Running&Climbing

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洞爺湖マラソン2006

洞爺湖マラソン2006


2006年5月21日(日)



『過去をリセットした男のフルマラソン』


去年までの大会結果をリセットし、心機一転エントリーしたのがこの洞爺湖マラソン2006。お申し出のあった3名を我が愛車に乗せてさし上げ、道央自動車道経由で会場に向かいます。
早朝の樽前サービスエリアで樽前山をパチリ。うっすら残った雪がなんだか(海の王者シャチ)を彷彿とさせますね。

樽前山


会場に到着したのは予定通り午前7時30分。号砲の2時間とちょっと前でした。
去年は主会場に陣取る仲間の場所を借りて荷を解きましたが、今年は会場西側駐車場と湖畔間の芝生にシートを広げます。ここはコース脇なので2度通過する際に自分の荷物に目をやれるのと、生意気ですが自分がゴールした後に後続ランナーの応援も出来そうだと思ったから。
ナンバーカードを受け取り自席に戻りながら気候を判断します。快晴・無風・気温約15度でいくぶんヒンヤリするぐらい。絶好のコンディションと評して良いでしょう。

中島羊蹄山


ガス欠が最大かつ最重要課題の私はエネルギー補給に勤しみます。道中カステラ小1個。到着後すぐに1個。女房手作りのおにぎり大1個。バナナ1本。アミノバイタルプロ1袋。もち小2個。そしてスタート30分前にとどめのカステラ1個。この間疲労防止用のメダリスト500mlをチビリチビリと。更には太腿の痙攣防止用に家から持参した食塩ふたつまみを流し込みます。これは私なりに決めているフルマラソン前のおまじない。胃痛を起こしづらいのが特長の私はフルマラソンの場合これぐらい摂取しても平気です。というよりもこれぐらいじゃないと30km以降ガス欠で撃沈するのが明白なのです。

ようやく軽いストレッチとジョグ開始。まもなく尿意を覚えます。ジョグを兼ねて小用。2日間休肝日にしてカーボローディングと称したドカ喰いの結果が腹回りに醜い姿となって現れています。走るたびにゆさゆさと腹が揺れています。緊張によるものなのかまもなく尿意その2。大と異なり小用は待ち時間ゼロ。
自席に戻り内股と脇の下にワセリンをたっぷりと塗り込みます。これを怠った大会では、いや遵守した大会ですら股ずれに苦しむのが私の常なので、目尻から出血した試合終盤のボクサーのようにこってり塗り込みます。そしてスカイセンサーJAPANの紐もいつも通りキツめに縛り直します。そんなことをしていた号砲10分前になんと尿意その3。ここ4日間毎日1リットルのメダリストを飲み続けたことで身体中が水浸しだからなのでしょう。

この洞爺湖マラソンは洞爺湖が1周42.195kmに満たないためスタート後1度時計回りにコースを逆戻りし、約2km先でUターンして再度スタート地点に戻ったところが5km。そこから洞爺湖1周の長い旅が始まります。

今回が初フルマラソンのT氏にエールを送り、同じ陸連登録者であるO氏とスタート位置へ。いるわいるわ、ランナーが大勢。陸連未登録者の後方から分け入るようにしてスタート位置にようやく到着したのは号砲5分前。ふと振り向くと約10m後方に(3時間未満)と書かれたプラカードが。その後ろには腕(足?)に覚えのある陸連未登録者が鼻息も荒く号砲を今や遅しと待ち構えています。スタートしてしばらくの走路は幅が4~5mしかないので、鈍足陸連登録者の私は彼等の邪魔にならないよう今年も注意しないといけません。

「スタート2分前」のコール。直後に「失礼しました。3分前です」 会場から失笑が洩れます。前日117で時刻合わせをした愛用のソーラー時計カシオPHYSのメモリー数はリセットした過去を象徴するかのように満タンの60。1km毎に距離表示のあるこの大会では全ての表示位置+中間点とゴールの合計44ヶ所でラップを記録できるだけの余裕がありますが、私は今回5km毎のラップを計測するだけと決めています。今日の目標は5km/分ペースを堅持しての3時間30分切り。公私共にいろいろと悩み多き今年は去年と異なり自己ベスト更新などという野望はこれっぽっちも抱いていないのだから。

O氏とがっちり握手。ゴール後にお逢いしましょう。

号砲一発。花火がドドーン。過去をリセットした男のフルマラソンスタート。



『訪れないランニングハイ』


スタート直後はお決まりの麦踏み状態。いわゆる足踏み状態です。進もうったって進むもんじゃありません。陸連登録者最後方からスタートしただけのことはあります。両側からすごい数の応援がかかります。そして後ろから追い抜いていく陸連未登録高速ランナーの数もおびただしいことこの上なし。脚を引っ掛けて転んだり転ばせたりしないよう注意しながら石畳の路面を走ります。
ここで気が付いたこととは、

(また尿意が・・・)

スタート前30分で3度済ませたにもかかわらず、です。しかしこの大会は風光明媚なことでは北海道随一の洞爺湖畔を1周するコース。観光客用のトイレ付駐車場がいくつもあるのを知っている安心感があります。決して寄りたくはないけれど。
Ogamanさんの姿を見つけ不躾ながら肩をポンと叩きます。これまたおびただしい数の沿道の観客から声援をもらい1kmの表示を見逃し、2km地点は9分40秒ぐらいだったと記憶しています。スタート時のロスタイムが約20秒あったことを考えると順調な出だしでしょう。後方から手を上げてタフガイ江別市民さんが颯爽と追い抜いていきます。おおよそ4分30秒/kmペースで走っている様子でその背中をあっという間に見失います。駐車場には我が愛車の姿が。(必ずここへ戻ってくるから待っててくれよ)と心の中で念じます。
そして自分に言い聞かせるのはただひとつ、

(このコースは前半細かい起伏が連続し、そのダメージが30km以降ボディーブローの如く効いてくる。だからくれぐれも突っ込むな)

まもなく前方から誘導者が近づいてきます。「道を開けて下さ~い」と叫びながら。2名の先頭グループの片割れは大会連覇中らしきあの有名なストーカーランナーH。その直後に快速ランナーユウトパパさんの姿が。大きく片手を振ると気が付いてくれた様子。良かった。しばらく知り合いの顔を見つけられずにいると来ました。我らが中年の星GOさんです。両手を振ると反応してくれます。良かった。そこから数秒後にこの大会で念願のサブスリーを目指す元同僚の長身Hさんの姿が。集中を削いでは迷惑と判断し、悲願成就を祈念しつつそのまま見送ります。
むこう向きに立てられている看板をふり返ると(41km)と書かれています。3時間強ののちに私はどんな状態でここを走り抜けるのでしょう。

小山をグルッと1周しUターン。今度は後続者の長い長い列が目に入ります。去年はここで目に付いた知り合い全てに声をかけましたが、あまりの長い帯に人酔いしそうだったため封印。まっすぐに前だけを見て走ります。唯一の例外はOgamanさん。あの目立つウェアはイヤでも目に飛び込んでくるんだもんなぁ(笑) 片手を振ってエールを送ります。その後はまっすぐに前を凝視。

ここで新しい事実を発見しました。去年も疲労困憊した我々を苦しめてくれたラスト2km付近の歩道が工事中で砂利道になっているのです。どうしてもその石に脚を取られ走りづらく3時間強後の苦闘が容易に想像できます。ルール違反なのでしょうが交通規制されている車道を短区間走ってしまいました。

国道から湖畔道へ左折するところは相変わらず急な下り坂。今は良いとして太腿前面の踏ん張りが利かなくなっている41km過ぎに通るときは前のめりに転倒しないよう注意しなくては。陣取った場所の前を通過。凍らせて家から持参した500mlのペットボトル入りメダリストは私がゴールする頃に程良く融けて飲み頃になっていることでしょう。これもまた楽しみ。


5km地点通過:24分12秒(4分50秒/km)


最初のエイドステーションで紙コップを2つ手にするとその片方には砕かれた氷が浮かべられています。私の脳裏に2005北海道マラソン34km地点の記憶が瞬時にして甦りました。33km地点過ぎで両太腿に痙攣の兆候が出始め、ついに立ち止まって屈伸数回。気力に身体が伴わない感覚を痛感しつつなんとか走り出した私の目に飛び込んできた物とは大きなたらいになみなみと張られた氷入りの水でした。ザブザブと太腿に冷水をかけて痙攣を抑え、大き目の氷をひとつ手にして走り出した私。時に太腿にあてて痙攣を防止し、時に頭と顔と首筋を冷やし、時には口にさえ含んで喉の渇きを抑えたものです。ありがたかった氷。あのひとかけらの氷がなかったら私は35km関門で九分九厘封鎖されていたことでしょう。そんな氷を無駄にしてはいけないと判断し、私は目の前にある氷を右手でつかみ口へポイ。残った水は首筋へと有効活用させてもらいました。意外と大きかった氷2つで口の中は満杯になり、呼吸を少ししづらくなりはしましたが。

