは、ちょっと不思議な感じもしますが、実は形は違えど、みな同じテーマを持ってきています。 セッションで誰かに癒しが起こるとき、自分も、そこにいる人たちにも、癒しが起きているんですね。 ですから、その人と愛で関われば、自分自身にも愛を届けているし、その人をコントロールしようとしているとしたら、自分自身をコントロールしようとしていることになるんです。 この世界の仕組みは、本当にシンプルですね。 自分がポジにも、ネガにもかたよらない、中心でいるコツは、中心に行こうとか、中心にいようとかすることでは、実はありません。 ただ、目の前の人に、愛で関わっていること、愛に基づいて関わっていること。 ただ、それだけです。 誰かが幸せになることが、そのまま自分の幸せになる。 とても幸せな仕事をさせていただいているなって思うんです。 よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへ 本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 27, 2009
コメント(2)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。わたしは、バーのマスターだったこともあって、多くの人生の流れを大きく変えた人たちに出会う幸運に恵まれました。 自分が本当にやりたいこと気づいて、生きがいとワクワクの中で生きる人たちに出会ってきて、ある共通することに気づきます。 それは、お金が極限まで少なくなるとか、リストラにあっちゃったとか、やることなすことうまくいかなくなるとか、起こることは人それぞれなんだけど、めっちゃ不安やプレッシャーがやってきた時に、あることが共通しているんです。 それはなにかというと、不安やプレッシャーが限界をまで来て、自分のキャパをオーバーしちゃった時に、「もうこんなの絶対イヤ! もうこんなつらいの、やめてやる!」って、開き直っちゃう体験です。 開き直った時、実はそこで執着していたものを知らず知らずのうちに、手放しています。 本気で手放したら、「あれ?なにをあんなに苦しんでたんだ??」って状態が訪れます。 自分がしがみついてたものが、自分にとって大事じゃなかったことがみえはじめてくるからです。 強烈な不安やプレッシャーは、誰にとってもイヤなものです。 でも、多くの人は、それを避けようとして、避けようとして、同じ苦しみを繰り返しがちです。 痛みの湯が、熱くなりすぎないように、いろんな刺激で(水を足して)自分に気づかないようにしてきたからです。 でも、いつかは目をそらしていても、ある時、うわっ!これ、ちょっとムリっ!って状態がやってくることがあります。 その時が、本当のチャンスです。 アメリカの有名な講演家、ジョン・ドノヴァンさんは、無職でアル中でひきこもり生活をしていたある日、突然耐え切れなくなって、「神様!助けてください!もうこんな生活、一瞬も耐えられません!」「どうか助けてください!でなければ、いますぐ死なせてください」と天井に向かって叫んだそうです。 ドノヴァンさんは、その日から人生が変ったそうです。 今ではアメリカでもっとも成功した講演家の一人として、知られています。 道を引き返すか、もうこんなのゴメンだ!って手放すか、それが大きく人生の流れを分かちます。 嫌な感覚は味わいたいものではありませんが、こんどそんな時が訪れた時は、「待てよ、これ、めっちゃチャンスなのかも」って、知っているだけで、ずっと冷静に選択が可能になるでしょう。 よかったら、覚えておいてください。 よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへ PS マスターの個人セッション 5月前半スケジュールアップしました http://www.bar-aars.com/session.html 本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 26, 2009
コメント(2)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。今朝、お布団の中で目覚めて、まどろんでいた時、長年待ち焦がれていた目覚めの感覚をかいま見る時がやってきました。ふと朝目覚めて、まどろんでいる最中、遠くにご近所の人たちがしゃべっているのが、聴こえてきてきます。その声が遠くに聴こえながら、ふと自分が今まで自分と思っていたものが、自分の自我だったんだということに気づきました。「なんだ、自分はこれまで、この身体が、この自我が自分だと思ってきてたんだ」、「自分はホントは誰でもない、名前もない、なんの感覚もなければ、恐れも不安もない、ただの命なんじゃん」と。そして、「自分が生きていると思っていたけど、命がこの自分を生きてるんじゃん」って気づきました。「ずいぶん、無理させてきたなぁ」とふと感じて、「大事に扱ってあげなきゃな」って感じました。長年、目覚めることって、なんかすごい劇的なことだと思ってたけど、(垣間見ただけなのかもだけど)それは特別なことでもなんでもなくて、「ああ、なんだそうだったのかぁ」って、静かなものでした。けれどそれは、これまで自分が信じてきておそれていたことは、実は影も形も存在しない幻想だということがみえ、ないと思っていたものは、すべてここにありました。しばらく目覚めていると、せっかくのこの気づきを、忘れたくない、失いたくないという感覚があがってきましたが、これは(失いたくない、持っていないという)執着なのだなと、即座に気づきます。そして手放すと、また静かな誰でもない、ホントの自分に戻ります。あれから、しばし(この世界での)時間は経過していますが、なにかずっとホントの自分(命の自分)につながっている感じです。今はこの不思議な感覚を楽しんでいます。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへPS マスターの個人セッション 5月前半スケジュールアップしました http://www.bar-aars.com/session.html本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 24, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。わたしの友人で、人を自然と笑わせて、まわりのひとたちをほのぼのさせたり、なごやかにさせることにかけて天才な人がいます。わざと面白いことを言おうとしているわけではないんだけど、会話の途中の独特の間が、なんともおかしくて、ふきだしてしまうんです。また、比喩やたとえが、独特の感性ですごくおもしろいんです。当の本人は気づいていないんだけど、あの比喩やたとえは、ひじょうに頭の回転が速いことのあらわれです。ですが、自分は面白いことを言ったりしたりしている自覚がほとんどない。ですから、その友人のひとことで一番吹きだしちゃうのが、みんなが笑い出した時に言う「なんで笑うの??」ってひとことなんですね。もうわたしも、わたしの友人たちも、お腹かかえて笑っちゃって、腹筋痛くてしょうがない(笑)。「たとえが悪い」と本人には怒られそうですが、ゴレンジャーに出てくるキレンジャーは、笑わそうと思ってないのに、普通にしてたら、まわりが笑っちゃう。(ちょっと古すぎ???)天才の領域って、それなんですよね。その人の友人が、その人にあげたポストカードが、それを最高に表現しています。友人がもらったポストカードに書かれたメッセージは、「あなたは、そこにいるだけで、まわりを癒す存在です」だったそうです。で、ポストカードの写真が最高で、金魚蜂を眺める猫の顔を向かい側から写した写真。猫の顔が、金魚蜂で拡大されて、ぶにゅ~ってひろがってみえて、めちゃ可笑しい。でも、猫にしてみたら、笑わそうなんて思ってなくて、金魚を狙っているだけなんですよね。(そのメッセージに即座に気づくとこが、頭の回転速いなーって思います)そう、自分にとって特別じゃないことが、人にとっては、すごい才能だったりする。あとはただ、「あ、自分のこれで、他の人が喜んでくれるんだ」って、気がついて、それを表現していくことをOKしてやっていくだけ。よかったら、自分にとってはなんでもないことだと思ってたけど、他の人には、マネができないこと、まわりの人にきいてみてください。きっと、素敵なヒントがみつかるかもしれませんし、もしかしたら、自分の天才性に、気づいてしまうかもしれませんよ。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへPS マスターの個人セッション 5月前半スケジュールアップしました http://www.bar-aars.com/session.html本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 24, 2009
コメント(1)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。昨日のブログでは、ランチ会の席で、友人を笑いながら、からかってばかりいた女性が、ある瞬間から、「すばらしい!」、「さすが!」と本気で賞賛に切り替わったということについて、お伝えしました。今日はそのつづきです。友人ははじめ、ちょっと照れたり、自信なささげに話していて、その間は、隣の友人の女性に、笑われながらからかわれていたのに、ある瞬間から、それが突然賞賛に変ってしまいました。それは、友人が深い内容の話をはじめてからのことでした。表面的にだけ起きたことをみていたなら、きっと、いい話をしだしたので、その話の内容に感心して、賞賛しだしたのだろうととらえたことでしょう。でも、その場にいた友人たちは、瞬間的に、からかいが賞賛に変ったことに気づいて、「すごい!」って感動しながら、そこになにが働いてたのか、なにが働いて、変化がおこったのかに注目したんですね。成功することでも、人間関係をシフトするのでも、変化を創りだすのは、なにを話すかや、なにをするか以上に、大きく働くものがあります。そしてそれは、その場(そこにいる人たちの状態)に働くものです。友人は最初、照れたり、笑いながら自身のないような話(態度)をしていました。この状態は、笑顔なのでポジティブなんだけど、自信のなさを表現する(誰かに頼りたい)依存系のポジションです。これをポジティブ依存といいます。人間関係には、実はシーソーのような法則が働くようになっています。依存系の状態の人がいると、自動的にそれとシーソーでつりあうために、自立系の人が引き寄せられます。また、ひとつの場所で、誰かが依存系のポジションに着くと、バランスをとるため、その場の誰かがほとんど無意識のうちに、(自動的に)自立系のポジションにつきます。これは、無意識のうちにおこなわれてしまいますので、本人たちは気づくことはほとんでありませんが、ほとんど必ずバランスをとろうとして、この力学が働きます。さきの友人は依存系ポジティブのポジションでしたので、それとバランスをとるために、友人の女性は、自動的に自立系ネガティブ(つっつくタイプ)のポジションについていたわけです。人間関係の力学って本当に面白くて、重箱の隅をつつく人がいたら、必ずバランスをとるドジな人がそばにあらわれます。また、ポジティブではげまし系の人がいると、必ずその対象となる、自信なさげな後ろ向きな人があらわれます。これはどちらがよくて、どちらが悪いわけでもなく、それぞれがそれぞれのバランスをとるために、その場にはたらく力学なんですね。さて、さきのランチ会の話に戻ります。さっきまで、からかわれていた友人は、ある瞬間から、突然賞賛されるようになりました。表面的はことだけをみていたら、いい話をしだしたので、話に感心して賞賛されだしたようにみえます。もちろん、話の内容も素晴らしかったのですが、でも、劇的な変化を創りだしたのには、そこに力学が働いたことがみえてきます。友人は最初、照れて、恥ずかしそうにしていました。けれど、ある瞬間、恥ずかしいとか、照れるとかの限界を越えて、照れや恥ずかしさを、手放してしまったのです。(よくみられたいという執着を手放したといえます)その瞬間、友人はネガにもポジにもかたよらない、シーソーの中心近くのポジションに着いたんです。物静かな、大人的なポジションです。その瞬間、その場のほかの人たちも、シーソーのバランスをとる必要がなくなり、シーソーの真ん中、つまり力学の中心に近いポジションに落ち着いたんですね。実は幸せな人生の成功者たちというのは、お金をたくさん持っているから幸せになったとか、自分がうちこめるなにかをみつけたから、幸せになったわけではないんですね。彼らは、いろんな執着を手放していくうちに、力学の中心近くで生きられるようになってきたんです。力学の中心近くは、静かで、とても満たされた場所です。そして、この力学の中心近くは、人生のいろんな豊かさを、気負いなく引き寄せたり、実現することがとても容易な場なんですね。悟りをひらいた僧や、目覚めたといわれる人たちや、聖者と呼ばれる人たちは、このど真ん中にいる人たちです。悟りをひらいた人とか、聖者とかきくと、たいへんな修行をしないと出来ないことのようですが、でも実は誰でも可能なことです。だってわたしの友人も、中心近くに瞬間的にすんなりそこにいけたわけですから。人間関係には、無意識で生きていると、自動的に力学が働くようになっています。マザー・テレサが、反戦の集会に呼ばれた時に、「平和の集会なら出席する」と答え、断ったのも、彼女がこの力学をよく理解していたことがうかがい知れます。「こうやったら、成功する」系の本を読んだ人の中で、成功する人が少ないのも、実はここに理由があるんですね。 ↑このお話は、明日発行のマスターの無料シークレットメッセージでお伝えしますね。 シークレットメッセージのリンクはこちら人間関係の力学は、本当に深く興味深いです。もしよかったら、あなたのまわりの人をみて、その人が今この状態ってことは、自分はどのポジションに立ってるのかな?ってみてみてください。とても意外で面白い発見ができるかもしれませんよ。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへ本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 23, 2009
