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看護師「虫けらさん? はい。ミスは、洗浄綿くらい。 はい、自分でやるって。はい。うん」抗がん剤を抜針する作業を自分でするか、病院で看護師にしてもらうかという選択ができる。虫けらの場合、病院のベッドで4時間ほどの点滴の後、最後の抗がん剤を点滴したまま持ち帰り、46時間後に抜針するということになっている。虫けらは抜針を自分ですると言っていた。というのは、点滴を吊っている2日間は営業できない。体調の問題はあるが、それだけではなく、体の脇に点滴を吊ったまま営業するのは、ちょっと違和感がある。邪魔だし、第一、お客さんが見たら、痛々しい感じしかしないだろう。病院での抜針時刻は、物理的に14時以降になり、そこからの出勤、仕入れ、仕込み、営業は難しい。となると、平日3日間は休業せざるを得ない。土日は治療室が手薄になるので、点滴から抜針までの全ての日程を平日に収めなければならず、月、火、水のいずれかに点滴を受けることになる。点滴の前には、血液検査の結果を受けた診察がある。怖い主治医は金曜日が外来診察日なので、その日は確実に診察室にいる。しかし、これまで、月、火、水のいずれの日も診察を受けたのだが、本来の診察日ではないため、診察室は変わるし、怖い主治医の前後の予定があるしで、どうも気を使ってしまう。前回などは、オペが長引いて当初の予定どおりにいかず、診察室→治療室→診察室と、診察場所が変更され、最終的に5時間遅れで会ったときの怖い主治医の様子に驚いてしまった。その疲れようと言ったら…。目が全開しないほどショボショボで、座っているのもつらそうだった。怖「何曜日にしましょう」虫「先生のご都合のよい日時で結構です」この日に限らずとも、毎回このやり取りをする。怖い主治医は「あなたの予定が優先です」と言い、虫けらは、「治療を優先して店の予約を取るので、いつでも」と言う。だったら、金曜日に固定してしまったらいい、と考えた。とすると、自分で抜針するしかない。今回(第3回目。1回目は入院中のことで、自己抜針は不可。2回目で手順の説明を受けた)でテストを受けることになった。虫けらとしては、これくらいのこと、難なくこなせると思っていた。やることは大したことはない。ただし、抗がん剤は瓶やパッケージに入っているときは何の問題もないが、外に出ると危険な薬剤である。そのことには注意が必要だ。怖「えっ、次でテストして、自分で抜針するの?」虫「はい。前回、教えていただいたし、動画も撮りました。 大丈夫だと思います」怖「んー」虫「私には、できなさそうですか?」怖「いや、あなたは確実にできるとは思うけど、 通常、あと2〜3回はこっちでやるんやけどね」虫「大丈夫です。次は金曜日に予約をお願いします」虫けらにしては珍しく、割と強硬に怖い主治医にお願いした。怖い主治医も何とか了承してくれた。そして、最初の看護師の言葉。これは、院内電話に答えたもの。虫けらの抜針テストが終わった瞬間にかかってきた。向こうは女性の声。虫けらのことが話題のようだが、誰だろう。電話を切った看護師が笑いながら言う。看「○○先生(怖い主治医)が、心配して聞いてきましたよ」虫「え、いまの、○○先生?(女性の声だったような…)」看「いえ、○○先生が、いまの方に依頼して」虫「あ、そうですか(そんなにできない奴と思われてるのか)」看「愛されてますね?」虫「えっ?」看「こんなに心配してもらって」虫「いや、次の診察を金曜日に入れてもらったので、 変更がないかの確認でしょう?」看「そうかな?」虫「とりあえず、合格にしてくださいよ。間違いは成功の元。 自分でできますから。動画確認しながらやりますから」実は、ちょっとした間違いをしたのだが、それは、前回使った器具と違うものを用意されて、手順が全く変わったのと、治療室に着いてすぐの、落ち着かないままの作業だったのがいけなかった。カテーテルの先を洗浄綿で洗浄する行程を飛ばした。それだけで、不合格はきつい。抜針作業の全体は確実にできる。ま、こんな小さなこととはいえ、10年前の虫けらなら、絶対に犯さない間違いだが。加齢はいやだ。脳が緩んでいるのだな。以前の仕事は、緩んでいてはできない「企画」「コピー」「シナリオ」といったものだったが、飲食店など、いろんな間違いを犯しならがやっても何とかなるので、この10年の間に脳が弛緩してしまっているのだ。怖い主治医は、虫けらを心配したのではなく、「できないだろう」と見越し、スケジュール変更を準備しての確認だろう。いやな話だ。昔は、虫けらの人間力を頼って、さまざまな人が仕事を依頼してきた。それは、直接の「企画力」「制作力」ということもあるが、問題を解決するための方策(アイデア)や、人脈を頼られたりもした。新しいこと、難しいこと、窮したことを虫けらに振った人間は、必ず安堵する結果になることを知っていた。金額にしたら、プロジェクトの大きさにしたら、社会性の高さにしたら……と考えると、小さな飲食店のそれとは比べ物にならない。結構大きくて意味のある、さまざまな経験があるのに、こんな小さなことさえも「信用」してもらえないとは……。年齢の問題なのか、虫けら自身の問題なのか、怖い主治医が心配性なだけなのか。。いずれにしても、怖い主治医に過分に心配されていることに、身の置き場をなくしてしまった虫けらである。 臨 終
2024.09.27
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このブログで10年前に書いたことを思い出した。「恋と愛」詩人「まど・みちお」さんが言った。『愛と恋の違いは?』「恋は人間に限って。愛は森羅万象に」なるほど。一般的な現代人なら、「恋は求めること、愛は与えること」くらいの答えだろうか。恋ができるのは、人間だけ……、うん。つまりは、「感情」に由来するもの。では、愛情は「本能」に由来するもの、と言えるのかな。それならば、生きとし生けるもの皆にあるものか。こんな明確にして明快な回答を得たのは、この年になって初めて。まど・みちおさんはそのとき100歳。10年前というと、店を始めて1年ちょっと過ぎた頃。恋も愛も意識できない忙しさと疲労の中にいたはず。まど・みちおさんの言葉に感銘を受けたのだな。単純に。いま、私にとって「恋」と「愛」を語るとしたら、「愛」は、穏やかな脳で発生するもの。「恋」は、狂った脳で発生するもの。と言うだろう。恋に溺れる脳は必ず狂っている。その狂気から目覚めたとき、「なぜあんなに好きだったのか」理解不能になる。対して愛は継続するし、急に喪失することもない。愛の対象がどう出ようと、一喜一憂することなく、大きな心で受けとめられる。ま、「愛」を勘違いするストーカー体質の人もいるので、解釈は人それぞれだろうが、私にとっては、ということで。狂った脳は、何をどうしても抑制が効かない。客観的な状況がわかっていても、抑えられないという状態になる。脳の暴走が収まるまで、とにかく対象のいない環境で、関係のないことを一心不乱にすることだ。旅行や引きこもりなどもってのほか。時間があると、そればかり考える。できれば、漁船に乗って、南洋に出かけるくらいの行動力が必要だ。ま、できる人はごく限られているが。ブログを書いてから10年。「愛」の対象者は皆亡くなり、ペットや趣味にも興味がなく、「恋」をする気力も体力もなく、推しも、ときめく何かも全くない。仕事もそこそこ、治療にも熱意を持てず、こんな日々はいかん、と思うきょうこの頃。おととい、30年来の仕事の友人(といっても、彼女は10歳ほど年上)が、趣味で始めたダンスの公演を観にいった。長年一線でタレントとして活躍した人だけに、舞台映えは見事だった。30歳も若いだろう人に混じって踊っていて、身のこなしもきれいだった。……興味が持てなかった。実は、何かいい運動はないかと思っていた。体にそんなに負担がかからず、定期的にできて、楽しいもの……ダンス、いいじゃないか。と思って観にいったのだが、振り付けが何とも言えず、ダサかった。最近のダンスは、こんなものなのか。JAZZ、ヒップホップ、バレエ、ミュージカルと、様々なジャンルのダンスが披露されたが、バレエ以外、振り付けが余り変わらない。もう少しダイナミックなものがよかった。昔、「タンゴアルゼンチーノ」の舞台を観た。全身ゾクゾクして、鳥肌が立った。そんなダンスをまた観てみたい。そういえば、最近、映画館にも行っていないなぁ。治療中は、人混みを避けるように言われるが、そんなことを言っていたら、生活できない。副作用も余り出ていないことだし、いまのうちに遊びに行こう。……何の話だったか。。あ、大人は脳が狂う前に制御できるという話だ。そうだっけ?推しでも探すか。 無 下
2024.09.25
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昨日、旧友と京橋(東京でも神戸でもなく大阪)に行った。立ち飲み屋、というか、屋台のような店なのに、大変有名で、「京橋」というとその店の名前が挙がるほどの人気店の前を通った。まだ夕方5時というのに、結構な客が酒とアテを楽しんでいる。店の中心で、名物店主が大きな声を出して客と話している。店主「内容証明は要りますか?」なんじゃ?穏やかでない。弁護士登場か?店の前を通り過ぎる前に、領収証についての会話であることが理解できた。つまり、適格請求書発行事業者であることがわかる領収証が必要なのか、という話だ。領収証をもらった人が、その金額を消費税対象の利益から差し引くことができるかどうか、という、割と切実な話になってくる。というわけで、インボイスの話。インボイスは、実質増税である。ということを知らない人が多い。「消費者から預かった消費税を納めるのは当たり前」と考えて疑わない人ばかり。財務省の作戦にまんまとハマった日本人の典型だ。消費税は預かり金ではない。これは、裁判での判決が確定している。簡単に解説する。簡単な解説でもすぐわかるはず。消費者は、納税義務者ではない。納税義務は事業者側にある。消費者は「10%払っている」と思っているが、これは、単なる「物価」なのだ。つまり、その商品を購入するために必要な金額、ということになる。しかし、レシートには、「消費税10%」と明記され、そもそもの価格に上乗せされている。これも、財務省の策略。そう表記するのが、事業者に義務付けされているので、事業者は消費税を別記する。しかし!事業者がどのように消費税を納めているかを見てみると、それがおかしいことに気づく。わかりやすい例として、小売業者について解説する。事業者は、まず商品販売で得た「売上」を計上。その売上に対して、商品を仕入れた「仕入額(売上原価)」を計上するのだが、仕入れにも「消費税」を支払っている。ゆえに、仕入れに支払った消費税を売上の消費税から差し引いた額が納める消費税となる。(最も簡単に言うと。会計上は複雑な計算がある)事業者は、利益の中から「人件費」「事業所税(法人税)」「設備投資」「家賃」「光熱水費」などさまざまな経費を支払っている。しかし、小売業なら、これら経費は売上原価にはならない。輸送費など適用項目はわずか。ということは、経費として最も大きな額になる(全ての事業者に当てはまるわけではない)人件費にも消費税がかかることになる。零細事業者(売上1000万円以下)は、これまで消費税の納税を免除されていた。理由は、納める額が小さいので、税務署の手間(納付書の発行等)が増えるだけ損、ということだ。ところが、昨年施行されたインボイスは、零細事業者にも適用される。増税でなくて何だろう。あれ?わかりにくい?はっきり言えるのは、「消費税は預かり金ではない」ということと、「消費者は消費税を納税していない」ということ。そして、「適格請求書発行事業者の登録」という手段を使って、適用外事業者を差別し、消費者と事業者の間の分断を生み、増税の事実を隠蔽しようとしているということだ。もちろん、これは、綿密に練られた財務省の謀略。日本国民は、もう少し賢くならなければ、政治家、官僚、マスコミにいいように踊らされている現状を変えることはできない。京橋の人気店の前を通って、改めて考える夕暮れだった。 爆死
2024.09.14
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この先、台風の影響がいろいろあるだろうと予想される水曜日。(我が家は大阪)少し早いが、店の家賃の振り込みに行き、ついでにショッピングでもするか、と外に出たのはいいけれど、間もなく雨が降りそうな空模様。しばらく商業施設にいる覚悟で、足早に銀行へ。最近、銀行そのものも、ATMも少なくなった。きょう出かけた場所は全ての都市銀行や大抵の地銀の支店が揃っているが、一駅離れると、悲惨な状況である。バブル崩壊後、金融機関の統廃合が相当進んだが、今後、さらに壮絶な生き残り合戦が繰り広げられるだろう。日銀の利上げ政策のおかげで、ペースダウンしてしまったが。ま、そんな話はどうでもいい。きょうは、サングラスを買いたいと思っていた。無印良品だか、ユニクロだかで買ったサングラスが壊れてしまった。どのタイミングかわからないのだが、フレームが割れてしまっていて、レンズが落ちるので、買い替え時だと観念した。(1300円/9年使用)3coinsでいいのを見つけた。300円ではなく1000円だった。その向かいの店にも。1210円と手ごろだったので、どちらかにしようと思った。が、まだあるかもしれない。上のフロアにも足を運んだ。ふと、珍しく、帽子専門店があるのに気づいた。この商業施設には何度も来ていたのに、気づかなかった。実は、前々からハンチングが欲しいと思っていた。女性物のハンチングは珍しい上、カバンなど他の雑貨と一緒に帽子を扱う店に置いていることはまずない。最初にハンチングが目に入ったので、自然と足がそちらに向いた。が、すぐに男性物だと気づいた。男性物でも、色や柄が気に入ればいいことなのだが、まず、サイズが合わない。しかも、その店のハンチングは、いかにも「男性物」という色合いと柄だった。すぐに見切りをつけて外に出ようと思ったら、女性店員が目ざとく私を見つけて声をかけてきた。軽く笑顔でいなして外に出る。外から店の正面に歩を進めると、面白い色のキャップが目に入った。グリーンとブルーとグレーの間の色。服と合わせやすいのか合わせにくいのか。ウォーキングのときにキャップを被りたいのだが、手持ちのキャップは色が余りよくないので、これはいいかもしれない、と立ち止まった。手に取ろうとしたら、件の女性店員が声をかけてきた。「こちらは人気の色味なんです」「不思議な色ですね」「でも意外に服に合わせやすいんですよ」私が手を伸ばした帽子を見て、「それはMサイズなんですが、大きいと思います。こちらのSでいいかと」おお、私の頭のサイズがわかるのか!さすが専門店の店員さんだ。このブログでも何度か書いたが、私は異常に頭が小さい。が、そう見えないのだ。面の皮が厚いとか、大きな顔をしているという態度が邪魔になって、人に「頭が小さい」と言うと一笑に付される。「多分、これでも大きいんですよ」と言いながら被る。ぶかぶかである。「アジャスターがありますから……どうでしょう」女性店員がアジャスターで縮めてくれて手渡される。ジャストフィット。タグを見ると、Sサイズは56.5cmとなっている。中学2年生のとき、54cmの帽子を特注したのを思い出した。『13歳から変わってないんかい!』と心で突っ込みながら、被った姿を鏡に映す。「頭が小さいのに、背が高いですね」「すらっとしていらっしゃって、かっこいいです」「お顔が小さいから、帽子がお似合いです」「無駄肉がないですね」「体型維持、大変でしょう?」「あ、すごい筋肉質ですね」「ジムに行ってらっしゃるんですか?」「姿勢がいいですね」矢継ぎ早に褒め言葉を並べる。いや、褒め言葉とは限らないな。女性なら、ちょっと嫌な言葉も混じっている。少なくとも私くらいの年の女を形容する言葉ではないかな。単に、その店員さんの常識や固定観念に当てはまらない人間だったのだろう、私が。率直な感想だったような気がする。「いや、運動は何もしてないし、アラ還ですよ」と言うと、えに「 ゛」がついた声を発していた。そう。足や腕の筋肉を見せると、皆、私がジムでトレーニングしていると思うようだ。何もしていない。私のハムストリングを見て(触れて)、カイロの先生が、「どんなトレーニングしているんですか?」と聞く。「ママチャリ漕いでるくらいです」と私。「あり得ない。競輪並みにスピード出してる?」「まあね」競輪並みではないが、スピードは出している。常にハムストリングにストレスがかかるくらい力強く漕いでいる。前腕、二の腕、胸筋は、随意筋よろしく筋肉をグリグリ動かすことができる。先日、小学生の頃からの友達(看護師さん)と旅行したとき、中学生の頃と変わりない私の筋肉たちを見て驚いていた。頭のサイズも筋肉も、中学生の時のままか。筋肉は、少し動かせばすぐに増量する。服のサイズが変わるのが嫌で、余り動かさないようにしているが、病気になってからは、筋肉量を維持するために少し筋トレをしている。サイズは余り変わっていないが、とても硬くなっている。頭のサイズはちょっと困ったものだ。今後、脱毛が予想されるのだが、ネットであれやこれや探しても、この頭に合うウイッグが滅多にない。既製サイズとしたら、SSサイズもしくは調整可能なSサイズということになるのだが、ほぼほぼサイズがない。Mサイズが主流で、大抵の場合サイズが選べない。自分に合わせた特注となると、金額の桁が変わってしまう。雨をいなすために少しショッピングをしようと思ったら、自分の欠点を見直す機会となってしまった。結局、サングラスを買わず、帽子を買ってしまった。サングラス……幾つか持っているので、何とか使えるのを探すか。もう新しいのを買うのはもったいない。あと何度も使うものではない。来年のこの季節はもうないかもしれない。帽子とは対照的に、私はメガネが全く似合わない。サングラスとて、似合った試しがない。が、日焼け防止には必要不可欠だから致し方なくかけている。というわけで、とにかく買いたい、というものでもないし、帽子が手に入ったなら、それはそれでいい。とりあえず、きょう買った帽子はウォーキングで使い倒そう。最近、暑くて歩けていない。なのに、あすからは台風でどうなるかわからない。……しまった。来週明け早々、2度目の抗がん剤治療だ。副作用が出ると、ウォーキングどころではなくなる。日曜……台風が過ぎ去っているだろうか。この台風はどうも足が遅すぎる。上陸すれば、早くなるだろうが、いつになることやら。考えても仕方ないことは考えるまい。 南無
2024.08.28
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いつごろからだろう。多分、日本がクレーム大国になり始めたころだと思う。2000年代か。病院のパンフレットやHPで、病院の利用者に対して「患者さま」という表現を用いるようになった。これがどうにも気持ち悪い。ずっと気持ち悪かった。「患者」というのは単称(個称)ではなく総称である。「患う者」「罹患している者」を一括りにしているだけで、個々人を称しているのではない。ゆえに、「患者」と表記して何ら問題ない。ただし、医師が患者に向かって「患者さん」というのは、気持ちの問題であって、許される用法だろう。例えば、「囚人」も総称であるが、囚人に向かって「囚人さん」とは決して言わない。もちろん、「さん」という敬称を囚人に対して用いるのはおかしいという理由で、「囚人」と呼ぶこともない。当人に向かって使わない言葉なのだ。では、患者を表現する場合、どうすれば適切か。「お客さま」とするのはおかしい。病気になった人を病院がお客さまと呼ぶと、あからさまに「儲け」の対象になってしまう。そのまま「患者」でいい。どこでどう間違えて、「患者」を「単称(個称)」のように使うようになったのか。そういう商売(コピーライター)をしていた者としては、責任を感ぜずにはいられない。私個人としては、このような変な言葉は使ったことがない。文章中に使うなら、「〜方」で事足りる。「入院を切望される患者さま」「入院を切望される方」厳然と対峙している相手に「患っている」という意味が含まれる「患者」と言う必要はない。「病院対患者」「医療従事者対患者」という構図の中で表現する場合は、「患者」でよい。「さん」も「さま」も全くもって不要である。病院のシステムの中で称する場合は、「受診される方」「来院される方」などでいい。病院が、ビジネス的立ち位置に立ってしまってから、こんな変な表現がまかり通るようになった。自分が患者だから言うのではないが、病院には、「医は仁術」という姿勢を貫いてほしい。医師がそうであってほしいのはもちろんだが、病院全体が、その姿勢で構えていてほしいのだ。病院が異様に患者に「媚びへつらう」のが気にくわない。この場合の「病院」とは、経営陣であり、医事課の人々のことになろう。そうでないと、何に対しても疑心暗鬼になる。偉そうでもいい、冷たくてもいい、信じていれば、光明が射すに違いないと、安心して診療を受けられる存在であってほしい。なんて。そんなこと、いまの世の中では無理なのに。パソコンと、血液検査の数字しか見ない医師ばかりだ。触診どころか、聴診器も当てない医師ばかりだ。患者の顔色も表情も読み取れない医師ばかりだ。患者の心をえぐる言葉を投げかける医師ばかりだ。このままだと、そのうち医師はAIに取って代わられるだろう。 合掌※上記の「医師」は、怖い主治医のことを言っているのではありません。決して。怖い主治医は、ここのところ大変優しく、人間らしい言葉をかけてくださいます。これまでのことはさておき、現在は信頼できると言える…かな。。そう思っていないと、これからの治療は耐えられませんので。
2024.08.07
