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ドラゴン・龍平
渋谷の大人化
一匹の犬の名で呼ばれる場所がある。もう80年くらい前の話、帰宅する飼い主を、それこそ雨の日も風の日も、たった一人で(一匹で)毎日駅まで迎えに出ていた犬がいた。やがて主人はなんらかの理由で死亡した。それでも彼(彼女?)は、夕刻になると毎日駅まで出かけ、帰らぬ飼い主を待ち続けた。
やがて犬が死ぬと、近隣の人々はそれを哀れんで銅像を立て、駅前のこの場所を、犬の名で呼ぶようになったのだ。名前から推測できるように、彼にはたくさんの兄弟がいたのだろうが、「公」をつけて80年も呼ばれているのは彼だけだ。それは日本人が、封建君主のように陶然と振る舞う動物につける愛称だったのだろう。
「忠犬ハチ公」に関するこの逸話は、現在どれほど知られているのだろう。渋谷駅西口広場のハチ公の銅像は、相変わらず主人が出てくる改札口の方を向いてはいるけれど、道路の拡張にしたがって、元あった場所とは違う車道際の隅に追いやられた。多分、80年代くらいから渋谷が混雑し始めて、ハチ公前というだけでは待ち合わせの目印とならなくなり、「ハチ公のしっぽで」なんていう取り決めが多くなったんだろうが、今、その尻尾のところも小さな石製ベンチがあるだけで、とても大人数が待ち合わせることはできない。
最近の大きな変化はこの広場から見渡す光景だ。リドリー・スコットが過去の作品を撮り直さなきゃならないような巨大モニターが、広場に面し、宮益坂から道玄坂へ向かう通りを隔てた3つのビルの壁面にならぶ。最初は109-2というビルの壁面のものだったとか、やや小さなものが大盛堂という書店の商事部のビルに取り付けられたあたりで、渋谷の駅はなんだか異様な熱気を帯びるようになったみたいだ。
そして、その2つのモニターの間に、一番大きなものが登場。TSUTAYAというビデオレンタルチェーンが建てたQ-FRONTという名のビルが、壁面ほぼ一面の巨大モニターを設置した。広場側に面している1、2階のスターバックスコーヒーショップの上から、最上階の近くまであるこのモニター、流している映像は音楽のプロモーションビデオなど他の2つとさほど変らない。しかし、このビルを占めるCD・ビデオショップと、デジタルハリウッドという名の学校の施設が象徴するように、ここから渋谷センター街、以前は東急本店通りと呼ばれていた文化村通り(そして神山町商店街)、西武A館、B館の間の井の頭通り、これらの並行した通りが富ヶ谷で山手通りに収斂していくあたりまでを、最近は渋谷ビットバレーと呼ぶ人もいる。
中心に位置するのは伊藤譲一らが創業したデジタルガレージやインフォシークなどのインターネット関連企業かもしれない。たぶんその北限はアスキー本社と、NTT各社やAOLが拠点とする東京オペラシティのある初台交差点あたりだろう。そこまでの間に、小さなデジタル関連の個人・企業の事務所がかなりの数点在する。
そういう意味で、日本最大のビデオレンタルショップTSUTAYAが一際大きなモニターをここにしつらえたことは本当に象徴的なことだ。創業者である増田は、レンタルビデオというパッケージメディアのビジネスの先行きを危ぶんで、DirecTVの日本での展開にいち早く関与した。しかし、噂では多すぎた出資者間の様々な確執から、おそらく忸怩たる思いを抱いて古巣のTSUTAYAに戻ることになった。そして、まるでリベンジの開始を告げるように、この巨大モニターが登場したのだ。
