クララ奇談

クララ奇談

如己堂


<如己堂>

如己堂


~如己堂について~

原爆で妻を失い、自らも白血病にかかりながら2人の子どもと暮らした永井隆博士の、わずか2畳ばかりの家です。
博士は被爆しながらも被爆者の救護にあたる一方、『この子を残して』、『長崎の鐘』などの著書で平和を訴えました。如己堂とはカトリック信者だった博士が、聖書の中にある「己の如く人を愛せよ」から付けたものだそうです。
堂の横に立つ、長崎市永井隆記念館では博士の遺品などが展示されています。

「如己堂…己の如く他人を愛す、という意味を名にとったこの家は、家も妻も財産も職業も健康も失って、ただ考える脳、見る目、書く手だけをもつ廃人の私を、わが身のように愛してくださる友人が寄って建ててくださった。そして今にいたるまで、その数々の友の如己愛は絶えずこの家に注がれ、それによって廃人の私は生命を確かにつないできた。寝たきりの私と幼い2人の子とが、ひっそり暮らすにふさわしい小屋である」(『平和塔』より)


わがいとし子よ

「汝の近きものを 己の如く愛すべし」

そなたたちに残す私の言葉は、

この句をもって始めたい。

そして恐らく終わりもこの句をもって結ばれ、

ついにすべてがこの句にふくまれることになるだろう。

     (『いとし子よ』より)

如己堂内部

如己堂内部


~感想~

本当に狭い空間で驚きでした!いくら戦後、貧し時代で、寝たきりで働けない境遇にあったとは言え、大学の先生でもある永井博士が、このような貧しい小屋を自らの住処として選択し、晩年を過ごしたその心理は、不思議なものです。
しかし、信仰のある博士にとっては、目に見える豊かさよりも、小さな空間の中で、愛する子供と共に暮らし、絵や随筆を執筆し、神と人々の平和のために祈ることこそが、博士にとっての幸せだったのではないか?と、ふと思いました。医師である博士が、被爆後、自分の余命が幾日もないことを十分理解したうえで、「自分が死んだら、わが子はどうなるのか?」と、孤児になる運命にある子供たちの行く末を思い、子らへ語り継ぎたかったことは、平和の尊さと、神への揺るぎない信仰だったのではないか?と感じました。隣接の資料館では、詳しく展示してあり、勉強になりました。
因みに、私が一番最初に観に行った映画は、『この子を残して』という、永井博士を描いた映画でした。十朱幸代さんが出ていたような…


© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: