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新学期がはじまりました3年生は5日から登校して実習の準備6日は入学式でした今年は、寒くて桜の蕾がなかなか膨らみません春と冬をいったりきたりの毎日それでも一雨ごとにあたたかくなりました今日は、とってもいいお天気でお花見日和です今月のアレンジメントは垂れる形ですこでまり・フリージア・スイトピー・薔薇・ラナンキュラス・ひまわり月曜日から3年生の実習が始まります私は、在宅看護を担当します2年生には30時間の在宅看護論概論の講義が始まります2年生も3年生にも訪問看護のいいところをいっぱい伝えま~す
2012年04月08日
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息子・・国立前期日程で、志望大学に合格いたしました。入学手続き完了の知らせが届き、これで4月からは大学生です。 合格発表の日は、中期日程の受験をしていて、合格を知ったのは夜でした。翌日の金曜日、夫さんが会社を休み、息子と二人で、住むところを見つけに行きました。 そう、春から息子は一人暮らしを始めます。 一泊して土曜日の夜に帰宅。日曜日には入学式用にとスーツを買いに行きました。Yシャツも靴下もネクタイも靴も揃えました。何着か合わせてみると、初めはぎこちなかったスーツが見慣れてきました。 やっぱり、学生服とは違うね。ちょっぴり大人になった・・・ 入学の手続きや、大学生協を通じてパソコンを購入したり、引っ越しの手配など、事務的なことを一緒に片付けました。 月曜日、息子は学校の友だちと一緒に、高校と中学部の担任の先生のところにご報告。そのあと、塾への報告。 お世話になった方は、学校や塾の先生だけではありません。9月から英語を教えていただいていたご近所のOさんには、ほんとに感謝しています。苦手にしていた英語が、入試では「出来た」と思えるほどに自信をつけてくれました。「10月の頑張りはすごかった。12月になって、国語を頑張るからとペースダウンしたけれども、よく頑張ったと思う。私も教えていて楽しかった。」というOさんの言葉が嬉しかったです。ほんとにありがとうございました。 それから、中2のときから習っているギターの先生。受験勉強の妨げにならないように気を使ってくださいました。ほんとうにありがとうございました。4月からは通えなくなりますが、また帰省したときには、レッスンを受けさせていただきます。様々な方法で自分を応援してくれている素敵な大人がいることを息子は感じてくれたでしょうか 毎日、友人たちと遊んでいます。しかも、外で・・・昨日なんてズボンをドロドロにしてきました。キックベースとか、ジャグリングとか・・・中学生のころに遊んでいた外遊びを今もしている息子たちは、やっぱり、あどけないな。 最後の春休み・・・・13歳から18歳という子どもから青年へと成長する過程を共に学び、遊び、喜び、苦しんだ日々は、かけがえがない。そんなかけがえのない友人たちと過ごす時間・・・短い春休みだけど充分に楽しんでほしいな。
2012年03月19日
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看護学校の卒業式・・・校長先生のお祝の言葉が美しかった・・・ 食事の前に手を合わせ、「いただきます」というのは、日本人だけ。でも、欧米ではキリスト教のお祈りをして食事をするシーンをよくみるではないかと問うと、「熱心なキリスト教徒は、そうしているが、普通は特別の日にしかしない。平素は黙って食事をし始める」のだそうです。 仏教では、食事をするということは、動物だけではなく植物の命をいただき、命を繋ぐという意味で、感謝を込めて命をいただく「いただきます」という。日本にはそういう文化があるのです。 震災、人々が不安の中で辛い思いをしているとき、看護師であるというだけで、ただいるだけで、人々が安心する。看護師とはそのような存在です。 私たちは、世界に誇る日本の文化を大事にして、命を大事にする看護師。ただいるだけで人々に平和をもたらす看護師になりたいと思いました。 謝恩会でかわいいブーケをいただきました。 3年間のうちの1年間の実習で、そのうち3週間だけ切り取ったみんなしか知らないけれども・・・どの実習も思い出があり、楽しかった。、私の目に映るみんなはとても頑張っていました。私はみんなが大好きです。会えなくなるのは寂しく思います。これから、看護師になった仲間として、また会えると思います。頑張ってくださいね。卒業おめでとう。
2012年03月07日
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ひなまつり先週は、息子の国立大学の前期入試でした。発表は3月8日・・・佳き日になりますように看護学校の卒業式は3月7日2階にあがる階段の踊り場に設けた私のギャラリー水仙と桃の花を添えてくださったのは副校長卒業おめでとう
2012年03月04日
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昨日は、第101回 看護師国家試験でした。朝、早く家を出て、会場に8時にいくと、学生たちはほとんど来てました。「先生~どうしよ~。」「夕べ、勉強してたら、実習で受け持った患者さんが次々に出てきて、涙が出たの。」「大丈夫だよね。みんな合格するよね。」「先生~ありがとう。」夕べ、一人一人の学生の顔を思い浮かべながら折った鶴手すき和紙で一羽づつ丁寧に願いを込めて折りました。集団の力は不思議な力があって、時に思いもよらぬ奇跡の力を出します。全員がこれをやりたい、成し遂げたいと思う気持ちを持ちが一つになって困難を次々と乗り越えてしまうそんな「燃える集団」となって受験に望んでほしいと願いを込めました。参考:運命の法則-「好運の女神」と付き合うための15章 今日は、自己採点をしました。安心して笑顔の学生や不安そうな学生・・・ともかく、合否がわかるまでは、合格している気分で卒業式を迎えましょう。嬉しい春になりますように
2012年02月20日
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今日は息子の卒業式6年間の思い出がたっぷりと詰まった学校を卒業しました 学事報告から、卒業生は、高校からのコースと合わせて、914人。 すでに附属の大学に進学が決まった生徒が520名。他にもすでに大学の合格が確定している生徒が236名。ということは、これからの国公立を目指している息子と同じ仲間が158人います。 これだけの人数であると、卒業証書授与もクラスの代表が受け取ります。それでも、少子化の現代において、多くの子どもたちと学べたことは幸せなことだと思います。 成績優秀者の褒賞、クラブ活動での優秀な成績で、学校の名誉に貢献した生徒の褒賞は、我が子のことのように喜ばしく、様々な能力を持ったこの若い命がこれからどんな日本の未来を作っていくのかなと嬉しく思いました。 息子は、成績優秀者でも特別に活躍したものもないのですが、一日も休まず、無遅刻で、3年間の皆勤賞をいただきました。 教室に戻って、先生からの話がとても心に残りました。 もうじき定年なので、これが最後の卒業生を送り出すことになると話されました。教師として関わりながら、いい子たちに育っているこの子たちを我が子のように思っているとも話されました。そして、抱きしめられて愛しまれて育ったこの子たちですが、親としてもっとも難しい子育ての課題が、「手放す」ということだと話されました。「私は、この子たちの進路が決まり、新しい道を歩み始めたときに手放します。」と先生はきっぱりと言われました。 孔子の論語を例に出され、15歳を「志学(しがく)」、30歳を「而立(じりつ)」、40歳を「不惑(ふわく)」、50歳を「知命(ちめい)」、 60歳を「耳順(じじゅん)」、70歳を「従心(じゅうしん)」の中で、学問を志した15歳から、自立するまでの15年間が子育ての集大成といえるなと思いました。 アドラーの子育ての目標も「自立」です。社会と調和し自立した人になるように子育てをしてきました。縁があってこの学校に入学しましたが、よいご縁であったとつくづく思います。 卒業式のあとは、息子は友だちと食事をして、そのまま塾で自習。卒業したとはいえ、次の国立の入試に向けて頑張っています。同じ仲間がいることは心強いです。 私も親しくしているお母様たちと食事をして帰りました。 でも・・・これで、保護者として学校に関わることがなくなるんだな~と思うと寂しい気がしますし、PTAで頑張っていたころのことが懐かしくなります。これが、母として最後の学校教育における役目が終わり、私も卒業した気持です。 多くの友と先生方、保護者の方々、また学校の地域の方々、お世話になった多くの方々に感謝です。ありがとうございました。
2012年02月16日
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“鬼は外・・福は家・・”立春が過ぎてお正月にアレンジしたお花を春色に変えてみました。松とシンピジュームを残して、スイトピー・カーネーション・チューリップを挿しました。興味深々で近寄ってくるモモちゃんとカイくん先週の土曜日はお花の仲間でバレンタインのアレンジをしました。ハートになっているのがわかりますか?シランの葉っぱをテープでとめてハートをつくっています。フリージアの甘い香りとスゥイトピーの優しい色・・・楽天の写真の登録の方法が変わって画像を処理がわかりませんだから、こんなに大きな画像で失礼します。では、大きくなったカイくんのかわいい寝顔でほっこりしてください
2012年02月07日
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奈良に移り住んで15年になりますが、まだまだ奈良を知りません。東大寺の二月堂で行われるお水とり選ばれた僧侶によって椿の造花がつくられます。椿の花は古来から神様に繋がる高貴な花として大切にされてきました。お水取りは天平勝宝4年(西暦752年)より現在まで途絶えること無しに続けられています。 お水とりが終わると奈良に春がきます厳しい修行を経てきた受験生 春はもうじきです
2012年01月16日
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2012年 辰年~新しい年に感謝と希望を込めて~ 昨年中は、大変お世話になりありがとうございます今年もよろしくお願いいたします 昨年から、習い始めた筆で書いた龍です。なかなか勇ましい龍にならずにニコニコの龍になってしまいましたが、龍も笑う笑顔の多い希望の年にしたいものです。お正月の祝い箸入れを作りました。夫さんのお母さんが、竹の絵を気に入ってくれました。 今年のお正月は、世界中で起こった様々な出来事に思いを寄せながら静かに過ごしました。受験生の息子と元旦には、大阪天満宮に合格祈願に行きました。無事に健康で受験にのぞめますようにとお祈りしました。 2日目は、夫さんと二人きりで、昨年、行った安部文殊院に初詣。 パンジーで作ってある大きな絵馬の写真を取って教室に貼ったら昨年の国家試験に全員合格!今年もあやかりたいと写真に収めました 3日も夫さんと二人で、京都の北野天満宮に出かけました。娘の学業成就と息子の合格祈願をお祈りました。北野天満宮では、3月末まで毎朝、合格祈願をしてくれます。 兼ねてから行きたいと希望していた知恩院にお参りしました。というのも、私が昨年より入学した大学の建学の精神である浄土宗の教えを開かれた法然上人にゆかりのある地だからです。子どもたちばかりではなく私自身も学生としての勉学に励みたいと思います。 大きなお寺です。ひっくり返りそうな急な階段を上ってゆきます。お線香の香・木魚の音・・ 木魚を叩いてみると、なんとも心が静まる心地がしました。ポンポン・ポンポン・・・・ 無料休憩所の横にここでしか見られないものを発見しました。美味しいお茶どうぞ召し上がれ
