クララ奇談

クララ奇談

大浦天主堂


<国宝 大浦天主堂>

大浦天主堂


住所:〒850 長崎市南山手町5-3

電話:095(823)2628

交通:長崎電鉄大浦天主堂電停から徒歩5分

ミサ:3月17日、12月24日のみ

開館時間:3月~11月 8時30分~17時(入場16:45)
      12月~2月 8時~18時(入場17:45)(年中無休)

拝観料:大 人250(200)
    中高生200(150)
    小学生150(100)
    ※( )は30人以上の団体料金

<沿革>

慶應元年(1865)1月24日に、フランス人宣教師プチジャン神父が、南山手の外国人居留地に住む外国人を対象とした教会として、西坂で殉教した日本二十六聖人に捧げて建てたもの。建築中から長崎市民はこの教会を「フランス寺」と呼び、見物にやって来ていた。
同年、3月17日、浦上在住の潜伏キリシタン数人が、「サンタ・マリアがいらっしゃれば、フランス寺の異人さんは、パードレ(神父)さまにちがいない!」という確信が生まれ、「サンタ・マリアのご像はどこに?」とプチジャン師に自分たちの信仰を告白した話はあまりにも有名で、「長崎の信徒復活」の舞台としてもキリスト教史上、名高い。
現存する木造建築の教会では日本最古の建物で、国宝に指定されている。ゴシック、バロック、クラシック様式に日本のなまこ壁の建築法を取り入れた、珍しい建物。内部は、荘厳の雰囲気の中、ステンドグラスが美しい。


信徒発見のレリーフ

信徒発見のレリーフ


<信徒発見~パリ外国宣教会本部に保存されているプチジャン神父の手紙より~>

「―昨日、12時半ごろ15名ほどの男女うち混ざった一団が、教会の門前に立っていました。ただの好奇心でやって来た者とは何やら様子が違っています。私は急いで門をあけ、聖所の方に進んで行きますと、見物人も後ろからついて参りました。
私が跪いてほんの一瞬祈ったと思うころ、40歳から50歳くらいの年頃の婦人が一人、私の傍らに近づき、胸に手をあてて申しました。
『ここにおります私たちは皆、あなた様と同じ心でございます』
(本当ですか?どこの方です、あなた方は?)
『私たちは、浦上の者です。浦上の者は皆、私たちと同じ心を持っています』
こう答えてその同じ人がすぐに私に、
『サンタ・マリアのご像はどこ?』と尋ねました。
サンタ・マリア!このめでたい御名を耳にして、私は少しも疑いません。今私の前にいる人は、日本の昔のキリシタンの子孫に違いない」
プチジャン神父と日本のキリシタンの子孫との出会いを『信徒発見』と呼んでいる。


マリア像

マリア像


<感想>

浦上天主堂、中町教会と比較すると、こじんまりとした小さな教会。
日本最古の木造教会というだけあって、聖堂内の木の色合いが良い味をかもし出していて、何とも言えずアンティークな雰囲気でした。コンクリートではなく、木造というのが、温かみを感じさせてくれます。
聖堂内は、テープによるわかりやすい解説が流れているので、事前に教会の歴史などを何もお勉強しなくても、行ったら、なるほどね~と理解できるでしょう。
聖堂内の天井は、ゴシック式らしく尖塔型で、天井が三角にとがっている。これは、人間の精神を天に高く引き上げるためだそうです。祭壇右手には、二十六聖人殉教の油絵が飾ってあった。
それにしても、フランシスコ・ザビエルの時代に日本にキリスト教が伝わり、その後のキリシタン弾圧に耐え、信徒だけで7世代にわたって(約250年間)、信仰を密かに守り続けていたことは、奇跡的だな~と思う。東洋という全くの異国でありながら、カトリックの教えが受け入れられ、その後、つらい迫害を耐え忍び、受け継がれてたのは、カトリックの教えが真理だからこそだと思う。本物って消滅せずに、必ず残るんですね…
キリシタンたちは、神父様との再開をどんなに待ちこがれていたことであろう。この大浦天主堂のもとで、プチジャン神父さまに、信仰を告白する場面は、想像するだけで感動的ですね。


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