自分&心




日記 10月28日(日)


小学2年の時、厚さ1.5cmくらいの日記帳を提出していた。文章を書くのは嫌いではないが、
強制的に感じると筆が進まなくなるモノ。おまけに、母からのコメントももらわねばならず、
実に億劫。「今日は書くことがないので、絵をかきます」と、罫線を無視し無意味な絵を描いた
その下に「今日は緊急避難訓練で、お母さんが学校へあなたを迎えにいったでしょう」と、
書かれたモノが残っている。先生も母も自分もわかりきった内容を書くのが嫌だったのだ(笑)。


年賀状 11月9日(金)


毎年、楽しみな事の一つ!絵描きと言いながら、絵筆を握るのはこの時ばかり…(笑)。
去年も蛇を部屋中に並べながら、来年はどんな作品にしようかとワクワクしていた。
画材は母の形見の隈取筆(実家から持ってきた筆がコレしかない。毛先が太く短め)、
透明水彩、カラー筆ペン、シール、判子。そのうち、初めの絵柄に飽きて徐々に変化していく。
次々に描いて仕上がった絵を見てから宛先を決め、コメントを書き込む…水を得た魚状態だ。


頭痛 11月10日(土)


いつからか、ひどい頭痛が続くことがあるようになった。昔、半年程病院に通った。
医者に、健康だが頭痛持ちだった母が42歳でクモマクカで突然倒れ他界した話をしたら、
「遺伝だから仕方ないね」との事。脳波を取った結果「正常とは言えません」とも言われた。
もし手術をしても後遺症が残る等、体に負担がかかると言う。死ぬまで生きるのは皆同じ。
さっき激頭痛を抱えながら、お弁当を買った。無事、食べる事が出来た。…ほっ。


原稿料 11月19日(月)


イラストの仕事で、原稿料が入る事になった。
広告会社や劇団等の仕事の一環として請け負う事はあったが、そのまま絵だけで収入に
なるのは、今回が始めてかもしれない。依頼を下さったライター兼芝居仲間の友人に感謝!
大学生二人の母、妻、作家、役者でもある彼女が私の絵を気に入って推してくれたのだ。
出版社から住民票送付要請がきたが、役所に行けない。原稿料を手に出来るのはいつ?!


心の栄養源 1月13日(日)


正月に実家に帰り、部屋の片付けをした。また、東京の一人暮らしの部屋も引越そうかと
計画中で、物の整理をしている。着なくなった服は、知り合いにひととおり聞いてから、
ボランティアセンターへ。ゲーセンの品は、保健の先生をしている友人へ。余っているタオルや
石鹸、鰹節等は同僚へ…。この際、思い切って身軽になろう!が、しかしどうしても
譲れないのは、心の栄養源のブタ(&広末)。他の動物は減らし、ブタのみにせねば…。


駄洒落言うのはダレジャ? 1月14日(月)


私は、自他共に認める「駄洒落大王」である。友人ら曰く「やめなさいっっ!」「恥ずかしくて
思いついても言えない」「座布団2枚没収!」「…(無言)」。とある集団の中で、くだらない
シャレを言うと「rauhinnがいる」と、代名詞にされているくらいだ。しかし、我が家族には極々
普通の日常会話なのである。例えばTVで「お奉行」と聞くと台所で母が「木魚ぅ~」と歌う。
父は椅子をキィキィ動かし「恐竜の声」と言う。流石と感心しネタを探す私。軽く流す妹と弟(笑)。


おめでとう♪毎日 1月20日(日)


誕生日が怖いとか、嫌いとか、めでたくないとか?トンデモはっぷん、あるいてジュップン。
こんなにめでたい事があろうか?それだけ、生きているという事ではないか。
♪嬉しい事も悲しい事も、皆知ってる時計さ~。今は、もう、動かない~その時計。
親に兄弟に友達にその他周りの人に、人以外のいろいろな事にも「ありがとう」なワケよ。
もちろんいっつも念頭に一番に意識してはいられないが。毎日脱皮して感謝しているのだ!