2012年01月04日
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戴帽式でした。看護学生が入学して、基礎看護の知識、技術、を履修し、これから、臨床に出てゆくパスポートのようなナースキャップを頭に載せて、それぞれがナイチンゲールの『心の灯』をいただいて、新たな決意をもって看護を職業として志すセレモニーです。入学式、卒業式に並び看護教育では、大切にしているセレモニーです。 『心の灯』は、ナイチンゲールがクリミヤ戦争で、傷ついた兵士を看るために暗い病舎を灯したろうそくです。看護学校には、ナイチンゲールの像があります。その手に持っている大きなろうそくから、『心の灯』を戴帽をした看護学生はいただくのです。 日ごろは、ガラスケースの箱入りナイチンゲールさんですが、一年に一度だけ外に出ます。それが、この戴帽式の日です。 新しいナースキャップを頭に載せ、ろうそくを手にした学生が真っ暗な中に一人一人と増えて並んでゆくのは、とても幻想的です。オルガンの生演奏での『ナイチンゲール賛歌』も素敵です。 私の戴帽式は30年以上も前になります。変わらないのは、『ナイチンゲール誓詞』 われはここに集いたる人々の前に厳かに神に誓わんーーー わが生涯を清く過ごし、わが任務を忠実に尽くさんことを。 われはすべて毒あるもの、害あるものを絶ち、 悪しき薬を用いることなく、また知りつつこれをすすめざるべし。 われはわが力の限りわが任務の標準を高くせんことを努むべし。 わが任務にあたりて、取り扱える人々の私事のすべて、 わが知り得たる一家の内事のすべて、われは人に洩らさざるべし。 われは心より医師を助け、わが手に託されたる人々の幸のために身を捧げん。 『ナイチンゲール誓詞』は、1893年、アメリカ・デトロイトの看護婦学校長夫人を委員長とする委員会が、「ヒポクラテスの誓い」にならって作成したものです。ナイチンゲールが実際に言ったものではないのです。 終わりに『ナイチンゲール賛歌』を歌いました。私は、教員になるまで知りませんでした。たぶん、私の戴帽式では歌っていないと思います。讃美歌のようなメロディで、私は二番の歌詞が気に入っています。 愛にうるめる星の下(もと) ああ南欧のフローレンス 優しき乙女ごころこそ 露を帯たる紅薔薇(べにそうび) 蝶よ花よと深窓に 育ちながらも洵情の 看護(みとり)の業を学びては 地には平和よ人に愛 白衣の聖女と仰がれて 齢(よわい)かさねて九十一 世界の範(はん)と葬られ 愛の天使は永劫(とわ)に生く ナースキャップをつけた一年生は、キラキラとしてとても輝いていました。この輝きを曇らせないようにはじめの一歩を踏み出してほしいです。 そんな願いを込めて、野菊を一輪添えてみました。 私の書いた『はじめの一歩』をみんなが一番、目につく階段の踊り場に置かせていただきました。 戴帽式おめでとう
2011年11月14日
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今日は、あたたかい11月・・・今日の奈良公園は丁度、正倉院展の最終日と重なって大勢の人がいました。それに春日大社から七五三のかわいい子どもたちも交じって、ほのぼのとした日曜日の午後。写真は、若草山を背景に黄色い銀杏、赤いなんきんはぜの葉には、白い実もつけてキラキラ光ってものすごく綺麗でした。 この写真の左側に東大寺があります。右に見える屋根が、県新公会堂です。ここは能楽堂もあります。お庭も美しくて大好きな場所です。今日は、ここで、日本在宅ホスピス緩和ケアネットワークの総会がありました。 がんをもつ人が在宅で療養するための病院と在宅医、医療と介護・福祉を繋ぐために、今日は、福島県から、ふくしま在宅緩和ケアクリニック院長の鈴木医師から、『ここまでできる在宅ホスピス~地域ネットワークのあり方~』を基調講演していただいたあと、奈良県の訪問看護ステーションの看護師、市民、在宅専門医、大学病院医師、開業医というそれぞれの立場からの『奈良県でできる在宅ホスピスの地域ネットワーク』についてのシンポジウムをしました。 がんになったら緩和ケアと言われて久しいのですが、まだまだ、一般には周知されていないのが現状です。ネットワークでは、医師間のネットワーク、看護師への緩和ケアの教育、介護や福祉との連携。講演会で市民への啓発をしています。 がんと診断されたら・・・家族ががんと診断されたら・・・あなたは誰に相談しますか? がん拠点病院には、相談窓口があります。 がんサロンなどの患者の会もあります。 でも、あまり周知されているとは思いません。 私がたまたま、看護師で緩和ケアを志していることを知っている友人から、直接に相談を受けることがあります。 話を伺って、解決できそうなことは、相談窓口をご紹介したりしています。実際にそうして、セカンドオピニオンを受けた友人もいます。こうした、ささやかな小さな積み重ねの種まきが、やがて、市民に県民に広がってゆくといいなと思います。 本当の意味での緩和ケアの均てん化に繋がるのではないかと思います。
2011年11月13日
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夕方から、娘はアルバイトにでかけ、息子は塾にでかけ、夫さんと二人だけの夕食になりました。買い物に行って、外食にしようかな~と話していたんだけど、スーパーマーケットで、ちょっと、気になるワインを見つけたので、お家で夕食にしました。 半月ほど前に、お隣さんがイタリアの美しい村を訪れる旅にご夫婦ででかけて、おみやげに、チーズをいただきました。といってもイタリアのではなく、飛行機のトランスの都合でオランダのチーズ工場を見学されたのだそうです。できたてのチーズをお土産にいただきました。回りは、固いのですが、中はしっとりと柔らかく、ハーブや香辛料が入っていて、あのチーズの独特の匂いはなくて、すごく美味しい。このチーズに合わせて、ワインを入手したいと探していました。 スーパーマーケットのワインコーナーには、そんなにたくさんあるわけではありませんが、夫さんは白がいいというので、白ワインのラベルを見ながら、チーズに合う辛口のワインを探していました。グラタンに合うと書いてあったワインがこれ、『EST! EST!! EST!!! di Montefiascone DOC』 『訪れた村に美味しいワインがあれば、EST(ある)と扉に書くようにと命じられたら旅人がモンテフィアスコーネ村にたどり着き、あまりのおいしさに『EST!EST!EST!』と3回も書き残したという逸話を持つワインです。』と書いてありました。偶然ですが、お隣さんの美しい村の旅にのご縁かイタリアのワインだし・・・私たちも23年前に訪れたイタリアで、フィレンツェに向かう途中の小さな村のホテルのランチを思い出しながら、二人で幸せな夕食になりました。 ありがとう
2011年11月03日
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8月の末に、友人と京都市美術館に、フェルメールに会いにいった。フェルメールに会いにいくというよりもフェルメールの描いた女性に会いにいった。 展覧会の構成がとてもわかりやすく、17世紀のオランダの情勢やそのころの人々の生活を知ってゆきながら、さいごにあるフェルメールの部屋は、それまでの部屋とは違って一気にフェルメールの世界に入った。 『手紙を読む青衣の女』は日本に初めて来ました。妊婦のようなその姿と、じっと手紙を読む横顔の表情、バックにある地図の絵、17世紀という時代を考えると、手紙の返事がきたのは、彼女が手紙を出してからかなりの時が経っているはず。その過ぎた時を戻しながら、大切な人の手紙を読んでいるのでしょう。どうか、彼女が幸せでありますようにと祈りたい気持ちになった。『手紙を書く女』の黄色い上着(ガウン?)は、フェルメールがよく描くお気に入りの服です。彼女がこちらを向いているのが、なんだか嬉しそうで、いったい誰に手紙を書いているの?って尋ねたくなりました。 モナリザの眼差しが、どこからみても自分をみているように見えると言われるが(以前、ルーブルで観たけれどもケースに囲まれていて、よくわからなかった。)、彼女の視線も、どこからみても私と視線が合う。『手紙を書く女と召使い』は、横で待っている召使いが、「晴れてきましたね」って言っているようで、何か怒っているように手紙を書いている女性は、手紙を書き終えると、外の美しい光に気がつくといいなと思った。 それにしてもフェルメール・ブルーといわれる天然ウルトラマリンの青は、美しい。フェルメールブルーのお土産 夏休みといえど、平日の午前中で、混雑もなくゆっくりと観覧できた。 昼食は、美術館近くのオ・タン・ぺジュで、ランチをいただいた。 フェルメール展からもどって、有吉玉青著『恋するフェルメール』を読んだ。彼女もフェルメールを愛してやまない人のようだ。有吉玉青さんは、外国まで会いにいっているけど、私は日本に来てくれるのを待っている。恋するフェルメ-ル著者:有吉玉青価格:710円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る
2011年10月30日
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学校に勤務して1年半以上が過ぎた。看護のことだけでなく、教育についても学びたいと思った。仕事を続けながら、大学で学ぶことにした。通信制の大学の入学願書を取り寄せていたので、思い切って、今年度の後期から入学した。 昨日、入学セットが届いた。その中に入学許可書と学生証が入っていて、なんだか嬉しかった。他にも学習のしおりやシラバスなどの資料が段ボール箱に入って、宅配で届いた。 早速、1回生で取得する単位を考えて、学習計画を立てた。今冬にもスクーリングがあることがわかった。ぐずぐずしてたら、受けられません。 シラバスを読んでいると、教官によって、内容が少し、違うけど、どれも聴いてみたいと思った。 テキストの購入を申し込んで、届いてからなので、来月から本格的に学習の開始。今年、一年は、落とさないように頑張ります。
2011年10月27日
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涼しくなってきたので、広島の母がやってきました。今年74歳になる母は、ものすごく元気で、我が家にくると、庭の手入れや日ごろ行きとどかないところの丁寧掃除をしてくれて、とても、とても助かっています。 その母ですが、加齢に伴う足腰の頼りなさは、他の老年期の方と同じで、今まで長距離の歩行用に折りたたみの携帯ステッキを持っていましたが、このたび、普通の杖を新しく新調したものを持ってきました。 「前の杖に描いたみたいに、また花の絵を描いてほしいんだけど・・・」と、母から頼まれました。前の杖というのは、何の変哲もないこげ茶色の携帯ステッキだったので、私がいたずらして、アクリル絵の具で、ツルになったバラの絵を描いてみると、母がとても気に入ったのでした。 「あの杖、どこに行っても好評で、どこで買ったの?ってきかれたり、高かったでしょ?って言われたりして、娘が描いてくれたっていうと、みんなビックリするのよ。」というのです。 お安いご用・・・と、早速、画材を出してきたけど、しばらく使っていないのと、バラの絵の描き方を忘れてしまって・・・なんだか、何の花かわからなくなってしまいました。 「ああ、いいわ。売っている花の絵の杖は、全体にあって派手なのよ。こんな風な上品なのがほしいの。よかった。いいわあ。」 母は、大変、満足してくれました
2011年09月30日
