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少し暖かくなったかな、と思ったのも束の間、寒さがぶり返して冬に逆戻り、を何度も繰り返した3月。あと3日で終了です。日本では、同時に年度末を迎えます。大晦日と同じく、一区切り感がありますよね。年末は「終わってしまう」感が強いのですが、年度末は「もうすぐ始まる」感が強いと思います。 電波の仕事をしていると、年に4回「終わってしまう」感を醸す月があるのですが、やはり一番強く感じるのが3月。決算(四半期決算を含め)を迎えるスポンサーが多いので、スポンサーの入れ替わり=番組の刷新になりやすいわけです。 印刷物や映像(プロモーション)、HPの制作も同じような要素があるにはあるのですが(固定資産の償却期日だったりするので)、電波ほど顕著ではありません。どちらかというと、「予算消化」の意味合いが濃くなる感じでしょうか。 というわけで、仕事関係がバタバタする月ですが、今年はどういうわけか、プライベートで人とよく会いました。 ブログで知り合った方(男性。お名前を書くと、嫉妬される女性が多い人気者なので、伏せておきます)とそのお友達との会食、高校時代の同窓会、最初に就職した会社の同僚との再会、 20年来の知人との会食、お世話になったご夫婦との楽しい宴、カレー屋時代に知り合った、韋駄天少女の訪問、ゴルフ仲間だった社長との会食……。中学時代の友達とも話ができたし(電話ですが)、事務所で料理の試食会も何度かできたし、母のところには週に1~2回行ってたし。 人と会うことの多い月でした。しかも、随分ご無沙汰の人に会うことができて、果てしなくうつに近い脳にいい刺激を与えることができました。 自分では気づかないことを言ってもらえたし、今後、自分が意識しなければならないこともわかりました。 「痩せた」というのは、かなりの頻度で言われました。体重で言うと4kgほどですが、もっと痩せたように見えるかもしれません。若いときと違って、筋肉まで痩せてしまうので、ゲッソリした感じがするのでしょう。 筋肉をつけなければ。でも、運動するとまた痩せるので、食べるのが先。……時間がかかりますね。 「きれいになった」 とも。最初に就職した会社の同僚が今回も言いました。彼も覚えていたのですが、20余年前、消化器を傷めて入院した私を見舞ってくれたときも言ったのです。「あのときと一緒」と付け加えました。前回、膵臓を悪くしたときもたくさんの人に言われました。どうやら私は、死にかけたときにきれいになるようです。過去は持ち直しました。今回はどうでしょう。このまま死んだら、「死に顔がきれい」と言ってもらえるでしょうか。 「早くお店を再開しないと」と、改めて思いました。店さえあれば、皆さんともっともっと会えるのに。皆さんにもそう言われましたし。いえ、考えているんですよ。実現に向けて、準備もしているんです。が、母の問題は大きいのです。それも、解決しないといけません。自分の健康問題も、無視はできませんし。 そんなこんなで、3月が終わります。 もう1年の4分の1が終わったことになります。えらいこっちゃ。 来週から、シュッとしよう。明るく、前向きに!手始めは、花見かぁ? 自爆
2012.03.28
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最近、よく料理をします。自分の食べる料理は以前から毎日つくっていましたが、人が来ることが多くて、ちょっと時間のかかるものや、行程が複雑なものを、来客の目の前でつくります。 最初の1品、2品は、つくっておけるのですが、つくりたてを食べてもらいたいので、途中から、お酒の入った頭でつくることになります。 そんなとき、よく言われます。「早い」「動きに無駄がない」と。そう言われる理由はちょっと後回しにして、料理に対する男性と女性の違いを考えてみます。 1.男性は「感覚」でつくり、女性は「頭」でつくる。女性はレシピを見ながらとか、覚えて、つまり、文字ベースで調理法を考えますが、男性は、舌とか目で考えるのではないか、と思います。人気の料理研究家のつくったレシピどおりにつくるとおいしいものができると信じているのが女性。根拠のない自信に裏打ちされているとも思えるような、自分の技術や記憶、センスを信じ切ったつくり方をするのが男性。 2.男性は材料費にいとめをつけない たまにしかつくらない、ということもあると思いますが、男性が料理をつくるときは、値段を見ずに材料を買ってくる傾向あり。別に、「おいしい料理は、いい材料がつくる」というポリシーがあるわけではなく、「つくる」ということにしか頭が働かず、「これは高いから、違う材料で代用しよう」などというワザを使う余裕はないわけで(正当派の料理をつくるには、材料に妥協しないことは必要不可欠なことですが)。女性なら、そういう妥協はいとも簡単にやってのけますが。 3.女性は調理道具を使いたがらない菜箸やおたま、トング、フォーク、包丁といった調理道具をたくさん使うのは男性、極力使わないようにするのが女性。人によると思いますが、料理が終わったときに洗いものがどっさり、というのを女性は嫌うのではないかと。男性は、同じ菜箸を使うと味が混ざる、とか、出汁が濁る、とか、細かなことを言って新しい道具を使いたがるような。 