Bring Em Out

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カンボジアの本当の姿



地雷博物館 「AKIRA MINE ACTION CENTER」へと向かう。
アキ・ラーという実に日本人の名前に似たカンボジア人によって運営されているのだ。この人の自伝を読んだ。 博物館では1冊15ドルからで本が販売されていた。そのお金はこの博物館、アキラ地雷除去の資金となるのだ。アキラは独自の方法(ほとんど手で地雷を除去する)で作業を行うため、国からの援助などが受けられないのだ。これには訳があり、素人が安易に地雷を除去しようとし、そのために事故に合うケースがあるからなのだ。

アキラの人生。まだ30そこそこの彼の人生は死を常に意識したものだった。少年兵として駆り出され、多くの人の死を目の当たりにしてきた。今でも戦争の事を思い出し、突然眠りから覚め銃を構える姿勢になることがあるそうだ。彼が眠りに着き安心できる時はなかっただろう。しかし、彼は本当に強い人だった。自分が兵士だった頃の知識を生かし、地雷除去の活動を今も行っているのだ。なんて、精神力の強い人なんだろう。
いつくかの資料を購入に、少しでも資金としてもらいたいと心から思った。


キリング フィールド・・・この名前を口にするだけでも恐ろしい・・・
ポル・ポト時代に大量虐殺が行われた場所。 たくさんの遺骨が納められている。 ここはシェムリアップ。首都プノンペンはもっとひどいらしい。

たくさんの有能者を意味もなく殺した。
私が生まれた頃に同じ世界のどこかでこんな事件があったんだよ。決して昔話じゃなくて、経験した人がたくさんいるんだ。
キリング フィールドに行くとたくさんの子供達がいた。直ぐに私のほうによってきて説明を始める。色んなところに行くたびに子供がよってくるけど、みんな良い子達ばかりだった。そして、みんな学校で学んだわけでもないが、上手に英語を話す。私の方から案内を申し出る。「日本にもヒロシマがあるでしょ。カンボジアも一緒。これからよくなるよ。」どこに行ってもみんな明るいのだ。そこには日本の援助で建てられた学校もあった。私もこのいい加減な英語をもっとマシにして、何か始めないとな。
「ここには約3000の遺体があるんだよ」ガラス張りの慰霊塔の中には遺骨がびっしりと詰まっている。「一緒に写真撮る?」「いや。。。。いいわ。」「怖いの?」「怖いんじゃないよ・・・」怖いんじゃない。悲しいのだ。なんでこの子達は無邪気でいられるんだろう。

ジャイアンが運転するバイクの後ろに乗りながら色々考える。「ねえ。ちょっと質問してもいい? ジャイアンは将来何をしたいってある?」
「うーん。わからない。英語は話せるけど書けないんだ。」「そっか。でも、ジャイアンだったら出来るよ。 私に何か手伝えるかな。」カンボジアでいくつかの本屋に入ったが、参考書らしきものを見たことは無かった。



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