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大好きな友人とお別れをしなければいけなくなりました。底抜けに明るくて、元気いっぱいで、色々相談にも乗ってくれていた大切な友達でした。彼女は地元に帰ってきてこれからリハビリに頑張ろうとしていた時でした。ただ今までとても言い表せないつらい治療に耐えてきたので彼女の体は限界だったようです。そんな姿を見られたくはないんじゃないかとか、どう声掛けたらいいのかなどのんきに考えている間に彼女は逝ってしまいました。考えてみると「また次の機会に」、「また今度」などと言っていてそれからずっと会えなくなった友人は、たくさんいます。今会えるのならその時に行動を起こさないといけなかったのです。相手が会いたくないなら断ってもらえばよかったんだと…とにかく今はさみしいばかりです。
2010年06月13日
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最近、気候のせいか体がだるくて仕方がない。もともと、夏が強いほうではないので家にいても外にいてもあまりに暑いと頭痛がしてくる夏バテかなぁ・・・バテているくせに、何かとイライラしたり気分の浮き沈みもあったり、これがマタニティブルーってやつかしら??子育てが始まって、はや四ヶ月・・・当たり前ですが色んなことに自信がなく一つ一つにグラついている自分が情けないというか頼りないというか・・・自分の方向が定まっていないので子供に申し訳なく思ったり・・・彼女とすごしている時間は、とても楽しく過ごせているんだけど一人になるといろいろ考えてしまう。旦那さんとゆっくり話したいけど、ここ最近仕事が忙しく彼もバテ気味だし。いつも「きょうはどうだった」と話を振ってくれるけどその日の子供の話をするだけでそれ以上の事がなかなか言えない。もう少し頑張ろう。自分ができることを考えよう
2009年07月23日
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バタバタと日々が過ぎ、気がつけば前回更新してからもうすぐ半年過ぎようとしています( ̄ー ̄; ヒヤリ前回、何を書いたのかもすっかり忘れてしまっていたので読み返すと、何とも中途半端な終わり方をしてました。内容もずいぶん前のことなのでここ最近の事を書こうと思いますえ~、前回おなかの中にいた赤ちゃんですがその後元気に育ち、今は隣の部屋ですやすやお休み中です3月17日に3010gの元気な女の子が産まれました自然分娩を望んでいたのですが、途中から逆子になってしまい、逆子体操やお灸・整体・逆立ちまでいろいろと試してはみたのですが彼女の意志は固かったのです。結局、予定帝王切開ということになりましたが元気に産まれてきてくれたので結果オーライかなと帝王切開と決まった時は、子供を作ることも産むことも一人前にできないのかとかなり落ち込みました。でも何を一番望んでいたのかと考えたときに自分たちの腕に子供を抱くことだと改めて気づき吹っ切れたような気がしました。その後無事退院したものの、なぜか生後17日目に右耳から耳だれが・・・。本人の機嫌はよく熱もさほど高くはなかったんだけど病院に連れていくと中耳炎とのこと。この時期、母乳からもらう免疫で中耳炎のような感染症は起こしにくいというのに、母親として何やってるんだ…といつもならここでかなりブルーになるのですが、まだ十分慣れていない授乳に加え、毎日の通院やら内服薬を飲ませたり、点耳薬を点したり、挙句内服では時間がかかるから抗生剤の投与のため入院となりめまぐるしい日々を送っておりましたそうこうしてあっという間の一カ月検診彼女はすくすくと育ち、問題なしと太鼓判をうってもらいました1ヶ月が過ぎると少し余裕が出てきたのですが、今度はお乳が足りないんじゃないかと実家の母が言いだして病院でいた時みたいに3時間もたずに泣いてくるしかわいそう・・・と横でうだうだ言われると母乳だけでいくと思っていたけど「それって私のわがまま?」とか思えてきて夜寝る前だけミルクを足していました。するとみるみる手首や足首には輪ゴムで縛ったようなくびれができ、ほっぺたはますます盛り上がり、気づけば自分たちの手首にはシップが貼られるようにいつも相談していた助産師さんにお乳の訪問をしてもらったときに聞いてみると、十分母乳が足りているのにミルクを足していたとのこと。それもミルクの缶に書いてある通りの量を飲ましていたのですがあのまま飲ませると多すぎるらしく一回に60~80mlぐらいでよかったらしい。そうとも知らずほぼ倍の量を飲ませており、2カ月を迎えるころにはもう5キロを十分に超えてましたそして完全母乳に切り替え、授乳時間はしばらく2時間おきでしたが最近では3~4時間ほどの間隔になり夜も少しまとめて眠ってくれるようになりました。今日丸々三ヶ月を迎え、BCGの予防接種に行ってきました。体重は6940gとなりオムツのサイズも今あるSサイズがなくなったら次からMサイズじゃないとダメかなっていうくらい立派な太ももに成長しました。首の座りはもう少しかな。でもあやすと笑ってくれることが増えてきて日々の成長に驚いています。ここからは完全な親バカ・おのろけばかり書きます。今までずっと待ち続けて出会えた存在だから余計かもしれないけど、いやどの親もみんなそうなんだろう。とにかく毎日飽きない。かわいくて仕方がない。できることなら力いっぱいギュって抱きしめたいくらい。たくさんキスをして、たくさんお話しして、たくさん笑ってそんな今の時間がとても貴重で大切なものだと実感する毎日。いま目の前にいるのに、もう三ヶ月もたつのに、不思議で仕方がない。私の体から出てきた新しい存在。自分の娘なんだなぁ・・・・月並みだけど、うちの子に産まれてくれてありがとう。頼りないママですがあなたが幸せに過ごせるよう頑張るのでこれからも末長くよろしく
2009年06月17日
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大変ご無沙汰しております新しい年になり早三日が過ぎました。昨年末に結構頑張って日記を更新したのですが、なぜか全部消えてしまい続けて打つ気力をそがれてしまいましたというわけで、時間ができたので昨年からの近況をまとめて書いてみようかと・・・去年の4月から職場でのチームリーダーとなり、結構職場での仕事の面白さも感じつつ過ごしてました。5月からはプライベートの方で不妊治療の病院を変えて心機一転。新しい治療に向けて、不安というより期待をこめて日々をすごしていたように思います。6月は初めてのAIHがうまくいかず、がっかり。仕事と治療の板ばさみで不安やイライラしていたりとしておりました。7月、神戸の方に研修に行きました。研修内容も良かったのですが、それ以上に一人でのんびり買い物したり、おつじさんと一緒に遊んでもらったりとかなり気分転換新しく買った靴を嬉しがって買ってすぐに履き、神戸の町を歩き回って靴ズレを作ったのも今となっては良い思いでということで・・・8月、7月にしたAHIがうまくいき、赤ちゃんを授かったことが判明。嬉しいやらびっくりやら、自分で妊娠検査薬を使用して陽性反応が出た時は、さすがに手が震えました。でも、こわくてなかなか病院には行けなくて一週間ほどたってから職場の先生に診てもらいました。仕事だったので最後に呼んでもらうようにして、診察室の前で待っている時には、もう感極まって涙が出てくるしで先生も驚いたと思います。「赤ちゃんいるねぇ、着床してるよ」といわれた時には、先生にエコーの写真見せてくださいってお願いして、「心臓動いてますか?」とか色々質問攻め( ̄ー ̄; でも、ほんとにうれしっかった。ちょうど主人が帰ってくる日だったので、仕事が終わってから「早く帰ってきてね。報告があるから」メールすると、すぐ電話がかかってきて「できた?」と一言。帰ってきてからちゃんと報告してエコーの写真も見せました。ただ二人とも実感がなくて、ほんとにおるん?と思ったり、まだ安心したらあかんと思ってみたり、複雑な感じでした。9月以降はまた後ほど・・今度は消えないで更新できるかな?
2009年01月03日
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6月のはじめに行なった初のAIHはまずは撃沈主人にも連絡すると「わかった、また一緒に行こう」とまずはどんな感じなのか、それに一回で授かるなら苦労はしない等々いろんなことを考えながら過ごしてきたのでリセットされたことが決定しても「やっぱりそう簡単でもないな」と思いました。思ってたんだけどねぇ・・・一人でいると心細くて仕方なくなりますまだまだ始まったばかり。今じゃないとできないことどんどんしないといけないのに・・周りの期待に潰されそう・・・愚痴りたいなぁって時は、電話して一方的に喋り捲っているのに、ほんとにただそばにいて欲しいと思う時にはなかなか言えないものです。
2008年06月17日
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5月から心機一転病院を変えて治療に望んでいます。とても有名な先生らしく、少しステップアップした治療を進めるにはこちらの方がいいのかなと思い病院を変えました。年配の先生ですがいろいろと話を聞いてくれて緊張していたんだけど少し気持ちが楽になりました。それで、去年まで卵胞のチェックも大阪の方まで行っていたのですが、電車で片道四時間診察してもらいに行っても排卵した後なんてこともしばしば・・・そこで今回からは勤めている病院で卵胞チェックのみお願いすることにしました。産科医の不足で正常な分娩を診察するのにも大変な状況だと思って気が引けていたんですが、前回の子供のことでお世話になった先生は「卵胞チェックだけでも大阪に通ってたの!大変だったでしょう」といってくれて、そういう診察もしているから気にしないでいいともいってくれたのでとても気が楽になりました。仕事中にも見てもらえるのでこの病院で診察してもらえるのはとてもよかったと思うのですが、あの待合室は今でもなんだか苦手で、忘れたわけではないけどだいぶ気持ちが切り替わっていたと思っていたのにあの空間にいると、待っている間に、毎回楽しみにしていた診察のことや心音が見えなくなった診察の時のことなんかが急によみがえってきて油断すると泣きそうになってしまって・・・あそこに通いたいと思う反面できれば行きたくない場所にもなってしまっているのかなぁと思ってました。結構、図太い神経を持っていると思っていたんだけどなぁ、自分でも意外に繊細?な部分を見た気がします( ̄ー ̄; これから年内はAIHを行っていく予定。とりあえず前進あるのみです
2008年05月30日
