■□■いぬ・かめ・花もある家□■□

【けが いじめ】



あたしは 中学2年の時に、自転車通学の帰り道途中
近所に住む高校生が乗ったオートバイと正面衝突
という交通事故にあった

部活動で遅くなった夕方 
もう家まで 数分という場所で、相手が右側通行を
して来たそう

・・・来たそう というのは、
北野たけしと同じで 事故の記憶が全くない

頭を強く打ったらしい
もう そろそろ28年経つが、未だに思い出さない
いつか ぽっ と思い出すのかな・・・

それは置いといて・・・
右足のすねの骨を レントゲン写真で見たら
太い骨と細い骨が ぼっきり折れて
入院生活は約1ヶ月

同時ごろに あたしは知らないが
両親の知り合いのおじさんも 足を折って入院したそう
「同じ骨折」なのに その人は治りが早く とても元気
(その人は交通事故じゃなく 足だけのけが、頭などは打ってないらしぃ)

あたしは 他にも痛いか所があり
付きかけた骨を また 豚の顔をしたすっごいヤブ医者に
骨折部分に 皮膚の上から指をぐいぐい 入れられ
ものすごい痛みとともに 骨をはがされれてしまった

そんな苦痛があるのに 母親は
例のけがをしたおじさんと比べて、
「お前は いくじない。いつまであまえてるか」
こんな言葉・・・

何の知恵も知識もない親たちは 付きかけた骨をはがされても
転院を考えるなど 全く思いもつかず、まかせっきり
救急車が すぐに駆け込める いつもすいている悪評の
病院だったのに・・・・

まつば杖を借りて退院する時は 1か月使わなかった足はよれよれ


家が九月に火事: あたしが10月にけが
11月に退院したのかな たぶん

火事の後のぼろぼろの仮住まいで 不自由な暮らしだったが
あまり その記憶は濃くない

曲がらなくなったひざと足首を 
リハビリで曲がるようにしなくてはならない

3学期 まつば杖2本でバス通学を始めた
そして学校が終わると 加害者の父親に…近所のおじさんだが
車で毎日 病院のリハビリに送り迎えされた

その治療の痛いこと・・・・
地球の裏まで聞こえるかという叫び声を 毎日毎日あげた

熱い液体にへと赤外線を当てたり 紫外線をあてたりして
そのあとは 固まって曲がらない関節を無理無理に曲げられる

ぎゃあああぁぁぁあああぁぁぁ~~~~

できない正座を無理やりにさせられ、
大人の男の手で 上からぐぐぅーっと肩を押さえ付ける
その人は 目の見えない人だった
その治療法しか その病院にはなかったのだろう

家に帰っても 夜には 母親に同じ事をされた

生きたままの地獄

日々 それを繰り返すうち
また 付いて来た骨がはがされた

でも そのまま普段の生活は 石膏のギブスをつけたままで
自然に 骨が形成されるのに任せ、今更手術はしなかった

中学3年になるところだし 手術をすれば学校をまた長く休む事に
なるからと 大人たちが考えたのだろう
右足の骨は 少し曲がったままで固まっているが
何年もしたら普通に走れて 生活には不自由はない

でも 毎日毎日の地獄の痛みから 当時のあたしはとうとう逃げた

3か月ほど耐えて来たのに 足はほとんど治っていない
(つまり 激痛の治療が全く終わらない 関節がやわらかくならない)

3学期の終業式の日だったと思う
まつば杖は 1本になっていたかもしれない
下校すると ばあちゃんはあたしに気付かなかった

あたしは私服に着替え 杖を置いて
ひと気のない農道を選び バス停に向かって歩き出した
バスに乗って 隣りの町に行ってみたが
切羽詰った状況・・・ 杖なしでも歩けた

あたしの住む場所は 何もない田舎のリゾート地(?)
この隣りの町に みな買い物に来るので、少しだけ
地理・配置の感じはわかっていた

夕方はいいものの まだ3月の夜は 1年中で最も寒い
電話ボックスに入り 熱い缶コーヒーを握り締めたり
入学前は その町の幼稚園に通ったので 
そこに行き 庭の温室に忍び込んで耐えた