コメント(2)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。先日、友人たちとランチ会をしたのですが、そこでとても興味深いことが起こりました。それは、意識していなければ、もしかしたら気づかなかったことかもしれないくらい、ささいな変化でした。ランチ会には5人の友人たちが集まりました。友人のひとりは、古くからの友人なのですが、その友人が連れてきた女性は、古くからの友人と親しく、彼をからかってばかりいました。ランチ会の席でも、古くからの友人がしゃべるたび、その女性は、笑いながらからかっていたのですが、ある瞬間から、「からかい」が「賞賛」にかわったんです。ついさっきまで、○○ちゃんは、○○だからな~とか、なんで○○なん(笑)?なんて、大笑いしながらからかっていたのに、ある瞬間から、「素晴らしい」、「さすが!」と、本気で賞賛していたんです。なにが起こったのでしょう?古い友人は最初ははじめ、照れたり、自分の自信のない話をしていたのですが、気づきの深い話をしだしたら途端に、女性が賞賛をはじめたのです。おそらく、表面的にしかその場をみていなかったら、(とくに意識していなかったら)いい話をしだしたので、いい話をする彼を賞賛したのだろうとしか映らなかったでしょう。けれど、そこにいた友人たちは、その変化が伝えてくれたメッセージの大きさに気づきました。「すごい!一瞬で変った!なにが起きたんだろう!?」ってすぐに友人たちは、変化に素晴らしさと、(表面的なことだけででなく)そこになにが働いたのかということに、注目しだしたんです。劇的な変化を創りだしたのは、話の内容ではありませんでした。いえ、実際、話の内容も素晴らしく、話の内容が、賞賛を創りだしたのは間違いありません。けれど、瞬簡にからかいを賞賛に変えたのは、話の内容ではありません。話の内容が創りだしたのは、賞賛への切り替わりへのほんの数パーセントでしょう。なにがからかいから賞賛へ、瞬間的に変化させたのでしょう?それは、友人がネガでも、ポジでもない、「中心」に移動したことによるものでした。それってどいうことでしょう?この続きは明日。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへ本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 22, 2009
コメント(2)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。わたしはかつて、バーのマスターをしていたことで、お金持ちといわれる人と、そうじゃない人の両方に、たくさん出会う機会がありました。ある成功者が当時話した印象的な言葉が、「お金持ちとそうじゃない人の違いは、ひとつだけ」。「考え方が違う、ただそれだけなんだよね」ってものでした。お金という豊かさを受け取り、どんどん豊かになっていく人と、豊かになりたいと願いながら、変らないか、逆にどんどん苦しくなっていく人がいますよね。なにが違うかというと、よく成功哲学や心理学で耳にするように、お金に関する習慣が違います。そして、先のお客さまの話してくれたように、お金の習慣の違いは、お金に対する考え方の違いと言えます。わたしは以前、お金を稼いでも稼いでも、手元に残らず、あったらあっただけ使っちゃう人でした。そして、残金が少なくなってくると、なんとも言えない不安感や、イヤぁな感覚を感じていたものです。ある日、気がついたひじょうに興味深いことは、残金が減ってくると、このイヤな感覚がはじまるのですが、けれどこの感覚、実際の金額には関係ないことがみえてきたんです。なんのことを言っているかというと、持っていたお金が、500万円が250万円になろうと、100万円が30万円になろうと、10万円が6万円になろうと、8千円を切ろうと、その感覚は、持っている金額に関係なく、目減りする額がある程度までくると、やってくるということに気づいたんです。で、「あれ?なんかおかしい」ってことに気づいたんですね。それまでのパターンは、たくさん稼いで目減りして、不安になって、不安から逃るために稼いで、また目減りして不安になってってのを繰り返していました。そのパターンは、あまり稼げないでいたときも、たくさん稼げるようになった時も、変らなかったことに気づいたんですね。で、幼い頃のある思い出を思い出したとき、一本の線につながって、「あー!そういうことだったのか!」って気づいたんです。わたしが小学校3年生くらいの頃のお祭りの日のこと、両親はそれぞれに、わたしにお小遣いをくれました。両親がくれたお小遣いを合わせると、800円くらいになりました。当時のわたしにとっての800円は、はじめて手にするたくさんのお金。わたしは、一気にお金持ちになった気分で、ものすごく嬉しかったんですね。で、お祭りに友人たちと出かけんたんですが、お金をたくさん持っていて、とても気分がよかったので、友人たちにどんどんいろんなものをおごったんです。ところが、ある瞬間気がついたら、800円あったお金が、いつの間にか300円くらいになっていることに気づいて、愕然としてしまいました。「あんなにたくさんあったのに....」ってすごいショックで、で、あまりにショックだったので、申し訳なさを感じつつも、両親にショックだということを話したんですね。そしたら、両親はあまりにふさぎこんでいるわたしを見て、怒ることなく、もう100円をくれたのを覚えています。で、お金が減っては、不安になるパターンと、この思い出を思い出を思い出したときに、ひとつの線につながったんですよ。「あ、こういうことだったんだ!」って。わたしは子供のころの、そのショックな出来事の時に、お金は使えば減って、不安になるものと学習して、それがあたりまえになっていたことに気づいたんですね。そして、両親から次のお金を受け取るときに、申し訳なさを感じながら受け取っていました。つまり、お金は使って減ると不安になり、お金を受け取るときは申し訳なさを感じるっていうのが、わたしのそれまでのお金に対する考え方であり、お金への関わり方のパターンそのものになっていたってことに、気づいたんです。通常、それまでの心理学での考え方だったら、お金を使うと不安になるんだったら、お金を使わないように、使わないようにするパターンにはまっていきそうですが、それは、他の人をみてこわくなった時のパターン。自分自身が体験したことは、そのまま自分で同じ感覚を感じるように、プログラムして、このパターンを繰り返します。「あ、自分のお金のパターンの根っこって、これだったんじゃん!」このことに気づいた瞬間、「そりゃあ、これを知らず知らず、繰り返してたはずだわぁ」って気づいて、なんだかとても嬉しくなりました。「ああ、もうこのパターン、続けなくてよくなったんだ」って。そして、過去の(子供のころの)自分としての自動的な反応ではなく、今の大人の自分の選択として、まったくあたらしく、お金との関係を創りだすことが可能になったんです。この気づきに大きく影響を与えてくれたのは、友人と話していた際に話題に出た、「不安や痛みを感じることって、神様のサインなんだよね」ってもの。お金が目減りして不安になるたびに、神様(本質的な自分)が、「目を覚まして~」って、目覚ましを鳴らしてくれていたんだって気づいたことによってでした。わたしたちのお金とのかかわりは、わたしたちがお金に対して持っている考え方によって、つくりだされてきました。そして、これまでのパターンをまったく新しいパターンに、変えるのは、神様が鳴らす目覚ましのベルに、耳を傾ける素直さなのだと感じています。あなたには、どんなサインが届けられているでしょう?よかったら、耳をすましてみてください。大きく人生が変る機会になることでしょう。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへPS マスターの個人セッション 4月後半スケジュールアップしました http://www.bar-aars.com/session.html本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 21, 2009
コメント(2)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。いろんな本や成功者の講演などを耳にて、「お金は感謝して払うといい」ということは、多くの人が知っています。そして、お金を払う際、喜んで、感謝して払うと、更に友達をたくさん連れて帰ってくると言われています。で、多くの人が、これをやってみるのですが、実際、豊かさがどんどん流れ込んでくる人と、現実は、ほとんどなにも変らない人がいるのは、なぜなのでしょう?わたしはある日、「おお、そういうことだったのか!」と気がついたことがあります。それは、実際に、豊かさがどんどん流れ込んでくる人は、実際に感謝を「感じている」人。現実がほとんど変らない状態の人は、(お金を得るために)「感謝をしないといけないと『思っている』」人だということでした。言い方を変えると、豊かさがどんどん流れ込んでくる人は、実際に感謝をしているけれど、そうじゃない人は、お金を得たいために、感謝をしてみている状態といえます。豊かさを受け取る人は、ただ感謝をしたくて感謝しますが、受け取れない状態の人は、お金を得たいという「目的」を持っています。ゆえに、お金を得るため、感謝をしなくてはいけないという図式になり、無意識の領域では、「奉仕や与える」ではなく、「取り引き」になっています。そして、この目的は、「お金を得たい」という執着、「お金を失いたくない」という執着、つまり、無意識の中の(不足や喪失の)恐れから来ています。分かりやすく言うと、表面上は感謝しているようでも、こころの奥のほうでは、感謝はできてないちぐはぐな状態といえます。そんな時は、表面では、感謝しているのに、よく自分を観察してみると、なにか胸や体のどこかに、もやもや感や違和感を感じているのに、気づくかもしれません。わたしが「あ!そういうことだったのか!」って気づいたのは、ある本を読み終わった時のことでした。その本自体は、お金に関する知恵が書かれた本ではなかったのですが、いろんな知恵に気づかせてくれる本で、買ってよかったなぁ~と思った本だったんですね。で、その本の著者が、その本を書いてくれてたおかげで、わたしがその本を買うことができたことに気づいたんですね。すると、わたしの中で自然と、著者に対して、「素敵な本をありがとう」、「自分が支払ったお金で、著者が生活できて、活動できるじゃん」って思ったんですね。その瞬間、「感謝してお金をはらってんじゃん、これ」って、気づいたんですね。感謝は、(実は全てそうなのですが)なんのみかえりもなく、ただ、それを行う時に、自分のもとに帰ってくると言われています。映画「スターウォーズ 帝国の逆襲」の中で、師匠のヨーダが、弟子のルークに、「やってみるのではない、(ただ)やるのだ」と言う名セリフが出てきますが、まさにこれも同じです。(このセリフ、実はものすごく奥が深いのです)感謝してお金を払うのもまた、見返りを求めて払うのではなく、ただ感謝して、それを行うことです。そして感謝してお金を払うことは、実は少しも難しくなく、あなたが感謝したい人に、(モノであっても、その向こう側にそれを提供した人が必ずします)「ありがとう」ってお金を支払えばいいのでしょう。幸せなお金持ちは、自分が喜べるものにお金を払うけれど、お金に不自由な人は、自分にとって、どうでもいいものにお金を払うといわれていますが、まさにここにその答えがありますね。どうぞ、あなた(の魂)が喜べるものに、お金を払ってあげてください。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへPS マスターの個人セッション 4月後半スケジュールアップしました http://www.bar-aars.com/session.html本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 20, 2009