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今日は先週買ってきたお風呂場に置く棚を作ろうと朝から準備して主人と組み立てておりました。気持ちのいい天気だったので窓という窓を開け放ち、玄関も全開で空気を入れ替えながら作りました。私が不器用なのはもちろんのこと、主人も学生時代はがきの入らないはがき入れや物を載せてはいけない棚を作るなど数々の失敗があったので作るということにかなり不安があったのですがなんとか無事完成(≧∇≦)♪ちゃんとその使命が果たせそうなものが出来上がりました( ̄ー ̄; ・・・で、その作業を終えて「ちょっと一服」とお茶を飲み、借りてきたDVDを観たりしてゆっくりと過ごし。DVDが終わって二階に用事があり階段を上っていくと正面の窓ガラスにバタバタと黒い物体が外に出ようともがいていたのです。よく見るとツバメ。開けっ放しの玄関から入ってきたらしく、玄関の吹き抜けの部分にあるガラス窓でもがいていてそこは手の届かない部分なのでどうしていいかわからず私は思わず大声で主人を呼び、少し長めの棒で玄関の方に誘導していくとすごい勢いで飛び出ていきました。ホントびっくりした~。全く何も音がしなかったし、鳴き声をあげるわけでもなかったしぜんぜん気がつきませんでした。春になると思わぬ珍客が舞い込んできます。
2008年05月04日
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3月の末に、私宛にオレンジ色の大きな封筒が着いた。差出人は骨髄移植推進財団から「骨髄ドナーコーディネートのお知らせ」だった私がドナー登録をしたのはもう10年以上前、いつ登録をしたかもはっきりしないほど前まだ看護師になりたての頃だったとおもう。よく友達と献血ルームへ献血しにいっていた。そこで骨髄バンクについて知った。白血病でなくなった自分と年の変わらない女性の話を思い出した。大きな病気をすることもなく、健康に過ごしていた自分には想像もできないそんな生活をしている人に自分ができる唯一のことのように思えた。何も迷うことなくドナー登録の手続きをした。それから何年も音沙汰がなく、そんなすぐに見つかるもんでもないんだと思っていた。その後自分は結婚し地元に戻り、いつもと変わらない毎日を過ごしていた。そして先日、バンクに登録している患者さんのHLA型(白血球の型)が一致しドナー候補の一人に選ばれたという知らせが来た。とてもうれしくて、やっと自分が誰かの役に立てるような自分を必要としてもらったような・・・なんていったらいいか分からないけどとにかくうれしかった。命を産み出せなかった自分が誰かの命を救えるかもしれない・・・そんな大それたことも考えたりした。すぐに主人に電話した。自分はぜひしたいということ、これをするには自分だけでなく家族の同意がいるということ、移植は全身麻酔で行うためそのリスク、ドナーに決まればいま自分たちが行っている不妊治療は移植が終了するまで休まなければいけないということ、その期間は早ければ2ヶ月長い場合には(患者さんの状態などの理由で)10ヶ月になることもあるということ。自分はそのことをすべて納得した上でそれでもやりたいことを話した。話しているうちになぜか涙が止まらなかった。いつも自分がやりたいということに反対することもなく、いいよといってくれる彼がさすがに即答は避けた。「帰ったらもう一度話そう、それまでもう少し考えたい」と、それからうちの両親にはナイショでしようと思っていたがそれもちゃんと話さないといけないと・・両親に話すると、二人とも反対。もちろん私の体を思ってのこと。ただ患者さんのことを思うと複雑だけど、目の前の私がいなくなるような気がするといって母は断固反対。いつもの自分ならここで折れてしまうところなんだけど二人がなんと言おうと自分の決心は変わらなかった。結局自分の周りの人間で賛成のない中、主人だけは「あんたも俺も後悔しないように、もう少し骨髄移植についてどんなリスクがあるのか知ったうえで同意したい。一番心配なのはココアの体のことやから。」と頭から反対はしなかった。ただいろいろ話を聞くうちに主人は私の希望をかなえようと気持ちを整理してくれていたけど私はそんな彼の気持ちを汲んだことがあったかって考えた。自分の希望を主人に一方的に押し付け、断れないような状況を作っていた。私は子供のことについてはあきらめたわけでもないし、欲しいという思いは変わらない。この半年から一年という時間は自分の年齢を考えるとゆっくりできる年ではないことはわかっていた。それでもいま自分の骨髄を必要としている人がいるならそれは全然もったいないとは思わなかった。ただ、主人は自分の年齢や仕事のことを考えるとそうは言い切れないところがあった。それは当たり前のこと。とても悩ませてしまう結果となった。その上彼だって欲しいと思っている子供のこともまるで自分ひとりのことのように決めようとしていることに話をして気がついた。結果として今回のコーディネートは見送らせてもらうことになった。患者さんを見殺しにしてしまったような気分。ここに書いたのはすべていいわけ。どんなに悩んだところで結果は見送ったという事実。思うことは患者さんにドナーが見つかり健康を取り戻してもらいたいということ。ただただそれだけを望みます。ドナーになることって、自分だけの問題ではなく周りの人間の協力もあってのこと。そのことを痛感した出来事でした。
2008年04月03日
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ご無沙汰してます。お休みしていた間、仕事にプライベートにとバタバタ過ごしておりました。ここ2年ほど遠出といえば大阪にいるお義父さんとこか妹のところに行く程度の距離しか移動していなかったのですが、『もうそろそろどっかに行きたい。一泊でいいからどっかに行こうよ』といっていたら、来週三泊四日で沖縄に行くことになりました妹夫婦が去年から誘ってくれててうちの父もはじめは行く気になってたんだけど、結局飛行機がイヤと駄々をこねてキャンセルになっていた話なんです。でも父以外は行く気になってたので、結局妹夫婦とお姑さんうちの母と自分たち夫婦の六人でいくことになりました。妹たちは向こうに友達がいて、時々行ってるんだけど私たちは初めてなのでかなり楽しみにしているんです。全部彼らが段取りしてくれてるし、旅のしおりまで作ってくれているらしい。ただ海に入るかもしれないから水着持参らしい・・ここ何年も海に行くこともなかったので、かなり年代物の水着しかないしそれ以前に水着着ていい体にしないといけないということに焦りを覚えていますでも、久々の旅行だ~楽しんでこよ~
2008年03月02日
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2008年 今年も始まりました。今日が仕事始めなんていう人も多いんでしょうね。私はやっと、連休です。お正月からの5日間は飛び石のお休みだったので、どこかに出かけることもせず初詣と親戚のおうちに年始のご挨拶に行った程度。うちの実家でお雑煮を食べた時が一番お正月を感じたかなぁ・・( ̄ー ̄; 昨年末の我が家では、『脱メタボ』と称して主人の体質改善を図ってました。0.1tが目前に来ていた彼でしたが検診で引っかかりようやく自分から何とかしようと思ったようです。とりあえず、缶コーヒー・チューハイ・スナック菓子をやめました。禁煙もお医者さんから言われたんだけど節煙って事で今までの三分の一の量まで減らしてくれました。食事の量も今までより少し減らし一ヶ月半で4キロの減量に成功。体脂肪については30%近くあったのが23~24%程度まで減りました。もう少し運動したら80キロ台も夢ではなくなってきました見た目はあんまり変わってないんだけど、健康になってくれるのが何よりです。ただ、今まで週末帰ってきたら「飲もう」とお誘いしても乗ってきてくれたのですが、最近は「お茶でいいよ」とかわされてしまうのがちょっと寂しいような・・メタボに拍車をかけていたのは私
2008年01月07日
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書いてた日記、秘密日記に移動しました最近、何度か更新しては愚痴っぽいことばかり書いてしまい、結局消してしまうことが多いです。なにか書くことないか考え中・・・
2007年10月15日
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実は先週の話なんですけど・・深夜勤務で仕事をしていた朝方、夜中に降っていた雨も上がりようやく日が差してきて「朝ですよ~、おはようございま~す」と各部屋のカーテンを開け回ってました。そしたら目の前にとっても大きな虹がかかっていたんですそれも二重でもうテンションあがってしまって、ほかのスタッフやローカ歩いている人もちろん横で寝ていたおじさんにも声かけてしばらく観てました。はじめ「写真、写真」とを探したんだけど仕事中で持っているはずもなく、仕方がないので自分の目にでも焼き付けておこうとゆっくり堪能しました・・・・・ (・・。)ん? もちろんちゃんと仕事はしましたよ(笑ここに載せられないのが残念なんだけど、本当に大きな二重になった虹で、目の前の駐車場から生えて?立って?いてそれが隣の老健施設の屋上を通り越してその隣の学校の駐車場まできれいな半円を描いててね、・・・あんなに近くで大きな虹見たことなかったからうれしかったなぁただそれだけ、忘れないうちに書けてよかった
2007年09月23日
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かなり暑さ厳しい今年の夏、皆様いかがお過ごしでしょうか今年は数々ある花火大会はことごとく仕事で観にいくことができず、ふてくされていたら「そんなに花火が観たいなら・・・」と主人が花火買ってきてくれましたその日は熊野市というところでかなり大規模な花火大会のある日だったのですが、仕事で観にいけないのでこじんまり家花火です。大きな音の出る花火や打ち上げたりするのがないほんとにシンプルな花火ですが片手にほっとしていると子供の頃やった花火とはまた違う味わいがあるものです。とはいえ、大空に上がる花火もみたかったなぁ
2007年08月21日
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今日は夕方、土砂降りの雨が降りました。前が本当に見えないほどの雨だったそうです。この雨で人生が変わった人たちがいます。この辺では脳外科の医者がいないので、それはそれはたくさんの外傷の患者さんが運ばれてきます。当たり前だけど交通事故の患者さんも入ってきます。今日みたいな土砂降りの大雨が降った日に歩道のほとんどないような道で確かに前もみにくくなるような雨の降り方だったらしいけど歩行者が跳ねられました。被害者もその家族も加害者もその家族もほんの数時間前まではふつうの日常生活を送っていたのにその瞬間すべてが変わってしまいました。患者さんも事故を起こした人も特別な人じゃなく身近にいるようなそんなひとです。自分もそのどちらの立場にもなる可能性があるってことなんです。今までは、病気になって治療してそれでも病状がよくならず徐々に『死』というものについて考えたりしていく患者さんや家族を看させてもらうことが多かったんです。でもここは、そうじゃなく患者さんにしても家族にしても突然起こった出来事を把握する時間がありません。あまりにもバタバタと事が進んでいきます。なんかそんなことを考えていたら眠れなくなってしまいました。そういうことが続いたのでちょっと気持ちが萎えてしまいました。全く何年看護師やってるんだか・・情けないなぁ