季節や月の感覚 1月21日(月)


朝から雨。勤め先のビルの9階の窓から、ベイブリッジがかすんで見えなくなる。と、
ゴロゴロゴロ…ピカッ!と雷様。思わず窓越しに寄って一言、…しかし、自分が言おうとした
言葉を飲み込んだ。そして「春雷ですねぇ、と言おうとしてしまった」と、改めて言ってみた。
もちろん周囲から突っ込まれた。もうずっと自覚しているのだが、時々季節や月の感覚が妙。
「寒いなぁもう9月か」「じきに梅雨だな」私の中で年中季節や月が入り乱れて現れる。何故?


見知らぬ人への愛情 1月26日(土)


「人の為に」という気持ちは、「人の為にしてあげたいという自分の為」につながると思う。
例えば、電車が終点の駅に着いたのに寝ていて起きない人を起こしてあげる、とか。
車がパンクして、タイヤを取り替えようとしている所を通りがかり、手伝ってあげるとか。
前者は私がした、後者は私がされた、見知らぬ人への親切。私もいつか助けてもらえるかもと
いった下心もある。恋人や親子の場合、歪みが起こりやすい部分だ。(関連頁:優しいって?)


空しい?虚しい? 1月27日(日)


今ちょっと元気のない人には言えないが、時々、スゴクむなしい気持ちになる事がある。
人とのつきあい。例えば悩みを聞いてもらっても、本当に心底安心するなんて滅多に無い。
お互い自分の範囲内でつきあったり話したりして、自分の都合のいい所で収めてしまう。
(元)彼氏・彼女・友達もそう。もし心がとても近付いた時があったと思っても、簡単に離れる。
…そんなモノだったのかな、忙しかったり他に気が行ってたりするから仕方ないのかな…(涙)。


離れたくない気持ち 2月14日(木)


モノにもヒトにも、おそらく必要以上に愛着…いや執着心がある。離れるとなると、そのボル
テージが一挙に上がる。職場もそう。数年前いざ退職する日、涙がこぼれないよう、同僚に
バレないよう、文字通り上を向いて歩きながら社屋を出たのだった。最近勤務先が原宿から
麻布へ移転したが、原宿最後の日は物悲しくて仕方なかった。先日引越先を決めた日の夜、
今住んでいる駅に降り立った時も、今から不動産屋に断ってしまおうかと思う程悲しくなった。


嫌いにならなければならない訳 2月15日(金)


基本的に、他人に対して常に「ワタシはアナタがスキだ」という姿勢である。ありたい、では
なく、自然体でそうなのだ。だから他人から冷たいような態度を取られると、不必要に傷つく。
近しいと思っている人物が、自分が思うより遠くにいると感じた時、混乱してしまう。
そしてその防御策として「ワタシはアナタがスキじゃない」という部分に気持ちの重点を置く。
正太郎はそんな自分を愚かと嘆くが、28号は鉄面皮で無表情だ。(関連PAGE:自分って?)


思い出からの脱皮 2月16日(土)


…こりゃいかん。引越の為部屋の整理をしていたら、逆に深みにハマりそうになってきた。
新しい環境を求め、生まれ変わる気持ちでいるのに。思い出の欠片が、そこここに現れる。
他人が見たらバカみたいなモノでも、大切にとっておく性質が災いしている。例えば小さな
「おかえり。おやつは戸棚の中です」というような紙切れ。その時にしか得られない幸福の証。
「おつかれ様」「ありがとう」「スキ」…紙切れに埋もれて、窒息して死んでしまいたい。


二重には憧れない 2月17日(日)


私は奥二重だ。舞台メイクをする時、遠くからでも目がハッキリするようにアイラインを
入れるのだが、細目にして目の上にかなり太めに黒いラインを入れても、目を開けると
その線が隠れて見えなくなってしまう。「かなり」以上に、黒くせんといかん。こんな風に
文字にしても、実感している人にしかわからないとは思うが…(笑)。最近寝不足のせいか、
コンタクトを着けっぱなしのせいか、二重になっている。見慣れない顔。マブタが重い。


とても大事なモノなのに 2月26日(火)


バカみたいな細かい事を、断片的に、よく記憶している。例えば、何かモノをもらった時の相手
の様子。聞き流していた筈の友人同士の会話の内容、当時の自分の感想。小さな出来事。
観察眼が鋭いのか、執着心が強いのか?普段の記憶力はそんなに良くないのだが…。
その「記憶」そのものが自分であり、それを無くしたら自分ではなくなる。なのに、モノを
捨てねばならない。オモイデを、キオクを捨てたいと思う。この生命に逆らう矛盾はなんだ?