コメント(2)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。人には必ず、その人特有の必勝パターンというのがあります。必勝パターンってなんのことかというと、滞ってたいろんな流れが、それをやることによって、流れが急によくなるもの。もしくは、流れを変えちゃえるものとも言えます。つまり、調子がイマイチの状態から調子のいい状態に切り替える方法ってヤツです。この必勝パターンというのは、それぞれ人によって異なりますので、自分で見つける必要があるのですが、でも、みつけるのはそんなに難しいものではありません。わたしの友人のひとりは、英語に関わることをやっているとき、調子がよくなることを発見して、流れを変えたいときや、流れを加速したい時は、英語の本を読んだりなど、英語に触れるようにしているそうです。歌手の宇多田ヒカルさんも自伝の中で、自分の必勝パターンについて触れています。宇多田ヒカルさんが、調子がくるっちゃった時、友人から「あなたは、ニューヨークに行った後、調子いいじゃない」と言われて、ニューヨークに行くようにしたと語っていました。わたしの必勝パターンは、体にいい食事をとりだした時。「このお味噌とても体にいいんだよ~」とか、「これ、すごく体にやさしいんだよ」っていうものを、体に取り入れだした時、流れが急によくなります。また、わたしの場合は、部屋をキレイに片付けたり、思い切って、模様替えしたときも、流れが変ります。ただ、ひとつ知っておくといいのは、必勝パターンが、わたしたちを幸せにしてくれるんだと、必勝パターンに執着はしないこと。もしかしたら、人によってはなんのことだろう?って、思われるかもしれませんが、これは知っているだけで充分かと思います。ある日、「ああ、なるほど、『ただ、流れを変えたいとき』に、必勝パターンをやればいいんだな」、「こいつが助けてくれると、思うとしんどいんだな」って、人生全般に関わる大きなきづきにつながるでしょう。これはある日、ふと腑に落ちるものですから、今、ピンと来ない状態だったとしても、そのままにしておいて大丈夫です。信頼しておいておいてくださいね。人には誰にも、その人固有の必勝パターンというのがあります。今までは意識してこなかったけど、あなたの人生の流れがよくなる時、いつもやっていることはなんでしょう?よかったら、ぜひみてみてください。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへPS マスターの個人セッション 4月後半スケジュールアップしました http://www.bar-aars.com/session.html本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 17, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。先週末、東京でのセミナーを終えてきました。半年間やってきたシリーズセミナーでしたが、わたしも、参加者の皆さんも、たくさんの新しい友人ができて、とても楽しい半年間でした。参加者の方の、プライベートな内容も関わってくるので、セミナーであった詳しい内容は書けないのですが、セミナーの最後のセッションは、びっくりするようなミラクルでした。深い深いワークに、自然と流れていったのですが、気がついたら、「こんな深いワーク立ち会ったことない!」ってくらい深いワークになっていました。セミナーの最後のセッションは、参加者の一人の方が、他の参加者の方にセッションのリードをサポートしていただいたのですが、(正確には、わたしの方が裏方サポートでした)気がついたら、超深いワークの領域に。いろんな方のセミナーでのセッションをみてきましたし、この深さは、今までみたことないって領域でした。超深い領域に入っちゃって、みんなついてこれるのかな???とも思っちゃったのですが、気がつくと、全員が深くつながっていて、それぞれが癒しと許しを自分でうけとって、深い感謝につながっていました。その場にいながら、「すげぇー 今なにが起こってるの!?」って、正直すごい驚きと、感動でした。この時思ったのは、自分の力じゃない、なにか大きなものに導かれたり、サポートされているんだなってことでした。最近読んだ本(別にスピリチャルな本じゃないだけど)や、出会う人やサインには、このメッセージがしょっちゅうありましたので、やっぱりそうなんだなぁって感慨深いものがありました。東京で一緒に時間を過ごしてくれたみなさん、本当にありがとうございます。みなさんと一緒に奇跡の場にご一緒できたこと、生涯忘れることはないでしょう。本当にありがとう。4月に入って、どんどん流れが加速していると、まわりの友人たちも強く感じていましたが、どんどん、気づきと展開が広がっていって、以前とは比較にならないスピードです。いよいよ、流れが加速しているようですね。さて、いよいよセミナーは広島を残すのみです。最後のセミナー、どんな素敵なことが起こるかな。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへ本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 16, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。東京でのセミナーを終え、昨日遅くに京都に帰ってきました。京都と東京では、桜の咲くタイミングが違って、京都を発つときには満開だったのに、東京で駅に降りたら、桜は散っていました。4月に入って、流れがまったく変ったと感じていましたが、東京の桜を見て、流れの速さを感じて、象徴的だなぁとあらためて感じました。4月に入って、流れがまったく変ったお話は、メルマガでも描かせていただきましたが、今回東京の友人たちと話してみると、たくさんの人たちがそれをリアルに感じていることがわかりました。流れに乗って、幸せと豊かさを実現していくのも、その逆を実現するのも、ものすごくはやくなったんだなという印象です。さて、わたしは、かつてバーのマスターだったことも手伝って、多くの人生を幸せに豊かに拓いていく人たちと、そうじゃない人たちと出会う機会に恵まれました。そして、ここしばらく目撃したり、立ち会ったりしているのが、人が人生を波に乗せるかどうかの瞬間です。かつて、わたしのメンターは、自分が本当にワクワクして、豊かに生きたいならば、「必要なのは、ぶっちゃけ勇気だけだ」と話してくれました。当時のわたしは、「ふ~ん」って感じで、正直あまりピンときていなかったのですが、今は「本当にその通りだな」と感じています。ある友人は、好きなことで生計を立てようと思い立ちましたが、どんどん家計は苦しくなっていったそうです。で、怖くなってきちゃって、なんでもいいからお金の不安を払拭しようと、仕事を探しまくったとのこと。でも、どこも雇ってくれない。で、いよいよ貯金が1万円を切ってしまったとき、「もういいや!もう自分が喜べること以外一切しない!」って、「不安への執着」を手放してしまったそうです。 ↑(これ、すごく深くて重要です~)そしたら、その後、ガラリと人生が変りだしたそうです。わたしは、去年いろんなところからサインを受け取って、「あ、音楽やるんだぁ」って気づきました。わたしは、音楽に関して、なんの知識も経験もありませんでした。でも、すごくワクワクしだしちゃいました。ところが、実際バンドのメンバーとなる最初の一人に話しをする時は、ものすごーく怖くなっちゃったのを、今でもよく覚えています。けれど、怖くても、「エイっ!」って感じで話して、音楽のことをはじめたら、仕事を含めた、人生のほかのことも、それまでとまったく違う、スムーズで速い流れになっていました。バンドのメンバーのもう一人の友人も同じで、彼も他の人と音楽を一緒にやるという経験がなかったので、何度か怖くなって躊躇しましたが、でも、音楽をやるって決めた日から、それまでとまったく違う、幸せで豊かな人生に切り替わってしまいました。人生が波に乗るとき、それまでとまったく違う、素晴らしい波に乗るとき、なにがあるのか?人生が波の乗るかどうかという時、お試しのように、怖い感情を感じます。「ここから先は行ったことがない」、「いったことがないから不安」って、漠然とした感覚で感じます。人生が波に乗るかどうかは、「怖いから引き返すか」、「ひき返したら、絶対後悔する」って気づいて前進するかという選択にかかっています。そう、人生はまさに選択の連続なのですが、人生をガラリと変える選択は、「あまりワクワクしないけど、慣れた世界で生きるか」、「ドキドキもするけど、ワクワクする領域に、勇気を持って飛び込むか」。この選択の瞬間がやってきたとき、人生を大きく分けるようです。いつのまにか、自分がこの選択をしていて、今度は今、まわりの人たちがこの選択をしはじめています。選択は自由で、そしてひとりひとりの手に委ねられています。どうぞ、自分の魂が喜ぶ選択をされてください。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへ本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 15, 2009
コメント(2)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。 ずっと昔、メンターに「お金の心配をしなくていい生活を できるようになりたい」とアドバイスを求めたことがあります。 経済的に豊かになって、お金の不安から開放されたい、つまり、お金持ちになりたいので、アドバイスをくださいって、感じだったわけです。 そしたら、メンターは、お金持ちになりたいんだね?ときいてきました。 で、わたしは、ハイって、ちょっと遠慮気味でしたが(笑)、答えたわけです。 そしたらメンターは、あることをわたしに言ったのですが、それは、当時のわたしには、「はっ?」っとしか思えない言葉でした。 メンターが言った一言それは、「ああ、お金持ちになればいいじゃない」というもの。 当時のわたしは、はとが豆鉄砲食らった状態で、「はい?」ってなっちゃいました。 で、わたしは、「いや、だから、そうなるにはどうしたら、いいのか、ききたいんだよ」って言ったんですね。 そしたら、「お金持ちになりたいんでしょう?」、「じゃあ、なればいいんだよ」と、答える。 わたしの方にしてみれば、「なりかたがわかんないから、きいてるんじゃん」って思ってましたヨ、ハイ。 で、メンターがもう一度言ったのは、「お金持ちになりたいんでしょ?」、「じゃあ、なればいいんだよ」、「どうしてならないの?」って聞いてきたわけ。 勿論これ、意地悪で言ってるわけではないのは、当時のわたしにもわかっていました。 けれど、言わんとしていることの本質は、当時のわたしには、差し図ることは出来ませんでした。 今なら、彼が言わんとしていたことがなんだったのか、よく分かりますが、当時は正直わけわかめでした(笑)。 これは勿論、「つべこべ言わずに、がんばってお金稼げばいいじゃない」って、安直なものでもありません。 「お金持ちになればいいじゃない」、「どうしてならないの?」というのは、実はとてもとても深いメッセージでした。 この言葉の本質ってなんだと思われます? わたしは、何年もかかりましたが、ある日、ああ!そういうことじゃん!って自分で発見することが出来ました。 そしてこれは、自分で気づくことが、その時になって、とてもいいことなんだろうなって感じますので、あえて、わたしが発見した答えは、今は書かずにおきますね。 ただ、重要なポイントをお伝えしておくとしたら、「答えはそこにない」であるとか、「そもそも答えはない」っていうところです。 もしまだ、自分が理想としている豊かさを実現していないとしたら、なぜ豊かになっていないんだろう?って、よかったら、自分自身に質問してみてください。 そして、メンターがわたしにプレゼントしてくれた言葉、「お金持ちになればいいじゃない」、「どうしてならないの?」って、自身にきいてみてください。 もしかしたら、思いもよらなかった思い込みやパラドックスに気づかれるかもしれませんよ。 よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへ 本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころよりお待ちしております。 いってらっしゃいませ
April 13, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。わたしたちって、成功していくにしても、なにをするにしても、知らないことは恥ずかしくて、知ってないといけないって、よく思うものですよね。でも、知らないことって、実はすごいことなんだなって、最近になって、すごく感じるようになってきました。去年、いろんなところから届くサインを読み解いていくうち、「ああ、音楽やりたいんだ」って気づいたわけですが、マスターはほとんどなんの音楽経験もありません。で、やろうって言い出して、一緒にやる友人に相談して、はじめたわけですが、自分はな~んにもわかんないってところで、プレッシャーみたいなの、感じていたわけです。他のほとんどのメンバーは、音楽で食ってきたか、長いこと経験してきた人たちだったから、それはなおさらでした。ところが、面白いことに気づきはじめたんです。メンバーは、出来る人を探して声をかけるんじゃなく、引き寄せようるのがいいと思っていたんですね。そしたら、正直なんの苦もなく、いつの間にか集まっていました。また、いろんな起こっている現実をみていくと、知らないがゆえに、うまくいっていくことがあるんだということが、わかってきたんです。なにに気づいたかというと、ひとつは、知らないがゆえに、知っていると想像するような問題を、思い描けないということ。つまり、知らないことは、ビジュアライズできないっていうことに気がついたんです。ビジュアライズできないことは、現実化しようにも、思い描けないから現実か出来ない。これが、ひとつ。もうひとつは、知っていたら問題点に目を向けがちになるかもしれないけど、知らないから、うまくいっている点に意識が向くということ。なんていうのかな、春になって、小さな花の芽が出ていることに気づいて、「あ、こんなとこに、芽が出はじめてる~」って気づいて嬉しくなる。そんな感覚です。そして、知らないから、知っている人に、いろんなことを教えてもらおうと思う。(気がついてなくて、きけてないこともいっぱいあるかもしれないけど)わたしたちって、なにかをやるときに、ちゃんと知ってないといけないとか、知らないとはずかしいって感情に、よく翻弄されてきたけれど、知らないことって、実はすごいことでもあるみたいです。知っている人への謙虚さを忘れないことかな。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへ本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 10, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。以前にも書いたことがありますが、マスターは以前、4輪雑誌の出版社に在籍していました。で、今日は、社会や人の思い込みに関する面白いハナシが、クルマの話題の中でみつけたので、それをお伝えしますね。日本が世界に誇るスーパースポーツカーとして登場した、日産GT-R。国産車ではじめて時速300キロオーバーの性能を誇り、世界一過酷といわれる、ドイツはニュルブルグリンクサーキットで、量産市販車として世界最速のタイムを公式タイムとして記録しました。世界中のモータージャーナリストが注目し、世界の名だたるスーパーカーメーカーに強烈なインパクトを与えたクルマです。さて、このクルマの開発の総責任者は、水野さんという方。GT-Rの開発者として、また、これまでの自動車やそれをとりまく価値観、概念を根底から覆す人として、自動車雑誌以外にも注目され、あちこちで取り上げるようになった人物です。この水野さんが、ある雑誌で、ひじょうに興味深いコメントをしているのを発見しました。「みんなGT-Rが1740キロも重さがあって、重い重いって騒ぐけど、なんで1740キロなのか、誰も聞きに来ないんだよね」というもの。一般的に、(特にレースの世界では)速い車を作ろうと思ったら、馬力を上げていくことと同時に、クルマを軽くしていくことが、常識とされています。たとえば、あのF1マシンなどは、軽自動車並みの重量に、ひじょうに馬力の高いエンジンが積まれているわけです。自転車に荷物をいっぱい積んでいたら、ペダルこぐのがタイヘンだけど、荷物なしだとスイスイ走れちゃうのと同じです。そこでいうと、GT-Rの重量は、1740キロっていう、およそスポーツカーとしては考えられない、高級車並の超重量級の車重があるんです。で、誰もが、もっと軽くしたら、もっと速く走れるようになるだろうに、もったいないなぁ、もっと軽くつくって、もっとすごいのだしてよぉって、思うわけです。けれど、開発者の水野さんは、長年レースをやって、レースにまったく勝てなくなっていた日産を、連勝連勝で、なんどもチャンピオンに導いた張本人です。さらに、水野さんがGT-Rを開発するまでに、ずっと思っていたことが、どうしてレース車で採用している技術が、市販車の対衝突安全性や、操縦安定性などに、まったく生かされていないのか?ということだったそうです。水野さんいわく、レース用車両に乗った後、普通の市販乗用車でとばそうとしたら、クルマの安定性や、操縦性があまりにあいまいで、こわくてスピードを出せないそう。で、そんな、ずっとレースの世界でやってきた水野さんが、軽く作った方が、速くなるなんてこと、当然わかりきっているはずですよね。で、ほとんどの人は、なんでわかってるはずなのに、軽くしなかったんだろう?って思っちゃうわけです。水野さんは、GT-Rが発表された際、1740キロという重量は、開発前から決まっていた数字と話していました。けれど、クルマは軽いほうが速いという常識が、あまりにあたりまえになってしまっている、ほとんどの人には、「じゃあ、水野さんはどうして、1740って重量にしたのかな?」とは思ってみなかったわけです。で、水野さんが雑誌でコメントしていたのが、「なんで1740キロなのか、誰もききにこないんだよね」というものだったわけ。詳しく書くと長くなるので、ここでは詳しくは書きませんが、1740キロという重さを、適正に各タイヤ(ランフラットタイヤであることも超重要)に加重をかけさせることで、速く走れるクルマをつくったということだったみたいです。これが、あたりまえって、ほとんど誰もが信じて、疑ってみないことに光を当てる人が、人生を豊かに拓いていく人だということを、多くの幸せな成功者と出会い、僕自身も体験を通して、強く感じています。GT-Rというクルマが、量販市販車世界最速になれたのも、それでいて、とてもリーズナブル(他のスーパーカーと比べて)に仕上がったのも、どれも、誰もがあたりまえと疑うこともなかったことに、光を当て、常識をくつがえした結果だったそう。それをきいただけで、マスターはワクワクしてしまうのですが、水野さんは、もうひとつとても興味深い発言をしています。「日本人の匠の技をこのクルマで復活させたかった」と。昔の日本人は、たとえば、いい職人がつくったいい箪笥(たんす)は、代々うけついで、大事に使ったもの。匠の技でクルマをつくり、このクルマで、日本の「ものを大事にするこころ」を、思い出して欲しかったということをコメントしています。日本人ほど、ブランド物に弱い民族はいないなんてことを、言われることが多いと耳にしたことがあるのですが、日本には、本当に世界に誇れる素晴らしいものが、昔からいっぱいある。そしてそれは、作り手の思いが込められていて、その「もの」に生きていて、そして使う人も、それを大事に大事に、次の世代に伝えていく。あ、それ、すごくいいなって思ったマスターでした。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへ本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころよりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 8, 2009
コメント(0)
大好きなことをするほどに好転する人生いらっしゃいませ、マスターの濱田です。昨日は、バンドのメンバーで集まって、打ち合わせ&練習をいたしました。このバンド、去年の年末に、いろんなところからサインが届いて、はじめることになったバンドです。けれど、わたし自身は、まったく音楽に関わっていくなんて、考えたこともありませんでしたし、自分のこととは関係のないことだと思っていました。けれど、あちこちから届いたサインを読み解いていくと、「ああ、音楽をやるんだぁ」ってなっちゃったんですね。魂が望む、本当にやりたいことは、ワクワクと同時に、ドキドキ(コワさ)もあるといいます。わたしにとって、音楽とは、まさにこのジャンルのことだったんですね。ところで。ひじょうに興味深いことに、音楽の活動をはじめてから、ビジネスをはじめ、人生のほかのジャンルのことも、どんどん好転して、うまくいくようになっていっているんですね。そしてそれは、わたしだけじゃなく、やはり音楽とは、無縁だと思っていた友人にもそれが起こっています。それも、以前じゃ考えられないくらい、人生が好転していっているんですね。他のメンバーの人たちも、どんどん人生が変化していっていて、本当に大好きなことをすることって、ホントにすごいことなんだなぁと感じています。そんなメンバーの写真がこちら↓写真提供&ロゴ、ケンチャンみなさんもぜひ、大好きなこと楽しんでください。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへ本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。ケンチャンブログはこちら
April 8, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。わたし、高校生の頃はめっちゃ細かったんですが、21歳で学生になってからはじめたバイトが飲食のお仕事。で、そこのお店のメニューがだいすきで、毎日つまみ食い(おい)しまくってたら、いつのまにか太っていました。子供のころからずっと細いといわれていたので、自分が太るなんてこと、想像したことなかったのですが、太りはじめると、すごくそれがイヤで、(今から思えば)イヤと思えば思うほど、太っていってしまいました。23か、24さいころかな?テレビでB`zのプロモーションビデオが流れていて、「HOT FASHON」って曲だったんだけど、そこで出てくる稲葉さんが、スマートでめちゃカッコよかったんです。稲葉さん、細いジーンズに赤いシャツで、めちゃカッコよくて、「こんなんなりたい!」って思って、当時の彼女に「イナバくんみたいになるわっ!」って言ったら、笑われたのをよく覚えています。けれど、あれから18年か19年たって、先日のこと。それまではいていたジーンズでは太くなってきたので、いきつけのショップにパンツを買いに出かけました。そしてついに、そこのショップの(標準的なサイズでは)一番ウェストの細いサイズを買うことになりました。この十数年、このふたつ上のサイズが入ることが、夢だったんだけど、いつのまにかそれを通り越して、そこのショップの一番細いサイズが入ってるじゃないですか。んで、そこのショップの棚をみたら、お!って感じの赤いシャツが並んでいたので、思わず購入。稲葉くんみたいな体形になるわって言ったことが、18年たった今、現実になっているのです。ミーハーっぽいけど、めちゃ嬉しい。で、面白いのが、先日、家の中片付けてたら、9年位前の写真が出てきて、その時ちょうど、すごく痩せた時だったんだけど、今みたら、「え!?こんなに丸かったんだぁ」って感じ。18年前、ほとんど冗談としか思えなかった夢が、でも、本人には切実だった夢が、今かなっていて、すごく嬉しいのです。で、はっきりと痩せはじめたのが、去年の夏ぐらいからで、秋ごろには、今より体重が少ないくらいになっていました。面白いのは、今のほうが1~2キロ体重はあるのに、パンツのサイズは、ずっと細いんです。前から知っていたことだけど、体重とサイズは、実はイコールではないことが、あらためてわかったわけです。あんなにやせたいと思いながらも、なかなか思うようにやせなかったのに、今は何の苦もなく、やせているのかをみてみたら、「苦をすること」をやめたんだなってこと。つまり、「なんで思うようにやせないんだ」とか、「がまんする」とかなどの、「自分を責めたり、きらったりすることをやめた」のが、今の現実を創りだしたんだなって感じています。人生がよりよく拓いていく人たちをみてみると、みな自分を大切にしているんだなと、あらためて思います。それも、「できる自分も、できない自分も」、「強いととこも、弱いとこも」も、許してやってるというか、愛してるんだなって。そして、許せるの、許せないの、愛せるの、愛せないのってとこに揺れる自分も、愛おしく感じてるんだなって。写真は友人たちとお花見に行ったときのもの↓マスター、スマートなったでしょ(笑)?本日は当店に、お越しいただき本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。PS 間もなく、新しいシステムの関係で、 ブログを新しいとこにお引越しします。 その際、お知らせしますので、これからもいらして下さいね。よかったら、ポチっとよろしくです↓人気ブログランキングへ
April 7, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。先日メルマガ「カッコイイ女は カワイイ女」に、「4月1日から、それまでとまったく異なる、まったく新しい流れに変ったのを感じていること」を、書かせていただきました。世の中の流れ自体が、今までとまったく違う質に変って、これまでうまくいっていたやり方がうまく機能しなくなると同時に、これまで時間のかかったようなことが、あっさり実現するような流れに変ったんだなと、感じていることを書かせていただきました。これは世の中全体で起こっているんだろうなぁと感じつつも、あくまで自分が感じたことだったので、自分の体験だけ書かせていただいたんですね。そしたら、いつも以上にたくさんの読者の方からメールをいただいて、たくさんの方が、流れが大きく変ったのをはっきりと感じる体験をされていることを、お伝えしてくれました。「おおっ!それはおもしろい!」って体験談をたくさんいただきましたが、特に面白いなと思ったのが、ある読者の方からいただいた体験談。その方は、3月末になんと家中の時計が、いっせいにとまってしまったそうです。さらに携帯も壊れてしまって、時間が確認できるものがなにもなくなってしまったそうです。けれど、時計がなくなった時間は、無音のような、とても静かで不思議な感覚だったそうです。で、新しい時計を買ってきたときに、「新しい時間がはじまる」って感じられたそうで、そこに、わたしのメルマガが届いて、「おー!やっぱそうだったんだぁ」と思われたそう。なんかすごく面白いですよね。4日の土曜日は、半年間続いたセミナーの最終日だったのですが、参加者の方が、エンジェルカードを持ってきていて、なにげにわたしが引いたカードは、「豊穣(ほうじょう)」のカード。エンジェルカードはこれまでも、、「今日のセミナーで意識しとくといいのは、なんですかな?」って感じで、よくひかせていただくのですが、豊穣のカードをひいたのは、はじめて。で、すごく面白いのが、スタッフのけいちゃんも、まったく同じカードを引いて、さらに参加者で面白がって3回カードを引いた方がいるんですが、なんと3回とも、このカードでした。「おお~、セミナーの参加者全員に、きっと豊かさがおとずれだしているんですな」と思わずニヤリ(笑)。実際、セミナーに来られた参加者の皆さんも、この半年で、劇的っていっていいくらい素敵に変られて、そんなみなさんと出会えて、一緒に過ごせることが、すっごい幸せだなぁ~と感じました、ホントに。セミナーの翌日は、参加者の方たちとサントリーのウィスキー蒸留所に見学&試飲に行ったのですが、そこでも、今までとはまったく違う状態。来場者の多い週末は、時間優先で、説明もとばしちゃうことが多いものなのですが、今回はとにかく、ゆっくりと時間をかけてもらえて、これまで体験したこともないほどていねい。ホントにゆったりした、春の時間を、優雅に楽しませていただいた感じでした。ここでも、もう流れがまったく変ったんだなって、はっきりと感じました。そして、これからはまさに、かつては機能した成功方法のひとつの、目標を決めて息を止めてひたすら走るようなやり方でなく、ていねいに生きて、道中そのものを楽しむ。そして気がついたら、願った豊かさを実現している。そんな生き方が、ものすごく生きやすい流れになったのだろうと感じます。楽しみですね。写真は、近所のサイクリングコース沿いにある、桜の名所を通った際のもの↓素敵な季節がやってきました。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころよりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 6, 2009
コメント(2)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。このコ、マスターんちのワンコです↓門の外を眺めて、外に行きたい状態。出たらダメですよぉ(笑)。今日は、バンドの詩を描いたり、メルマガの発行もあったり、やることいっぱいあるけど、ものすごくお天気いいので、まずは自転車でサイクリングコース行ってこようかしら。(素晴らしい桜並木があるのです)そうそう、お知らせしなんですが、近々、ブログをシステム上の理由でお引越しします。その際はお知らせしますね。でわ、サイクリング行ってきますー。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 3, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。人生が変る時って、徐々に変るもののように思えますが、実は変る時というのは、瞬間的です。徐々に変っていくように思えるものも、実は小さな瞬間瞬間によってなんですね。そして人生を劇的に変えるのは、自分のそれまでの人生のパターンに気づく瞬間です。「あ!自分って、今までこうだったんじゃん」って。人生を劇的に変える瞬間の気づきは、まさに気づきです。「人生をよくするために、こうしよう」とか、「これをやめよう」とか、「きっとここを変えないといけないんだな」っていうのは思いであって、気づきではありません。気づきは、瞬間的に、「あ、これが今までの自分のパターンなんじゃん」って、いい悪いなどの判断なく、中立に、客観的に、自分のもとに訪れます。マスターが、人生を劇的に変える気づきを得るのは、なぜか電車に乗って、ぼーっと外を眺めてる時が多いです(笑)。(なにも考えない、思考の隙間に訪れるんです)マスターが劇的に人生を変えることになった気づきは、これまで何度も訪れてきていますが、大きく人生の流れを変えた気づきには、こんなのがありました。ぼーっと電車の窓から流れる景色を眺めていた時、ふいに、「あ、自分って、面白くないことや、悩んだり、苦しくなることを、わざわざみてたんじゃん」って気づいたんです。なんのことかというと、人生には楽しいことや、喜べることや、幸せなことがいっぱいあるのに、それまで、気づかないうちに、わざわざ悩んだり、苦しくなったりするような面白くないことに、意識が向くクセがあったといことに、その瞬間気づいたんですね。その気づきは、とってもさりげなかったんですが、でも、劇的に意識を、そして人生への姿勢を、それによる現実という結果を変えました。面白くないところに意識を向けてるんだろうなぁというのは、いろんな成功法則や自己啓発書で知っていましたし、思っていたのですが、でも、それは、「幸せなこと、人生をよくすることに意識をむけなくちゃぁ」とか、「マイナスなことに、意識を向けないようにしなくちゃあ」って、「考え」や「思い」だったんですね。そこは、マイナスに意識を向けちゃダメ、意識を向けちゃうようじゃ、自分もダメってジャッジが、気づかないうちに(うすうす気づいてましたが)あったんです。ところが、思考が止まっていた隙間に流れ込んできた、「自分って、そうだったんじゃん」って気づきは、中立に、ジャッジなく、届けられました。そしたら、「ああ、もったいない、やめよう」って、力を込めることない選択ができていたんですね。人生を劇的に変えるのは、思考の隙間に訪れる気づきです。そのためには、自然に触れたり、自分の心や体が喜ぶことをやってあげてください。そしたら、素敵なプレゼントが届けられることに気づくことでしょう。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 2, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。去年から今年のアタマにかけて、いろんなところから自分のもとに届いていたサインをうけとって、音楽活動をすることになったマスター。昔から、出会ったメンターたちはじめ、いろんな人たちから、「マスターはアーティストだねぇ」とか、「音楽やるときっといいよ」と言われていました。が、当の本人はそんなことを言われていても、「へぇ~」、「でも、できないし」とか、「興味ないし、今回の人生では、きっと違うかな」とか思っていました。だって、音符読めないし、学校の授業でめちゃニガテな授業は、体育と音楽ってくらいでしたから。ところが、去年からいろんなカタチでサインがやってきて、「自分って音楽やりたいんじゃん」って気がついて、バンド活動をやろうと決めたのが、去年の暮れ。で、メンバーは、出来そうな人に声をかけるんじゃなくて、映画「七人の侍」のように引き寄せようと決めました。で、気がついたら、いつの間にかメンバーがそろっていて、練習はじめていて、ライブの日程決まっちまったい(驚)!先日はじめて、メンバー全員そろって、一曲練習したんだけど、ギターの彼も、ドラムの彼も、楽器さわるの、めっちゃ喜んで楽しんでるし、生のドラムやギター、ベースに、「おお!生の音ってすげぇ!」とめちゃ感動!音を合わせてるみんなの姿を、マイクを前に眺めながら、ふと突然に、「あれ!?なんで俺、ここにいるんだっ?」って、気づいてビックリ。場違いだとか、みんなすごいなぁで緊張するとかじゃなくて、「あれ!?気がついたら、いつの間にかメンバーそろって、こんなとこに立ってるじゃん!」、「ちょっとコレ、すげぇー!!」って、めちゃワクワクしてきて。いろんな幸せな人生の成功者たちに出会って、彼らがみな、「気がついたら、いつの間にか、こうなってた!」って言っていて、自分も「人生ってそういうもの」って思ってたんですよ。でも、「うわっ、いつの間にか、気がついたら、こんなとこに立ててるじゃん!」って気づいて、ホントにホントに、彼らの言うとおりだよなって、このときほど、心底感じたのは初めてかも。本当にやりたいこと、大好きなこと、こわいけど、やらずにいれないことにチャレンジするって決めて、行動すると、ホントにミラクルが起こるって、実感しています。で、そんなマスターたちのバンドのバンド名は、「ZERO LIMIT」。今この瞬間を楽しんで、無我にいる時、無であると同時に、無限の存在であるを意味します。そして、バンドの初ライブの日程ですが、最初はシークレットのライブをやって。で、みなさんの前で演奏させていただけるのは9月13日、マスターのバースデイでとなります。みんな、予定今のうちに空けておいてね。さっ、今週中に詩をいっぱい書かなくちゃな、マスターでした。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころよりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
April 1, 2009
コメント(2)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。ある日、わたしの人生を大きく変える気づきを得た日があります。ビジネスについて、自分のこれからの立ち位置やあり方について、どうしていこうかと悩んでいた頃のこと。京都から大阪に向かう電車に揺られていた時、ふと気がついたんです。そう、それは本当に、ふと気づいた、そんな感覚でした。電車に揺られていた時、ふと気づいたこと、それは、「ああ、自分は自分以外のなにかが、自分に自信を与えてくれるって、思い込んでいたんだな」というものでした。それまでのわたしは、自分はまだまだ成功していないと思っていて、(周りの人たちは、とっくにわたしを成功者とみていました)成功するためには、自信が必要だと思っていました。そして、自信は、本を出版して、著作が書店に並ぶようになったり、満足のいくビジネスシステムができあがって、それが稼動して、しっかりまわるようになって安心を得られたら、それによって得られると思っていたんです。そして、それが真実だと思い込んでいました。ところが、その日わたしは、「ああ、俺、自分以外のなにかが、自信をくれると思い込んできて、起こる出来事に一喜一憂して揺れていたんだな」って、気がついたんです。その瞬間、なにかが変ってしまいました。「なんだ、そうか、自分がぶれなかったらいいだけじゃん」と、なにかがストンと、深く腹に落ち込んだんです。たったそれだけのことだったのですが、その瞬間から、なにかがすっかり変ってしまいました。ぶれない自分、起こる出来事に振り回されないでいい自分に既に変ってしまっていました。そしてその瞬間、既に自分は成功者になっていました。多くの成功者たちが、何かを得たい、なにかを達成したいなら、それらを実現するにふさわしい存在に、先になることと、つたえてきました。それが本当にその通りなのだと、その瞬間に気づいたんです。自分が成功者であることに気づいた瞬間、成功者として機能しだします。そして、その人にふさわしい現実が引き寄せられます。その日わたしは、それまで自分が他のなにかが自信をくれると思い込んでいたことに気づきました。そして、自分がぶれなければいいんだと気づきました。その瞬間、自分が成功者であることを本当の意味で許したんです。「成功者であろう」としたであるとか、「成功者と思おう」とかではなく、「成功者であればいいということに気づき、腹に落ちた」瞬間でした。「なんだ、自分は、他のなにかが、自信をくれると思っていたんじゃないか」気づいたのは、ただそれだけのことでしたが、その瞬間から、すっかり人生が変ってしまいました。人はみな、自分以外の何かが、自分を幸せにしてくれると思い込んでいます。そしてそれが、あまりに当たり前のことになっていたので、多くの人は、それを不思議にも思うこともありませんでした。たくさんのお金があれば、理想のパートナーに出会えれば、有名になれば、なにかを達成したら、そしたら、それらが自分を安心させ、幸せにしてくれると思い込んできました。同様に、自信も、自分以外の何かが、自分に与えてくれると思い込んで、それを不思議に思うこともなかったわけです。ですが、幸せな成功者たちは、いつの時代も異口同音に語ってくれます。成功したければ、その成功にふさわしい存在になれ、そうすれば、後からその存在にふさわしい成功が訪れると。そしてそれは、自分以外の何かが、自信や幸せをくれると、思い込んでいたことに気づき、ぶれなかったらいいんじゃんって、(思おうとするのでなく)気づいた瞬間からそうなっています。マスターの人生を変えた日の、ささやかな、そして大きな気づきの話でした。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。PS マスターのセミナー、4月で一旦終了です。 京都、東京、広島セミナーの詳細はこちら ↓ http://www.bar-aars.com/
March 25, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。友人でセラピストの心屋仁之介さんが、26日に2冊目の本を出版します。タイトルは光と影の法則。発売前に友人特典として、一足先に読ませてもらいました。今回は、OLの女性を主人公にしたストーリー仕立てなのですが、シンプルでとても読みやすく、そしてとても共感しやすくて、すーっと物語に引き込まれます。そして、とてもシンプルに仕上げてある分、スーッと自分自身を内観することが出来ます。マスターも何箇所か、じ~んとさせてもらいました。勿論、マスターお勧めの一冊です。今回はアマゾンのキャンペーンに事前登録すると、いろんな特典のプレゼントを用意しているそうです。今回はマスターも友人として協力させてもらおうと思い、アマゾンキャンペーン期間に、購入された方に、マスターからもプレゼントを用意させていただきますね。「光と影の法則」アマゾンキャンペーン事前登録の詳細はこちらをご覧ください↓http://www.kokoro-ya.jp/article/13396094.html本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
March 24, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。わたしたちが満たされ、本当の豊かさにを受け取れる場所は、今この瞬間の中にあります。そしてそれは、今この瞬間に(どんな喧騒の中にあっても)、静けさがここにあるということに気づいていることです。今、この瞬間に静けさがここにあることに気づくことは、人生の全ての豊かさの源泉につながっていることです。よかったら、今この瞬間の静けさに気づきはじめてみてください。まったく異なる、豊かさに満たされた人生がはじまったことを、感じはじめることでしょう。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
March 23, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。今日は午後から、大阪のホテルのラウンジでの個人セッションに出かけました。今日お申し込みいただいていた方は、東京から来られた方。お仕事の予定にあわせて来られたのか、他のご用事と合わせてこられたのかなと思っていました。で、うかがってみると、個人セッションのためだけに東京から来られたとのこと。こちらのでの観光とかも、なにもないとのこと。セミナーへの参加では、遠く遠方から来られる方はこれまでも多かったですが、個人セッションは関東でも月イチくらいではやっていますので、大阪まで出てこられたとのことに、ちょっとだけおどろき。で、うかがってみて返ってきた答えは、「自分のためにお金を使いたいなと思って、躊躇なく」というものでした。このお答えを聞いた瞬間に、「あ、この方、きっと人生うまくいかれるな」と感じました。かつてメンターたちが、「お、こいつは違うな」、「こいつは出来るな」、「この人は成功するな」、「大きくのびるな」と予感させる人であることが大事と、きかされてきました。わたし自身が、そんなメンターたちから、「君は必ず成功する」と言われてきましたが、わたしもまた、多くの人と出会う中で、そう感じさせる方たちに何人にも出会ってきました。お、この人は伸びそうだな、成功しそうだなと予感させる人の条件があるとしたなら、正直であること、素直であること、謙虚であること、と同時に、弱さや頑固さがあることも認められる立ち位置にいることです。そして、自分の成長への気前よさです。では、自分はそうじゃないよぉという人はどうしたらいいか?自分にも正直さや、素直さや、謙虚さ、頑固さや弱さを認めるこころ、そして気前のよさが、もともとあるということに気づくことなのでしょう。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