2007年07月10日
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ただいま大阪へ月2~3回通院してます。始めたばかりだけど片道4~5時間かけてはまだ慣れてるので気にはならないんだけど、自分の体調とあわせて病院に行く日にちを決めるのが結構難しい。何とか調整しても結局排卵したあとで予定していた検査ができないとかそんなことも少なからずあります。ふつうはまた翌日来て下さいとか体温が下がったら来て下さいとか言われるけど、それにはこんだけ遠いとなかなかその日にいくのは困難です。『前もって』という予定が立たないから・・近くにあるならその病院に通うことも考えたけど、それを専門ってなると数少ないのが現状です。年齢的な事もあるからゆっくりというわけにもいかないし。病院の看護師さんに相談しても、今何を優先して考えるかみたいな返事で。確かにそうなんだけど仕事はやめられないしでも子供は欲しいし・・こんなことが欲張りな願いになるだなぁ先日、卵管造影の検査をしてもらいました。前回受けたのが5年前でそのときは不快感はあっても痛みはあまり感じなかったので今回もあまり痛いというイメージをもたずにいきました。台の上に上がり横においてあるモニターで造影剤が入っていくのが見えるようになっていました。「余裕があったら見てていいよ」といわれてたので見る気満々でモニターの方を見てました。そしたら前回感じなかった強い痛みが左の下腹部にでてきて、「あれ~??痛いかも~」と思ったら造影剤も片方にしか流れていないのが見えました。翌日のレントゲンの後に今回の検査結果も説明してくれるということだったので妹の家に帰りましたが、それでも翌日までおなかが痛いし、明らかに前回受けた感じとは違ったから結果は予想できました。左の卵管が完全に詰まっていました。痛いはずです。詰まってたら痛いらしいよって話は聞いてたけど確かにそうでした。来月通水の処置をしてもらいます。通ってくれれば痛いのも我慢で来るんだけどな。
2007年07月03日
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今日は先日天国に行ってしまった子が生まれてくるはずの日でした。いなくなってしまってから納骨せず、ずっと家に一緒にいました。せめておなかにいる予定だった日まではそばでいたかったので・・ただずっとここにおいておくのも、この子が落ち着かない気分でいるんじゃないかと思い、今日納骨してきました。以前日記にも書いた私の実家のお墓にです。そのお墓には、祖父母が入っていて私にとってはとても安心できる場所なのはもちろんなんだけど、主人も生前から二人のことはよく知っていたので「ここに入れてもらえてよかったな」と感じてもらえたことで本当に心から安心することができました。また、小さなおもちゃとお菓子をお供えさせてもらいました。喜んで遊んでくれてるといいなぁ・・・ただね、寝る前にふと今日までお骨があった場所に空間が開いてるのがなんかちょっと寂しいような気がした。泣きそうになったので少しこれを書いてみました。もっともっと、強くなろ!この子の事ではもう泣きたくない。この子に「よしよし、頑張ってんな(笑」って思われるようにがんばろ!
2007年06月03日
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先週金曜日から4連休があったので、大阪に行ってきました。・・で、前々から紹介されていた病院に主人と一緒に行って来ました。地元でも病院にかかったこともあったんだけど、産婦人科の医師自体少ない状況で、まして専門的に見てくれる施設も近くにないし、年齢的なことや二度の流産のことを考えるとここらでちゃんと見てもらうべきかと思って・・・でも話には聞いていたけど、患者さんがたくさんいるのに驚きました。採血とエコーをしてもらい、次回早速卵管造影の検査だそうです。基礎体温も持っていってたけど、二層性には程遠い形先生はそれを見るなり「これみてどう思う、これじゃあかんよな。これを治していこうな」しばらく「あかんよな」って言葉ばかりが頭から離れず、「あかんのやなぁ・・やっぱりあかんのか・・・」ばかり考えて先生の話が耳に入ってこなかった。その後しばらくしてから、「大丈夫やで、ちゃんと治るからがんばろな」って言ってくれたときは「よし!頑張ろう」って・・・全く単純な性格前回のこともあるから不育症の検査も早い段階ですることができるとのこと。遠方から来ているからといろいろ配慮してくれました。確かに、距離的なことや金銭的なこと仕事の調整など前途多難であることは覚悟してる。結果が出るまでにどれだけかかるかもわからない。でも、自分たちがやるだけやったって納得できるまでやってみようかと主人と話した。それでだめならあきらめようと・・・彼は最初自然にできないのなら無理に作ろうとしなくてもいいんじゃないか、と思っていたみたい。私自身も自然に逆らうようなことはしなくてもいいんじゃないかと思っていたりもした。