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奈良にきて、子育てと主婦業のことをこの地域に住む先輩の方々から学んだのが、奈良友の会です。友の会は、「婦人の友」を読む読者の集まりですが、仕事をはじめてからとんとご無沙汰をしています。 夏休みに入り、励み表を届けてくださいました。このごろ、忙しさを言い訳にして家の中を片付けていませんでした。忙しいから片付かないのではなくて、片付けないことの言い訳に忙しいを使っている私の無意識さんがいることは、アドラー心理学を学んだ私にはわかります。 そこで、夏休みに少し頑張ってみようと思います。 「寝る前の家」の家仕事 ・リビング、キッチン、玄関を整える。 ・者を元の場所にもどす。 ・ガスの元栓 電気のプラグの点検 ・戸締り ・やかんに一杯の水をシンクに置く。 ・明日の用意(朝食メニュー、衣服、持ち物) 我が家の目標は、寝る前にダイニングテーブルに何も置かないで寝る。これは、家族にも協力していただきます。 簡単なようで、できていない。 寝る前の家は、習慣にしてしまえば、そんなに苦ではないはずだから、この夏休みに励んでみます。 生活を見直すのに夏休みは、いいチャンスです。 家族それぞれに励むことはあります。今年は特に環境のことを考えて気持ちのよい朝を迎える努力をしたいと思います。 私は・・・・ 家計簿をつけること。 23時には眠ること。 物を元の場所に戻すこと。 そして我が家の目標。 みなさま、健やかな夏をお過ごしください。
2011年08月03日
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アドラー心理学の子育て自助グループの仲間で、絵を習いました。 初めて描いたのですが、なかなかのものです(自画自賛)。 まずは、あさがお ひまわり 夏の花 花の絵に添えてある言葉は、左手で描いています。 左手で文字を書こうとすると思うように書けなくてぎこちないのですが、なかなか味のあるいい作品になりました。 文字も一筆画の一部になりました。
2011年07月31日
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『余命18日をどう生きるか』田村恵子さんの講演会のつづきです。 講演会には、奈良県内にある看護学生が参加していました。今回は特別に看護学生向けに講演会のあと、ホールで対話をされました。その内容もお伝えします。 がんの再発、転移を知ったときの患者の心理的な苦痛について、田村氏は、患者の言葉からお話されました。 孤独感「元気な人にはわからない…」 恐怖「痛みがどんどん強くなってゆく。どうなってゆくのだろう…」 諦めない「何とか治療を続けたい…」 そして抗ガン剤治療の中止のときの絶望感「治療がないってどういうこと?」 見捨てられるのではないかという不安 スピリチュアルペイン「よくなると思うから辛い治療も頑張った。それなのに…」 喪失の連続は、身体の機能の変化などの目に見える喪失だけではなく目に見えない喪失もある。それは、剥ぎ取られる痛みと表現されました。 ボディイメージやアイディンティティの揺らぎ、“私の死”に向き合うとき、「問い」が生まれてきます。本来は宗教に関わるものですが、こうした「問い」を自由に受け止め語るためにスピリチュアルケアがあるのです。 スピリチュアルケアは「問い」に向き合い、意味を見出すこと、または意味を作り出すことであり、それは希望を紡ぐことでもあります「この病気になって、そんなに悪い事ばかりじゃないなって思っています。」 死の準備をしながら生を営むことは、悲しみ嘆く一方で、感謝する。奇跡を望みつつこの先に待ち受けていることを受け入れるという健康な時にはない心のバランスをとることであり、絆の中で普段通りの営みをすることなのです。 痛みに囚われて、痛み以外に関心を注ぐことができません。痛みから解放された時、患者は体の自由を取り戻し、本来の姿になります。 シシリー・ソンダース女史の“あなたは、あなたのままで大切です”という言葉を引用され、ホスピスではお誕生日を大切にされていることを紹介されました。 患者が、自分の生きる軸の中心が「今、ここ」にあり、体が弱っていくことも含めて人生だと思えるケアがホスピスケアであり、田村氏は、その人が大切にしていることをどれくらいケアとして大切にしてゆけるか倫理、価値という側面から考えてゆきたいと言われました。技術に偏ることなく、その人の人生がどういう軌跡だったのかをたどることが大切だとも話されました。 講演会のあと、ホールで看護学生との対話では、純粋で素直な質問をする学生と同じ目線で、真摯にお答えになる姿が印象的でした。学 生:患者さんのネガティブな言葉にどう答えたらいいのか?田村氏:言葉として受け止めることが重要ではなく、その言葉をどうして言われたのかが大事。学 生:元気な人にはわからないと言われたら?田村氏:正直に向き合うこと。それを学生に言わざるおえなかったことの苦しさを感じてほしい。学 生:近親者を亡くしたとき、学んで知っていても身近な人となるとどうしていいかわからない。田村氏:患者がなくなる時と身内が亡くなる時とは違う。看護師の役割は担えません。違った体験でいい。何かをしたいのであれば、看護師に囚われず、「私がその人にしたいこと」をする。学 生:患者が遺書を書きたいと希望したが、娘が嫌がるときはどうしたらいいですか?田村氏:まずは、娘の話を聴くことから。結果は残した、残さないではない。遺書を書くことだけが大事なのではなく、患者(母親)が、残ししたいもの(こと)が、口で伝わってもいいと思う。学 生:「歩いて帰れるの?」と問われ答えられなかった。田村氏:沈黙で答えているということを答える側が自覚する。何も言わなかったから、そうだということが伝わっている。学 生:患者は、歩けると答えてほしかったと思う。田村氏:答えられなかったことは、それが真実だったから。信頼関係の中で言えなかったことの重みがある。「私は思っていることを沈黙で答えた」ことは、患者にとって悪いことではない。学 生:家族のケアは、実際にはどのようにされているのか?田村氏:医師の面談のあと、看護師が面談、現実とのギャップが大きい患者の気持ちを聴く。家族の計画を聴く。家族も一緒にケアしたいと伝えている。学 生:患者の前で涙を流してはいけないのか?田村氏:悪くない。私たちは、悲しい時は泣く。人として普通のこと。学 生:ナイチンゲールの看護と共通して大切だと田村先生が思われていることは?田村氏:相手が大切だと思っていることをできるだけ大切にしたいと思っている。その人の価値を大切にしたい。たとえば、薬を飲まないのには、飲まない理由がある。患者は悪くなろうとすることを思っていない。無理せずに寄り添ったり、一緒に悩んだり、考えたりできるために、その人が大事と思っていることをわかりたい。それがわかると看護の方法論が広がってきます。学 生:多くの死と向き合い、死に慣れている?田村氏:死も生と同じことと考えているので、慣れるとか慣れないというのはない。それは、私の死生観。 最後に、「看護は自由度の高いもので色々な可能性とチャンスがある。不自由にしているのは自分で、そのために勉強してよい社会を作ってほしい」と参加した看護学生にエールを送られました
2011年07月17日
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淀川キリスト教病院の田村恵子さんの講演のつづきです 演題にある「余命18日」とは、淀川キリスト病院のホスピスでの平均在院日数を意識されています。1984年にできたホスピス病棟は、21床、1009年入院は402名、平均年齢69.7歳、平均在院日数16.3日、外来患者1349名、訪問看護依頼137件、入院相談1392件、症状緩和に力を入れ、長期入院ではなく在宅療養へと導いています。 緩和ケアはチーム医療であり、医師、看護師、助手、相談員、チャプレン、MSW(医療ソーシャルワーカー)、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、退院調整ナース(地域看護専門看護師)、皮膚排泄ケア認定看護師、栄養士、訪問看護師、ボランティア(ホスピスボランティア、音楽療法士、アロマセラピスト、グリーフカウンセラー)と多くの人がかかわります。 人は誰もが人生の終焉の時を生きるわけですが、がんの患者がなぜこのように、特別に緩和ケアが必要なのでしょうか 終末期がん患者が体験する症状は、全身倦怠感97.6%、食欲不振94.7%、痛み76.7%、便秘75.2%、不眠63.1%、呼吸困難51.9%、悪心・嘔吐46.1%、せん妄31.6% (恒藤 暁、 最新緩和医療学より)と様々な症状が全身に出てくるので、専門的な知識や技術ができる緩和ケアが必要なのです。 食欲不振は、家族が心配されますが、患者によっては、「無理して食べなくてもいい」ということで、ホッとされます。 痛みは最もコントロールしやすい症状です。WHO(世界保健機構)除痛ラダーは、予後ではなく痛みの強さで薬剤を選択します。がん性疼痛の9割以上は、薬剤が解決してくれます。痛みがなくなると、食欲が出て、命は延びます。がんの痛みは医学の恩恵を受ける最大のものです。 あなどれないのが、便秘です。動けなくなり食欲がなくなることと、モルヒネの影響でおこります。 症状は全てその人の主観です。体験している患者にどれくらいの痛みであれば、日常生活ができるかなど、患者にとって「ちょうどいい具合」にマネージメントしてゆきます。そのため、受け手である患者や家族に積極的に参加してもらいます。 がん進行に伴って、身体だけではなく心にも変化があります。 たとえば、治療への不安、手術、身体機能の喪失、ボディイメージの変化などは、身体的な苦痛だけでなく精神的な苦痛やスピリチュアルな苦痛があります。 現代ホスピスの母と呼ばれるシシリー・ソンダース女史の『全人的苦痛トータルペイン』は、緩和ケアの概念になっています。田村恵子さんは、著書『余命18日をどう生きるか』の中で、「ちょっと極端な言い方をするなら、ホスピスケアってスピリチュアルケアがなければありえないと思っているのです。(P160 )」と書かれています。 【送料無料】余命18日をどう生きるか 次は、そのスピリチュアルケアについて・・・・・つづく
2011年07月16日
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田村恵子さんの講演のもう一つのアウトライン 「死に向き合う人を支える」について 「日本人にとっての望ましい死」と題して、一般と緩和ケア遺族の計3061人を対象とした、“望ましい死のあり方”に関するアンケート調査の結果(東京大学大学院医学系研究科) 「苦痛がない」 「望んだ場所で過ごす」 「希望、楽しみがある」 「医師や看護師を信頼できる」 「負担にならない」 「家族や友人とよい関係でいる」 「自立したい」 「落ち着いた環境で過ごす」 「人として大切にされる」 「人生を全うしたと感じる」など80%以上の回答者があげており、これは、日本人の多くが共通して大切にしていることで、本人と家族の意向が異なることはあまりありません。 人によっては、重要さが異なるが大切にしていることがあります。たとえば、「できるだけ治療を受ける」「自然な形で過ごす」「伝えたいことを伝えておける」「先々のことを自分で決められる」「病気や死を意識しない」「他人に弱った姿を見せない」「生きてゆく価値を感じられる」「信仰に支えられる」などを本人以外の者が、察するのは難しいことです。家族、親しい人と自分の大切にしていることを話し合っておくことが望ましいと思います。 がんになったからというのではなく、私たちもいつか死にます。終焉の時をどう生きたいですか?と問われたとき、答えられるようになりたいと思います。 ――散る桜 残る桜も 散る桜―― 援助している者もいつかまた援助される者になります。他人ごとではないのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
2011年07月15日
