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世界的不況を受けて、欧米各国では「貨幣」を介在しないやり取りが大流行りだそうだ。貨幣が介在しない…、つまり、物々交換だ。「捨てるのはもったいない、でももう使わない」というものを必要とするだれかに譲り、自分もだれかから自分の欲しいものを譲ってもらうという寸法で、よしんば何ももらえなくても損はしない、ということ。それどころか、廃棄物処理にかかる費用が節減できるし、処理したときに出るCO2も出さずに済むので、地球環境保全にも寄与するのだ。万々歳、と言いたいところだが、これでは経済の浮揚どころか、景気が悪くなる一方だ。貨幣経済の基本は、「金を使う」ことが基本だ。金が回らなければ、経済は停滞する。物を買わず、物々交換をせっせとやっているとお父さんの給料はますます減り、さらに使える金が減る。個人で見ると、「節約」は不況を乗り切る大変有効な手段のように見える。実際、細かなことでそういう努力をしている人は多い。が、全員が節約をすると、ますます不況になり、メーカーは倒産し、国は企業からの税収が減って国民に対して増税をせねばならない。すると、各世帯の可処分所得はさらに目減りし、金が使えなくなる。これが「経済の誤謬」だ。(以前にも何度か登場した言葉……)景気をよくするためには、とにかく金を使うことだ。アメリカはこれで何度も立ち直っている。「貯蓄」という概念がない国民性だから、国がバラマキをやると、必ず結果が出る。しかし! 日本はダメだ。使わない。「不安」に支配されている国民性だからだ。生命保険や損害保険のTVCMの多さを見てもわかる。いまにも「ガンになる」「交通事故を起こす」「入院する」「地震がくる」「老後が不安」という、不安をあおり立てるCMは日本人の国民性を如実に物語っている。選挙対策とも言われるバラマキ案を麻生首相が発表したが、効果のほどを疑問視する評論家の声がついて回った。「疑問視」などという中途半端なことを言うなら、「どんどん使いましょう! 使えば景気がよくなる。お父さんの会社も景気がよくなって、給料が増えます!」くらいのことを言ってくれたらいいのだ。「疑問視」ではなく、「否定」すべきだ。こんなことで景気がよくなるわけはない。日本人がいかんのは、金持ちが日本のものを買わないことだ。今朝も、銀座に「ティファニー」がオープンしたと報道されていたが、アホのにわか成金たちは、すぐに海外ブランドに飛びつき、海外旅行をし、海外に別荘を建てる。日本で儲けたのなら、日本に貢献せよ。日本人相手に金を搾り取ったのなら、その儲けを日本人に還元すべきなのだ。わがさえよければいい、というさもしい考えに満ちた者どもは、国の明日など考えもしない。そんな金持ちさえも、バラマキの恩恵にあずかるらしい。意味不明だ。いずれにしても、的なずれな政治だ。民主党の議員が麻生総理にカップヌードルの価格を質問していたが、それを見ていて悲しくなった。なんとレベルの低い話だと。「麻生首相は庶民的ではない」ということを問答によって証明したかったのだろうが、麻生首相が「庶民」ではないことは日本国民のだれもが知っている。そのイメージさえも超え、麻生首相にダメージを与えられるような質問なら納得できるが、あれではダメだ。質問のレベルが低過ぎる。政治家のレベルが低くなったのも、戦後教育の弊害だろうか。何にしても、いま、日本経済は危機的状況だ。景気が悪い。悪過ぎる。身の回りにもその波がヒタヒタと寄せてきているのを感じる。方向転換は必須。いまのままではダメだ。そんな、究極の思いに身を震わせた秋の夜である。
2008.10.31
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神奈川県の県立高校で、「服装や態度で高校受験の合否を決定した」ということが報道された。ニュース記事を引用。◆◆◆県教育委員会は28日、県立神田高校(平塚市、渕野辰雄校長、生徒347人)の05、06、08年度入試で、試験の成績が合格基準に達していた受験生計22人を、服装や態度などを理由に不合格にしていたと発表した。県教委は該当者に連絡し、希望すれば入学などの対応を検討する。 県教委によると、同高は05年度以降の入試で、願書提出や受験時などに服装や態度をチェック。「つめが長い」「ズボン引きずり」「態度悪い」などの指摘が特に多い受験生は「入学後の指導が困難」と判断して不合格にしていた。 記者会見した渕野校長は「生徒指導の負担を軽減し、まじめな子を取りたい思いだけだった」と釈明した。【毎日新聞/五味香織】10月29日朝刊◆◆◆この出来事で問題があるとしたら、「どこでチェックするか」をつまびらかにしなかったことだ。また、「公立高校」というのも足かせになっているように思う。少子化時代にあって、公立高校といえど、入学生を集めるのは校長に課せられた任務だ。高校それぞれの特色や長所を前面に打ち出して、受験生を集める必要がある。それを怠れば、必ず教職員から、教育委員会から、文部科学省から突き上げや圧力がかかる。この高校の校長にすれば、他校との併合を前に、独自の力で評判をよくしておきたかったのだろう。その行為については、私学なら何ら問題ないことだ。「品行方正」「清楚可憐」「清く正しく美しく」などといった、人間教育の基本である「人間形成」を特色とする私学は多々ある。こういう高校を受験する生徒は、面接ではもちろん、願書提出時など学校と生徒が接触するときは、いつも見られているという覚悟をして行動をしている。事実、私の通った高校もその類で、入学に際しての注意事項はもちろん、入学してからも想像を絶する厳しさで、風紀面を取り締まられた。それが強みとなり、加えて学力面でのレベルも手伝って、毎年信じられないほどの受験生を集めていた。もちろん、裏側で「寄付」や「口利き」といった不正な受験操作もあったと思う。が、それも含め、だれもが納得していたように思う。話を戻して、この高校の問題点は、チェックするタイミングを公表しなかったことと、公立高校だったということだけで、校長が指示したことについては、問題がないように思う。マスコミはこぞって“いけないこと”というトーンを含んだ報道をしていた。「点数では合格ラインに達していたのに」「願書出願時に」とことさらコメントしていたが、生徒側がいつ見られてもいいようにしておけばいいことだ。「変な服装や悪びれた態度をすることは、世の中に何らメリットをもたらさないし、自分も損をすることだ」と教える絶好のチャンスではないか。一方で「受験は点数だけで人を判断する」と非難しておきながら、もう一方で「点数では合格していたのに」と矛盾したことを言う大人は何を考えているのだろう。学校側が点数以外の判断基準を持つのがいけないというのだろうか。これも、どの人間にも等しくチャンスが与えられるべき「平等主義」とか、服装や髪型でその人間を判断しないことは「人権」だとか、外見は「個性の尊重」だとかというのだろうか。世の中そんなに甘くない。そんなことを言っていて、世の中を生きていけるというなら、日教組主導の間違った教育を受けた甘々の若者たちは、もっと地位と金を獲得して幸せになっているだろう。「見た目より中身」で通していけるほど中身があるならそれでいい。見た目を凌駕するほどの生き方ができるような大きな人間なら周囲は見た目で判断はしないだろう。取るに足りぬ人間は、きちんとするのが得策なのだ。そんなことを教えられぬ親が悪い。「高校受験」は、人生最初の岐路だと思う。ある意味で、それ以後の人生がある程度決まってしまう。そんな重要な関門をくぐるときに、服装がだらしないとか、髪の毛を染めているとか、ふしだらな態度を取るなどというのは、人生の関門をくぐるのを放棄しているようなものだ。結局、当該の校長は校長を解任され、異動することが決まったようだ。表と裏のある国だということはわかるが、これこそ「臭いものに蓋」の対応だと感じざるを得ない。理不尽さが拭えない。教育の現場は思ったより荒廃していた、校長は事あるごとに窮地に立ち、現場の焦燥感は増しているようだ。もはや、国が動かねばどうにもならない。早く教育改革を断行してほしいものだ。
2008.10.30
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ちょっと前から書いているように、いま、養生生活を送っています。消化器の疾病なので、極端に制限された食生活を強いられています。熱量と脂質の計算をしながら送ったこの2週間の節制生活で、元気なときになら気づかなかったことが、いろいろ気になりました。まずは「バナナ」。消化器に負担をかけないように、重湯から始まって、五分粥、七分粥、全粥と徐々にレベルを上げていくのですが、重湯のときはとにかく流動食のみで、ジュースや葛湯、せいぜいペースト状のものを摂るくらいでした。五分粥になったときにようやく缶のフルーツが食べられるようになるのですが、消化に時間を要するもの、酸味の強いもの、脂質の多いもの、刺激になる要素のあるフレッシュフルーツは食べられません。そんなときに重宝するのがバナナです。栄養価の面から見ても、1本の熱量をとっても、消化という面でも、価格面から見ても、バナナは手軽に摂れる滋養食なのです。が、相変わらずの品薄です。いつもスーパーの売り場にあるわけではない。こんな異常な状態は、我々のような「食」が「命」にかかわる人間には、とても受け入れ難い。離乳食にしたいというお母さん、介護食として必要という家族、病人食にと思っている看護人、そうした人々の溜息が聞こえてきそうです。「ダイエット」などという趣味なのか、遊びなのかわからないことにバナナが大量に消費されていることは、実に嘆かわしいことです。もう一つが「加工食品」。病気を患っているのだから、“調理”などという作業は極力避けたい。長く立っている(どころか、座っているのも)のがとてもつらい。で、加工食品を利用したいと思うのです。でも、買うのが怖い。何が入っているかわからないからです。「ぞうすい」とか「お粥」といった類のレトルト食品を手に取って見てみると、さすがに「中国製」は少なくなっています。もちろん、全くなくなったわけではありません。選別して「日本製」を選んでみても、具材を中国から輸入しているかもしれないし、井戸水にシアン化合物が含まれていたという報告が後にあるかもしれない。絶食や粥食によって体重が減り、体力が減退し、免疫力や自然治癒力が下がっている状態の体には、わずかな混ざり物とて恐ろしいのです。それから、「脂」。糖質の補給のため、ちょっとしたお菓子を購入しようとしたのですが、昔ながらのお菓子のような顔をしながら、原材料には「植物性油脂」「マーガリン」「バター」といった脂質の名称が前の方に列記されています。「和食を見直す」という動きがありますが、どこにでも脂を使ってしまっているいまの食生活は、本当の意味での「和食」ではありません。現代日本人は、脂なしでは物足りなくなってしまったのでしょう。アメリカが戦後60年を費やして、パン食、肉食やファストフード、ケーキやクッキーを日本に浸透させてきた成果が見事に目に見える形になったというべきでしょうか。団塊の世代、つまり、60歳前後の世代を含んでそれ以下の世代は、間違いなく洋食の記憶に脳と体が冒されているのです。お粥は、毎回米から鍋でつくりました。お米のいい香りを楽しむことができました。レトルトではできなかったこと。梅干しや味噌、豆、豆製品をたくさん食べました。脂は一切排除していますが、とりたててつらいことはありません。同時にアルコールも断っているので、そのせいか、体重は少し落ちたし、おなかまわりもすっきりしたように思います。変な食欲もわかないし、1日の摂取熱量も少ないことはあっても、超過することはありません(脂質を抜くと、自然とローカロリーになります)。ダイエットをしたい人、メニューをお教えしますから、やってみませんか?岡田さんの「レコードダイエット」に近いので、ストレスを余り意識せずに食事管理ができます。食材はすべて計量器で計り、「食品成分表」から食材の廃棄率、熱量、脂質を調べてExcelで管理していくのです。そっちに神経が集中するので、食欲は忘れます。それどころか、「もっと食べておかなければ」と思うこともしばしば。「食べてはいけない」というストレスなど全くありません。ま、私のように元々消化器が弱いとか、食に執着がないという人間だから、ということもあるでしょうけれど。19年前の節制は、入院していたときなので、食の管理は栄養士さんがやってくれていました。“味が薄い”とか“量が少ない”など、表面的なことは考えても、深く考えることなく過ごしました。今回は、何もかも自分でやりましたので、結構勉強になったと思います。お粥ダイエットで体の中からきれいになりたい人、お教えしますよぉ。
2008.10.28
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明日から、普通のご飯が食べられます。って、医者に言われて粥生活をしていたわけではないのですが。いろいろ調べたら、2週間くらいは普通の食事をしてはいけないというようなことが書かれてあったので、それに準じただけなのです。絶食4日、重湯3日、五分粥3日、全粥3日(実際は、七分粥2日、全粥1日)をクリアしました。摂取カロリーは、重湯期:400kcal、五分粥期:900kcal、全粥期:1,300kcalですが、糖質と野菜(果実)中心の食事ですから、頻繁に食べないといけません(頑張ったのですが、いずれも目標熱量に届きませんでした)。朝、10時、昼、3時、夕、夜食と、6食体制です。20年ぶりくらいに重湯や葛湯、缶詰のフルーツなどを食しました。本当に病人の気分になりました。歯の不要な食事は、「食べる喜び」を減退させます。時間があいたら横になるようにしていたのですが、そんなときに限って電話がかかったり、来客があったり。結局、1日も仕事を休むことなく、半養生生活を続けました。こんな食生活をしていると、思わぬアクシデントに見舞われます。最初は痛みがあったので、おそるおそる動いていたのですが、痛みが消えると、いつものように動いてしまいます。歩く速度や、持って歩く荷物の重さ、身のこなし方は元気なときと変わりなしといった状態でいると、ちょっとした障害物をよけるときによろめいたり、立ち上がったときにクラッと来たり、急に血糖値が下がって視界が狭まったりと、不意をつかれて症状があらわれるので、びっくりします。明日は、普通のご飯と、ホタテ貝柱とキノコ、小松菜を添えた湯豆腐、茄子の煮浸し、炒り卵、小松菜と薄揚げ煮、白和えなどをつくって食べようと思います。私としては、ぜひともお酒と食したい肴たちなのですが、ご飯のおかずにすることにして。豆乳、青汁、フルーツは必須アイテム。季節の鳴門金時は焼き芋にしました。内臓が健康に、きれいになると、肌がよくなります。髪もしっかりします。これを機に、内臓の若返りを図るぞ!お酒を抜くと夜が長い。秋だから余計夜が長い。趣味を楽しむのにうってつけです。が、……ない。何かを始めよう。何がいいかしら。学生のころよくやった編み物でも再開するか……、ビーズ、ジグソーパズル、パッチワーク、刺繍……。しっくりこないなぁ。何かいい趣味、ありませんか?
