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いえ、私は引っ越しません。今の家、住み心地抜群ですし。引越し・・・というのは、ブログのこと。ずっと考えてはいたのです。ミクシィの閉じられた世界でのコミュニケーションは安心。でも、ミクシィはやってないけど、私のブログを見たいと言ってくれる人もいる。だから、不特定多数の人に見てもらえるブログも必要かと。いまだに楽天ブログは続いているけれど、管理画面の重さがネックになって、更新は滞りっぱなし。ということで、心機一転。色々比較検討した結果、exciteで新スタートすることに。http://chamokayo.exblog.jp/これからもよろしくお願いします。
2007年07月22日
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今日は、友達のところにお花を持って行った。その友達のお母さんが倒れて2ヶ月。入院したまま。仲の良い母娘。お母さんが入院してから、彼女は随分痩せたように見えるし、短い間に白髪も増えたみたい。彼女が辛そうな様子を見て、いたたまれなくて、何かできたら・・・って思った。ただ、彼女に、「私に何かできることがあったら、何でも言ってね」「何もできないかもしれないけれど、 あなたのことを想っているから。」と、それを伝えたくて。そう想っている人間が、近くにいることだけでも、知っていてもらいたくて。それは、昔、私が辛かった時に、友達がしてくれたこと。それが、何よりも大きな心の支えになった。お金よりも物よりも、その気持ちが、何よりもありがたかった。何もしてくれなくてもいい。ただ、自分を応援してくれてる人がいる・・・ということを知るだけで、人間って結構強くなれるもの。だから、私も、応援しているよ・・・っていう気持ちを、伝えていきたい。でも、今までは、何となく照れくさくて、その気持ちが伝えられなかった。躊躇しているうちに、時期を逃してしまってた。それが、何だか最近、だいぶ自然にできるようになってきたような気がする。気持ちの表し方は、小さなことでいい。私は言葉(英語!!)で上手く伝えられないから、お花に気持ちを託す。愛を込めて。
2007年05月18日
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何かを学ぶのは楽しい。今まで知らなかったことを知ったり、違う観点で物事を見られるようになったり、今までできなかったことができるようになったり。でも、つくづく思うのは、本当の学びっていうのは、学んだと思ったその先にこそある・・・っていうこと。ある一定のレベルに達して、満足してしまうと、その次にある、もっと深い学びには達しない。例え、日々の家事だって。掃除なんか典型的な例じゃないかと思う。掃除の仕方くらい知ってる、掃除から学ぶことなんて何もない・・・って思うかも。そう思った途端、人間って学ばなくなるんだよね。掃除、たかが掃除、されど掃除。丁寧に心を込めて床を掃いたり雑巾がけをしていると、見えてくることの、なんと多いこと。学ぶことの、なんと多いこと。昔から、修行に掃除がつきものだったのも納得がいく。もちろん、掃除だけじゃなく、全てのことに学びがある。だから、毎日の小さなこと、ひとつひとつ心を込めてやっていこう。小さなことこそ、大事に丁寧にやっていこう。
2007年04月09日
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学校に引越ししてきてから、すっかり出不精。 いや、もともと、家に篭って、 手仕事とかに没頭して出不精になる傾向あったんだけど。 今は、下手すると、まる1週間学校から出ない。 何しろ、学校=職場なので、 仕事に行くにしても門を出ない。 子どもたちのお散歩にしても、 学校の中でのお散歩の方が楽しいし安全だし。 学校に住んでる家族がもうひと家族。 こんな↓家族。 http://plaza.rakuten.co.jp/chamokayo/diary/200608310001/ そこの子どもは3、5、8年生。 よく、うちに来て、うちの息子達と遊んでくれる。 いや、うちの息子達が遊んであげてるのかも。(笑) 何にせよ、みんないい子達。 というわけで、ご近所付き合いも、学校の中。 人と話したくなったら、 家の外(でも学校の中)に出れば、知人がたくさんいるし。 いや、家の外に出なくても、遊びに来てくれる。 昨日も、お客様がたくさん。 朝は、ユーリズミストのとみえさん。 昼から、 マイミクさっちゃん(+しずちゃん)とhapuちゃんと、 アントニーにケイトにスージー。 夜は、音楽の先生のキャロライン。 てな具合に、入れ替わり立ち代わり、訪問者が。 いやあ。 出不精のくせに、 寂しがりやの私にはもってこいだわ。 ふふふ。
2007年03月31日
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ここ数日、気候がいいので、 息子達を遊ばせながら、庭の手入れをしています。 ちょっと暖かくなったと思ったら、 すぐに雑草があちらこちらに。 草を抜き、冬の間ほうっておいた花壇もきれいに。 この庭とも、あと2週間ほどでお別れです。 いよいよ引越しなのです。 このお庭は、息子達がたくさん遊んだ場所。 そして、夏には、たくさんのカレンデュラが咲いた場所。 たった2年半しか、この家には住まなかったけれど、 この庭には、とても愛着があるのです。 だから、次に住む人にも、 この庭で気持ちよい時間を過ごしてもらいたくて、 今、せっせと、手入れをしているのです。 今、庭にはたくさんの芽が出てきています。 2005年の秋に埋めた球根50個ほどが、 2シーズンすぎて、育って増えて、 芽が、たくさんたくさん出てきました。 クロッカス、ウィンターベル、チューリップに水仙。 次にここに住む人は、 たくさんの花に囲まれるでしょう。 私がそれを見ることができないのは残念だけど。 この秋には、新居にたくさん球根を植えよう。
2007年02月01日
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私の中で、昔から矛盾があるのです。 私は10歳ごろから、ずっと、教師を志してきたのです。 他にも色々やりたいことはあったけれど、 その根っこのところには教師という仕事がいつでもあった。 でも、それとは別に、 人間と関わらない仕事がしたい、 という気持ちも根強くあったのです。 人間と関わらないと言っても、 誰にも会わない・・・というわけではなく、 同僚や取引などで人と関わるのはいいのです。 ただ、人間を扱わない仕事がしたい。 教師とは、全く正反対。(苦笑) でも、自分の中での教師の仕事への熱が、 あまりにも強かった為、 「人と関わらない仕事がしたい」 という気持ちを、押し殺すことになりました。 さて、押し殺した気持ちがどこへ行ったか。 押し殺したものは、消えてはなくならないのです。 心の中で、隠れながら生きているのです。 それが、最近、ムクムクと私の中で動き始めました。 春が来て、目が覚めて、活動し始める動物達のように。 長い間、押し殺していた気持ちは、 心の奥底で成長していたようです。 そして、ちょうど良い時期をみはからって、 目覚めたようです。 人をあつかう教師の仕事と、人と関わらない仕事を、 いかにしてバランス良く共存させていくか。 その、解決不可能にも思える疑問が、 今、実現可能に見えるのです。 私の夢、人生、運命。 うまく、流れにのると、 いろんなことが、私の中で上手く流れるのですね。