でも、自分の体のせいで彼に家族を作ってあげられないのが申し訳なくて、自分の体を治す事でそれが可能になるんなら頑張りたいと思うようになった。ただただ,欲しい欲しいとないものねだりしているつもりはないんだけど。親になることってとっても大変なことだと思う。(きっと想像以上に)楽しいことやうれしいことばかりじゃないだろうし、責任もあるし守っていかないといけない。子供を育てて一人立ちさせていくって並大抵なことじゃない。家族のいやな事件もたくさんある。自分が例外なんて保障もない。自分たちが親になれる資格があるのか、不安も多いけど今こうやって家族とか親子について考えてることってきっと自分には大事なことなんじゃないかって思う。だんだん、なに書いてるかわからなくなってきた( ̄ー ̄; ヒヤリとにかく、もう一度我が家の家族作りをはじめます。
2007年05月22日
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四月に入って新しい部署に変わり何とか過ごしてます。仕事の内容はそんなに変わっているわけじゃないんだけど、でも方法が違ったり、物ひとつ探すのに手間取ったり、時間の使い方がいまいちわからなかったり、注射伝票の取り扱い方が今までと違ったり等など・・・上げればきりがないけど、まだまだドタバタと毎日過ごしてます。四月に入って一番変わったことといえば、出勤時間。今までは始業の15分か20分前に病棟についていたのが、今は40分から早ければ1時間前には出勤しています。(もしかしてそれが普通なのかな?)どうも緊張しぃなところもあるのでちょっとでも早く行って仕事しようと思っていたら、ここの部署の人みんな出勤時間が早い。( ̄ー ̄; ヒヤリでも、そんな朝起きるのつらくない。まだ慣れてないんだな・・目覚まし鳴る前に目が覚めてるもんなぁ人間関係は・・・・どうなんでしょう?今はそこまで見てる余裕ないし、気にはならないんだけど・・・あとは腰の状態・・・かなりきつい。・゚゚・(>_
2007年04月12日
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二年間、お世話になった先生が四月から転勤になりました。とっても気さくで気の合う先生だったので残念で以前から飲みに行こうといっていたのですが、なかなか合わずやっと今日いけることになりました。医局主催の送別会には行けなかったので、こじんまりと内々でしようということになっております。自分自身も異動になるし今月末は何かとお食事会が多くなりそう(笑年度末になり、何かと慌ただしいこの時期ってどうも苦手。変化することになかなか体がついていけないのです。この仕事をしていて初めての異動体験前の病院でも7年全く異動なかったしなぁ。もちろんぜんぜん知らない人たちばかりではないんだけど、出来上がっている人間関係の中に飛び込むのってやっぱり苦手だなぁ・・来る者はぜんぜん拒まない方なんだけど、自分が来る方になるとかなり大人しくなるんだろうなぁまぁ、新人さんと一緒になって頑張ろ~っと
2007年03月21日
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長い長い冬休みを終え、明日からが今年の仕事始めです。こんなにのんびりした長い休み。今までありませんでした。結局旅行に行くでもなくほとんど家で過ごしていたんだけど、おかげでお家の中がスッキリ!今までやっていなかったつけを払った感じ( ̄ー ̄; ヒヤリ毎回毎回いやいややっていた片付けでしたが、今回は珍しくやってて楽しかった。今のところまだ嫌気がさしてません(笑いつまで続くことやら・・・それで今日は自分へのご褒美で(やたらとご褒美の多い人なのです)美容院で頭皮のマッサージをやってもらいました。始めに人にシャンプーしてもらって、その次『洗髪機械』みたいなのに頭入れてもう一度洗ってもらって、後は頭皮と首から肩にかけてのマッサージ。頭皮のマッサージはまさにアデランスのCMみたくしてくれたり、イオンマッサージ?で汚れを取ってくれたりしてすっごい気持ちよかった。でも一番気持ちよかったのは、やっぱり肩もみ。ということは整体に行ったほうがご褒美になったのかも・・でも、ちょうどポイントが貯まっててお安くしてもらえたし・・うふ♪(* ̄ー ̄)v仕事始めてから一ヶ月以上仕事休んだことなんてないから、ちゃんと体が動くか心配です。「働かざるもの食うべからず」「貧乏暇なし」の我が家ですから、頑張らないと!昨日用事があって久々職場に行ったら、みんな快く迎えてくれて本当にありがたかった。自分を必要としてくれる人(って書いたらとても大袈裟なんだけど)がいたこと、自分の事心配してくれる人がいるってこと、とても大事にしていきたいなぁと思ってるわけです。ホント、頑張ろうっと
2007年01月31日
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先週の土曜日、うちの実家がお世話になっているお寺に行きました。ラブを供養してもらうことと、位牌の代わり?のお地蔵さんを頂きにいってきました。(ちなみにラブとはなくなった赤ちゃんのことです。みんなに愛された子だったので・・)本当は主人の実家の方のお寺に行くのが本当なんでしょうけど、いろいろありまして・・・それで日高の方にあるお寺まで私たち夫婦とラブと初ドライブ。ラブを抱えているとなんだか不思議と落ち着いた気持ちになりました。とってもいい天気でなんか本当に三人でドライブしているような気持ちになってとても楽しかった。それでお寺に到着。とても丁寧にしてくれるお寺さんで、実家での法要のときなんかは息子さんのお坊さんが来てくれるんだけど、100歳近いお父さんのお坊さんも現役でそのお父さんのお坊さんがお経読んでくれたりしたんだけど、時々寝ちゃったかな?と思うような間があったり、歩いているときに袈裟が絡まって何か落としそうになってたり、私たちの近くに来て腰掛けるときお地蔵さんこかしちゃったり・・・後ろで見ていてヒヤヒヤものでした。とても丁寧にお地蔵さんの説明をしてくれたりしてとてもしっかりとしてるんだけど、なにせ耳が遠いのでこちらからの質問はうまく伝わりませんでした(苦笑(あとで息子さんにこたえてもらいました)とっても長いお経だったんだけど、本当にとっても長かったんだけどちゃんとお祈りしていただいて、ありがたいなぁと思いました。(ホントですよ。決して『長すぎ!!』なんて思ってません)ぜひ長生きしてほしいものです。おうちに帰って早速お地蔵さんを飾りラブのお骨もそばに置いてお花を供えました。(ゴンタさんのところ勝手に参考にさせてもらいました。すいません)まだ納骨はできないでいるんだけど、暗い気持ちを引きずっているわけじゃなくてこの子が生まれるはずだった日まではなんか手元においておきたい気がして・・でもなんだか一段落です。
2007年01月29日
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気づけばこのブログを始めて二回目のお正月を迎えました。のんびり気が向いたときにしか書いてないので、ここに日記を書くようになって一年はもうとっくに過ぎていたんだと今気づいたし・・( ̄ー ̄; 今年ももっともっといい年になりますように、今年は自分の生活をリセットする年にしよう。今までのよくない習慣(いやなことは後回し・時間ギリギリの行動・だらだら生活等など)上げればきりがないけど全部修正することは絶対無理なのでせめてひとつ・・・食生活の改善!!なんてしてみようかと思ってます。三食きっちり食べてなかったり、夜勤明け真夜中にお菓子食べまくってたり、つい「外へ食べに行こうか」などと持ちかけたりそういうことを減らす!(ゼロにするという高い目標を掲げるとその目標につぶされる・・・)さて、三回目のお正月もここが続いていたらどんな結果になっていますか(笑
2007年01月02日
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やっぱりやだね、産婦人科でももう普通に過ごしていいって。お酒もよし 温泉もよし長距離ドライブもよしとのこと年明けはしばらく旦那のいる松阪で過ごすことになりそうです。退院してからシャワーしか入れなかったので、早速念願のお風呂に浸かれるのがうれしい 最近寒かったからシャワーだけじゃ物足りなかったんです。とりあえず再び長期でお休みを頂いたため診断書を渡しに職場へ・・すると、心配そうに気遣ってくれる人、冗談言いながらリラックスさせてくれる人、とっても優しい笑顔で会いたかったよっていってくれる人、そしてうちの主任さんは「えらかったね、仕事もえらかったんやろ、ほんとにごめんね」と涙ぐんでくれる人まで・・・ありがたいなぁと素直に思いました。いいスタッフに恵まれました。早く元気になって恩返ししないとね妊娠したあととてもフォローしてくれてたので謝ってもらうことなんて全然ないのに。泣きそうになってたら先に泣かれてしまったので涙が引っ込んじゃいました。(笑そして病院の会計をしようと歩いていると以前同じ職場だった子と会いました。彼女は私よりもずっと若いのですが、不妊治療に専念したいからと三年ほど前に職場を退職しました。それからもちょくちょく連絡とっていました。つらい治療もたくさんしたみたいだけど今は少しお休みしていてリフレッシュ中ということ。その彼女も妊娠のことは知っていたので、だめだったことを伝えました。「まただめになっちゃったよ。残念だったけど。。。でもだいぶ落ち着いてきた」といつもと同じトーンで話してたら、彼女はその間ずっと目を見てうんうんってただ頷いて「大丈夫、わかってますから」っていうんです。「ありがとう」っていうのが精一杯でした。それ以上そこにいたら今度こそ号泣しそうだったので「またね」って帰ってきました。「あなたのことわかってるよ」って言葉ってとても安心する言葉なんだなって改めて知りました。そういう言葉や気持ちが伝えられる人間になりたいなぁ
2006年12月28日
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とうとう今日だ退院してから初めての診察まだ下腹部が少し痛むけど、こんなものなのかもって感じで診察そのものには不安は感じてない今不安に感じているのは、あの待合室に一人で座っていられるかということ。自分では整理がついたような気がしていたんだけどなぁあの空間はとっても幸せを感じている人たちがたくさんいて、つい何週間前までは自分もその中の一人だった。人と話しているときは気も紛れるし、考え込まなくてすむ。家で体動かしているときも別に悲しい気持ちになったりせず、笑ったり、ご飯食べたり普通にできるのに・・・優しく気遣ってもらうのが申し訳ないほど元気なときもあるのに・・・テレビから流れている歌を聴いて涙が出たり、誰かが言った一言にこだわっていらいらしたり、自分でもよくわからない状態になっている。体は元気なんだけどな~。考えるとへこむから考えることを避けてきたところがある。へこむと泣き出すときがあるから、できるだけ人前では泣かないように努めた。その分サトさんの前では泣いてばかりで・・・考えるときは前向きに前向きにって一生懸命思ってきた。だから誰かがお見舞いに来てくれても『大丈夫、元気だよ』って笑って話もできた。それで整理がついたと思ってた。もともと根に持ったり考え込む性格でもないし、単純な性格だからもう少し上手に気持ちが切り替えられると思ったんだけどなぁ・・・大丈夫なはず