2008.10.27
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全国レベルでは報じられていないと思うが、きょう大阪では、橋下徹大阪府知事の呼びかけで、教育に関する討論会が大阪府大で開催された。記事を引用。◆◆◆大阪府の橋下徹知事は26日、一般参加者と教育問題を話し合う「府民討論会」に出席、大阪府立大(堺市)のホールで約700人を前に意見交換した。 抽選で選ばれた15人の意見を受け、橋下知事は、全国学力テストの成績低迷などについて「頑張っている先生はいるが、家庭にも問題はある」「反復学習で基礎基本を徹底するしかない」と強調。市町村別成績を開示した判断に「大阪の厳しい現状を認識してもらうのに必要」と理解を求めた。 持論を展開する橋下知事に反発し、教育関係者とみられる人からヤジが飛ぶ場面も。知事が興奮気味に「子どもたちをこんな人たちに任せられない。(日教組批判などで国土交通相を引責辞任した)中山成彬氏の発言はまさに正しい」と述べると、拍手と怒鳴り声で異様な雰囲気に包まれた。 終了後、橋下知事は「すごい良かった。府民の生の声を聞け、自分のメッセージをストレートに出せた」と述べた。(共同)◆◆◆大阪府立大学のある場所というと、泉北ニュータウンの北の端の少し北、堺市の中心部からは少し距離のある場所。参加者の目標人数は1,000人だったとか。大量のビラをまいたにもかかわらず、参加者は予想を下回ったのだとか。大阪は、全国一斉学力テストでは中学生・小学生ともに40位超という情けない状態。原因を分析・追究すると、いろんな要素が出てくるだろうが、大阪に暮らす者の感覚として言える「原因」が二つある。一つは親が全くダメだということ。いい加減なのだ。もちろん、皆とは言わない。そういう極論をしたところで、根拠を示せ、と言われれば答えようがない。あくまでも「生活者感覚」という前置きをしている。常識がないし、遵法精神がない。くだんの元文部科学相が言った「ゴネ得」を地でいく。給食費の不払いや保育費の踏み倒し率が全国一高いのではないだろうか。朝食をつくらない、夜更かしさせる、夜中でも子どもを外に連れ歩く、授業参観などはひどいそうだ。先生が「お静かに」と親を注意するほど親同士で雑談はするわ、携帯電話は鳴らすわ、参観中でもメールを打つわと、子どもに見せられたものではないのだそうだ。先生との懇談会でもタメ口でしゃべるし、自分だけのわがままを通そうとする。人の子どもを非難したり、参加していない親の悪口を平気で言ったり、先生に因縁をつけたりする。つまり、親がダメだから子どももバカなのだ。それともう一つ。大阪は生活保護世帯が激しく多い。府下のある自治体などは、生活保護がすぐ下りるからと、他の市から転入してくるそうで、その自治体はいま、財政破綻寸前になっている。他府県より審査が甘いというのは事実のようで、つまり、本当に生活保護が必要かどうか疑わしい世帯まで生活保護費を受給しているようだ。生活保護費を受給している親は、生活に対する意欲がない。向上心もない。子どもの勉強などに関心があるはずがない。こういう親に育てられた子どもが、勉強に対する意欲が持てない状況であるということは想像に難くない。もちろん、逆境を跳ね返して勉学に励んでいる子どももたくさんいるだろう。が、それは少ないはずだ。(調査はしていない。生活感覚であることを前置きしている)そんな大阪で教育に関する討論会が行われた。橋下知事は、「意味があった」というコメントを出しているが、内容を見ると、橋下知事の方針に反対する教職員が怒号とヤジを飛ばしただけの実に恥ずかしいイベントになったようだ。ヤジを飛ばした教職員は反省してもらいたい。そこは、教職員が持論を主張する場所ではないし、あなた方の意見を聞きたくて府民が集まってきたのではない。多分、教職員組合の組合員だとは思うが、そんなことをするから、教育に対する不信感がどんどん増幅していくのだ。「こんな教職員に教育を任せられますか?」と橋下知事が声を荒らげていたが、その声に上がった拍手が府民の声を如実にあらわしている。前途は多難だ。法律的には、このようなおかしな教職員を排除できないのだから、これらを野放しにしたまま、つまり、教育の現場を牛耳られながら教育改革をしなければならないのだ。アメリカの投機筋がめちゃくちゃにした世界経済の混乱ぶりや理不尽にもそれに荒らされてしまった日本経済、国内の景気低迷、身の回りで実感できる不景気の波……きょうの教育討論会で垣間見たものは、それら以上に問題は深刻だと認識でき、未来に対して閉塞感を持ってしまった出来事だった。教育は、きょう対策を打って明日結果が出る、という代物ではない。結果が出るまで、日本は、大阪は、国として、自治体としてのカタチを維持し続けられるのだろうか。そして、まともな暮らしを営んでいけるのだろうか。政治、経済、医療、年金、介護、食……そして教育……日本人の抱える大きな闇がここにもあった。
2008.10.26
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きょうは、イベント立ち会いのために梅田に出ました。久々です。ターミナルですから、通過することはよくあるのですが、ショッピングや食事に出るのは年に何度もありません。特に再開発によってどんどん表情が変わる西梅田周辺を歩くのは、1年以上ぶりです。東の端の「西梅田」駅を起点に、「ハービスENT」「ブリーゼ ブリーゼ」「ハービスOSAKA」「リッツカールトン大阪」と続きます。「ブリーゼ ブリーゼ」はオープンしたばかりのホットなスポット。「ハービスENT」から「ハービスOSAKA」までの商業施設は、25歳以上、特に30歳からアラフォーがターゲットになっているようです。もちろん女性。OLからセレブまで、それなりに消費意欲が旺盛な女性たちに狙いを定めているといったショップ構成になっています。というわけで、平日は、きれいに着飾ったおねえさまたちがわんさと押し掛けるのでしょう。その光景はそれなりに美しいものだと察します。が、が、が! きょうは汚かった。ファッションセンスのかけらもないような若い(とはいえない人も含む)女の子がだらしなく歩き、本物の「おばさん」が団体で、ぺちゃくちゃしゃべりながら通路を塞ぐ。さっそうと歩いている女性など皆無。物見遊山で遠方からやってきたという風情の連中ばかりです。東京に行くといつも思うのです。東京駅でも、恵比寿でも、新宿でも、六本木でも、赤坂でも、どこで会っても、女性はきれいです。シュッとしています。おばさんであっても、おしゃれです。わきまえがあります。東京という日本一の街を歩いているというプライドというか自信というか、はたまた配慮というようなものが感じられます。そこへいくと大阪の女性は、「楽」「楽」「楽」そして「自分流」です。「楽」が一番、というファッションに美しさは期待できない。髪型も、歩き方も、視線の配り方も、全くなってない。「自分流」というと、スタイルを持っていそうですが、違います。得手勝手というか、わがままというか、無神経というか、迷惑なほど配慮がないのです。いま、大阪で最もハイソなエリアで見た女性たちは、大阪がなぜダメなのかをはっきり教えてくれたような気がしました。「消費」「創造」「新展開」とは対局、というイメージです。端から見られたとき、自分がそうでないことを祈ると同時に、そうならないように注意しないといけないと思いました。ホテルのレストランでは、足元(靴)がきれいで、美しい歩き方をする女性にいい席を提供するそうです。外から見たとき、「あんな上品で美しい女性がいるレストランだから、きっと料理もサービスもいいはず」と思わせる効果があるのだとか。年相応の美しさを備えた女性になりたいものだと思った秋の週末でした。
2008.10.25
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昨日、採血しました。今朝、分析結果を聞きに行きました。さすがに気が早過ぎて、正式な検査報告書ではなく、FAXでした。それゆえか、項目が通常の半分以下で、結果を断定するまでに至りませんでした。今回の激痛の原因になった炎症を示す数字は、あっさり下がっていました。アミラーゼ:631(許容範囲はMAX190)→103ところが、もう一つ、「リパーゼ」という項目が重要なのです。10日前は2170(許容範囲はMAX43)でしたが、これがどこまで落ちたか…。それなりに落ちているとは思います。看過できないのは、肝臓関係の数値。さほど悪くはないのですが、これだけ食事療法を続けたのに、改善されたのがほんのわずかだったのが納得できない。「あ、これは、膵臓の影響ですよ。つながってますからね。肝臓と膵臓は」「でも、膵臓の方が改善しているのに……。栄養が足りないんでしょうか。タンパク質はほとんど摂っていませんから」「そうねぇ、それもあるわね。そろそろ普通食にしないとね。きのうは五分粥って言ってはったけど、もう七分とか、全粥にしてはる?」「きのうは五分にしました。きょうはまだ食べてないんですけれど、全粥にした方がいいでしょうか」「そうね。様子を見ながら栄養を摂ってくださいね」“様子を見ながら”っていうのが難しいんです。痛むのはいやだし、足りないとおなかがすくし。それでなくても薄味で物足りないのに、グニャグニャなものばっかり食べてて、「様子」の何たるかさえわからないのですから。今晩は七分粥にしました。炊きたてのおいしいのを食べました。カボチャの煮物と煮豆がおかずです。これではお酒のアテにもなりません。しかも、です。こんなショボイ食事でも、食べると疲れるからいやになります。まだまだ本調子ではないということです。炎症反応もまだ出ているし。こんな食事では力が出ません。肝臓も膵臓も回復しない。早くタンパク質を摂取しなければ……、というわけで、本日、大量の「豆乳」を楽天で購入しました。動物性タンパク質はまだ無理なので、植物性タンパク質で補うべく。とはいえ、大豆にも脂質が入っています。1日の摂取量が決められているので、それを見ながら、料理に使ったり、牛乳の代わりに飲み物に入れたり。今月末まではいまの調子を続けないといけないようです。こんなに長い日数お酒を抜いたのは、10年振りくらいでしょうか。でも、さほどつらくありません。というか、一度も飲みたいと思いませんでした。横で遊びに来た同居人が飲んでいても、飲みたいと思いませんでした。「じゃ、これを機にやめたら?」と医者に言われました。それもいいかな、と思います。いつもは飲まないで、だれかと食事をするときだけ、おいしく飲めたらそれでいいかなと。さて、明日は何を食べようか。きょうまでは1日の摂取カロリーが900kcalでした(実際は400kcal前後)。明日からは1300kcalに上げないといけません。でも、タンパク質も脂質もない献立で1300にするのは至難の技です。それでも、できるだけ病院食に近づけるよう努力します。明日、お昼からイベントの立ち会いがあります。朝は全粥とフルーツと豆乳でおなかをふくらませて、イベント後にたっぷり栄養をつけようと思います。もちろん外食は厳禁です。食糧を買い込んできて、家でつくります。これって、病人なんだか、看護人なんだか。きょうも早めに眠りましょう。
2008.10.24
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絶食生活4日、重湯生活3日を経て、五分粥生活2日目に入りました。五分粥と組み合わせるものに苦労します。味が薄く、消化がよく、栄養バランスのいいもの……。梅干しのたたき、細かく刻んだ昆布の佃煮、かつおのデンブ、ふりかけ……。いただきものですが、いいものを見つけました。山口県の名産品らしいのですが、「しそわかめ」です。吉田松陰先生を初め、高杉晋作や山県有朋も食べたという由緒正しい食材です。わかめ、しそ、ごまが混ざったふりかけで、味も香りもよく、ほどよい塩味と甘味、爽やかなしその香りと香ばしいいりごまの風味が絶妙のコンビネーションです。味気ない五分粥がご馳走になりました。もちろん、あったかいご飯との相性は抜群です。袋には、「ピラフ、お好み焼き、うどん、野菜サラダ等にふりかけて」と書いてあります。ご飯に混ぜておむすびにしたり、塩ラーメンにふりかけたり、魚介系のパスタにふりかけたりしてもおいしそうです。明日まで五分粥生活です。そして、明日はきょう採決した血液の検査結果を聞きに行く日。さて、どんなことになりましょうか。きょう、先生は、「もうそろそろ普通食にしないとね」とおっしゃってました。そうなればいいな。全粥生活をすっ飛ばして、普通食に戻したい!とはいえ、肉類ダメ、油脂類ダメ、アルコールダメ(少しはいいらしいけど)、濃い味ダメ、刺激物ダメ、コーヒーダメ、とダメダメ食生活ですが。それでも、顎が必要ないような、ヌルヌル、ジュルジュル、ムニャムニャの食事はそろそろ飽きました。満腹中枢が満足するような、顎にガツンとくる食べ物が食べたい!あー、12時間後に決着がつきまする。。。
2008.10.23
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間取りのせいなのか、内装部材のせいなのか、料理をしたりすると、匂いがしばらく消えません。新築だということもあり、ちょっと私の体質に合わない匂いに包まれることもしばしばあります。それが原因で気分が不安定になるというようなことがないこともないかな、と思っていました。きのうは天気がよくて気持ちよかったので、散歩がてら外に出ました。お香を買おうと思ったのです。まだまだ安静にしていないといけない時期ですから、遠出したり、長時間うろうろしたりはできませんが、商店街にお目当ての店があったので、2~3軒回って用を済ませた後、「香舗」へお香を買いに行きました。どんなお香がいいのかよくわからず、「部屋についた匂いをとって、スーッとするような香り、ありませんか?」えらく漠然とした聞き方をしました。お店の人は、「ローズ」「カーネーション」「ラベンダー」などのフローラル系をすすめてくれたのですが、ちょっと違うような気がして、3種の香りがセットになったのを購入しました。「グリーン」が“みずみずしい青葉の森の香り”で、「ブルー」が“フレッシュなオーシャンブルーの香り”で、「レッド」が“情熱をそっと内に秘めたおくゆかしい香り”だそうで。帰ってきてすぐに「ブルー」を使ってみました。……残念ながら、「オーシャンブルー」をイメージすることはありませんでした。夜はおまけでもらった「ロンド」というのを使いました。“ビクトリア王朝風の格調高い上品な香り”という解説がありましたが……。朝、「グリーン」を使いました。“みずみずしい若葉”とは違うような……。いずれにしても、いい香りです。気持ちが落ち着くし、幾つかの匂いが混ざり合った部屋全体の異臭を消すこともできました。でも、もう少し抹香臭い方がいいのかなと思ったりして。お香に詳しい方、香りの選び方を教えてください!勉強しよ。
2008.10.22
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サイゼリアのピザ生地からメラミンが検出された。サイゼリアというと、ファミレスとファストフード店の間の低価格がウリのイタリアンのチェーン店だ。2~3度食べたことがあるが、味も盛りつけも材料も大衆向けで、「食べ物」としては二度と食べたいとは思わなかったけれど、価格がウソほど安いのは魅力だった。200円台のメニューがあり、ボリュームも内容も驚くものだった。子どもがたくさんいる家庭や、お金のない学生にとっては、結構ありがたい存在だったのではないだろうか。昨今の物価高騰を受けて、サイゼリアの売り上げがグングン上がっていたらしい。元々異常に高い「ロイヤルホスト」や、ダイエーが手を引いてからけったいなことになっている「フォルクス」は、行く気にならない。フォルクスなど、肉のプレートだけ(要りもしないのにサラダバーがついているが)で、2,300円ほどする。ご飯、スープ、デザートを食べると3,000円を裕に超える。私などはビールを飲むので、二人で出かけると、寿司屋にでも行けるくらいの料金になる。そうした背景を受けて、意気軒昂だったサイゼリアにとって、今回のメラミン騒ぎは相当な痛手だろう。外食産業は多かれ少なかれ、中国製品を使っている。というか、使わない店は相当な高級店以外にはないだろう、と飲食業の知り合いが言っていた。国産を使っていては、コストが合わないのだ。「ニンニク」「ウナギ」「松茸」……、国産モノと中国産モノの価格差はいやというほど知っている。利益を得たい外食産業なら、迷わず中国産を使うだろう。日本の冷凍食品の80%が中国製品だという。家の外も中も中国製品に毒されていることは、間違いないのだ。『外食するということ=中国産の食材(中国製品)を体に入れること』と覚悟しなければならないというのが現在の日本の食事情だしかも、問題が表面化する何年も前から中国産品(製品)は大量に日本に流入していた。中国産品(製品)を食べたことがない、という日本人はごくわずかなのではないだろうか。しかし、だ。日本産の食材はすべてが安全だ、と思っている日本人もめでたいということを知らねばならない。日本人だって中国人同様、「儲けたい」という気持ちがある。そのために骨身を惜しまず農作物を育てているのだ。では、「儲け」を上げるためにはどうしたらいいのだろう。「効率的な生産」と「低い歩留まり」だ。そのためには、農薬も使えば、植物にとっての「ムリ」もさせる。もちろん、中国と日本の農薬基準は明らかに違うし、日本の方が安全でおいしい農作物ができていることは事実だ。が、農家の方々は、自分たちが家で食べる分と出荷する分は別に育てているという。そのことが意味することは何なのか。いま、日本人は、食糧に対する考え方を根本的に変えなければならない。というより、これまできちんと持ってこなかった、そればかりか、だれかから刷り込まれ、信じて疑わなかった食の「常識」や「価値基準」をここできちんと考えなければならないのではないだろうか。世界的規模の危機は、すぐそこに来ている。
2008.10.21
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何かと過激な発言をする大阪府の端下知事だが、今回もまた、穏やかならぬ発言を「朝日新聞」を相手にした。問題になったのは、同社の『社説』。例の光市母子殺害事件に関して提訴された判決を巡ってのものだ。このことを報じた記事を引用。◆◆◆橋下知事が光市母子殺害事件の弁護団に対して懲戒請求を呼びかけ、弁護士から損害賠償を求められ1審で敗訴したことを受け「弁護士資格を返上しては」などと主張していた。( J-CAST)◆◆◆端下知事がテレビのコメンテーター時代に、朝の情報ワイド番組で発したコメントが発端となった一連の訴訟事件の判決があった。端下知事は敗訴したが、「上級審の判断も仰ぎたい」ということで、控訴した。敗訴の一方を受けて、端下知事はカメラの前で深々と頭を下げて謝罪している。私は問題になった朝の番組を見ていた。端下知事の発言が、弁護士として、コメンテーターとして“言い過ぎ”という感覚は持った。大阪だけのローカル番組ならいざ知らず、全国ネットで、しかも朝の情報ワイドという場所では、いささか過激過ぎた。というふうにやり方は間違ってしまったが、端下知事の言いたいことは多くの国民の言いたいところだっただろうと思う。あの悲惨な事件の裁判が終焉を迎えそうになったとき、にわかにわけのわからない弁護団が出現し、カメラの前で言いたい放題、やりたい放題の無体を繰り広げたのだ。正義の何たるか、を考えさせられた。本村さんの気持ちを考え、胸を痛めた人も多かっただろう。こうした事実を踏まえて見てみると、今回の朝日新聞の社説は暴論以外の何物でもない。この一件は、まだ裁判中であり、最終的な結論を出すにはまだ早い。しかも、今件については、端下知事の発言が間違っているとか、人格を問うているという性質のものではない。「端下弁護士の発言によってたくさんの懲戒請求が届いたり、問い合わせが殺到したりして、業務に支障を来した。業務上に生じた損害を弁償しろ」というものだ。いやな言い方だが、金で決着をつけようとしてきたのだから、金を支払えばいい。よし、弁護団が「弁護士資格剥奪を要求する」というのなら、朝日新聞の論調に至ったしても、ある程度仕方がない。が、明確に違うのだ。「弁護士資格を返上してはどうか」「知事としての資格も問われるところ」という結論に結びつくような思考回路を有している巨大マスメディアが存在していることが恐ろしい。端下知事の発言だけを聞いていると、“大人気ない”“言い方が悪い”という言葉を発する記者たちの気持ちがわからないではないが、一連を見ると、端下知事の意見は最も至極だ。マスコミが一個人に対して発する文言ではない。訴えられた端下弁護士は私人であり、弁護士資格をうんぬんするというのは巨大な筆の圧力である。捏造、虚偽、歪曲……、過去にいろいろな問題を起こしているこの新聞社のあり方は以前から問題だと思っていた。左の顔をしていながら、大衆迎合で、常に体制側にいるのは明らかなのだ。社会正義のつもりだろうか。それなら、そのようなおごった考え方は捨ててもらって結構。国民の多くは、朝日新聞の何をも信頼も信用もしていないのだから。ましてや、社を代表する意見である「社説」で、このような暴論を発表するレベルの低い新聞社には。「日教組」に代されるその類の人々に共通する思考回路、発言、奢り、欺瞞……ガタガタになってしまったいまの日本にあって、こういう組織やマスメディアがその根源だと考えてしまうのは、私だけだろうか。
2008.10.20
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絶食生活丸4日を経て、本日朝からようやく流動食生活を開始しました。【朝】重湯…100ccりんごジュース…60cc【10時】ウィダーインマルチミネラル…80g【昼】黒糖…10g野菜ジュース…100cc【夜】重湯…100cc野菜ジュース…100ccという感じでした。総カロリー数を計算してみると、わずか250kcalほどでした。4日間の絶食で弱った体力と身体機能を元に戻すには、余りにもわびしい食事でした。が、致し方なし、です。消化器をやられると、こうなってしまうのは、胃腸のときも、肝臓のときも経験しました。だれよりも身にしみてわかっています。朝、布団を洗濯したかったので、シャワーで済ませずにバスタブにお湯をためて入浴しました。いつものように時間をかけることなく上がったのですが、息は切れ切れ、心臓はバクバク、思わず洗面台のふちに手をかけて休まねばならないほどでした。鏡に映った自分がふた回りほど細くなっているのに気づきました。体重を計ると、2kgちょっとしか落ちていません。健康なときなら、だれにも気づかれないくらいの誤差です。病気のときは、頬がこけ、肩や腕のお肉が落ちます。病人みたいな顔になっていました。しかも! です。来客があったので、ちょっと外出したときのことです。ちょっとした段差につまづき、前につんのめりになりました。いつもなら、逆の足で踏ん張って何事もなかったようにやり過ごせるのですが、軽くなり、体力が落ちた体は十分な反応ができません。思わず手をかけた石のふちが濡れていて滑り、そのままズルッ!肋骨を強打してしまいました。肋骨にひびが入ったか、軟骨に問題が起きたか…。痛い! くしゃみなど、絶対できないという状態です。泣きっ面に蜂というのはこのことです。ベルトをして安静にするしかないようですから、明日朝一で、外科に行って、ベルトをもらってきます。レントゲンは拒否しようと思います。こんなことで医療費を使うのはもったいない。国の財政が逼迫しているのに。というわけで、厄介なことが次から次へと起きる10月ですが、明日から下旬に入ります。気を抜くことなく生活しよう。わずかな隙間に魔物が入ってこないように。「やれることをやれるだけやってみよう」という気持ちに少しなりかけています。お酒も飲めず、食べたいものも食べられず、気を紛らすために、自分の未来を見詰めた新たな行動を考え、踏み出し、没頭しよう、そんなふうに考えてみるつもりです。それにしても、ダブルパンチは痛い…。。。
2008.10.19
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絶食生活に入って、きょうで丸4日。今朝方、夢を見ました。たくさんの食べ物が出てくる夢を。元来、食べ物の好き嫌いがなく、「何が食べたい?」と聞かれて答えられるのが「ハチのカレー」だけという貧困な食欲だったので、夢に食べ物が出てくるとは思ってもみませんでした。手に持って食べているのはサンドイッチ。向こうにはバナナかリンゴといった果物、チョコレート。不思議と、お酒関連の食べ物は登場しませんでした。「こんなん、食べてよかったっけ」と、不安に思いながら、サンドイッチをちびりちびりかじっていました。目が覚めて、まだ症状が消えていないことを確認し、「あぁ、きょうも絶食生活か」と落胆しました。まともな食事(「固形食」というだけ。激しい制限があります)ができるのは、来週末になりそうです。それまでは、重湯、くず湯、果汁で2~3日様子を見、その後5分粥などの半固形物に変え、異常がなければ固形物に移行、ということです。明日も絶食生活にしようと思っていたのですが、立ち上がるとフラフラするし、腸を動かす必要があるように思うので、明日から重湯を始めることにしました。何にしても、水以外のものを口に入れるのは5日振りです。塩味をきかすのは御法度らしいので、味気のない重湯になると思いますが、感激の一瞬を楽しもうと思います。ちなみに、「食べたい!」と瞬間思って、脳裏をかすめた食べ物は、意外にも最近食べたものではなく、幼少のころに好んで食べていたものばかりでした。「かりんとう」「トーハト ココナッツサブレ」「柿」「無花果」「やきそば」「醤油ラーメン」貧困な食欲…。だから、4日間の絶食が何ともなかったのかしら。厄介な病気になったものです。早く治さねば。元気なころに頼んだワインが来週届くのですから。
2008.10.18
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えらいことになりました。絶食生活丸3日です。水だけで生き長らえてます。栄養不足のせいか、こめかみが痛い。頭痛など、ほとんど経験がないので、結構つらいものです。激しい症状に見舞われたのが15日朝。午前中に何とか急ぎの仕事をこなし、あとは夕方に、と考えて休むことにしました。が、一向に症状がおさまらない。眠ることもできず、一晩中一睡もせずに寝返りを繰り返していました。翌木曜日、激痛のため満足に歩くこともできない状況ながら、近くの病院へ。「そんなに痛いなら、救急車を呼べばよかったのに」という言葉が聞こえてきそうですが、救急車で運び込まれた先が私の症状に対して万全とは言い切れないのです。何度も経験しています(自分のことではありませんが)。「レントゲン技師がいないから、明日の検査になります」で、入院です。木曜日には、やらねばならない仕事がありました。入院は何としても避けねばならない事態。ゆっくり、ゆっくり歩いて病院へ。症状を説明するも、医者は確定的な病名を言ってくれないし、「いつもの胃腸炎だと思いますが」と、症状を理解してくれない様子。「いつもの痛みと違います。これだけの症状で、大した病気ではない、というのは考えにくい」と言うと、「じゃ、エコー検査をしましょうか?」医者がエコーの予約状況を聞いてくれました。「きょうは、予約でいっぱいです」「急病なので、どこかに押し込んでください」というわけで、すぐにエコー検査をしてもらいました。病巣ははっきりしました。けれど、私の意識には全くない部分でした。血液を採り、点滴をし、痛み止めの注射をし、持病の胃薬をもらって帰ってきました。病巣について調べてみると……、おそろしい文言が並んでいます。「死亡率」「重症化率」「重症の場合の死亡率」…。金曜日(きょう)も打ち合わせが入っています。それが終わるまで、死ぬわけにはいきません。メールチェックや雑用を済ませ、そそくさと休みました。が、激痛は一向におさまらない。どうも、この病気の激痛は一般的な傷み止めではどうにもならないらしいのです。きょうはお昼前から打ち合わせに出かけました。どうにか2時間に及んだ打ち合わせをこなし、帰途に。よく2時間も座ってられたと思いました。戻る途中、病院前で車から下ろしてもらい病院に行きました。「あの…」と、自分から病名を医者に言ってみました。昨日の血液検査の結果が出ていて、医者の方でも分析していたようでした。「十中八九そうですね。ただ、この病気にはいろんな段階があって、いまの数字(血液検査)では、重症ではないし、ほかの臓器に影響を与えている(合併症がある)とは考えにくい。お薬を飲んでもらって、1週間様子を見ましょう。それで改善しない、あるいは、悪くなっていた場合は入院が必要になります」ガァ~ンです。入院はいやです。「3日間、水しか飲んでないんですが……」「そう、それがよかったのかもしれません。食べ物や飲み物によっては症状を悪化させることになりますから」「いまはまだ大丈夫ですけど、栄養失調になりませんか?」「薄い重湯から初めてください。無理をしないように」「重湯」すら「無理」なんて…。というわけで、養生しながら仕事をし、水を飲む日々です。この週末は、水だけで過ごす予定です。1週間後、最悪の事態を招かないために。これを機に体の中の毒素が全部外に出ることを願うしかありません。願わくは、心の毒素も。
2008.10.17
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最近、大人による常軌を逸したストーカー的行為が目立つ。特に、男性教職員が女子生徒に対して行うメールやつきまとい、肉体関係を迫るという違法行為が多いようだ。[Excite NEWS]◆◆◆教え子の女子生徒に「恋しい」などと不適切なメールを送ったとして、兵庫県教育委員会が同県三木市の市立中学校の男性教員(56)を減給10分の1(6カ月)の懲戒処分にしていたことが14日分かった。教員は校長や教頭を補佐する主幹だったが、既に依願退職した。教員は、生徒に返却する前のテストの点数を伝えたり「かわいくていとしくて恋しい」「(男子生徒に)話し掛けるのもめっちゃやける」などと書いたりした◆◆◆56歳というと、孫がいてもおかしくない年齢だ。そんな男が13歳だら、14歳だらの女の子に興味を持ってしまう、それは何ゆえだろう。この教師は、多分、妻も子もいるに違いない。その存在と女子生徒とを違う次元に置いてしまうのかもしれない。そんなことができるのは、「自分勝手」だからだ。「女子生徒がかわいい、愛しい」と思うこと自体に罪の意識を感じないといけないし、教師という立場を考えると、そういう意識が芽生え始めたときにその思いを封じ込める作業をするべきだ。なのに、何らかの行動に出てしまうのは、「病気」というしかない。ズバリ、「前頭前野の未発達」という病気だ。正確に言うと病気ではないが、通常の病気の症状より厄介な症状が出現する身体的障害と言えるのではないだろうか。こういう男は、自分の娘や息子の彼女、親友の妻にでも手を出すことができる。もちろん、自分の間違った「愛情」が燃え上がったら、のことだが。この手の話は、いつの時代にもある。不倫やかけおち、略奪、陵辱、手込め、夜ばい……、人間の欲情は、通常では抑えられない。抑えるためには条件が必要だ。一つは教育。子どものころ(12歳まで。前頭前野の発達は12歳で終わる)に、繰り返し、繰り返し、やってはいけないことを恐怖を持って親から、世間から、また教師から叩き込まれる。一つは失敗と挫折。失敗すること、挫折することで、世の中の厳しさを知り、他人との関係性を、人生の無情を、そして、自分の非力さ、願望をかなえることの難しさを自覚する。これを経験したことがない、あるいは、回避しながら生きてきたエリートや頭脳だけに頼ってきた片輪(放送禁止用語)人間は前頭前野が未発達。さらにもう一つは、自分が「生きている」ことの命題を考えたことがあるかないか。「自分はなぜこの世に生まれてきたのだろう」「人は人のために生きるべき」「世の中に貢献したい」「生かされていることの奇跡と幸福」といったことを15歳くらいまでに真剣に考えたことがある、あるいは、生命の危機に瀕した経験を通して、その後の生き方を明確に決めた、そんな経験を一切持たない人間はダメだ。そうした、人間が当然経るべき経験や体験をしている人間は、こうした己の欲望だけを満たすだけの行動は起こさない。56歳にもなってそんなことが平気でできる人間がいるということは、その後に生まれた人間の多くはおかしくて当然ということだろう。しかも、政治家も、教師も、官僚も、公務員も、その多くが前頭前野未発達の条件を満たしている。全くもって末期的状況にある、日本は。マスコミによって常にその異常さを指摘してもらい、できるだけ異常性を封じ込めると同時に、おかしな人間が死んでいくまでに健全な人間を育成しなければならない。ああ、教育の失敗は、国を滅ぼす…。日本をまともな国にするには、後何年かかるのだろう…。
2008.10.14
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三浦元社長(この言い方、おかしいと思うのだが、どのテレビ局もこぞってこう言う。三浦さんのマスコミチェックが怖いのだろうけれど)がロサンジェルスで自殺した。27年も前に起きた事件で、裁判としても5年前に無罪が確定している。ロス市警は、無罪とした日本に落胆したようだ。担当刑事の執念で、今年2月、アメリカ自治領のサイパンで逮捕に踏み切った。一事不再理を訴え、身柄の解放とロス移送を拒否を要求したが、7ヵ月以上サイパンに拘束された挙げ句のロス移送後、わずか16時間の出来事だった。なぜ自殺せねばならなかったのだろう。やはり、一美さんを殺したのだろうか。それとも、何か違った主張があったのだろうか。遺書や遺言はなかったらしい。それにしても三浦氏らしくない。私は、サイパンで拘束されてからずっと、日本やアメリカのマスコミ報道を虎視眈々とチェックし、釈放後の訴訟に備えているものだと思っていた。事実、それで1億円以上の金を手にしている人物である。今回は、よほど自信がなかったのか。それとも、ロス市警がすごい証拠をつかんでいたのか。いずれにしても、三浦氏らしくない最期だった。もっと悪あがきをしてほしかった。最期の最期まで、あの口でいろんなことを言って、世間の顰蹙を買ってほしかった。もしかしたら、すんでのところで助けられるのを望んでいたのかもしれないとも思う。自分の足を撃った(あるいは撃たせた)ときのように。緒方拳さんが言ったことがある。「三浦さんの口は、嘘つきの口です。ボクと同じ口の形をしています」緒方さんは、役者として見事な最期を遂げたようだ。三浦氏は……、かっこいい最期を演出しようとして、わずかな計算の狂いで、“あっけない”と思われてしまったのではないか。役者体質の彼としては、本望ではないだろう。では、どんな展開が理想だったのだろう。彼が死んでしまったいまとなっては、空虚な話だ。いまだ遺族が心を痛めている、「ロス疑惑」を究明することも語ることもできなくなってしまったのだから。
2008.10.12
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ズブの大阪人でありながら、私は巨人ファンです。理由は単純なもの。父親が巨人ファンだったということと、「王者が好き」ということ。スポーツの世界では、「王者」は強さとともにいつも悲哀を併せ持っています。それが好きなのです。挑戦者の勢いは当たり前だし、何の興味もない。「王者」が「王者」でい続けるために尽くす苦労は、筆舌に尽くし難い。「巨人」は、いつも「王者」でなければならないという使命がありました。ゆえに、歴代の監督は、「王者」の名にふさわしい、巨人軍出身の花形選手で、人気が固定的に高い人物だけが選ばれました。中でも現監督の原さんは素晴らしい。スター選手であったのに(高校生のときから。彼を超えるスター選手はいまだ輩出されていないのではないだろうか。容姿、プレー、成績、態度、どれを取っても非の打ちどころがない)、練習をいとわず、心身の鍛錬と自らの行動を見事にコントロールし、スキャンダラスな事態(離婚歴のある年上の女性との結婚が唯一のスキャンダルでしょうか。でも、夫婦仲に不穏な噂もないので、何ら問題はないでしょう)もなく、ここまで清廉潔白にやってきた原さんは、人間として崇めるべき存在だと思います。王さんが球界から去りました。ガンにやられながら耐え続けた日々は、相当つらかったと思います。でも、しんどい時期に巨人軍の監督をしていなかったことが唯一の慰めです。あの状況で巨人の監督なら、間違いなく三途の川を渡っていたでしょう。それほどつらいのです。巨人軍の監督は。いやなのは、リーグ優勝をした巨人を差し置いて、中日が日本一になるというシナリオです。去年の悪夢。中日が嫌いなのではなく、落合が許せないのです。そんな、取るに足りないことを考えられる今夜は幸せなのかもしれません。巨人ファンの「大地主」から、ビールをしこたまおごってもらったので、そんなふうに思えるのかもしれませんが。
2008.10.10
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アメリカのサブプライムに端を発した「世界恐慌」とも言えるほどの世界的株安は、政治の停滞で弱り切っている日本にも、大きな影響を与えるでしょう。「株安」が世界に与えた経済的損失は1000兆円にも及ぶのだとか。もとはと言えば、アメリカの機関投資家や金融機関が元凶です。原油高もそう。当事者(CEO)はボーナスとして40億円だら、60億円だらを手にするのが通例という異常な高額所得者層です。随分貯め込んでいるのではないでしょうか。が、会社が傾いたら、政府に援助を要請するという体たらく。以前の日本の大手銀行もそうでした。公的資金を注入されながら、頭取の退職金が2億円などという、浮世離れした感覚を捨てられないのが金融に関係する人たちなのです。だって、1日で何百億円も動かし、何百億円も利益を得、損失を出すのです。金銭感覚が鈍るのは当然といえば当然かもしれません。「経済理論」を声高に話す経済学者がいます。金子なにがしとか、松永なにがしといった御仁は、実に滑稽な理論を大真面目に叫ぶ。経済に理論などはないのです。その時代、その時代に生きる人、その時代を形成する思想や企業がファクターとなって、経済を動かすわけですから、固定的な理論などあり得ない。推論、予測、予想の域を超えるものではないということです。(事実、この二人の推論は当たった試しがない。にもかかわらず、自分は意味不明で扇動的な本を売ってガッポガッポ儲けている)以前の日本では、「景気対策」といえば、「公共事業」でした。「土木大国・ニッポン」という時代なら、それもアリでしょう。が、いま、公共事業をして得をするのは、下請け、孫請けに仕事をさせてマージンだけハネる大手ゼネコンだけではないでしょうか。そんな時代に、どんな「景気対策」が有効なのでしょうか。中半端な「所得減税」など、預貯金に回されて消費につながらない。「中小企業減税」だって、借金の返済に当てられて、金融機関が潤うだけ。結果、小泉さんのように、「対策」らしい対策をしないのが一番、という考え方もあります。が、あのときといまは状況が違う。「小泉さんなら、何とかしてくれる」「日本はいい方向に向かう」という期待や希望があったから、企業が努力し、国民は適当に消費し、経済が立ち直ったのです。が、いま、国民が麻生総理にそういう期待を持っているわけはないし、「もし民主党に政権交代したら、えらいことになるかも」「自民党はだめだから、政権交代しないと」「民主党が第一党でいいのか」といった疑問や不安が増幅し、揺り戻され、どうにもならないどん詰まりの状況になっています。この状況での「景気対策」はないに等しい。経済の動向を考えるとき、「犯罪」を例に取ればわかりやすいと思います。世の中には、「刑罰」というペナルティがあるのに、犯罪を犯す人がいます。なぜ、人は犯罪を犯すのでしょう。「欲望に負けたから」「退廃的な人間がいるから」「脳に異常があるから」いろいろな答えがあるでしょう。でも、それは推論に過ぎない。じゃ、答えは?質問を変えてみればわかります。「あなたは、なぜ犯罪を犯さないのですか?」と犯罪に縁がない人に聞いてみてください。すべての人が答えるでしょう。「罰を受けるのがいやだから」「犯罪を犯して得る快楽や利益に比べて、罰が余りに重い」そう。つまり、インセンティブが意識の中にきちんとあるのです。犯罪を犯さない人は。ということは、犯罪を犯す人は、インセンティブに関する意識が極めて低いかないかのどちらかということになります。そうです。すべては「インセンティブ」が人やモノを動かす動機になっています。経済もそう。しかし、「インセンティブ」の軸の置き所が全く変わっているのも事実。言い換えれば、「人の意志」の質が変わってきているのです。以前は、「この企業は堅実にやっているから、将来伸びるはず」「この企業の技術は、間もなく世の中を席巻するはず」そんな発想で株を買っていたのに、いまとなっては、企業そのものを見るのではなく、政府や世界経済を軸として、それに関連するモノや業種、企業の株を買い漁って、適当に上がれば即売る、という心ないもの、インセンティブの何たるかを全く無視したものになっています。というように、「損」「得」を判断する発想が多ければ多いほど、経済は複雑な動きをします。投資家が持っている「インセンテイブ」の種類や質がそれぞれ違うわけですから。特にアメリカのような思想や倫理のない国は、善悪の境界が極めてあいまいで、「何でもアリ」という状態であるにもかかわらず、一定の経済理論をあてはめて考えようとするから失敗が生じるのです。こうなると、「機関投資家」の動きを抑えるとか、投機目的のマネーの市場流入に何らかの規制をかけるといった法律を世界的な基準で批准し、遵守することが必要だとさえ思えます。金をもてあそび、非常識と言えるほどの利益を得ながら、悪くなったら知らん顔という経営者連中にペナルティを与えるのも必要でしょう。そいつらのために世界の何億人が被害を受けたか……。腹立たしいなどというものではありません。貨幣経済の落とし穴は、「人の意志」です。予測できない。「投資」というものに不信を持ってしまった一般庶民がこれだけ多くなってしまっては、これまでのような株取引の常識は通じない。個人トレーダーも多くなっています。プロだけが市場に参加していた時代とは全く違った動きを見せるはずです。複雑で、奇異で、予測不能な動きを。日本のような鈍感な政府は、経済の動きに対応できない。あ、政府というより、民主党か。この非常事態に、「政局」「政権」に固執し、国民の不利益を意に介さず、「取り引き」的動きを見せる不届きな状態が国民の不安をあおり、株価1万円割れというとんでもない事態を招いたのです。企業の含み損は半端ではありません。今年の倒産件数や負債総額は未曾有の数字をたたき出しています。物価高は異常だし、年金への不安もすごい。医療制度への不信感や公務員への不満、将来への不安はピークに達しています。これを打破する政党はどこなのでしょう。民主党でないことは、明らかなような気がしますが。
2008.10.08
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ここ3週間ほどは、番組改編期に当たる。ラジオもそうだが、ラジオは意外に淡々と入れ替えが行われる。主にテレビ番組に目立つ傾向のことを書こうと思う。改編期というと、全国ネットは特番を入れてくる。ドラマなら、「初回2時間スペシャル」とか、改編に関係ないレギュラー番組の場合は、「総集編」といった形で、これまでにO.A.した映像、編集でカットした映像を取り混ぜて放映する。情報番組とか、バラエティの場合、多くは特番が入る。それを機にレギュラー陣は夏休みを取るのだと思う。特番といえば、十中八九「クイズ番組」だ。最近その傾向がますます強くなっている。なぜ「クイズ番組」なのかというと、任天堂DSを契機にした「脳トレブーム」というのを隠れ蓑に、制作費が安上がりだからという理由で番組制作がされているとしか思えない。ギャラの安い西のお笑い芸人を多く起用し、おバカで売り出しているタレントや、お脳に覚えのあるタレントの面々がこれでもか、というくらい出演し、意味のない問題に何時間も答え続けている。時には、タレントのおバカぶりを笑い、時には、お脳タレントの見事な解答っぷりに感心する。が、それが一体何だというのだろう。バカな制作者がつくったクイズ番組など生活や仕事や勉強の足しになりはしない。たとえそのときは、タメになったようなつもりでいても、数日もすれば忘れてしまう。そんな出題の仕方なのだ。ストーリーもなければ、説得力も求めない。点の問題に、点で答え、幾つかの点の問題は関連性も連係もなく、記憶にとどめられる要件を持たない。この現象を見るにつけ、テレビは危機的な状況にあるのだと実感する。メディアが多様化する中で、スポンサーがテレビにだけ宣伝費を集中投下するわけにはいかないという事情を物語っているのだと思う。それほど、メディアとしての存在価値がなくなってきつつある。しかし、テレビ局は旧態依然とした体質を続けている。社員は高給取りだし(組合が強い)、下請けの制作会社いじめをやめない。にもかかわらず、局持ちの飲み食いには金をかけ、虚勢を張る。どう考えてもおかしいだろう、というほど高額なギャラをタレントに払い続け、結局は破産による番組打ち切りに追い込まれる。そのうち、番組の自社制作をやめ、アジアのテレビ局が制作したつまらぬ番組を買ってきて放映するようになるかもしれない。または、NHKのように、昔放映した映像を引っ張り出してきて、「思い出スクリーン」だら、「映像タイムスリップ」だら、「カムバックアゲイン」などといったタイトルで古い映像をだだ流しにするようになるかもしれない。いずれにしても、テレビやラジオといったマスメディアは、自らのあり方を考え直す必要があるだろう。給与体系や雇用条件の見直しをし、「権利」が「義務」を押さえ込んでいる状況を現状を改善しなければ、贅沢を極めた企業体質はどうにもならない。いずれにしても、自分たちがバカであることを自覚し、日本を、世界を牽引しているかのような妄想は早く捨てるべきである。いま、テレビでO.A.されている番組やCMを見直してみればいい。日本語は無茶苦茶、コピー表現は稚拙、映像表現は機械に頼りっぱなし、ややもすれば法律にも抵触しそうなウソばっかりの主張は、制作者の低能、無知、無思想が生んでいるのだ。今年、開局50周年を迎えているテレビ局が多い。ここから、テレビ局の凋落が始まるのか……。