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「余命(よめい)」とは、どういう意味だろうと考えた。「平均余命」というものがある。「へいきんよみょう」と読むのだが、0歳→80となっていたら、「現在0歳の乳児があと80年生きられます」という意味。これなら理屈はわかる。しかし、「あなたの余命(よめい)は半年です」と言われたら、「あなたはあと半年しか生きられません」となり、「余命(よみょう)」とは対極の意味になる。しかし、「余命(よめい)」は当たり前に使われる。突然だが、「余」をじっと見てほしい。私は毎度ゲシュタルト崩壊を起こす。「あまる」って、こんな字だったっけ?と不思議な気持ちになる。話を戻して。「余った命」ではない。「残された命」だろう。だが、この言葉はちょっと残酷さを伴うし、ストレート過ぎるきらいもあるにはある。しかし、慣れればそんなものだと思えるに違いない。「残」をじっと見ていても、ゲシュタルト崩壊は起こさないので、ぜひこれからは「残命」」と言ってほしい。私の「残命1年」は、まだほとんど誰にも明かしていない。家族はもちろん、親しい常連さんにも言っていない。が、二人にだけ、話した。聞かれたからだ。嘘は嫌なので、ありのままを話そうとは思っているのだが、皆、元気な私を見てイメージしないのだろう。「余命」なんていう言葉を想像すらしないはずだ。ただ、私がそう言ったときに、「知り合いも余命1年って言われたわ。半年くらいで亡くなったけど」と返され、少々背筋を冷たくした。そうなのだ。1年というのは、医者の経験則であって、確たる計算式や統計学を元にしたものではない。1年と言われながら3年生きる人もいれば、半年、3ヵ月で亡くなる人もいるだろう。怖い主治医は意外にもやさしい人かもしれないので、自分の弾き出した数字より長めに言ってくれたのかもしれない。大変だ。1年あると思い込んでいた。えらいことだ。ゆっくりしていられない。(ゆっくりしてはいないが)大丈夫。そういうこともあろうかと、再度検査をしてもらう手筈になっている。検査してから2ヵ月たつので、「いま、どうなっているか知りたい」とわがままを言い来週には現状を把握できる。そこで、意外にも速い進行が確認されたら、心を決めなければならないだろう。治療は期待できないと思っている。怖い主治医からは、「数を減らす、小さくする」を第一に、「他の治療法が取れないものか検討する」と言われているが、無理だと思う。「数が増える、大きくなる、違う場所に発生する──それを少しでも抑える」くらいのレベルになるだろう。なので、すぐに治療をやめたいと思っている。延命は、期待していない。ただ、「治療を試みた」くらいはやっておかないと、後を託している家族(姪)に申し訳ないというだけだ。ということを考えても、「残命」が正しいだろう。 南無
2024.07.22
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このブログを始めて27年、この類のテーマで何度も書いているのだが、どんなタイトルにしていたのか忘れたので、ふんわりと、「こんな感じかな」程度のタイトルにしておいた。これまでも大抵、日本語がおかしいことを書いていたと思う。今回もその類。●そこまでこの言葉は、大阪発信の「そこまで言って委員会」というTV番組が大きく影響していると思う。「そこまで」は、文章にされることはなかったように思う。口から発せられる言葉としては、あっただろう。「そこまで言う?」という用法限定ではなかったかと思うのだが。しかし、類義語としてある言葉の「それほど」「さほど」の代用語として使われることが多くなっている。「そこまでまずいことはない」「そこまで窮屈じゃなかった」「そこまで信用できないことはない」こういう言い方に強烈な違和感を覚える。「それほど」「さほど」を「そこまで」というちょっと下品で、文語体になかった言葉をのさばらせるのはどうかと。私は文章の中では使いたくない。しかし、YouTubeのような動画(画像含む)サイトだと、「字幕」として文字になる。すると、この言葉を多用する人が大変多いことに驚く。と同時に、やるせない気持ちになる。少し冷静になって、この言葉の意味やいまの人々が多用する背景をさらに分析したいと思う。●個人的には少し前には「私的には」がはやって、これも愚痴った気がする。「私的には」と同様、自分の意見を言う前にこの言葉を枕詞にする。保険である。人が違う意見を持っていても、攻撃されないように。「私は」「自分の研究結果は」「我が論評は」といった直接的な表現を和らげるとともに、保険をかけているのだ。日常会話ならいい。しかし、評論家や論壇の人間がこの言葉を使うと、「自信がないのか」「世間に意志表明することを諦めたのか」と思われるのではないかと勝手に危惧する。ズバッと言えばいい。それで、非難や賛同を得ればいいことだ。自信のない人間ばかりになった。大人がこれで、若者や子供はどうなってしまうのか。●もっと言うと押し付けがましいにもほどがある。「もっと」言わなくていい。「さらに」「それから」で済む接続詞である。水島氏が多用していて違和感があったのだが、最近では誰でも彼でも使う。流行なのか。自信がなかったり、押し付けがましかったり、厄介な輩が多い。日本語を再勉強して、美しい日本語を使ってほしい。いくらいいことを言っていても、こういう言葉が気になって、内容が入ってこない。実に虚しい現実である。●今の現状これは、前出の項目とは違うのだが、この言葉は市民権を得てしまったのかと愕然とするほど多用されている。正しくは「現状」でいい。「今の」と言いたいのなら「状況」が続く。一日に何度聞くのかとげんなりするほどこの言葉を聞く。テレビ、ラジオ、YouTubeなどのネット配信番組。おかしいと思わないのか。なぜこうなったのか。正しい文章を読んでいない人が多いということだろう。正しい日本語が身についていれば、耳から入ったこういう言葉は背筋がねじ曲がるほど違和感がある。そう感じない日本人が多いのだ。まだまだある。どんどん書く。イライラすることは吐き出さないと。何も感じない人にも気づいてもらわないと。ま、大して意味のあることではないかもしれないが。言葉を職業とした(お金を稼がせてもらった)人間のせめてもの務めだと思って。
2024.06.27
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去年病気になるまで、「散歩」というものをしたことがなかった。目的地、目的、歩くルートの意味、すべてが揃わないと歩き出す気になれないということだ。「あそこ」に、「何をするため」に、「この道」を歩くという条件があってこそ、歩けるというものだと思っていた。退院後、看護師の友達から「歩かんと、手術したところが癒着するかもしれんで」と言われ、恐ろしくなって歩き出した。しかし、これまでの厄介な癖がどうしても消せなくて、目的地や目的を求めてしまう。「新緑を楽しもう」とか「川辺の景色を愛でる」などというこじつけ的な理由で歩くことができず、勢い、「歩数」を目的にしてしまうことになる。私は人より歩幅が大きい(長い)と思う。重い荷物を持っている、高い靴を履いている、窮屈な服装だ、などという困難がない限り、80cm以上で歩く。例えば、歩数を1万歩と設定すれば、8km歩くことになる。考えてみてほしい。都会で8km歩くとなると、どこまで行けるのか。大阪で言うと、「難波」「梅田」間が4kmだから、往復してしまう距離だ。以前、急性膵炎が完治したとき、弱った筋肉を復活させるためにウォーキングしようと決心した。しかし、上記の計算をすると、家の周辺を幾らぐるぐるしても、到底8kmなど歩けるわけがない。安全にウォーキングできるルートを探すだけでも困難なのに、飽きることなくルートを変えながら歩くのは、至難の技だった。しかもその上、私はゆっくり歩けない人間なのだ。「24時間戦えますか」の時代を生きた者は歩くのが驚くほど速い。「競歩してますか?」と聞かれるぐらい早歩きをしてしまう。結果、筋肉は疲れ、汗はダラダラ、腹は空いてゼエゼエになる。結論として、歩くのは6000歩と決めた。5kmなら、一辺1km程度の区画を四角く歩けばほぼ達成できる。この方法で、日夜ウォーキングした。まだ若いころ(15年前)だったので、難なくこなせたのだが、去年の猛暑のつらさ、今年の雨の多さ、そして寄る年波による体力の低下に疲弊する日々である。全く関係ないのだが、主人が自転車、私が徒歩で家に帰るとき、競歩まがいの歩き方をしたことがある。主人の運転する自転車について歩いたのを「なんでそんなに速いねん! 時速15km以上出してるで」と驚かれたことがある。実は主人は自転車フリークで、子供のとき(小学から中学)、自分で自転車をつくったことがあるそうだ。走行時速もよくわかっているようで、私が自転車についていけることに驚いていた。実は、私は走るのが嫌いで、走るなんて、体に全くよろしくないと思っている。かかと、足首、膝を絶対に傷める。膝を傷めたら、必ず股関節に来て、腰に来る。老後の死活問題になりかねない。だから、走りたいときは競歩のような歩き方をする。少々不格好だが、仕方ない。何の話だっけ。あ、ウォーキングが向かない人種の話だ。ゆっくり歩けない。歩幅が広いから、歩数で歩くとえらいことになる。体力がないのにこうだから、大変疲弊する。ということを書いていた。仕事が忙しく、しかもアナログの時代の人間は、歩いて稼ぐという方法で仕事をこなしていた。最近、YouTubeで医療関係のチャンネルを見ていて知ったのだが、普通の歩行でゆっくり歩く人は、早く歩く人より健康リスクが大きいのだそうだ。生活習慣病だか、認知症だか、将来病気を抱える確率が高くなるという研究結果を解説していた。へー、と思ったが、ゆっくり歩けないことの弊害についても調べてほしい。ちょっと歩くと、絶対シャワーを浴びないといけないくらいの汗の量と体温の上昇は、体に悪くないのだろうか。これからの季節が憂鬱なきょうこのごろである。
2024.06.25
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以前はテレビの中だけだったように思うが、いまはネットの世界(動画、文章共)でも変な接続詞や接続助詞が跋扈していて、気持ちが悪い。最初は、ホリエモンがテレビ局買収だか、国会議員立候補だかでテレビに盛んに出始めたときに感じた。「思っていて」という表現。多分、このブログでも以前に書いたと思う。若い人が言うのは容認できたのだが、最近は、年寄りも使う。きちんとした政治家や言論人も使う。市民権を得たのかと思うが、未だに気持ちが悪い。「思います」と締めればいい。「いて」をつけると「意志」感が弱まるし、周囲の人の同意を乞うているような感じにも聞こえる。昔は、「思う」に「いて」はつけなかった。「思う」「思っている」で何が問題か。「ただ」というのも、耳につく。正式には、「ただし」という言葉だろう。しかし、「ただ」は、軽く、極めて軽く使われる。「ただし」は、前言(前文)を半分否定したり、前提を提示することで、前言の範囲を限定したり、規定したりという厳密な意味を含むのだが、「ただ」になると、単なる接続詞のような使われ方をする。間合いやオチを重視する関西人ならまだしも、素人は接続詞で時間稼ぎする必要はない。しかし、「ただ」を使うと、次の話が何か重みがあるような錯覚を与える。別に大した話ではなくても、耳目を惹きつけるのにはいい言葉なのかもしれない。が、次の話に繋がらなければ、何の意味もない。大抵がこれだ。「とは思う」は、気持ち悪さがこみ上げる。「は」は、他者が提示したことや、論評したことについて「自分はそうだと思うが、しかし」という否定の意味や、肯定の範囲を限定するという含みを持たせる表現だ。問題なのは、そういう意味合いを理解しないのに無駄に「は」を使う人が多いこと。要らないだろうと思う。自意識が強いのか、評論家を気取りたいのか、自己顕示欲を表明したいのかと、勘違いしてしまう。他人に要らぬ神経を使わせる言葉遣いは気をつけるべきだ。昔の私なら、「本を読みなさい」と言ったかもしれない。が、いまのジャーナリストや作家の文章は、上記以上のおかしな表現を使っている。「本物の文豪の文章を読みなさい」というしかない。「言葉遣いや語彙は、時代によって変化する」と言われるが、その過渡期には、文章を書く者、正式に発言する者は細心の注意を払わねばならない。日本語の最低限の格式やルールを曲げてはならぬ。日本語ほど精度の高い言語はないと信じている。まだまだ発展できると思うのだが、退化させてはならない。アメリカのような、崩れた言語には優れた文学も、歌詞も、心の表現も実現しないのだから。「大辞林」は、私が最も嫌う辞書である。
2023.10.15
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宅配便を頻繁に利用している。スーパー、ドラッグストア、100円ショップ、300円ショップ、外食店以外、ほとんどの買い物はネットで済ませていると言ってもいい。しかし、いまの居住環境は宅配便に不向きだ。オートロックではないので、「置き配」は少々心配だし、宅配ボックスもない。おまけに郵便受けが激しく小さいので、メール便が入らないことも多い。これまでの自宅は、真逆の環境だったので、重いもの以外は直接宅配業者から受け取れなくても余り気を使う必要がなかったし、重いものは配送日時を指定して確実に在宅していた。物流業界は24年問題がある。突然の話で申し訳ない。物流が逼迫することは確実だ。宅配ボックスや置き配を選ぶとポイントがもらえるという何とも馬鹿げたシステムを官僚が考案したらしいが、そのポイントとやらは、どこからもらえるのか?結局は税金だろう。省益(一つの利権)を物流問題で得ようとするどこまでも姑息な奴らだ。それはさておき、いまの家に引っ越してから、宅配業者にはこれまでもとても気を使っていたが、来年の物流業界がどうなるか不安だし、もっともっと気を使わなければならないかもしれないと思うと気が重い。ここ3ヶ月弱は夜の営業だけにしているので、午前中の配送を指定しておけば、必ずと言っていいほど確実に受け取れた。しかし、昼の営業をスタートさせると、受け取れるのが土曜か日曜(両日は無理。週に一度ということ)。もっと早く欲しいときは、店に配送してもらうか、コンビニでの受け取りなどを選択しないといけない。重いもの、大きいものは難しい。先週、急に寒くなった。夏の間は薄い冷感ケットのみで就寝していたが、それでは寒い。手持ちの寝具といえば、毛布か冬用の羽毛布団のみ。引越しのときに、他の寝具は全て廃棄した。これでは風邪を引くと、慌ててもう少し暖かな寝具を探した。春夏秋で使用できると銘打った布団を見つけた。楽天の「あす楽」システムのある店だったので、1日〜2日で届く(オーダーした時間による)。「土曜日お届け予定」となっている。いかん。土曜日は昼前から出かけて、帰りは夜になる予定。朝なら受け取れるが、時間指定はできない。日時指定ができるのが、翌週の水曜日からとなっている。それまで(一週間ほど)、寒い思いをし続けるのか…。もう一つ手がある。土曜日に配送してもらい、不在連絡票をゲットしたら、日時指定して、日曜に届けてもらうという方法。これはこちらにとっては便利だが、配送業者に2度来てもらうことになる。それは申し訳ない。というわけで、きょうの午前中に配送指定した布団がまだ来ない、まだ来ないと待ちわびている。今朝は少し喉がおかしかった。マヌカハニーを舐めてしのいだ。配送業者に配慮するというのは、とても寒い思いをするということだ。
2023.10.11
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「天才」を見るといつも思う。まず、この人を天才と定義する。『吉村妃鞠』さん。8歳(2019年)で出場したロシアの音楽コンクールの映像がたまたまYouTubeのおすすめに上がったので観てみた。驚くべき演奏だった。https://youtu.be/4H6BitFb9zw?si=TxLwsBhj45G7iIL_※YouTubeのスクリーンショットです。問題があれば削除します。すみません。名だたる審査員を陶酔させる演奏って、素人にはわからないが、それだけですごいことは理解できる。その上、演奏している彼女の表情や仕草が到底8歳とは思えないそれだ。私が8歳のとき……ひもじさの余り、他人の畑に踏み入って、土壌を肥やすために植えられたレンゲの花を引きちぎり、蜜をチューチューしていた。なんという違い!片や世界の音楽コンクールでトップ賞を取りまくり、片やネズミとゴキブリに悩まされる悪環境で足掻く貧乏人。時代が違うのはもちろんだが、才能が違うのだから致し方ない。以前は辻井伸行さんにそれを見た。ルチアーノパバロッティもそうかもしれない。これは、その人一人の才能ではないと考える。(これが「天才を見るといつも思う」につながる)30年以上前、劇団の芝居のシナリオを書いた。テーマは「セルフィッシュジーン」日本語訳は「利己的遺伝子」だ。生命は、遺伝子が司っていて、肉体は、遺伝子が再生するための単なる器に過ぎないという学説。「天才」は、そうしたシステムから生まれると考える。「秀才」は、普通の人間が努力して到達できる最高レベル。「天才」は、「神が宿っている」などと例えられるが、まさに、音楽なら音楽、数学なら数学の天才の遺伝子が、ちょうどよいと見定めた「器」に入ったということ。知能も記憶も技術も持ったまま。妃鞠さんの演奏を聴いてみればわかる。大変師の教えを守る人だったとしても、専門家(審査員)を陶酔させるほどの演奏はできない。なぜなら、曲の解釈や演奏者の感情が入るからだ。8歳の少女が曲(作曲家の心情)が理解できるだろうか。感情を演奏に移入することができるだろうか。彼女はとてもいい表情で演奏する。大人のそれだ。仕草も天才的。無駄のない、美しい仕草は必要最小限だから、パフォーマンスを考慮した、あざとい大人のそれとは全く別物。演奏者にフィジカルな問題があっては、実現しないこともある。幸いなことに妃鞠さんは、8歳なのに、とても俊敏に指や弓を動かせるし、細かな動作を可能にする筋力や運動神経も持ち合わせている。そして何より、おうちが裕福だ。海外のコンクールに出場できる財力がある。バイオリンという高価な楽器を与えてもらえる環境なのだ。うちの話をして恐縮だが、母方の祖母が三味線師なので、姉のために購入されたが放置されていたオルガンで「おばあちゃんが歌う歌、弾いてみて」と言われた時、即座に祖母が歌った歌の音程を鍵盤で弾いた。もちろん習ったことはない。が、幼稚園で先生が弾くピアノくらいは弾けた。両手を使って弾いていた。祖母が母に「この子に、オルガンかピアノを習わせてあげて」と言ってくれたが、母が父に進言したところ「あかん。金がない」が答えだった。貧乏人はそういうことだ。私は、音や音楽に割と関わりがある。連れ合いはギター弾きだし、音楽関係の仕事を長年してきた。その中で私と知り合ったのだが、私の耳の確かさは認めてくれていた。音程のズレを即座に聞き分けるし、歌マネをするときの音程も完全に再現できた。さらに、耳がいい。耳鳴りが一切ないので、小さな音がかなりの精度で聞こえる。もちろん、モスキート音もまだ聞こえると思う。もし私が金持ちの家に生まれていたら、ピアノとバイオリンくらいは弾けるだろう。もちろん、天才とはいかないが、「ちょっとやってた」くらいの遺伝子が入っているのではないかと思う。妃鞠さんは「モーツァルトの再来」と言われているそうだが、本人は大変努力家で、「5〜6時間練習した後に先生と練習します」と言った強者。モーツァルトのようなルーズさがないので、さらにすごい天才だと言えるかもしれない。そうそう、モーツァルトは1/8音のズレが聞き分けられると言われていたそうだが、若い時の私は「私にもできる」と思っていた。半音の半音は確実にわかっていたし、それ以上もわかると思っていた。というくらい、音に敏感だったので、辻井さんにも、パバロッティにも、妃鞠さんにもハマった。ま、一度聴いてみてほしい。私は100回くらい聴いているが、まだ聴きたい。聴いてみれば、私の言っていることがおわかりいただけるだろう。
2023.10.01
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実家では、ずっとダブルでした。でも、独立してすぐにシングルにしました。トイレットペーパーの話。※転載元(ESSE ONLINE)母は、お嬢さん生まれで、貧乏な自分の状況を認められないのか、物理的な理由があって、ダブルが好きだったのかはよくわかりません。私は、ダブルのペーパーを剥がして一枚にしてからふわっとまとめて使っていました。なぜか?手に触れる枚数が多い方がいいからです。そのときに気づいたのは、ダブルの一枚は、シングルの一枚よりはるかに薄いということ。つまり、ダブルを分けても、シングルより体積が増えることがなく、使い心地はシングルの方がはるかにしっかりしています。これに気づいたのは、高校生くらいのとき。友人の家か飲食店かでシングルを使って。同居した相方の実家もうちと同じ状況。両親が大阪出身ではなく、関東だったことにも起因していたかも。シングルとダブルの違いを説明し、シングルにしたいと言ったら、快く了承してくれたし、「ほんまや」と大変納得してくれました。同じ感性でよかったし、固定概念に縛られる性格でなくてラッキーでした。シングル・ダブル論争で別れる男女がいるくらい重要な要素だということを後に知りました。シングルを使った方がコストパフォーマンスがいいとは思ってはいませんでした。あくまでも使い心地優先。トイレットペーパーを手の中でふわっと持つ理由は、もちろん大腸菌問題。何枚ものトイレットペーパーで防御しないと、大腸菌が手につくのです。日本防菌防黴(ぼうばい)学会が言うには、「大腸菌群が検出されなくなるためには、トイレットペーパーを36枚重ねなければならない」ということのようです。事後の手洗いは必須ですし、そうしなければ解決しないながらも、できるだけトイレットペーパーが重なるように持ちたいということが基本。大阪では、シングル90%、ダブル10%らしく、東京では、シングル40%、ダブル60%とか(アバウト)。「大阪はケチだからシングル」「ダブルは豪華な感じがするから、東京人が好む」なんて思っている人もいるだろうけれど、シングルの方がコストパフォーマンスがいいということなら、きっちり寸法を測って、ダブルより特になるように使っているということになるけれど、決してそんなことはありません。効率性と使い心地です。シングルもダブルも大抵50~60mくらい(商品によっては、ダブルは寸法を短くして紙厚を増しているものも)。値段は同じ。ダブルは薄くて、シングルは厚い。当たり前の話です。というわけで、うちの店でもシングルを使用しています。「貧乏くさい」と思われているのかなぁー。大阪だから大丈夫か。関東系の方がいらしたら、十分説明しよう。余計「大阪は面倒だな」と思われそう。