2007年01月28日
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キキ、って、危機です。 人生、色々ありますね。 ちょっと、考えないと。 でも、危機や問題は、 私達に大事なことを教えようとしてくれてる、 大事な大事なメッセージです。 現状に、改善する必要性があるということ。 そして、次のステップへ進む準備が整いつつあるということ。 問題をよく見つめて、見極めて、 どういう行動に出るか、 何を改善していくか、 自分が本当にやりたいことは何なのか、 何を優先して、どんな生き方をしていくのか、 色々、考えることを迫られています・・・・。 さて、どうなるやら。 私達の将来は。 でも、1つだけ確実に分かっていること。 こうやって目の前に降ってきた問題を、 逃げずに、ちゃんと、乗り越えていくと、 その先には、さらに光り輝く未来がある、ということ。 乗り越える段階は、とっても辛くて、 逃げ出したくもなるし、 泣いちゃうことも多々あるけれど。 あ、それから、乗り越えた先にも、 まだまだ、次の問題が待ち構えているけど・・・。 あああああああ。 ちょっと、ふんばらねば。
2007年01月25日
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またまたケーキつくり。 フワフワのバターケーキです。 ちょっと前に、 バターケーキをフワフワにするテクニックを発見。 ポイントはバター。 手作りの、作りたてバターを使う。 それだけ。 バターの原料は生クリーム。 日本だと生クリームには、あまり種類がないけれど、 イギリスの場合、クリームにも色々種類がある。 シングル・クリーム ホイッピング・クリーム ダブル・クリーム エクストラ・シック・クリーム と、こんな具合。 この順番に脂肪が少ない。 シングルだと、薄いので、泡立たない。 エクストラ・シックだと、 名前の通り、超濃くて、半固形。 普段は、 ダブル・クリームを使ってバターを作っているのだけど、 今日は、エクストラ・シックを使った。 ダブル・クリームが品切れだった ・・・というだけの理由。 それがねぇ、もう、凄いの。 作ってる段階から、明らかに違う、このクリーミーな泡立ち。 出来上がったケーキはしっとりフワフワ。 もう、次回からは絶対エクストラ・シックね。 実は、今日、夫に、 「チョコレートケーキが食べたい」 って言われて、チョコレートケーキを作り始めたのだけど、 チョコレート入れ忘れて、 プレーンのバターケーキになっちゃった。 ボケてるわ。 でも、美味しいから許してね。
2007年01月23日
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楽天ブログで書き始めたのは2005年10月。 それから、ほぼ毎日の更新。 随分、書いたもんだ。 そして昨日、ふと思った。 この書き綴った文章たちは、どうなるんだろう? 他の人たちは、どうするんだろう? 書いたものについて、 あまり愛着のない人はいいけれど、 心をこめて書いた文章は、みんな、どうするんだろう? デジタルのデータとして、 CDなり、何らかの記憶媒体に保存しておく? あるブログのサーバーは、 書いた日記を本にしてくれるというサービスもしてるらしい。 たくさん印刷して、自費出版にしてもいいし、 数冊だけ印刷して、知人に配るんでもいい。 1冊だけ印刷して、自分用に保存しておくのもいい。 さて、私はどうするだろう? ここまで書き溜めた文章たち。 どうでもいい内容のものもあるけれど、 頑張って書いたものもあるし、 子どもの成長記録になるものもある。 人に配る気はないけれど、 自分用には何らかの形で保存しておきたい。 デジタルのデータで保存しておけば、 失わないし、加工しやすいし、便利だ。 でも、私の性格上、 PC上では二度と読まないだろうな。 紙の上の文章なら、また読むだろうけれど。 印刷して自分でブックバインディングするのもいいかも。 なんてことを思ったりして。 ブックバインディングも、私のやりたいことの1つ。
2007年01月20日
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「シダー・ウッドが欲しいの。最近、ウールのセーターが何枚か虫に食われちゃって。今まではそんなことなかったけど、イギリスの虫は酷いらしくって、友達のところでは、コットンまで虫に食われちゃったんだって。しかも、イギリスの防虫剤は臭くて酷いらしいの。だからね、シダー・ウッドで防虫対策したいの。」そんな話を、今朝、夫とした。夕方、帰宅した夫が開口一番、「シダー・ウッドが欲しいって言ってたよね。」という。何だ、何だ。帰ってきていきなり。何でも、今日の酷い風(嵐みたいだった)で、学校のブルー・シダーの枝が折れたんだって。大木だから、枝って言っても直径30cm以上。それが、風で折れて落ちてきて、地面に40cmくらいの深さまで突き刺さったんだって。幸い怪我人なし。校舎の屋根も突き破ることなく。ほっ。良かった良かった。被害がなくて。と、こんな具合に、ブルー・シダーが天から降ってまいりました。願い事はしてみるものです。(笑)次は何をお願いしようかな。ふふふ。(こんどは、危険がありませんように。)
2007年01月19日
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ミクシィに移行しようかと考え初めてから半年。完全移行にはならず、細々と楽天にも記事を載せてきた。ミクシィのダイジェスト版ね。ミクシィはほとんど毎日更新してるのに、楽天は更新、ほとんどしてなくて。楽天に見に来てくださる方、ごめんなさい。楽天ブログ、どうしようかと迷いつつ・・・だったけれど、やっぱり、楽天も、もう少しやってみようと決めた。だって、人とのつながりは、多い方がいいもの。さて、そうと決めたからには、楽天で、オサボリしていた分の穴を埋めなくては。これからもよろしくお願いします。
2007年01月17日
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子どもの頃に憧れていたことって、 結構、ばかにできない。 うちの母は、 とても堅実な生き方をしていた人だったので、 子どもの何てことのない夢や憧れも、 「そんなの、非現実的ね」 「頭よくないとダメなのよ。ムリムリ。やめときなさい。」 「才能ないとダメなのよ。」 「そんな仕事で生きてはいけないわよ。」 「そんなの大変よ。」 「そんなお金どこにあるの。」 と、ことごとく打ち砕かれた。 そして、自分の能力を過小評価する傾向がすっかり身についた。 そんな私が、子供時代、思い描いた夢のいくつか。 例えば、 留学する。 海外に住む。 国際結婚をする。 これらは、どれも、母に、 「そんなのムリムリ」 って言われたこと。 そして、私自身、無理だと信じ込んで、 実は、まったく挑戦しようとしなかったこと。 それが、 これだと思った道を歩み始めた途端、 次々に叶いだした。 留学も、海外に住むことも、国際結婚も、 もう、まったく、意図していなかったし、 「これだ」と思ったこととは、 まったくつながりがないように思えることだったのに。 今、また1つ、 すっかり忘れていた、子どもの頃の憧れが、 実現に向かいつつあるのを感じて、思った。 子どもの頃の憧れや夢っていうのは、 実は、人生のなかで、核心をついた生き方なのかもしれない。 子どもの頃に思い描いて、諦めてしまった夢は、 他に何があっただろう。 そこに、何か、面白い人生の鍵がありそうな気がして。 人生って面白い。
