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2012547
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月の瞳の猫
月の瞳の猫
(ありふれたささやかなお話)
ボクは猫である。
う~んやっぱり、これはいくらボクという「猫」が語るお話といえど、この出だしはあまりにも安易ではあるなぁ。
それにあの文豪の手によって書かれた大先輩とボクとを比べる事自体不遜でバチがあたりそうである。
しかもおまけにこの続きは
名前はまだない。
である。
別に真似をしてるわけではない、ましてやパロディなどという恐れ多いことをするつもりもさらさらない。
ないのであるが事実名前がないのだから仕方ない。
ボクを拾ったひとは未だにボクに名前をつけてくれないのだ。
ボクといっしょに暮らし始めてもうかれこれひと月にもなろうかというのに彼はボクに名前をつけてくれない。
いや、その言い方はちょっと違うな。
名前をつけてくれないのではなくて彼はどんな名前がいいかまだ、迷っているのだ。
「キミを拾ったときは月がきれいな夜でね。真っ黒なキミは闇にまぎれていたけれど、目がね」
と彼は翌朝ボクに言った。
「キミの目の色がその月と同じだったんだ」
ボクは痩せこけていた。
お腹がすいてすいてしかたなかった。
ボクはまだ俊敏でも賢くもなく未熟でこの世の中を巧く渡ってゆく術を身につけていなかった。
だからまぁはっきり言ってボクは彼に助けられたってわけだ。
「目がねとてもきれいだったんだよ」
彼はつづける。
「だからムーンなんてどう?」
は?
どう?って言われても、、。
「いや?」
い、
いや?って言われても、、。
「勝手に名前つけられても困るよね、キミにはキミの好みがあるだろうし、これからキミはムーンですって言われてもね」
そう言いながら彼はひとりで納得し頷いた。
かといって名前がないのも不便だし、どうしたもんだろうかねぇ。
と言ったままひと月たってしまったのだ。
まったく優柔不断なヤツだ。名前ひとつぐらいでうだうだと悩んでとみなさんはお思いだろう。
だが彼にはそれなりの理由があるのだ。
彼は実はね、名前に対してたいそうこだわりがあるんですよ。
☆
ボクを拾ってくれたひとの名前は「建」という。
苗字のほうはとてもありふれていて学校のクラスや職場には必ずと言ってもいいくらい同じひとがいるので、
いつもフルネームか名前のほうで呼ばれている。
子供のころは「ケンちゃん」だったが当然いい大人になっている今は「ケンさん」と呼ばれている。
うん。
だからどうなんだと言われそうだがその「ケンさん」が彼にとっては問題なのであった。
彼は人に名前をきかれ答えると必ず
「ほうあの『健さん』とおなじなんだねぇ、かっこいいねぇ」と羨ましがれるがそのつど訂正しなければならない。
「いえ、あのぉ、ボクのは、ニンベンがないケンなんです」と。
そう言うとたいていのひとは
(はぁ~ん、なるほどぉ)というような顔をする。
と彼は思いこんでいるようだ。
そうだよなぁ、コイツはあのケンさんとは全然タイプが違うもんな。
あんなに男らしくもなけりゃ、それどころかいつも気弱そうな微笑を浮かべている。要するに軟弱だ。男として半人前だ。
だからニンベンがないっていうのはこりゃ、よくできているものだはっはっは。
と言ってみんなが笑っている。
と建さんは思っているようだ。
(ずっとずっとそう言われ続けてきたんだと彼はこの後ボクに言ったのだ「高倉健のニンベンをとったほうだな、、、」)
それはまぁ正直ボクも影でそんなふうに言われているのを知っている。
彼は三十代も半ば近くになろうかというのに未だに独身だ。
今はアパートで一人暮らしをしているけど、なんと30歳まで実家にいた。