2023.09.20
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最近、「あの人、どうしてるだろう」「一度行きたいと思っていたところにいつ行こう」「そういえば、連絡しなくなってしばらくになる」などと思ったときには、余り迷わずにメールしたり電話したりしている。これまでの私からは考えられなかったことだ。とにかく無精な性格で、マメに連絡したり、訪問したりといった行動ができない。よほどのきっかけや事件がないと、メールさえしない。が、5年後、自分はこの世にいないかもしれないと思うと、無精な私が変わった。20年以上連絡を取っていなかった得意先(社長)にメールしたり(もちろん、事前にその企業のことは調べて、現在、どんな地位にいらっしゃるかは把握した上)、15年ほど前、よく居酒屋で会ってはよく一緒に飲んだ社長さんにも久々にメールして会食することを約束した。20年以上前に大阪を出て東京に行ってしまった同業の友人が私と同じ病気に罹患した経験があると知ってすぐさま電話。3年前に独立し、業績順調な知人でありお客さんが「事務所に遊びに来て」と言ってくれたのですぐにLINEして訪問が決定した。他にも、様々な人にメールや電話をして近況を聞いたり、再会を約束したりしている。先週、その予定がぐわっと重なって、大変なことになった。月曜日は店に出て、火曜日には知人の事務所訪問。要請を受けていたPCソフトレッスンの後、食事へ。生ビールを10杯ほどいただいただろうか。とにかくおいしい食事の後、駅に向かおうと思ったら、駅が暗い。「電車、終わったよ」げっ!!!堺の真ん中とはいえ、泉北ニュータウンに近く交通の便の激しく悪い場所。知人と別れて、とりあえず大阪市内に近づくよう歩きながらUberやDiDiで配車の手配をするも、全く車が捕まらず、3キロほど歩いてしんどくなったので公園のベンチに座ってしつこく配車要請を繰り返し、ようやくタクシーが見つかったのが、3時間近く経ったころ。携帯のバッテリーが危なかったので、よくぞ来てくださったと運転手さんに感謝した。水曜日は飲み友達の社長との会食。夜更かしした前日とは違って、22時にはお開きになったが、瓶ビール(中)を7本くらい飲んだ。木曜日は店の営業。お客さん相手にまたお酒を飲み、金曜日は連れ合いの墓参りと墓の管理の相談。帰りに、昔(15年以上前)の行きつけの焼き鳥屋に寄って、マスターと近況報告のし合い。メガジョッキのチュウハイを3杯。実は、前回の外来のときに肝臓の数値が悪かったので、お酒を飲んでいる場合ではないのだが、旧知の会食で、酒抜きなんて考えられない。それで死期が早まるというのなら仕方がない。もし、自分の体に気を使う余り、こうした会食を控え、行動を自重し、体にいいとされるものだけを飲食し、自分の飲みたいもの、食べたいものを我慢したのに、結局1年で死んでしまったとしたら、後悔してもし切れないだろう。ましてや、現在生きている意味もない。こういう性格だから、病気になったのかもしれないが、こういう性格は変えられない。よしんば変えられたとして、それは私なのか?そんなことを考えたり、考えなかったりしながらハードな一週間を過ごした。が、昨日も今日も酒は口にせず、おとなしく過ごしている。それは、自分の命が惜しいからでも、長生きしたいからでもない。次の外来のときの主治医の反応が怖くて仕方ないのだ。次回も主治医の調子が悪ければ、またつけこんでやろうとは思うが、そんなことは決してないような気がする。あの鋭い視線に射抜かれ、冷たい口調で私の生活態度を叱責されるかと思うと、下痢しそうなほど怖い。外来まであと3週間。大丈夫。残り1週間になったら何とかしよう。やるときはやる私である。即入院、死亡の確率も相当あった急性膵炎を6週間で回復させた私にできないことはない。……あぁ、怖い。胃が、胃が痛い。。
2023.08.06
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このたび、入院が必要な病を得た。緊急入院ということもあり、かなり焦った。生命保険の死亡給付金の受取人が8年前に亡くなった実母のままだし、保険金(損害保険分)の代理申請人も実母から変更していなかった。前日に入院施設のない病院で診察を受け、翌日に紹介状を携えて大きな病院に行くという行程を経ていたため、入院に必要な荷物は完璧に用意していたものの、保険関係や店関係のことはほとんど対処できずにいたので(産廃業者さんや配達してくれる八百屋さんなどできるところには前日に連絡したものの、ほんの一部)、入院当日、病院から保険屋さんや親族に連絡しまくりだった。荷物の中には、実家の登記簿藤本、自宅の契約書、店の契約書、銀行口座の一覧表、保険屋の連絡先など万が一そのまま亡くなってしまった時に必要になる書類一式も。幸い、そのまま亡くなるということはなかったけれど、(家族という単位をはずれて)一人で生きているがゆえに非常時には周囲の人に多大な迷惑をかけてしまうことを実感した。病気の治療も一段落し、すぐに亡くなるという危険も回避できたので、入院時に慌てふためいたことどもを処理するための作業を早いうちにしないといけないと思っている。弁護士や公証人役場のお世話にならないといけないこともある。資産(というほどのことはないが、両親が亡くなってからほったらかしにしている実家など)の処分、亡くなった連れ合い絡みの様々な事柄、自分が亡くなった後の荷物の処分や遺骨の処分に関する希望、自分だけではどうにもならないことはしかるべき人や組織に相談し、残った親族が困らないようにしないといけない。一人で生きるのは、周囲に迷惑をかけるということなのか。できるだけ迷惑にならないような「準備」は万端にしないといけない。5年後に私がこの世にいる確率は5割以下。残された時間は限られている。さぁ、今年じゅうにあらかた片付けなければ。入院前に厄除けに行った「石切劔箭神社」。ご利益は…?
2023.07.02
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このブログ、ログインするのも久々。日記を書いたのは、ちょうど5ヵ月前。その間にいろいろあったようだけど、記憶に残るようなことは何もない。けれど、ログインするのも、日記を書くのも、できないような状態だったのは確か。毎日、キワキワ。何がキワキワかというと、多分、体力と気力と知力。あら、すべてか。休みたい…………と思い続けて1年以上。こんなんでいいのかと思いつつ、FBで、友達が「いいね」をクリックしていた初回無料占いサイトにアクセスしてみた。生年月日、血液型、名前(ニックネーム)を入力して、『次へ』をクリック。「鑑定してほしい占い師を選んでください」というコメントが出たので、その時点でクローズ。タロットとか、占星術とか、いろんな分野の占い師がラインアップしているようだけど、占いに興味がなかったので、選びようがなくて。すると、知らない占い師から「○○先生よりご連絡です」というタイトルで、長文の鑑定結果が……。多分、10人くらい、一人5通くらいのメールをもらった。多い鑑定士なら、20通くらいあるかも。概ね「すばらしい時期にさしかかっています」「運命の人を探し当てられます」「金運、仕事運、恋愛運すべてが絶好調」などというメール。「鑑定士の鑑定士が、引退前にぜひあなたを鑑定したいと!」などという、意味不明のメールも。多分以前の私なら、占いに興味を持つことすらなかった。宿命より、自分がつくる運命の方が強いと思っていたし。でも、キワキワの状態だと、こういう意味不明のサイトにアクセスしてしまうのだと、改めて思い至った。。。手軽な情報は、手軽なものと思うこと。無料の鑑定は、無責任なものと思うこと。そんなサイトには、アクセス無用だと戒めること。うむ。疲れているのです。休まないと。頼れる親がいなくなった。それはつまり、自分のことを100%許して労ってやらないといけないということ。無償の愛で包んでくれる人は、もういないのだから。ま、頼っていたか、無償の愛だったか、なんて、眉唾ですけど。それでもやはり、親は親。最近、夢に出てくるので、実感しています。私のこと、心配しているのかしら。申し訳ない。それとも、大転機だと知らせてくれているのかしら。それなら……。信用できる占い師のところへ行こ。あれ、それでいいんだっけ?
2014.10.24
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最近、気になることがあります。「どうでもいいことじゃん」と言われそうな枝葉末節な事どもですが、仕事に専念したい、仕事好きの私にとっては、気持ちを割いてしまっているアレな問題です。●「アレ」が多い件老若男女を問わず、「アレ」を乱用する人が多い。ズバリ核心を突くことを避けたい、あるいは、そのものを言葉にすると、場の空気が悪くなる、はたまた、その言葉を言いたくない、などといった根拠がある場合もあるのかもしれない、が、“言葉が出てこない”という人が圧倒的に多いように思う。「アレ」と言われると、それの指示する言葉を探したり、意味を推察するといった行為が聞き手側に求められる。これが、意外にしんどいことで。脳の活性化にはなるかもしれないということで、納得するか。●「うそぉ」と「ほんとぉ」の件こちらが何かを言ったとき、「うそぉ」と言う人がいる。悪気があるかないかは別として、人の話をいきなり否定するのは、マナー違反だと思う。対して、「ほんと?」(疑問形)「ほんとぉ」(納得)と言う人もいる。できれば、こちらの方々とお話したい。独断と偏見だが、「うそぉ」と言う人は自己顕示欲が強い。ナルシーだし、自分を過大評価しがち。少なくとも、人の気持ちを考えていないと思われる。「うそぉ」と言われたとき、少なからずいやな気持ちになる。もっとも、“自分はいやな気持ちにならない”という鈍感な人なら、配慮の存在すら必要ないということかもしれないが。●ルール無用の件悪党と同じことだ。歩行者や自転車運転者の遵法意識の低さには閉口する。歩行者は、信号無視、スマホの見ながら歩行、歩きタバコ、人ごみでのキャリーバッグ使用、数人での広がり歩き……、自転車は、信号無視、車道の逆走、歩道での高速走行、スマホの見ながら走行、ノロノロ走行……。他人への迷惑には無関心、危険は他人が回避してくれると思い込んでいるのか。そんな中、通勤や仕入れで自転車を使う私の胃腸は、ストレスでやられっぱなし。あ、最初の「悪党」とは、タイガーマスクの対戦相手のこと。正義のパンチはだれがぶちかましてくれるのか。●物価高騰の件消費税どころではない。何もかもが値上がりしている。電気、ガスは、非道だと思えるほど。店と事務所と住まい…合算すると、5万円近くになる。一人で5万円……、電力会社、ガス会社はどれだけ市民から金を吸い上げたら満足するのだろう。それから、カレーの材料の価格がどんどん上がっている。米は、穀倉地帯・福島の震災被害から、タマネギは、淡路島のブランド戦略によって、牛肉は、食品偽装問題を背景にして。3割〜5割も上がっているけれど、価格に反映せずに頑張っている。が、もう無理。また、牛肉が上がる。もともと高い原価率が、限界値を超えている。近々、値上げをしなければならない。その前に、業者を変える、材料を変更するなどの方法がないか試行錯誤してはみるが。●悪い人基準の社会の件高コスト社会と言い換えて間違いない。監視(防犯)カメラ、警備、保険、清掃、防汚……、悪事を画策する人間がいなければかけなくてもいいコストを社会はかけざるを得ない。警察、司法といった組織も拡大・充実する必要がある。犯罪から個人生活や商業活動を守ろうとすると、コストがかかる。商品の価格や税金にそのコストをあらかじめ含まねばならない。何とかならないものか。低コスト社会を実現するには、どうしたらいいのか。●自然をあもみる件「あもみる」とは、「甘く見る」の大阪弁。この週末と先週末、大阪でも雪が積もった。テレビでは、前日から「不急不要の外出は控えるように」と言っていたし、交通機関への影響もうるさいほど指摘していたのに、翌日、天気予報どおりになると……。駅にあふれかえる人々、空港で足止めを食う人々、道路で滑りまくる人々。雪道で、パンプスを履いている女性を見るに至って、「都会の人は、本当に危機感がないなぁ」と思った。人任せの人生がまかり通るからなのか、単に知識や経験がないからなのか、自然をあもみてるからなのか。いずれにしても、他人に迷惑をかけないようにしてもらいたい。パンプスで滑った女性が、近くにいた人をつかんでともにひっくり返るなんていう事件は、決して起こさないように。●五輪の件「日の丸を背負って」そんな意識で競技をしている選手をどれだけ日本人は応援しているだろう。資金面で。メダルの獲得を強いながら、メダルの有無をうんぬんかんぬん言いながら、どれだけの税金が選手にかけられているかわかっているだろうか。どんとかければいい。むだを切り捨てれば、強化費用くらい何てことはない。少なくとも、盛りに盛られた電気代に比べれば、わずかな供出金(わざわざ供出はしないか)で済むはず。●結婚の件身近に、結婚を目指す人が増えている。30代後半を迎えたあたりから意識し出すよう。上は、60前後。初婚の人も多い。昔なら、目指さなくてもできたはずなのに。なぜ、結婚が難しいものになったのか。男と女の歯車がかみ合っていないということか。うむ。そろそろ、私もやってみるか。「できるものならやってみろ」という声が聞こえそう。相手が必要なので、まずは足元から。灯台下暗し。毒舌……。ここだけの話にしてください。店主がこんな人間だってわかったら……。明日から、がんばります。おいしいランチをつくります。あったかい煮物料理をつくります。ご容赦を。
2014.02.16
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昨年の2月1日は、iMoKiNのプレオープン日。正式には、5日オープンなのですが、「朝昼亭」時代からのお客さまだった「北浜ボーイ」が赴任先の東京から2/2に戻ってくるという連絡を受け、“何としても”と、カレー(お昼)のみの営業をスタートさせたのです。1日は金曜日でした。週末の忙しいときにもかかわらず、いろんな方がかけつけてくださいました。「久々の健膳カレーや!」と喜んでくださって。ありがたいことです。2日は土曜日ということもあり、遠方よりのご来店が中心。ワイン、シャンパン、お菓子などをいただき、昼間から酒盛り状態。楽しくてうれしい思い出です。そして昨日。近くでバーを経営していらっしゃるご夫婦がわざわざご来店くださり、おまけにお花を……。一昨年末までお世話になっていた「山猫軒」のオーナーのたまちゃんが義父さんと愛娘を連れてのご来店。周年のことは知らなかったようですが、久々に会えて感動。毎日来てくれるマラソン少女が、親友とともにスペシャルコースのランチタイムを楽しんでくださり、記念日に花を添えてくれました。おまけに、親友がおめでたで、めでたし、めでたし。記憶できないほどいろいろなことがあった1年でしたが、私の人生の中でも希有な一年だったと思います。こんな年になると、新たな経験や感動などは体験しにくいものですが、ここ20年ほどなし得ていなかった、そういうことの連続だったような気がします。奇跡のようなメニュー開発ができたのも、業界の裏側を見られたのも、これまでなら出会えてなかった方々と出会えたのも、いろんな方々に助けてもらえたのも、運命というか、何かのお導きというか、自分以外の力が働いたからだとしか思えない。何がそれを実現させたのか、だれがそれを受け入れてくれたのか、自分にはよく見えていないのだけれど、確実にそれが現実で、そういうことの一つ一つでこの1年が成り立っている。そう実感しています。この年での新たなチャレンジ……、でも、無謀だとは思っていない。学歴も、家柄も、確たる経歴も、資格もない私は、一生、何かにチャレンジしていくしかなく、そのときにできることなら、何でもしようという気持ちで生きてきましたから。これからも、そうやって生きていくのでしょう。そんな、サバイバーな私にとってこの一年は、今後の人生において貴重にして幸福な事どもを与えてくれた、素晴らしいものでした。が、もっと頑張れたはず、という気持ちも強い。今年は、さらなる進化を。今年は、店の新機軸になる展開を。今年は、自身の確立を。そんなことを考えた一日でした。この一年、ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いいたします。
2014.02.02
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遅ればせながら、あけましておめでとうございます。大阪は、穏やかな三が日でした。皆様は、どんなお正月をお過ごしでしたでしょうか。いよいよ、明日から営業です。張り切ってまいりましょう!……と言いたいところですが、年明け早々、昨年の疲れか、年のせいか、体が言うことを聞きません。腰(正しくはインナーマッスル)を傷めて動くのがつらい。体のリズムを崩したのか、ストレスか、ちょっとした異常な状態が年末年始を通して続いているので、明日、病院に行かねば(行かれるかしら)。近年は余りなかったのですが、実は、若いときから正月に体調を崩しがちな人間だったので、昨年一年、頑張った証拠だと思って、徐々に善処したいと考えています。風邪を引くこともなかったし、熱発もなかったし、大したことはない。明日は、お雑煮を出す予定です。ランチにも、夜にも。ヘルシーだけどボリュームのあるちらし寿司と一緒に。十分に休めたとは言えないけれど、明日から、気持ちを切り替えて頑張ります。スタートダッシュというより、助走のつもりで。2月には、周年を迎えます。それまでに態勢を徐々に整えて。そんなこんなの新年です。本年もよろしくお願いいたします。
2014.01.05
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2013年が終わります。いろいろありましたが、あっと言う間でした。ランチには、「健膳チキン」を追加し、日替わりのiMoKiNランチは100メニュー以上。「決戦2カレー」をメニューに加えたのは10月から。6種類のおかずを盛り込む「健膳御膳」は、5回ほどしかつくれませんでしたが、女性には好評でした。iMoKiNランチの人気メニューは、「100%ビーフハンバーグステーキ」「100%ビーフミンチカツ」「天津飯」「チキン南蛮 タルタルソース」「チキンカツ」「ササミカツ」「若鶏のカリカリ焼き」「ロールキャベツ」「煮込み野菜の洋風鍋」など。テレビにもちらっと出演できたし、食べログやぐるなびにもページをつくってもらえたし。カレーはやはりうちの顔。大切にしていかねばと思いました。来年は、トッピングメニューなんかも徐々に考えていきたいと思っています。ディナーは、いろいろあり過ぎて……。店名どおり煮込み料理を中心に、体にやさしいメニューをたくさんつくりました。中でも人気だったのが、「いわしの生姜煮」「水菜の煮浸し」「冷やしおでん」「豆のトマト煮」「ロールキャベツ(洋おでん)」「かぶらのスープ」……。クリスマスメニューのタンドリーチキンや鉄板で供する「100%ビーフハンバーグ」も大変好評でした。来年は、「焼きカレー」などカレーメニューもプラスします。心残りは、全く宣伝ができなかったこと。季節ごとにフライヤーをつくろうとしたけれど、寸前にならないと季節メニューが決まらなかったし、版下制作の時間も取れなかった。来年は、周年に合わせて絶対つくります。お正月休みの間に、何とか形にして。母がホームに入所したり、17年選手の車を処分したり、自分が引っ越しをしたり、食品表示偽装事件のとばっちりを受けたりと、心や体を煩わせる要素がたくさんありましたが、来年は少し落ち着いて、遊んだり、旅行したりする時間も取れたらいいなと思います。今年じゅうにやらねばならぬことがまだあります。それをやり終えたら、きょうはゆっくり眠ります。明日は、朝湯をして、お雑煮をつくって、テレビを見たりしながらまったり過ごします。夕方までには、カレーの様子を見に行って。なんだかんだいいながら、きょうまでやってこられたのは、ご愛顧くださったお客さまがいてくださったからこそ。感謝の気持ちを忘れず、初心を忘れず、若いときに「小料理屋をやりたい」と思った気持ちを忘れず、来年もがんばっていきます。今後とも、変わらぬご愛顧を賜りますようお願いいたします。皆さま、どうかよいお年をお迎えください。※店に新たなPCを持ち込むことができるようになり、ブログの更新もスムーズにできるかと思います。長くほったらかしにしてきたこのブログもマメに更新したいと思います。
2013.12.31