2007年01月16日
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昔は、しんどかったな。 いつも上を見ていて、 何かにつけて、 上達、前進、進歩することばかり考えてた。 目標が達成されると、 そこには、違った世界が開けていて、 さらに上があることが見えた。 そして、また、次の山に上り始める。 上へ上へ、そして頂上まで登りつめたくて。 それは延々と続いていって、 限りなく続くことが分かっていた。 終わりのない旅。 いつになったら終点の頂上まで達することができるんだろう。 いつになったら、納得することができるんだろう。 最後の頂上まで登りつめないと、 自分に満足できない気がした。 自分を認めてあげられない気がした。 だから、一生、満足できないような気がした。 今は、違うように感じてる。 今でも、終わりのない旅の途中。 延々と続く旅。 上っても、上っても、次の山が出てくる。 その過程にあって、 日々、きちんきちんと頑張っている。 それでいい。 それがいい。 そう思う。 一生かけても、 最高の、そして、最後の頂上に、登りつめることはない。 だから、いい。 今、進歩の過程にいる。 そして、進歩に向けて、頑張ってる。 それが一番大事なこと。 時には、止まったり、後退もする。 それも、大事な進歩の過程。 自分を認めながら、 その進歩の過程を、着実に、進んでいる。 そして、 どれだけ成長しても、まだ、さらに成長する先がある。 それって、すばらしいこと。
2007年01月15日
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ずっと新年の計は欠かさずに立てていた。 そして、真剣にそれを達成しようと頑張ってた。 ところが、この数年、新年の計らしきものを立てていない。 立てる必要性を感じなくなった。 学びは、いつでも、どこにでもある。 仕事を通して自分を高めるのはもちろん、 家族や友達とのちょっとした会話でさえ、 自分を振り返り、自分を高めるための教材にあふれてる。 大事なのは、 そんな、日々、私の前に現れる課題を敏感に感じ取って、 それらに向き合うこと。 逃げずに、そこから学ぶこと。 その時々に私につきつけられる課題は、 私にとって本当に必要な課題。 新年に1年を見越して立てる目標よりも、 もっと私に必要で大事な課題であることが多い。 それらの課題に、ひとつひとつ、真面目に向かっていくこと。 だから、新年の計らしきものはたてない。 ただ、その時その時を大事にしていこうと思う。
2006年12月31日
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灰谷健次郎は、私にとって、 教師としての姿に、渇を入れてくれる人。 人間としてのありかたに、力を注いでくれるひと。 随分長い間、 灰谷氏の小説に助けられ、教えられ、 どれだけ多くの力をもらってきた。 彼の本を読むと、そのたびに、 彼の描き出す人物が、私の心にたくさんの宝物と光をくれる。 そんな灰谷氏の諜報は、 ぐさっと心に突き刺さった。 72歳だったという。 まだまだ、素敵な味のある人間を描いて欲しかった、 というのは、私のエゴにすぎない。 人の命は、人には決められるものじゃないから。 悲しいけれど、 これだけ素敵な人間像を、 彼の本の中に生み出してくれたことに、 心からありがとうと言いたい。 彼は、本という、実在するモノを作り出した。 そしてその本というものを通して、 沢山の人の心に働きかけることに成功した。 彼の死後も、彼が残した作品たちは、 多くの人たちの心に光を与えることだろう。 彼がこの世でやり遂げたことは大きい。 そして、ふと想った。 私は、この人生で、何を残すのだろう。 何をやり遂げるのだろう。 何を作り出すのだろう。 私に、何ができるだろう。 私は、灰谷氏のように、モノは創らない。 私の仕事は、教え、育てること。 だから、私が生きた証としての、作品は、何も残らない。 私が生きた証なんてなにも残らない。 でも、いいんだよね。 モノを残さなくても。 私が生きた証は、私の魂の中にある。 私の仕事は、私が関わった子どもたちの魂に刻印する。 私の仕事は、未来の人間をつくること。 その子どもたちが、未来の社会を作り出す。 はっきりとした形は見えなくても、 やっぱり、私の仕事は、この世に残る。 いいようにも。悪いようにも。 そして、 私の教師としての姿に大きな影響を与えたひとは、 灰谷健次郎だ。 灰谷氏の心は、私の仕事を通して、また、この世に残る。 灰谷さん。 ありがとう。 この世に生まれてきてくれて。 たくさんの素敵なメッセージを残してくれて。 ありがとう・・・。 灰谷さんのメッセージを心に刻み込んで、 自分を育てながら、 子どもを見つめ、 子どもに添っていきます。
2006年11月25日
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素材の味は大事。 素材の味がよければ、それだけでご馳走。 野菜も、魚も、お肉も、そして調味料も。 素材がよければ、特別な、味付けなんていらない。 近頃、素材の味、新鮮さを求めて、 自家製豆腐をつくり、 かつおぶしを削り、 味噌を仕込み、 麺を手打ちし・・・等々 色々やっているのだけど、 この世界、とどまるところを知らず。 ドイツから帰ってから、 ドイツで食べた新鮮なバターの味が忘れられず、 (義母いわく、「これ、スーパーの一番安いバターよ」) イギリスの普通のバターなんて食べてられなくなった。 だから、バターも、週2回は手作り。 こうやって、出来るだけ手作りをしていると、 便利な生活の代償がいかに大きいかってことを痛感する。 豆腐だって、かつおパックだって、 売られてる味噌だって、 乾麺だって、バターだって、 買ってくれば簡単。 できあがって売られている食材に慣れてしまった舌は、 味にも鈍感になる。 ほんとの美味しい味を忘れてしまう。 それだけじゃない。 劣った味を補う為に付け加える、添加物の数々。 栄養にも鈍感になるし、 季節の流れからも意識が離れる。 手仕事をしなくなった代償は、 思考の働きが鈍化し、 精神世界から遠のき・・・、 いや、こんなマニアック(?)なことは言わなくても、 手仕事しないが故に起こる能力の低下は、 手仕事する人なら感じ取れると思う。 いや、いや、 理屈なんてなんでもいい。 便利さをとったが故に、 美味しいものを食べられなくなった。 それだけで、十分、大きな代償。
2006年11月21日
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お茶の日記のあとは「あんこ」の日記です。 週末だしね。 ふふふ。 日本にいたときは、 あんこもおせんべいも、 自分で買ってまでは食べなかった。 ところが、 海外で日本食に飢えながら暮らしていると、 無性に食べたくなるのです。 日本の食べ物と、日本のお菓子。 あんこに、おせんべ。 定期的に、鍋一杯の小豆を炊くの。 適度な甘さのつやつやあんこ。 こんなに美味しかったのね。 和の味って。(感激の涙) でも、あんこをどうやって食べるか。 おもちを入れてお善哉。 ホットケーキみたいなのを作って、どら焼き風。 バニラアイスクリームと一緒に。 それからふと思い出したのが、 名古屋名物(?)あんこトースト。 喫茶店文化の栄える名古屋の喫茶店メニュー。 名古屋出身の私が育った味!・・・っていうのは真っ赤なうそ。 日本にいたときは、 「何、それ。気持ちわるーーー」 って、一回も食べたことがなかった。 でもね、あんこですよ。あんこ。 あんこが食べたいの。 ということで、 トーストにバターを塗ってあんこをたっぷりのせて。 食べてみました! いやぁん。 美味しいじゃないの。 このバターとあんこのハーモニーが、 なんともいえないコクになるのね。 ま、考えてみれば、あんパンと同じことよね。 いいわ。何でも。 理屈なんかいらないわ。 美味しいんだもの。
2006年11月12日
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ふと、「最近、お茶してないな」と気付いた。 子どもが生まれてからだろうか。 ゆったり座ってお茶を飲むことがなくなってしまった。 大抵、キッチンで水をゴクゴクと立ち飲み。 それだけ。 もちろん、誰か一緒にお茶する人がいれば、話は別なのだけど。 昔は、机で仕事するときは、 まずお茶を入れて、 カップを机に置くのがいつものことだった。 仕事しているうちに、お茶のことなんて忘れてしまい、 気がついたら、お茶は冷たくなっている、 っていうのがいつものことだった。 それでも、お茶を入れる過程を楽しむ心と、 お茶をそばに置いて仕事をするだけの 心の余裕があったな、と、思う。 それさえも、なくなった。 やだわ。 心の余裕がないなんて。 だから、うちの次男、いつもいつも動き回ってるのね。 母親の心の余裕のなさが伝わってるんだわ。 お茶、しよう。 たとえ、1日1杯でも。 子どもたちと一緒に座って。 忙しくしているのは大好きだけど、 ゆったりとした時を過ごせる人でもありたい。 そして、子どもたちにも、 忙しくするのと、 リラックスしてのんびりするのを、 バランス良くできる人になって欲しい。 ということで、この1週間は、毎日お茶、しました。 ゆったり過ごす時間の、何と中身の濃いこと。 子どもたちが、なんとも、まあ、落ち着くこと。 しかも日本茶よ。 ほほ。幸せだわ。
2006年11月12日
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アメリカで教育実習してたとき、 「シュタイナー教員に柔軟性は欠かせないわね」 と担当の先生が言った。 どこの学校も、 ぎりぎりの人員で仕事がまわってるから、 A先生が病気だ、 B先生が事故だ、 C先生が家庭の事情で欠席だ、 ・・・と、それぞれの先生の事情が他の先生に直に影響する。 そんな、バタバタした学校の様子を横目に見ながら、 のほほんと専業主婦を楽しんでいる私。 今はメインレッスン・オフなのよ。 ほほほ。♪ 毎日のように、 手打ちパスタ、手打ちうどん、手打ちソバ、と手打ち三昧。 パスタマシーンで餃子の皮200枚くらい作ってニコニコ。 手作り楽しんで、美味しいもの食べて。 ああ、幸せ~~。 あと2週間はのほほんしよう。 10年生のメインレッスンの準備を楽しみながら。 なんて、思っていたら、 「明日から7年生のメインレッスン教えて~」 と学校から悲鳴が聞こえてきた。 ということで、明日から教えてきます。 はい。
2006年11月07日
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ふと思う。 手仕事って、「仕事」だったんだな、と。 編物も縫い物も、 糸を紡いだり、繕いものをしたりするのも、 全部、やらなきゃいけない、「仕事」だったんだ。 必要なものは買ってくればいい、 っていう便利な時代になったのは、 長い歴史を見れば、そんなに最近のことじゃない。 こんな時代になる前は、 一般には、 子どもの服は母親が仕立てるのが当たり前だったんだ。 「手を使うのが好き」 って言って、機械を使わずに芝刈りをしたり、 箒で掃き掃除をしたりしている私。 でも、それは「好きだから」「やりたいときだけ」してること。 「仕事」っていうより「趣味」の域。 昔は、選択の余地なんてなかった。 やらなきゃいけなかった。 全部、機械なしで。 やりたくて遊び半分で楽しんでやっている私と、 生活の一部で、 やらなきゃいけないからやってる昔の人たちでは、 随分と意識が違う。 こんなところにも、 小さな「意識の進化」が。
2006年11月04日
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日本の母から、鰹節の削り器を送ってもらった。 実家に20年以上も眠っていた、削り器。 母は、面倒だからと、使わなくなってしまった。 削りたての味は格別。 鰹節だけじゃなく、 挽きたてのコーヒー、 おろしたてのパルメザン・チーズ、 おろしたてのナツメグ、 挽きたてのこしょう・・・・。 一度使ったら、やめられない美味しさで、 我が家では、毎回使うたびに削る、おろす、挽く。 日本で20年以上も眠っていた削り器は、 刃も鈍くなっていたし、 木の部分は古びていたけれど、 夫に刃を研いでもらって、新品以上の鋭い刃に。 カミソリ並の鋭さ。 削るのには手間もかかるし、 コツがつかめないので、まだまだ下手くそ。 でも、やっぱり美味しいのです。 今晩は、その削りたての鰹節で、おかかごはん。 それから、冬に仕込んだ手前味噌を使ってお味噌汁。 まろやかだけどコクがあって、にっこり。 メインはお肉だったけど、 おかかごはんとお味噌汁は、 お肉に負けないくらいの、ご馳走でした。 幸せ。
2006年10月30日
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考えを伝えることは、ほんと、難しい。 ブログでこうやって、ああだこうだと書いていても、 それを読む人の反応は様々。 全然、私の日記の主旨をとってない人も多いし、 全く誤解した反応をする人もいる。 一部分だけを受け取るひともいる。 (私も、人の日記に部分的に反応することも多い) でも、それが自然だろう。 読む人はいろいろで、皆それぞれ違うから、 受け取り方も違うし、 感じる部分も人によって違うのは自然なこと。 そういう反応を見ながら、 人による反応の違いを面白がってみたりする。 反応した箇所によって、 その人の個性や、内面にある心が垣間見えたり、 全く誤解している人の気持ちを推し量ることで、 私とは違う考えを認めたりする。 人それぞれ違うもの。 同じ人間なんて、この世にいないもの。 だから、この世界は美しいのだもの。
2006年10月17日
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ブログをやってていいなと思うことの1つ。 心を開きやすい、ということ。 現実世界では、言いにくい本音に近いことが、 このバーチャルな世界では表現しやすい。 現実に人を前にしてしまうと、 つい言い出しにくい言葉、 ごめんなさい、とか、 ありがとう、とか、 愛してるよ、とか、 本音の議論、とか、 ブログでは、書きやすい。 だから、どんどん、書こうと思う。 いつもだったら、 言いにくくてタイミングを逃してしまったりするけど、 ブログだったら大丈夫。 思っているとおりに「ごめんなさい」が言えない人に、 思いっきり「ごめんなさい」を言おう。 現実世界だったら、 誰かを励ましたり、あたたかい言葉を贈ったりするのも、 言葉足らずになってしまうこと多々あり。 だけど、ブログやメールだったら言える。 出し惜しみせずに、どんどん言おう。 ブログで、自分の気持ちを出すことを練習して、 現実世界にも応用する。 こんど、あの人に会ったときは、 ちゃんと、「ありがとう」を、心から表現しよう。 でも・・・・・・・、 本音をいいやすいからと言って、 批判や悪口など、ネガティブなことは書かない。 これは、私の中での鉄則。 たまに、鉄則、やぶっちゃうけど。 まだまだ弱いな。私。
2006年10月16日
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日本で教員をしていたときに思ったのは、 「子どもを育てたかったら、自分が育つしかない」 ということだった。 子どもは、大人の言うことを聞いて育つんじゃない。 大人の姿を見て育つ。 大人が 「整理整頓しなさい」 と言うのを聞くのではなくて、 大人がきちんと身の回りを整理している姿を見て、 整理整頓を習う。 これは、子どもだけではなくて、 大人に対しても当てはまる。 誰か、悩みの種になるような人がいたとしても、 その人を他者が変えることはできない。 本人が変わろうとしない限り。 だけど、その人を変えようと思ったら、 自分が変わることで、その人が変わる。 相手に問題があるように感じたら、 自分を振り返って、 自分の振る舞いや在り方を変えてみると、 事態は変わってくる。 たとえば、 相手の冷たい態度が気になったとき、 それに反発して冷たい態度で応戦しても意味がない。 自分側に何か問題があるのではないか、 相手にも何か事情があるのではないか。 そして、自分から心を開いていこうと、 歩み寄る心が自分の中に生まれると、 相手の冷たさを軟化させるための一歩になる。 自分を変えようと、 自分に目が向いた時点で、 物事は既に変わり始める。 もう、自分の心が開き始めているから。 でも、 大人同士の関係は、難しい。 子どもよりずっとずっと。 子ども相手だと、 大人対子どもの関係だから、 自分の感情を抑えることもしやすいけれど、 大人相手だとそう簡単にもいかなかったりして。 それでも、 やっぱり、何か問題があったときには、 自分を省りみる。 繰り返し、繰り返し。
2006年10月13日
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前から、ここに来て下さっている方はご存知だと思いますが、私、楽天ブログの他にミクシィにも日記を書いています。楽天で日記を初めて、ミクシィにもお友達に招待され。色々交流が広がって、とっても嬉しい。でも、このネットの世界に時間を取られすぎて、ちょっと困ったな、というのも事実。で、楽天を縮小してミクシィに移行しようとしたのは8月末くらいだったかな。その後、楽天ブログはミクシィのダイジェスト版に。ほんとは楽天を閉じようと思ったのだけど、移行を決めてからも、リンクしてくださる方が何人もいらっしゃるので、そのまま続行。楽天もミクシィも、それぞれの特徴があって、一長一短。どちらにも、向き不向きもあるので、今後、どういうように活用していくかも、考え中・・・・・・・・のまま・・・。私の日記を読みに来て下さってる方には、とっても感謝です。どうもありがとう。
2006年10月11日
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だれかの日記で、 無駄に1日を過ごさないよう、 っていうのがあった。 そこには、前向きに頑張っていこうという、 一生懸命な筆者の姿が見えた。 でも、思う。 無駄な1日って何だろう。 無駄な1日なんてあるのかな。 のんびりリラックスして過ごす日も、 一生懸命働く日も、 何の為にならないように思えることに、 エネルギーを使わなければいけない日も、 ただただ、ぼーっと寝ている日も、 お酒飲んでバカ騒ぎしているのも、 病気になって寝込んだ日も、 辛い状況に苦しむ日も、 無駄なんかじゃなくて、 必要があってしていること。 全ては必然。 やっぱり、そう思う。 無駄な日など、ない。 どんな1日からも、学び取ることがあるもの。 時として、無駄に思えるような日のほうが、 学びが多かったりもする。
2006年10月11日
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生活のなかに、ささやかな愉しみを見つけるのって大好き。 お天気がいい。 空気が澄んでる。 お花が咲いた。 お友達が元気。 ご飯がおいしい。・・・etc ひとつ、また、ささやかな愉しみが増えた。 タネを蒔いたのです。 タネを蒔くのは、いつでも楽しい。 お花の種も、 子どもたちの中に、これから育つ種を蒔くのも。 今日、蒔いたタネは・・・、サボテン! サボテンをタネから育てるなんて考えもしなかった。 お店でタネを見るまでは。 どうなるんだろう。 興味津々で、タネを買った。 早速まいた。 さて、どうなるかな。
2006年09月19日
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子育て中心の私の空間は、もっか自宅。 でも、ここの空間は、どうも納得いかなくて。 空間の感覚は人によって違うけれど、 私は、昔から、広さが必要。 今の家はせまくて、息が詰まる。 ゼイタクな調度品はいらない。 沢山のモノもいらない。 ただ、数少ない好きなものに囲まれていたい。 ひとつだけこだわりたいのが、ダイニングキッチン。 そして、大きめのダイニング・テーブル。 私は、キッチンで料理しながら、 その周りに、家族が集まる。 家族みんなが集まれるダイニング・キッチンがあれば、 リビング・ルームはなくてもいい。 アメリカに住んでたころ、 定住する予定はなかったから、荷物や家具は最小限。 いいものは何ももっていなかったけど、 広いダイニングキッチンが好きだった。 大きなガラス窓から赤レンガのパティオと庭が見えて。 庭には、3シーズン、薔薇が咲いてた。 今は、一人でも動き回るのが苦痛なくらいの小さいキッチンに、 家族4人が集まって、身動き取れない。 そんな小さな我が家から、 ちょっと広い家へ、引越しの予定。 おんぼろな家だけど、 好きな色にペンキを塗り替えて、 私色に染めるの。 自然のものをさりげなく飾って。 ダイニングキッチンから庭に続くのは、 カリフォルニアの家を思い出させるガラス戸。 庭には、お花をいっぱい育てて、 皆の集まるキッチンからお花が見えるようにして。 家族と友達が集まる、 居心地のいい空間をつくるの。 夏休み中に引越しできるはずだったんだけどな。 いつになるんだろう。
2006年09月14日
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昨日、夫はいつになく早く帰宅した。 学校で嫌なことがあったらしい。 機嫌が悪い。 友達が家にいたので、おさえてはいたけれど。 (ごめんね、さっちゃん、はなこさん) うちの夫は、コラリック(胆汁質)。 ファイアー・クラッカーで、簡単に怒りが爆発。 だから、こんなことは日常茶飯事。 こういうとき、私は、ただ夫の話を聞く。 夫の考えが間違っているようなときもあるのだけど、 判断はしない。 批判する気持ちも起こさない。 意見しないし、 アドバイスもしない。 もちろん、命令などもしない。 ただただ、じっと聞く。 エンデのモモのように。 相手の気持ちも、怒りも、全部受け止めて。 言葉がきれた間に、 "I love you." と、愛を送ることも忘れない。 適当な場面で、お茶やビールを出してみたりもする。 (それは、普段は夫の役目です。) さんざん、怒りを吐き出したあと、 夫の気持ちもおさまってきて、 「あれは、僕がいけなかったのかも」 とか 「こうすればいいのかな」 と、彼の中で、解決策が見つかってくる。 ここまでは、随分、長い道のり。 私が、意見したり、アドバイスしたりすれば早いけど。 でも、そうじゃなくて、 私は彼自身に解決策を見つけて欲しい。 人に言われたことをするのと、 自分で迷った末に見つけて決めた解決策を実行するのとでは、 全く意味が違うもの。 自分のすることに対する責任の重みも。 彼自身が成長する、という意味でも。 モモのように、人の話を聞く、ということと、 シュタイナーの言う、 「相手のためになることだけを言う」 ということ。 普段はなかなかできない。 必要でないところで、余計なことを言い過ぎてしまったり、 必要なところで、十分に言わなかったり。 でも、夫に対しては、 何故か、自然に、無理することなくできる。 夫と私は、 共に生きていくパートナーになるべくして出会ったんだと、 思わずにはいられない。 でも、他の人に対しても、 相手を受け入れて、 相手の言葉とこころをしっかり受け止めて、 モモのように聞いて、 シュタイナーが言うように、 「相手のためになることだけを言う」 ことができたらいいのだけど。 まだまだ、修行が足りません。
2006年09月12日
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今日、見つけたもの。 それは、rye pillow オーガニック・フェア・トレード・コットンの袋に、 オーガニック栽培されたライ麦を詰めたクッション。 冷凍庫で冷やせば、患部を冷やすクッションに。 電子レンジかオーブンで温めれば、 肩や腰に乗せて、肩凝り、腰痛緩和に。 薬局で売ってるようなジェルが入ったものよりも、 自然の恵みが身体を癒してくれそうだし。 何にせよ、自然素材だもの。 地球にも人にもやさしいよね。 極度の肩凝りと腰痛に悩む私は、 「お、買いっ!」 と思ったのだけど、ふと考えた。 材料はライ麦とコットンの生地だけ。 作れば、簡単で安いじゃない。 ということで、買うのはやめ。 昔は、コーヒーのカスを乾燥させたものを、 コットンの袋に詰めて、 電子レンジで温めて肩に乗せてた。 これが、適度な温度と湿度を20分くらい保って、 何とも気持ちが良いの。 でも、電子レンジを使うのを止めて以来、 このコーヒー・ピローも中止。 今思えば、オーブンでも温められたのかもしれないけど。 でも、どうしてライ麦なんだろう。 お米、小麦、大麦、粟・・・など、色々穀類はあるのに。 多分、保温の仕方とか、温めた時の香りとかで、 作用が違うのだろうな・・・。 今度、自然食品を注文する時には、ライ麦も買おう。 rye pillowで、まったり癒しの時間。 楽しみーー。
2006年09月09日
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mixiへ引越ししようと思います。引越しと言っても、このブログは残しておきますし、しばらくは移行期間ということで、両方に同じ記事をアップしようかと思ってます。このブログに来ていただいている方で、mixiに入っていらっしゃる方は、mixiで私を見つけてください。楽天と同じハンドルネーム使ってます。mixiに入っていらっしゃらない常連さん、ご希望の方はご招待したいと思います。ただ、一度もお話したことがない方、どんな方か、知ってからご招待したいと思うので、私のブログの感想など簡単に書いて私書箱に送って頂けると嬉しいです。これからも、よろしくお願いします。
2006年09月05日
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麺類が好き。 激辛食品が好き。 ということで、激辛の麺を良く食べる。 よく、なんてもんじゃない。 毎日だもの。 食べずにいられない。 ほとんどこれは中毒。 トアヴァルト・デトレフゼン博士によると、 中毒とは、「何かを求めているが、手に入る前に追求をやめてしまった結果」だと言う。つまり欲求不満が食べ物などの中毒として現れる。 私の場合、何の欲求不満かと自問自答してみる。 本当は自問自答するまでもなく、分かっている。 だって、授業が入っているときは、この中毒が起きないもの。 家庭から飛び出して、仕事をすると、中毒が解消される。 家庭の中におさまって、 専業主婦、良妻賢母(え?)してると、 生活に刺激が欲しくなって。 それで激辛食品って、あまりに単純すぎるかも。 昔の彼、前夫、現在の夫、みんなに言われた一言を思い出す。 「kayoって複雑そうに見えて、実はもの凄いシンプルだよね」 そうかもしれない。 と、いまさら思う。
2006年09月05日
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この夏休み中に、夫の教室(木工、金工の教室)は大改装した。壁を全部引き剥がして、新しくして、ペンキを塗って、ヒーターも新しくした。床は、全部、やすりかけをして、ステイン+ワックスかけ。ここは、イギリス。そんな工事が、予定通り進むはずもなく、床の作業をする予定だった人は、「もうやらない」と言い出す。で、結局、何でも器用にこなしてしまう夫に、その作業がふりかかった。のんびり働く他の工事担当者に発破をかけつつ、自分も先頭切って作業したのは、何とか、学校の始業までに間に合わせなければ、という、気持ちから。工事が終わったのは、昨日。学校が始まるのは、木曜日。4日後。それまでに、新しく買った家具の組み立て+設置をして、道具を全部運び込む引越し作業をしなければならない。何しろ、普通教室の3倍くらいありそうな、大きな教室。引越し作業も楽ではなく・・・。夫が言う。「教室に音楽が欲しい。」と。「疲れたときに、音楽があると、まだ働き続けられるから。」「音楽なしで働き続けられないなら、それは、休まなきゃいけない、というしるしよ。」と、私。身体の方が良く分かっているのだ。身体が、休みたい、って訴えているときに、音楽なんかでごまかして、身体に無理させちゃダメ。「そうなんだろうな。」と、素直に納得する夫。今、日曜日の夜、23:28。まだ帰ってこない。
2006年09月04日
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いいエネルギーを流したい。そんなことを以前書いたことがある。普段の生活でも、たとえブログでも、いいエネルギーを流したい。むっつりとした顔をしていたり、ネガティブなことばかり考えていると、まわりに悪いエネルギーを流す。他の批判などは、かなり強い悪いエネルギー。ニコニコして、元気でいて、ポジティブに振舞っていると、いいエネルギーが伝わる。周りの人だけではなく、自分にも。ニコニコしていると、たとえそれが作り笑いであっても、心に変化をもたらして、気持ちがほぐれて、本当の笑顔になることがある。活動的な人と一緒にいると、元気に活動する意欲が湧いてきたり。そんな、いいエネルギーを流せる人でありたいな。そうやって、いつも思っているのだけど、日々の忙しさに流されたりして、疲れた顔を必要以上に出しちゃったり。つい、批判的になってしまったり。ニコニコ笑顔、もっと意識して生活しよう。「批判しない」この私の決意を、もっとはっきり意識して心がけよう。みんなに、わたしに、そして、地球全体にいいエネルギーを!!
2006年09月04日
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楽天ブログを閉じようか、と何度も思っている。楽天に特別に不満があるわけじゃない。ただ、ブログやりはじめて、mixiもあって、しかも英語ブログもUKサイトで持っているので、手一杯。縮小したいな、と思うのです。mixiは、友達との連絡手段にもなっているので、キープ。英語ブログは、英語に限定だし、負担にはなっていないからキープ。で、一番、たくさん書き込んでる楽天。この楽天ブログをmixiに移して、日本語ブログはmixi一本にしちゃったら楽になるかと。mixiに入っていない常連さんには、mixiにお誘いするか。mixiのデザインの悪さは、我慢するとして。でも、mixiはmixi会員だけしか見れないしな。そこが良い所でもあり、悪い所でもあり。時には、公開を制限したいときもあり、全面公開OKのときもあるので。などと考える。ここに来てくださっている方で、「いや、mixiに引越しはしないで!」という方はいるかしら?
2006年09月04日
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夫の着古したジーンズ。夫が着ていたものだから、捨てるのはしのびなくて、何かに作り変えようと思案。私のスカートに作り変えよう!と、思って作業を始めたのだけど、やっぱり、穴のあいたデニムのスカートって、私のスタイルじゃないし(そんなに若くないし。)、と、やめた。夫の服だからこそ、作り変えて私が着たかったんだけど。じゃ、どうしよう。と、結局、夫の手作り尺八の袋と、私の、これまた手作りの木製黄金比キャリパー用の袋に変身。夫の服も、形を変えて、また生きていく。
2006年09月01日
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数学ってやっぱり凄いと思う。数学以外の科学などは、時代が変わるにつれて変わっていく。新しい発見がなされたり、技術の発展などで、違う事実が見えたりして、実験によって正しいとされていたことが、実は正しくなくなっちゃったり。地球上でしか通用しなかったり。でも、数学は違う。一度証明されたら、それは真。完全に証明されちゃったのだから、偽にはならない。今後、更に数学や技術が発展しても、一度証明されたことは、ひっくり返されることがない。いつまでも。大抵のものは、真実だって見方を変えれば違って見えるもの。真実に見えたり、見えなかったりもして。でも、数学は、見方を変えても、やっぱり真実は真実。もう、絶対なる明らかな世界。しかも、世界のどこへいっても、地球を飛び出して宇宙のはてまで行ったって、数学的真実は裏返されることなく真実。それが数学の美しさのひとつ、でもある。
2006年08月30日
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実は、今年、やろうと決めていたことがあるのです。それは、近所の大学のドイツ語講座をとること。社会人向けのパートタイムのコースです。9月からの新講座のパンフレットを見て、私の都合がつく時間帯にドイツ語講座があることを発見。さて、申し込もう!と思ったら、「EU居住3年以上の人のみ」ですって。そんなあーーー。私は、2年とちょっと。あと1年待たないと、ダメ?夫は、「学校のドイツ語の先生に個人教授を頼んだら?」って言うけれど、個人教授なんて頼んだら、高いじゃない。思いっきりドイツ語ビギナーだから、教えてもらうことよりも、慣れるための積み重ねが大事だと思うし。ドイツ語に触れる時間数を稼ぐには、質は低くても、講座の方がいいかな・・・とか考えて。さて、どうする、どうする。
2006年08月25日
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近頃、洗濯するのが嬉しくて仕方ない。と言っても、当然、私がするんじゃなくて、洗濯機がしてくれる。洗濯機を変えてから、普通の汚れなら洗剤なしでも、十分綺麗になるので、嬉しくて、洗剤なし生活。しかも、最近やっと買った、soap nuts。南アジアに育つソープ・ナッツの木の実。洗剤が必要な汚れのときは、これを、小さな綿の巾着袋に入れて洗濯機へ。白の洗濯物のときは、baking sodaも入れて。これで十分綺麗。とっても柔らかく仕上げてくれて、なにしろ安い。UKのサイト"Spirit of Nature"で購入しました。
2006年08月24日
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新聞記者の間では、ニュースがなくて困ったときは、動物園に行くのが常套手段だそうだ。動物園に行けば、何かしらニュースがある。ブログを書いていて、ふとそれを思い出した。ネタに困ったら、動物園へ行け。動物園?我が家のおサルさんたち(息子達)のこと。
2006年08月22日
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ふと思いついて編物を始めました。だって、まるで晩秋のような寒さ。編物したくなる気候なんです。編んでいるのは大判のショール。ほんとは、ウールで織りたかったのです。大きな機織機を使って。でも、期待していた機織機は使えそうもないことが分かり、ま、今回は編むことにしよう、と。余り物やいただきものの毛糸が色々あって、その使い道に困っていたのも理由の一つ。ショールだったら、色んな色を組み合わせたデザインもしやすいし。随分、幅広で編み始めたので、もしかして途中で毛糸が足りなくなるかも。そうしたら、ショールはやめて、ブランケットになります。ショールでもブランケットでも、とにかく寒い冬に身体を温めてくれるもの。イギリス暮らしに必需品です。
2006年08月22日
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0という数字の発見は4・5世紀のこと。インドで発見された。負の数が発見されたあと。0は無だ。何にもない。無という概念は、東洋ならでは。ほら、西洋の文化、芸術なんか見てみると、ルネッサンスのころまでは、ずっと、もう、ここまでやるかと言うまでの装飾尽くし、でしょ。空間を全て埋め尽くさないと気がすまない。西洋には、無だとか、何もない空間だとかいう美的概念が、17,8世紀ころまで、なかった。日本なんかだと、禅文化のころから、見えない部分や無の表現が、思想や禅美術などに見受けられる。禅の歴史を紐解いてみると、やっぱりインドで0の発見前後。(はっきり調べてないので、間違ってたら教えてください。)無の感覚があるからこそ、0は生まれた。東洋思想、文化、ばんざい。
2006年08月21日
