ドラゴン・龍平

ドラゴン・龍平

マラケシュ~迷宮



ついでにモロッコのお話。

時期はずれの夏休みをとってモロッコへ出かけた。1週間の旅のハイライトはフェズ。世界遺産にも指定されているこの古都の旧市街は、モロッコ最初のイスラム王朝によって開かれ、1000年以上の歴史を持つ。起伏のある土地に細い道が網の目のように張り巡らされ、よく「迷路」にたとえられる。

行ったことはないが、もしも香港にあった九龍を平面にしたらこういうふうになるのでは、と思わせるような造りである。道の両側には間口2~3mほどの店が隙間無く軒を並べている。

まともな地図もないこの街に、最初に足を踏み入れると、馬糞や汚水にスパイスの混じった異様な臭いが鼻をつき、渋谷の雑踏とはまったく異質な混沌と喧騒にしばし呆然となる。それでも、うるさい自称ガイドを振り払い、馬や驢馬とぶつかりあいながら、何時間か歩き回っていると、この混沌のなかにもある種の秩序があることが徐々にわかってくる。商品ごとに出店地域が分かれているのだ。

主なものに、生鮮食料品のスーク(市場)、革製品のスーク、銀製品のスーク、家具のスークなどがある。だが、そんななかでところかまわずあるのが観光土産物屋だ。


顧客は彼らとは所得水準が2ケタほども違う先進国からの観光客。旅行気分で財布の紐はついついゆるみがちな絶好のカモだ。だが、半径わずか500mほどの狭い地域にそれこそ何百という土産物屋がひしめいているだけに、競争は激烈。店の前を通っただけで、店番の男が(店員の女性比率はほぼゼロ)あとをついてくる。客引きならぬ客追い。そもそも土産物というのは、差別化が難しい。

フェズでは、特産の陶器類、革製品、絨毯、銅製のランプ、モロッコ風の家具、ジュエリー……。ざっとこれくらいしか種類はない。どの店を見ても似たり寄ったりである。でもそんななかで、明らかに流行っている店が面白かった。繁盛店の特徴をあげると、

1)立地がよい
:観光拠点であるモスクなどの近くにある
2)店員の態度
:押し付けがましさが低い(押し付けがましくないモロッコ商人はいな  
  い)
  ;商品知識がある;話が面白い
  ;地元情報をおしえてくれる
3)品揃えがよい
:同じ類の製品でも、仕事が丁寧、材質・デザインがよい
4)ディスプレイがよい
:狭い入り口から見たとき、「奥にはもっと面白そうなものが
 置いてあるに違いない」という気持ちを抱かせる
5)サービス
  :クレジットカードが使える
  ;英語が話せる店員がいる

となり、商売の基本は言語や宗教によって、あるいは経済の発展具合によって変わるものではないのだな、と改めて思った次第である。私がフェズ旧市街で訪れた10軒ほどの土産物屋のうち、最も評価している「ラシッドの店」は、上の条件をすべてクリアしていた唯一の店であり、あとで聞いたところによると、ハリウッドスターお抱えのインテリアデザイナーたちも顧客にいるということだった(嘘でない保証は全くなし)。ただ、ほかの店がほとんど力ずくか詐欺まがいの方法で(これが何種類もある)客をひきいれていたのと対照的に、お目当ての観光客が次々と入って来ていたことだけは確かである。以下、具体的に説明しよう。

1)この店は、アラブ人とベルベル人(モロッコの先住民族である遊牧民)の混血であるラシッドという男が経営している、主として骨董を置いた土産物屋である。(彼に言わせると「ギャラリー」)場所はカラウィーン・モスクという観光名所のすぐ近くだ。このモスク(ちなみに世界最古の大学、の一つ)は、まだ土地に慣れない観光客がとりあえず目印とするので、絶好の立地だといっていい。

2)あとから振り返ってみれば、「ここの店で買おう」という決定打となるのは店員の質だった。モロッコ人の商売人は、日本人では考えられないほどしつこく、必ずふっかけてくる。しかも一つ100円くらいの品物でも定価はなく、価格は「交渉次第」。たとえば文房具店で消しゴム一個買うのに、
「300円」「高い、100円」「うーん、200円」「いや、180円までだ」
「じゃ170円でどう」「150円」「売った!」みたいな会話をしなくてはならないと想像していただきたい。

楽しくて、やがて疲れる土産物ショッピングかな、なのである。が、これは裏を返せば、ちょっとした工夫で、そうしたモロッコ流ショッピングに疲れた客のツボにはまる「売る方法」があるということだ。

ラシッドの店が他店と決定的に違ったのは、彼が大きなノートをもっていて、それに仕入れ値、定価、売り値、が逐一記録されていることだった。彼はそれを適宜見せながら、これが、元値、これが希望販売価格だからあなたにはディスカウントしてこれだけでどう?と言ってくる。これはモロッコでは定番の、「あなたは日本からはるばるきた私のフレンドだから、特別価格で……」という空疎な口上よりもよっぽど説得力がある。

また、ラシッドは、こちらの趣味を見抜くと、「こういうものあるよ」と店の奥に置いてあったものを出してきたりする。まさに「ニーズを掴んでソリューションを提供」しているわけである。そしてさりげなく「こいつがお気に入りとはあんたも趣味がいい」などと言ったりする。他の店では、「これはすごくモノがいいんだよ」と熱心にすすめられるとかえって疑いの念を抱いたりしたものだが、不思議なもので「私に選ばれし物」となると急に執着は高まる。まあ、これだって、「フレンドだから、シスターだから」と同じで、何度も言われればシラけてくるかもしれないが、真っ黒いちょび髭とぎょろりとした目のこわもてなおやじにぼそっと言われると、妙な説得力があった。

一方で、ラシッドはなかなか手強い交渉相手だった。モロッコでは大体言い値の40-60%引きになるが、他の店なら30分も粘ればすぐにその水準まで持ってこれるのに、彼の場合、「うちは値切られたからといってハイハイ下げるような店じゃない。海外の雑誌でも紹介さてるんだ。そんないいかげんなことはできない」と渋る。そして、挙げ句に「そんな値段なら買ってもらわなくても結構」とまで言う。(それは本心ではなかったのだが)「高い」というとすぐ半値くらいに下げてくる節操のない土産物屋も多いなかで、こ
の「渋り」はある種の「信用」につながった。ミントティーを供されたり、雑談をしたりして店にねばること3時間。オレはアンティーク(というのはおそらく嘘)の椅子、そして珊瑚とトルコ石のネックレスを買ったが、買い値は最初の値段の40%オフほどになった。ラシッドが偉いのは、「ディール」となって握手したあとは、ぐっと話のわかる男に変身することである。最初は「現金払いならこれだけまけられる」と言っていたのだが、結局一部カード払いでOKしてくれた。

そして荷物は梱包して指定時間にホテルに届けるという。そして、「どう
せ遅れるだろう」とたかをくくっていたら、クロネコヤマトの時間指定でもこうはいくまい、というほどの正確さで、一分も遅れずにやって来た。

と、ここまでで相当長くなってしまったので、3)~5)の品揃え、ディスプレイ、サービスについては駆け足で行くことにする。

まず品揃えは、当然のことながら品数ではない。ラシッドの店より品数の多い店は街にいくらでもあったが、彼は一品一品自分で選んで仕入れているらしく、似ていても同じ物は「セット物」以外はなかった。他の店でも売っているような陶器やジュエリーにしても、素材が違うのが一目でわかった。一品一品には値札ではないが、番号札がついてあって、それが前述の「値段表」に品番として書き込まれているのである。他の店で、「これいくら?」と聞くと、ちょっと沈黙があって、「あなたならこの値段で」と言ってきたのとは大違いである。

そしてそうやって丁寧に自分で選んで来た品々を、彼の父親の代は住居も兼ねていたという、入り口のわりには奥行きのある店の中に、ところ狭しと展示している。雑然としているようで、全ての品物がきちんと見えるようになっている。店に入ってきたての客には、「ここはミュージアムのようなものですから、お買いにならなくてもいいものを見て楽しんでいってください」と英語、アラビア語、フランス語、と使い分けながら声をかける。そして客はモロッコにしてはめずらしくおしつけがましくない雰囲気に気を許し、また、そこここに一見無造作に置いてある珍しい品々、たとえば古いコーランや、遊牧民たちの使った馬具、民族衣装の帯などに導かれるようにして奥へ奥へと入っていくのである。

クレジットカードが使えることは前述したとおり。だから、お店の片隅で変わった形の椅子などをみつけて来て、急に欲しくなったお客(=オレ)に対して「お金ないからやめとくわ」とは言わせないのだ。

結論。やはり地球上どこでも商売の基本は同じ。「信頼」である。それは、売っている本人の「誇り」と密接に関係がある。「どうせ相場なんて知らないだろう。バカな観光客から巻き上げてやれ」という態度で粗悪品を売っているところは、絶対にわかる。そうではなく、「うちで置いているものはいいものだけ。買った人には後悔させない」という方針であれば、ちょっとくらい愛想が悪くても、馬鹿みたいに値引きしてくれなくても、「買おう」と思うのである。また、店や商品に対する愛情とか、そういうものが感じられる店主には自然と好感が持てる。

そういう店をお客は信頼するものだなと、なぜか日本から20時間近くもかけて行ったフェズの街で考えた。


DOG


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