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ようやく朝晩が涼しくなってきました。揺り戻しがあるだろうとは思いますが、少しずつ秋の気配がし始めています。きょう、市場に行ったら、大量のサンマが店頭に並んでいました。北海道で揚がったものらしいです。秋のメニューを考えねば。と、前向きな気持ちになりたいのですが、どうもいやな感じの出来事が続いていて、ちょっと滅入っています。吐露したら、少し元気になるかしら。●夏風邪人生で初めての経験です。鼻腔の奥が炎症を起こしたようです。原因は「冷え」でしょうか。「免疫力低下」でしょうか。寒暖差アレルギーという可能性もありますが、1週間ほど経過していますので、多分風邪。冬は10年ほど引いていませんでした。なのに、夏に……。体が弱っているんでしょうかしら。●傘1ヵ月ほど前、お昼のお客さんに傘を貸しました。返却不要仕様のビニール傘は貸してしまっていたので、自分の傘と店の置き傘を2本。3人連れの女性客だったのですが、さすがに3本は用意できませんでしたので。……戻ってきません。ちゃんとした傘なので、差し上げたと思われたとは考えづらいのですが……。日本の女性は、こういうことにきちんと配慮できたと思います。すぐに返却に出向く、何だったら、心ばかりの礼の品を添えたりして。いまの若い女性には、そういう常識は通じないのですね。残念です。あぁ、気に入っていた傘だったのに……。●貧相顔やお尻といった、ボリュームがあっていいところが痩せて貧相になっています。夏バテか、働き過ぎか、はたまた消化器系の病気か……。自覚症状は余りないのですが、お客さんから指摘されることが多く、ちょっと格好が悪い。痩せやすく、太りにくい部位なので、当面放っておくしかないか。●交通ルール17年乗った車とサヨナラしたので、買物のときは自転車で滑走しています。車に乗っていたときも感じていたのですが、自転車の人のマナー無視、ルール違反がひどい。信号無視、自転車無視(車に対しては一応注目するが、相手は自転車だったら、信号無視時も無視)、車道を走っているのに逆走する、走っている自転車の前方を横切る、車道の真ん中を走って、車の走行を妨害する、などなど枚挙に暇がないほどの暴挙を日常茶飯事としているようです。事故が起きるわけです。歩行者もひどい。信号無視の輩で、イヤホンやヘッドフォンをしている者は注意しても無視してマイウエイを闊歩。日本って、こんな国だったかしら。●数字決算です。会社の数字をまとめなければなりません。今期は、店の数字もあります。どう処理するか……。面倒臭い。この時期は本当に気が重い。もう23期です。長い間苦しんできたのだと、改めて思います。はぁ。。そんなこんなのきょうこのごろです。とはいえ、日々、おいしいメニューを考え、汗だくになってカレーをつくり、たくさんのお客さんをお迎えしています。いやなことは一刻も早く解決して(忘れて、気にせず、かな)、秋の展開に専念しましょう。その前に、少し休んだ方がいいかも。なんて。年ですかしら。
2013.08.27
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月曜に車を処分しました。17年も乗っていた愛車だったのですが、母が施設に入所し、週に2回ほどの世話の必要がなくなり、車を使う機会がグンと減るのと、車検を通すのも大変だということで。2年に一度の車検、毎年の税金、保険、毎月の駐車料金を合算してひと月に計算し直すと、5万円にもなります。乗らなくても必要な費用です。乗れば、昨今上げ止まっているガソリン価格や乗ることで劣化するタイヤ等々の交換、修理費用が付加されます。高くつく乗り物です。店の仕入れには、必ず車を使っていたので、これをどうしたものかと思案したのですが、自転車の購入と、「カーシェアシステム」を利用することで、何とかなると考えました。きょう、早速、カーシェアで仕入れに行ってきました。15分200円〜で、月会費は1000円。1回の仕入れにかかる費用は800円くらい。月に6回利用したとしても、6000円/月で済みます。多分、そんなに利用しない。よほど、仕入れの多いときや雨の日以外は自転車にしようと思います。というわけで、車の問題は何とかなり、母の家も処分が済んで、鍵ががさっと減りました。多いときには、11本の鍵が私のキーケースにぶら下がっていました。車と駐車場、店、トランクルーム、自分や実家、母の家の鍵、何かあったときのために交換している友人の家の鍵など、キーケースのファスナーが閉まらないほどの数。それがいまは7本。間もなく2本が減って、もう1本も今年じゅうには……。鍵を見ると、「責任が重い」と感じていました。だれかの家、店、車、トランクルーム……。自分や他人の命や人生の一部を鍵が守っているわけですから。鍵が随分減って、気持ちも楽になったかな。……、まだ、寂しさの方が強い。何かが、私の手の及ばないところに行ってしまった、と感じる寂しさ。責任を持つ力がなくなってしまったのだと痛感する虚しさ。人生の転換期に来たのだと思います。それならば、それなりに生きなければ。過去のことは過去のことにする割り切りと前を向く強さを得なければ。ディーラーの担当者が運転する私の車の姿が見えなくなったとき、人生何度も感じたことのない寂しさを感じました。まだまだ走れるので、どこかのだれかの役に立ってくれることを願っています。 感謝
2013.06.05
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戦前、戦中、戦後、沖縄は日本にとって、特別な存在だった。72年に発足した「沖縄開発庁」から、2001年の「沖縄振興局」まで、沖縄の経済を中心とした行政の多くを担ってきた国の機関があった。 と、それは表向きで、沖縄に多額の金をつぎ込むための機関で、いわゆる、在日米軍基地にかかわる保障がその大義か。 仲井真知事は、普天間飛行場をいまでも「県外移設」と声高に言っているが、辺野古沖移設に決めた(以前の)経緯とそれにまつわる政府からの保障内容を明らかにし、安倍政権下でごねる理由を述べてほしい。あなたは、同意していたはず。 私は、若いときに沖縄を訪れて、「日本ではない」という印象を受けた。陽光の強さ、海の青さ、人々の感性、芸術の固有性……。先の大戦で本土に先んじて戦地となり、多くの犠牲者を出したことも理解している。 ゆえに、日本でいてくれることの重要性も感じている。が、そんな感情論ではなく、物理的な理由がある。大戦における歴史の事実における根本理由は、安全保障の面から見た日本列島の存在そのものの特異性と、多国間との関係において沖縄が要になっているからにほかならない。 が、いまの沖縄のやり方は、もはや日本ではない。「ごねる」という言葉は使いたくないが、そんな言葉が脳裏に浮かんでは消える。まるで、北朝鮮の駆け引き戦術のように日本に襲いかかる。 では、沖縄はどうなりたいのか。本当の沖縄県民の声を集約して答えていただきたい。仲井真氏の発言がすべてではないはず。 日本の高額所得者の多くは沖縄県に存在する(在住としては他府県)。日本の税金(多額)が長年沖縄に流れている。沖縄県民は低所得でも、生きていける。ずっと、沖縄経済は保障されてきた。 …… 政府も、そろそろ国民にありていに数字を示せばいい。日本国民は、ほぼ何も知らない。知らない理由も、知らせない理由も、知らせられない理由も、つまびらかにすればいい。それは、マスコミの仕事。 私はすべてのことは知らない。が、疑問は随分前からある。この際、溜飲が下がるようにしてもらいたい。 明日(10日)にでも、ミサイルを発射するかもしれないという、わけのわからない国が隣国であるにもかかわらず、いまだに「国益」「安全保障」を理解できない、あるいはそれを手段に何かを得ようとする知事がいる地域が日本といえるのかどうか。そういうと、先の戦争のことを言う人がいるが、それはそれとして、早く前を見ないといけない。沖縄が独立国になりたいなら、中国に対抗できる不可能にして強大な軍隊を持つしかない、そんな現実が理解できない人々は、最前線にいてはいけない。 沖縄の現実を議論すらできなかった戦後、それは、改憲を論じられない状況とイコール。 なぜ?左翼がいやがったからだろう。左翼は、議論すら許さないという、反民主主義体制だから。新聞やテレビの多くは左傾化している。ゆえに、日本のタブーは、マスコミがつくったのだと思えて仕方ない。 違うなら、無知な私にわかるように教えてほしい。 明日、北朝鮮がミサイルを大阪に向けて発射したとしたら、だれが、どういうふうに、何をしてくれるかということも。
2013.04.09
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仮釈放されたらしい。ライフドアの一連の事件に関連して有罪判決を受け収監されていた堀江隆文さん。旧ライブドアの粉飾決算事件で、旧証券取引法違反の罪により、懲役2年6カ月の実刑が確定し、服役中だったが元同社社長・堀江貴文氏は、本日(3月27日)午前、長野刑務所から仮釈放された。【Business Journal 3月27日(水)22時25分配信】 時代の寵児と言われ、世間の耳目を集めたのは2004年のプロ野球球団買収騒動からか。それ以前にも、情報ワイド番組などでたびたび取り上げられていたけれど、すべての行動は、自社や関連会社の株価への影響を考えてのことかと。2006年に証券取引法違反で家宅捜索を受けてから2011年に収監されるまでは、疑惑の人として世間の耳目を集めた。 30kg近く痩せてマスコミの前にあらわれた堀江さんは、「太っているより有利」と言い、収監されている間のことを「身につまされた」という言葉で語ったこともあったが、基本的に、すべてのことに対して「反省」「後悔」という思いはなかったよう。 この人には、自分を真摯に見詰め直すという思考はないのだろう。「真摯」という言葉には幅があるし、とらえ方も難しいが、少なくとも、「自分の気持ち」をありのままに表現する術を持たないか、「自分の気持ち」が自分でもとらえ切れていないか、見ないようにしているか、あるいは、そういうものの存在を嫌悪しているか、いずれにしても、通常人間が持ち得る感情の何かが欠落していると思える。 刑務所に収監された人間というのは、考える時間が長いからか、挫折したことから立ち直りたい一心からか、収監される前と180度違う考え方を獲得することが多い。 しかしこの人は、全く同じまま。 何も変わっていないことは、目の色を見ればわかる。 「ニュース批評などをネットで配信していきたい」と、また、虚構の生活に戻ることを公言している。刑務所ではなく、自衛隊に入隊したら、少しは変わっただろうか。いや、変わらないだろう。この人の芯の部分には、「自己否定」を是とする何かがある。自分が何を感じても、それを受け入れない癖がある。 そのゆえんはどこかにあるのだろう。私はこの人に興味がないのでよくわからないが、「素直」になれないことについては、よくわかる。「素」を否定する人間に、「素直」は存在しない。 自分がそういう人間だから、よくわかる。 が、それは不幸だ。「受け入れる」ことのつらさは大変なことだが、受け入れた後の解放感は、素晴らしいものだと思う。私は、少しだけわかっている。が、受け入れ切れていないのも事実で、そういう意味では堀江隆文さんと同人種なのかもしれない。 いつか、素晴らしい日が来るのを期待している(お互いに)。 それまで、艱難辛苦を甘受していく日々である。 南無
2013.03.31
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「一票の格差」についての全国的な裁判、あちこちで判決が出ています。 「格差は違憲」というのは、共通。選挙を無効にしたのは、広島高裁と、広島高裁岡山支部。 選挙そのものを無効だとしたら、いまの衆議院議員は無効議員ということになります。 広島と岡山選出の議員だけではありません。なぜなら、格差の度合いが高いから選挙を無効としたのではないから。もっと格差のある地域もあるわけで、こういう状態を放置した国会そのものを無効としているわけです。国会は立法府。無効議員が立法できるわけがないし、そういう議員が出した法案が有効である根拠はどこにもない。つまりは、衆議院議員が誕生した昨年12月の選挙は、選挙そのものが無意味であり、12月以降の国会でなされたことは、すべて無効なものとなります。 どうしてこんな事態を招いたのか。すべては民主党輿石幹事長の責任です。このことを政争の具にした。衆院選ギリギリまで、法案を通そうとしなかった。 このことは、糺弾されてしかるべきだと思います。そもそも、輿石さんて、日本のために何をしました?党利党略に邁進した人です。日本人全員を踏み台にして、自分たちだけの存続を考えた人です。日教組のドンです。この人、責任取らなくていいんでしょうか。 もし、衆院選をやり直すなんてことになったら、一体その費用は?政治的空白は? 国際世論は? 外交や安全保障は?日本にとって、いいことなど何もない。弊害ばかり。 輿石さん、「売国奴」と呼ばれたくなければ、責任を取ってください。売国奴と呼ばれてもいいかな。国のことなんか、屁とも思っていない組織の人なんだから。 民主党政権……だからあれほど言ったじゃないですか!民主党なんて、政党ではないって。自民党以下の、得手勝手なご都合集団だって。権力と権益と金が好きな、亡者の集まりだって。 民主党に一票を投じた人も、責任を負ってください。って、国民はそれなりにひどい目に遭っているから仕方ないか。 さて、輿石さん、どうします? 知らんぷりはもうできませんよ。
2013.03.26
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さっき、新しい店の鍵を受け取りに行ってきました。古い物件なので、ややこしい説明がいろいろありましたが、硬くなった頭にはちと難しい。前のオーナーさんが若い女性なので、「わからないことがあったら電話します。よろしく」「どうぞどうぞ」って具合で、何とかなる感じかな。 きょうの夕食は、外食の予定なので、ランチは料理し納めということになるみたい。ピザの生地(もちろん自家製)があったので、 あり合わせの材料をのっけてピザを焼くことに。焼く前は、余り美味しそうじゃないですが、このサラミ、結構おいしいんです。バジルがなかったのが残念ですが、焼き上がりにマスカルポーネでも載せましょう。 今年は本当にめまぐるしい1年でした。新しく始めたこと、再開したこと、変わってしまったこと、終わったこと、新たな人々と出会ったこと、大切な人を見送ったこと……大きな波が幾つもやってきました。高島暦に「変革の年」と書いてありましたが、実にそのとおり。 来年はどんな年になるでしょう。自分次第ということかもしれません。 人生の踏ん張り時、というやつでしょうか。古い物を切り捨てて、新しいものを受け入れるとき。新しいものを育てて、夢に描いた花を咲かせるとき。 そんなふうに思って、頑張りましょう。 ルーの販売だけ、と思っていた最終日(29日)、店でカレーを食べたいとおっしゃるお客さまがいたので、お肉のある分だけご飯を炊いて、「売切ご免でやってます」という勝手な看板を出していたら、うれしいことにお客さまがいらしてくださって、お肉は完売。ルーは、近くのカイロプラクティックの先生が欲しいとおっしゃったので、少しお裾分け。あとは、新しい店の古種として使います。 5ヵ月という短い間でしたが、足を運んでくださったお客さまに感謝。新しい出会いの機会を与えてくれた山猫軒のたまちゃんに感謝。「新しい店に必ず行きます」と言ってくださる常連のお客さまに感謝。そして何より、この先の一歩を後押ししてくれた、身近な人々に感謝。 来年は、私の人生で最も有意義で実りある年にしなければ。 などと思いつつ、ブログの書き納めでございます。 皆さま、ありがとうございまーす!
2012.12.31
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少し前から、マルチタスクじゃなくなった。一度に幾つものことを処理できない。 よって、●一度家を出てから忘れ物に気付いて家に戻る ●幾つかのものを取りに行ったのに、何かを忘れる●しないといけない電話を何日も忘れる●しないといけないメールを何日も忘れる●買い忘れをする●料理の手順が抜ける●やるべきことを処理し切れない ……枚挙に暇がなくて、書いているといやになる。 友達は、私のことを「三足のわらじを履いている人」と言うけれど、三足どころじゃなく、五足くらい履いているように思う。公私ともにぐちゃぐちゃ。いつ脱げるとも知れないわらじ。 何にしても、頭の中がパンパンになっている。温泉にでもつかって、ゆっくりせねばと思いながらそんなささやかなことも果たせずに生きてしまってはや6年。怒濤の6年に一旦終止符を打って、来年、新たなスタートを切りたい。 私はマルチタスクなだけが取り柄だったのに。30年前のワープロ程度の処理能力になってしまった。 オバマさんが大統領に就任したのがもう4年前。ついこの間だと思ってたのに。一人でテレビ中継を観ながら、「アメリカにも新しい時代が来た」と思ったのはもう4年前なのか。えらいこっちゃ。これからの5年はこれじゃいけない。目標や目的や夢や……スケジュールをきちんと決めて。明日死んでもおかしくない年齢。無駄にする時間を極力減らそう。長い長いトンネルを抜けるときがようやく来た。 チャンスはそうそうやってこない。この機会を有効に生かして、明るい場所へ。 さて、まずは温泉。あったまって、汗を流して、ビールをグイッと。 それがなきゃ始まらない。 というわけで、壊れかけのファンクションキーを修理して、マルチタスク復活を目指す日々を始めよう。 南無
2012.11.06
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ストレスがたまっているせいか……。気になることがちょっとあります。世の中の趨勢に影響するような大きなことではないし、少々歪んだ性格の私だけの「気になること」のような気がしますので、軽い気持ちでご覧いただきたく。 ★朝日新聞本当は、右だといううわさがありますが、それには何ら反論することなく、常に左の姿勢を貫くフリをするマスメディアだと思っています。安倍さんが自民党の総裁になった途端、安倍バッシングを開始しました。総裁選に出馬する決起集会で、安倍さんが(難病の腸炎を薬で克服できたことをアピールするパフォーマンスで)食べたカツカレーが3,500円だったと報じました。「庶民感覚とズレている」と。庶民は3,500円のかつカレーは食べないだろう、というわけです。ホント、どうでもいいことです。それを知って、「庶民感覚とズレている」と思う国民はいるでしょう。が、安倍さんがそれを食べたことと、政治家としての力量は並べて語られることではない。単に、「庶民感覚とズレている政治家は、庶民の望む政治をしてくれない」という根拠のない(あるいは妄想的な)意識を芽生えさせるだけの情報であり、そういう報道に心を動かされる国民が多いことを利用するマスメディアの策略だと思うのです。この傾向は、毎日系のメディアも同じ。うんざりです。そんな細かなことに心を動かされる国民が多い日本にもうんざりです。うちのスペシャルカレーは1,200円です。でも、ごく普通のビジネスマンやOLの方々が召し上がってくださいます。人は、価値を見出したものにはお金をかける。次の総理になるかもしれない総裁選の決起集会で3,500円のカレー……、特筆すべきことじゃないし、取り立てて報道することじゃない。レベルが低過ぎます。国民を愚弄するのもいい加減にしなさい。 ★野田さんこの人は、菅さんよりひどい。私は以前、「(首相になった)菅さんは、ちょっとやそっとでは辞めない」と言ったら、周囲の人間に「市民派の政治家だから、身の処し方はわかっている」と反論されました。が、案の定、首相の座に固執して日本の国政を混乱させました。野田さんが首相になったとき、私は「まずい」と思いました。この人は、口ばかりの政治家だからです。菅さんの方がまだ実績があり、プライドもあった。が、野田さんには何もない。 口だけでやってきた人は、ボロが出ない。それまでの活動を検証しても、大した実績も、失政も、批判すべき行動もない。不信任案が可決されても、のらりくらりしていたらいいのです。辞めませんよ。「一内閣一閣僚」なんて言いながら、もう3回も内閣改造をして平気の平左のこの人、いよいよ、自分の味方だけで布陣を固めました。任期満了までやるつもりですよ。さぁ、安倍さん、どうします? 谷垣さんのように、お人好しだったら、してやられますよ。口だけの人は強い。この人が首相でいる限り、日本の政治は混迷します。野田さんは、首相の間に好き勝手な実績を残そうとして、それに邁進するでしょう。安倍さんと違って、再登板はあり得ないことを自覚していますから。あれ、自覚していないかな? ストーカー的観念。怖。 ★オスプレイ何でこんなに騒ぐのでしょう。オスプレイに限らず、航空機は事故を起こすものです。ジェット機もエアバスも、ヘリコプターも、何度も事故を起こし、改良され、精度を上げてきた経緯があります。民間機でさえ、いまだにさまざまな事故があります。もちろん、犠牲者もたくさん出ています。それが軍用機となると、新機種には「世界初の技術」を搭載することばかり。が、その技術採用の目的は、「国の威信をかけて」という前提以上に、「国民を守るため」「国防のため」というのがあります。そのために、軍人は犠牲になるのを覚悟して操縦訓練をします。オスプレイも、多くの犠牲者を出したようです。そうまでして開発する必要性(アメリカにとって)があったわけで、そのことに、日本が口出しできるわけではない。そして、その軍用機を在日の米軍基地に配備することは、アメリカが必要だと考えているということであって、 そのことに、日本が文句を言うことのできる法律はいまはありません。それにどうしても文句を言いたいなら、日米の地位協定だけではなく、安保,更には憲法改正にまで踏み込まないとどうにもならない。が、反対を声高に唱える人の多く(沖縄の人ではなく左翼活動家)は、改憲はいやらしい。究極の矛盾。が、日本のマスメディアは、「反対活動」ばかり報道して「賛成意見」には全く触れないし、オスプレイの重大事故を起こす確率が他の軍用機より低い(決して多いわけではない)ことも報じない。日本のマスメディアがこうである以上、国民は正しい判断はできない。問題なのは、すべてのマスメディアの歩調が同じこと。ある意味、中国メディアと何ら変わりないわけです。恐ろしき(報道の自由が確保されている)自由主義国です。 ★AKBとEXILEテレビを見ていて、「何じゃ、このタレント! 素人臭い」と思ったら、案の定AKBかEXILEの一人。さすがにジャニーズのタレントはすぐにわかる。どこか光っていますから。 「気持ち悪さ」「きれいさ」「かわいさ」いずれにしても、突出したキャラクターがあり、最終的には「好感度」につながる要素を持っています。一時期、子ども過ぎるときからのグループ結成で、成長するにつれておかしなことになるという現象があったけれど、いまはそれも一つの個性になりつつある(そうじゃないのもいるが)と思います。 が、タイトルの二つのグループは……。グループ総合点ならいいのかな。タレントは、それではいけないと思うけれど、世の中の趨勢なので致し方なし、というところでしょうか。が、「だれでもタレントになれる」的風潮は、「タレント(才能)」という地位を軽視しているようで、どうも気持ちが悪いのです。それなら、「そんなにギャラをもらう資格、ないでしょ」と言いたくもなるので……。 ひがみ? ねたみ? ま、世の中についていけない「嘆き」ですね。はい。 もっとありますが、憂さ晴らしに書こうと思っていたのに、書いているうちに重労働だということに気付きました。続きは日を改めて。では。 空即是色
2012.10.07
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最近、世の中がどうもあらゆる事象の表面を上滑りしているような気がする。 何が本質か、なぜ世の中がこうなったのか、考えあぐねる毎日。 ●企業広告「お客様本意」「社会に役立つ」「人と社会の架け橋」……。最近、製品(商品)やサービスを宣伝するのではなく、企業活動(社会貢献系)や企業姿勢(理念)をPRする、いわゆる「企業広告」が大流行り。そこに使われるのが冒頭の文言。実に上滑り。企業の存在意義としては、底辺の話だからだ。そんなことは当たり前、ということが、企業にも、広告代理店にも理解されていないということ(国民が最も理解していないのかも)。なぜ?日本が貧乏になったからだ。バブルの前後は、こういう話が世の中にあふれていた。儲け主義の企業が、こういう姿勢をアピールするにはそれなりの意味があり、儲けた金をそういう方面に使うということができたわけで、「お客様本意」「社会に役立つ」という底辺の一歩も二歩も先の話ができた。スポーツ・芸術活動の支援(イベントの主催、基金への寄付など)、地域社会への貢献(イベント施設の建設、ビオトープの整備など)、人材育成(留学奨学金基金への助成、技能学校の設立など)……、枚挙にいとまがないほど、世の中にあふれていた。が、いまは皆無(言い切れないが、背景がないことがほとんど)。貧乏な企業にそんなことはできない。「そういう具体的な活動はしないけれど、気持ちは消費者に寄り添って(嫌いな言葉!)います」という言い方で、消費者や社会にすり寄ろうとしている。当たり前じゃないか! と怒る人がいないのも上滑り社会の特徴。しかも、金がないから、チープで陳腐なCMになってしまう。さらに、制作者に能力がないから、訴求力のない表現、恥ずかしいほどの内容になり、さらなる上滑りを起こしてしまう。こういうCMを見ると、心が荒ぶ。 ●総裁選安倍さんが自民党総裁に返り咲いた。ワイドショーはこぞって、5年前の辞任時の映像を流し、「お腹は大丈夫?」と言う。わけのわからないコメンテーターは、「お腹痛くなってやめちゃった」という「難病」を考慮しない上滑りなコメントをして、世間の非難を浴びる。安倍さんが辞任した5年前、小泉さんがこじれさせた日中関係を初めとした外交問題が山積し、自民党55年体制(93年に一旦崩壊したが、最大勢力を維持して2005年につなげた)の崩壊に伴う制度改革の必要性が叫ばれ、安倍さんは相当な重責を担っていた。若い安倍さんは、それにこたえて、裏では結構な仕事をしていた。1年でやり遂げたとしたら、相当な信念と下地がないとできなかった内容。その後の麻生政権(福田政権は、安倍政権をある程度踏襲したが、麻生さんは間違った独自路線を貫こうとした)以降、全く停滞してしまった政治を考えると、ある意味、偉業と言えるかもしれない。 そういうことはうっちゃって、TVは「お腹が痛い」というキーワードで国民を愚弄する(簡単なキーワードでないと、理解できないと評価している)ような報道を続ける。 本質は何? 安倍さんが今後何をしてくれるか、だろう。自民党は安倍さんにどんな期待を託したか、だろう。多分、民主党は今度の選挙で下野する。輿石さん(梅干しの種:たけし談)が幹事長に居座る限り、解散総選挙は先の先、という話だが、いずれ必ずやってくる。政権与党に返り咲いたとき、安倍さんは何をどうしてくれようというのか、そこを取り上げるべきだ。もしくは、政権与党に返り咲くための方策をどう考えているかを引き出すべきということかも。 ●民意? →石破さん自民党員票の過半数を獲得しながら、国会議員票が集まらなかったために総裁選の決選投票で落選した石破さん。石破さんを支持した地方の県連は激怒し、怒りを「代表辞任」などという形で表現する者もいた。地方の自民党員もマスコミもこぞって「民意を無視」と言う。そうだろうか。一般国民が投票できるなら、間違いなく安倍さんか石原さんの二人に絞られたはずだ。自民党員は「国民」ではなく、「党員」であり、「党利党略」と「地方政党や党員の私利私欲」を考えて投票する特別な人たちだ。当初、私は地方の石破人気を訝ったが、この1、2年地方遊説や応援演説に邁進していたと聞いて、「総裁選をにらんだ戦略だ」と理解できた。地方の田舎者(語弊がある。情報にさらされていない純朴な人たち)をだまくらかして、票を稼ぐ作戦を取ったわけだ。で、党員票と国会議員票がねじれるという、前代未聞の現象を生んだ。 国会議員からの票が集まらないことを自覚していたのだから、自分の選挙戦については戦略家と言えるだろう。が、他人の選挙についてはその限りではない。安倍さんは「党員票の過半数を獲得したという事実は重く受けとめる」として 幹事長のポストを石破さんに与えた。 これは間違い。国民人気は余りない(と私は思う。飽くまで推測、憶測の域)。顔が怖い(おかしい)、しゃべり方がおしつけがましい、発言が強硬なのに保身的など、よく理解できない人物だ。中途半端なオタクだから、真性オタクの支持も余り得られないのではないか。それがわかってか、幹事長代理、幹事長代行、副幹事長と、多くのポストをつくり、安倍さん腹心の人物や人気の若手議員を就任させようとしているようだ。ここにも、「本質」を理解しない人々が存在し、事態をおかしな方向へ導いてしまった。 ●自然災害についての情報「南海トラフを震源とした地震の被害想定」「ゲリラ豪雨の被害」「集中豪雨の被害」「猛暑の被害」など、自然災害についての報道が ニュース番組ばかりかワイドショーを賑わしている。が、すべて「それだけ」の報道。いわゆる「脅し」で終わっている。 それを知った者は、不要な恐怖を感じる。「不要」の根拠はというと、自然災害は人間が防ぐことはできないからだ。 解決できないことに恐怖や不安を感じることは、無意味なのだ。だから、報道は「その先」を報じる必要がある。それができない、あるいは、そういう想定の元に動いている行政はない場合、いたずらに報道すべきじゃないし、発表もすべきじゃない。「知る権利」を言う人がいるかもしれない。それはそうだろうが、知ってどうする、という話だ。 報道を聞いて日本を脱出する人がいるかもしれない。金持ちの中には。が、大半の日本人は、手をこまねくだけ。自分でできること、なんて、微々たるもの。このたびの震災で、地震に慣れ、それなりの準備も心構えもあった東北の人々があれだけ犠牲になったのだから、個人ができる備えなど大してないことがわかる。もちろん、備えを怠ってはいけないが、もっと大きな力が動かない限り、国民の安全と幸福は守り切れない。そればかりか、そうした無意味な報道によって被害(損害)を受ける人は想像以上に多い。自然災害の被害想定地域に家を持っていたら、家のあり方を考えなけらばならない上、地価は格段に下がり、「資産」としての家の価値が暴落する。保険料は上がるし、企業の進出も見込めず(撤退が進む)、自治体も疲弊して行政サービスが低下する。個人に起きる事件としたら、かなり大きいのではないだろうか。この現象は、もちろん企業にも起こることで、企業活動を脅かす。 そういう「本質」を見ずに、無意味な脅し報道を繰り返す。 「視聴率」最重視のTVには、きちんとした「情報」より「脅し」の方が数字が取れる、という立場なのだろう。つまり、国民が上滑りしているということだ。視聴率の調査対象になっている世帯にお願いしたい。「もっと賢くなってください。上滑りな姿勢を変え、本質を見てください」……無駄だろう。日本人の本質が、そうなのだから。 いま日本は、難問山積状態である。ことに国際社会においては、ややこしい問題が噴出している。日本人の本質が上滑りなことは、国際社会に見抜かれてしまって、近隣諸国が責め立ててきている。大変な事態だ。一流国からの転落はつまり、国民の質が下がってしまったことに起因する。国民の質が下がってしまったのは、デフレに起因する。そして、デフレは、中国の存在にのっかってしまった産業構造に起因し、政府の無策が根底にある。10年後の日本……考えたくない。いま、スーパーマンが登場して、日本を本質へと導いてくれたとしても、結果が出るには、10年、20年かかる。私の老後は暗い……。 悲惨
2012.09.29
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近頃話題の人物や動物やモノが自由に呟けたら……。ひょっとしてこんなことを言うかもしれませんよ。 ●知床の激ヤセ熊 「え、激ヤセ? 体質ですから。胃腸が弱いんで。あ、鮭は余り食べないんですよ。お腹が冷えると下す体質だから。スレンダーでうらやましいって、仲間内からは好評なんですが。熊のスタイルに、人間がとやかく言うのはねぇ……。撮らないでくださいよ。見物人が増えると、神経使ってまた胃腸がやられちゃうし」 ● 石破茂「え、バカ田大学出身? 違いますよ。バカボンに似てますけど、慶応です。早稲田の隣のバカ田大学とは、全く違います。老けてる? 政治家の貫禄です。まだ55歳ですよ。石原伸晃、野田佳彦と同い年です。森永卓郎と一緒なのはいやだけど、増田恵子さんと一緒なのはうれしい。実は私、キャンディーズ命、なんですけど。好きなのは、もちろんミキちゃんですよ。え、変わり者?ふん。下界の常識に毒されるわけがない。選ばれし政治家のワタクシですから」 ●政府公報(TVCM)「『税と社会保障の一体改革』ですよ。子どもからお年寄りまでが登場して、『いい政策だ』って、言うんですよね。バカバカしい。いい政策なら、わざわざCMやらなくても、国民皆が賛成してるでしょう。やましいところ、うそ、裏があるから、わざわざ金かけて僕を動員するわけで。そもそも、『広告』なんて、『うそ』に限りなく近い事実であって、いいところだけを積み上げてつくっているので、裏から突かれたらもろい。そのうち、JAROに訴えられるでしょう。ふん。僕にとってはいい迷惑。 大体、代理店やテレビ局を儲けさせるだけのこの手のもの、税金の無駄遣い。僕の活用法って、もっとあるんだけどなぁ。政府の頭じゃ思いつかないだろう。だって、O、H、Kの三人が雁首揃えて登場した党のCM、覚えてるでしょう?センスないんだから、政権与党は。バカのせいで、僕の評価が下がっちやう。悔しい。僕を生かしてくれる与党が誕生してほしい、早く!」 ●セリーヌ・ディオン「またよ。前回、あんなことになるとは思わなくって、後悔したのよ。『セリーヌでイーオン』。私、世界の歌姫ですから。言っておきますけど。今回もまた、『私、セリーヌ・エディオン』なんて言わされて。日本って、どうして駄洒落が好きなのかしら。 せっかく、タイタニックで一流のイメージが固定化してたのに……。今度は、イオングループからお声がかかったりして。『イオンでイーオ(ヨ)ン』なんて。 天下のイオン様だし、有力政治家の岡田某のご実家らしいから、それはそれでうれしいけど。できれば、語呂合わせとか、駄洒落以外のおしゃれなコメント、考えてね。世界の歌姫なんですから。しつこいようだけど」 ●ダイエット食品「誤解してるよね。痩せれば皆きれいになるって。そんなことないって、わかったでしょう? 友近さんを見て。彼女、痩せてなくてもいい女じゃない。ちょっと豊満なキャラクターだし。8キロくらい痩せたらしいけど、痩せたって、あんまり変わらない。だって、顔と胴と足の比率って、太っても痩せても同じじゃない。彼女のような比率の人って(いわゆるずんぐりむっくり)、ちょっとやそっとでは、見た目の変化はない。元々絶妙の比率の人が太ってると、痩せたときの変化度は大きい。背が高くて、顔が小さくて、足が長い人ね。そういうものよ。DH某は、中澤さんとか、友近さんとか……人選ミスね。 そのせいで、私たちの実力を疑われるのは心外。よく考えてよね。中島知子さんがキャラクターになってくれたらよかったのに。もう痩せたってうわさよね。残念。次に狙うのは……北陽のアブちゃんかな。もう少し太ってくれたらいいんだけど。よろしくね」 ※当該の人物、動物、モノの実際の声ではございません。飽くまでも妄想上の言葉ですので、悪しからずご了承のほど。
2012.09.14
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●金曜日の特別メニュー以前から気付いていました。うちのカレーは辛さが微妙だということを。「辛いのが苦手」という方→「この辛さがMAX」「辛いのが得意」という方→「ちょうどいい辛さ」もしくは「物足りん!」という反応です。要は、中途半端な辛さだということです。体がホットになるような、口にカッとくるような赤唐辛子の辛さではなく、口の中や体にスッとした刺激が通り抜けるような爽やかな辛さなので、赤唐辛子の辛さに慣れた人には物足りないようです。ならば! いまのカレーの5倍くらいの辛さのカレーをつくろうと思います。鍋の数(ガス台の口数)と保管場所の関係で、 毎日はつくれないのですが、金曜日だけなら何とか。命名! 「決戦カレー」挑みに来てください! という意味と、金曜日は決戦の日だからというわけで。 ●復活! 人気のスペシャルメニュー以前の店では提供していたのですが、オペレーションの問題と、鍋の保管場所が確保できないという理由で、オープン当初から提供を保留にしていたメニューを復活させます。命名! 「健膳スペシャル」佐賀牛を惜しげもなくゴロゴロ入れた贅沢なカレーです。健膳カレーとはルーを変えますし、煮込み方も違います。佐賀牛の質のいい脂がルー全体を包み込んで、口に入れた途端、「おいしい!」と思える味わい。カレーのおいしさには脂と甘味が不可欠だと理解できる、 カレーの王道的おいしさを実感していただけるカレーです。 ●しばらく封印するか……迷えるカレーずっと前から構想は持っていました。辛いカレーが苦手な女性向けに。命名! 「健膳チキン」ズバリ、チキンカレーです。辛さを抑えて、食べやすさとさらなるカロリーダウンを実現し、しかも、基本のスパイスは健膳カレーと全く変わらないので、 体にうれしい効果も期待できるというもの。「決戦カレー」「健膳スペシャル」はすぐにでもつくれるのですが、これはまだ……環境が整っていません。来年になるかも。店のガス台は三口コンロなので、金曜日は卓上IHヒーターを入れねばならず、金曜日のみチキンをはずすというのも難しい。湯煎のマシンを入れられたらいいのだけれど……。 なんてことを考えています。「決戦カレー」は来週金曜日には必ず出そうと思います。「健膳スペシャル」は、材料が入り次第。二つのメニューが載ったフライヤーや、メニュー表もつくらねば。あ、立て看板も書き直さないと。 そんなことを考えながら、健膳カレーを召し上がっていただく機会を何とかつくりたいと願っている、商売ベタのカレー屋です。 山猫軒 大阪市北区天満4-1-1511:30〜14:15 月〜土(日曜定休)
2012.09.07
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人通りの少ない場所にある山猫軒。大きな通りなので、車の往来は盛んだけれど、大きな会社がないせいか、昼間の人通りはまばら。ゆえに、ランチも夜も店を目指して来てくださる方がほとんど。 きょう、遠くからでも店を目指して歩いていらっしゃることがわかるご夫婦(多分)が来店。13時くらいだったので、わざわざ混雑時をはずして来てくださったのでしょう。 「辛さはどれくらい?」奥様は辛いカレーが苦手な模様。「ココイチの3辛くらいかな……」「えっ! それじゃ……」驚いた表情。「辛さが違いますから。口にカッと来る辛さじゃないです」「じゃ、いいか…」 ようやくオーダーしていただき、カレーを供しました。 「あ、辛さはあるけど、食べやすい」そんな奥様のお言葉をいただいて、ホッ。たまっていたお皿やグラスを洗っていると、 「ごちそうさま」 というお声。 ご主人「おいしかったです。ハチって知ってはりますか?もうなくなってしまったけど。あのカレーに似てますね」私「いえいえ、あのカレーには、足元にも及びません。 目指すところは、あんな感じ(中途半端な表現)です」 うれしいじゃありませんか。ハチの真似はしていませんが、お手本にはしています。小麦粉を入れないのも、何日も熟成させるのも、ハチのママが教えてくれたこと。気が小さいので、あんなに辛くはできないし、材料もレシピも随分違うと思います。 でも、口に入れたときの鮮烈さと体に効く感じは、真似たいと思います。 「甘味料を加えないこと」「油(脂)を使わないこと」「化学調味料を使わないこと」は、私が独自に考えたこと。ハチのカレーがどうなっていたかは知るよしもありません。 ハチのカレーが「辛さ(もちろんおいしさも)」で有名(人気)になったのなら、私のカレーは「体にいい」ことで人気になりたい。3回召し上がっていただければ、体に効くことがわかります。●おなかの調子がよくなった●胃の調子がよくなった(二日酔いに効く)●低体温が改善した●冷え性が治った●不順だった月のものが順調になった●食べた後、元気になったなどなど、さまざまな声をいただいています。 毎日食べている私も、幾つかの項目を体現しています。「薬膳カレー」とまでは言えません。が、「健膳カレー」くらいは名乗っていいように思います。 それを目指していたわけではないけれど、無駄なことをしなければ、自然とそういうカレーになったということ。 ゆえに、口には余りおいしくありません。(メニューにそう書いてます。「そんなこと、ないよぉ。おいしいよぉ」と言ってくださる方が多くて……うれひぃ)でも、体にはおいしいものだと思って召し上がってください。もちろん、体質や感じ方には個人差があります。薬ではないので、過剰な期待を寄せられると困るのですが、食べてみて損はないと思います。 できれば3度召し上がってください。そのときどきの熟成具合、肉のおいしさ、ご飯とのマッチングを楽しんでいただけます(毎回同じ味ではない、ということで…)。そして、体の反応を感じてみてください。きっと何かに気付いていただけるはず。 というわけで、きょうもカレーをつくります。きょうもカレーを味わいます。きょうもカレーを供します。 カレーな毎日は、私をカレー臭の女にしていきます。 華麗
2012.09.05
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昨今、いじめによる自殺が取り沙汰されている。学校や教育委員会、いじめた生徒、いじめた生徒の親、そうした当事者の責任追及や事の真相を解明するのは必要不可欠だと思うが、いじめられた生徒への「自殺してはいけない」という教育もまた必要不可欠なように思われる。 「死」というものの意味を教える教育は、いまの日本に存在するのだろうか。核家族化が当たり前になり、「死」に直面することが稀になったからか、それとも戦争が70年近くもない国において、「死」という事象の存在感は、希薄になり、現実感を失い、空虚なものになるということなのだろうか。 といいながら、常々私は、「安楽死」を見直してほしいと訴えてきた。自殺と安楽死の差がわからない人も多いと思うが、全く違うものだ。 自殺は否だが、安楽死は是とする。安楽死は、宗教観からではなく、日本の現状を見るにつけ、無益な延命措置をなくすことが、人々の暮らしの安定につながると考えているからだ。 医療費のほぼ半分を占めると言われている「終末期医療」。年寄りをないがしろにしろとはいわないが、生きる必要のある命を優先することが、長く生きてきた人々の望みでもあると思えてならない。 自分の意志で生きることを忘れた(力を失った)人に「死」の選択肢があっていいという考え方。私が死ぬとき、どういう法体系になっているかわからないが、「自分の意志が示せなくなった時点で安楽死を望む」という遺書を若いときから所持しておこうと思っている。 長く生きてほしいと願う家族がいないのだから、自分の意志が尊重されてしかるべきだと思う。 「死ぬ権利」求めた男性、食事拒んで死去 訴え棄却され落胆 2012.08.23 Thu posted at 11:33 JST 脳卒中で全身まひ状態となり、「死ぬ権利」の確認を求めて裁判で争っていたトニー・ニックリンソンさん(右)が食事を拒否して死去した ロンドン(CNN) 脳卒中で全身まひ状態となり、「死ぬ権利」の確認を求めて裁判で争っていた英国の男性が、食事を拒否して22日に死去した。家族が明らかにした。英高等法院は16日に、男性の訴えを棄却する判決を言い渡していた。 亡くなったのはトニー・ニックリンソンさん。58歳だった。先週から食事を拒むようになり、週末に肺炎を起こして急激に容体が悪化したという。関係者を通じて短文投稿サイトのツイッターに「さようなら。その時が来た。なかなか楽しかった」と書き残した。 ニックリンソンさんは7年前の2005年に脳卒中を起こして首から下がまひし、動くことも話すこともできない「閉じ込め症候群」の状態になった。自 らの意思で医師に安楽死させてもらう権利があると主張して裁判を起こしたが、高等法院に訴えを退けられて意欲を失い、ひどく落胆した様子だったという。 判決を不服として上訴する意向も示していたが、弁護士によると、同じ状況に置かれた人が原告にならない限り、訴訟は継続できないという。 「安楽死を認める」という基準というか、要件の線引きは非常に難しい。この人が死んでしかるべきだったとは思わない。家族がいたのに、自分の意志だけで生死を選択していいというのは身勝手な感じはする。が、本人の意志を家族が尊重しようというのなら、国や法が介入すべきではないかもしれない。 この人のように、落胆するほどの意識がある人を対象とする場合、安楽死の要件を満たすのは難しいかもしれないが、意識がない人だけが要件を満たすとすると、陰謀や欲望が渦巻く厄介な世界に突入する可能性がある。いずれにしても、難しい法律になることは否めない。 しかし、不要なほどに(終末期の話)医学が発達した現代社会において、人間を「器」として生かしておくことは容易だ。それを収入源とする医療機関があることも事実だし、手をこまねくばかりの家族が疲弊するのは時間の問題だ。 そういう問題を少しでも解消する法律をつくってほしい。 「権利」にも正と負、表と裏、善と悪が同居する。 「法律」という無機質なもの(しかも、抜け穴ばかりで、法律を知っている者が得をするという理不尽なもの)で解釈するのではなく、「常識」「良識」「道徳」「社会通念」というものを加味して、人の生死を論じてほしい。 生きる義務、生きる権利、生死の選択、死ぬ権利……。 高度に発達した社会では、自分の命もまた、自分の意志ではなく、社会の決まり事に委ねるしかないのか……。 無念