4.男性は「仕事」、女性は「日常」女性にとって料理は、日々こなさなければならない家事ですから、多少の失敗や誤算、不満足にも妥協できなければなりません。というか、合格点をできるだけ低くしておかないと食材が無駄になるし、ストレスがたまって仕方ありません。が、男性にとって料理は日曜大工的なもの。いわば、自分の技術とセンスを具現化するための作業なわけです。ですから、持てる力を最大限発揮しようとします。妥協を許さない。合格点は生涯最高のレベルに設定してあるのです。仕事と向き合うのと同様です。 と、勝手な推測(経験則)を書き連ねましたが、そもそも「料理」というものに対する姿勢が全く違うのだと思います。 最近は、調理師学校を出た、立派な料理人の女性がいますが、「家庭料理」とか「おふくろの味」などと看板を掲げた女性店主(前出のような教育によらない料理人)のつくる料理と、男性料理人がつくる料理に格段の違いを感じたら、それは、上記の4点のような、根本的な違いがあるからだと思います。 それは、脳の構造の違いとでもいうべきもので、どちらがいいとか、優れているといったたぐいのものではないと思います。 で、私が人から「早い」とか「動きに無駄がない」と言われる理由。 お手本が、プロの料理人だからです。長い間、取材の仕事を通じてプロの料理人をたくさん見ていると、どの料理人にもリズムがあり、動きやすい工夫をしていることがわかります。調理器具や調理道具の配置、食材や調味料の用意の仕方、使った調理道具の処理の仕方など。そして、その頭の中では、調理スタートからゴールまでの手順が微塵の無理も無駄もなく、流れるような動きの中で完結されるように組み立てられています。複数のコンロを同時に使いこなしながら、すべてのタイミングがピタッと合って、料理が仕上がるようにストーリーがつくられている、そんな料理人の調理の現場がイメージのベースにあるのです。 手や調理台をいつもきれいに保ち、調理道具をバンバン使い、 食材が「このタイミング!」と言ってくる声を逃さないよう耳と目を凝らしながら、無理と無駄を省いて料理に対峙する。 と、かっこいいことを言いましたが、単にイラチなのです。無理や無駄があると、キレてしまいます。スムーズに、気持ちよくいかないと、気分が悪い。だから、準備を万端にして、一気に調理できるように注意しています。 調理台が狭いといえばイライラし、火力が足りないといえばイライラし、オーブンの予熱に時間がかかるといえばイライラし、イライラし通しの調理時間ですが、一度タイミングを覚えればこっちのもの。 イライラせずに料理をつくるためには、体で覚えることが第一。 そんなこんなで、イライラしながら日夜新しい料理を開発中です。いつも勘でつくっていて、レシピを残していないので、思い出しながらレシピをつくらないと。 と、料理をつくる姿勢でさえ、女でもなく、男でもなく。何にしても中途半端な人間であることを再認識。 恐ろしいなぁ、ブログって。 自爆
2012.03.23
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加藤茶さんや堺正章さん、小林薫さんなどが年の差婚を果たし、「ロリ婚」とか「超ロリ婚」といった言われ方をした。 そういえば、確かチャールズ・チャップリンも10代の女性を好んだんだとか。男性の中には、若い女性を好む嗜好の方が結構いるというのは何となくわかる。 ドリカムの吉田美和ちゃん(46歳)が結婚した。19歳の年の差婚だそうで、相手はまだ27歳だとか。 女性の場合は、「ロリ婚」とはいわないかもしれないが、若い男性ばかりを好きになる女性が確かにいる。差別はよくないので、ロリ婚と言うことにする。 女性が19歳年上といいうロリ婚は、珍しいのではないだろうか。美和ちゃんは46歳とは思えないので、違和感が余りないかもしれないが、世間の46歳が27歳の男性と結婚すると聞いたら、だれもが訝しく思うはず。 男性が年上なら「元気ですねぇ」という余裕が世間にはあるが、女性が年上なら……。 それは、同じロリ婚でも、男性と女性では意味が大きく違ってくるからだと思う。 個人的な嗜好は理解できない領域があるので、若い異性の何がどう好きか、ということは触れないでおく。 問題は、「婚姻関係」にもれなくついてくる「家族」や「跡取り問題」に影を落とす部分がつきまとうということ。 女性は、卵子の元になる「卵母細胞」を生まれる前から持っている。最初は600万個とも言われる卵母細胞を卵巣内に保持しているが、次第に消失して思春期を迎えるころには10万個ほどになり、最終的に卵子になるのは400個ほどと言われている。 つまり、胎児のころに生まれた卵母細胞は、閉経を迎えるまで同一の細胞であり続け、その中から卵子が生まれるというだけで、生まれ変わったり、修復されたりすることがない。 つまり、平均的な閉経期を50歳とするなら、50歳の卵子が排出されるということ。35歳を超えたあたりから、染色体や遺伝子異常が起こりやすくなると言われているのは細胞の損傷が原因。 男性が若い女性を求めるというのは、健全な卵子を探索する本能的な峻別作業によるものなのかもしれない。しかし逆は……。 「結婚」というものに向かって燃え上がっている二人には見えないかもしれないが、立ちはだかる障壁は高く分厚い。 先日登場した「知人」の奥さんは、12歳年上。結婚当初、知人23歳、奥さん35歳。そのころはまだ大丈夫。が、奥さんが40歳を超え、知人がまだ20代というときから「浮気」が始まった。二人の仲が決定的になったのは、奥さんが50歳を迎えたころ。知人はまだ30代。知人の浮気相手はすべて20代だった。 浮気相手と奥さんとの違いは歴然だっただろう。「夫婦の情」や「家族としての歴史」では割り切れないものがあったようだ(と、後で知人が語っていた)。 男性が年上の場合とは違った感覚が生まれるのは確かだと思う。それは、「本能」に類するものではないだろうか。「子孫を残す」という使命を生涯全うしようとする男性にとって、健全な卵子を求めるのは、抑え切れない行動なのかもしれない。 が、歯止めは持つべきだ。人間に生まれたのだから、「本能」を抑え込むべきときにそれができなければ、人間とはいえない。 「どんな障害があろうとも、二人なら乗り越えられる」……そんな言葉を二人がともに吐けるのは、ほんの短い間だけというのも、真なりだと思う。もちろん、生涯変わらぬ気持ちを持ち続けた夫婦もいるだろう。が、ほんのわずかに違いない。 ……所詮、下世話な人生を生きてしまった人間の、下世話な話だ。崇高な精神に、崇高な男女関係が成立するもの。 もっと気高い魂を獲得する努力をせねば。 間もなく私は、魂以外に語るべきところがなくなる「人」となってしまうのだから。 色即是空
2012.03.22
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昨日、「浮気」なんて、私のキャラクターにないことについて書いてしまいました。 実は、仕事で20年ほど前に知り合った人と久々に会食し、そのときの会話が衝撃的で、思わず書いてしまったというわけです。 その人は、7年ほど前に大阪から東京に行ってしまいました。病気になり、時を同じくしてご両親の介護が必要になって、ご実家の松山へ引っ込む(言葉が悪いかな)ことに。この数年の間、ご自分のガンの発病、職場からの解雇、恋人との別れ、お姉様とそのご子息(甥)の死、お父様のアルツハイマーの発病、お母様のガンの発病、お兄様一家とご両親の不和……と、不運続きというか、これでもか、というほどの事件に見舞われたそうです。 若いとき、女性関係では派手な人でした。会社の部下から玄人の女性まで、いろいろな女性の名前を聞いたものです。 会食をしながら、その人がぽつりと言いました。 「神様は見てるなぁ。若いとき、やりたい放題してたから、 そろそろ試練を……ってことかな。人生、帳尻が合うようにできてるよ」 なるほど。浮気の果てに、相手につらい思いをさせた別れもあったはず。 もちろん、自分が苦しむことも。修羅場になったこともあったかもしれません。「やりたい放題」とは、そういうことを指しているのでしょう。 魂の言葉だと思いました。 だって、もう10年以上奥さんのところに帰っていないのに、「絶対に離婚しない」と言われているらしいです。これは大変な試練です。戸籍と人生が、一生解放されることがないことを意味しています。前の見えない恐ろしい現実が何年も続いてきて、さらにこれからも果てしなく続く恐怖…。 浮気の代償は大変大きなものだと、 身が縮み上がる思いをしたのです。 そんなこんなで書いてしまいました。自身の経験がないせいで、中身のないブログになったのは、こういうわけでした。悪しからずご了承のほど。
2012.03.20
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当然、「男女間の」です。しかも、「浮気って、どこからを言うの?」というおかしな女性的疑問を差し挟むことなく、「肉体関係のある」ということです。 女性が「どこからが浮気?」という疑問を持つのは、女性が「いやだ」と思うことが「浮気である」という定義にしたいからでしょう。「二人っきりの食事」と言う人は、自分の好きな男性が、自分以外の女性と食事することがもう許せないということ。 それは、女性の勝手な基準で、男性が女性にモーションをかける場合、間違いなく肉体関係を目指しています。 妻や恋人がいる男性が、他の女性を思いながら「あの女性と映画を見にいきたい」なんて真剣に思うことがあったとしたら、それこそおかしいでしょう。最終目的の手前に、映画や食事があったとしても、「それで本望」というような男性は皆無と言っていいと思います。最初は映画を見たときの女性の反応が見たいとか、感想を聞きたいといった純粋な欲求があったのかもしれませんが、そういう「興味」は、必ず「肉体関係」にまで馳せられるものです。 ま、経験則なので、せいぜい数百人のサンプルですが、私の周囲にいた男性は、間違いなくそうでした。※間違っても、私がそういう関係になった男性が数百人いたという意味ではありません。そのたぐいの行動が確認できた男性が、の話です。 女性が男性に「食事でもいかが?」という場合は、肉体関係を求めないことの方が多いと思うので(経験則)、男性にもそうあってほしいと思うのかもしれませんが、女性だって一度や二度、浮気したことがあるはず(我々の年代になると少ないですが、最近の若い女性なら)。 