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マスコミでは言えないこと。
産まれてから今まで。
■登場人物
マモル=父 当時26才
シゲコ=母 当時21才
ユキ =姉 当時 1才
アツシ=本人 作中に誕生
1970年12月1日の午前3時、大阪府は豊中市の一角のとあるアパートに、マモルが帰宅した時、何故かその右手は血だらけだった。
マモルは酩酊状態で、臨月のシゲコは、したたり落ちる血の滴の理由を尋ねた。
マモル曰く・・・「人が歩いている道に車を止めやがって・・・」
シゲコには、それだけで十分だった。とにかくこれ以上この人話をしても、らちがあかないことを悟ったシゲコは、とにかくマモルの右手に包帯を巻くとそのまま寝かしつけた。
アパートの玄関へと続く、血のしたたりはあまり見栄えの良いものでもなく、出産予定日を一週間後に控えた身重の体を抱えるように、雑巾を持ちとにかく「血痕」をふき取ろうと部屋の外へでた。
点々と続く血のあとをおいかけると、それはアパートの裏の駐車場へと続いていたのだ。
そこで、シゲコは愕然としたのだ。
血だらけの右手の訳。
それはちゃんと駐車場に止めってある車のフロントガラスを、酩酊のすえ徘徊して駐車場に迷い込んだマモルが、殴って割っていたのだった。
驚いている暇はない
なぜなら血のあとが点々とアパートの部屋までしっかり続いているのだ。
「スグニハンコウガバレテシマウ」
。
シゲコは突き出た腹を抱えながら犯行の痕跡を消していった。
臨月の身には辛い作業ではあったがどうにか、部屋の入り口まで拭き終わりやれやれと一息ついたその時であった。
「・・・・・ジンツウガハジマッタ・・・・・」
そう、その日の夜中ぐらいから軽い陣痛が始まっており、その為に午前3時という時間にも関わらずマモルの帰りをまっていたのだ。
お腹の中の子はシゲコにとって二人目の子供のため、陣痛の種類は解っていた。
それは産まれる陣痛だったのだ。
とにかく病院に行かなければ、そう思ったシゲコはマモルをおこそうした。
・・・包帯が滲み出るゆがんだ日の丸のような赤い模様を気にもとめず、豪快ないびきをかいて眠る酔っぱらいがそこにいた。
一瞬気が遠くなりそうになりながらも、マモルを起こそうと試みた。
しかし、気持ち良く眠る酔っぱらいほど、起きない生き物はいない。
しかし、お腹の中のまだ見ぬ我が子はもうここからだしてと叫んでいる。
「お父さん産まれるの!」
振り絞るように叫んだこの一言が、マモルの父性にジャストミートした。
「なにっ!」
・・・起きた迄はよかった。
が、しかし、全然状況は理解していない。
「先に行くから、ユキをお願い!」
ユキとは、その前年の5月に産まれている長女だ。
まだまだ幼い愛する娘を酔っぱらいに任せるのは若干の不安はあったが選択肢はそれしかなかった。
犯行の痕跡を消し、波のようにうち寄せる痛みを我慢しているうちに外はすっかり朝になり、初冬の薄寒さのなか通勤の人波もピークを一旦越えたようだった。
臨月に入ってからいつ入院してもいいようにと、用意してあった鞄を持ち病院へ向かった。
気持ちは走っているのだが、実際には歩いているのに毛が生えた程度のものであろう。
幸いなことに病院は徒歩でも5・6分のところにあった。臨月の身体でも10分見ておけばたどりつく距離だ。
しかし、そこに無情の鐘が鳴り響いた。
「カーン・カーン・カーン」
踏切の警告音である。
病院までは確かに10分もあれば十分に着く距離なのだが、踏切を渡らなければならなかったのである。
しかも、私鉄と国鉄をまたぐ踏切の為、一旦閉まるとなかなか開かない「開かずの踏切」であったのだ。
シゲコは一瞬躊躇した。
「・・・・・モウマニアワナイ・・・・・」
その瞬間、後ろから怒鳴り声がした。
「くぐれっ!」
マモルであった。ユキを抱えたマモルが後ろから来ていたのだ。
その声に背中を押される様に踏切をくぐり線路の上を、
「・・・マダデナイデ」
とシゲコは祈りながら走った。
踏切を渡ってすぐの所に病院はあった。
すっかり降りきった病院側の遮断機をくぐり、病院のドアを開けると待合室には診察待ちの患者と妊婦と看マモル婦がいた。
シゲコは看マモル婦を見つけると、すがりつき
「産まれます・・・」
とだけ伝えた。
その様子に尋常でないことを悟った看マモル婦はマタニティドレスの裾を持ち上げ中を覗いた。
「先生、頭が出てますっ!」
そのまま分娩室に直行した。
待合室からストレッチャー(患者を搬送する台)にのせられ、状況を確認するためにドレスの裾はまくり上げられ、下半身は全てさらけだされた状態であった。
「・・・ハズカシイ」
そんな気持ちもあったが、とにかく産まれそうな感覚だけはどんどん強くなっていくのであった。
分娩室にはいると少しほっとしたのであろう、シゲコはついイキんでしまった。
「どれどれ」
産科の先生がゴムの手袋の左手をはめながら分娩室に入ってきた。
が、もう彼の仕事の半分が終わっていたのだ。
もう産まれていたのだ。
産湯のお湯も乾き始めた頃、ユキを抱えたマモルがやってきた。
あわてて駆け込んできたマモルを見つけた看マモル婦に
「男の子ですよ」
と声をかけられたが、こんなに早く産まれるわけがないと思いこんだマモルは自分の子供とは思わなかったのだ。
待合室の片隅で、アルコールも抜けはじめて痛みだした右手でたばこに火をつけた頃、顔見知りの看マモル婦が通りかかった。