2012.08.23
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テロです。いきなりの大雨。昨日から今朝にかけての雨は、尋常ならざる量と音。久々に、雨の音と雷で目が覚めました。 平穏な生活をいきなり脅かすテロのような雨でした。 「大雨洪水警報」が発令されていたものの、大阪市内は目に見えるほどの大きな被害はなかった模様ですが、鉄道はグチャグチャ、高速道路も通行止めになって、朝から昼にかけての交通網は混乱を来たしました。 浸水、冠水、土砂崩れ、鉄砲水などの被害を受けた地域は、守口、寝屋川、高槻、枚方、京都の宇治など、広域に渡っていて、その被害も甚大なものでした。 治水のできていなかった時代ならいざ知らず、都会においてこれほどの被害を出したのは、本当に珍しい。台風以外の水害は、大阪に限って言えば、記憶にないほどです。 きょうは、最高気温が30℃を下回ったという気象情報がありましたが、湿度は非常に高かった。外を歩くと息が上がるほど、不快な湿気と暑さでした。 「こんな日に店を開けても意味ないかな」と思いつつも、どうせ仕込みがあるし、 「雨がやんだらうかがいます」というメールもいただいていたので、店を開けました。 時はお盆。ビジネス街にある店の周辺は静まり返っていて、ひどい水害に見舞われたことなど、想像するよしもありませんが、時折降る雨は、被害に遭われた方々にとっては気が気じゃない悪魔の雨だろうなと思いながらテレビのニュースを見ていると、11:30きっかりにお客さまが。 開けたら開けたで、いらっしゃるものです。お客さまが。 幸い、営業時間中は雨もほとんど降らず、強い風もおさまっていました。 昨日は、予想外の人数のお客さまがいらしたので、お肉の量が心配でしたが、何とか切り抜けました。 明日は大きな仕込み。タマネギとの格闘です。お肉も炊き込みます。 昨日、突風に飛ばさて壊れた立て看板の修理をせねば。コーナンで、ボンドと、蝶番と、テープを買い込んできました。買い替えればいいのですが、ゴミにするのがややこしいので、修理することにします。 明日でお盆の休日が終わりますので(世間の)、原稿作成もこなさねば。フライヤーの配布もあと800枚。 いまだに体がなれなくて、一晩では疲れを取り切れませんが、健膳カレーを食して、徐々にピシッとしていきましょう。 来週あたりから、「スペシャルカレー」を再開する予定。オープンと同時に出すことはできたのですが、保存方法を確立するために、お店のスタッフとの話し合いが必要で、ちょっと時間を要していました。 そうなると、フライヤーも新しくしないといけないし、メニュー表も刷新せねば。……もう少し先延ばしするか……。 様子を見ながら、ということで。 もう、ゲリラもテロもうんざりですが、それより、肌にまとわりつくような湿気を何とかしてほしい。太平洋高気圧さん、頑張ってくださいよ。 暑さと湿気にやられそうになったら、健膳カレーを食べて、体の中から健康になってください。
2012.08.14
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過酷です。大阪は暑い!ハイカロリーバーナーをフルスロットルにして3時間、地獄のような暑さです。 前回は、3年前。まだ若かった。五十肩、変な体重ダウン、自律神経失調症、あちこちの経年変化……。気力がついていきません。 のろのろと鍋のカレーをかきまぜていたら……アツッ!!!!火傷しました。 いつものことですが、久々だし、せっかく綺麗になっていた肌が再び水ぶくれの恐怖に戦くのかと思うと、ちょっと悲しくて、薬店に走りました。「ひえピタクール」これです。患部を無理なく冷やしてくれるので、大きな水ぶくれになるのは回避できます。変な軟膏より、ずっと効きます。 それと、電化製品がダウンしました。本体が熱かったので、熱でどっかの回路がショートしたのでしょう。 あぁ、高価な業務用を買うべきか、修理するべきか……。 時間がないので、購入か。。 ようやく仕込みが終わったのが16時。 「ビール!」体が求めてました。 20kgもある寸胴をそのままにして(夜の営業の迷惑になるのも省みず)、とりあえず昼食兼夕食と、ビールを求めて……。 久々の過酷労働でした。 これが、ずっと続くのかと思うと、ヘニャヘニャになりそうです。 でも、シャワーを浴びたらシャキッとしました。いまから、本業を頑張ります。 それにしても暑くて暑い、大阪の夜です。 忍耐
2012.07.28
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若い男性については、言及しないことにします。私は、若い男性から一向に好かれないし、余り興味がないので、その生態をよく知らないのです。ゆえに、最近の若い男性がどんなものに興味を持ち、敬遠し、注目して自分の生活に取り込んで、生かしているかを全く知りません。が、40歳前後から60歳くらいまでの男性は、周辺にうようよいて、気になることが山ほどあるので、こういう話題を見るとちょっと注目してしまいます。 見た目気にする“綺麗男”ブーム到来 中高年男性にも波及(女性セブン2012年8月2日号) 夏本番を前にして、男の美容がアツい――リクルートのビューティワールド総研が昨年末、25~49才の男性を対象に行った調査によると「普段から肌 の調子を気にかけている」のは25~29才男子の17%、「窓ガラスやショーウインドーで自分の姿をチェックすることが多い」のは同18%で、いずれも全 体平均の倍以上だった。若い世代においては、スキンケアやヘアケアなどが、女性同様“日常的”になっている男性が多いと同総研は分析している。 実際、男性用スキンケア商品の売り上げは増加の一途で、男性皮膚用化粧品の市場規模は2010年に194億円と、前年比33億円の増加だ(経済産業省調べ)。 こうした若者の「清潔男子」「綺麗男」ブームが、中高年男性にも波及し、美容への関心が高まっているとマーケティングライターの牛窪恵さんは分析する。 「多くの女性たちは最初、『男のくせに』と敬遠していたけれど、男性がケアすることで体臭や暑苦しさが防げるのはいいよね、という風にとらえ方が 徐々に変化してきました。また、昔は年をとると外見への意識が薄れ、『若い男たちは、トイレの鏡の前から動かないから手が洗えない』などと嘆いていたおじ さん世代の男性も、メタボ検診が始まって体形を気にし始めたうえ、女性たちの視線の変化にも気づき、美容に関心を持つようになってきたのです」 しかし、40代以上の女性100名にアンケートをとったところ、外見を気にする“綺麗男”に抵抗があると答えた人は75%。 「身だしなみは必要だが、やりすぎは気持ち悪い」(43才・主婦) と、まだ抵抗感のある女性も少なくない。 「男性がケアすること体臭や暑苦しさが防げるのはいい」というのはそのとおり。が! です。そんなこと(体臭や暑苦しさのケア)もできなかった最低ランクの男性がいきなり「綺麗男ブーム」にのっかることなんてできるわけがない!「クールビズ」と言われて、全く似合わない(髪型や鞄や眼鏡とコーディネートできていない)TシャツとGパンを身につけたり(どちらも体型がバッチリ出る)、全身ゴルフウエアになってしまったり、はたまたデパートでコーディネートしてもらったものを頭の先からつまさきまでそっくりそのまま身につけてしまうような御仁が、にわか仕込みでスキンケアやネイルケアをやったところで、全身を眺めてみたら、アンバランスになっているに違いないのです。 そのアンバランスの原因に気付いていない男性が多いのも事実。 アラフォーの綺麗な女性を「美魔女」などと呼んでちやほやしていますが、彼女らの多くは「痛さ」をどこかに漂わせています。その根源は、「若いときの栄光を忘れられない」ことへの執着心だと思うのです。ダサい中年男性が「綺麗男」になりたいと思って努力するのも「痛さ」を伴います。その根源は、「若いときに栄光を経験していない」ことからくるものだと思えて仕方ありません。 「若いときの栄光」体験を持つ男性は自信を持っている。ビジネススーツはもちろん、私服を着てもどこかサマになっている。 似合ってなくても、堂々とした雰囲気があって、似合っていると強引に思わせてくれる。が、若いときに「栄光」と言える華々しい体験がない人は、何を着ていても、どんなものを持っていても、どこかおどおどしている。よって、他人(美容の専門家とか、デパートのスタイリストなど)の力を借りて自分を飾ろうとする。 違いますよ。「綺麗」を身につけるのには、「ポリシー」が必要です。そのポリシーには、経験や生き方が大きく影響するのです。40歳にもなったら、生き方が自分の顔や姿をつくるのだと自覚しているはず。それを無視して表面だけ取り繕っても、ダメです。 ま、それが、頭の悪い若い女性の視線を気にしてのことなら、大丈夫かもしれませんが、自分の人生を豊かにできるような女性に好かれたいと思うのなら、全くの間違いです。 と、私のような中途半端な者が言っても意味がないですね。はい。 ただ、「カッコいいな」と思った男性は、生き方もカッコいいし、姿形もカッコよかった。というか、生き方がカッコいい人は、姿形をカッコいいと思わせるような説得力があった。 男性ってそういうものじゃないでしょうか。 女性は、化けることができます。化粧やファッションで、生き方や過去の経験まで封印することができます。が、男性はそうはいかない。 短絡的な「綺麗男ブーム」は虚無感を覚えます。カッコいい人、いるんですけどねぇ。結構。 若い女性は、虚無感が心地いいのかも。時代の虚無感に流されていると、楽なのかな。我々の世代は、こだわり過ぎなのかも。 と思いつつ、「綺麗男ブーム」には、違和感を覚える中年世代です。トホホ。
2012.07.27
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多くの女性は、年齢とか、生活環境とか、美意識の変化などによって、30歳くらいをピークに、年々、男性の目を気にしなくなっていきます。 多分私もそうでしょう。若いときには、体やファッションや仕草の隅々にまで気を配っていたのに、いい言葉で言うと「自然体」、悪い言葉で言うと「だらしなく」なってきていると思います。 無意識にやっていること(癖)の中で、男性がいやだと思うことが列記されていました。 男性が本気でドン引きしている「NGな女性の癖」トップ5(美レンジャー)■男性が一番NGなのは“食べ方の癖”! 飲食にまつわる癖は要注意 男性に“ドン引きする女性の癖”を聞いたところ、最も多かったのが“食べ物をくちゃくちゃ食べる”こと。確かに、気になって美味しいはずの食事も美味しくなくなってしまいますよね。 “食べるときは口を閉じる”なんて当たり前のことかもしれませんが、ついお喋りに集中してしまうときは音が立ってしまいやすいため、要注意です。 人柄が出やすいのも飲食時ならでは。3位に選ばれたのは“泥酔するまで飲む”こと。食べ癖、飲み癖は、とっても男性に注目されているようです。 1位:「食べ物をくちゃくちゃ食べる」・・・56.8% 2位:「貧乏ゆすり」・・・24.8% 3位:「泥酔するまで飲む」・・・19.2% 4位:「男性と女性の前で態度や声色がちがう」・・・18.8% 5位:「大きい音で鼻をかむ」・・・18.4% ■美意識の高さは逆にNGにもなる! ベスト5位を見ると、女性から見ても「確かにそれは……」と思うものが多いですが、6位以下はちょっと意外に感じられるものばかりです。 なんと、6位に「デスクで化粧を直す」、続いて7位には「髪の毛をやたら触る」。そして、「所かまわず鏡やガラスで身だしなみチェック」が8位に選ばれたのです。 これらすべて女性ならつい無意識にしてしまうことですが、男性にとってはとても不愉快に感じてしまうよう。やっぱり、気になったらトイレでこっそり、が鉄則です。 なるほど。男性の意識というのは、長い間変わっていないように思います。トップ5はどれも古典的な癖です。 残念ながら、というか、意外にも、というか、私にこれらの癖はありません。実は、尋常ならざる「貧乏ゆすり」の癖があるのですが(座っているときばかりか、寝転んでいるときもゆする)、人前では絶対にしません。ゆえに、私にそんな癖があることを知っている人は、母くらいのもの。しかも、せずにおろうと思えば、せずに済むので、癖と言えるかどうか(貧乏ゆすりは医学的にはいいことらしい)。 6位~8位もなし。これらは「美意識」が高いというより、「自意識過剰」な女性の癖です。美意識が高い人は、人前でこんな不格好なことをしません。 私がいやだと思う女性の癖(習性の類かな)は、『汚く食べ残す。お皿やお茶碗が汚い』『箸を持つのが下手』『絶えず何かを食べている』『男性の前で酔ったフリをする』 『何でもかんでも“かわいい!”と言う』『何でもかんでも“すごーい!”と言う』『“私は○○な人だから”と言う』『トイレが長い』(何をしてるんだか)『できないことを自慢する』『鞄の中が無茶苦茶』『靴のかかとが壊れている』……挙げると幾らでも出てきますねぇ。 気をつけないと。だらしなくなった女性は、「女性」ではなく、「おばはん」という生き物に分類されます(in 大阪)。 それだけはいやです。「おやじ」と言われるより、いやです。かといって、体や顔のお手入れをきんちとしているわけじゃないし、いい洋服を身につけているわけでもない。ブランドのバッグや小物も持っていないし、ネイルやお化粧にも興味なし。これで、「女性」でい続けることができるのか……。 説明臭いしゃべり方、人の悪口が好き、食べることへの異常な執着、だらしない体のライン、「楽」なことが最優先の服装、がめつくてケチ、言い訳ばかりの生活……そういう、「おばはん」を構成する要素を極力排除して、「女性」と言ってもらえるよう気をつけましょう。 「ときめき」も忘れずに。「かわいらしさ」も保てるように。だれかに、「ときめき」を与えることができるように。 恥ずかし。。。
2012.07.23
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橋下さんが責められてます。不倫スキャンダル。 いろんなネガティブキャンペーンがあります。橋下さんも、過去、いろんなスキャンダルを暴露されてきました。絶妙のタイミングで。 今回も絶妙なのでしょう。橋下失脚が必要な人にとって。 「若いお母さんや、正義感の強い女性からの支持が得られなくなる」と、したり顔で言う政治評論家がいます。そのとおりかもしれません。それを狙って流した情報なら。 でも、この手のスキャンダルが出るたびに思います。現実とマスコミベースの認識の齟齬。というか、マスコミの建前論の空虚さ。 ホステスさんとのつき合いって、多分、橋下さんからではない。有名(名誉がある)でお金を持っている人は人気がありますから。同伴とか、指名とか、高級シャンパンを抜いてくれるとか、 いわゆる「金づる」なわけで、ホステスさんの方から近づいたということでしょう。男性は、近づいてくる女性には弱い。断ることは悪いこととすら思っている節がある。 どうせ金を出すなら、妻には言えないようなちょっと恥ずかしいこともやってもらおう(コスプレ)ということになるのでしょう。 世の中の女性(奥様方)がご主人のことをどうお思いになっているかは知りませんが、男性なら十中八九、浮気(不倫を含め)経験があるはず。と、経験則で思います。 昔のこと、しかもホステスさん相手に起きた話をいまさら根掘り葉掘り書く方も書く方だし、バラす方もバラす方です。ま、このホステスさんは、お行儀が悪い。男性からお金を引っ張って生きている人のやることではない。 橋下さんの奥さんには、こらえてもらいたい、としか言えない。7人の子の母として、妻としての感情より、府政を、市政を精力的に推進し、後には国政にもかかわろうかという有力な政治家の妻としての立場を優先して、その存在価値を見せてもらいたい。 こういうことがあるのが夫婦生活。魅力的な男には、女が群がるものです。それを含めて、夫を愛するしかないのです。「浮気をするな」と言って、浮気をやめる男はいないのですから。それが男というものなのですから。 大阪の女性の多くは、「過去のことだから、気にしない」「政治に関係ない」「気にせず、いい仕事をしてもらいたい」 と、寛大なご意見をおっしゃっています。 浮気がいいことだとは思いません。肯定すべきこととも思いません。でも、世の中から浮気がなくなるとも思いません。 それが現実です。 好むと好まざるとにかかわらず。 こんなことを取り上げて、足元をすくおうなんて、下衆のやること。 時間の無駄ですから、こんなことに情報番組の枠を使わないでください。 お願いしますよ、マスコミの皆さん。
2012.07.20
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★エリエール大王製紙。カジノ問題で話題になった。 私は、ちょっと贅沢だと感じながら、ここ15年くらい、トイレットペーパーはいつも「エリエール」(シングル12ロール入りか16ロール入り)を求めている。が、ここ3年ほど、ホームセンターなど雑な店から姿を消した。理由を聞くと「うちらには回ってこなくなりました」とのこと。 多分、価格統制に関わることだと思う。ドラッグルートが値崩れを気にするから、雑な店に回らないような政策を取ったのだろう。ゆえに、購入は、ASKULか、近くにあるレアなディスカウントショップとなっていた。どっちにしても、他の商品と比べると値が高い。12ロールで、100円はゆうに違う。しかし、鼻とお尻がなれているので(芳香つきで柔らかい)、これくらいの贅沢は、と購入していた。先日、母の家の近くのドラッグストアで珍しくセールをやっていたので、迷わず購入。……違う! 再生紙の「エルフォーレ」と余り変わらぬ紙質になり、芳香も薄い。これは「エリエール」じゃない!!!鼻が、お尻が、「違う!」と言っている。このままだと、次はない。本社に直接進言してやる! ★電力会社不遜だ。「うそ」「言い逃れ」「隠蔽」「保身」「横柄」……地獄行きの対象となるありとあらゆる行為を平気で、というか、あたかも「権利」とか「義務」であるかのような文言で修飾して行う。これを可能にしているのは、国と一心同体であるかのようなその存在と、「責任」が全くない、もしくは取らなくていい国の体制、さらには、「公共」の名の下に、独禁法が及ばない組織であることから来るもの。何より、「企業体」ではなく、治外法権の「ムラ」(官僚と国と学者と地元の既得権益共同体)であること、そこにいる人間(上層部)の魂が、地獄行きにふさわしいレベルのものであることではないだろうか。日本には、道徳や倫理観、しきたりや掟やならわしといった、心の有り様に関する教育が豊富だったはずだが、こと電力会社に関しては、皆無だと思えるほどひどい。腐った官僚組織以上とも思えるほどだ。それは、「企業」という形態を取ってしまっているからだろう。国の組織なら、〈当たり前〉の世界になるのだろうが。 ★大津「いじめ」による何ともむごい「自殺」事件が起きた。いじめによる自殺事件の第一号は、26年くらい前だったと思う。26年を経ても、こういう事件がなくならない国って、どうなんだろう。そのときに亡くなった学生は、どんな気持ちで今回の事件を見ただろう。同級生たちは、アンケートに答えている。仕返しを恐れずに誠実に答えたのに、学校も、教育委員会も、市も、それを受けとめなかった。というより、無視した。警察までも、両親の被害届提出の訴えを足蹴にした。ここまでくると、公務員組織を信じることはできないし、税金を投じるのに疑問を感じる。税金泥棒と言うにふさわしい。当該役所の担当者の責任問題は問題としてあるが、それより問題なのは、こういう人間たちのおかげで、法の制裁を逃れることができた加害生徒と親だ。「いじめられる方も悪い」なんていう理論は存在し得ない。いじめる方が悪いのは明白だ。死をもって償えというのが相当という声が出てもいたし方がないほどひどい行為をしている。こういうことができる人間は、「人」ではない。「人」になるための矯正教育が必要だし、制裁は絶対に必要だ。制裁されることで、本人が救われるのだから。日本は、本当に役人が責任を取らない国だ。犯罪に等しい行為に対して役人が責任を取らないのに、市民に犯罪を犯すなといって、効力があるはずがない。 ★「個性派俳優」「実力派俳優」俳優や女優を修飾する言葉はちょっと変。だれが言い始めたのか。逆から見れば、個性的でもなく、実力もない俳優がいるということだ。だれのこと? ジャニタレ? モデル上がりのあの人? 演劇界を浸食しているお笑い芸人? 何にしても、ちょっと失礼な感じ。 「個性派」「実力派」というような形容詞がついている俳優は、どんな俳優か……。「舞台中心に活躍し、テレビや映画出演で日の目を見たのが30歳過ぎてから。バイプレーヤーとして確固たる地位を築いた後、主役級にのし上がってきた人」って感じか。舞台であろうが、テレビであろうが、映画であろうが、役者は役者。そっち側で勝手にステージを決めて、変な修飾語をつけるのは……。私がいま、役者としていいなぁと思うのは、トムハンクス……あ、違った。伊東四朗さんと、片岡鶴太郎さん……あれ、どっちもお笑い。修飾するなら、「感性派俳優」? 「才能派俳優」?……、「マルチ俳優」あたりでおさまりそうなのが、日本のマスコミのボキャブラリーというか、文言をひねり出す感性の貧困さを感じる。 ★前頭葉前頭葉は不可解だ。自分の脳なのに、一向にコントロールできない。喜怒哀楽もそうだが、趣味の世界、傾倒している事柄、お気に入りの何か、恋、欲望、それに……。計算したいし、調整したいし、操りたいのに、意に反して前頭葉が暴走する。 時間を置けば、沈静化するということはわかっているけれど、暴走している間、それで脳がめいっぱいになってしまうからなのか、心を支配してしまう。沈静化を待つ冷静さを欠いてしまう。カレー屋時代のお客さまで、恋愛相談をされると、脳の構造を説明する、という金融マンがいらっしゃって、そのとおりだと思う反面、それが理解できないのが恋愛のさなかの脳だと思ったのも事実。年を取ると、コントロールできるようになるのだろうと思ったけれど、相も変わらず、といった感じ。一生こういうことなのだろうと、達観するしかないか。きょうは七夕、せめて願い事でも……。
2012.07.07
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★大雨梅雨と台風が重なって、九州、四国、近畿から東北までの広い範囲に被害をもたらしたのが10日ほど前。それ以来、たびたび雨による被害報告を耳にする。テレビのニュースや情報番組では、アホかと思うほど時間を割いて気象報道をする。ゆえに、日本国民は「異常気象」なる空虚な言葉で恐怖心を煽られている。気象に「正常」も「異常」もない。言葉に詰まったら、「温暖化の影響」と口を揃えて言う。重要なのは、現状の気象状況に対応する方策、被害に対する手当をどうするかであって、「異常」をことさら強調することではない。政治や行政に「先手」はないのかといつも思う。 ★「最も」「一番」相変わらず、アナウンサーの言葉が変。「最も大切なものの一つ」などという、訳のわからない英語の直訳は別として、「最も」「一番」をおかしく言い回す輩がいる。「何が一番ベターでしょうか」「一番のメインは子どもです」「最も最重要視しなければなりません」「最もベストな方法で……」こういう人の頭の中、のぞいてみたい。 ★主張の強いおやじ大阪に多いように思うのだが、「俺が、俺が」的おやじが存在する。そういう御仁に共通する口癖がある。「俺に言わせれば~」「はっきり言うて~」「言うとくけど~」自分がこれから言うことに注目を集めたいということなのか、自分が特別な人間であることを主張したいということなのか、もったいつけた言い方を冒頭にかます。それでも、話す内容が充実していればいいけれど、そういう御仁は得てして空虚なことしか言わない。「俺に言わせれば、短気は損気ってことや」……。 ★うつ病の人製薬企業のファイザーが発表したところによると、12歳以上の8人に1人がうつ病かその予備軍ということだ。条件を22歳以上60歳以下とすば、割合がもう少し増えるかもしれない。うつ病は、脳が特殊な状態にあって、それを診断すればそうかそうでないかはっきりするが、診断できるマシン(「近赤外光脳計測装置」(NIRS/光トポグラフィー))が、まだ日本にはそれほど導入されておらず、診療内科や精神科の医師による問診や診断テストが判断材料となっているという現状がある。誤診が多い可能性も高い。 うつ病患者を抱える職場は大変だ。公務員に多いのも大問題。原因の究明と抜本的な解決策が必要。早急な対策を打たないと、企業は疲弊し、税金は無駄遣いされる。 ★レギンス、トレンカ、スキニーこういうたぐいのものを身につけている女性のセンスがよくわからない。30歳を超えるような女性がミニスカートを履き、下には黒いレギンスが……。それが七分丈だったりすると最悪。これの何がよいのだ。美的感覚が理解できない。ミニスカートを履く羞恥心をごまかしているのか、レギンスで足の難が隠れるとでも思っているのか。生脚の風潮が広まって久しいが、生脚に自信がなくなった女性が履くということなら、もっと女性のよさを発露させるアイテムを考えてほしい。……ん? これって男性的感覚? ★不眠眠れない。何が原因なのかよくわからない。昼間、運動をして疲れたら眠れるかもと思ったが、疲れたら余計眠れなかった。夜2時から4時の間に眠って、朝5時台に起きるという生活がもう1年半も続いている。ただ、横に人(信頼できる人)がいてくれたら、ぐっすり眠れることがわかったので、不安感が原因ではないかと。……解決策は、安心できる人と結婚すること……か。 ★終末期毎年膨らみ続ける日本の医療費の半分は、終末期医療に費やされているらしい。終末期をないがしろにしろとは言わないが、無駄な部分も多いと思う。人に終末期の身の処し方を決めさせてくれる法律をつくってほしい。私は、自分が人としての存在価値がなくなったら、自らの意志で死にたいと思う。幸いというか、残念ながらというか、私には子どもがいないので、少しでも長く生きてほしいという者は多分存在しない。欧米の国の中には(スイス、オランダ、アメリカの一部の州など)、自分の意志による安楽死を認めていたりする。日本も早くそうなればいいと思う。「老衰死」がほとんどなくなった日本には、絶対必要だと思う。
2012.06.30
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と、言いたくなるような殺人事件。 概要:千葉県浦安市のマンションで仙台市の看護師(23歳)が刺殺された。看護師は布団の上から胸を一突きされており、肋骨を砕き、心臓を貫いていた。 看護師は、連休を東京で過ごすため、元交際相手の部屋に泊めてもらっていた。看護師の財布は部屋にあったが、携帯電話、包丁(1本)、合鍵がなくなっていた。窓や玄関は施錠されていた。 今月21日に逮捕されたのは、刺殺現場となったマンションの別の階に住む会社員の男(26歳)。「盗み目的で部屋に侵入した」と供述している。マンションの入り口で看護師を見かけ、「女性の部屋なら入りやすいと思った」と言う。 この男は、事件の翌日、マスコミの取材に対して平然と答えていた。犯人は大阪府出身で立命館大学を卒業した後、東京のIT企業に勤めていたらしい。 看護師をマンションエントランスで見かけた瞬間、「盗み」のためにその人の部屋に入ろうと思うだろうか。大抵、盗みは人のいない部屋を狙う。わざわざ女性がいるとわかっている部屋に侵入するという危険を犯してまで、金品を盗むだろうか。犯人は盗みのプロじゃないだろうから、こういう常識を知らなかった、ということは考えられる。最近の若者は、会社で「教えてもらっていないことはできない」と平然と言うらしいから、この犯人も「だれにも盗みの方法を教えてもらっていないので、知らなかった」と言うかもしれない。到底考えにくいが。そして、もっとわからないのは、看護師の胸を一突きにしていること。当初、したり顔のTVコメンテーターは「プロの仕業か」などと言っていた。それくらい、見事な仕事だったようだ。布団の上から心臓を一突き。争った形跡は一切なかったらしい。 盗み目的ではなく、看護師を襲おうと思っての行動だったとしても、争うことなく殺害するというのは、どう考えても尋常じゃない。抗う女性を手込めにする行為を楽しむという強かん犯の習性も全くないわけで、しかも、財布を盗んでいないとなると、何のために侵入したのか……。犯行動機や理由は今後の捜査を待たねばならないが、これほど理解不能で理不尽な殺人が起こるのかと、慄然とする。 この事件、もし当該のマンションに監視カメラが設置されていなかったとしたら、永久に解決しなかっただろうと思う。動機が全く曖昧で、侵入手段もわからず(エレベーターに落ちていた鍵を使って侵入したのではないかとの見方も)、凶器も見つかっておらず、殺害方法が意味不明、殺害理由と結果が合致せず、犯罪歴がない犯人となると、探し出す手立ては「目撃証言」以外にない。しかし、深夜3時くらいに起きた事件だし、単身世帯のマンションなので、人の目は少ない。 これまでの警察が手にしてきた「捜査の常識」「犯人像」「捜査手法」は全く通じない事件だと思う。 この犯人は、人格障害を持っているのだろうか。「おとなしくて真面目で優秀」という犯人の実家近所の人の話から浮かび上がる人物像に、人格障害が隠されているとしたら、周囲の人間がそれを見抜くことは果てしなく不可能に近い。 だとすると、こういう事件はすぐ身近に転がっているということにほかならない。 以前、隣に住む女性を「性奴隷」にしたいと押し入ったが、警察に発覚しそうになったからと、殺害の後バラバラにしてトイレに流した、という戦慄の殺人事件があった。この男も、マスコミの取材に平然とした顔で答えていた。 人格障害が根底にあるとしたら、何らかの対策をする必要がある。 しかし……、人格障害というのは、一体どれくらいの人に見られるものなのだろうか。把握することも、矯正することもできないのであれば、それを暗黙の了解として包含した社会を生きるしかないということ。 恐ろしいことだといわざるを得ない。 と言っている自分に、人格障害がないとは言い切れないのも恐ろしい。 羯諦
2012.06.22
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人生を振り返ったことのなかった自分に気付いたのは、6年ほど前。いろんなことを変えなければならないと思ったとき。仕事、生活、自分自身……。前しか見ていなかったのです。振り返る暇もなかったし、「過去の栄光」にこだわる必要もなかった。 けれど、振り返ってみると、実にいろいろなことがあったことに気付きました。今回は、重いことはヌキにして、「妄想狂時代」のことをば。 人生最大の「妄想狂時代」は15歳のときです。小学時代からマンガを書いていたこともあったと思います。ヒーロー像をあれやこれやと想像するわけです。もちろん、ベースになっているのは、自分が好きだったマンガです。現実にはあり得ない容姿を持った主人公に憧れるわけで、「身長は180cm」「足が長く」「指が細くて長い」「髪型は藤堂さん(エースをえらえ!)みたいで」「スポーツマン」「頭がよくて」「白いセーターがよく似合う」「目の涼やかな」「ハンサムボーイ」挙げればキリがないほどの細かな条件を列挙しては、そういう理想のヒーローがいずれ自分の前に現れるかのような夢を夢とも思わぬ傲慢な希望を持っておったわけです。 で、その後の自分とかかわった男性を顧みてみると……。一つたりとも条件を満たした人がいない……。 なぜ? 妄想=「精神が対象の形態にとらわれて行う誤った思惟・判断」「根拠のない誤った判断に基づいてつくられた主観的な信念。経験や他人の説得によっては安易に訂正されない」 だからのようで。 このことにかかわらず、意味のない妄想をよくしていました。 そのおかげで高校生のとき、妄想小説を書いて賞をもらったり、経験したことのないような恋愛をネタにした川柳、標語、キャッチコピーなどを投稿して時計や商品券をもらったり、仕事のビデオ制作に役立てたりしましたが、メリットはわずか。デメリットは膨大。 私とつき合った人は、かなり翻弄されたと思います。妄想を元にした行動だから、相手は訂正も修正もできない。申し訳ない。 しかし!いまだに妄想はとまりません。夜になると、妄想、妄想、妄想。いいことも悪いことも一緒くたにして妄想してしまう。 一種の病気かも。 長い人生ですから、15歳をピークに、何度か妄想狂時代を経験したように思いますが、いまもかなりなもの。 多分、どんな人にも妄想狂時代はあったはずで、それが収束するのは、「経験」「反省」「回顧」を通して妄想が妄想でしかないことを自覚するからでしょう。 この年になって、まだ妄想狂を地で行くなんて……。 さて、いつ落ち着くのやら。まだ収束しないことは回避不可のようなのですが、15歳のときにはできなかった、「メリットの拡大」を試みる努力は必要だと思います。妄想がいい効果を生むことがあるなら、そちらだけに目や意識を向ける努力。 ……ところが、「被害妄想狂」でもあるという厄介な性格なので、自分に有利な妄想をすると、それを打ち消すように不利な妄想をしてしまう。やっぱり、病気か……。 ええい!きょうからポジティブ思考で行くぞ!! 恋愛妄想小説と並行して、人生の妄想小説を書くか……。「小説家で小料理屋の女将」の成功ストーリー。 ……書いているそばから、落ち込んできた。。 自壊 煮詰まるにもほどがある。……気分を切り替えて、頭のトレーニングになりそうな、 話題の問題を。解いてみてください。 1=2 2=5 3=5 4=4 5=5 11=4 10=??は8だと思います。わかります?
2012.06.08
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何か、疲れてしまいました。暑さのせいか、やるせない仕事のせいか、鬱なのか……。で、取るに足りぬネタでお茶を濁します。 女子の言う「生理的にムリ」とはなにか?彼女たちの抱くモヤモヤの正体2012年05月24日(木) 08:00 女性の言う「生理的にムリ」って何のこと? 「五感プロデュース研究所」主席研究員の荒木行彦さんに分析していただきました。 「『生理的にムリ』とは、『その人の子どもが産めるか? 』という基準のもと、女性が男性を見るときにのみ発生する感情と言っていいでしょう。言葉の通り生理ですから、つまりは『自分の子宮に合わない、自分の子 孫を残すのにはこの人では不安』と感じる感覚のことです。男性には子宮がなく子どもが産めませんから、『生理的にムリ』の感覚にピンと来ないのも当然。生 理的に合わないと感じることは、人(=ホモサピエンス)の動物的感覚がそう判断させているということなのです」(荒木さん) 「特に関係が深いのは、ニオイです。人の体臭には『HLA遺伝子』という情報が含まれており、男女間ではHLA遺伝子の似ていない者同士が性交渉をした方 が、免疫能力が高く丈夫な子孫が残せるとされています。女性は子供を産んで育てるという役目がありますから、より強い子孫を残すために、男性とのHLA遺 伝子の相性を嗅覚で嗅ぎ分けるのです。このとき、汗臭いと思ってしまうのが生理的にムリな相手で、心地良いと感じるのが相性のいい男性ということです。 ※一部抜粋 「子どもが産めるか?」「遺伝子(ニオイ)の相性がいいか?」それが、「生理的に合うか合わないか」を判断する基準……。究極はそうなのかもしれません。じゃ、私のような年齢の人間は、「生理的にムリ」と言ったら、男性から非難されるじゃないですか。あれれ。 そんな、悲しい運命の私でも、「生理的にムリ」という人、います。 基準その1は、「キスできるか」です。ものすごく間近に迫ってくるわけです。顔が。いやな顔なら耐えられない。あ、「キスできるか」より、「間近で見られるか、その顔が」ですね。間違いました。 それから、「一緒に眠れるか」も。これは、ニオイが関係していると思います(上の説どおり)。6時間もそばにいるわけですから。 変な関係ナシとしても、そういう雰囲気をムンムン放出する人はダメ。湿気の多い人もダメ。そして、寝顔のブサイクな人はダメです。 イビキとか、寝言とか、歯ぎしりとかは、想像でしかないけれど、「この人、イビキひどそう」と思ったら、「生理的にムリ」かも。ということは、太った人はダメということですね。 「一緒に歩けるか」というのも、基準のような気がします。これは、対外的な要素。この人と一緒にいたら、自分がどう見られるか、というのを気にしているのだと思います。若いときは、不倫に見えるほどの年の差があるとか、スケベな感じのする人はいやだったなぁ。いまは……自分より随分若い人はダメかな。 イチビリに見える人(どんな人?)もダメ。 でも究極は、「目の色」です。自分と目の色が同じ人がいい。目の色が違うと、何を考えているのかわからない。具体的に言うと……例えばアナウンサー。羽鳥アナは目の色が同じだけれど、宮根アナは違う。何となくわかります? そんなことを言ってますが、その見分け方が間違っていたことは、結果を見ればわかります。「生理的にムリ」なんて、言う資格のない人間……。 ありゃりゃ、余計落ち込んできた。 これくらいにしときます(TV局のめだか記者ではありません)。 撃沈
2012.06.07
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★輿石東全部苗字のような名前の人。「日教組のドン」と聞くだけで、存在を否定したい感じだったけど、 たけしさんが、「梅干しの種のような顔」と発言してから、映像を見るのが楽しくなった。本当に梅干しの種みたいな顔。シミだらけ、シワだらけ、生気がなくてゾンビでしょ ★清水俊輔テレビ朝日アナウンサー。「Qさま!!」のMC、「ワイド!スクランブル」の「夕刊ブラッシュアップ」(木曜日)担当。 童顔なのに、力強くてメリハリの効いたいい感じの声。 顔を見るまでは、「どんな人だろう」と思っていたけれど、いい意味で想像を裏切ってくれた。さて、頭はいいのかしら……。頭がよかったら、次の展開は無限。むむむ。ふふふ ★美元すごいなぁ。「被告」「ストーカー」「顔を見るのも恐怖」と言われながら、「夫婦生活は修復可能」とコメントする図太さ……無神経さ……そんな生易しい言葉では、表現できない感じがすごい。「キレる」という性格的特性は、「自己愛」「自尊心」が強いか、他人を受け入れない勝手さがあるか、自分だけが理解できる正義感が強いか、……何にしても、未熟な人間の典型。離婚裁判……どうなるのだろうか……。高嶋さんが「人を見る目がなかった」といえばそれに違いないのだけれど、想像を超えたこういう人種……、でも、法律は味方をするようで。高嶋さんが少しでも早く自由になられますように…… ★菊池直子出てきましたねぇ。やっと。平田信に続いて。17年です。かつて殺人の時効が15年だったのに、17年も逃げ続けてきた。共犯者の裁判中は時効のカウントが停止するということらしいが、実に長い。そして、彼女も40歳。23歳から40歳までの17年は、女性としての最もいいときを棒に振ったということになろうが、現実はそうとも言えないかも。人の人生はよくわからない。麻原の呪縛から解放されているのだろうか。まだまだ、オウムは潜在(健在)しているということかも ★たかた社長(高田明/ジャパネットたかた代表取締役社長)幾つ? 64歳みたいだけど、若くない?朝方のテレショップで、あの甲高い声を聞くと、脳が活性化する(深夜聞くと間違いなく眠れない)。歌がうまい。顔がきれい。整形? シワないしなぁ。「今回は、1000点ご用意しました!」と言うけれど、それって、多いのか少ないのか。1万円の商品なら、売り上げが1000万円。テレショップしてどれくらいの利益になるの? もしかして、そう言いながら5000点くらい売るってこと?何にしても謎。いまさらながら、気になる ★原発大飯原発は再稼働するようだ。裏側を知りたい。関西の経済団体の強い意向とか、維新の会の政治的戦略とか、関電の裏の力とか、いろいろ考えられるけれど、どう考えても整合性が……。政府、国会、経産省、原子力保安院といった国の組織がきちんとした見解を出し、関西広域連合や福井県が経緯説明をするべきだろう。必要ないか……。日本って、そういうふうに動いてきたのだから。福島の原発事故がなければ、いまも全国の原発は堂々と稼働していたのだから。 行政(官僚)も、国会(立法府)も、国民など見ていないし、見ていては仕事ができないと思っているのだから。嗚呼、国民不在の無情国家 ★五十肩50歳じゃない!でも、五十肩。左の症状が随分やわらいできたと思ったのも束の間、今度は右が……。右は肩ではなく、腕が痛い。上には上がるけれど、後ろに回せない。間違って、痛む角度に腕を動かすと、1分ほど声が出ないほど痛む。こんなことでは、背後から責められたときに応じることが……むむむ。自重をば ★胸とお尻年末からちょっと膵臓を悪くしたせいで、5kgダウン。胸が2サイズ(ブラジャーサイズ)小さくなって。椅子に座るのが痛い(お尻の身がなくなって……)。これは問題。映画館には行けない。2時間座り姿勢を続けるなど、自殺行為。姿勢によては、尾骨、座骨が椅子に当たって、激痛が走る。困ったことで…… ★怒り新党(TV番組)テレ朝/水曜日・23;15~有吉とマツコの番組。好きなTV番組って余りないのだけれど、深夜帯では、欠かさず見ようと思うものの一つ。人間の「怒り」の原型が見えるようで面白い。ナイツの塙がナレーターを務める「新・3大○○」もいい ★矢部浩之先週、「徹子の部屋」に出演。同局の「YABECCHI F.C.」の宣伝のためだが、芸人泣かせで有名な徹子さんと堂々と渡り合っている様は、芸人としての実力を感じさせた。雨上がり決死隊の宮迫、今田、千原兄弟などそうそうたるお笑い芸人が徹子さんのペースに巻き込まれてお笑い芸人どころか、全くつまらない人間と化してしまう悲しい結果になってしまったのを見てきたので、やべっちはどうだろうと思って見ていたら……。さすがです。伊達に若いころから東京に出たわけでも、長年MCをやっているわけでもないことがわかりました。徹子さんがやべっちのペースにはまるなんて、想像していませんでした。番宣の傾向が強かったので、徹子さんが遠慮したということも考えられますが、やべっちは終始自分のペースでした。むむ。若手(でもないか。40歳ですから)にしては、実力のある人です 取るに足りぬことを……、また煮詰まっているよう……。月曜日なのに……。 撃沈
