自分の謎



人に、自分の長所が聞けない。

人に、自分のドコが気に入ってくれているか、聞けない。

また自分も、他人のドコが気に入っているか、言い辛い。

それは、いつかその言葉を裏切ったり裏切られたりする事が怖いからだ。

「あの時は、本当に本気だった」

「その時は、本心からそう思ったのだから、いいじゃないか」

…理屈はとても良く解るが、私の中ではその消化酵素がない。

嘘になるなら、変化するなら、言葉にしなければいい。

もし、思っても、言葉にしないで欲しい。

私も言葉にしない。無責任なままでいられるから。

一度聞いた言葉は、自分の都合の良いようにインプットされ、
それがそうでなくなったと言われても、理解に苦しむ一方なのだ。

そうだ。
だから、私は他人に私の事を聞けない。

それから、「アナタのここが良いと思ってつきあっている」
等と聞いてしまったら、
私のその部分について、保てるかどうかとても緊張しそうだ。

また、それ以外の部分はよろしくないのかと思ってしまいそうだ。

なんだか心が狭い、貧乏だと思う。

だが子供の頃、親から、お前のこういう部分は長所だ、とか
こういう部分は直しなさい、とか言われたのは、別に恐怖には繋がらなかった。

それに大して反発はすれど緊張はしなかった。

何故だろう?
イヤ、親というよりも、子供の頃は、とても強かったのだと思う。

クラスで一番出来が悪くても、今思うとへッチャラだった。
今だったら、凹みまくるような成績を取っても、
落ち込んだり、また逆に努力したりもしなかったのである。

非常に解り易いのは、体育。
クラス1背が低いヒョロッコイものの、見た目は運動が出来ない風には見えない。
逆にちょろちょろとすばしっこいのではないか?…とか。

ところが、体育は徒競走にしろ飛び箱にしろ苦手なモノが多かった。
「小学○年生の全国平均」なんかを見ると、きっと私が平均値を下げているだろうな、と思ったものだ。


※工事中※


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