泡雪の日記

泡雪の日記

2004年01月09日
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私は、究極の気分やだと自分を評価している。
気が向かないと、催促されてもしない。
しかし、連絡事項で、即行動の必要な時は、直ぐに対処する。
書類の処理は纏めてする。
先方が要望しても、意味の無い物には、放って置く。
究極の怠け者でもある。

この性質は父親譲りと思っている。
実は、心臓が弱い。
気分が良い時は、心臓が活発になるが、普段は、自分で心音が余り感じられない。

苦手な物は、マラソン。
運動会の予行演習で、気分の良い日だったので、マラソンで、一等になったことが有る。
気分良く走ると、風になる感覚を覚えている。
たいていの場合。200Mでリタイア。もしくは、失速する。

父親は、家に居る時は、いつもゴロゴロしていた。
ロッキングチェアに居るか、ソファに横になっていた。

私は、家族旅行を他の国に居たりして、参加してない物がある。

兄弟からの情報だが、父が70歳位の時。
タイの旅行中、ホテルのプ~ルで、父が、10M位の飛び込みをしたらしい。
きっと気分が良かったのだろう。

4歳まで父の心臓音を聞き、おっぱいしゃぶっていた為か
私の性質は父にそっくりだと、継母は言う。

ママが亡くなる前に、実家が床上浸水になり、初めて、ママと二人で寝た。

『あんたは、寝方まで、パパそっくりね!』と言われた。

この究極の気分やの性質は私の行動様式を支配している。

一旦きる

生みの親の記憶は薄い既に、乳癌で入院をしていたからだ。
ばあやのたら乳ねと筋肉の父の胸が懐かしい。

4歳の時来た、継母が私にとって、唯一の母親像だ。
スパルタの母だった。
教育の全権はママが持っていた。
父は見守るだけで、口を挟むことは余り無かった。
二人の時に、子供について、話し合い、ママが現実には、接する事になる。

私が、初めて、抵抗を示したのは、小学校6年の時だった。
ママの振り下ろす手を逆手でパシっと受け止め、壁に、ママの両手を万歳の形で、押さえつけた。

そして、訴えた事は、
「まず、何が過ちか納得させてから、打ってくれ。」
「納得すれば、罰はいくらでも受ける。」

両親が伝えたい事は今ならわかるが、子供には難しい事もある。

見守っていた、父親の出番だ。

風呂場の半畳ほどの脱衣所に私を連れて行き、大きくなった私を、赤ん坊のように抱っこした。

そして、ある諺を訓えてくれた。
『リトルボトル・イ~ジ~ホット』

日本語に訳すと、『小さな瓶は熱しやすく、冷めやすい。』
そして、『親が教えることは、それなりに意味がある。判らなくても、一旦は受け止める事。』

一旦切ります。
我が家では、親の権力が絶対的だった。
信念を持って、子供の教育をしていた。
一人一人の性質で、与える物も違っていた。

父親が無職の時でも、一品必ずおかずが多くついた。

4歳まで、人間の教育を受けていなかったわたしは、若い母親のお陰で人間に教育された。

直ぐ上の姉は、スパルタを受けた事が無い。
かわいらしく、女らしかったからだ。

次兄と私は、激しく打てれた。
私と次兄は良く一緒に遊んだ。
銭湯もも一緒に行った。
男の子より、女の子が苦手だった。
家にも風呂が有ったが、広い鏡遊びが好きだった。
次兄の友達と一緒に鏡の前に立ち、お腹を波のようにうねらせる遊びとか、私には出来なかった。

五つ上の次兄が大好きで、悪巧みも一緒にする。
そんな訳で、次兄の自慢は、靴べらが折れるほど打たれたこと。
私の自慢は箒の竹が折れるほど、叩かれた事。
どちらの方が痛いか、自慢しあった。

折れるのは、相手に対して、振りぬいていない事を意味してる。感情で打っていたら、人間が骨折してる。
中々芸が居る。体罰の上級偏だ。

そして、打たれた私たちの心に傷は残っていない。
他人とは喧嘩しない。
他人とはそこまで剥きになるほど親しくない。

思うにしなる靴べらの方が痛いと思われる。

この体罰について、母から習った事は、人を打つときに必ず平手を使う事。
手の甲を使うのは、憎しみ、もしくは、相手への拒絶を意味する事。そして、打つ手も痛いこと。

いつも、例え嫌われても良い覚悟をしていたと言う。
大切な何かを体当たりで、教えられた。

そして、忘れなかったのは、飴の用意。
何かを学んだ時、直ぐに口に美味しい物をくれた。

人間は、本能のまま生きれば、動物に近い物かもしれない
、そこに先人の知恵が加わって、人間に成っていく。

一旦切ります。
歯医者の音、と医者がの注射が嫌いだった。
大声で泣いて抵抗する。
力尽きて、治療を受ける。
結構ママは根気がある。

ママの変わっていた所は・・・。
次姉はメソメソ何時間でも泣き続ける、結構なかれるとシンドイ。
私の場合は、大声なので、一時間くらいで、力が尽きる。

その泣き声が綺麗だと、小学校一年から、声楽を習わされた。ママは実に変わった感性の持ち主だった。

小学校3年の時、医者に行って、どうせ、泣いても注射されるので、最初から我慢した。
すると、帰りに餡蜜を食べさせてくれた。
嬉しかった。
ちょっとの我慢で、こんないいことがあることを教えてくれた。