March 21, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。本日発行のメルマガ、「カッコイイ女は、カワイイ女」にて、幸せと豊かさのもっとも本質的な知恵について書かせていただきました。もっとも本質的とともに、もっとも大切な知恵ですので、こちらにも掲載させていただきますね。わたしの最初のメンターから伝えられた言葉に、最初とても驚いた言葉があります。それは、「わたしたちは全員、誰も例外なく、成功している」という言葉でした。わたしは当時、成功したくて、そのきっかけを求めて、メンターのところに行きましたので、この「誰もが例外なく成功している」という言葉は、驚きとともに、なんだかわからないけれど、とても新鮮な感じがしたのを覚えています。わたしは、「なにを言っているんだろう?」、「なにか深い意味があるんだろうな」という感じで、すぐに聞き返したり、言い返したりはせずにいました。でも、何人かの人は、「わたしは成功したいから、あなたに会いに来たんだ、わたしは、今はまだ成功していない」と彼に言いました。するとメンターは、「いいえ、あなたも、わたしも成功していますよ」と答えました。これを言われたその男性は、「そんなことはない!あなたは、成功しているだろうが、わたしは成功していない」と、ちょっと怒り気味に言い返します。でも、メンターは静かに、「いいえ、あなたもわたしも成功していますよ」と答えたんですね。「あなたがサラリーマンなら、サラリーマンであることに成功していますし、教師であるなら、教師であることに成功しています」とメンターは話します。わたしは、「なるほどね、確かにね」と思いました。ところが、そこにいたみなが驚いたのが、メンターの次の言葉。「ホームレスの人は、ホームレスであることに成功しているんです」この言葉にはさすがに、そこにいた人たちも驚いて、一人の男性は、半ば怒りながら、「ホームレスのどこが成功なんだ!」と言い返していました。何人かの人は、ワケがわからないと言っていましたが、当時のわたしは、「『そこ』(そのポジション)に至るまでは、成功できている」という意味なんだろうなと捉えていました。ですが、今になって、当時メンターがなにを言っていたのかが、ようやくセンスとして理解できるようになってきました。わたしたちは、いつも自分がリクエストしたものを、実現しているということ。「お金がたくさんあればいいのにな」思っているとしたら、「今はまだお金が充分にないので、『幸せではない』」というところにいると言えますよね。すると、わたしたちは、知らないうちに、でも自然と、「お金が充分にないので、幸せでない」というリクエストをしてきたわけです。そして、そのリクエストは、まったく自然にその通り叶えられます。また、「人間関係がうまくいっていないので、幸せでない」と感じていれば、それがリクエストになり、そのとおりの現実が実現します。「パートナーがいないから幸せでない」、「パートナーとうまくいっていないから、幸せでない」と感じていれば、これもまた、それがリクエストとなって、実現されてきたわけです。このことを、「アタマで理解すると」、(正確には、理解したと思う思うとすると)「幸せだと思うようにしなくちゃ」、「マイナスのことを考えないようにしなくちゃ」というところに、意識がむきはじめます。でも、これも、「幸せだと思わないと、幸せが来ないんだ」という、「今現在は、幸せではない」という、リクエストになってしまいます。そして自然に、そして見事に、それが現実化していたわけです。気づく必要のあるとても大切なポイントは、実はいつも成功してきたということに、気づくことです。ものすごーく重要なポイントなので、もう一度書きますね。気づく必要のあるポイントは、いつも成功してきた。失敗したことは、一度もなかったということに、【アタマで分かろうとするのではなく、気づく】ことです。このことに気づいた時、「なんだ!幸せを感じているようにすればいいんだ!」ということに気づけます。このとてもシンプルなことが、そのあまりのシンプルさゆえに、いろんな思い込みに捉われてきたわたしたちには、なかなか「つかむ」ことが出来ずにきただけなんですね。かつてメンターが語った言葉で、今すごくよく分かるものに、次のようなものがあります。最初人は、何かを手に入れたら、(いいクルマだとか、ブランド物であるとか、いい役職や、地位や名声)幸せになると思ってきた。つまり、「HAVE」が幸せになると思っていた。バブルのころのあり方です。次に、なにをやっているか、(満足感を与えてくれそうな自尊心を満たしてくれそうな仕事や活動)が幸せにしてくれると思ってきた。つまり、「DO」が幸せにしてくれると思ってきた。次にどう生きるか、どんな人として生きるかという、ありか方「BE」が幸せにしてくれると、多く人が思いはじめました。でも、メンターは続けました、その先に、「なにを感じているか」、「FEEL」という生き方があると。幸せでないと感じていれば、そのとおりの現実を実現し、幸せを感じていけば、その通りの現実が実現します。わたしたちは誰も、例外なく、いつも成功しています。すると、わたしたちは、こんな質問をしたくなるでしょう。「どうすれば、幸せを感じ続けることができるのでしょう?」と。そしてその答えは、「なにかがあれば、幸せを感じることができるんだと信じ込んできたんだ」ということに、気づくことです。そして、ただ、幸せを感じることを選んでいけばいい。この、これ以上ないほどシンプルなことに、アタマで分かろうとするではなく、気づいたとき、その時は既に、なんでも可能だということに気づいていることでしょう。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。PS 先日のマスター&北川涼子トークライブ、とても好評いただきましたので、 近日中に関東でも開催いたします。 楽しみにお待ちくださいね。
March 20, 2009
コメント(2)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。先日15日、京都で、北川涼子さんとトークライブをやらせていただきました。参加しにきていただいたみなさんも、とってもなごやかな雰囲気で、すぐにみなさん打ち解けていました。トークライブも、また会場での新しい出会いもあり、みなさんに喜んでいただけたようで、とても嬉しく思います。Q&Aの時間も、マスターと涼子ちゃん、それぞれの視点、角度から出てくるインスピレーションの違いをわたし自身も楽しんで、「おおっそうきたか~」って、感動したりもしていました(笑)。好評いただけたことと、関東でもやってほしいとのリクエストもいただいていますので、近日中に関東でもやらせていただきますね。楽しみにしていてください。さて、トークライブの中で話題にのぼったのですが、幸せに成功していく秘訣に、最近確信を持ったものがあります。成功には様々な定義がありますが、「幸せに成功」は、「自分が成長し、とらわれごとから自分を解き放ちながら、人生のあらゆる豊かさを受け取り、実現していくこと」だなと、わたしはとらえています。さて、そんな幸せに成功していく秘訣ですが、以前から、「大切なのはこういうことだな」ということに、気づいていたのですが、あるきっかけから、確信を持つことになりました。それは、友人にダイエットで成功した秘訣をきかれたことによって、確信を得ました。以前にも書かせていただいたことがありますが、わたし、以前は、今より15キロくらい太っていました。20代前半にふとりはじめ、30代で更に太って、やべぇ~って、思いながら、どんどん泥沼にはまっていきました。ですが、30代中盤に、一度ダイエットに成功して、7キロくらいそこから落とすことが出来ました。そして、去年から今年にかけて、更に落として、今では、「このぐらい落ちたらいいのに~、でも、無理だろうなぁ~」と思っていた状態よりも、やせることが出来ています。で、最近、友人から、「痩せれた時、なにがよかったの?」という質問を受けました。実はこの、「痩せれた時、なにがよかったの?」という質問が、わたしに、「なにがよかったのか?」、本質的なことを、ピンポイントで、探させたんですね。それまでは、「運動した」とか、「食事食べ過ぎないようにしてた」とか、「マメにサイズを測ってた」とか、そんなことが痩せた理由だと思っていたんです。ところが、そんなことは、やせたいと思うときは、年がら年中考えていることでした(笑)。そこに、「なにがよかったの?」と質問されたことで、普段は出来なかった「運動」や「食事のコントロール」や、「サイズを測ること」を「なにによって、出来るようになったのか?」ということに、意識を向けることが出来たんですね。そして気がついたのが、「体にいいものを、食べていた時、うまくいっていた」ことに、気がついたんです。体にいいお味噌汁と、ご飯と、納豆やめかぶ、おつけものなどの質素な食事を、「美味しい」と感じて食べていた時。これ、体によさそうってものを、取り入れていたとき、ダイエットもうまくいっていたんです。(ダイエットの本来の意味は、食事によって健康な状態にすることだそう)つまり、自分(の体)を大切に扱っているとき、ダイエットがうまくいっていたわけです。自分を大切に扱っている時、自分に対して、えらいぞって褒めてあげたくなりますし、自分のことを、どんどん好きになっていきます。そんな時に、ダイエットが成功していたわけです。太っている「今の状態を嫌って」、なんとかしなくちゃ!ってやみくもにがんばっていた時は、ストレスばかりでほとんどうまくいかなかったものが、体によいものを取り入れ、自分を大切にしていた時、成功していたわけです。そして、このことは、人生のあらゆる成功に、共通していることに確信を持つことになりました。幸せな成功者がよく語ってくれるものに、豊かな人は、より豊かになっていくと言うものがあります。そう、今の自分はダメってところではなく、「今この瞬間の」自分を大切にし、ねぎらいっていくことで、自分のことを好きになっていきます。そして、この自分を大切にしていくことが、あらゆる成功に共通していること、つまり、あらゆる豊かさは、自分を大切にしていくことに、その本質があったわけです。わたしたちの多くは、これまで、なにかを実現したり、なにかを手に入れたり、いい人にめぐりあえたら、幸せになると思い込んできました。ですが、多くの幸せな成功者が語ってきたように、外の何かが、わたしたちを幸せにしてくれるのではなく、自分を大切に扱い、幸せを感じている人のところに、豊かさが訪れます。ダイエットの質問から、思わぬ確信を得たマスターでした。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
March 18, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。今を楽しむだとか、今この瞬間にいることが、人生を豊かにするとよく言われます。今を生きることの大切さや素晴らしさは、多くの先人たちが語ってきましたが、かつてのわたしも含めて、大多数の人は、今この瞬間を生きるというのがどういうものなのを知らずにきました。なぜ知らなかったかというと、体験したことがないからです。ううん、厳密に言うと、かつて体験していたのだけれど、大人になっていく過程の中で、すっかり忘れてしまっていたんです。小さな子供のころは、だれもが今この瞬間を生きていました。今この瞬間を生きる状態とは、どういうものかというと、過去や未来にとらわれない状態です。つまり、過去の(無意識の)記憶を物差しにして、未来を心配したり、制限することのない状態です。今目の前にあるものが、なんの色眼鏡も、脚色もなく、あるものがあるがまま、本来のそのままの姿で見える状態です。過去にも未来にもとらわれることのない状態、今この瞬間にいる状態は、未来への不安や、過去の後悔にとらわれない状態です。そして、今この瞬間に生きているとき、おそれや不安に翻弄されることのないところにいるとき、とてもおだやかで、平安で、そして無限の広大さと、静けさに満たされます。今この瞬間に生きているとき、本当に人生が楽な状態です。過去と未来に翻弄されて、今にいない状態と、今にいる状態がどのくらい違うかと言うと、それまでは気づくこともなかったけれど、日本のラジオ放送を聴こうとしながら、ノイズと、いろんな国の言葉が、入り乱れて聴こえていたことに初めて気づいて、愕然とする。そんな状態です。今この瞬間にいる状態は、本当に穏やかで平安な状態です。では、どうすれば、今この瞬間を体感することが出来るのでしょう?それは、呼吸に意識を向けることで可能になります。なぜ呼吸なのか?わたしたちの体は、あらゆる新陳代謝を行っています。心臓は脈打ち、血液は流れ、各臓器が働き、細胞は生まれ、死んでいくことを繰り返します。そんな代謝の中で、唯一自分で自覚して、そしてコントロールできるのが呼吸です。おだやかな深呼吸に意識を向けてみましょう。普通の深呼吸ではなくて、おだやかでゆっくりと、しずかな呼吸を「感じて」みてください。そして、おだやかで、繊細で、微細な感覚を感じてみてください。空気が鼻を通る時の鼻腔の繊細な感覚、肺に空気が入っていって、胸が広がっていく感覚の繊細さを感じてみてください。肺がいっぱいになるときの、体にまるで、空気がじわぁ~と染み渡っていくような、微細な感覚を感じてみてください。そして息をゆっくり吐き出す時の、肺が縮んでいく感覚の繊細さを感じてみてください。どうですか?とても気持ちのいい感覚を味わえた方も多いのではないでしょうか。そして、思い出してみてください。呼吸の繊細な感覚に意識を向けていた時、過去や未来は、存在しなかったことに、気づかれる方も多いのではないでしょうか?よかったら、一日のうちのどこかで、この感覚を楽しんでいってみてください。だんだんと、こころ静かに、感情に翻弄されない自分に気づいていくかもしれませんよ。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのおこしを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。PS マスター&北川涼子トークライブの受付は、13日PM9時までです http://www.bar-aars.com/200903talk_live.html
March 12, 2009
コメント(1)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。昨日、「おお!ついに出会った」って、気づきと出会いがありました。で、メルマガ「カコカワ」にそのことを書いたのですが、今回は、それをこちらにも書かせていただきますね。以下、カコカワ明日の京都からはじまる、今月のセミナーのテーマは、「人生の目的」なのですが、セミナー前に、「おおっ!これだぁ」って、出会いがありました。昨日、友人を介して、以前からお会いしたかった知人とはじめて顔合わせをさせていただきました。で、最初はお酒の話などで盛り上がっていたのですが、途中から(どういう展開でだったかは覚えていませんが)奉仕活動の話題になっていたんですね。で、実はわたし、ここしばらく「奉仕」というテーマについて、ずっと追いかけていましたので、思わず引き込まれちゃいました。というか、その方の話が、ハートにビンビン響いてきて、引き込まれずにいられなかったんです。(まちがいなく、その方の才能です)その方が語ってくれたのは、小児がん専門の病棟をつくりたいという、お子さんを亡くした方たちが発足したイベントでの活動の話でした。で、思わずハートも目頭も熱くなってしまうお話だったのですが、わたし昨日、「あ!これ、これを探してたんです。」、「ついに出会えました!」って感じだったんです。なんのことかというとわたし、なにかしらのボランティアであるとか、奉仕活動をしたいなと考えていたんです。その人の人生の目的や課題が調べられる、ソウルナビゲーションという本には、わたしの一大テーマが、豊かさと奉仕に関することなのです。(ちなみに数字は、35の8です)そしてさらに、ここしばらく読む本、読む本に、奉仕に関することが載っていたんですね。でも、昨日お会いする直前まで読んでいた本にもありますが、ぱっと思いついても、多くの人の場合、どこにいって、なにができることがあるのかが、わからないんですよね。今までも、募金は思い出したらするようにしていたのですが、なにか体を使ってもやりたいなと思っていたんです。で、昨日のお話し。「あ!これだ!」と思うと同時に、あることを思い出しちゃいました。実は2年前くらいのこと、どういういきさつかは覚えてないのですが、ふとしたきっかけで、小さなお子さんを病気や障害でなくしたお母さんたちの手記を毎日読んでいた時期があります。で、毎日パソコンの前で、泣いておりました。でも、泣いていた理由は、かわいそうだとか、そういう理由ででは、ありませんでした。というのも、お母さん、お父さんたちは、つらい体験をされているわけなのですが、でもその方たちの多くが、「大切なものをもらった」という思いを伝えてくれていたのです。そう、その子たちは、一生懸命生きる姿を通して、いのちを輝かせ、わたしたちに勇気をあたえてくれたり、今この瞬間の莫大な豊かさに気づかせてくれていることがみえてきて、それにものすごくハートが震えちゃったんですね。で、昨日お話をうかがっている間に、そのことを思い出すと共に、大きな豊かさをうけとる許可も下りました。わたしたちは、自分のワクワクすることをライフワークにして、豊かになっていいと言われていますよね。けれど、自分のためだけでは、なかなか馬力が出なかったのです。(おそらくピンと来る方も多いのではないでしょうか)自分のためだけでなく、自分も含めて誰かになにかをできるなら、自分の役割や目の前の出来ることに、エネルギーを惜しみなく注ぐことが出来るじゃんって感じたんですね。思っている以上に、多くの人が、実はなにかしらの奉仕をしたいと考えているという調査結果をなにかで読んだことがあります。けれど、多くの人が、どこに行ってなにをしたらいいのかがわからないと思っているそうです。そして、もうひとつ多いのは、奉仕といっても、どこか気恥ずかしいと感じてきた人も多かったようです。というのも、「自分はそんなたいした存在じゃない」、「人を助けるなんて、えらそうに言える存在じゃない」と、こころのどこかで感じていた人が多かったからみたいです。けれど、今回はっきりと感じたのは、病の子供たちも、貧しい国の子供たちも、いつもわたしたちにみせてくれるのは、一生懸命生きている姿だと感じています。実は勇気付けられ、助けられているのは、わたしたちの方だなと感じるんです。昨日、「これだ!」って感じたのは、奉仕をするのは、施しをしてあげるのではなく、勇気やいのちの輝きにふれさせてもらうことに対して、お礼をさせてもらうことなんじゃんって、感じたんですね。なんと、明日の京都からはじまる今月のセミナーのテーマは、「人生の目的」!なんとばっちりのタイミングでしょう。わたしは人生の目的とは、自分の才能を通して、自分も含めたすべての人を幸せにしていくことだと感じています。けれど、多くの人は、自分のためだけでは、思い切りの馬力が出せずにきました。でも、勇気をくれる人たちにお礼をしたい、感謝を送りたいというところに立てば、自分のやること、自分の人生にも、愛情も、情熱も注げるじゃんって感じました。経済危機で、多くの人が不安にやられはじめた今だからこそ、自分のためだけでない、「自分にもなにかできる」って気づけることが、どれほどの勇気につながるかと思います。昨日は、本当に素晴らしい出会いをいただきました。本当にありがとう。ちなみに、その方、明日のセミナーにいらっしゃいます。今からでも、「あ、セミナー行きたい」って思われた方は、駆け込みOKですヨ(笑)。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。PS マスターのセミナー トークライブ 個人セッション詳細はこちら http://www.bar-aars.com/
March 6, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。わたしの好きな本の中のひとつに、「今ここに死と不死をみる」というちょっと変った(笑)本があります。悟りをひらく前に、悟りの状態を疑似体験しておく、それにより勘をつかみやすいというような感じの本です。気づきとは、今まで思い込み、信じて疑ってもみなかったこと、そして信じて疑ってもみなかったことに、気づきもしていなかったということに気づくときに、どんでん返しのようなシフトが起こります。彼が気づいたのは、実は自分には頭は存在しないのではないか?というものだったそうで、ききようによっては、「なんじゃそりゃ?」って感じです(笑)。けれど、この気づき、わたし自身にも大きな気づきを与えてくれました。それは、人は一生かかっても、鏡を見ない限り、自分の顔を見ることは出来ないというもの。つまり、人は、外に反映しているもので、はじめて自分が何者なのか、どんなあり方で、なにを実現(映し出しているのか)を知ることが出来るということです。さて、そんなパラダイムシフト的大きな気づきをたくさんくれた、この本の著者、ダグラス・ハーディングですが、残念なことに2007年に亡くなられています。わたしが本を読んだ直後くらいに亡くなっていて、お会いすることが出来なかったのが、ちょっと残念です。ですが、彼のサイトをみていたら、とても素敵な一文を目にしました。それは、ダグラスさんの奥さんが、彼のお葬式の席で読んだ詩です。詩の中では、彼がたくさんの人に気づきを提供したこと、貴重なものをたくさん人に伝えたことが語られています。ですが、本当に素敵だなと思ったのは、最後の締めくくりの一行。「愛しい王子様よ。あなたが心安らかにお休みできるように、天使の一団が、見守ってくださいますように」この言葉を読んだ瞬間に、なんて素敵なんだろう!と、なんだかとても暖かい気持ちになって、パソコンの前で、ちょっと目頭が熱くなってしまいました(照)。こんな言葉をプレゼントされる、そんな人生に仕上げたいなって思ったマスターでした。ダグラス・E・ハーディングのサイトはこちらね↓http://www.ne.jp/asahi/headless/joy/index.htmlで、奥さんの言葉はこの中の「ダグラスへ」ってやつです↓http://www.ne.jp/asahi/headless/joy/column/column.html本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。PS マスター&北川涼子トークライブ詳細はこちら↓ http://www.bar-aars.com/200903talk_live.html マスターの個人セッション3月のスケジュールはこちら↓ http://www.bar-aars.com/session.html
March 5, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。先日、本屋で欲しい本を探しに行っていました。で、欲しい本はなかったのですが、先日、日記にニッサンGT-Rのことを書いたこともあって、GT-R関係の本はないかなぁと、クルマ関係の棚を見に行ったんですね。そしたら、なんと開発者の水野氏が著者の「プロジェクトGT-R」って本が出てるじゃないですか。「おおっ」と思わず買って帰ったのですが、そこに書かれていたのは、わたしがGTーRについて先日書いたのと同じことが書かれていました。ほんの数日前に、自分が書いたことが、開発者本人の手によって本として書かれ、手にとって確認できる。面白いシンクロというか、「冴えてるじゃん」と自画自賛です(笑)。この本、専門用語も出てきますが、これまでの概念を壊して、新しく創り出していくという視点で、めちゃめちゃ面白い本です。よかったら、読んでみてください。さて、GT-Rの次に、今度は自分が音楽活動をはじめた件について書きました。で、メンバーの中で、自分だけがまったくの未経験者で、「もう、勇気以外出すものがない(笑)」ということを書いていました。そしたら、新幹線の中でリン・A・ロビンソン著の「お金と本当の豊かさ」という本を読んでいたのですが、その中にも、「おお」というシンクロが。人は、本当にやりたいことをみつけても、一歩を踏み出すことを恐れてしまう。「必要なのは、勇気だけ」というような一節が出てくるではありませんか。この一節には、自分が勇気について書いた翌日に出会っています。面白いシンクロですよね。で、大丈夫だから、思い切って進みなさいと言われた気がしました、ハイ(笑)。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしています。いってらっしゃいませ。PS マスターの個人セッション、スケジュールアップしました http://www.bar-aars.com/
March 3, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。わたしは、3年半に渡り、セミナーや講演、個人セッションを中心に活動してきましたが、昨年末に、「あ!これがやりたかったんだ!今生、これにチャレンジしたかったんだぁ!」ってことにとうとう出会ってしまいました。それは、音楽の活動をしていくことでした。昨年の早い段階から、(正確には何年も前から)いろんなカタチで音楽に関するサインが届いていました。(ポノポノのヒュー・レン博士にも、音楽やりなよぉ~って言われてたっけ)で、友人からは、音楽を使って、こころや幸せ、成長を融合させたものをやっていきたいという話が入ってきていました。で、いくつものサインが届いてきて、ある日、「あ!俺、これやりたいんじゃん!」、「チャレンジしたいの、これなんじゃん!」ってところに至ったんです。で、このことに気づいてからは、毎日がワクワク。ホントにこころからやりたいことは、ワクワクとコワさとが一緒にやってくると言いますが、「ワクワクしかないじゃーん」って思っておりました。ところが、いざ、一緒にやるメンバーに話をする段になったら、メチャこわくなっちゃいました(笑)!友人は、「マスターがどんな話を持ってきても、「うん」って答えるつもりでした」と言ってくれましたが、当のマスターは、「えぇ~?マスターが音楽ぅ~?」なんて言われたら、どうしよう~!!!って状態でした(笑)。もし、腕組でもされて、「ふぅ~ん」なんて言われようものなら、即座に3歩さがって土下座して(笑)、「お...恐れ多いことを言っちゃいましたぁ!どうか、今のは忘れてくださいー!!!!命だけはご勘弁を~!!!」と言ってしまいそうな勢いでした(笑)。さて、こんなところからスタートした音楽活動の話、バンドのメンバーは、募集して集めるんじゃなくて、「7人の侍」のように、引き寄せようとはじめから思っていました。そしたらまぁ、すごい人たちとどんどんつながってしまいます。それも、とんとん拍子で(汗)。2年連続コンテストで優勝されたというフジワラさん(汗)。そしてフジワラさんに「ドラムなら絶対この人!」って紹介いただいた、タダさんからは、「やらせていただいていいんですか?」ときかれて、「お願いするのは、こっちの方ですよぉ~(汗)」状態(笑)。タダさんのブログに、マスターとの2ショット写真出てます↓http://blog.livedoor.jp/kenchans/archives/51477705.html#moreさて、マスターの担当は、詩の作成となんとボーカル。詩は、(字数を揃えたりはまだあまりちゃんと出来てませんが)ウィスキーをくいっとやって、緊張を飛ばしたら、調子よくすらすら書いちゃえるのですが、(友人の北川涼子ちゃんには、酔拳の使い手と言われてます(笑))とにかくキャー!なのが、ボーカルの練習。友人のライブハウスで、先日ボーカル練習をスタートしたのですが、なにせ、自分以外の人たちは、プロとセッションをやってきた人や、音楽で食べてきた人ばかり。そんな中、小学校時代は音楽は最低の成績で、もっとも嫌いな授業のひとつだったわたしが、なんの経験もなければ、音符もほとんど読めないわたしが、もうめっちゃ緊張とプレッシャーで、あがるは、はずかしいわっ(笑)!!!!でも、やめるか?って言われたら、もはや引っ込みがつかないのもあるけど、そんな気はさらさらありません状態。でも、めちゃ緊張です。もう、勇気以外出すものない状態です(笑)。人生はまさにチャレンジだと、わたしのメンターたちも、みな異口同音に言っていましたが、ホントにホントに、ホントでした(笑)。緊張するけど、コワいけど、でも、サイコーに楽しいのです。なによりも、仲間たちがすごく楽しんでくれて、喜びの場があって、そんな場に関われていることが、なによりも嬉しいんです。人生はまさに、チャレンジです。無難な人生、できることを出来る範囲でやるのも、ひとつの選択ですが、おっかなくても、ホントにやりたいことにチャレンジして生きる人生は、やっぱめちゃエキサイティングです。勇気以外出せませんが(笑)、勇気出して、そしてめっちゃ楽しんで、喜びをばら蒔きますね。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのおこしを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。PS マスター&北川涼子トークライブの受付がスタートしましたぁ http://www.bar-aars.com/200903talk_live.html