さすがに長男である彼の兄貴とお嫁さんと両親といっしょにずっと暮らしていくのは一人前の男としてちょっとアレだよな、
ということで一人暮しを始めたのだ。
でもだからって彼はぼんくらでもなけりゃ、怠け者でもないんだよ。
それどころかよく働く。ほんとによく働くんだ。
彼は役所の「福祉課」というところに勤めている。
そこはお年よりや体の不自由なひとや子供や、、いわゆる弱者と呼ばれているひとたちのための仕事をしているところだ。
そのひとたちの生活をよくするための仕事をしているところだ。
だからボクを助けてくれた優しい建さんにはすごく向いていると思われた。
いや、ほんとは
向いてないのかもしれない。
ほんとはぜんぜん向いてないのかもしれない。
それを「仕事」にするには
建さんは優しすぎるのだ。
「せいかつほご」っていうのをもらいにくるひとが来る度に
建さんの上司は「ひとの金でのうのうと食っているヤツら」をそうそう増やしてたまるかといつも言ってる。
「ひとの金ってなんですか?アンタの金ですか」
と建さんはいつも言い返す。
といってもこころの中でなんだけど。
建さんはなんども相談窓口で追い返される病弱なホームレスのおじさんを見かねて入院させ、費用も立て替えた。
みんな建さんのことをバカだと言っていた。
彼の上司は「30過ぎてまだ青い。理想ばかり言っている。養う女房も子供もいないからそんなノーテンキなことをやってられるのだ。だからオマエは
ニンベンのないケンなのだ。いいかげんに一人前の大人になれ」と言う。
まぁ実はボクもそう思ったりしたこともある。
だってそんなことしたってキリがないじゃないか。
ボケてしまったおばあさんの介護に疲れきってしまったお嫁さんのために、入れる老人ホームを探すのに駆けずり回っている。
もちろん時間外勤務だ。
ニンベンのない建さんはこんなふうなバカだった。
☆
そんなこんなで人のためにお金を使う建さんはいつもぴーぴーしていた。
けっこう男前なんだからオシャレのひとつでもしたらモテルとボクは思うのだが、女ッ気はまったくない。
しかし、ある日ボクは女性といる建さんを発見した。
やるじゃんか。
ジャマをしたら悪いと思い知らん顔して逃げようとしたら、呼びとめられた。
「ねこぉ~おいで~」と建さんはボクを呼んだ。
は?
ねこぉお?
まぁそりゃ間違ってはいない。断じて間違ってはいないが。
いくらなんでもちょっと間が抜けてないか?
だからムーンでもモーンでもなんでもいいからつけりゃよかったんだよ。
気に入らない名前だとしてもボクは返事をしたかったらするし、したくなかったらしない。振り向くだけでもよかったらしてやるよ。
妙齢の女性の前で猫に向かって、「ねこぉ~」と呼ぶのはいかがなものか。大の男が。
くだんのその女性は案の定くすっと笑った。
でもその笑いはなんだか感じがよかった。
ニンベンのないお人よしの建さんをバカとは思っていない笑いだった。
いつのまにそんな女性をみつけたのだろうか。
「幼なじみなんだ」と
建さんは言った。
あ、。なんだ手近なところにいたわけだ。
「最近やっと元気になって安心したんだ」
ほう。なにがあったんだろう。
「結婚してたんだけど別れて帰ってきてね、その頃はほんとに声もかけられないくらいだった。とっても辛いことがあったみたいなんだ」
へぇ、どんなことがあったんだろう。
「よく知らないんだ。聞くのも悪いし」
そうか。
このあいだ建さんのお母さんがこのアパートにきて
「アンタと結婚してりゃこんなことにならなかったのにアンタがぐずぐずしてたから、ほんとにもう」
とせんべいをぱりぱり食べながら言っていたことがあった。
なるほどアレはそういうことだったのか。
建さんはぐずぐずしていたのだ。だから好きなひとを取り逃がしてしまったのだ。
でもそれならチャンスじゃないか。
彼女は帰ってきた。しかも傷心をかかえて。
建さん、いけいけ!