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7月10日(日)奈良県のホスピスとがん医療をすすめる会主催のホスピス講演会に行きました。「余命18日をどう生きるか ~絆のなかで自分らしさを~」 淀川キリスト教病院ホスピス主任看護課長 がん看護専門看護師 田村恵子さんのお話です。今年もすすめる会の会長さんから、会報に載せる講演会の感想を依頼されたので、書いています 講演会では、思いがけずに1年生の学生が二人、声をかけてくれました。NHKのプロフェッショナルをみて田村さんを知ったとのこと。緩和ケアにも興味があると話すので、嬉しくなりました。 3年生にも講演会に来れなかった学生にもシェアしたいので、途中までをブログにアップします。つづきは、また明日にアップできるように頑張って書きますね。 講演会のアウトラインは、「がん医療における緩和ケアとは?」と、「死に向かう人を支える」でした。今日は、まず、「がん医療における緩和ケアとは?」について書きます。 2007年4月にがん対策基本法ができ、がんの早期発見と治療の均てん化、患者の自己決定を促すことが国策として行われるようになりました。治療の初期段階からの緩和ケアの実施と放射線、化学療法の推進、これを専門的に行う医療者の育成は、全ての患者、家族の安心であり、死亡率の低下や苦痛の緩和、QOLの向上になります。二人に一人ががんになります。他人の問題ではなく、私の問題として考えてゆかなくてはなりません。 緩和ケアは、WHOで、1989年に治癒を目指した治療が有効でなくなった人を対象にしていましたが、2002年には、生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族のQOLを改善するアプロ-チと緩和ケアの定義をしています。 ホスピスとは、「親切であたたかくもてなすこと」を意味しており、近代社会において、ホスピスは、「自分の死に直面するという最も難しい旅において患者の安全を守り、安楽を提供する」特別なケアの理念を意味しています。(Shirley Ann Smith:Hospice Concepts) 「がんを治すための治療が難しい」その時に余命の長さかQOLのどちらかを選択しなければならなくなった時、何を大事にしたいのかよく考えておく必要があります。清水哲郎氏(東京大学大学院人文社会系研究科)の臨床倫理の考え方・苦しくてもより長く=延命優先→「徒な延命医療」への批判・短くても過ごし易く=QOL優先→死期が早まるような治療をどう考えるか両者は決して延命か死かの違いではなく、死生をめぐる心の中にある価値観の違いであり、延命優先からQOL(緩和)優先を大事にする考え方に変化しています。 がん病変の治療と痛みの治療(全人的苦痛の緩和)は同時に行われるものです。がんと診断されたときから、化学療法の副作用への症状緩和へ緩和ケアチームが関わります。緩和ケア外来通院や緩和ケア病棟に入院、在宅での往診や訪問看護での緩和ケアと継続しています。そして、看取のあとの遺族のためのケアも含まれています。緩和ケアは患者とその家族を支えるケアだからです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく
2011年07月14日
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「先生、いつもニコニコしているね。」 「そう?」 「ほら、今だって、ニコニコしてる。」 「私も先生みたいにいつもニコニコしている人になりたいな。」 臨床実習のお昼休み・・・お弁当を食べたあとからのほのぼのとしたひと時。 私がニコニコしているのはね。 ニコニコさせてくれる学生がいるからだよ 子どもが反抗するのは、反抗させる大人がいるから・・・と学んだ。 同じように、ニコニコするのもニコニコさせる相手がいるから・・・ほほ笑みは幸せな空間を作ります。ほほ笑みは、人と人を繋ぐ大切な雰囲気。 ナイチンゲールが、ナースにふさわしい女性について語っています。 快活で、幸福で、やさしい希望に満ちた真面目な女性。 病人や同僚に心をくばり、仕事に熱意を持ち、 友と友との間に平和をもたらす 他の人と比べてできていないと泣く純粋で素直な学生も目に見えない内側の成長があります。成人式を迎えたばかりの学生が、患者さんの人生の物語を感じながら、患者さんのことを真剣に考える姿。ナースは大人にならなくてはならない仕事です。流した涙が彼女らを大人にしてくれます。 泣いてもいっしょ、笑ってもいっしょ、同じ時間を過ごすなら笑って過ごす方がいいよね 「尊敬する人は先生にする。」 そんなにまっすぐに言われると照れるけど、嬉しかった。 私の言葉を大事にきいてくれるまっすぐな瞳に恥じないように頑張ろうって思えるし、学生たちの宝石の原石のような言葉に勇気づけられます。彼女たちがそれぞれの美しい輝きをみせてくれる日が楽しみです。 7月7日に、このグループの実習が終了します。病棟は七夕の飾りつけができました。短冊にお願いごとを飾ります。さて、なんて書こうかな。やっぱり、これかな かわいい学生たちが、第101回看護師国家試験に合格しますように
2011年07月01日
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実習2週目になると、それぞれが看護計画にそって実施してゆき、患者さんに喜ばれたり、効果があったり、学生自身も嬉しかったりするケアを行っています。けれども、後半に向けての看護計画の修正に行き詰まりを感じる時期でもあります。「事例検討会みたいなもの・・してみる?」と、提案してみました。学生たちは、事例検討会なるものがいかなるものか見当がつきません。「学生同士で、困っていることを相談してもなかなか解決にはならないから、困っていることは、指導者さんと相談する方がいいと思うので、学生同士では、効果のあったこと、患者さんが喜んでくれたケア、自分が嬉しかったことなどを話してみない?すると、私にもできるかもしれないことがあるかもしれないし、後半の実習やこれからの実習にも役立てることができると思うんだけど、どうかしら?」 学生たちは、興味を示してくれて、早速、記録のあと30分を使って、事例検討会みたいなものをしました 私の意図は、学生への心理面での自立に向けた勇気づけ 私が提案したルールは、バズセッションで、6人の学生のうち、司会、書記、タイムキーパーを決め、司会の進行に沿って、一人1分づつ、発表します。10秒前には、タイムキーパーが「ブー」と言います。6人、全員が発表したあとから、それぞれに質問をしたり、もっと聞きたい事例について聞くということでした。 学生たちは、私の提案を採用して、バズセッションが始まりました。想像通り、学生たちは、自由に発言をして生き生きと自分の行ったケアについて語ります。1分間に要約して話すのも上手でしたし、質問も活気があって、いつものカンファレンスの学生とは違うことを実感しました。それは、学生たちからセッションのあとは、笑顔で3週目に向けて頑張ろうという意欲的で、積極的な言葉ばかりが聞かれたからです。 話し合うということは、とても大事なことです今、読んでいる読書の中の一文から 「わたしたちは、自分だけの考えを大切にすると共に、また自分だけの思いにふけるのをやめなければならない。そのためには、いつも疑問や抗議に対して、戸が開かれているような、話し合いの場をもたなければならない。それには、わたしたちだけでなく、もっと何か遠いところにいる者をわたしたちの話し合いの聞き手に呼んでこなければならない。」(田中美智太郎著:生きることの意味 p164 学術出版会) 学生は、V.ヘンダ-ソンの看護理論をもとに展開しているので、学生との話し合いの場には、ヘンダ-ソンを呼んできています。 私は、アドラー心理学の理論から、学生が「人々は仲間だ」「私には能力がある」と思えるように援助したいので、特別ゲストとして、こっそりと、A.アドラーの席も用意しておくことにしています
2011年05月22日
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高校になったら、保護者会は新学期に1回しかありません。個人面談が1学期、2学期末にあるだけで、中学部のときに比べるとめっきり学校に行く回数が減りました。 最終学年になり、大学受験に向けての心の準備を親もしなければいけません。子どもたちは、とっくに、受験を意識しているというのに、私はのんびりしていたかもしれません。 今年、センターを受け、国公立の第一志望の大学に合格した先輩たちとの交流会があり、そこで、勉強の仕方や経験などを真剣に子どもたちはきいていたそうです。 「休みの日は、10時間、勉強するから。」 きっぱりと私にそう言って、休みの日も塾の自習室に通っています。 子どもたちは、8月のセンター模試で、進路を決めるので、1学期はとにかく勉強しています。志望校は、変わります。今は変わってもいいんです。家から近いとか、知名度とか、そういうことで、親はアドバイスをしないでほしい。その大学で、何を学ぶか、将来、社会にどう貢献してゆくかを考えていることを信じてほしいと言われました。 「そこで、お母さんにお願いすることは・・・買い物に誘わないでください。息抜きしないと可愛そうって思わなくていいです。学校で、充分、彼らは息抜きしていますから。」 あちゃ~。うちのこと? すぐに、一緒に行こうって誘ってしまうから・・・反省です。 今、私にできることは、勉強の邪魔をしないことですね。 久しぶりの受験生の母です。娘の大学は、指定校推薦をいただいたので、受験は、息子の中学受験と娘の高校受験のW受験の時以来です。懐かしい。息子の中学受験のときには、このブログで、たくさんの中学受験生のママやパパさんとお友だちになりました。あのときの子どもたちもみんな成長されたのでしょうね ゴールデンウィークも後半になりました。 今日もせっせと、塾にいきましたが、今夜はお友だちと夕食を食べて帰るとメールがきました。勉強ばっかりでもないようですが、まじめに一生懸命に頑張っている息子くんを信じて応援しています。 そんな息子をおいて、どこにも行けません地デジ対応に思い切って、大型テレビにしたことですし、自宅で夫さんと映画三昧の連休を過ごしています
2011年05月03日
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3週間の臨床実習が終わりました。連休明けから次の実習の3週間が始まります。 臨地実習では、机上では学ぶことのできない大切な看護の本質を学びます。初日の学生と最終日の学生は、同じ学生ではありますが一回り、大きくなりました。 それぞれにドラマティックなエピソードがあり、困難を乗り越えるごとに私も学生のそれぞれと信頼関係ができてきたように思います。 初めての教員に、初めての実習で不安がいっぱいだったことでしょう。 当然、私のことは、教員として信用はされていたでしょうが、信頼関係はまだできていませんでした。 私は、学生を無条件に信頼しています 学生には、課題を自分で解決する能力がある。と信じること。 学生の行動には必ず「よい意図」がある。と信じること。 みんな一生懸命で、力を抜く人はいませんでした 学生たちも私が一生懸命にしたことをちゃんと知ってくれています。 とても気持ちよく実習を終えることができました。 どんなに辛かったときもちゃんと行動計画を立てて実習を一人も欠席をしなかったのは、なによりも嬉しいことです。 学生とはたくさん話をしました。 泣き顔が笑顔に変わるときは、私も嬉しかったです。 私は学生を応援して困ったことだけを助けてきました。教員は援助職であり、教育と看護は共通するところが多いです。 援助は、信頼関係がなければできません。 対人関係をよくするには、相互に信頼があることです。 実習の目標に『信頼関係を築く』とすることがありますが、相手からの信頼ばかりを求めていたのでは、信頼関係は構築しません。まずは、こちらが無条件に信頼することから始まるように思います。