2012.06.04
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つまらない話で気を紛らわせます。いつもこのブログをご覧の方は、ガッカリされるかな。お許しを。 男女の真理をたった1枚で表したチャート画像が話題に- ITmedia(2012年5月28日10時33分) 海外の画像サイトで「男女の真理をたった1枚で表したチャート」が話題になっています。どこが発祥かは不明ですが、画像サイト「imgur」では現在までに96万viewを獲得。 元の画像は英語なので、このままだとちょっと分かりにくいかも。男性/女性を、Smart(賢い)/Dumb(愚か)の2種類に分け、それぞれの組み合わ せを4つのパターンに分けています。ということで、分かりやすく編集部で日本語化してみましたが、Oh...こ、これは……。 確かに男女の真理を(だいぶ極端ではありますが)端的に表していると言えなくもない気が。いろいろ異論もあるか思いますが、極論ゆえに話題になりやすかったのかもしれません。 ↓ これがそのチャート 「男/馬鹿」+「女/馬鹿」→「妊娠」に該当する芸能人、多いなぁ。 なるほど。 「結婚」も「情事」もわからなくはないし、そんな感じがするけれど、 「ロマンス」がイマイチ……。 本来、ロマンスは「ローマ的」という意味ですが、現代では、 「空想的、冒険的、伝奇的な要素の強い物語」とか、 「ラテン語が俗化したロマンス語で書かれた物語」といった意味らしく、 現代では単純に「恋物語」「恋愛小説」という意味で使われるみたい。 つまり、「互いが恋愛ストーリーの主人公になる」ということかしら。 むふふ。 それが賢い男女のやることかどうかは別として、 G.W.から妄想小説を書いている私には、とてもいい論理。 ヒーローとヒロインが描く、美しくも激しい恋愛模様……。 きょうは、ちょっと筆が進みそう。 落ち込み紛れのつまらぬ話題におつき合いいただき、 ありがとうございまーす
2012.05.29
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自分の性格や行動性向って、自分が一番知らないのかもしれません。特に私は、人から指摘されてびっくりすることが多い人間だと思います。 といっても、当たっていないことがほとんどで、それは、見た目(姿形、ファッションなどから判断できる嗜好や指向、人から見える生き方、言動を含む)と中身が違うからだと思います。 先日、最初に就職した会社の同僚(3つ先輩)が訪ねてきてくれました。20年ちょっと前に、大阪から鳥羽の支店に移り、その後会社をやめて鳥羽で事業を起こした人で、同僚としての接点としては、2年ほどしかないのですが、私が会社をやめてからも、若いときは遊びに行ったり、私が会社を始めてからは、仕事先を紹介してくれたり、父が定年になって、鳥羽の近くに移り住んでからはご近所さんとして、細く長く、ずっとつながりを持ってきました。その人が言いました。「○○ちゃん(私)は、不思議な人やなぁ」と。どうも、まだ理解できないようです。20年以上(30年未満)もたってです。「謎が多い」のだとか。隠し事はしていない(つもり)のですが、見えない部分が大きいそうで。私がつくった料理(お昼ご飯に誘われたのですが、ちょうど昼時で周辺の食堂が混んでたので、ご馳走することになって)を食べながら、「こんな料理、つくれるとは思わんもんな」と言うのですが、昔、私がお弁当をつくって遊びに行ったことがあるし、夜通し話していて、朝ご飯をつくって食べてもらったこともある。「そうだっけ?」ですって。ことほどさように、人が持っている私のイメージは、ちょっとやそっとでは、崩れないように思います。謎が多いというより、私の本質を見ようとしていないのではないかと。 では、どんなイメージなのか……。よくわかりません。「真面目」「努力家」「堅い」「几帳面」「神経質」……よく言われますが、どれも違うように思います。仕事に対する姿勢と、本質が違うということかもしれません。 「悪女」なんていうのは、あり得ない勘違いですが、自分が思ってもいないイメージを人に持たれているのは、どこか気持ち悪いもので。 大した問題じゃないみたいですが、このせいで婚期を逃したとか、恋人ができないとか、仕事を逃しているとか、結構な弊害があると思っています。自分が自分を把握できていれば、人にもアピールできるものを、相手が誤解していても、みすみす黙認するしかないというのは何とも遺憾です。 ま、いまさら、という感じなのですが。 先日、20年振りに再会した人がいます。中学のときと、その後同窓会で一度再会した以外は、何の接点もないのですが、驚くほど私の性格や考えていることを言い当てるのです。自分で自覚していることはもちろん、他人にほとんど理解されていないこと、自分でも言われてみて改めて気付くという見えない部分まで。驚くというか、驚愕というか、驚異というか、吃驚というか、驚嘆というか……。彼は、「僕と似てるから」と言うのですが、似ていることに気付くことすら驚倒に値することだと思います。前世では、一卵性の双子だったのかも。色気がないなぁ。アンドレとオスカルにしとこ。 鈍感で無神経な私は、彼のことも、だれのこともわからない狭量な人間であり続けるのでしょうけれど、自分のことをわかってくれる人がいるというのは何ともうれしい感じです。 それにしても、私はもう少し自分のことを知らないといけない。 つき合ってくださる人に申し訳ないし、自分を少しでもよく見せるためのアピールもしなければ。 もちろん、これ以上の不幸は回避したいし。 南無 あーつまらんブログ。煮詰まっとるなぁ。右を向いても左を見てもバカと阿呆の絡み合いで、思考停止してます。お許しを。
2012.05.28
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大阪に暮らす者にとって、この夏の「節電」問題は切実。常日頃から節電を心がけている(エコの観点というより、節約)関西人にこれ以上節電しろというのは、酷な話だ。 関西電力(以下、関電)の電力需給予想は二転三転し、原発の再稼働なければ、「25%不足する」とした当初のことを考えると、「0.0%(足りる)」というあり得ない数字を発表するという展開になってきている。どうも、電力は足りるようだ。 しかし、マスコミは「15%の節電要請」のことしか言わない。 おかしい。 そもそも、関電の発表する数字の裏には何があったのか。何が何でも原発を動かしたいのだ! 理由は、1.→関電の純資産に占める原発関連資産は6割ほど →もし、廃炉になったり、再稼働の見込みがなければ、資産として 計上できなくなり、今期のような赤字が3年も続けば、債務超過に 2.→原発関連の子会社・関連企業の収益確保や存続が必須 →できなければ、倒産、破産、利権を持つ人間(ファミリー)が……3.→原子力村の利権構造が崩壊する →日本じゅうの原発に影響が波及する →政権、経産省、政治家、学者が……4.→燃料費が高い←政治力がなく、LNGを高く売りつけられている (スポット買いのせいもあるが、米や英の3倍にも) 5.→もし、債務超過にでもなれば、国に牛耳られ、経産省が押し掛けてきて 経営権を乗っ取られる(東電のように) →官僚の言いなりになるしかなく、うまみがなくなる6.→原発が動かなければ、原発のある地元との契約不履行となり、 賠償問題にも そもそも、立地選定から核燃料の再処理や廃棄までのサイクルを考えると、原発というのは、数百年単位、あるいは永遠の事業と言っても過言ではない。その間、利権を持つものは安泰と思っていたわけだ。廃炉するだけでも(福島の場合)期間40年、費用1000億円と試算されるほど、時間がかかり、大きな金が動く。 政府と経産省は、原発再稼働容認の立場。もちろん、電力会社も同様。経済団体が後押し。マスコミは、これに押される形。 ことほどさようにこういう構造で電力行政が動いている。得手勝手な電気料金の値上げ、遅々として進まない発送電の分離、3%という低シェアに甘んじなければならないPPSの現状(崩せない9電力独占体制)、改まらない電力会社内部の高給・厚遇体質、電力会社及びファミリー企業の隠蔽体質……枚挙にいとまがないほど多彩な、国民にとっての不利益構造は、安易になくならないのは確かだ。 政治も行政も皆そう。橋下市長のように勇気を持って「ガラガラポン」 することなくこれらを正常化することは不可能である。 これほど国民は疲弊しているのに。国際社会は日本国際を格下げするなど、日本経済を立て直せない政府を信用なしとしているのに。 ギリシャの二の舞か……。日本人は、ギリシャ国民ほど能天気じゃないぞ……! 日本沈没
2012.05.24
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「大阪のシンボル」といっても、「通天閣」の話ではありません。 「生駒山」です。大阪平野を見下ろす場所にあり、山頂にはたくさんのアンテナやレーダーが立っていて、UFO出没スポットとしても有名(だった)な大阪人なら誰もが知る大阪を代表する山です。 車乗り、バイク乗りが責めに行く阪奈道路を擁し、恋人たちや暴ヤンが集うシギスカ(信貴生駒スカイライン)が山頂を通っていて、展望スポットからは、大阪や奈良が一望でき、しかも! 父のお墓が山頂にあるという、すばらしい山。 その生駒山と昨日開業したスカイツリーの高さがわずか8mの差しかないというのです。生駒山→642m、スカイツリー→634m 大阪の小中学校の幾つもが、校歌に歌う生駒山が、あんな人造構造物とほぼ同高さだと……。 えらいことです。建築技術がすごいということなのか、山に対する認識が低過ぎたということなのか、いずれにしても、生駒山の威厳を守るための努力が必要です。 山は自然崇拝の象徴。「霊山」という扱いではないものの、大阪随一の有名な山ですから、「高さ」で語る以外の「何か」を見つけないと……。 やっぱり、UFOしか……。 短絡
2012.05.23
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マスコミは当初、「橋下市長はやり過ぎ」「プライバシーの侵害」「個人の嗜好」などと能天気なことを言っていたが、私は、こういう結果になると思っていた。橋下市長が確証なしに、非難されやすいことに取り組むわけがない。市民からの苦情、内部告発などで実態把握がある程度できていただろう。 入れ墨職員100人超?…配置に頭痛める大阪市 大阪市環境局が今年3月、同局の全職員約3200人に入れ墨の有無について調査したところ、約50人が「入れ墨をしている」と回答していたことがわかった。 同市では、橋下徹市長の指示で全職員に対する入れ墨の調査が進行中で、数はさらに増える見通しだ。市は人目に触れる場所に入れ墨のある職員を市民対応部署から外すなどの措置を検討しており、人事配置で苦慮する可能性もある。 市環境局は2010年5月に職務倫理に関する内規を施行、この中で「タトゥーまたはこれに類するものをしてはならない」と決めている。しかし、昨 年、市民から「入れ墨をしたごみ収集職員がいる。問題ではないか」という意見が寄せられ、同局が今年2~3月、内規が守られているかどうかを記名式で調査 した。 職員に▽入れ墨の有無▽入れている体の部位――などを尋ねた。環境局は、入れ墨があると答えた職員には、可能な限り消すように指導したという。 一方で、全市職員調査のきっかけになったのは、2月、児童福祉施設の職員が子供に入れ墨を見せていたことが明るみに出たことだった。橋下市長は 「公務員が遊び半分で入れ墨を入れるなんて何かが狂っている」と問題視、市長をトップとする服務規律刷新プロジェクトチームを発足させた。 5月1日、教職員など約8000人を除く全職員約3万人(環境局も含む)を対象にアンケートを始めた。 アンケート用紙は、「勤務中に入れ墨が市民の目に触れることになれば、市民が不安感や威圧感を持ち、市の信用を失墜させる」と説明。頭部や腕、足 など人目に触れる可能性のある部分について、人体のイラストに図示する形で、大きさや入れた時期などを記名回答するよう求めている。背中など人目に触れな い部分については任意回答とした。 全職員アンケートの回答期限は14日だが、市幹部は「全体では100人を超えるのではないか。こんなに多いとは思わなかった」と、その後の処置に頭を痛めている。 (2012年5月14日08時10分 読売新聞) 兄が公務員なので、こういう行為がどれほど不届きで逸脱したことかを若いときからよく聞かされた。自家用車が派手なだけでも、目をつけられると言っていた。仕方ない。市民の税金を頂戴する立場なのだから。「個人の嗜好」だから、好き勝手したいというのなら、民間企業に行けばいい。そんな人間を採用してくれる企業があるかどうかは定かではないが。 それにしても、大阪市役所はひどい状態にある。環境局がひどいことは周知の事実だが、実態解明が進むともっと恐ろしいことが白日の下に晒されるかもしれない。 橋下市長でなかったら、確実に隠蔽されたままだっただろう。首長の存在は、大きい。仕事をする首長が、地方を動かしつつあるが、まだまだだと感じる。 しかし……橋下市長のモチベーションな何だろう。知事時代から思っていた。命を狙われ続けながら、ひるまず、立ち止まらず突き進めるその原動力は何なのだろう。 不思議だ。 疑念
2012.05.14
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5月8日(登庁時)の橋下市長の囲み取材(会見)が話題になっている。MBSの女性記者が橋下市長に対して質問をしたのだが、それに対する橋下市長の対応が極めて厳しいもので、賛否両論が渦巻いている(ほとんど、記者否定論だが)。 やりとりの内容については具体的に触れないが、この記者の質問の姿勢がつまり、テレビ局の報道姿勢だろう。 何が問題だったのか。 ★質問する相手と質問する内容が合っていない。市長の所掌外の事柄について質問をし、市長に指摘されてもしつこく食い下がって、質問を変えようとしない。 ★コメントを取ることが質問の趣旨になっている通常、市民を代弁して、市長に疑問や不明な点を質問し、明らかになったことをメディアを通じて伝えるのがテレビ局の仕事。が、この記者は、「この質問の回答を取れ」と番組から言われたのか、自分たちの番組のためだけの質問に終始し、囲み取材の主題から逸脱してしまっている。 ★勉強不足取材には、揺るぎない基礎知識が必要。それがなくして人に質問などできない。まして、橋下市長を相手に、よくこんなに勉強不足で対峙できたものだと感心する。 ★己の思想信条がベースになっている左系の人がよくテーマにしたがる「思想信条に基づいて」という文言は、多分彼女(あるいは番組)の思想信条に合致したものなのだろう。それを軸に,市長に対して「個人的な意見を」などというのはお門違い。囲み取材という公の場で、市長が個人的な意見を言うわけがない。 ★言葉遣いが無礼千万市長が質問しても、「答える必要はない、質問しているのは自分」という態度を終始通し、勝手な質問を繰り返す。記者は、相手がだれでも何を言ってもいいということなのか。市長は終始きちんとした敬語を使っているのに、「いやいや」「わかってますよ」と、立ち話でもしているかのような口調。この記者に限らず、最近の記者は、政治家に対して不遜な口をきき過ぎる。耳に余る。最後に、「ははははは、これぐらいにしておきますけど……」と締めくくった。池乃めだかか! ★編集を前提にしていた橋下市長はこの戦略を見抜いていたのか、適当な回答をしなかった。「私の所掌ではありません」などと回答を避けたりしたら、そこだけを編集して使われて、「橋下さんは回答を避けた」などとして報道をされただろう(実際の報道を見ていないので、これがどう報道されたのか知らないのだが)。非常に神経質になるべき問題だったので、橋下さんが中途半端な妥協をしなかったから、過激な内容になっているが、相手の記者がこれほど食い下がらなかったら、もう少し勉強していたら、こんなことにはなっていないだろう。記者のせいだと私は思う。 VOICE(夕方の報道番組)の記者らしい。特集のネタにするつもりだったのだろう。この番組は、放送内容が優れていると常々思っている。賞もよく受賞している。「憤懣本舗」と「マル調」の取材力は見上げたものだ。が、時として、権力チェックと称して無理やりな報道をしがちだ。地方であれ、国であれ、権力を握っているもののやることには、強力なチェック機能が必要である。しかし、希有な意見や例をさも「世間の大多数の意見」「世界の趨勢」とばかりに報道する。偏った思想や研究方針を持つ識者の意見をベースにすると、歪な方向性を持ってしまうが、その方向に邁進してしまうきらいがある。その方がインパクトがあるのは否めないし、そういう見方をしても許される場合があるとも思う。しかし、そればかりでは、偏向報道といわれても致し方ない。 今回の取材も、そういうことではなかったかと危惧する。 ネット上では、記者に対する批判轟々だそうだが、それは、声や、言葉の印象や、言葉遣いといった表面的なことが災いしているように思う。大抵の男性記者や有識者、大学教授などは、橋下さんに論破されたら反論できない。なぜなら、論破された点がまさに弱点だったと認めるからだ。が、この記者は一切認めなかったし、黙ることもなかった。ここが、女性のなせるわざなのだろう。 一所懸命考えた企画を提示したらクライアントに反論され、言い返すこともできずにいつも黙り込んでしまう私は、この記者を見習わないといけないと、強く思った。頑張れ! 女池乃めだか記者!!
2012.05.10
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最近、若者による自動車事故が目立って多いように思う。 そもそも、自動車事故全体に占める24歳以下の若者の事故数の割合は昔から高いものと相場が決まっている。 自損、物損から死亡事故まで、ありとあらゆる事故を起こす。 近頃目立っているのは、中でも、死亡事故など重大事故ばかり。しかも原因が理解できない。 ●亀岡では、無免許の若者が通学中の小学生の列に居眠り運転で突っ込んで3人死亡、10人重軽傷。●香川では、25歳の女性がセンターラインを超えてバスと正面衝突。 8人けが。 ●大阪では、西区と福島区で暴走して当て逃げを繰り返したレンタカー(22歳男運転/脱法ハーブ使用)が78歳の女性をひき逃げ(重傷)した。 ●徳島では高校生4人の自転車の列に軽自動車が突っ込んで、一人が死亡。 原因は、「居眠り」「脇見」がほとんどだとか。 原因は何だろう。若い頃は運転適正が低いのは確かだ。運転は、「経験」が基礎的な能力になるのに、それがないのだから致し方ない。しかも、若いときは「無理」を無理と思っていない節がある。「失敗」の一歩手前で回避できたときのスリル感を楽しむという人種がいるようだ。そういう、基本的なことは昨今の傾向ではないので、ちょっと置いといて。 車が簡単に運転できるようになったことは大きいと思う。マニュアルミッションからオートマチックに移行したときに危惧されたことだろう。何もしないでも、アクセルさえ踏んでいれば走るのだから。便利なものには、危険がつきまとう。 これは、想像でしかないのだが、自動車学校にも問題があるような気がしている。少子化の世の中で、生徒の取り合いが起こり、より簡単により安く、より優しく免許が取れるようになったのではないだろうか。 我々が教習所(自動車学校とは言わなかった)に通ったころは、それはそれは、鬼教官ばかりだった。理不尽なほど怖かったし、自動車に乗ることがどれほど危険で、緊張すべきことかをうるさいほど教えられた。 最近、優しくて美しい女性教官がもてはやされるようになった(それも古い話かも)。費用も昔ほど高くないようだ。私が習った呼号を、若い人に言ったら、不思議な顔をされた。車に乗っている間じゅう、呼号と動作が必要で、忘れると減点されて見極めにも通らなかった。 車という密室空間に二人切りになった教官が、ヤク○のような口調で怒号を飛ばす。女性にも容赦はない。これは怖い。学科の先生も怖かった。教習所にいるときは終始緊張していた。 教官が怖かったら事故を起こさない、とは思わないけれど、「叩き込まれる」感は確かにあったし、「事故は起こすな!」と繰り返し言われたので、車に乗るときは、常に緊張する癖がついた。 いまはどうなんだろう。とてもそんなふうに教えているとは思えない。 ここにも、「総ユルユル国家・ニッポン」の縮図を見ることができるということだろうか。 事故を起こされる側(被害者側)に対策を求めるのは不毛だ。ガードレールを設置するとか、歩道を拡幅するなど、大変費用のかかることになる。一人のバカな運転者のために国民の血税を使うわけにはいかない。運転者を教育することの方が先決だろう。 「運転適正」というものをきちんと測定できる方法はないだろうか。 これができれば、少なくとも最近起きたような悲惨な自動車事故は防ぐことができるのではないだろうか。 こういう論議も不毛だろうか……。 沈没
2012.05.08
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