耐えられる寒さではなかったけど・・・

翌日 簡単にみつかって連れ戻された

大人たちが話し合ったのか知らないが、春休みの間は
地獄の病院には連れて行かれず 
3年に上がってからだったかなぁ・・・
別の個人の接骨院に 通わされた

そして 新学期から あたしはイジメに会った 

事故に合うまでは運動部に入り 元気に自転車通学をしていたが
まつば杖通学は もちろん自転車は無理
バス通学をしていた

バスになると、近所の 同級生の女の子2人と一緒になった
1人は 運動が苦手なおとなしい人

もう1人は 活発だが 幼い時に農機具の事故で 
右手を途中から失った人
この人は あたしの事故…加害者の妹だ

この人が 同じバス停でバスを待つあたしを
「シカト」した  無視した

もう1人の人も同じ行動をした
この人はおとなしく その2人は隣り同士で、
あたしよりは親密度は深かった…
同じ行動をしないわけにいかなかっただろぅと 思う

3人とも 学校では教室は違い、その2人の関係も
思春期になって来ると おとなしい方の人は
学校では 活発な人たちとの付き合いが薄かった

あたしは バスの登下校の間だけだったと思うが
この加害者の妹から 無視され続けた

いじめられる子供って 誰にもなかなか打ち明けないと言うけど
あたしも そうだった

すごく不満だったが 何も言わなかった
言えなかったのかなぁ・・・・

その人は 小さい時から気が強くて ずばずば言えて
頭も良くて ませたタイプ
小学校時代は 女子同士の口げんかというと
この人は いつも関わっていた

あたしは 勉強が苦手で 運動も苦手なドンくさい子供
もう1人の人との中間みたい感じかな(ごめんやけど)

その片手しか持たない「妹」にとっては そのくらいのけがで
家出なんかをしたあたしに 腹が立ったのだろうなぁ

あたしの 日々の痛みと苦しみを知らないのに

自分の苦しみと比べていたのかもしれない

あたしにとっては すっごい迷惑な考えだけど・・・

関係ないもん あんたの苦しみなんか

比べないでくれない? 大人ぶった子とはいえ、子供だったし 無理か・・・


あたしを恨んでいたんだろうなぁ


しばらくしたら 加害者の父親が新しい接骨院を探して来て、通い始めた

そこでは 無理無理に曲げさせる事は1度もなかった
タイガーバームに似た塗り薬を べったべたに塗られ
長時間にわたる 飽きるくらいの長いマッサーヂをしてくれた

気持ちよかったぁ~~

先生は数人いて 若い男の人もいて、優しく接してくれ
塗り薬が 後になって患部をすっごーく熱くして来て
それも辛かったが 前のリハビリを思えば
そんな熱さは なんともなかった

いつの間にか ひざも足首も すらすらと曲がるようになっていた

『最初から こっちにしといてくれよぉっ!!』



今日 1番に言いたかったのは あたしをいじめた
加害者の妹の事

お兄さん本人には おかしいかもしれないけど
いっこも恨みを持っていない
これは あたしの感情の中にある事だ

あぁ、あの病院も最低だった

でも、指摘しておきたいのは・・・目の悪い療法士だから そしてブタ顔の医者だから
付きかけた骨をはがされた と言いたいわけじゃない



この事は 結婚してから、とーちゃんに打ち明けただけで
他の誰にも言った事がなかったが
30年近くも もんもんと ぐつぐつと捨て切れない
怨みにまみれた感情

1度だけ とうとう 父親に電話で打ち明けた
母親は 感情的になりそうだから

といっても 相手に腹を立てるのでなく
その兄妹の母親と うちの母親 仲がいいので
今さら そんな事を言うな! などと必ず言うだろうから・・・

父親を信頼しているとか 好きだとか、そんな事ではないが
関係者に しゃべりたかった

父親は やっぱり少し困っていたよう
「妹」の事も知っているし・・
長い時間が経っているし 本人の家人に言うのは気が進まないよう 

しゃべって少しは気が楽になったか
などと言ったかな・・・

でも まだ あたしには足りない

                  平成15年



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