2011年04月28日
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4月15日生まれのカイくんは、2歳になりました。 先日のお花のお稽古の時、振り向くとテーブルの上の花の横にどてんと座っていました。 体重は、5.5Kg大きくなりました。 昨夜は、病院看護師と地域の訪問看護師での研修会で「家族看護」の勉強をしました。家族の定義は、血縁、婚姻の関係であったり、同居という集団であったり、親族という民法上の関係であったり、国勢調査の世帯であったりしますが、情緒的な絆で繋がった自分たちが家族と決めていることが大事なこと。カイもモモも家族の一員です。 一昨年の6月、生後2カ月で我が家に来たカイくん 小さな身体で、モモちゃんのあとを追いかけて、いつもグルグルとご機嫌 それが、だんだん大きくなって・・・・モモちゃんよりも大きくなってしまいました。でも甘えん坊のカイくんは、モモのあとを追いかけて、叱られたりなめてもらったりしています。カイくん8か月のとき一歳5カ月のカイくんのリラックスポーズ こんなに凛々しい姿のカイくんです。
2011年04月23日
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楽天ブログ日記出向の日に書いたレモンケーキのレシピがほしいと先生方に希望されたので・・・Chiyomi流レモンケーキの美味しい作り方(友の会で習ったものです)をご紹介したら、早速、作って写真を送ってくださいました。とっても美味しそうなので、許可を得て、ここに写真をアップさせていただきました。 レシピをご紹介しますね(パウンド型18cm2本分)材料:卵L 4個 砂糖 150g 薄力粉 150gバター100g レモン 1個 粉砂糖 80g作り方1.焼き型に合せて、紙を切って敷きます。どんな紙でもOK!2.オーブンを170℃に温めておきます。3.粉を2回、砂糖は1回ふるっておいてください。4.バターを溶かします。(手鍋に入れて、直火で溶かします)5.レモンは、熱いお湯でよく洗い皮をおろし、汁をしぼっておいてください。6.準備を整えてから、卵白を固く泡立て(逆さまにしても落ちてこない)、砂糖を2~3回に分けて加え、つやよくなるまで泡立ててから、卵黄を加えて混ぜます。7.次にレモンの皮とレモン汁を大さじ1加えて、ざっと混ぜてから、粉を入れ手早くさっくりと混ぜます。8.溶かしておいたバターの鍋にもう一度、火をいれて、グラグラとしてきたら火を止めて、熱い溶かしバターを7.へ入れて、よく混ぜ、肩に流し160℃で20分、その後、150℃に下げて20~25分焼きます。 熱い溶かしバターがコツです!バターが まんべんなく溶けていないと、そこが、 焼いたときに、空洞になります。9.粉砂糖をレモン汁大さじ1で固めに溶き、固めにアイシングを作ります。10.焼きあがったケーキを型から外し、荒熱をとってから、9.のアイシングを塗ります。11.アイシングが少し、溶けて固まったらできあがり!!ほんのり香るレモンの香りに癒されてください
2011年04月17日
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今週から実習が始まりました。 看護学生の3年生は、娘と同じ年齢の学生が多くて、みんなかわいい。 毎日、緊張していて、一生懸命に頑張っていることも知っています。でも・・・ 私の顔をみると、弱音を言います。 できない~ 無理 明日は、カンファレンスがあります。今日は今週に患者さんの情報を整理して考えて、どのような援助の方向性で看護を実践するかをまとめてきました。 くじけないように一人づつ、丁寧に話を聴いていますが、みんなの話を聴くことができていません。 くじけないように勇気づけたい 「星の王子様」を書いたサン・テグジュぺりは、飛行機で郵便物を運ぶ仕事をしていました。彼が、初めての飛行をすると決ったときの責任と不安な気持ちを先輩の飛行士が、安心させてくれた言葉を引用して、夕べ、担当している11人の学生に一人づつ、メッセージカードを書きました。 自分に言ってきかせるのだ、 他人がやりとげたことは、 自分にも必ずできるはずだと サン・テグジュぺり 「人間の土地」より このメッセージを読んだ学生たちの姿に私は勇気づけられました。 人ができるのが、羨ましいって思っていたけど、人にできることは私にもできるんだ 国家試験までお守りにする 先生、ありがとう 彼女(彼)らの希望が叶えられ、この笑顔が続くように、私もがんばろう。
2011年04月14日
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お向かいのお譲さんが5月にご結婚されます。結婚が決まったときに、お向かいさんからブーケを手作りしたいから教えてほしいということで、4日の前撮り写真に合わせて、ブライダルブーケをつくりました。 長く保存できるようにと、ブリザードフラワーを使うことにしました。事前に希望のブーケのイメージを本を参考にして決めました。あとのお花の選択は私にまかせていただき、いつもお願いしている花の資材屋で、ブーケ用のアクアフォーム、ブーケスタンド、ブリザードフラワー、リボン、キャスケードケースを注文しました。 白とグリーンを中心にした垂れる感じで・・・大きな白いバラを3種類25輪。小さなグリーンのバラを12輪。グリーンの紫陽花を2輪。葉は、ユーカリとヘデラ、パイン&ラインが軽いかんじでボリュームを出しました。全体を正面から横から 私のデザインでさしていきましたが、お向かいの母娘さんが、ブリザードの花や葉にワイヤーをつけて、フローラルテープで一本一本、丁寧に巻いて、資材をつくりました。出来上がる経過を写真におさめたりして、ブーケづくりを楽しみました。 ブーケとおそろいの髪飾りと新郎のコサージュは、翌日に私が作りました。 幸せのお手伝いができて嬉しかったです ありがとう。 おしあわせにね
2011年04月07日
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4月1日付けで、同じ学校法人の看護学校に出向します。 ここにきて、10か月。とても早く感じます。楽しかった思い出ばかりです 夕べ、レモンケーキを焼きました。涙の形のレモンは、皮をすりおろすときの匂いに癒されます。今日は、レモンケーキでお別れ会をしようと思いました。 勤務が終わって5時から、茶話会・・・私の焼いたレモンケーキと先生方が用意してくださったケーキとで、いつもと変わらぬ会話を楽しみました。 みんなの顔をみると泣きそうになるので、顔がみれませんでした。 しみじみとしたご挨拶も泣いてしまいそうなので言いませんでした 机を片付けましたが、机は私が戻ってくるのを待っています。 「寂しくなるよ。」 「ぜったい、戻ってきてね。」 そんな風に言って送り出してもらいました。 ほんとにみんなには、大切にしていただいたと感じます。 ありがとうございました 司書さんともここで、出会ってアドラー心理学を一緒に学ぶ仲間になりました。 これも縁ですね 色々な出来事があって、その都度、私が選んだ人生の過程で出会った人たちは、偶然ではなく出会うべくして私が選んで出逢ったと考えるとどんなことも後悔なんてしない。よかったって思える人生を生きている私は幸せです。 ただ、心残りは、次に二年生になる学生たちの各論実習に一緒に行けないこと。 私のフィジカルアセスメントの授業をきいてくれた学生たちの成長を近くで感じれないことが残念です。来年の国家試験にも全員で合格できるように陰ながら応援しています さて、明日から新しい学校です。 また新しい人間関係がはじまります。 いい関係を築きながら、いい仕事をしたいと思います。
2011年03月31日
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娘は、4歳のときにお習字に出逢いました。それから、16年、途中でお稽古は中断しましたが、高校生になったとき、何か自信のつくことがしたいと自ら、書道を選んでお稽古をはじめていました。 昨年、お花のお稽古にきていただいているTさんが、書道教室を始められ娘が生徒になりました。このたび、娘の作品も展示会に出品することになり、27日(日曜日)に、に娘と夫さんと広島の母と展覧会にでかけました。 お花は、T先生が生けられたもの。娘の師匠であるTさんの書は、柔らかい曲線がしなやかで女性らしいフェミニンな感じで素敵でした。さて、いよいよ、娘の作品『一期一会』新人賞をいただいていました。新人賞は、一生に一度の賞。おめでとう
2011年03月29日
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第100回看護師国家試験の合格発表が厚労省から発表されました。 合格されたみなさん、おめでとうございます 本校の受験者は、今年も全員合格しました よかったです。 おめでとう。 今日から、同じ看護師の道を歩んでいきます。 同じ道を歩む仲間が増えたことはとっても嬉しい。 今年の全国の合格率を厚労省のホームページから引用させていただきます。 第100回看護師国家試験 出願者数 (うち新卒者) 54,756人(49,000人) 受験者数 54,138人(48,509人) 合格者数 49,688人(46,785人) 合格率 91.8%(96.4% ) 必修問題及び一般問題を1問1点、状況設定問題を1問2点とし、次の(1)~(2)の全てを満たす者を合格とする。 (1) 必修問題 40点以上/ 50点 (2) 一般問題 状況設定問題 163点以上/250点
2011年03月25日
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9年間、単身赴任をしていた夫さんが帰ってきました。 私は先週の3連休に東京にいきました。荷物はそんなにないのですが、夫さんがお世話になった小さな部屋にも感謝を込めてお掃除をしました。 行きの新幹線の中からとっても美しい富士さんに出逢えました。 大きな災害のあと、困難な生活をされている方々に一日も早く平穏な日常が戻ることを願っています。 ――――――――私の小さな力が直接、お役に立てないかもしれませんが、私にできることは・・自分の持ち場をしっかり働いて、この身体を社会の役に立てること。持ち物は多すぎず、適量をさらに節約して、限りある自然、命を大事に使うこと。それが、みんなの幸せに繋がっていくと信じれば誰かのために働くことが喜びになる
2011年03月24日
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3月8日は、娘の二十歳の誕生日でした。 私も母になって20年です。 昨日、1時限目、一年生の試験のあと、 『今日は、娘の二十歳の誕生日です。』と、伝えたら学生たちが拍手をして 『おめでとう』と言って、お祝してくれました。 すごく嬉しかったです。 自分が親になってからは、自分の誕生日よりも子どもの誕生日が嬉しいです。 どうしてでしょうね。 親というものは、子どもの成長が楽しみであり、お誕生日を迎えることを単純に喜べるんですよね。見返りを求めずに愛することができるからだと思います。 自分もそうだったんだろうな~って思います。 親から受けた愛情ほど、親孝行していません。 親にはとうてい受けた御恩ほどの恩返しはできないけれども、今、こうして我が子の成長を喜んで恩返しにさせていただいています。 親だけでなく回りの人から、多くの愛情と恩を受けてきました。その一人一人にお返しすることはできませんが、社会に貢献することでご恩返しをしてゆきたいといつも思います。 恩といえば、昨日は、謝恩会でした。 学生たちは、はかま姿、綺麗にドレスアップして、私たちをもてなしてくれました。 みんな隠していた才能を発揮して、ものすごく楽しませてくれました。 とても楽しかったです。 このように、人と人とを結びつけるユーモアやセンス、ホスピタリティで、人を幸せな気持ちにさせてくれることができるという素質の人材がこれからは、必要だと思います。 イノベーションは、経済的に効果のある発明をすることではなく、豊かな人間関係の中から、発見してゆくことではないかと思いました。 これから、看護師になって、社会に貢献し、後輩を育むということで学校で学んだ恩はお返しされることでしょう。 謝恩会でいただいた小さな花束をちょっとアレンジしました。 猫のカイくんと一緒に
2011年03月09日
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今日は、卒業式 これまで、何度も卒業式は経験しました。 児童、生徒、学生の立場での卒業式。 保護者として、子どもの卒業をお祝する卒業式。 PTA会長として祝辞を述べる卒業式。 地域の人として来賓席に座る卒業式。 そして、今日は初めて、教員として送り出す卒業式。 ここに来て、10か月・・・卒業する学生たちと共に実習に行った日々は、私にとっても多くのことを学びました。 私は、学生よりも少し早く生まれ、早く看護師になりました。今は立場が違っているけれども、卒業して国家試験に合格して看護師になったら、同じ看護師として、今度は横に並んで進んでいきたい。 いつか、私たちをはるかに超える素敵なナースになってゆくのでしょうね。 担任の先生には、学生同様、私も実習ではお世話になりました。 そこで、学生へのおめでとうの気持ちはもちろんですが、担任の先生への感謝を込めて、お花をアレンジしました。卒業生にとって最後の先生の姿に花を添えたいと思いました。 卒業 おめでとう 先生 ありがとう
2011年03月07日
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相愛大学人文学部解説記念シンポジウムとして、大阪大学総長の鷲田清一氏、神戸女学院大学教授の内田樹氏、浄土真宗本願寺派如来寺住職で、相愛大学教授の釈徹宗氏、大阪市長の平松邦夫氏によるトークセッションに行きました。 とても面白い笑いの多いトークセッションでした。 2009年10月に、大阪市中央公会堂において、『ナカノシマ大学キックオフ記念セミナー』という名で行われた座談会がもとになって、『おせっかい教育論』という一冊の本になっています。 大阪の文化は、宗教から商業が中心となり、江戸時代から明治時代にかけて懐徳堂や適塾という私塾ができて、文化・芸術の発展と共に市民の手によって教育がされてきたといいます。ところが、経済が発展し工業都市となり市場原理が教育にも表れ、教育をサービスの一環として、受ける側は支払った代価を要求し、満足がいかなければクレームをつくるといった具合です。『教育は商品ではない』のです。 教育、医療は、ビジネスモデルにしてはいけないのです。 今の教育の目標の一つに、競争的人材の確保、イノベーションの出来る人材の育成とうたっているが、リーダーばかりを育てても意味がない。大事なのは融通のきくことです。今の子どもたちは、社会に出ても社会は育ててくれません。私たちの世代は高度成長期で、社会が育ててくれていました。 教育投資に対するリターンを期待して、それを高等教育に求める実学は、「勉強すると金になる」というロジックとして間違っているという内田氏の発言に鷲田氏が、「阪大憲章の中に実学が入っている」とユニークに反論、本来の実学は、福沢諭吉が机上の学問に対して、現実の学問に向けて実学といったのだというと、内田氏が福沢諭吉は一貫して反時代性を論じていたと福沢諭吉についての逸話を紹介されました。 幕末に、福沢諭吉たちが学んでいたころは、オランダ語と医学の二つの学問しかなかったが、彼らの半分は郷里に戻って医師になり、半分は様々な仕事の役に立てているのは、教える側ではなく、受ける側がどう学ぶかということです。 教師が全て同じになったら、一方向だけの教育しかできません。夏目漱石の『坊っちゃん』のように色々な先生があって、色々な接し方があっていいのです。その中から、こどもたちが学ぶのです。とはいえ、教育現場には、朝ごはんを食べていない子やお昼ごはんを食べるお金がないという子のいる現状があると平松市長が行政の立場から発言されました。生活保護の問題も絡んで、大阪にとっては深刻な課題です。 今回は、司会進行役をされていた釈氏が、日本の教育システムのよさをパレスチナの例をあげて話されました。60年間、教育熱心に続けた結果の歪に、日本人が行って日本が昔からしている教育をしてよい成果をあげているといいます。日本は外国のものを取り入れることばかりに目をむけず、もともと日本にあった文化を大事にしなくてはいけないと思いました。 日本には、通過儀式があって、子どもから大人になってゆきましたが、近代社会において、はっきりした儀式がなくなり、いつから大人になったのかわからない通過期間がとても長くなってしまいました。学ぶことは大人になることで、学生はがむしゃらに学ぶ。学びの中から自己をみつけてゆくのです。そして、「私は誰のために何をすべきか」ということを考えて仕事をするのです。今の就職活動は、「自己実現のために自分にしかできないことはなにか?」というとてつもなく間口の狭いネガティブな目的でもって行っているから仕事がない。そんな中で、回り(人)にあわせることのできる自分をよしとする教育が必要なのです。 おせっかい教育論著者:鷲田清一価格:1,260円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る
2011年03月06日
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少し春の気配を感じるようになりましたね。今月のお花は、ひな祭りも近いので桃の花を生けました。水仙のいい香りがします。 花器と剣山を学校に持っていき、玄関ホールのナイチンゲールの像の横に生けました。 この花台は、卒業生が記念に残してくれたものだそうです。 広いホールと白い壁はお花が映えますね。 花を生けることは大好きで、大好きなことで何かの役に立てるのは、幸せなことだなと思います。 先日の音楽療法のセミナーがご縁でホスピスで演奏をすることになりました。 目下、毎日、夜な夜なクラリネットの猛練習です。 一人で自分のためだけだと練習する気持ちになれないのに、自分のためではなく他の誰かのためになら練習できるから不思議です。 クラリネットは、娘の小学校6年生のお別れ会で、クラスメイトのお母さんのバイオリンと合奏したのが、8年前・・・。 広島でクラリネットを吹いていたころもホスピスケアを勉強していた・・・こんな形で合わさるなんて自分でも驚きます。 どんなことも人生にとっては大事なことだったんだなって思います
2011年02月25日
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日本死の臨床近畿支部教育セミナーで、音楽療法について学びました。 講師は、あしや音楽療法研究会 堀 早苗氏 堀 彩氏「緩和ケアにおける音楽療法の理論と実際」 音楽に失敗はない、音楽の中でくつろぐ・・ 音楽を聴いたり、唄ったり、楽器を鳴らしたりする中で、心や身体を刺激し、生活をより豊かにしてゆきます。音楽療法は、音楽を使って、その人のQOL(Quality of life)をより高める援助といえます。モーツアルトを聴くとよくなるなどと、メディアにのると飛びつくという社会の現象があります。けれどもCDを聴くだけでリラックスするとか気分がよくなるというような直接効果のあるものではなく、その人の生きる力、生きる勇気の背中を押すものが音楽療法であるといえます。 自己表現としての音楽を「他者の自己表現を援助する」ために役立てるという点において、音楽療法と音楽活動は違っています。音楽療法も音楽活動も共に音楽を使って楽しい時間を過ごすわけですが、様々な対象者に最も適した改善目標のために、音楽活動そのものが目的ではなく、治療的な目的を持って音楽を活用するのです。 現在、任意資格である音楽療法士資格が、日本音楽療法学会が中心となり、国家資格化への準備に取り組まれていますが、理学療法士など他のセラピストに比べ、音楽が余暇的なイメージがあるため助成してもらいにくいといわれています。作業療法士によって音楽療法をされるのと、音楽の専門的知識のある音楽療法士が行うのとでは治療効果があきらかに違うと予測されます。音楽療法士が医療、福祉、教育、社会などの分野において、音楽を活用して、他の専門職とのチームアプローチによって効果のあることは多くあります。 叫ぶ声に耳を澄ますと、ただ叫んでいるのではなく「音」として、専門家がみる。いつも同じ音を出すとか、その声と同じ音を出し、半音さげると声も半音さがるなど、その時、音楽的な音を出しているというところに意味を見出せるとしたら、今まで問題としていたことが問題ではなくなるどころか、その人は自分の声を使って自己表現をしていることに援助者が気づけるのです。援助するものは、援助される人が自分よりも優れているところがあることを知らなくてはならないし、自分も無知であることを知らなくてはなりません。そういう意味で、専門家でないものが簡単にできるものではないし、音楽療法士の持つ意味も深く責任も大きくなってきます。 音楽療法は、長期療養、精神科、リハビリテーション、小児医療、緩和ケアでの領域で患者だけでなく、家族もスタッフにも全人的なニーズに音楽をもって援助することができます。全人的な援助とは、身体的・精神的・社会的・スピリチュアル的(その人の価値や信念に基づいた生存的なもので、宗教的なケアではなく、命の意味とか、死の意味を大切にしながら、どう生きるかということを考えるケア)であり、医療・看護の最も大事にしている援助の目的です。音楽は、このスピリチュアルな部分において優位に働きかけることが可能であると考えます。我々は、音楽の中で患者、家族、スタッフと共に在ることができます。これは、病院やホスピス、施設といった建物ではなくて、その患者と"being with a patient"(患者と共に在る)ことが大事といったシシリーソンダース女史の言葉と重なります。 対象者との人間関係は、その人が今居るところで、出会い、そこから、その人に合せてゆくことから始まります。感情的になることなく共感し、高圧的になることなく力強くリードする態度、即ち適度な距離を保った踏みこみすぎないコミュニケーションは信頼関係を築き、音楽の中で寄り添うことで、素朴で丹精な援助ができるのではないかと考えます。 お昼休憩の時間に『歌の翼に 緩和ケアの音楽療法(ラボナ・サーモン)春秋社』のDVDを観ました。カナダのホスピスで実際に行われている音楽療法のドキュメンタリーです。その中には協力を惜しむことなくするスタッフの姿、「生きている」実感のある援助の事例が紹介されてありました。臨終の呼吸に合わせて、あるいは新生児の泣き声に合せて唄うなど、どんなに高度な医療器具や薬を使っても人間である心の部分へ届くことはできないことを我々は知っています。また、我々の祖先の人間がしてきた儀式や祭りごとといったものにも音楽が使われているのは、そういった人間であるがゆえに抱える苦悩の部分を癒すためのものではないだろうかとDVDを観ながら考えました。 多くの方の終末期を看させていただき、そのわずかな時を共に生きたことをふと思い出す時、忘れないでおこうと心に決めて一期一会の気持ちでケアしてきたことを振り返る事が出来ます。けれども、終末のときだけ関わる我々と愛する人がだんだんに衰えてゆかれ、看取りをされるご家族の心情とはちがいます。愛する人を亡くしたときの喪失感を癒す力も高度医療や薬の力の及ばないところです。グリーフケアも音楽の持つ力を必要とされるでしょう。 午後からの演習では、実際に楽器を使ったり、ハンドベルの練習用のトーン・チャイムを使って音のキャッチボールのようなことをしたり、即興で作曲(?)できたりしました。合奏することで、役割ができます。そして、音楽が一人ではなく他者と一緒にするということで人と人との間ができます。その間を音楽が繋げているという感じがします。一人ではないと感じた瞬間から、相手のことを考えます。人の喜びが自分の喜びに変わります。そうして、回りはみんな仲間であり、そういうホスピタリティのある温かい空間ができあがるのです。 立派なホスピスができても温かな空間がなければ意味がありません。シシリーソンダース女史の言う、場所ではなく患者と共在ることが大事なのです。音楽療法を在宅訪問でも行われています。私自身も訪問看護で認知症の高齢者と一緒に唱歌を歌う、好きな音楽のCDをかけながらケアするといったことはしてきましたが、もっと積極的に音楽を使ったケアの可能性があるのではないかと感じました。 日本にホスピスができたころから、ターミナルケアにおける音楽療法は、注目されていました。アルフォンス・デーケン氏の『死への準備教育』の目標の一つである「時間の貴重さを発見し、人間の創造的次元を刺激して、価値観の見直しと再評価を促すこと」に関連して、音楽療法の効用について書かれています。音楽療法は、患者がこれからの時間をどう使ったらよいかを深刻にならず、真剣に考え、その人の持つ能力を発揮して生きる勇気を持つことができる援助に繋がると考えます。