しかし! ほとんどの女性は、好きな男性や夫が他の女性と肉体関係を持ったと知ったら、「もう終わり」と思うでしょう。男性だって、自分の妻や恋人が他の男と肉体関係を持ったら、黙って済ませるわけにはいかない。が、男は妻や恋人以外の女と浮気をし、その女は相手に妻や恋人がいることを知っているわけです。なのにその女性も、自分の夫や恋人に浮気されるのは許せない。 皆が浮気を「平気」と思ったら、それはそれで大問題ですが、ほとんどの人間は、相手の浮気を許さず、でも、自分は浮気をします。 一体どういうことなのでしょう。 面倒ですよ。浮気した途端、いろいろ厄介なことが待っています。「相手にうそをつかなくてはならない」「周囲に知られてはならない」「うまく関係を続けないといけない」 「早く関係を切らなくてはならない」「関係を切るときの条件をどうするか」 神経も、お金も、時間も使います。 悪くすると、相手にバレてケンカになったり、果ては、離婚騒動(婚約破棄、慰謝料訴訟)になったり…。 それでも、男は浮気をします。浮気が「生きている証」とでも考えているかのように。 世界で最も男性が浮気をする国は「アメリカ」だとか。50%近い男性が浮気をしているらしいです。 当然浮気が原因の離婚率もトップ。日本はベベ3で、十数%というびっくりのランキング。それはないでしょう。何かの間違いです(経験則)。 「浮気をしない男性は魅力がない」という女性がいますが、それは違うと思います(経験談)。浮気をよくする男性の中にも、どうにもならない人がいますから。 この世から浮気をなくすことはできないと思います。が、人間に生まれたわけですから、せめて我慢はすべきです。「歯止め」を持つ心が必要だと思います。相手がいやだと思うことは、しない努力は絶対必要です。 人柄なのか、裏切りと思わせない何かがあるのか、何度浮気をしても、女性に許される男性というのもたまにいますが、 それは希有な例で、浮気をたくさんしてきた男性の末路は……悲惨な場合が多いです。 浮気がとめられないアナタ、気をつけてください。 「あの人、いい死に方しないよ」 と言われないように。あ、浮気ランキングベベ1のインドネシアでは、「浮気をすると、あの世でひどい罰を受ける」という迷信があるそうです。 合 掌
2012.03.19
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テレビを見ていると、頭がおかしくなりそうだ。「元からおかしい」という声は聞こえないことにして、気になっていることを3つ挙げると 1.消費者金融のCMが多過ぎる2.パチンコのCMが多過ぎる3.保険のCMがバカ過ぎる 1と2は、TV局は本来放送に慎重な姿勢を取っていた。 1→自己破産をする一般人(特に若い人)が激増したこともあったし、グレーゾーンの金利が問題になったこともあった。「払い戻しをしてもらおう」という法律事務所や司法書士事務所のCMがまだたくさん放送されているのに、アコムやアイフルのバックに大手都市銀行がついた途端、 手のひらを返したように放送するようになった。 2→背に腹は変えられないということか、TVマンに韓国系の人が増えたということか。「射幸心を煽る」ギャンブル性の高いパチンコのCMを放送するのはどうなのか…。 そして3。目に余る。日本語が完全に崩壊している。「~なら、保険料も違うべきだ!」と女の子が言う。『あれ、おかしいな』と思った人は多いと思う。ヒクッと耳に違和感を覚える。 まずは「べきだ」。「べき」というのは、「べし」の連体形。連体形なので、後ろに名詞がくる。「~べきもの」「~べき商品」など。「べきだ」というのは、「べし」が古い言い回しに聞こえるので、「べし」を「べきである」で代用したものを原型としていると考えられる。が、本来は「べきだ!」は亜流の日本語になる。 次は「違う」。これは動詞で、「べし」の前につくのはおかしくないように見える。が、「違う」は動き(行動)を伴わない形容動詞的な語彙。「異なる」と同じように、状態をあらわすことがほとんど。本当に動詞的に使うのは、「気が違う」くらいしか思い浮かばない。「ちがえる」の「文語形」として「ちがふ」としたのが「気が違う」の「違う」だ。「する」「見る」「使う」「売る」のような、動きを伴う語彙と合わせる方が「べし」「べき」がしっくり聞こえる。つまり、「見るべきもの」「売るべき商品」というのが正当派の用法だ。「違う」を使いたいなら、「違(たが)えるべきもの」とする。「ちがえる」と「たがえる」は、漢字は同じだが意味が違う。「たがえる」の方が意味が通る。 「~なら、保険料も違(たが)えるべきである」が及第点の用法となる。難しいので、「~なら、保険料も変えるべきである」か。 細かい話だけれど、プロのコピーライターなら、こういう微妙な語彙の使い方は避けるということを言いたかった。 違和感のある日本語を使うのは、御法度なのだ。だれもがすんなり受け入れられる日本語を使うのが大前提。語彙にひっかかっていては、言いたいことが伝わらない。 ことほどさように、TVの世界はレベルが急落している。「景気」「予算」が第一の原因かもしれないが、最大は、「人」だ。人間の能力が急落しているのだ。CMで言うと、元凶は「スポンサー」。金を出さずに口を出す。