K/Night

K/Night

Dragon Knight 運命の歯車―2―


全てを買い終えジルの家へ戻った時、既に日は傾き、空も森も村もオレンジ色に染まっていた。
その中、壁に寄りかかって待っていたのはジルと、ノインだった。
「疲れただろう?パイを焼いたから食べていくといい。さあ、中に入って」
瞬間、子供達の顔が輝く。
「やった!」
歓声をあげながら家に入っていく、その後を追ってジルも中へ入る。
残されたのはノインと、エリクだった。
「……」
無言のままにノインは体を起こすと、歩み寄ってエリクの右手に持った荷物を引き取る。
それから右手を掴む。
小刻に震えていた。
「相当無茶したね?」
眉を寄せ、少し怒って荷物を地面に下ろす。
今度は袖を捲って包帯の巻かれた傷口を見る。
「傷は開いてないようだね。でも熱を持っている。痛いだろ?」
痛みを与えないように、触れるか触れないかの感覚で指を包帯の上で滑らす。
様子を窺うと、エリクは唇を引き結んで潤んだ目でノインの手を見つめていた。
今更ながらに痛いようだった。
ノインは水で濡らしたタオルを取り出し、包帯の上から軽く押さえる。
「……」
ホッと息が吐き出されたから、少しは楽になったのだろう。
「今日はもう動かさない方が良い。これからももちろん無茶はしないように」
ジルからこの事を聞いて、無事にエリクが帰って来るまで気が気でなくなるくらい心配したのだから、これくらいは良いだろう。
そう思って少しきつめの口調で注意した。
だが、
「…はい…」
エリクの口調はあまりにも弱々しく、想像以上に落ち込ませてしまったようだった。
これには流石にノインも良心がうずく。
一度、困って視線を宙に漂わせ、決心するとエリクを抱き寄せて、ゆっくりと微笑む。
「良かったな」
「…?」
唐突な言葉に理解出来ず、エリクはオドオドしながら上目遣いに顔をあげる。
もう怒ってないよ、初めに付け足して、
「友達が出来てさ」
さっきの言葉の続きを言う。
頭を撫でると一瞬ムッとしたけれど、特に抵抗もせずに大人しくしている。
景色がオレンジ色で分からないけど、恥ずかしくて顔が紅いから何もしないんだろうな、とノインは予測した。
証拠にエリクは顔をまた伏せているのだから。
でも、ノインが言いたかった事はまだ終わってはいなかった。
少し息を吸って、ゆっくりと言葉を吐く。
「でもまだ話し方も接し方も、全部がぎこちない」
一瞬、エリクの呼吸が止まる。
時間という律が壊れたかのように、不自然な程にそれはピタリと止まった。
「何が怖い?裏切られる事か?」
壊れた人形のように重力に任せて手を投げ出すエリク。
その口が、微かに言葉を象る。
「…どうして」
分かるんだ?
最後まで言えずにノインの服を握り締める。
「エリクが心配だから、俺は何時もエリクを想っているんだ」
あやすように背中を撫でるノインの手の感触を感じながらエリクは目を閉じる。
「何時か…皆が離れていくのが怖い」
どうにか言葉を吐き出して、その場面を想像して怖くなる。
「裏切られるのは良い。けど、もし、本当に私が化け物だったらと、裏切るのが怖い」
だから本当に関わっていいのか分からない。
記憶がなく、化け物と呼ばれたエリクの心の奥に潜む、闇のような傷だった。
「でも、そこで心を閉ざしたら誰も周りにいなくなってしまう。自分から心を開かないと、誰もエリクを分かってくれなくなる」
静かに、諭すように、慎重にノインは言葉を選ぶ。
「勇気を出さないと、一歩を踏み出さないと、結局は以前と変わりがなくなってしまうよ?」
少し体を離して顔を会わせる。
いとおしむように、前髪を脇に避け、頬を撫でていく。
「もし、万が一エリクの言う通りになったとしても、俺が、俺だけは絶対傍にいるから」
「…ぇ」
見返すエリクにノインはただ微笑む。
それからまた、今度はゆっくりと抱き込んだ。
―――好きだよ。
喉まで出かかったけどその言葉は飲み込んだ。
「ちょっと、何してるのよ」
「―――っ!」
少し不機嫌な声に、慌てて2人は離れる。
声がした方に同時に振り向くと、声の主はシャナだった。
シャナはノインからエリクを離して手元に引いた。
ギュッと手を握り、もう片方の手の人指し指をエリクの鼻先に突き出す。
「良い?エリク。男っていうのはね、たとえ子供であっても女の子の前じゃ、皆ケダモノなのよ?」
ヒソヒソ話をするわけでもなく、普通に話しているわけだから、
「ケダモノぉっ!?」
もちろんノインにも聞こえてしまう。
「エリクみたいな可愛い子なんて一口で食べられちゃうわ!」
気分は既に母親であるシャナは、恐ろしいわねー、と目を丸くしているエリクを腕に抱えて、よしよしと頭を撫でる。
話の渦中にあるエリクは訳が分からないとばかりに、シャナとノインを交互に見つめる。
そのノインと目が合うと不思議そうに首を傾げて、
「ノインはケダモノ?」
純粋な疑問とばかりに尋ねた。
グッと詰まる言葉。
シャナに言われるよりもエリクに、たとえそんな気はなくともああ言われるとショックは大きかった。
しかも多少なり当たっているから更に困る。
好きな人を目の前にして、触りたいと思うのは人の性というものではないか?
抱き締めるだけで済んでいる自分を褒めて欲しいくらいだ。
だが、そんな事を言ったら最後、既にエリクの事がお気に入りモードのシャナに怒涛の如く怒られた挙句、これでもかというくらい無視され、仕舞にはエリクにも会わせてもらえなくなってしまうだろう。
ここは初めてぶつかる越えなければならない壁だ―――!
冷や汗を流しながらノインは拳を握る。
「俺は―――」
だが、言葉は最後まで続く事はなかった。
何故なら、
「そんな事より、エリク。パイがなくなっちゃうから早く家に入りましょ?ケダモノは放って置いて」
シャナがエリクを連れて家に入ってしまったからだ。
「ぇ…ちょっ…おいっ…」
呼び止める声が虚しく響く。
残されたノインは2人の姿が見えなくなった瞬間糸が切れたようにその場に座り込んだ。
「…何だよ…」
決心が空回りしたというのか、拍子抜けしたというのか…
そもそも自分はあの時何を言おうとしていたのか…
「俺…?」
沸騰したように一気耳まで紅くなる。
「うわ…」
腕で顔を隠す。
ヤバい。
ヤバ過ぎる。
最初の時よりずっと想いは深くなっている。
一瞬でも気を抜くと、これではシャナどころか今いる子供達全員を敵に回してしまう。
「ベタ惚れだな、ノイン」
からかいを含んだ笑いが頭上から降ってくる。
「…何だよ、ソウル」
少しふてくされながら、顔を隠したままに答える。
するとまた上から押し殺した笑い声が落ちてくる。
「エリクも随分とシャナに気に入られたな」
「そうだな」
ソウルが放ったパイを受取り、口に運ぶ。
甘いな、一言呟いてまた食べた。
「これから大変だぞ?エリクに手を出そうものなら、シャナがきっと出てくるからな」
人の不幸は蜜の味と言わんばかりにソウルの顔は生き生きとしている。
「分かってるよ」
本気で殴りたいと思ったが何とか踏み留める。
知ってか知らずか、ソウルは笑いっぱなしだ。
この野郎…
ムカついたが開き直って、ノインは顔をあげて腕を膝に立てて顎を掌に乗せる。
気持ちがバレているのなら、今更隠しても意味はない。
どうにでもなれ。
自棄でもあった。
「まぁ、この先考えると敵はシャナだけではなくなるだろうな。重々承知してエリクに取り掛かる事だ」
「言われるまでも…」
言葉が止まる。
勢い良く振り向いてソウルを凝視する。
「お前も…お前もそうなのか?」
冗談じゃない。
本気で思った。
ソウルの唇が弧を描く。
意味深な笑み。
「さあな。人の心ってのは不可解だからな…今は何も想わなくても先はどうなるか分からないぞ?」
それが答えだった。
ソウルは笑みを深めると窓から離れる。
「ノインはここだよ」
誰かに言って、
「頑張る事だな」
ノインの肩を叩き、完全に家の中に入ってしまった。
「ちょっとまてこら、ソウル!」
慌てて立ち上がり窓から身を乗り出す。
だが、そこにいたのソウルではなく、
「エ…エリク!」
いきなり現れたノインに驚いて立ち竦むエリクだった。
ソウルが話しかけていたのは、エリクだったのだ。
「…中にいなかったから、何処に行ったかと思った。これ、なくなっちゃうから」
少し安堵した表情を浮かべ、エリクは左手に持ったパイを差し出す。
仄かに匂う甘い匂い。
ノインはエリクが右手に持つ食べかけのパイに視線を移す。
「そっちは何?」
「これ?ミートパイだけどこっちが良かった?それなら持ってくるよ」
「…それで良いよ」
中に入ろうとするエリクの右手を掴んで引き留める。
「…?」
ノインはエリクの顔を少し見つめた後、ゆっくりと右手を口に運んだ。
「―――っ!」
生暖かい感触に、体がビクつく。
「なっ…あ…?」
信じられないとばかりに目を見開くエリクをよそに、ノインは右手に残るパイを食べ続ける。
指に残るカスまで舐め取ってようやく口を離した「お前―――っ!」
声を張り上げようとするエリクの口を、動揺もせずに塞ぐ。
くぐもった声で直も抗議しようとするエリクを引き寄せて、耳元で囁いた。
「たとえエリクの周りに沢山の『人』がいても、俺が1番近くにいるんだって思っていても良いか?」
耳に残る息の感触。
触れているのに、そこにいるのに遠くに感じた。
たかが家の中と外の違いなのに、間に壁がそびえ立っているようだ。
「…お前に…ノインに『壁』を見せているのは私のせいか?」
「…え?」
窓枠に手をかける。
「エリク…っ?!」
お願いだから…
お願いだから、離れていかないで…
ノインが止める間もなく、エリクは窓枠を越えて外に出る。
「エリク…」
右手でノインの服を掴んで向き直る。
紅い瞳が真っ直ぐに見ていた。
左手を動かす。
そして、
「ふぐっ―――?!」
持っていたパイをノインの口に突っ込んだ。
「馬鹿」
止めには一言。
眉を寄せる。
ムカつく。
どうしてそんな発想になるんだ?
裾を握る手に力が篭る。
「『私』を見付けてくれたのはノインだ…それ以下ではない」
手を裾の上で滑らせて、先にあるノインの手を握り込む。
少しスネてノインを睨んだ。
「ノインだから…」
消え入りそうな声で、その一言に想いの全てを詰め込む。
「…うん」
嬉しそうに顔を綻ばせて、ノインが頷く。
それから急に小さく吹き出して、
「まだエリクと会って3日目なのに、こういう話は早いのかな?」
エリクの手を握り返す。
「知らないよ」
ぶっきらぼうに答えた。
ノインの瞳がさっきより、より優しい色になってエリクを見ている。
それがどうしようもなく恥ずかしかった。
「さあ、中に入ろう?さっきの調子だと、きっと何もなくなっちゃうから。なくなる前に食べないとね?」
気持ちを切り替えるべくそんな事を言って、エリクはノインの手を引く。
「…俺は『それ以上』にはなれるのかな?」
小さく囁くように呟いたノインの言葉はエリクには届かない。
『以上ではない』
エリクが少なくとも、心の中に自分を入れてくれているのが嬉しかった。
じゃなかったら、その言葉が付け加えられていたはずたから。
望みを持っていても良いですか?
好きでいても構いませんか?
この手を握り、君の隣にいても良いと言ってくれますか?
何時か、君が俺を見てくれる…そんな想いを抱いても許してくれますか?
「―――エリク」
愛しい君の名前を、何時も呼ばせてください。
「どうした?ノイン」
どうか俺の名前を、その好きな声で呼んでください。
溢れる想いはもう止まらないんです。

夕暮れに染まる誰もいない広場に、テーベーはただ1人座っていた。
昨日まで一緒に行動していた子供は全員行ってしまっていた。
「…ムカつく」
今あるのは憤りと憎しみだった。
「彼奴は人の皮を被った化け物だ。皆騙されてるんだ」
何もかもを化け物に盗られた…
テーベーに呼応するように闇が周囲を染めていく。
皆の目を醒ましてあげなくちゃいけない。
化け物を村から追い出さなくちゃいけない。
テーベーの頭にはそれしかなかった。
「…坊ちゃん」
肌寒い風が吹き抜ける。
聞き慣れないその声にテーベーは顔をあげた。
闇のように濃い法衣を着た人間が立っている。
声からして男のようだ。
だが目深に被ったフードのせいで顔は見えない。
こんな人間、見た事がなかった。
「誰?おじさん」
警戒心を強めてテーベーは尋ねる。
だが、男はゆっくりと笑った。
否、笑う気配があった。
「坊ちゃんが気に病んでいる事は、もしかして青銀の髪を持つ子供の事ではないかな?」
ゆったりとした口調で言葉を降り落としていく。
子供の、『青銀の髪』を憎むテーベーの心をわし掴みにするには十分な言葉だった。
「おじさん、エリクを知ってるの?!」
ザワリと風が木々を揺らしていく。
男は大袈裟な程に悲観の色を見せる。
「やはりそうなんだね?ああ、何という事なのだろう!」
男はテーベーの心を捕えて離さない。
「どういう事?!やっぱり彼奴は化け物なのか?!」
目の色を変えて食い付くテーベー。
男はゆっくりとテーベーの肩を抱く。
フードの中に微かに見える瞳。
瞳孔さえも見えないほど、黒い瞳。
「坊ちゃんになら教えても大丈夫でしょう。そう、坊ちゃんがお気付きのように『あれ』は化け物なんですよ」
まるで歌うように囁く。
「あの化け物は人の心をまず奪い、そして最後には喰らい尽してしまう。ある村も、化け物のせいで滅んでしまった!このままではこの村も滅んでしまうよ」
優しく、時に激しく、自分の持つ絵の具で染めていくように、言い聞かせる。
疑いもなく言葉を飲み込んでいくテーベーは、男の話が終わると同時にすがり付いた。
「おじさん!おじさん助けて!このままじゃ、皆が食べられちゃうんだ!彼奴を追い出さないと!」
「おお!もちろんですとも坊ちゃん!」
テーベーの呼び掛けに、男は嫌な顔せずに応じる。
「私はあの化け物を消すためにここまで追ってきたんだ。坊ちゃんの悲痛な叫びを聞かないわけには行きませんよ!一緒に化け物を消しましょう!」
「ありがとう!おじさん!」
男の手を取り握るテーベーに、男はゆっくりと微笑む。
「直ぐに行動しましょう。手伝ってくれるね?」
「もちろんだよ!」
「では、この事は誰にも話さないように…気付かれたら先に行動されるやもしれないからね」
「分かった!絶対秘密にするよ!」
力強く頷く。
男はテーベーの頭を撫でると、ではまた明日に会いましょう、と別れを告げた。
「でも何処で会うの?時間とか決めた方が…」
「坊ちゃんが1人で外にいる時、私が会いに行きましょう。坊ちゃんは外に出てくれれば良いのですよ」
微笑を浮かべるその姿に、テーベーは首を傾げる。
どうして外に出るだけで自分の居場所が分かるのだろう。
だが深くは考えなかった。
テーベーにとって今重要なのは、化け物を追い出せる、その事だけだった。
分かった、もう1度頷いて、男から離れる。
「また明日ね、おじさん!」
「また明日」
大きく手を振ると、男も小さく手を振る。
「……」
もう夕闇が広がっていた。
「化け物…ね」
クツクツと喉で笑う。
「人間とは愚かな者だ。見掛けだけで全てを決めてしまう」
本当の化け物の見分けも出来ないのに…
楽しくて仕方がない。
さぞあの子供の苦痛に歪んだ顔は自分の欲望を満たしてくれるだろう。
どっちが化け物だと知ったら。
そして、あの化け物と呼ばれている子供も…
「ククッ…」
地を滑る風が木の葉を運んでいく。
突如飛び上がった鳥が空に模様を描いた瞬間、男の姿は元から存在していなかったように消えていた。

夕闇に浮かぶ鳥の群れが、木の葉のようにバラバラと落ちていく異様な光景を見てから、幾日が経ったのだろうか―――?
村は小麦の焼ける、良い匂いが漂っていた。
「はい!出来たわ」
エリクの髪から手を離し、満足そうに両手を組むシャナ。
青銀の髪は綺麗な三編みが施されている。
「ね?可愛いと思わない?」
目の前の広場で手合わせをしていたノインとソウルは手を止めて、女子の塊に目を向けた。
シャナもラノアもリナも、他の少女も全員が三編みをしている。
思わず息を飲む。
「…うん、可愛い」
「はい、そこの変態。変態な事考えて鼻の下を伸ばすな」
少女達の中で微笑むエリクを熱に浮かされたように見つめて呟いたノインに、ソウルがすかさず突っ込む。
素早い対応だった。
「…ソウルぅ…?」
振り向き様に一太刀浴びせる。
反応を予測していたソウルは軽々とそれを手に持った槍で受け止めた。
「変態を変態と言って何が悪い。お前この頃変態度が上がってるぞ」
「う…うるさい!」
今度はソウルが仕掛けてきた突きをノインが躱す。
隙の生じた脇腹に槍の柄を打ち込む。
苦痛に顔を顰めたソウルは間合いを開けた。
「図星を指されたからって八つ当りするな」
「お前意地悪!仕方ないだろ!?だって可愛いんだからさ!」
隠すつもりは更々ないらしい。
しかも変態は否定していない。
ああ、これは重症だ…
そして何かと俺が迸りを食うんだろうな…
先が思い遣られて自分が哀れになってきた。
いや、本当に。
「しかも、今日の昼飯はエリク達の手作りパン!今から俺、楽しみで楽しみで」
「皆で作ったならエリクのなんてどれか分からないだろ」
「エリクが作った奴教えてくれって言ったもーん。エリク良いって言ったもーん」
「『もーん』は止めろ。『もーん』は」
手合わせをしている時のノインは男であるソウルから見てもかっこいいと思うのに、この会話は何なのだろう。
正直悲しくなる。
話題を少しずらそう、ソウルは本気で考える。
惚気にならない話しが良い。
「そういえばさ、エリクも武術の心得があるんだって?聞いた話し、っていうか腰に帯びた剣で分かるけど」
「ああ、うん」
真面目な表情に戻って、ノインは頷きながら、ソウルの攻撃を躱していく。
「エリクは剣術だな。強いよ。闘った所は1回しか見てないし、手合わせした事もないけど」
それでも断言した。
「そうか、今度手合わせしたいな。でも女の人が武術を習うのは珍しいんじゃないか?」
「そうでもないらしいぞ」
足を霞めた槍に苦痛を感じて顔を顰めるも、ノインは動きを止めない。
「姉さんから聞いたけど、結構いるらしい。男よりは断然少ないけど」
「その男で思い出したが、あれはなんで男言葉なんだ?」
あれ、とはもちろんエリクの事である。
「さあ?元からの口調って感じだな。でも…」
「でも?」
「ああいう口調にする事で気を張り詰めている気がする」
外壁を作り、内を守っている感じだった。
「良く見てるな」
感心すると、
「何時も見てるから」
想いの深さが身に染みた。
「で?ソウルはどうして武術を習おうなんて考えたんだ?」
「え?―――ってぇ…!」
急に話しが自分に変わったものだから、反応が遅れてソウルは手に持った槍を落とされてしまった。
カランと音を発てて地面に落ちる。
「…この村も、ここ数年で随分と魔物に襲われる回数が増えたからな。この村が好きで、この村の人が好きだから、俺はこの村を守りたいんだ。だからダンガンさんに稽古をつけてもらって、ノインに手合わせしてもらってるんだよ」
負けた悔しさと、痛みで眉を寄せながら手の甲を擦る。
「村の人が好きって俺に対しての告白?あらいやん、恥ずかしいわ。でも俺にはエリクという人が」
ふざけているとまる分かりの口調と態度で茶化すノイン。
「は?有り得ないし。ってかお前気持ち悪い」
容赦なくソウルは切って捨てた。
酷いなあ、と言いながらも動じていないノインは、落ちた槍を拾ってソウルに放る。
弧を描いた槍はあるべき手に収まった。
「じゃあ、もっと強くならないとな。俺を倒せるくらいに」
屈託なく笑うその姿に嫌味は感じない。
純粋に応援しているのが良く分かる。
「そうだな」
だからノインは自分の目標なのだ。
自分の前を何時までも歩いていく、その背中を追い掛けて行くのが、追い掛けて行けるのが嬉しかった。
自然と微笑む。
「ほら、汗をかいたら拭かないと風邪をひくぞ?」
「え?」
「うわ!」
第3者の声と共に視界が塞がる。
手を使ってそれを拭うと、布が握られている。
そして声の主は、
「エリク」
とろけるような声でノインが名前を呼んだ。
呼ばれたエリクは手を腰に当てて立っていた。
「パンが焼けたから、昼食にしよう?天気が良いから外で食べる事になったんだ。皆待ってる」
「そうだな。外で食べるのもたまには良いな」
ノインとソウル、2人は空を仰ぐ。
雲1つない青空が広がっている。
「ああ、それと、これをダンガンさん達に渡してくれないかな?」
エリクは言って籠をノインに手渡した。
フワリとパンの良い匂いが漂ってくる。
「私が作ったパンだからちょっと形が悪いけど、でも多分味は悪くないと思う。ダンガンさん達には何時もお世話になっているから、こんなので悪いけどお礼として渡して欲しい」
「ありがとな。後でちゃんと渡すよ」
嬉しそうに笑うノインに、エリクも微笑む。
「何3人で話し込んでるのよ!皆が待ってるのよ?」
待ちくたびれたのだろう、シャナが3人の間に顔を出す。
「ごめんごめん。あれを渡していたんだ」
苦笑しながらエリクが謝ると、仕方ないわね、と返ってきた。
「ごめんな?今行くから…っと、エリク。そこの上着取ってくれないか?」
家の脇に置いてある、木箱に掛けた上着を指差す。
「あ、シャナ。俺のも取ってくれないか?」
その横に掛けてある上着を指しながらソウルも頼む。
シャナは嫌そうな表情を浮かべた。
「人を顎で使わないでよね?」
ブツブツと文句を言いながらもシャナは上着を取った。
エリクが苦笑しながらその後をついて行く。
「はい。それ持っててあげるから早く着ちゃいなさい」
「あ、ありがとな」
ソウルは槍を渡す。
持てるかな、と心配したがそれは無用だった。
「ノインも」
「あ、うん」
槍を受け取り、代わりにエリクが上着を渡す。
受け取ったノインは手早く羽織ると槍を引き取った。
「そうだ。ノイン、今度私とも手合わせをしてくれ」
まさかエリクからそんな言葉を聞けるとは思わなかった。
「もちろんだよ!俺もエリクと手合わせしたかったんだ」
「エリク、俺とも手合わせしてくれ」
横からソウルが志願する。
楽しそうにエリクは頷いた。
「でも、腕の怪我が治ってからな?」
一応、念のために確認した。
そうしないと今から始まりそうな気がする。
エリクはまた、苦笑した。
見抜かれたか、と小さく呟いたからノインの予測は少なからず当たっていたのだろう。
「分かってるよ。怪我が治ってから―――」
「…エリク?」
言葉が途切れ、笑みが消える。
恐怖で目が見開かれ、体は小刻に震え始める。
「…っ―――」
息を飲む音。
視界を塞ぐようにエリクはノインの胸元に顔を押し付けた。
「エリク?」
突然の変化にノインは当惑を隠せない。
シャナとソウルも困惑していた。
荒い呼吸が布越しに感じる。
「エリク?どうしたんだ?」
震える肩を掴む。
その瞬間、衣擦れの音が背後から聞こえた。
「綺麗な、青銀の髪ですね」
「―――っ!?」
初めて感じた人の気配にノインは勢い良く振り返る。
黒い法衣を着た男が立っていた。
「……」
ソウルがシャナを背後に庇う。
無かった。
ノインはエリクの体をそっと離すと自らの背後へ隠し、槍を握り締める力を強める。
「……」
気配が無かった。
声がするまで背後に近付いていた事まで気付かなかった。
口調は穏やかなのに、背筋が寒くなるのは何故だ。
そしてこの匂いはなんだ。
微かに漂ってくる異質な匂いに顔を歪ませる。
腐った匂い、肉が腐った匂いがする。
エリクが背中部分の服を掴むのが分かった。
震えて、顔を押し付けているのは、悲鳴を抑えているように感じた。
「…誰だ?」
絞り出すように言葉を吐き出すと、男が深く被っていたフードを外した。
血の色のように紅い髪と瞳。
微笑みを浮かべてはいるが、それが余計に不気味だった。
「この辺りを旅している者です。ついさっきこの村に着いたもので」
旅?
旅だと?
何1つ、手荷物を持っていないのに?
「それにしても、青銀の髪なんて初めて見ましたよ。良ければ触らせて頂けませんか?」
「―――っ!」
ひときわ大きく体が震える。
振動は、手を伝ってノインまで届いていた。
触らせては駄目だ―――
男の手が、返事を聞く前にノインの背後にある青銀の髪に触れようとする。
駄目だ―――!
再度頭に言葉がよぎった瞬間、ノインは男の手を掴んでいた。
細められた目が、ノインを見下す。
「…こいつ、人が苦手なんで勘弁してもらえないですかね?」
あくまで平静を装う。
落とすように手を離し、上着を脱いでエリクを隠す。
少しでも、男の視線から遮ってやりたかった。
「これは失礼」
男は気にも止めない様子で伸ばした手を引き戻した。
「初対面なのに申し訳ない。どうやらその子を怖がらせてしまったようですね」
出直してきましょう、軽く会釈をすると、男はゆっくりと場から離れていった。
「……」
姿が見えなくなった瞬間張り詰めていた空気が変わり、ノインは震えながら溜っていた酸素を吐き出す。
凄い脱力感が残っている。
筋肉が痙攣して、槍を持つのも正直辛かった。
ソウルも同じなのだろう。
「ソウル!?大丈夫!?」
崩れるようにその場に座り込み、シャナが小さな体で支えていた。
そのシャナも顔色が悪い。
まるで全員が生気を奪われたかの状態だった。
「エリク」
重く感じる槍を地に落とし、ノインはエリクだけを支える。
エリクは反応を返さず力なく寄りかかり、弱々しい呼吸を繰り返している。
「エリク?大丈夫か?」
再度呼び掛ける。
「―――っ…」
小さく息を吐き出したかと思ったら膝から力が抜け、エリクの体が傾いだ。
「エリ―――ッ!」
両手にかかる体重が更に重くなる。
「―――っ…!」
何時もなら支えられるはずの体を支える事が出来ずに、ノインはエリクごと倒れ込んだ。
背中を打ち付け息を飲む。
それでもエリクは離さずに抱え込んだ。
「エリク!エリク!?」
上着を取り去り、肩を揺さぶる。
偶然に触れたエリクの手は、氷のように冷たかった。
「エリク―――!?」
何処もかしこも冷たかった。
それは、生きているのが不思議なくらいに。
「何なのよこれ!?」
シャナが涙声で叫ぶ。
「分からない!」
苛立ちを隠せずに、ノインは怒鳴った。
何かしなければ。
でも、動く事もままならない。
「誰か…!」
「おーい。ノインにソウルにシャナー」
聞き覚えのある声に3人は一斉に顔をあげた。
オレンジの髪が視界に入る。
「キース!」
嬉しさと安堵にソウルが叫ぶ。
「悪いなー。遅れて。母さんに捕まってなー。店の手伝いさせられたんだよ」
でもその代わりに良いもんもらって来たからなー、キースは様々なハムの入った籠を掲げる。
しかし、その話を聞いている者はいなかった。
「キース!」
ノインが切羽詰まった
声をあげた。
「俺の父さんを呼んできてくれ!良いか!?途中で不審な者を見付けても関わるな!父さんを呼んでくる事だけするんだ!絶対だ!」
キースの腰に帯る剣を指しながら叫ぶ。
「ちょっと待てよ。何が起こったんだ?皆どうしたんだよ。エリクも倒れてるじゃないか」
困惑するキース。
無理もなかった。
突然理由も言われずに、『呼んでこい』なのだから。
そのキースに今度はシャナが頼み込む。
「お願いキース!今はあなたが頼りなのよ!」
そこまで言って、シャナは口許を抑えた。
胃液が込みあげて口の中に広がり、気持ち悪かった。
「…分かった。ちょっと待っててくれ」
切迫した空気にキースは真剣な表情で頷くと、元来た道を引き返す。
見えなくなる姿を見届けながら、ノインはエリクに上着をかけて腕に抱え直した。
「エリク…」
鼓動が感じられる事が唯一の救いだった。
「無事でいてくれ…」
涙の代わりに言葉を落としていく。
「俺の体温を全て奪って良いから、どうか…」
あるのは怒りだけだった。
彼奴は何なのだ。
エリクは何故怖がったのか。
何故自分達はこうなったのか。
エリクだけが何故ここまで状態が酷いのか。
嫌な予感がした。
「エリク…」
力のない腕で抱き締めて、ノインは再度名前を呼ぶ。
「目を覚ましてくれ―――」

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