2011年02月14日
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アドラー心理学公開カウンセリングのお誘い― 2011年2月・奈良 ― アドラー心理学の公開カウンセリングは、ふつうのカウンセリングではなく、子ども時代の家族関係や思い出を材料に、まるで魔法のように人をしばっている思いこみが明らかにされます。(ライフスタイル診断といいます) 人はいくつになっても子ども時代の思いこみにしばられて生きている部分があります。 平静なときには、ちゃんとおとなとしてふるまえるのですが、「どつぼ」に落ちると、まるで子どもと同じようにふるまってしまいます。 このライフスタイルを知ることで、「どつぼ」に落ちることもなくなり、協力的に平等に勇気をもって生きていくことができるようになります。 おひとりの方のライフスタイル分析を見せていただいたあと、解説があります。 そのあと、質疑応答があります。質問はカウンセリングにこだわらず、子育てや対人関係で困っていることなど、何でもOKです。 お誘い合わせの上おいでくださいますよう、お待ち申しております。 日時:平成23 年2月27 日(日) 午後1時15 分 ~ 4時15 分 会場:奈良商工会議所 4階 中ホール 近鉄奈良駅(1番出口)より、徒歩1分 〒630-8586 奈良市登大路町36-2 電話0742-26-6222 定員 :90名 参加費:3000 円 講師:野田 俊作 先生(精神科医、日本アドラー心理学会認定指導者) 昭和23年生まれ。大阪大学医学部卒。精神科専門医。シカゴ・アルフレッド・アドラー研究所留学。神戸家庭裁判所医務室技官勤務の後、昭和63年新大阪駅前にて相談施設(アドラーギルド)開業。元日本アドラー心理学会会長、国際アドラー心理学会評議員、イタリア・アドラー心理学会参事、日本心身医学会代議員、大阪市立大学非常勤講師、富山大学非常勤講師。 お申込み・お問い合わせ先 : 住所・氏名・メールアドレスを明記の上、このブログの私書箱にメッセージをください。折り返しご連絡いたします。
2011年02月08日
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昨日は、成人の日でしたね 朝、4時に起床。「姉ちゃん、ほんまに起きれるん?」と、いつも寝坊の娘を息子が心配していましたが、大丈夫。中学のときも学校は遅刻してもテニスの試合の日は、5時から家を出てたし、朝練習も行ってたし。起きれないのではなくて、娘は起きないと決めているから寝坊なのです。だから、起きると決めたらちゃんと起きるんだなってことがわかっているから、私は心配しなくてもよくなりました。 着物を着ると食事が食べられなくなるかもしれないから、腹もちがよいようにお澄ましのお雑煮を作りました。 夜明け前のまだ暗い5時に美容院に送ってゆき、朝日が昇り始めた7時に夫さんと二人で迎えに行きました。 振袖を着た娘を興味深々で近寄る猫たちは袖の上でくつろぐ~ 中学の元テニス部の仲間とテニスコートで写真をとってからタクシーに乗って成人式の会場へ行くというので、中学校まで送っていきました。中学生のころは、よく休んで行かなかった学校だけど、このテニスコートだけは彼女たちにとっては特別のものらしいです。特別の思いのある場所があるって素敵だなって思います。過去の子育ての日記をみると娘の中学のころの大切な思い出が綴られています。読み返さなくても在ることがわかっているから。確かに。 夕方から、中学の同窓会があって着替えて行きました。私も夫さんももう眠ろうかと思う夜ふけに戻った娘は、ハイテンションで、楽しそうに写真を見せてくれました。 こうして娘の成人の日の一日が終わりました。 成人の日、おめでとう
2011年01月11日
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お正月の三が日が終わると夫さんは仕事で東京に、息子は朝から塾の自習室に、娘はアルバイトにでかけていき、私は午後から一人ぼっちになりました。 子どもが大きくなるとこんなもんなんですよね。 家の掃除もあっという間に終わりました。国家試験対策に作ったパワーポイントと原稿をみながら、講座の予行演習を二回しました。少しづつ仕事のモードに切り替え準備を始めないといけませんね^^。 先日、講談社から発売された「綾戸智恵 介護を学ぶ」一志治夫著 を読みました。 綾戸智恵さんは、ジャズミュージシャンで40歳でデビューという個性的な女性。シングルマザーであり、乳がんの手術の経験もあり、そして今は認知症の母親の介護をされてます。CMで、介護されている様子を時々、見ることがあります。 この本は、序章で綾戸さんが介護に疲れて倒れたところから始まります。 第1章では綾戸さんと母親との物語が書かれています。介護はその人、その家庭により様々です。綾戸さんが、試行錯誤しながら、綾戸流の介護をその中に見ました。残念ながらその介護は、のちにご本人も気づかれていますが、よかったことばかりではありません。無知といううのは、辛いことだなと思いました。 今、まさに介護をされている方々には共感するところが多いと思います。 この本は、そうして、今、行っている介護に共感したところで、第2章に専門家の脳外科の医師と綾戸さんとの対談に繋がっています。 科学的な根拠や医学的な知識、物理的な知識があってこそ、介護がその人にあったものになるような気がします。知るということだけでなく理解することが大事だと思います。 いつもそばにいると認知症に気づきにくいということはなるほどと思います。看護学生にも認知症のケアについて説明するときにここを参考にできると思いました。 そして、次の第3章は、哲学者である岸見一郎先生とアドラー心理学のカウンセリングのような対談です。綾戸さんは、この対談の前に倒れられています。岸見先生もお父様の介護をされている時でした。ここで気づくのは、綾戸さんがたくさん話をしていることです。岸見先生、流石です。多くを語らずに綾戸さんは自分の気持ちを語られました。それが涙になったのだと思います。介護する人も誰かにケアされることが大事だと思います。まさに、綾戸さんは、インタビューを通じてケアされたようでした。ケアし、ケアされるそういうケアリングは看護においても大事です。 第4章はリハビリについて、綾戸さん親子の経過をよく知る医師との対談で、整理をしています。綾戸さんは、この本の中で時間の経過と共に受け止め方が変化してきました。それは、もともと綾戸さんに備わっていた能力でもありますが、多くの人の関わりから今があるのだとおいうことがよくわかります。 介護の専門家や医療者に向けて書かれている専門書ではありませんが、今、介護をしている人や介護の仕事に携わっている人、目下、介護を学んでいる人には、とても読みやすく知識もえることができ、役に立つと思います。 ある認知症の患者と家族のエピソードとして疑似体験できる内容の本だと思いました。 綾戸智恵、...
2011年01月04日
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初詣はどこにしよう。息子の来年の受験のために今年はよく学べるように学問の神様に詣でることにしました。 三人寄れば文殊の知恵 ということで、奈良の桜井市にある安部文殊院を詣でました。 ちなみに、あとの二つは、京都の天野橋立文殊の智恩寺と山形の亀岡大聖寺です 本尊の文殊菩薩は、獅子の上に乗っているのですが、40年に一度、獅子から降りるのだそうです。その40年に一度に偶然、巡り合わせました。本堂の中を拝観すると、獅子から降りて獅子の前に座られている文殊菩薩にすぐ目の前で会うことができました。ありがたい 境内の池に浮かんだ美しい仲麻呂堂と万葉歌 ――― 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも ――― 安部仲麻呂 西古墳に入ると、何でも願いが叶うというのでろうそくを立てました。鐘をついたり、お稲荷さんを拝み(寺の中に神社?)、智恵の水が湧き出るという古墳を拝み、弘法大志を拝み、合格の門をくぐって階段を上ると、陰陽師 安部晴明公をまつる晴明堂がありました。方位を護ってくださるように拝みました。どれも拝み方がちゃんと書いてあって助かります。 毎年干支を題材にして、ジャンボ花絵がパンジーで作られています。合格祈願の花絵です。これは縁起がいい。目下、国家試験を目指している学生たちの勇気づけになります。 11月1日~翌年3月26日が入試合格特別祈願会があります。息子の大学受験は、親は何もできませんが、体力も気力も実力・・・風邪をひかぬよう怪我をせぬよう、心穏やかに過ごせるようにお祈りすることを許してもらいましょうかね
2011年01月03日
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あけましておめでとうございます。 お正月をしっかり休むのは久しぶりです。 学校は22日が終業で、冬休みになりました。今年の始業は1月7日から、私は、25日から5日まで冬休みです。 ゆっくりしているのに、年賀状は、例年通りに年末にギリギリだし、家計簿も早くつけていたのに、一年集計をして予算を立てたのは、大みそかが過ぎてしまいました。 例年と変わらない年末年始を迎えています。 反省しきりの年末です。 30日にお花の生け込みをしました。その間、夫さんは映画を観に行きました。 「武士の家計簿」を観てきた夫さんは、今年の予算を立てるときにいつになく細かいです。 帳尻をあわせてはならぬ・・・って・・・厳しいです。 新しい一年が始まりました。 今年は、娘が成人式です。 息子は、受験生となります。 「来年のお正月はないと思え」と、担任の先生からのありがたいお言葉の年賀状をいただきました(笑)。 更に変化してゆく我が家ですが、こうして新しい年を無事に迎えられたことに感謝して今年も自分の持ち場をしっかり働いて、みんなの幸福のために尽くしたいと思います。 今年もどうぞよろしくお願いいたします
2011年01月02日
