大陸が眠るまで。

2005.03.26
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私ほど幸せな人間はそういないと思っている。

シアワセ指数でいえば、偏差値で70はいっているのではないか。

五体満足で産まれ、衣食住不自由なく育ち、十分な躾と教育を受け、まだ半人前とはいえある技術を身に付けている。普通に働けば老後まで十分に食べていけるはずだ(それまではこの国も保つだろう)。人間関係もいたって良好である。
それだけではない。これまで通るべき試験にはすべて通り、得るべきものはすべて手に入れ、勝つべき勝負にはすべて勝ってきた。挫折がない訳ではないが、その挫折もないよりはあったほうがよかったと評価できるもので、とりあえず徹底的に打ちのめされるほどのショックは記憶にない(初恋のひとと自分の祖母の名前が一緒だったことに最近気づいたのがそれに近いだろうかorz)。

勝つべくして勝ち、負けるべくして負けるという非常に分かりやすい、原因に対する結果を提示されて頷かざるを得ない、要するに道理に沿った人生を与えられてきた、というのが私の自信を支える大きな柱のひとつとなっている。
しかし同時に、こうした流れに疑問を感じ続けてもいるのだ。

「ちょっと上手くいきすぎじゃないか?」
「世の中そんなに甘いもんじゃないはずだ」
「もっと 艱難辛苦を臥薪嘗胆で捲土重来 しないと本当の意味で生きるということにはならないのではなかろうか」

と、まったく贅沢な話だが、調子に乗るよりは健全だろう。
逆にこの慎重さが、絶望につながる選択を未然に防いでくれているのだともいえる。
このようなひねくれた思想の持ち主ゆえに、大抵の理不尽はまあこんなものかと我慢できる、というより嬉々として受け入れているフシさえある( マゾ言うな )。

とはいえ、このように容認と諦観の大盤振る舞いができるのも、マイナスが自分にかかる場合のみである。
『他人の不幸は蜜の味』などと誰が言いやがったのだろう。知り合いが肩を落とし、身も世もなく沈んでいる姿など、もう苦々しくて見ていられない。

まあそれはつまり、
「恵まれている私にアクシデントが起ころうとそれはバランスという観点からして当然のことだが、そうでない人にそれが起きるのは公正じゃない」
と考えているからなのだが。
自分より明らかに恵まれた人に災難が降りかかれば、ざまぁ見ろと思うだけに違いないのだ。





最近なぜか自分に目を向ける機会が多いので、ささっと書いてみた次第。
…明日には多分考えは変わってます。その程度のものです。





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最終更新日  2005.03.27 01:10:09
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