ドラゴン・龍平

ドラゴン・龍平

忠犬ハチ公の孫



今じゃ、貧乏がどういうことかを説明するのも難しくなりつつあります。そこで、貧乏だとこういう事件も起こるのだということを、こっそりお教えしましょう。まあ、昨今の事件とはずいぶん様子がちがうけど。

終戦直後の1948年のこと。宮城県仙台市の小間物屋の飼い犬『鉄』が、なぜか突然、行方不明になった。この『鉄』、生後九ヶ月になる純血種の秋田犬で、当時のお金で30万円もする貴重な犬だったので、よもや誘拐ではと大騒ぎになった。飼い主は一万円もの懸賞金をかけて必死に探したが、一向に見つからなかった。やがて犯人が捕まり、事件の真相がわかると、あまりのことに周囲は呆れ果ててしまう。なんと、近所の若者5~6人が『鉄』を捕まえて殺し、すき焼きにして食べてしまっていたのだ。この若者たち、犬を殺して食べる常習犯だったとか(!)。貧乏で食べ物のなかった時代のことで、今では考えられないような犯罪だが、この話には続きがある。この『鉄』、あの忠犬ハチ公の孫に当たる血統書付きの犬で、翌49年に秋田に建つハチ公の銅像の除幕式に出席する予定だったのだ。忠犬の伝説も、貧乏人の食欲には勝てなかった(?)ということか。

忠犬ハチ公も、まさか孫が食べられてしまうなどとは思っていなかったでしょうね。驚いていいのか、哀れんでいいのかよくわからない事件ですが、これが当時の日本の現実だったのは確かです。どうかみなさん、渋谷の忠犬ハチ公の像を見るたび、日本が貧乏だったこと、ハチ公の孫が食べられちゃったことを思い出してやって下さい(涙)。

ちょいと話は変わるが、渋谷ハチ公前交差点に立ったときに、ふと気づいたのだが、聞こえてくる「音楽」の量からだけ言えば、東京は「音楽に溢れている」。街に足を踏み入れれば、巨大な外資系CDショップからマンションの一室を店舗にしたようなマニア・ショップまでがひしめき合う。有名無名ジャンルを問わず、いわゆる「来日コンサート」の量も種類も世界一と言っていいほど多い。けれども、誰も東京のことを「音楽都市」だなんて呼ぼうとは夢にも思わない。われわれにとって音楽は、最終的なところでどうやら生活必需品ではないということなのか。

アメリカやらヨーロッパ、特にカリブ海の島々、南米あたりの国は常に音楽と重ね合わせて語られる。この国のポップ・ミュージック(BPM)とそれを必要としている人々との間には、われわれと日本のポップ・ミュージックとの関係にはない親密さが感じられて、それが外から眺めているとなんだかまぶしい。リスナーが音楽に対して感じるリアリティ、音楽家が音楽を作ることに対して感じるリアリティがわれわれの感覚とはレベルが違うように見える。なにしろ、政治経済の面で見れば、主要国とはとても言いがたい国なのに、世界でも希有な高度な音楽文化を抱えているのだ。


DOG


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