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昨日は、一日あっちこっちに行きました。そして、熱くなったり冷たくなったり・・・ まず、朝一番から、息子の三者懇談。成績をいただきに学校に行きました。 確実に成績は さて、どうする息子くん。 お昼は、家に戻って夫さんと自宅でランチ 午後からは、日本在宅ホスピス緩和ケアネットワークの市民公開講座のお手伝いで、大和郡山市へいきました。 夕方からは、電車で西ノ宮のへアドラー心理学の仲間とカウンセリングのお勉強会。 今年最後の勉強会なので、夜はインド料理の「デリーキッチン」でお食事をしました 真っ赤なダンドリーチキンが辛くて美味しい!! カレーは美味しいんだけど、香辛料のせいなのか・・・・私の足の先が熱くなって靴を脱いでも熱くて、スト―プに近すぎてあたっているみたいに熱くなってきました。初めての体験。お隣に座っている先生は、顔から汗がいっぱい。 デザートにアイスと冷た~~いラッシ―を飲んだら、急に身体が冷えてきて、あんなに熱かった足の先も普通になりました。 西ノ宮北口の綺麗なイルミネーション。もうじきクリスマス。大好きな12月も半分以上、過ぎてしまいました。 師走はあちこちと走り回ってるけど忙しいのを楽しんでいる気がします。 忘年会の掛け持ちをしたというお友だちもいます。 あちこち行って、よく学び、よく遊べ、よく働き、よく遊べ~
2010年12月19日
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とうとう半世紀を生きた あと20年は生きれるといいな 10年は仕事をして そのあとの10年はまた別の仕事ができるといいな そのあとに続く人生があるとしたら そのときになって考えよう 「人生の折り返しで、あと50年生きてね。」 と、娘が言った。 人生に折り返しなどない。 あるのは、turning point いくつかの転機に私はよいと思う方向を選んだ 生まれた時の家族と今の家族 苦しいことや悲しいこと、辛いこともあった それ以上の喜びと幸せが重なっている 秋のアドラー心理学練成講座で子どものころの家族の話をした 母のこと、父のこと、そして妹のこと 生まれて初めて心の奥にしまっていた大切な気持ちを言葉にした お父さん、お母さん 産んでくれてありがとう。 妹へ 生まれてきてくれてありがとう
2010年12月14日
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先週、アドラー心理学の子育ての自助グループの寧楽の会のメンバーで忘年会をしました。奈良薬師寺の近くにあるイタリア料理のAMRITを予約して、ちょっとリッチにイタリアのコース料理をいただきました。 AMRITは、以前の日本懐石の萬京の面影を残した落ち着きと高級感がありました。奈良の歴史とイタリアの古い都のイメージがマッチした感じです。 前菜のアンティパストは、真鯛のカルパッチョ シャンパンは、残念だけど、私は、車で行ったので、真っ赤な食前酒はノンアルコールカクテル。窓の外に真っ赤な紅葉がライトに照らされていて、それをイメージして作ってくださいました。 次に出てきたワカサギのフリッター。柔らかくておいしかった プリモピアットは、広島牡蠣のパスタ 大粒の牡蠣。お皿の端が丸くへこんでいて、スプーンの変わりにしていただきます。 セコンドピアットは、仔牛のモレッアチーズ包み もう、だいぶんお腹がいっぱいだけど、やっぱりドルチェは別 フルーツのマリネとジェラード、それに紅茶をいただきました。 5人での会食ですが、それぞれの希望のお料理を出していただきます。コースですが、全て3~4種類の中から選べます。久しぶりに席を立つとすぐに案内がついてくださり、席に戻ると椅子を引いてくださる心遣いに嬉しくなりました。3時間半くらいかけてゆっくりお料理とおしゃべりと今後の寧楽の会のことを語りました。 来年、2月にアドラー心理学オープンカウンセリングの企画をしています。成功しますように
2010年12月13日
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現在高校2年の息子が、小学校6年生のときに500円玉をこつこつためて、いっぱいになったら10万円貯金できるという貯金箱を購入しました。 その貯金箱が、いっぱいになってもう入らなくなってしまったので彼は思いきって、金づちで叩いてこわしました。 20枚ずつで1万円の山が12個と残り11枚。全部で125,500円也 「いつの間にこんなに貯めれたの?」 「中学のときからは、毎月、お小遣いから500円づつ。でも、小学校のときにも600円のお小遣いから500円入れてたときもあったから、いつもお金がなかったよ(笑)。」 ちりも積もれば山となる・・・だけど、500円は決して少ないお金ではありません。息子のこの根気よさは尊敬します。 さて、このお金、どうするのか・・・最近、自分で開いたゆうちょ銀行に持っていくのだそうです。このごろは、ほしいものがたくさんあるみたいです。自分が貯めたお金ですから、きっと大事に使うことでしょうね。
2010年12月05日
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日曜日に夫さんと神戸の兵庫県立美術館で行われているザ・コレクション・ヴィンタートゥール展に出かけました。 大好きな印象派のルノアール、モネ・・・ ゴッホの郵便配達人はポスターになっているので何度も目にしているような気がするけど日本初公開なのですね。ガイドを聴きながら、スイスとドイツの印象派から近代絵画へと、20世紀のピカソとブラックのキュビズムから抽象へ、素朴派から新たなリアリズムへと流れるように観ることができました。 印象に残ったのは、オーベルジョノワの「オランピア礼賛」はオルセー美術館のマネの描いた「オランピア」との違いをみました。 あと、夫さんも私も絶賛したのが、ルソーも「赤ん坊のお祝!」です。これは、パンフレットから坊だけアップしましたが、「千と千尋の神隠し」の坊にそっくり。遠近感がなくて、巨大な赤ちゃんにみえるんだけど、腕のマッチョなところや怒ったような顔の表情から、どうしてこれがお祝に描かれたのだろうかと不思議に思いました。 でも、よくみると可愛いですよね。お土産のブースに、この坊やの金太郎飴がありました。なるほどな。日本にきて金太郎飴になっているなんてルソーもビックリするでしょうね。私は、お土産にこの「赤ん坊のお祝!」のマグネットクリップを購入しました。 午後からは岸見一郎さんのアドラーの講演会に行きました。講演会のことは、また改めて書きますね。
2010年11月29日
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友人がバイオリンを弾くオーケストラの定期演奏会に出かけました。会場は、琵琶湖のほとりにある大津市民会館なので、ちょっとした一人旅を楽しみました。 大津管弦楽団 第118回定期演奏会 1部ドビュッシ―作曲 クラリネットと管弦楽のための第1狂詩曲 クラリネットの独創 ・・・・クラリネットの音色は柔らかくて、か弱くかすれるような響き ・・・強く深い濃い音と ・・・懐かしい耳触りのする音にすっかり癒されました。 こんな風に音を奏でてもらえるクラリネットは幸せだな。私のクラリネットは、箱の中。もう、何年も吹いていない。吹く機会がないというか、クラリネットを吹く目的がないというのが、正直なところ。 2部管弦組曲「シルクロード」 喜太郎のシルクロードではなくて、團伊玖磨作曲のシルクロードです。 それぞれのパートは、自分のくるべき時をじっと待って、その力を発揮するということは、当たり前のことなんだけど、その時の他のパートがその時にメインになるパートが控えるというか・・・その微妙なニュアンスは、指揮者と奏者全員の協力だなと感じました。 この横に広がるホリゾンタルなオーケストラをみていて、チーム医療の在り方とも重ねて考えれるなって思いました。医師の指示のもとにそれぞれの職種がそれぞれの知識と技術を磨き、同じ目的(患者さんの幸せのため)それぞれの役割を果たすために協力するんだけど、その時、他職種の動きにも関心を示し、今、自分は何をするべきかを考えて、控えるということも協力なのではないかと・・・いいハーモニーは人々が調和するということだなと考えました。 3部音楽物語「窓ぎわのトッとちゃん」 原作は、1981年に出版された黒柳徹子の著書です。 トットちゃんは、徹子さんのことです。原作は、以前読んで知っているつもりでしたが、細かなエピソードは忘れているし、本を読んだときにも感動したと思うのですが、それさえも忘れていました。 「どうして、邪魔にするの・・・本当はいい子なのに・・・」 ナレーションの言葉に涙がこぼれました。一つこぼれると、続けてポロポロと流れてくる。音楽がそうさせるのか、初めて聴いたようなこの言葉にハッとさせられたのか・・・トットちゃんの気持ちに共感したのかもしれません。 トモエ学園でなされていた教育・・・そんな学園がないから・・・そんな先生がいないから・・・それなら、そんな教育ができる親になろう。そんな教師になろう。そんな地域の人になろう。たった一人でも、今からでも・・・そんな気持ちになりました。 家に戻って、私はクラリネットを出すことよりも、二階へあがって、本棚から納めてあった「窓ぎわのトットちゃん」を探し出しました。大好きないわさきちひろの絵。 ページをひらくと この本を、亡き、小林宗作先生に捧げます と、書かれてありました。小林先生について、知りたいと思いました。あとがきの中に小林先生のことが書かれてありました。その教育方針は、アドラー心理学の教育にも共通するものがあります。 どんな子も、生まれたときには、いい性質を持っている。 だから、早く、この「いい性質」をみつけて、それをのばしていき、個性のある人間に 子どもを先生の計画に、ほめるな。自然の中に放り出しておけ。先生の計画より子どもの夢のほうがずっと大きい こんな風にきっぱりと言い切れる教育。今、大事なんじゃないかな。 もう一度、かみしめて「窓ぎわのトットちゃん」を読んでみようと思います。 窓ぎわのトットちゃん
2010年11月14日
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毎朝、学校に近くなった住宅街の銀杏並木の黄緑色と黄色のグラデーションが美しく、運転しながらうっとりしてしまう。季節は移り変わるからいいんでしょうね。 国家試験の担当の先生が、学生の国家試験への気持ちを盛り上げるために日めくりカレンダーをつくってくださいました。とってもかわいいので、ブログに載させていただきました。 今日(11月12日)は、国家試験の100日前です。 保健師助産師看護師法(昭和23年法律第203号)第18条の規定により、第100回看護師国家試験を次のとおり施行する。 平成22年8月2日 厚生労働大臣 長妻 昭 1 試験期日 平成23年2月20日(日曜日) 2 試験地 北海道、青森県、宮城県、東京都、愛知県、石川県、大阪府、広島県、香川県、福岡県及び沖縄県 3 試験科目 人体の構造と機能、疾病の成り立ちと回復の促進、社会保障制度と生活者の健康、基礎看護学、在宅看護論、成人看護学、老年看護学、小児看護学、母性看護学及び精神看護学 今回の国家試験は、第100回 なんだか縁起がいい感じです。今年も全員合格できるように頑張ってくれることでしょう。 明日は、当校の入学試験です。 こちらも受験生さん、力を出されますように 「実習が終わっても次々に慣れない仕事ばかりで・・」と副校長先生からねぎらっていただき、ほっこりとするのですが、私にとっては、何もかも初めてのことだから、何でも喜んで協力しています。 役に立てたら嬉しいし 初めてといえば、今日は1年生に初講義をしました。夏休みから準備していたのですが、夕べは、90分の時間配分を考えて講義をイメージして一人でリハーサルしました(笑)。 講義に行く前に、他の先生方から勇気づけしていただいたおかげで、始めは緊張して声が震えました。でも途中から慣れてきて、時間通りに無事に講義を終えました。 ありがとう
2010年11月12日
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