お風呂の遊園地(サンパレス)前を通過。6年生になった次男の修学旅行の宿泊地はここを予定しているはず。去年はプールの匂いがぷんと漂ってきたものですが、今年は風向きの影響によるものかそれはなし。延々と続く我々の帯で温泉とプール遊びを堪能したらしき家族連れが車を出すに出せず困っている風情。
時計回りに規制された対向車線の観光バスから好奇の眼差しが多数注がれています。「ようやるわ」と言わんばかりに。尿意は相変わらず。これはどこかでトイレタイムを入れざるを得ないでしょう。
去年は初参加らしくこの辺りからランニングハイ状態になり走っている行為そのものが楽しくてならなかったものですが今年は×。5分/kmを少し下回る程度のペースですから呼吸はともかく、この先にある細かな起伏と30km以降遥か彼方に望めるゴール地点の温泉街がなかなか近づかないストレスに思いを馳せてしまいどうにもペースが上がってきません。というよりも怖くて上げられないのです。


10km地点通過:48分04秒。5kmのラップ:23分52秒(4分46秒/km)


3時間ほど前に車で通ってきた昭和新山~伊達方面へ抜ける交差点。去年はこの辺りで股ズレに苦しみ、少しでもその痛みを緩和すべく半ケツになるのを警戒しつつランパンを下げて走った記憶があります。しかし今年は全く大丈夫。たっぷりと塗って出走したワセリン効果はやはり絶大ですね。
走路左側には私設エイドステーションがあります。『応援歴10年』と書かれたプラカードの横には高齢のおばあちゃんの姿が。(ありがとう、おばあちゃんありがとう。俺達頑張って洞爺湖を一周し、来年もここまで戻ってくるからおばあちゃんも達者でね。)
古い旅館が見えてくるとその手前に給水ポイントがあります。たっぷりと用意された水とスポーツドリンクを一滴も無駄にせぬよう大切に喉と首筋へ流します。氷も頬張ります。
その先にはこのコース随一と言って良い上り坂が待ち受けています。まずは助走のような軽い上り。更にその先に我々を苦しめる約200mの上りが刃を向けていました。腕の振りと細かく脚を進める走法でどうにかこの難関をクリア。しかしこのダメージは今年も後半ボディーブローのように堪えてくることでしょう。
どうにか2度に分けて上りきった分の標高を一気に戻すかのように急な下り坂。さっき私の後方へ消え去ったランナー大勢がここぞとばかりにこの下りを利してペースアップしていますが私は自重。この下りで太腿前面の筋力を酷使するのは後半の痙攣の元に他ならないから。


15km地点通過:1時間11分55秒。5kmのラップ:23分51秒(4分46秒/km)


依然としてランニングハイは訪れてくれません。この程度のペースでも下肢、特に太腿がキツくてならないのです。ここで私がしきりに目をやったのが洞爺湖の湖面と青い空、そしてスタート地点のホテル街です。後半はそれらの姿が近づくのを心の拠りどころにして走るわけですが、今の私には逆に遠ざかることだけが励みになるのです。充分過ぎるほど用意された給水ポイントとスポンジ。特に後者は1個or2個ありがたく拝受し、水分を顔と頭にかけ首筋から肩を拭い体温の上昇を抑え、それをランパンのゴム部分に挟んで走路へのポイ捨てを自重します。これは走路に対する私なりの流儀です。
湖面から一瞬離れつつ左折すると20kmポイントが見えてきます。


20km地点通過:1時間35分42秒。5kmのラップ:23分47秒(4分45秒/km)


そのわずか先にはエイドステーションが用意されています。去年はワセリンを内股に塗り忘れたことが凶と出て股ズレの痛みに苦しみながらここを通過したものですが今日は全く平気。ワセリン効果も大したものです。最初に水をもらって喉と首筋へ。まだ空腹感に襲われてはいないもののバナナに目が留まったので1本受け取ろうとした瞬間、前を行くランナーが急に私の前に割り込んできたために衝突を避けるべくバナナを回避。このナンバーをしっかりと目に焼き付けます。
走路両サイドの応援数が急に増えます。右手の山中にある療養施設の人達のよう。そうでした。去年も引率者に導かれたこの人達の声援が温かかったのでした。手を振りそれに応えます。その声援に元気付けられたか有名ランニングクラブの女性を2人捉えます。ナンバーカードに書かれた名前にはハッキリと見覚えがありました。(そうか。この人がよく名前を見るあの人なのか)