しかもその「口」が最悪。企業としての理念も社会的立場も確立せず、金儲けしかない企業のバカな宣伝(広報)担当がトップにいるわけだ。 まともなことを言うわけがない。さらに、制作担当の「プロデューザー」と「ディレクター」がダメ。人材不足で、「何でもいいから入れろ」の時代に入った輩が40歳過ぎくらいになっているはずだから、ちょうどこの立場にある。その上、コピーライターやタレントが輪をかけて……。最後の砦となるべきテレビ局が何といってもダメなので、歯止めがない。 *代理店はそもそも歯止めにはならない。スポンサー至上主義だし、歯止めになろうとしていない。 以前、余りにも耳につく文言が放送されていたので、当該の企業に苦情を入れた。それは、誤用が広く使われるようになった語彙で、「立ち振る舞い」というもの。本来は「立ち居振る舞い」。プロのコピーライターなら使ってはいけない。が、その企業は「辞書に載っている!」と反論してきた。「誤用」という事実を調べることなく。 無駄なこと、とわかっていながら愚痴ってしまった…。これまで何度も愚痴っているが、どんどん悪化しているし、改善される見込みがないのは百も承知なのに…。 これは、「絶念すべきだ!」か…。
2012.03.16
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もう半年近くになります。左肩が痛くて、苦労する日々です。 激痛に夜も眠れず、車のハンドルを回すのも苦痛が伴うので、これは生死にかかわると、昨年11月から一応病院にかかりました。 「原因不明」 レントゲンやMRIでもうまく解明できないらしいです。五十肩というのは。※私は五十ではありませんが、医者からこの名前を告げられました。デリカシーのない病名です。 老化()により筋肉が萎縮して、腱を引っ張るからだとか、関節の軟骨が痩せて骨が直接触れてしまうからだとか、違和感や機能障害のために偏った筋肉や腱の使い方を強いられてその周辺の部位が傷んでくるからだとか、いろんなことを言われましたが、はっきりとした原因がわかっていません。 でも昨年、私の生活は激変しました。それが原因ではないかと、思い当たる節をピック・アップしてみました。 その1:長時間同じ姿勢を取ることで(運転)、一部の筋肉(僧坊筋などの背筋)が弱ったその2:運転やPC使用が原因で猫背になりがちで、胸筋が弱ったその3:肩を使うスポーツの経験があり、そもそも肩の関節が傷んでいた(筋肉のカバーがあり、これまでは症状が出なかったが、筋肉が弱って症状が出始めた)その4:体の後ろ側への動きが少なくなり(運動不足)、相対的な機能や筋力が低下したその5:視力が落ちて(老眼)、PC画面に接近しがちになり、姿勢が悪化その6:尋常じゃないストレス(父の死、母の世話、煩雑な手続きや雑務、長距離運転、仕事の心配、いやな仕事、会社の心配、家族間の問題、節電、腰痛、急性膵炎、帯状疱疹……) 「ストレス」が最大の原因だとわかっています。痛みは、ストレスで増幅されるものらしいですから。ただ、物理的な理由があるのも確か。中でも、「姿勢が悪くなった」というのが最も大きな理由だと思います。 カレー屋をやっていたときは、立ったり歩いたりする時間が長かったので(長いときは1日10時間以上)、背筋を伸ばしていましたが、最近はもっぱらPCの前での仕事が中心ですから、猫背になりがち。しかも、寒い日々が続いたため、体を丸くしていたのだと思います。 猫背は内臓にもよくないし、血液やリンパ液の循環が悪くなるので、冷え性やむくみ、代謝の低下を引き起こします。 膵炎で落ちた体力回復のため、ウオーキングをしていますが、原因不明の体重低下のため、一時中断。早く再開して、できるだけ筋力の回復に努めたいと思います。 ……早く対処しないと、今度は右の肩が…… 皆様もお気をつけあそばせ。
2012.03.13
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検査に行かなければならない時期なのに、少々膵臓によくない生活。 平日は飲まないので、どうしても週末に会食の予定を入れてしまって…。 というか、これが最低限「普通」と言える生活なので、それで大丈夫なのか、ということを確かめる必要も。 9日は、海老のニンニクオイル焼き 自家製タルタル添えとバゲット、キュウリのヨーグルト漬けに合わせたのは、赤の微発砲ワイン。シメはペペロンチーノ。 10日は、白子の野菜スープとバゲット、それにミラノ風カツレツ。 飲みやすい赤ワインで。 ※深い理由はないけれど、立ち食い形式でいただくと、何だかすごくおいしかった。立ち飲み屋もいいなぁ。 11日は水菜と鶏団子の鍋。少しだけ赤ワインを。 油(脂)もアルコールも、ではダメ……、でも、やっぱり油(脂)のある料理はおいしい! 最終検査後、鶏肉(ミンチ)を除いて、動物性タンパク質はほとんど食べていないけれど、今回初めて豚のステーキ肉をフライにして。 検査か……。今週末くらいに行ってこよう。 これで悪くなっているなら、今後の生活をきちんと考えねば。 平日は、煮物、発酵食品、温度野菜中心の生活。 もちろん油(脂)ヌキ。総熱量1200kcal程度。 改善点は週末だけ、ということになるし。 えいやっ! で検査に挑もう!
2012.03.12
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最近、大阪の「公僕」の不祥事がかまびすしい。 警察官が飲酒検問のデータを捏造したり、紛失した証拠物件をニセものでゴマ化したり、留置されていた被疑者に利益供与して逆に脅されたり。 大阪市職員による、覚せい剤から横領、痴漢、暴行傷害、ヤミ専従、地方公務員方違反、公職選挙法違反まで、実に多彩な不祥事案がゴロゴロ。 市民もすごい。 生活保護費の不正受給、それを目当てにした医療機関の不正請求、住宅扶助費を狙った不動産業者による詐取、偽装離婚など、「生活保護制度」一つを取っても大変な数の犯罪者が群がっている。 ひったくりワースト1だと言われているが、「殺人」「放火」「強盗」「強かん」といった重大犯罪も多い。都会特有の犯罪傾向である「外国人犯罪」が多く、一概に「市民性」と言えないかもしれないが、とにかく大阪は「公」も「下々」も、「歯止め」を失っている。 大阪市職員に対する橋下市長の調査姿勢を「越権行為」「人権侵害」と非難する弁護士や大学の先生たちは、人間を「性善説」の元に語っているように思う。 大きな間違い。 人間は「性悪説」で語らなければ始まらない。悪魔のような動物が、教育としつけによって、ようやく「人間」となるという事実を、大阪の公務員や市民が如実に示してくれている。 大阪には、「教育」と「しつけ」がなかったか、薄かったのだろう。あるいは、本能の強い種が集まっているのかもしれない。 少し前なら、祖父母や父母から受けた「躾」、神仏への「信心」や自然への「畏敬の念」、あるいは教師の「教え」、歴史の偉人の「金言」などが 日本人の生活の基底をつくっていたのだろうが、そしてそれが、あらるゆ言動の「歯止め」になっていたのだろうが、いまやそういう謙虚にして伝統的な意識は消去されてしまい、「金」と「楽(らく)」が神様であるかのような怠惰な化け物が意識の中心に蠢いている。「悪」を「悪」とする基準も、「悪」へ足を踏み入れないようにするための心のありようも、全く失ってしまっているように思う。 生まれてこの方ずっと大阪にいる自分が体感している。 昔の大阪は、こんなに雑然としていなかった。荒んでいなかったし、下品でもなかった。 いつからこうなったのか…。 事の起こりは田中角栄。金権政治と悪魔のような教育が相まって、大阪はこんなヒドい状態になった。 教育というのは、本当に恐ろしい。中国や北朝鮮を見ていてもわかるが、本当に恐ろしい。そんな教育を、このままにしておいていいわけがない。 いいわけがない。
2012.03.08
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ここのところ、公務員採用枠の縮小を伝える報道をよく耳にする。 大阪市もそういう自治体の一つ。大阪市はもともと公務員数が大変多く、3.9万人もいて、市民1万人あたり147人となっている。同じ政令市の横浜が2.8万人で市民1万人あたり77人なので、2倍以上ということになる(数字は2010年)。 公務員はリストラできないので、どうしても新卒者にしわ寄せがいく。 中央官庁も同じ。各省庁、今年の採用を軒並み縮減するそうだ。国家公務員になって、将来天下り人生を夢見ていた新卒の若者には大変かわいそうなことだ。多分、東大などの優秀な学生は、大学院に籍を移して就職浪人するのだろう。 「日本は公務員が少ない」とよく言われる。本当にそうだろうか、と常々疑問に思っていた。 竹原市長で有名になった阿久根市は、公務員の給与が市の歳入を上回るというとんでもない状態になった。 市民サービスどころではない。何をするにも借金をするしかないのだ。竹原市長は過激な作戦を取って役所を敵に回し(結果、議員も敵に回し)、最終的には失職してしまったが、竹原市長が過激な作戦に出ざるを得なかった理由は理解できる。 こういうことは、日本全国どこにでも転がっている話のような気がしていた。 で、調べてみた。唯一出ていた数字は、「労働人口に占める公務員の割合」というもので、「5.3%」だった(データはOECD2005)。日本の労働力人口は、ざっと6700万人くらい。とすると、公務員は350万人余りということになる。 本当だろうか??? 調べてみた。しかし、公の機関からは正式な数字が出ていない。どうも隠しているとしか思えない。 自民党が明らかにした数字では、中央官庁の役人の人件費が5兆円、地方公務員が35兆円だそうだ。 公務員の平均年収は、大体700万円程度だから、ここから人数を算出すると、600万人いることになる。 ????? しかも、100近くある独立行政法人や政府管轄の公益法人がある。そこにいる人がおおよそ60万人。地方にも似たような組織がある。さらに外郭団体。そうした人々を準公務員としてカウントすると、一説では870万人もいるのだとか。さらに、役所にも外郭団体も契約職員とか、パートの人を雇って、自分たちの仕事を減らして新聞を読んだり、マッサージ機にのっかったり、喫茶店でダベる時間をつくっているようなのだが、そういう人たちがどれほどカウントされているのかは定かではない。 単純に考えても、公務員と準公務員が労働人口に占める割合は12%以上ということになり、決して低い数字ではない。 気に食わないのは、正式な数字を公にしていないことと、だれも「多い」「少ない」の議論をしようとしないこと。 労働者10人が1人以上の公務員の給与を捻出している…。これって、正常なことだろうか。年収400万の人が10人で払う税金で年収700万円の公務員を養う…。 ムリでしょ 橋下市長が口にする政策の多くは、システムのスリム化が伴う。関係官庁を最小限に抑え、関わる役人のほとんどを排除する。役所の権限委譲を促し……公務員の大幅削減を狙っているのは確かだろう。 知事時代の市長会で「人件費が高過ぎる」と涙したあのときに、 橋下さんの政治の方向性が決まったということかもしれない。 それにしても……870万人……。 ※本文で触れている通り、公の機関が発表している数字がほとんどなく、テレビ番組上で表明された数字等を参照しています。正確無比な数字ではありませんので、ご了承のほど。
2012.03.07
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少し前から、お酒の飲み方に気をつけています。3年ほど前から、何となく気をつけていたのだけれど、気のつけ方が足りなかったようで、厳しい症状に苦しむはめになったので、掟をつくることにしました。 掟その1 一人で飲まない一人で飲むと、陰にこもるというか、発散できなくてついつい悪酔いしがちになるし、酔うことを目的に飲んでしまうので、量が増えてしまう。 掟その2 平日は飲まない週末は、気分的、体調的に飲める状態にしておきたいので、月~金曜日は禁酒。だれかに誘われて平日飲みに行くとしても、合計週に3日以内になるようにする。 掟その3 飲む量を把握するワイン(泡含む)なら500ccまで、ビールなら中瓶2本までなど一応の制限を設けて飲む。 焼酎やウイスキーなど、度数の強いお酒は薄めて飲むか、極力飲まないようにする。 掟その4 酒肴に気をつける枝豆、白身魚、かまぼこなど高タンパク低脂肪食品をたくさん食べる。(飲むと食べないタチなので) 掟その5 飲んですぐに寝ないお茶を飲んだり、フルーツを食べたり、シャワーを浴びたりとリラックスする時間をつくり、睡眠時間との区切りをつける。 極力この掟を守るようにしているけれど、「習慣」になるには、かなりの努力が必要。 「努力しないといけないなら、いっそのことお酒、やめれば?」という声も聞こえてきそうだし、そうまでして飲む理由がよくわからない。 というのも、私は、膵臓は弱いけれど、肝臓は元気で、膵臓を気遣って飲んでいては、酔うことも、気持ちよくなることもできやしないのです。 う~む。 おいしいシャンパンとご馳走の組み合わせは捨て難いし、暑い日にグビッと飲むビールも、おいしいフグといただくアツアツのヒレ酒も、トマトとニンニクの芳香がたまらないイタリアンにワインも、なくなるとなると、寂し過ぎる…。 人との会話を盛り上げたり、楽しくしたりするためのツールとしてのお酒は絶対必要。 好きな映画を見ながら飲むお酒もたまらなくおいしいし。 ってわけで、お酒はやめられそうになく、さりとて、好きなだけ飲めるわけでもなく。 しばらく(掟が「習慣」になるまで)、手探りの格闘が続きそうです。 ま、今度の検査で「問題なし」と言われれば、ある程度「解禁」ということにできるのですが、特発性である以上、いつ、どういう理由で再発するかわからない。 ……やっぱり、格闘は一生ものになるような……。
2012.03.06
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父の法要で兄の家に行ったときに気づいた。小学2年の姪のファイルの名前の表記が、仮名と漢字の入り交じったものになっている。名前はともかく、苗字は総画7角というごく簡単なものなのに、一文字が仮名、一文字が漢字という奇妙なもの。義姉になぜか聞いた。「まだ習っていない漢字は、使ってははいけないんです」「え? 決まり?」「そうなんですよ」「○○ちゃん(姪の名)、漢字で書けるでしょう?」 「はい。でも、学校から、だめって言われてます」 ?????? おかしなことがあるもんだ。習おうが習おまいが、自分の名前くらい書けるなら漢字で書いて悪い道理がない。よく覚えていないが、私は2年生の最初から、姓名すべてを漢字で書いていた。先生も「よくできました」と言ってくれたと記憶している。名前の3文字のうち、1文字は1年、1文字は3年、もう1文字は4年か5年で習ったはず。「習っていない漢字は書かなくていい」 というのはよくわかる。が、「習っていない漢字は書いてはならない」という意味は全くわからない。何の問題があるのだろう。 書けない子がひねくれるということか。習わない漢字を書くと、間違って覚える可能性があるということか。はたまた、皆が勝手に漢字を書き出すと、教室の規律が乱れるということか。 明確な理由を教えてほしい。 が、どんな理由を提示されても、納得できないと思う。自分の名前は、戸籍に登録されている文字を書くのが正解で、仮名で表記するのは、無学を理由に許された期限付き措置のはずだ。 早くから漢字で書けるようになりたいと思う子がいた場合、奨励することはあっても、否定するのは教育のあり方としてどうなのか。 きっと、「平等」という幻想の呪縛があるのだろう。皆が足並みを揃えないといけない。皆が同じ水準、同じ認識でいることが、教育の根本だと。 けったいな話だ。そもそも、名前に「教育漢字」以外の漢字を使っていたら、一生自分の名前を漢字で書けないことになる。 こんな教育では、「落第」も「飛び級」もあり得ない。 これが、迷走を続ける日本の学校教育の現状(の一コマ)だ。
2012.03.05
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年のせいか、最近、なんだか気持ち悪い。毎日、何度か気持ち悪い思いをしている。 きょうは、パソコンのモニター出力のコネクタがD-Sub9pin(メス)であることがわかり、 SHARPのモニター(テレビ)の入力コネクタが同じくD-Sub9pin(メス)で、どうしてこんな古い規格なのかと不思議に思い、気持ち悪かった。 また、以前つくったグラフィックデータを再度使いたいけれど、データをつくったパソコンが故障して、それに近いOSで動いているノートパソコンでデータを開いたら、テキストがジャギる。調べたら、ATM(Adobe Type Manager)のバージョンがOSと合っていなかった。が、古いOSゆえ、アプリケーションのアップデートができない。故障したパソコンに接続していた外部HDDなどと格闘し、何とか解決したが、終始気持ち悪かった。 最近、楽天の複数のサービスを使うと、共有されているデータと、同じようなものなのに、リンクされていないデータがあって、何だか気持ち悪い。ポイントが当たるくじやレシピ、レビュー書き込みなどの結果がすぐに反映されて気持ち悪い。私のデータベースはどうなっているのだろう、だれかにすっぽり抜き取られはしないかと気持ち悪い。 グーグル新方針に総務省が注意を促す- J-CAST(2012年3月1日18時10分) 総務省と経済産業省は2012年2月29日、米検索大手グーグルの日本法人に対し、3月から適用を予定している新たな個人情報保護方針(プライバシーポリシー)について、利用者に分かりやすく説明して欲しいなどと注意を促す文書を送った。 グーグルの機能は、電子メールや交流サイトなど60ものサービスがあり、それぞれのサービスごとに利用者の個人情報 を管理していたが、3月1日からの新方針ではこれが1つに統合される。そうなれば、まとまった個人情報が容易に検索できるようになるため、「個人情報保護 法の順守」などの観点から注意が必要、などといった指摘が専門家から出されていた。 この「気持ち悪さ」の原因は、「無知」から来る。どんなシステムで情報管理をしているのか、どういう方法で、ハッキングされるのか、不正に情報を流用されたら、どんなことになるのか、 何一つわからない。 「わからない」は「気持ち悪い」。 −5×−5=25となることが、よく理解できていない気持ち悪さ、 携帯の電波がもし目に見えたら、自分の回りにどれほど電波が飛んでいるだろうと思う気持ち悪さ、 匂いも熱もない放射線が身の回りに漂っていて、自分の体をどう冒しているのかわからない気持ち悪さ、 政治がいつまでも混沌としていて、自分の生活や未来が全く見えない気持ち悪さ…… 「わからない」は「気持ち悪い」。 できるだけわかるように、わからないことを調べたり、理解するように勉強したりするが、世の中の変化の方が圧倒的に速くて、ついていけない。 情報が多過ぎる気持ち悪さ、これは、これからますます助長され、私が死ぬまで続くだろう。 ということは、気持ち悪さから逃れることは一生ない、ということか。 えらいことになったものだ。
2012.03.01
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