そして
「お父さん。もう赤ちゃんにあった?」
と声をかけられた。
この瞬間、ようやく我が子が誕生している事実に気が付いたのだ。
待望の男の子。
しかし、後年マモルはこう呟いて後悔をしている。
「姉弟のなかで産声を聞いてないのは男のおまえだけなんだよな。」
そして、同じく後年シゲコはこう語った。
「あのとき踏切をくぐってなかったら、あんたは線路の上で産まれてたわね。」
・・・これが、私の誕生の瞬間だ。
しかし人間というのは非常に不合理で不条理で、理不尽な選択と決断をするものだ。
なぜなら、こんな思いをして産んだ子供を残して14年後、シゲコは蒸発するからだ。
そしてシゲコの蒸発から3年後、マモルが癌に冒される。
運がよいことに手術をした結果、「可能な限りのガン細胞」を切除することが出来た。
但し、
「可能な限り」
だった。
余命、3ヶ月が10ヶ月になったのだから「勝ち」といえるかもしれない。
運命というのはいたずらなモノだ。
マモルが他界する3ヶ月前にシゲコが見つかる。
それも原チャリで10分ぐらいの川向こうの街に住んでいたのだ。
近所の米屋の下川さんから、
「鹿浜あたりでシゲコさんによく似た人を見た。」
と聞いた。
しかし、当の下川さんはモチロン、私達姉弟でさえそんな近所に住んでいるわけがないと思っていた。
ところが、「蒸発」後も届いていたシゲコ宛の投票用紙がその年の都議会議員選挙の際、届かなかったのだ。
蒸発している身のシゲコは居所がばれるのを怖れてか、住民票は移動していなかったため、毎回選挙の度に投票用紙が届いていた。
シゲコも前年、生死の境を彷徨う大病を患っており、その病院の費用負担を軽くするためには「保険証」を作る必要があり、その為に住民票を移動したのだった。
住民票の異動先を訪ねる大役を仰せつかったのは私だ。
偏見かも知れないが身元の不確かな女性が働く以上、夜の商売も考慮に入れておかなければいけない。
そこで午前8時ちょっと前、シゲコの住むかも知れないアパートの前に私はいた。
夜の商売なら寝ている時間で、昼の商売なら出かける前であろうという推測からだ。
「ピンポーン」
数回ならしたところで扉があいた。
「はい?」
と、少しまだ眠たげな中年の女性がそこいた。
私は輪郭から確かめるように見つめてみた。
輪郭から髪型、そして中年女性と目が合った瞬間、私は目の前にいる中年女性が母、シゲコかもしれないと思った。
蒸発から4年の月日がたったとはいえ母である。
多少老けていても、その顔を忘れるわけがない。
しかし、私は
「かもしれない」
としか思えなかった。
その理由はまさに親子だからだった。
それは彼女が息子である私を「認識していない顔」をしているからだ。
その私の想像は次の瞬間に現実のモノとなった。
「どなた?」
人間というのは残酷で間抜けな生き物だ。
先ほどまでの想像が現実となった瞬間、その「どなた?」の声に紛れもない母、シゲコの声だと確信したのだった。
そして母から「どなた」と問いかけられた少年は、一瞬の躊躇の後
「アナタノムスコデス。」
人の表情と顔色というのはここまで変わるのかというのを初めて見た瞬間だった。
シゲコの顔がこわばり、狼狽しているのが文字で書いてあるかのように読みとれるのだ。
少年は重ねて繰り返した。
「アナタノムスコデス。アツシデス。」
その声に、シゲコはようやく意識を取り戻したように、ゆっくりと
「あつし・・・なの?」
そして少年は間抜けにも
「ハイ、アナタノムスコデス。」
シゲコは確信し、何かの覚悟を決めたかのようでちょっと待ってて扉を閉めて部屋の中に戻っていた。
5分ほど待たされ部屋に通され、六畳間の居間でシゲコと私は向き合った。
まじまじとシゲコは私の顔を眺め、一分ほどした頃だろうか
「あつしよねぇ。」
とタメイキとも吐息とも言えぬ感じで呟いた。
そしてこの瞬間から、私にとっては見たことのある母親の表情になったのだ。
それからマモルとシゲコは正式に離婚した。
離婚後もマモルが亡くなるまでの数十日間、マモルは理由をつけてはシゲコに会い、シゲコもそれを拒まなかった。
それは、別れを惜しんでからの行動か、それとも別れるための逢瀬だったのかは分からない。
いずれ三途の川の向こう側で父と再会したときには、是非聞きたいと思っていることの一つだ。
これらは私が生まれ落ちた瞬間と、17才から18才までの間におきた本当の出来事だ。
宿縁というモノがあるのならば、その「業」というものを感じずにはいられない出来事がある。
私が最初に結婚してもと思った女性も蒸発してしまったからだ。
今、ともに人生を歩んでいる女性とは別の女性の話だ。
そして私はそんな今でも蒸発してしまった愛した女性のことを今でも愛している。
勿論、私達姉弟を捨てた母、シゲコも愛しているし、彼女の誕生日や、母の日には贈り物を欠かさない。
人は間抜けな生き物だと思う。
それは、私自身の誕生の瞬間のドタバタ劇に始まり、歩いてきた道のりを振り返り、それでもまだ人を愛している自分を基準にしての
話しだ。
それにしても線路の上で生まれ落ちていたらと考えると、楽しくて仕方がないという楽しみを与えてくれたのだから、これはもう両親に感謝する以外には・・・ない。
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