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昔からうちの母は、蔵書に自分の名前の印鑑を押していた。姓ではなく、名前のハンコ。それが子ども心にうらやましくて、高校生になったとき、名前のハンコを彫ってもらった。それ以来、私の蔵書には小さな朱色のスタンプをポン。長男が生まれた時、その蔵書印として、雅号印風の正方形のスタンプを彫った。安易な消しゴムスタンプだけど、朱肉でポンと押すと結構味がある。次男が生まれた時、同じように、雅号印風のスタンプ作成。子どもたちの絵本には、私の本と同じように、この蔵書印をポン、ポンと押す。それを見ていた夫が、自分のも欲しいと言うので、夫の雅号印風消しゴムスタンプも作成。ドイツ人なので当て字で漢字を決めた。最近、子どもの絵本で、ドイツ語の"Florian und Traktor Max"を購入した。夫が子どものころに大好きだった絵本。「こんにちは トラクター・マクスくん」というタイトルで日本語訳出版されている。夫が、「これは自分の本だ!」と言い張るので、この本には、子どもたちと夫のスタンプを並べて押した。夫、大満足。でも、蔵書印を押して喜ぶのって、所有欲の強さの表れなのかもしれないな、なんて思いつつ。
2006年08月18日
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全ては必然あの時の出会いも、前夫と結婚したことも離婚したことも、嵐のような泥沼を乗り越えて今の夫と結ばれたことも、アメリカからイギリスに引っ越したことも、ここでブログを書くようになったことも、ブログで色んな人に出会ったことも、全ては必然。でも、「全ては必然」と思うようになって以来、その必然に起こる一つ一つことの意味を、今まで以上に追及したくなった。何故、私は、前夫と結婚したのだろう?なぜ、今、こんな魅力のない町に住んでいるんだろう?そんなことを考えると、人生の意味が少しだけ謎解きできる。だからかも。ブログの意味、意義を、こんなにも知りたくなるのは。ブログでたくさんの素敵な人たちに出会った。これは私にとって、とっても大きな、ブログの意義。多分いつかブログを止める日が来るだろう。それも、必然。でも、ここで出逢った素敵な人たちと、ブログを止めても繋がっていられるだけの、深い繋がりを築きたいな。
2006年08月18日
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今日、出先での夫の姿を見ていて、ふと気付いた。「夫は、私と一緒にいるときに、一番素敵な表情をしてる!」・・・ってこと。一緒に暮らしているから、もちろん、嫌な面もさんざん見ているけど。私の前で見せるいい顔は、他の誰に見せる「いい顔」より断然素敵。一緒にいるときに、とびきり素敵な表情をしていてくれる。普段気にもとめていなかったことに気付いて、心がポッと温かくなった。私も、夫と一緒にいるとき、いい顔してるかな。
2006年08月18日
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ブログ、何でやってるんだろう?何となく始めたブログ。始めてみたら面白くてはまっちゃったけど、何でやっているのか私の中で疑問のまま。ブログ上のコミュニケーションが楽しくて。日本語を忘れない訓練にもなってるし。自分を見つめたり、考えをまとめるのにも役立ってるし。なんて理由つけしてはみるものの、やっぱり、これらの理由は決定的とは言えない。面白いだけじゃ、つまらない。やっている意味、意義が欲しい。やってるうちに、ブログの意義が、私の中でつかめるかと思ったけれど、それも、まだ、ない。やめちゃおうか。ブログ。何度も、そう思うけど、今やめるのは何か違う気がして、何となく続けている。やめるときが来たら、分かるだろうから。
2006年08月15日
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昔から、廃品を利用した工作をするのが好き。モノをムダに出来なくて、何かに再利用できないか?何かに作り変えられないか?・・・って、工夫するのが楽しい。今日は、そんな廃品利用のガラクタ工作。ワインのコルク栓を利用した鍋敷きです。ボンドで繋ぎとめただけの簡単工作。
2006年08月14日
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CAからのお土産 手作り編<2>手作りの積み木。何もカリフォルニアで作ることはないんですが。夫のキンダーハープ作りのクラスで余った木材がいっぱいあって、そのうえ、私が、何にもすることなくて暇だったので、作って、重い思いをしてイギリスまで持ち帰りました。木材はハンノキ。好きな形に切って、やすりをかけてなめらかにし、やすりで角も落とし、自然素材のオイルを塗って、磨いてできあがり。ニスやワックスとは違って、木のぬくもりがそのまま伝わる、優しい手触りが気持ちいい。
2006年08月13日
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やっと、時差ぼけがとれてきた今日は、夫と二人で手作り。CAで私は、coppersmithingに初挑戦。昔ながらの手法で、銅の板を金槌でたたきながらボウルを作った。これがまた、楽しいの。しかも、我ながら、けっこういい出来?先生にも、「金工のアーティストになれば? 1回目でこれだけできるんだったら、シュタイナー教師なんかやってるより稼げるよ」なんて言われちゃって、その気になって、二人でトンテンカンと、ボウルつくり。修行をしつつ、技術を磨いて、作品をためて、副収入をねらいます。でもね、一番嬉しいのは、夫と二人でモノ作りすること。モノ作りは私達夫婦の共通の楽しみ。二人で一緒にすると、さらに楽しい。
2006年08月12日
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CAからのお土産、色々あります。何しろ、イギリスより大抵のものは安いので、色々買いこんできました。1.マイクロプレーンのおろし器木工のやすりなどを専門に作っていた会社「マイクロプレーン」。そのやすりがとてもいいので、ある主婦が料理のおろしがねとして使い始め、それが広まって人気になって、料理用のおろし金も作るようになりました。そのマイクロプレーンのおろし金を購入。パルメザンチーズも、柔らかくすりおろします。まるで、降りたての雪みたいにフワフワです。ナッツ類も、簡単に、とても細かく摩り下ろせて、とっても嬉しい。2.プジョーのペッパー・ミルそう。車のプジョーのペッパー・ミルです。プジョーは、もともとは、車じゃなくてミルを作っていた会社。プジョーのミルをお友達の家で使って以来、欲しかったんです。でも、イギリスで探したら、一番安いので£80(16000円くらい)。貧乏シュタイナー教員に買える金額じゃありません。でも、サンフランシスコのウィリアムス・ソノマで、安いのを見つけ、それが$35(3500円)。もう、買うしかありません。で、買ってきました。なんとも、デリケートな使い心地。同じ黒コショウを使っているのに、味が全く違うんです。もう、手放せません。長くつかえる耐久性も魅力。3.服いろいろ服もアメリカのほうが断然安いので、いくつか買ってきました。値段だけのことじゃなく、アメリカの方が、デザインが断然いいし。でもねぇ・・・・、買った中でも一番のお気に入りの、J・Crewのチノ・スカートが見つからない。忘れたはずないし。空港でインスペクションされたときに紛失したかもしれません。悔しい。
2006年08月10日
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