2008.10.06
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以前から2回にわたって「髪は女の命です」というタイトルで、傷んだ髪のケア方法を書いています。髪が傷んだ理由の一つに「ヘアカラー」があるので、できるだけ引き延ばしていたのですが、前回染めてから3ヵ月近くが経過し、おでこの左右の生え際に悩みの塊が出現し始めました。外側前面には目立つ白髪はないのですが、後頭部の内側にもあったはずで、見えない部分こそ気にしないといけないという状況。風が吹いたりすると、婆臭い雰囲気をさらしてしまうので、意を決して毛染めすることに。このブログにもよく訪問してくださるYOUさんに教えてもらって、「ナイアードヘナ」というのがいいということを知り、早速購入しました。YOUさんのアドバイスもあり、これと「10種のハーブ」というのを混ぜて使ってみました。「木藍」は黒茶色の緑系に、「10種のハーブ」は赤~茶褐色に染まると書いてあります。もともと、カラーリングしているので、生え際2~3cmは黒髪になっているのですが、それ以外はやや明るい褐色です。それとヘナの色が合うかが不安だったのですが……。計量器で25gずつ計ってボウルに入れ、熱湯で練りながら「練り歯磨き」くらいを目指して水分調整しました。ビニール手袋は同梱されていたのですが、ケープやコームなどは手持ちのものを使うことに。ヘナはタオルや衣類についても、大抵洗うと落ちるので、注意書きをよく読めば、意外に手軽に染めることができます。が、そのまま置かないといけない時間が半端ねぇ!1~3時間と書いてあったのですが、私は2時間、シャワーキャップをかぶってメールチェックや仕事をして過ごし、蒸しタオルをキャップの中に追加して40分間半身浴して過ごしました。洗い流してシャンプー&トリートメントをしましたが、染料が落ちにくいので要注意。時間を置くので水分が飛び、髪にこびりついている箇所があるのです。通常どおりドライヤーで乾かせば、完成です。★黒髪部分は変化なし。★染まった白髪は褐色に★カラーリングの部分はほとんど変化なし★結果、通常と変わらぬ雰囲気で、白髪部分だけ染まったただ、悩みの塊部分はキッチンペーパーなどでパックをするようにしながら、重ねて洗髪した方がよさそうです。説明書によると、続けて何度洗髪しても問題ないみたいだし。香りはよくないです。ヨモギのような、スモークしたような香りになります。頭に汗をかいたりすると、自分でもむせるくらいです。でも、香りには好き嫌いがあるので、これはあくまでも私の感覚として。髪の傷みは全くありません。商品レビューでは、「染髪するごとに髪が潤う(10種のハーブ)」という意見もあったので、それに期待して。カラーリングで髪が傷んでしまった人には、おすすめの染髪料です。いいものがあるものです。
2008.10.05
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仕事上の知り合いで、とてもかわいい女性がいる。もう30歳を超えたそうだが、20代前半と言われても納得しそうだ。丸顔で目が大きく、鼻が低くてぽてっと小さな唇だ。背が低いのも、色白なのも高得点につながる。この女性、男性と女性の前では顔も声も全く違う。男性がいる場所では、話す人の目を見てニコニコし、高音の女女(おんなおんな)した言葉で男性を魅了する。が、女性だけ、特に年下だけになると態度は一変する。携帯電話でメールを打ちながら、低音の短い単語と極端な関西弁で指示をする。形容詞だとか、装飾語だとか、無駄な言葉は一切添付しない。「あんたなんかへの指示は、単語で十分よ」と言わんばかりの態度である。これができる女性というのは、女性としての幸福を手にすることができそうだ。経験上、かなりの確率でそうなっているように思う。女性と男性の前で別の顔を使い分けることができる女性とそうでない女性では、何が違うのだろう。「本能」と言ってしまえばそうだと思うが、それだけでは納得できない。少なくとも言えるのは、そうすることでいい思いをした経験がある、もしくはそういう人を見て育ったということではないだろうか。つまり、親や姉などが同類である可能性が高い。そして、別顔のある女性は、ある程度美人で自分に自信がある。ある意味で男性好みの顔や態度をきちんと把握している。別顔を持つことができないのは、「そんなさもしいことをするのは、恥ずかしい」という意識がどこかにある。なぜそういう意識を持つに至ったかというと、★女性であることにある種の嫌悪感を抱いたことがある★別顔を上手に演じる演技力に乏しい★ブスで、自分に自信がない★男に頼らずに生きていこうと思っている★別顔を持つ女性になびく男性はダメだと思っているといったような実体験や意識に根ざしているのではないだろうか。別の顔を持つ女性もそうでない女性も、端から別の顔を持つ女性を見ると「いやらしいなぁ、あの子。男に媚びて」と思う。不思議なものだ。人のことは「いやらしい」と言いながら、自分が媚びる分には躊躇はないのだ。別の顔を持つ女性は怖い。私は個人的にはつき合えない。常に、その女性の心の中の私に対する評価が気になってしまうだろう。何をしても、何を話しても、評価している場合と評価していない場合のことを考えて、次の言動を決めなければならない。神経がすり減ってしまう。もう、私の年になれば、別の顔を持ったところで、こちらの意中の男性が評価してくれることはないだろう。そんなことで女性を評価するのは30歳までだろうから。立ち居振る舞いに品があるとか、知性があるとか、思慮深いとか、ファッションセンスがいいとか、そういった、経験や思想がつくり上げた人間としての価値に注目されるような年代になった。ゆえに、別の顔を持つ女性が近くにいても、さほど気にならなくなったが、やはり違和感を覚えるのは確かだと、昨日思った。違和感の正体はつまり、私はブスで自分に自信がなく、演技力に乏しく男性不信な上に男に頼らずに生きて行こうとしているということか……。あぁ、早く達観したい。。。 煩悩
2008.10.04
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オリックスの清原選手が引退しました。最初から最後までスターでした。成績だとか、記録だとかは別にして、常にヒーローであり続けた選手でした。最終試合(花道)の前に王監督から、「生まれ変わったら、同じチームでホームラン競争をしよう」と言われたそうです。ドラフトで巨人から指名されなかった清原選手を気遣っての言葉だとは思いますが、王さんがそこまで言うのは、清原選手の野球人としての魅力や実力、スター性を認めたからこその言葉だと思います。FAで巨人に入ってから、けがやスランプに悩み続けた清原選手でしたが、常に精一杯の努力をしてきたからこそ、王さんからファンまで、多くの人々に認められたのだと思います。清原選手ほどの人物なら、現役を引退しても生きる道はたくさんあるでしょう。岸和田人らしい面白さや潔さ、豪快さを売りにしてもいいし、指導力や統率力を売りにしてもいいし、資産を活用しての活動をしてもいい。何にしても、新たな人生が待っているし、23年のプロ野球人生より長い人生が幕を開けたのですから、実にめでたいことです。話は変わりますが、明日、私が10年間さまざまな角度でかかわってきたラジオ番組が終了します。O.A.中は滅多にスタジオに行かなかったのですが(ゲストアーティストの来る日は結構行きましたけど)、明日は行くことにしました。10年間といえば、プライベートでもいろいろありました。いろいろな思い出が蘇りそうです。だって、私の仕事人生の半分を占めているのですから。私より若いスタッフにすれば、もっともっと大きな位置を占める番組だったはず。スタッフみんなの最後の顔を見ておかないと、ちょっと後悔するような気がして。実に珍しいことです。「終わりがあるということは、新しいことが始まるということ」が持論で、「終わり」に特別な感慨を持つことがなかった人間ですが、ものの終わりの「あはれ」を知る年になったということでしょうか。今週は、最後の週ということもあり、懐かしい曲が目白押しでした。DJ選定のマスターピースらしいのですが、DJがいかに番組スタート当初に緊張していたかがわかるような選曲でした。今年は「激変」の年です。何もかもが終わります。そして、新たに始まったことがたくさんあります。年のせいでめっきり弱くなった精神が、神経が、どこまで耐えられるかが勝負です。男波が来れば、波が大きく引き、次には女波が幾つか続く。女波が続けば続くほど、次に来る男波は大きい。が、その法則も一定ではない。しかし、何もかもがそこにとどまっていることはない。常に変化し、流動し、なくなったり生まれたりを繰り返す。その「動き」に抗うことはできない。「動き」を恐れず、「動き」に順応し、「動き」をとらえて新たな「動き」を自らがつくり出す、そんな気持ちを持ちたいと思います。明日、少し泣いてしまうかもしれません。どんなことでも、「最後」というのは悲しいものです。そのことを無視せず、ちょっと感傷的な気分に浸ろうかと思います。久しぶりのイベントです。その準備のために、いま、「ナイアードヘナ」で染髪中です。ふふふ。
2008.10.01
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