あるがままを肯定した生き方は 3月9日(土)


最近、自己嫌悪に陥っている。
いや、ジコケンオという言葉がちょうど当てハマるのかどうかよく解らないが。
もちろん外見にそんな素振りは見せていない。自分にさえ、誤魔化している。
しかし…。いつもどんな時でも、rauhinnのわがままを最終的には許してくれたハズの奴が、
最近冷たい。自分に呆れているらしい。反省も成長も努力もしない自分に。


高いモノを買う時は 3月17日(日)


私が少し高価な買い物をする時、半年以上は必ず吟味する。このパソコンも、1年以上前から
人に相談したり、秋葉原へ行ったりし、そのうち気持ちが冷めたような気分になり
「それでも欲しいか?」と自分に問い詰め、やっと購入に至る。友人には「散々言ってて
まだ買ってないのか」と呆れられる事も多い。慎重でもあり、優柔不断でもあり(笑)。
だがお陰で目が肥え、ポイントが絞られてくる。だから、気に入ったら即決が多いのだ。


…大阪弁の稽古中 3月18日(月)


高い買い物の続き。散々歩いて希望するモノに巡り合えた時は嬉しい「コイツや~!」って。
まず初め「アイツかも?」と少し浮き足立った気持ちになり、わざとソレ以外のモノを見て
店員に相談する。で、徐々に目当ての品に焦点を絞っていく。「やっぱ、コイツやった」
それでもやっぱり一日は家に戻って検討する。「ええのんか?ほんま後悔せぇへんか?」と。
…一昨日見た中古のスクーター。どないしょ~…アイツなんやろか?にわかに緊張。



行方不明の元恋人 3月19日(火)


友人となったその人に黙って引越をした。連絡もろくに取らなくなっていたし、もろもろの
感情を、このまま自分の中でゆっくりボカしていった方が良いのかも知れないと思っていた。
その方が平和な気持ちでいられる、と。逃げでもいい、情けなくてもいい、後ろ向きでもいい…。
心の平和を取り戻せるなら、と。半月して、着信が2回。そして「ドコイッチャッタノ?」
とカタカナのメール。このまま私が死ねば、一生私を探してくれるだろうか…それもいいな。


せつない20文字メール 3月20日(水)


「ドコニイッチャッタノ?」丁寧に涙の顔文字まで入っていた。紛れも無く、自分の心の中に
満ちてくるモノがあったが、結局、はぐらかした返事を返した。その後「ドコニヒッコシタノ?」
…メールとは実に厄介だと思う。直接話せば表情があるし、電話でも声の調子がわかる。
文字…それも手書きではなくデジタル上の短い文では、行き違いが多過ぎる。
解っていながら、調子に乗って返事を打ってしまった。「私に会いたい?」…返信はこないまま。


そんなこと言ったって 3月21日(木)


しょっちゅう、口答えする自分を、せっせとなぐさめている。
よしよし、大丈夫。無理するな。なんとかなるさ。どーんと構えろ。
人生、いろいろあるさ。そりゃツライ事もあるよ。きっとまたいい事も巡ってくるよ。
平気平気、ゆっくり歩け。いつか死ぬまで、楽しく生きろ。四季も自分も移っていくさ。
…それでも、なぐさめ切れない時はどうすればいいのだろうか。時の経つのを待つのみか。


冷めるような返事をアリガトウ? 3月25日(月)


数日前のメールの返事が、たった今届いた。驚くくらい、ピンボケな返事。メールは本当に
一人相撲で空回りしやすい。あの「超ブルー」な気分はなんだったやら…。そして、再確認。
この人は、ちっとも文章をちゃんと読んでくれない(読めない?)。引越先を追及もせず、
私の未練たらしい?言葉や、友人としての質問への返事もなく、逆になぜかちゃんと書いた
内容を繰り返し聞いてくる。近くにいた時は気付かされなかった(失笑)。大丈夫か、この人。



00000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000




© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: