漫画家・写真家玉地俊雄 紫煙のゆらぎ

漫画家・写真家玉地俊雄 紫煙のゆらぎ

2008.04.20
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カテゴリ: 紫煙のゆらぎ





    世界まんが博で。「玉地さんあんた撮らなくて大丈夫?」と指差す手塚治虫先生。







            紫煙のゆらぎ・手塚治虫葬送 1 巨星落つ







その日は朝から巨星落つとの報が流れ続けていた。
手塚先生が亡くなられた。


1988年の夏にお会いした時。

「いゃあ 今度ばかりはだめでしてねぇ 胃を切っちゃいました
 もうプール行けないんですよ」

癌特有の急激な痩せ方は。明らかに危険信号を発していた。

僕は手塚治虫先生との約束を実行すべき時が来た、
と覚悟を決めていたが方策まで考え付く余裕は、その時まだ確定出来ていなかった。

年末11月中旬に中国で開催されたアニメーションフェスティバルに招かれ、
奥様とご一緒されたこの最後の旅はまた、壮絶な仕事との闘いでもあった。
絶筆となった「グリンゴ」の原稿を無理に無理を重ねて描き続ける。
奥様が消しゴムかけをする。

手塚プロが書きかけの原稿「グリンゴ」を中国の上海まで取りに来る。

苦しい中をキャンセルもせず、羽田へ帰ったその足で半蔵門病院へ直行。
以前手術した胃に狭窄があり食事も出来ない。

肝臓へも転移していた癌は手の施しようも無く衰弱してゆく。

しかし、漫画に対しての熱意は命と反比例して、焦燥とせっぱづまった言動になる。

奥様の

「おとうさん 仕事だけはもうやめて」との言葉に
「隣へ行って仕事をする。仕事をさせてくれ」とが最後の言葉。


1989年1月15日最後の日記より


今日はすばらしいアィディアを思いついた! 

トイレのピエタというのはどうだろう。

癌の宣告を受けた患者が、何一つやれないままに死んで行くのはばかげていると、

入院室のトイレに天井画を画き出すのだ。

周辺はびっくりしてカンバスを搬入しようとするのだが、

仲の男は、どうしても神が自分をあそこに書けといふ啓示を、

xx( 2文字判読不明 )の上に使命されたといってきかない。

彼はミケランジェロさながらに寝ころびながらフレスコ画を画き始める。

彼の作業はミケランジエロさながらにすごい迫力を産む。

傑作といふるほどの作品になる。

日本や他国のTVからも取材がくる。

彼はなぜこうしてまでピエタにこだわったのか?

これがこの作品のテーマになる。

浄化と昇天。

これがこの死にかけた人間の世界への挑戦だったのだ。


胃癌から肝臓転移の癌により、2月9日去。  享年59才。


東京から電話が掛かってくる。お葬式の準備と日どり。

1986年7月20日から8月31日までの間、おおもめにもめて、
大阪の漫画界を4部5裂させてしまった、大阪中央郵便局裏で開催された「世界まんが博」。

これは僕たちの昔からのテーマ「まんがAID」まんがの力で世界に愛を。
僕の長男は、なぜかこの時だけの旧式産婆の医療事故による、早期破水の妊娠8ヶ月での、
浪速区愛染橋病院への緊急入院による帝王切開。
底冷えのする地下の病室というより、真っ暗い洞窟のような控え室での焦燥の時間と、
愛する妻と、危険な胎児との恐れで陰鬱窮まっていた。

どうか、どちらも無事で。

ストレッチヤーが出てくる。

「母体は大丈夫だが息子さんは駄目かもしれない。顔だけ見ておいて」

とても見ることは出来ないが1秒半ほどのとても小さい子どもだった。

後日苦しむのだが、止血剤クリスマシンの恐怖と保育器の高濃度酸素による失明、
どちらも無く、彼が15才のとき回転寿司の食べ比べに敗北を喫してから
僕は急激に自信をなくしていく。

まあ、よかった。

搾乳し冷凍保存した母乳を毎日運び、
硝子越しに基督のように固定された月足らずの子どもを見るのは辛かった。




360万ほどのお金で命が買えた。
360万のお金があればアフリカに井戸が何本掘れるだろうか。
それが始まりだった。

手塚治虫先生に漫画家協会の総会レセプションでこの話をすると

「いますぐ壇上に上がって発言しなさい」

と促されたが、裏づけも何も無く発言は出来なかった。

それがやがて、吹田市役所でのアフリカ井戸掘り基金のための
展覧会・チャリティ似顔絵会、阪神淡路大震災復興チャリティへと繋がっていくのだが、
それは長く遠く大変な道のりだった。

裏切りの闇討ちに遭おうとは
手塚治虫との間で交わされた約束の向こうに予見する事は出来なかった。

「僕がやって来ると皆んなに迷惑がかかってねぇ」

と、ややよれよれの大御所杉浦幸雄先生が大阪にやってきて、
大阪毎日放送を巻き込み、くだんの博覧会が始まる事が動き出した。



社団法人日本漫画家協会会員・参与     

                                  玉地 俊雄

手塚治虫先生の話は槍ヶ岳ほど在り、講演会も何度かやっている。
22年間の思い出は語り書きつくせないが、
先生同様同時多重連載もまっいいかと考えている。
皆様には順不同で訳がわからなくなるかもしれないが、そのゆらぎこそ、
僕の本質、ぱっはらぱぁでしっちゃかめっちゃかの闇鍋「紫煙のゆらぎ」かね。
良く出てくる「畢竟」との古代文字の意味はとどのつまり。
なんだかんだの結論としてはとのようなもの。


    You tube ***** balitamaji ( 日本語版 ) *** sakamotoakane ( English )
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最終更新日  2008.09.24 18:09:06


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