高校生くらいから、時々、父親の世界にも顔を出す事になるが、パ~ティで父親を見つけ、次姉とパパに手を振ると、
父は120%の素敵な笑顔を返した。

次の瞬間、わが娘と気がついたのか、しまった!と顔に出ていた。苦虫を潰したような顔に戻った。

父親は私たちに、学校でも、社会に出たら、兄弟親子の甘えを出すなと教育されていた。

そんな訳で、高学年になるまで、姉さんと呼んだことが無かった。苗字付の名前で呼び合っていた。

公私を分けるより、公一辺倒の方が楽だったからである。

末っ子のわたしは、タン付けで呼ばれることが長かった。
エイタン。もしくは、エイコ坊だった。
坊を付けるのは、悪口だと勘違いしていた。

父に話を戻そう。
昔の父親は威厳が有って、家族の中で役割がはっきりしていた。父親は、直接的なかかわりを子供を持たない。

そして、男の子はライバルになる。
父親の背中を見て育つ。

兄弟の中でも父親を密な関係が有ったのは私だけだとおもう。長女は花のように愛されていた。
それが、本人の自信になっていたと思う。

それ故、子供に対しての扱い方がわからない場合が多かった。

スパルタのママは孫には、綿飴のように甘かった。
孫達を、ゲ~ムセンタ~に連れて行き、3万ほど遊ばせていたらしい。

私たちが、その甘さが信じられないと言うと、『孫には責任無いからね。』と笑っている。

親が禁止している事を、おばあちゃんは、息抜きで、させていた。

父親はと言うと、孫が顔を見て泣いた。
父は、それが悲しかったようだ。

ママの自信は父の絶対的な信頼と愛情の上に成り立っている。
ママとの対立で、パパに相談すると、
『パパはママの味方に決まってるでしょ??!!』
と言われると、もうどうでも良くなった。


シエ~クスピアの悲劇は有名だ。
聖書に次ぐ、古典だと思う。

聖書が愛がテ~マなら。
シェ~クスピアは人間の愚かさがテ~マだと思う。

そして、私には、その愚かさが可笑しく感じる。

有名なロミオとジュリエッタ。
家同士の対立が悲しみを産むと一般では考えられているようだが、小学生の時この本を読んで、馬鹿か?
と感じた。

まず、剣を遊びに振り回す馬鹿さ。
  殺した相手が、恋人の兄でなければ問題はないのか?

高校生の頃映画が公開され、何年か後テレビで見た。
感想だ。
親に隠れて夜這い、恋と言うには幼すぎる発情した物同士の行為。避妊はしてるのだろうか?
社会的責任を考えない幼さが、常軌を逸している。

殺人後の反省がなく、単に二人で生き延びる事に、考えが終始している。

教会の坊主。
自分の謀に酔って、万一の事故に対しての打ち合わせ不足。
事前に、ジュリエッタに打ち合わせをしていない。
ホウレンソウ 報告・連絡・相談の欠如。

どっちが先に死んだか忘れたが、打ち合わせ不足の感がぬぐえない。

それと、簡単に命を捨てる、二人とも生命に対する尊厳が無い。二人とも自己中心的な子供そのもの。

恋だとか、愛を言う前に、一人の人間として、育ってないもの同志の恋愛は成就しない。と言う教えかな?

リア王
耳掃除してもらうほどの間柄になるのに、国王として、后に選ぶ相手も見極められない、愚かさ。
人を見る目の無い人間が、国を治められない。
早死にするのも仕方ない。
幽霊になってまで、心残りするな!

題名は忘れたが、4人の娘。
上の姉は父親に可愛い事を言い。
結局親に孝行しなかった。
末娘は、親に対して、孝行するのは義務だと答え、遠ざけられる。

末娘よ。
『義務』だと思うなら、もっと可愛らしく、親に伝わるように表現したまえ。

どんなに、心に良い事を思っていても、相手に伝わらなければ、何にも意味を持たない。

相手に判りやすく伝える事。
これは、親子でも、他人でも大切な事。

不幸には不幸の方程式が有るような気がする。
私は、人間の愚かさを可愛らしいと思うと同時に、そこから学ぶ物は何か、視点を変えてみると、誰もが犯しがちな過ちが見えてくることに、喜劇を感じる。

予期できない過ちが、人間の本当の笑いを呼ぶのだと思う。狙った笑いは、何処かいやらしい。

人間が生きたうえで、真剣になればなるほど、誤りが起きる。何もしない人間は、過ちすら起こさない。

この人間の、何処か抜けた所から、本当の笑いが生まれるのでは無いかと思う。

子供の頃陥った苦しみは、今私を笑いに導いてくれている。そして、今苦しみに居る人を愛しい気持ちにさせる。

どんな苦しみも過ぎてしまえば、笑いに変わる。
何もないより、何か有る方が幸せなのだ。
若人よ。大いに悩め!
悩んで死んだ人は居ない。
悩む事を辞めた人が死ぬ。
生きて居れば、
その向こうに明るい未来が必ずある。

『夜明け前が一番暗い。』

そして、死ぬまで出来事は続く。
渦中に有ると出口は見えない。
大人になることは、暗い向こうに必ず明るい未来が有ると信じられる自分に成れる事だと私は思う。





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最終更新日  2004年01月09日 22時52分38秒
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