1960年代、70年代までの渋谷は決して「子どもの街」ではなかったらしい。この時代の渋谷巡回コースと言えば、まず青山通りの仁丹ビル近辺にある4、5件の古書店(巽、正進堂、中村書店ほか)をめぐり、70年代半ばには宮益坂途中のホンキートンク(これは原宿メロディハウスの姉妹店だった)という洋盤レコード点でロックのカット版(陳列用のため、ジャケットの一部がカットされており、価格が安かった)ばかりを物色していたとか。多少余裕があれば、西武B館地下のBE-INや、その後できたCISCOで高めなアルバムを買うとか、現在の東急インのあたりの渋谷前線座や今は渋谷シネパレスになっているパレス座で、洋画から日活ロマンポルノまで観るとか。日活か…ロマンは果てしなく何とやらってヤツか。今の時代じゃ想像もつかんな。
道玄坂に向かうことは多かったらしい、学生が健全に楽しめるものが何もなかったセンター街に足を踏み入れることは、あまりなかったとか。道玄坂の日本楽器とその手前の古書店を物色した後は、道玄坂小路にあるデュエット、ジニアス、百軒店にあるサブ、BYG、音楽館、ブラックホーク、スイング、ブレーキーなど、ジャズやロックを聴かせる店に行き、一杯のコーヒーで何時間もねばり。周辺には、キャバレー、ストリップ、ラブホテル、それに様々な風俗店が広がっていたと言うではないか。まるで呪文のような古い言葉が並びまくりだ…。
方向が変ってきたのは、たぶん70年代末くらいからだったんだろうな…。
ニューヨークのアッパーサイドにあったCGGBという店で、商業的なロック音楽に飽き足らない若者や詩人達が、60年代のハプニングを髣髴させる新しい形を試みはじめた。音楽ばかりでなく、詩の朗読、演劇的なもの、舞踊、ファッションの要素など、どこか破壊的な側面を持つこの一種の運動はパンクと呼ばれた。80年代にかけて、パンクはヨーロッパや日本ではじまったテクノと合流し、ニューウェーブともいわれて、世界同時的なムーブメントを作り始める。ロンドンのシチュアニスト、マルコム・マクラーレン(ロンドン市長選への立候補を表明した人か)と奇矯なデザイナー、ヴィヴィアン・ウェストウッドはSEXという店を開き、その店に集う若者たちからセックスピストルズというグループをレコードデビューさせた。1976年くらいのことだと聞いた。
米国の西海岸のクパチーノのある家のガレージでは、インド帰りの2人の若者が、その後「世界初のパソコン」と呼ばれるものを組み立てている最中だった。シド・ビシャスが生きていれば、ビル・ゲイツと同じ年齢ということか。
パンクの流行ははじめ高円寺や吉祥寺から火が点いたというではないかい。ホントかい(笑)これはあまり信憑性はないが…。やがて井の頭線やJRを通じてそれが渋谷に飛び火すると、あとは勢いがよかったらしい。
渋谷センター街の屋根裏、そして奥まったところにあるナイロン100%。その後宮下公園そばのクロコダイル、ライブ・イン、昔のキャバレーエンパイアの場所にはラ・ママが出来、モヒカンや頬に安全ピンのピアスをした若造は、公園通りなどの明るい喧燥をさけて、小さな路地を歩き。もちろんその間もジァンジァンでは松岡計井子はビートルズを日本語で歌っていたりとか、東急本店そばのプルチネラでは翠川敬基のチェロにあわせて詩人・吉増剛造は「古代天文台」を朗読していたらしい…。
CSVがインディーズ盤を扱うようになると、そのあたりの区別は無くなったんだと。そんな頃、渋谷はガキの街に変り始めたんだとか。
そして、その入り口、ハチ公前。巨大モニターでは、洗練されてはいるが、なんだか音楽産業のマーケティングによって骨抜きにされてしまって、チキンナゲットみたいなJ-POPアーティストが絶叫している。もう一つでは岡本太郎の亡霊のようなCGが、美術全集をPRしている。客引き、宗教、ナンパ、得体の知れないものを売る人物。夜もふけてくる頃には、曲芸、ダンス、オカリナ演奏、フォルクローレ、ビジュアル系バンド、あらゆる種類のパフォーミングが、彼と改札口の間でその視線をさせぎるようにはじまる。しかし、彼は、蓄音機から流れる主人の声を聴くもう一匹の有名な犬のように、それらに耳を傾けることもない。
いろいろな音、いろいろな時代。その人の姿を認めたら、すぐに駆けていって、飛びついてあげたいのに。その愛くるしい顔を無くなるまでなめてあげたいのに。主人はまだ戻ってこない。別ページのハチ公の孫も、かなり泣ける話なんで、良かったら読んでね。
話を戻すが渋谷経済新聞調べでは、「渋谷はオトナ化している部分もあるが、エリアによって異なる。公園通りはオトナ向けファッション店の進出などがあり、オトナ化は成功しつつあると言えるみたいだ。
渋谷駅前から広がる道玄坂、文化村通り、センター街、公園通りなど、メインストリートで年齢的な棲み分けが進んでいるのと同時に、消費者は目的に応じてストリートも使い分けしていると言えそうだ。
さらに最近の特徴として、“回遊コース”に微妙な変化が生まれてきたことを指摘する。「かつて10代は渋谷駅~109~センター街という回遊性を描いていたが、これは渋谷駅が起点となっていたから。最近では明治通りから神南に入る、原宿方向からの回遊が増えている。原宿方向からの回遊は年齢層がやや高く、その入口である公園通りもオトナ化指数が高くなっている」。オトナ化を目指しながらも、10代のニーズに合わせた商品構成を進めざるを得ないショップもあるが、渋谷の中でも比較的落ち着いた佇まいを持つ公園通りでは「パルコ」のオトナ化路線との相乗効果で、着々と“オトナ化”が進んでいるんだとか。
一方、現在のテナントの売上から推移すると、道玄坂の店は総じて好調。しかも25~27歳という女性層が多く、バランスシートが良くなっているみたいだ。「道玄坂センタービル」では10年前の約10倍もの入館数があるという。
15、6年前、一度、地盤沈下があり、道玄坂が弱体化したことがあった。当時、道玄坂は男性が飲む・食う専門のエリアで、感度のいい若者は公園通りに集まっていった。
一時期ブームを牽引した、渋谷を徘徊するコギャル、ガングロ、チーマーについても「マスコミが派手な部分だけを取り上げ、全国に情報発信されたが、現象としてはセンター街などで見られる側面に過ぎなかったのだろう。
その後、複合商業施設の進出やテナントの入れ替えが行われ、道玄坂に女性客が戻ってくる。「店づくりに凝り、しかも料金はリーズナブルという付加価値の高い女性向けの飲食店が増え、女性グループに引っ張られるようにサラリーマンのスケベ野郎が増加した。
そうして流れがよくなり、渋谷マークシティ、セルリアンタワーなどの大型商業施設の開業で大人が戻ってくる下地ができた。
先も述べたが本来、渋谷は大人の街であった。だから、それが復活し、大人が戻ってきたと表現できる。大人を集客できて目立つ店が少なかっただけで、実は水面下にあったものが、やっと目に触れるようになってきた」と、“オトナ化”を“オトナ回帰”と位置付けることができるだろう。
「かつて渋谷はすり鉢状という物理的な要因から商圏が狭く、渋谷は単なる通過駅になるのではないか」という商店街の危機感もあったらいしが、現在では原宿、代官山、恵比寿という周囲の街とも連動する形で面としての広がりを見せ、商店街が本来持っているパワーを再確認しているという。
最近、道玄坂の広告フラッグ(ストリートを網羅した場合、約1,000万円)を希望する企業が多く、ブランド力が上がっている証明とも言える。
街にはある意味で芸能人的なミーハーな人気も必要。渋谷には109もQ-FRONTもセンター街も必要で、そういった多くのヒダがいっぱいあることで、大人もガキも楽しめる渋谷になる。商店街が変われば、不景気の最中でも伸びていくことは可能だということだ。
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