ハーフ地点通過:1時間40分59秒。


ここを過ぎた辺りから我々の行く手を遮る敵が出没します。それはアゲインストの風。かなり強烈。ここで無駄に体力を使いたくはありませんが自然現象だけにどうしようもないのです。そしてガケ崩れ防止工事か片側交互通行になっていて反対車線には車が長蛇の列。北海道で最高の季節5月。それも有数の観光スポット洞爺湖を訪れた人達にすると延々続くランナーの列は迷惑なことでしょう。心の中で手を合わせつつ疾走?します。そして仕事そっちのけで我々に声援を送ってくれる警備員にも感謝。
少し年配らしき男性ランナーとその後ろをピッタリと付ける女性ランナーが元気です。おそらくペアなのでしょう。淡々と、しかし力強いその走りを模してしばらくペースメーカーとさせてもらいます。尿意はもうどこへやら。


25km地点通過:1時間59分36秒。5kmのラップ:23分54秒(4分47秒/km)


前を行くナンバーカード3ケタのランナーが突如左の草むらへ。追い抜きざまに嘔吐する音が聞こえてきました。誰しも胸突き八丁を迎えているのです。苦しいのは私も同様。しかし自分に負けちゃいられません。紙コップとスポンジのポイ捨てにも注意しスピードを緩めてでもダンボールに入れるよう努めます。ところによっては走路横のガードレール下がすぐに湖面というところもあり、国立公園に指定された洞爺湖を汚すことはなんとしても避けたかったのです。
財田(たからだ)オートキャンプ場 付近通過時におどろくべき光景を目にします。フルで3時間と一桁の走力を充分に有するSさんがジョギング状態に陥っているのです。偶然陣取った自席のすぐ後方にSさんも陣取っており、その時に見た両足がテーピングだらけだったことを思い出します。これほどの実力者でも故障には勝てないのですね。
細かい起伏が続きます。車道ではなく歩道ギリギリを走っている人の姿が。足を滑らせると大変だろうに。歩き始める人もチラホラ。そのうちの一人は私が追い付き追い抜こうとすると突如ダッシュ。追い付こうとするとまたダッシュの愚挙を繰り返します。3~4度こんなことがあった後にこの人は後方へと消えていきました。気持ちを理解できないわけじゃないけれど。25km手前で私を抜き去った年配男性とまだ若い女性ランナーの姿は100m前方へ。快調なピッチを私は追走できません。

洞爺町市街地(旧洞爺村役場)が近づき左折します。ほんのわずかなショートカットをする人が大勢。私はこれが許せずにきちんと走路を進みます。ここでWOO~~~~~と正午を知らせる轟音が鳴り響きます。去年はもう少し前方でこの音を聞いたのでやはり今年は去年よりもタイムが悪いよう。細い路地を進み右折するところにsibaさんの姿が。こちらから声をかけます。左折するとその先にチェックポイントが。


30km地点通過:2時間23分39秒。5kmのラップ:24分03秒(4分48秒/km)



『苦しい苦しい30km過ぎ』


エイドステーションです。ここから先のエイドステーションがとにかく泣かせるのです。
「頑張って下さい」「ガンバです」「水がありますよ」「「前にあるのはスポーツドリンクです」「バナナもありますよ」「あと12kmですよ」「頑張って下さい」口々に参加者を元気付けるエールを送ってくれます。
私は去年唯一この大会で悔いの残ったこと(彼等彼女等に対するお礼)を大声で返します。
手に持ち切れないほどのコップとスポンジを受け取り、感激で胸が詰まりそうになるのを堪えて「ありがと~」「どうもありがと~」。良かった。ここまで頑張ってきて良かった。この先も俺は走り続けるぞ。

感激に浸りながら走っていると一際大きな声援が右から飛びます。妙齢のオバチャン達です。私が右手を大きく振ると反応があります。しかし私が走り去った後に、なおいっそう大きな声援と笑いが聞こえます。「サンキューベロマッチョ!」と昔の千昌夫よろしくオヤジギャグを飛ばすオジサンがいるんだもんなぁ(笑) ところがこの人がまた速い。同世代のオバチャンに元気付けられたかスイスイと私を追い抜き走り去っていくのです。降参。

右手からなんとも芳しい香りが流れてきます。焼肉をしている族がいるのです。「あ~、ビール美味い」などと言いつつ。でも恨んじゃいけません。何故なら彼等の生活圏内を我々は走らせてもらっているのですから。

精魂尽き果てて歩いている我がライバルに熱き檄を送り、その姿を自分への力と変えます。(この人ですら歩いてしまうフルマラソンはやはり過酷なんだ)と。
ペースアップはできないまでもペース維持を心掛けるとどんどん前走者を捉えていきます。過酷ながらもフル後半の醍醐味がここに。痙攣の兆候は幸い皆無です。


35km地点通過:2時間47分45秒。5kmのラップ:24分06秒(4分49秒/km)


私が朝or夜ランするときのお約束は7km。その7kmがこれから刃を向けてくるのです。気晴らしに朝ランをしているかのように頭を切り替えようとします。この辺りからは(○km)の看板に加えて(残り○km)の看板も出没します。36kmの看板を目にして「残り6kmだ」と思うとそのわずか先に立てられている(残り6km)の看板は少なからず衝撃を覚えたものです。
大きな入江の左右カーブと小さなそれを何度曲がったことでしょう。右カーブの先に現れるゴール地点の温泉街がなかなか近づいてくれないストレスに耐えつつ足を進めると、ペアらしき男性と女性のうち女性の姿を前方に確認します。やはり一杯一杯らしくペースがガクンと落ちている様子。まもなくその姿は後方へ。先程捉えた有名ランニングクラブの女性に追い抜き返されます。私のこの大きな背中を見失わぬよう追走していたのでしょうか。残念ながらその背中が徐々に遠ざかります。

そして右カーブの彼方から聞こえてきました。あの絶叫が。エイドステーションです。「頑張って下さい」「あと少しですよ」「水がありますよ」「スポンジもどうぞ」「ガンバです」
私はここでも大声でお礼を返します。「ありがとー」「どうもありがとー」と。この疲れ切った肉体に鳥肌が立ち胸が熱くなり英気が宿ったような気がしました。絶対に最後まで走り切るぞ!

この先の記憶はあまり残っていません。練習コースでもレースでもよく見かけるズングリした体躯のランナーを追い抜いたことぐらい。とにかく湖畔路から国道に出て早く40km地点を通過したい。ただそれだけ。苦しい苦しい苦しい苦しい。


40km地点通過:3時間13分23秒。5kmのラップ:25分38秒(5分07秒/km)


3時間前にグルッと1周した小山の左側にはロープが張られて進入禁止の措置が施されています。砂利道がこの3時間で舗装路に変貌を遂げているはずもありません。地獄でした。
その前には有名なSコーチがトボトボと歩いています。精も魂も尽き果てたのか故障か何かのアクシデントでも発生したのか。
山を登り切った下りの途中には3時間前に目にした41kmの看板が。間違いなく紛れもなく私はこの足を1度も止めることなく洞爺湖を1周したのです。
急な下り道から湖畔路へ。ここでおどろく人を捉えます。市内老舗スポーツショップのYさんです。「Yさん、どうしたんですか?」「イヤー、ダメですね」
クランクでは更に驚愕する高速ランナーの姿が。「Aさん!」 重大なトラブルが発生したとしか思えません。
42km地点の自陣には3人分の荷物が無事な主の帰還を心待ちにしつつ鎮座しています。待っててくれよ、程好く解けた頃であろうメダリスト。

遠~~くにフィニッシュ地点が見えてきました。持てる力と残った力を振り絞ってペースアップ。「お帰りなさい」「お疲れさま」「ラスト!」「頑張って」両サイドから声援が飛びます。
橋を渡る私の目に20km地点のエイドステーションで私の前を遮ったランナーの姿を確認。1秒でもタイムを縮めるのに最適の目標です。最近サボってばかりで筋力が衰えてしまっているであろう両腕を思い切り振り最後のダッシュ。ついに捕捉成功。
そして・・・・・


フィニッシュ:3時間24分00秒。2.195kmのラップ:10分37秒。


今年も洞爺湖マラソンは最高の思い出を残してくれました。

フィニッシュ地点


~5km:24分12秒。

5km~10km:48分04秒(23分52秒)

10km~15km:1時間11分55秒(23分51秒)

15km~20km:1時間35分42秒(23分47秒)

20km~25km:1時間59分36秒(23分54秒)

25km~30km:2時間23分39秒(24分03秒)

30km~35km:2時間47分45秒(24分06秒)

35km~40km:3時間13分23秒(25分38秒)

40km~フィニッシュ:3時間24分00秒(10分37秒)


~ハーフ地点:1時間40分59秒。

ハーフ地点~フィニッシュ地点:1時間43分01秒。





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