February 26, 2009
コメント(2)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。以前友人と話していた時、友人がとても印象的な一言を話したことがあります。それは、「一度でも本物の愛に触れると、もう戻れなくなる」というものです。これは、ある映画の感想を友人が話していたときに出た言葉なのですが、映画の主人公は窃盗団の少年なんです。少年は窃盗グループの一員だったのですが、ふとしたことから愛ある老夫婦に触れ、自分の中の愛や正義を貫くようになっていくというお話でした。で、友人が発した言葉がこの、「一度でも本物の愛に触れると、もう戻れなくなる」というものだったんです。わたしがこの3年セミナーをやってきて、セッションをやってきて感じることがあります。それは、多くの人は、知識でこれがいいと思っていることが、ハートとつながっていないことが、多くの人の人生を難しくしているんだなということです。世の中には多くの成功者の知恵が溢れています。こうすれば成功するであるとか、こうあれば成功する、こういう言葉遣いをすることで幸せが訪れるなど、多くの幸せや成功の知恵が溢れています。けれど、わたしたちの多くは、それらを知識として知ってはいても、それがこころから「その通りだ」と腑に落ちていませんでした。思考とハートがつながっていない、別々の状態、バラバラの状態だったのです。ゆえに、心と思考が綱引きをして、願っても願っても、願う成功や幸せとは違う結果を創り出してきたわけです。わたしたちの多くは、世界に溢れる幸せや成功の知恵を耳にして、「あ、それ知っているよ」ということは言えるけど、「本当にまったくその通りだったよ」と、こころからそう言えるところには、いませんでした。今日、友人と話していてあらためて理解したのは、わたしのとても大切な役割のひとつは、ちゃんと接触していなかった思考とハートの回路をつなぐ機会を提供していたことだったんだなということでした。そしてそのもっとも大切な要素が、自分の中の本物の愛に触れるというものです。自分の中の深い、そして偽りのない愛に触れた時、はじめてその人の人生の、エンジンのセルモーターが回り始めるのだと、わたしは感じています。そして一度まわり始めた人生は、紆余曲折はあるかもしれないけれど、でも、もう戻ることがないんだなと感じています。そして、自分で言うのはなんだかこっぱずかしいのですが、自分の中の愛に触れに、わたしに会いに来ていただければなと思うんです。一度でも自分の中の本物の愛に触れると、もう元にもどることはありません。本当に大切なものに気づいたなら、もうそれを粗末には生きられなくなるのでしょう。自分の中の本物の愛に触れて気づいた時、そのこころの声にしたがって、人は生きはじめます。人はその人がもっとも輝く形で、愛を表現していくのが、その人の人生の目的であり、ライフワークなのだとわたしは感じています。そして、そのもっとも大切な一歩が、自分の中の本物の愛に触れ、気づくこと、知ることなのでしょう。よかったら、会いにきてくださいね。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
February 25, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。以前から知識としては知っていましたし、なんとなくは感じていたことだったのですが、最近になって、深く理解するようになったことがあります。これは、とても大きな豊かさをうけとっている、幸せな人生の成功者たちは、深く理解しているものです。それはなにかというと、「この世界には目に見えない大きな流れがある」というものです。大きな流れが向かっている先は、全体(本質)が、より高度に進化していくというもの。そして、わたしたち全員が、この大きな流れの中で、そのための役割をになっています。そして、この役割には、無自覚な役割と、自覚のある役割があります。このことは、以前から知識としては知っていましたし、なんとなくそうなんだろうなとも、感じていました。ですが、最近は、本当にそうなんだなと、だんだんリアルに感じるようになってきました。自覚のある役割とはどんなのかというと、自分がどんな人生の目的を持っているかに気づき、自分の才能を使うという方法で、もっともその人らしいカタチで、愛を分かち合っていくというものです。以前にも書かせていただいたことがありますが、わたしたちの人生の目的とは、もっとも自分らしいカタチで、愛を分かち合っていくこと。そして、他の人には真似が出来ないほど、その人が輝く愛の表現をできるのが、その人の才能、天才性なようです。自覚のある役割を生きる人たちは、自分の才能を使って、愛を分かち合っていくということをやっていきます。世の中の人たちに、注意を払ってみていくと、有名な人たちでも、それとなく、とても深いレベルでこの場所に立っている人たちが、すごくたくさんいることがみえてきます。これが自覚して、役割を生きている人たち。自分の役割を理解している人たちです。もうひとつの役割が、自覚はないけど役割を生きている人たちです。この人たちは、自分が重要な役割を分かち合っていることを、意識では理解していませんが、様々なカタチで、大きな流れのための役割をになっています。時にポジティブなカタチで、時にネガティブなカタチで、この人たちは、無自覚ながらも、役割をになっています。このことを深く理解し始めたのは、去年体験したある痛い体験からでした。去年、わたしは、あるきっかけから、無意識の深い領域にあった痛みがあがってきて、ものすごく痛みを感じる時期がありました。その時は、どうしてこんな目に遭うんだろう?と真剣に思いましたし、そのきっかけになった人に対して、「なんてひどいことをするんだ!」と感じていました。ところが、あんなにしんどい思いをした体験が、自分が大きく意識が切り替わるためには、必要な、重要な体験だったことが、今は明確にみえてくるんです。その人のことをわたしは、とうてい許すことはないだろうと思っていたのですが、でも、今はとても不思議なことに、「あのことがあったおかげで、大きな意識の変革をすることができた」という、感謝に近い思いがあるんです。今みえてくるのは、きっかけになったその人は、無自覚な役割をやってくれていたんだなというものです。この世界に、不必要な人は存在しないといいますが、本当にそうなんだなということを、どんどんリアルに感じるようになってきました。この世界のうしろには、多くの人にはみえていない、大きな流れがあるようです。そして、全ての人が、その流れの中で、自分の役割を生きています。自覚をして、役割を生きている人。無自覚に役割を生きている人。どちらもが、不可欠に、密接にこの世界の進化に、重要な役割を生きています。ですが、深い喜びの中で生きるのは、自覚のある役割を生きることだと、深く感じています。そしてこれからは、自覚のある役割を生きる人たち、(厳密には、本当の意味では無自覚なのかもしれません)つまり、自分の才能をつかって、愛を分かち合っていく人たちが、きっとどんどんたくさん現われだすんだろうなと感じています。楽しみですね。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
February 22, 2009
コメント(0)
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。実は、90年代、マスターは東京の四輪雑誌の編集部に籍をおいていました。そう、実はマスターは、モータージャーナリストでもあったのです。長いこと、クルマもバイクも乗っていませんので、その手の話題は、話すことも書くこともありませんでしたが、今日は車のお話を、ちょっと書きたいなと思ったので、書かせていただきますね。2007年に日産自動車が発表したニッサンGT-Rは、国産車ではじめて時速300キロオーバーの性能を持つ、スーパースポーツカーとしてデビューしました。世界一過酷なサーキットとして知られる、ドイツはニュルブルグリンクサーキットで、市販車として世界最速のタイムを記録したことでも、とても話題になりましたよね。そして、それだけの超高性能のクルマでありながら、誰でもがどんな天候、状況でも扱える、マルチパフォーマンス・スーパーカーというコンセプトも、世界のどの自動車メーカーにもないコンセプトでした。でも、世界の自動車評論家たちをもっとも驚かせたのは、それだけの超高性能車が、700万円台という、ポルシェの半額で変えてしまうバーゲンプライスだったことでした。で、多くの自動車評論家は、こう言いました。「日産は、これでは利益が出ないのではないのか?」と。そう、そのとおりなんです。そして、別の意味で、とても大きな利益にもつながっているのです。世界の名だたるスーパーカーをつくるメーカーの多くは、実は小さな会社です。ほとんど手作業のような状態で、高級なパーツをふんだんにつかって、生産されます。それは、その手のクルマを購入する層、いわゆる富裕層、ハイエンドユーザーに、的を明確にフォーカスしていることで、それが可能になっています。ところが、ニッサンGT-Rは、ほとんどの工程を、普通量販自動車と同じライン工程でつくっています。実はこれがとてもすごいことなのです。GT-Rも、量産ラインでつくらずに、他の高級スポーツカーのように、手作業で製作していたら、価格は3000万円くらいになっていたそうです。でも、このクルマを低価格で生産するためには、なにがなんでも、通常の量産ラインにのせなければなりませんでした。ところが、このクルマに要求された部品精度、部品と部品の整合精度は、とても通常のラインで生産は不可能なほど、精度の要求されるものでした。ゆえに、試験的にラインに乗せたときは、たった一台のGT-Rがラインにのっただけで、何十分もラインがとまってしまう事態が起きたそうです。ラインが止まって、工場の工員の方たちは、そりゃもう、ブーブー言っていたそうです。それは、部品製造メーカーも同じで、絶対にできっこないという要求の連続だったそうです。ですが、製作総指揮の水野氏の情熱と、不可能を可能にしたいという多くの人の思いとチャレンジが、絶対不可能としか思われなかった壁をブレークスルーして、世界最高性能のクルマを、驚きのバーゲンプライスで実現しました。そう、すごいことというのは、バーゲンプライスにできたことではありません。絶対不可能と思われた精度を、部品メーカーも、量産ラインでも、実現したこと。これがすごいことなんです。通常のラインで、すさまじく精度の高い工業製品を製造する。ということは、ラインの人たちのレベルは、超高い精度の仕事をできるスペシャリストたちに成長します。製造技術、技術者の能力ともに、飛躍的に高いものになり、他の製品の精度、品質もひじょうに高いクオリティが可能になります。そしてなによりも、すごいことをやりとげた、素晴らしい情熱の産物をつくっているのだという、誇りも、関わった多くの人たちが共有したことでしょう。「日産は、このクルマでは利益が出来ないのではないか?」とコメントした評論家の言ったことは、事実です。なぜなら、GT-Rの利益率はとても低いからです。ですが、GT-Rを生み出したことによって得られたものは、今後の日産、そして日本の製品、果ては世界の製品の水準を大きく変えていくものになるでしょう。一台のクルマとしては、利益は出ないでしょうが、このクルマがその後、生み出すであろう、利益(お金だけでなく)は、とてもつもなく大きなものです。モーター・ジャーナリストの清水氏が、GT-Rに試乗した際、「他のメーカーが、もしかしたらいろんなことを言うかもしれないけど、じゃあ、つくってみろよって、言いたくなるよね」と、コメントしていたのが、とても印象的でした。あのポルシェが、GT--Rがドイツで出したタイムに、「おかしいじゃないのか?」と抗議したという話題が、ニュースになっていましたが、開発者の水野氏は、「ちゃんとしたデータですよ」とさらり。王者ポルシェが、株を下げるカタチに。GT-Rが、世界最速タイムを記録してからというもの、いろんなメーカーが、どんどんタイムにチャレンジして、現在GT-Rのタイムは、世界第8位。でも、そのいずれもが、価格度外視のスペシャルな仕様のクルマです。量販市販車としては、やはりGT-Rが世界最速です。(水野氏は、GT-RのスペシャルモデルのスペックVでは、タイム計測するつもりはないと言ってます特別仕様のクルマで出したタイムには、意味がないからやらないと)でも、どのメーカーのどのクルマが世界一速いかということは、本当の意味では重要ではありません。多くの人の技術と、チャレンジスピリットを刺激し、不可能を可能にする体験を、多くの人が共有し、そして、なににも変えがたい体験と誇りを提供したこと。そして、今後の大きな技術進歩も実現したこと。これが、すごいことなんですよね。世界的な経済不況が叫ばれる中、でも、このチャレンジが無駄になることは決してありません。かならず、このスピリットと、クオリティは、大きく花開く時がくるでしょう。なにより、素敵だなと感じたのが、雑誌の取材に応じた関係者たちのコメントで、「絶対に無理って思ってた」と言いながら、みなとてもいい笑顔をしていたという記事でした。長いことクルマには乗っていませんが、ニッサンGT-Rのオーナーになりたいなと思いはじめたマスターでした。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、心よりお待ちしております。いってらっしゃいませ。
February 20, 2009
コメント(0)
全595件 (595件中 1-50件目)