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2006.03.05
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上京した際に訪れた、 ミステリースポット を随時紹介します


本当にやばい場所は怖くて行けないので(ヘタレですいません)、はとバスが立ち寄るようなところを中心に。


記念すべき第1回は、有名な 「平将門の首塚」 (千代田区大手町)です。


ここはビジネス街。三井物産や三井生命ビルの谷間にあります。道路を挟んで向こう側は三菱東京UFJ銀行。そんな中、「首塚」を中心とする空間だけが、時の流れに取り残されたように、ひっそりと佇んでいます。


首塚1

(これが有名な「首塚」です)


首塚2

(新しい花が生けられ、お供え物もあります。なぜかカップラーメンも)



「新皇」と称し朝敵とみなされた将門は940年、討伐軍の平貞盛、藤原秀郷連合軍と交戦中、流れ矢に当たって死んだとされます。その首は平安京へ運ばれ、さらし首にされます。この将門の首に関連して、各地に 首塚伝承 ができます。



その中で最も有名なのが、ここ大手町の首塚です。平安京でさらされていた首が3日後に、白い光を放って東方へ飛び去り、この地に落ちた、と伝えられています。


私はかつて、栃木県足利市の 大手神社 を訪ねたことがあります。ここは、バラバラになった将門の体のうちの手が落ちてきた場所だと言われています。


実家の近くには、平貞守の父・国香(将門のおじ)の墓があります。国香は将門との争いに敗れ、自害したと言われます。



「首塚」の祟りとされる「事件」に以下のようなものがあります。


「首塚」の隣にはかつて、大蔵省の庁舎がありましたが、関東大震災で全焼。これを受けて同省が首塚を発掘調査した結果、盗掘されていて何もなかったことから、塚を破壊し埋め立て、仮庁舎としました。ところが、大蔵大臣早速整爾が 病気で死亡 、現職の矢橋官材局課長他 十数名も死亡 し、政務次官武内作平ほか多数が仮庁舎で転倒するなど、 けが人も続出 しました。その後、「首塚」破壊の祟りであるという噂が広まったのです。



さらに、第二次世界大戦後に、GHQがこの周辺を区画整理しようとして、首塚も取り壊されることになりました。ところが工事の時に不審な事故が続発し、 死者も出た ため結局、工事は取り止めになったということです。


また、周囲のオフィスで「首塚」に背中を向けて仕事をしていると祟りで具合が悪くなるといった噂もあったそうです。


この場所は、伊達騒動で伊達安芸・原田甲斐が殺害された酒井家上屋敷跡でもあり、そちらの影響もあるのかもしれません。



「首塚」にあった説明書きによれば、現存するのは「将門の墓」と伝えられる石灯籠だそうです。石碑の後ろの石灯籠がそれなのでしょう。


説明書き

(説明書き。ほかにも複数あります)


説明書き2

(逆光だったためやや見づらいですが、こちらは詳しいものです)



私が訪れた時は、親子連れが自転車で来ていて、和やかな雰囲気を醸し出していました。昼間ということもあるでしょうが(多少澱んだような感じがなきにしもあらずでしたが)、周囲の人たちによってよく手入れされている印象で、特に邪悪な空気のようなものは感じられませんでした。



天皇を否定した朝敵・将門の「首塚」が、皇居のそばに、皇居を向くように残っているというのも、皮肉なものです。


蛙

(「首塚」の周囲に安置されている蛙の置き物。出張などから「無事帰る」にあやかれるそうな)


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Last updated  2006.03.05 21:17:55
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M-65 @ Re[1]:日本一辛い酒、山法師の爆雷辛口(06/11) 小波来さんへ ありがとうございました。 …

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