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2018.01.20
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カテゴリ: 観照 [再録]
​​​​​​​​​​​​​

歴史探訪やウォーキングの折に、ふと道路を眺めて、マンホールのふた、特に汚水ふたが市町村・地域によって、様々な顔を見せていることに気づきました。「文は人なり」という表現がありますが、「汚水ふた」もまたその土地柄を巧みに表現しているようです。
探訪の折に撮りためたものを材料に、マンホールのふたが語りかけるものを眺めてみたいと思います。今までにまとめていたものを再録することから始めます。        (再録理由は付記にて)

まずは、わが地元の宇治市からです。
道路をウォッチングしていくと、どうも冒頭に掲げた意匠の汚水ふたが減ってきているような気がします。しかし、私はこの「ふた」こそ宇治市のイメージが湧きやすいものに思っています。

このふたには、「宇治市」という文字が刻まれています。
宇治と聞けば多くの人が「平等院」と「宇治橋」をまず思い浮かべられることでしょう。ふた中央の橋はその 「宇治橋」 です。それも橋の中央近くにある 「三の間」 をクローズアップして図案化されています。

現在の宇治橋の「三の間」はこんな風景の中で、眺めることができます。


宇治橋東詰からの眺め

上流側に設けられた「三の間」の張り出し



宇治川右岸の先に見える手前の山が仏徳山です。張り出しの下部には桧材での桁隠しがつけられています。

三の間から宇治川上流の風景(2013年7月撮影)


宇治橋西詰からの眺め 。ここに 「夢浮橋之古蹟 源氏物語宇治十帖」の石標があります。

ふたの図案化された宇治橋の上に、昭和56年3月1日に制定された 「市の木」としての「イロハモミジ」 が描かれています。数百年の樹齢を保つというイロハモミジです (資料1) 「宇治上神社」の表門から境内に入った右側にもあり、『離宮いろは』 と名づけられています。

                これは宇治上神社境内に建てられた 駒札 です。

「行雲流水」という言葉がありますが、イロハモミジのあたりに描かれた流動的な線は、橋の上、紅葉の先にあるとみると、流れゆく雲というところでしょうか。


市内の道路をウォッチングしていて、一番多く目にするのが、この汚水ふたです。
円形のふたの中央にあるのは宇治市の市章 です。昭和26年1月22日に制定されたもので、 「宇治の『宇』を図案化したもの」 と説明されています (資料1)
多くの小さな円形に図案化されたものが市章の周囲を埋め尽くすデザインです。ちょっと調べた範囲では汚水ふたの意匠説明をみつけることはできませんでした。

一つの小さな円形を観察すると、3枚の葉で円形状にまとめた図案です 「市の宝木」として「茶の木」 を昭和56年(1981)3月1日に制定していますので、 茶の葉を図案化したものかなと推測します。
よく見ると、ちょっとしたバリエーションの図形が含まれています。探してみてください。


この汚水ふたも見つけました。私のみた範囲では現状では比較的数が少ないものです。宇治市の地域によっても多い、少ないがあるのかもしれません。
これも中央に市章が刻されていますが、全体は抽象化されたデザインになっていて、市の顔が見えてきません。無機質化したようで想像力が働かず、面白みは減少です。もちろん、これは好みの問題ということなのですが・・・・。


序でに、側溝の蓋には、 市の木・イロハモミジ がデザインされています。 「市の木」という文字を陽刻したふたも見かけます。

最後に宇治橋について、少し補足です。
現在の宇治橋は、1996(平成8)年3月に架け替えられたもので、長さは155.4m、幅25mで、上掲写真のようにこの改築においても擬宝珠を冠した木製高欄という伝統的な様式を継承しています。
宇治橋の歴史を遡ると、孝徳天皇の時代・大化2年(646)年に橋が架けられたのが始まりで、奈良・元興寺の道昭和尚がこの橋を架けたと、江戸時代に出版された観光ガイドブックに相当する『都名所図会』では、紹介されています。 (資料4) 『続日本紀』の記述を踏まえているようです。

「宇治川断碑」 と称される碑が1791年(寛政3年)の春に発見され、そのオリジナルは現在宇治橋に近い橋寺放生院の境内にお堂が作られてその中に保存されています。
『帝王編年記』(14世紀後半成立)に碑の全文が収録されていたために、石碑主部3分の1の発見から、欠損部の補刻復元が行われ、、1793年(寛政5年)に完成したといいます。

このお堂は普段は公開されていません。左側に見えるお堂がそれです。2013年11月に宇治断碑の公開が行われた時に拝見しました。

このレプリカは、手軽に「宇治市歴史資料館」で見ることができます。
(これを撮った時は掲示がなかったのです。かなり後に改めて撮ろうと訪れたおりは、たしかレプリカも撮影禁止の掲示が出ていたと記憶します。)

銘文全文の中に、「大化二年 丙午之歳 搆立此橋」という語句が記されていることから、この橋の建設年次がわかるのです。この碑文には僧道登が架橋したと記されているのです。
「碑文を載せる『帝王編年記』では大化2年に道登と道昭が造った」 (資料2) と記しているそうです。今となっては確定のしようがないというところでしょう。

さて、この大化二年に橋が架けられたときに、「三の間」には、橋の守り神として、「橋姫」が鎮座していたとされます。 (資料2)
「三の間」とは、橋の西詰から三つ目の柱間に設けられたことに由来するそうです 。また、上掲画像のように、三の間が張り出しの形式になったのは、江戸時代に入ってからと考察されているようです。 (資料5)

それが宇治橋西詰に移されて橋姫神社として祀られていたのです。

万延元年(1860)に出版された 『宇治川両岸一覧』の中に、橋姫祠と宇治橋が挿絵になっています 。引用しご紹介します。 (資料6)
それが、1870(明治3)年に洪水で流されました。そして、現在の宇治橋から県神社に行く途中の北側に橋姫神社が移っています。

現在のこの「橋姫神社」は拙ブログで既にご紹介しています。

この三の間は、「 三間水 さのまのみず) 」と呼ばれ 「山城の名水なり」として有名でした 。秀吉が伏見城に居た時は、この三の間の水を汲ませて茶湯に使ったといいます。上掲書には、「瀨田の橋下、竜宮より湧き出づる水、この所へ流れ来るなりと。また一説には竹生島弁財天の社壇の下より流れ出づるといふ」とおもしろい説明を加えています。
後半の記述からは、東大寺二月堂の若狭井のお水取りと福井・小浜市神宮寺のお水送りを連想してしまいます。

一説には「三の間の一番古い記録は、永禄8年(1565年)に松永秀久が千利休らを招いた茶会で、三の間から汲み上げた水を使ったというものです」 (資料5)

現在、 毎年10月上旬に行われる「宇治茶まつり」 の時に、 この宇治橋「三の間」で「名水くみ上げの羲」という行事が行われています (資料7)


              橋寺前の観光案内の柱部分に表示されている宇治橋

この絵から真っ先に連想するのが、 長谷川等伯筆「柳橋水車図屏風」 です。
香雪美術館が所蔵されています。こちらからご覧ください。

また、 長谷川等伯の次男・宗宅が、柳橋水車図屏風(六曲一隻)を描いていて 、宗宅の代表作品でもあるようです。​ こちらからご覧ください(「群馬県立近代美術館」) ​。

ふた一枚から波紋が広がります。
ご一読ありがとうございます。

参照資料
1) ​ 市章・市の宝木・市の木・市の花・市の鳥 ​  :「宇治市」
2) ​ 宇治橋(宇治市) ​  :ウィキペディア
3)​ (129)橋姫伝説(宇治市) ​ ふるさと昔語り  :「京都新聞」
4) 『都名所図会 下』 竹村俊則校注  角川文庫 p123
5) 宇治橋 詳細ガイド :「源氏ろまん 宇治」 ← 2018.1.20時点でアクセス不可
6) ​ 宇治川両岸一覧. 乾,坤 / 暁晴翁 著 ; 松川半山 画
   坤の冊子、13コマ目  :「古典籍データベース」(早稲田大学図書館)
7) ​ 名水汲み上げの儀 ​ 宇治茶まつり :「ちきりや」

【 付記 】 
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。

補遺
宇治橋断碑 ​  :ウィキペディア
宇治市歴史資料館 ​  :「宇治市」
お水送り ​  :「ええやん!若狭の國」(若狭おばま観光協会)
イロハモミジ ​ :ウィキペディア
イロハモミジ ​ :「木のぬくもり・森のぬくもり」
宇治橋 ​ 若一光司氏  京阪沿線の名橋を渡る  :「KEIHAN」

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。) ​​​​​​​​​​​

こちらもご覧いただけるとうれしいです。
探訪 [再録] 源氏物語・宇治十帖ゆかりの地 -1 橋姫、椎本の古蹟
  5回シリーズでまとめた第1回に「橋姫神社」を載せています。
スポット探訪 [再録] 宇治 橋寺放生院 ​ 
  宇治橋断碑の所在地。宇治橋断碑のことについても少しまとめています。
スポット探訪 [再録] 宇治 世界文化遺産・宇治上神社細見
  2回でご紹介している第1回に「離宮いろはの紅葉」に触れています。
  第2回の方で、「宇治橋」についても触れています。

 マンホールのふた見聞考  ウォッチング掲載記事一覧






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Last updated  2018.09.13 18:55:11
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