でも建さんはなかなかいかなかった。いくどころか足踏みをしている。いや、止まっている。
いや、座りこんでる。
ほんとに座りこんでいた。
公園のブランコで。
ふたり並んで。
「こうしてると子供の頃を思い出すね」と建さんが言った。
「そうね」と言って微笑んだ彼女の髪が春風にゆれた。
彼女の微笑も揺れた。それにつられて花びらが舞った。
蝶々さえ飛んできそうだった。
そこだけ陽だまりができているようでボクも思わずまるくなって「にゃぁ」と泣いた。
「ねこぉ」
と柔らかい声がした。
彼女がボクを呼んだのだ。
こんどは早くプロポーズしろよ建さん。
☆
ボクのごはんを皿に盛りながら建さんは、はぁ~とため息をついた。
そのため息の中にはいろいろなものが詰め込まれているような気がした。
「彼女のお父さんがお見合いをすすめてる」
建さんはぽつりと言った。
「もう結婚はしたくないって言ってるのに」
体裁を気にするひとでね、彼女のお父さんは。
建さんはボクに言う。
そんな人間社会の複雑なことを言われてもボクは困るのだが、建さんはとにかくボクにきいてもらいたいのだろう。
だから黙って聞くことにした。
「どうしてわかってあげないのだろう。あんなに傷ついて帰ってきたのに」
傷ついて、、
ボクはハタと気がついた。
建さんとブランコに乗っているとき意地悪な風が彼女のスカートをひるがえした。
「きゃ、、」と彼女はかわいく悲鳴をあげるとあわててスカートを押さえた。
その時、ボクは見たのだ。
彼女の足に青黒いい痣がたくさんついていたのを。
ボクは見てはいけないものを見てしまったと咄嗟に思った。猫にだってそれくらいわかる。
建さんは横を向いていた。
それから会話が始まるまでに少し変な間があいてしまったのだった。
前の相手はね、、
建さんが喋っている。
いい大学を出た大企業のエリートだったんだ。家柄もいい。ハンサムでとてもやさしいひとだった。
やさしい?
誕生日にはいつも花束を用意しシャンペンを開けるんだって。
げほっ。。ぺっぺっ。
ごはんが喉につまった。
里帰りしたときも彼にエスコートされてとても幸せそうだった。
だから、、。
建さんの顔が歪んだ。
誰も知らなかったんだよ。両親も彼女のきょうだいも、親戚も。友人もだれも。
だって彼女は誰にも言わなかったからね。ずっとずっとひとりで耐えてきたんだ。
離婚のときも両親は猛反対だった。
今じゃバツイチなんて珍しくないのにお父さんは頑固なひとでね。
そしてまた縁談をすすめてるんだ。
さらっちゃえよ!
ボクは叫んだ。
と言ってもただ「にゃぁあ」と聞こえただけだろう。
でも建さんはボクのほうを見ると少し引き締まった顔になった。
☆
近所の公園にあの後退院したホームレスのおじさんの段ボールの家がある。
このおじさんをボクは知っている。かつての公園仲間なのだ。
おじさんはあの頃少し、いや正直言うとかなり、臭かった。
今でもまだ臭い。この部屋もけっこうひどい。
ボクは久しぶりに元の仲間の顔を見に来たのだ。
ひと月以上もたつと顔ぶれが少し変わっていた。
そこへ建さんがやってきた。おじさんのことが気になって仕方ないのだろう。
せっかくの天気のいい日曜日だというのに他に行くところがあるだろう。ましてや誘う相手だって今はいるだろう。
建さんはおじさんの段ボールの部屋にぺたっと座り込むと
「なんとか課長を説得するから」と言っていた。
おじさんはなんだか泣きそうな顔になりながら首をふって足下に居るボクの背中をごにょごにょと撫でた。
その時ボクの目の前に薄いピンクのパンプスが現れた。
建さんの彼女だ。
ボクはびっくりした。
彼女はきれいなハンカチのようなものに包まれたものをほどくと
「いっしょに食べましょう」とおじさんに言った。
彼女手作りのお弁当だった。
そう言いながら段ボールの床に建さんと同じようにぺたんと座りこんだ。
おじさんはかなり恐縮したように大きく大きく手を横に振ったが彼女はそれに構わず
「ちゃんと三人分あるんです」と言ってにっこり笑った。
建さんと彼女とおじさんは三人並んでお弁当を食べた。
おじさんがボクに卵焼きを分けてくれた。建さんはポテトサラダを分けてくれた。彼女はほうれんそうの和え物を分けてくれた。
ボクらは三人と一匹でもうじき咲きそうな桜の樹を見上げながら昼ご飯を食べた。
おいしいねと言いながら。
そこでボクは知ったのだ。
建さんと彼女がもうじき結婚することを。
☆
ボクは今夜帰ろう。
あの月のもとに。
建さんには彼女がついていてくれる。
きっとうまくいくだろう。
ふたりで夜空を見上げてボクのことを思い出してくれるだろう。
でもいつかそれもしなくなる時がくるかもしれない。
ふたりに新しい家族が増えたなら。
「にゃぁあ」とボクが鳴くと、建さんと彼女はどうしたの?というふうににこっと笑った。
終わり
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