2006年12月27日
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頭の中がまとまんないですここ二ヶ月ほどずっと仕事関係で何かとバタバタしておりましたでもず~っと書きたくて仕方ないことがあって。。。でも期日のある仕事をしていて、私の性格上ギリギリまで行動を起こさない人なので溜まりに溜まってしまい日記を書くところまで手が回りませんでした。先週その仕事もようやくめどがついたので、やっと書けると思っていました九月の半ば頃から体調の変化があり、「あれ??」と思い、検査をしたらなんと赤ちゃんができてました。かなり長いこと待っていたので本当に待望のことでした。でも、二年ほど前一度早い週数での流産の経験があったのでうれしい反面安心はできませんでした。5週目にはいる頃病院で診てもらいエコーで胎嚢(赤ちゃんが入る袋)ができているとわかったときは信じられなくてうれしくて・・・その日サトさんがうちに帰ってくる日だったので、帰ってくるまで黙ってようと思ったんだけど私の口はどうしても黙っていられずつい電話してしまいエコーの写真まで写メで送信受話器の向こうで「え~!!マジで~、これ(エコー)なに~!!」って喜びの声というよりはただただ驚いている様子でもこっちまでじわじわとうれしい気持ちになってきましたお互いの両親にはもう少しこの妊娠が確実なものになってから報告しようということになり母子手帳をもらった頃に報告。本当に本当に喜んでくれました。特に驚いたのが私の妹に報告したとき。「実はね、子供できたよ」「え~、ほんまに!!あ~、よかったね~(の後言葉にならず号泣) 私ね、いっつも神様にお祈りしてたよ、おばあちゃんから一度だめだったこと聞いてたから 絶対次元気な子が生まれるようにって、本当によかったね」って前回だめだったことは私たち夫婦だけのこととしてほかの家族には話さなかったんだけど、唯一今年二月になくなった祖母にだけは話していました。後で聞いた話で私が話してから一年ほどあとに親や妹に話しをしていたそうです。その祖母も曾孫ができることをとても楽しみにしていたのでこの報告ができればどんなに喜んだかなと思いました。それから検診のたびに少しずつ順調に大きくなっているエコーの写真をそれぞれの両親や妹に送りつわりが始まる頃ご飯が食べられないことですらうれしく感じたりこの頃から、以前より夢だった助産院でのお産をするため3代目ヒサシさんの奥様のところにもお邪魔させてもらいました。できることなら自然な形で出産したかったんです。実際のお産の写真を見せてもらったりして、「自分にできるかな?」って不安はあったけどでも改めてこのおなかの中に一人の人間がいるなんてすごいことだなって思ったんです。なんていうんだろう・・・文章にすると恥ずかしいけどあったかくてとても幸せな時間を過ごしました。リリー・フランキーさんの「東京タワー」にこんな文章があった(抜粋ですが)『当たり前になれると思っていたその「当たり前」が、自分には起こらないことがある。・・・・難しいことじゃなかったはずだ。叶わなかったことじゃなかったはずだ。人にとって「当たり前」のことが、自分にとっては「当たり前」ではなくなる。世の中の日常で繰り返される平凡な現象が、自分にとっては「奇跡」に映る。歌手や宇宙飛行士になることよりも、はるかに遠く感じるその奇跡』私にとっては平凡なその日常生活が奇跡だったもっと大事にしなきゃいけなかった。当たり前ではなかったはずなのに安心するのはまだ早かったはずなのにね・・・忘れてしまってた。どんだけ考えたところで現実は変えられない。昨日、少しおなかが痛むような気がしたので仕事の合間に診察してもらった。いつもなら内診しながらすぐエコーの画面を見せてくれるのに昨日はなかなか見せてくれない。実は先週の金曜日が定期受診でそのとき心拍が見えなかった。昨日の診察で完全に動いていないことが確認されてしまった。その瞬間から泣けて仕方なかった。サトさんに電話したら仕事上がりですぐ家に帰ってきた。帰ってくる間車の中でどんな気持ちだったか考えると申し訳なかったけど、そばにいてくれて本当に助かった。結局ここで休み4時過ぎに松阪に帰った。道中がやっぱり気になるなぁ私は明日入院して処置の準備をするらしい。病院には勤めてるけど、自分自身は初めての入院だ。まだなかなか次のことは考えられないけど、この子が与えてくれた親としての時間はサトさんや私にとって本当に幸せな時間だった。私のおなかの中に来てくれてありがとう抱っこできなくてごめんねいろんなこと考えてたら結局眠れなかったなぁ。一気に吐き出したように書いたら読むの億劫なほど長文になっちゃった( ̄ー ̄; ヒヤリ
2006年12月11日
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とにかく、人を驚かせたりするのが結構好きだったりするんですが・・・今回は、父の誕生日にサプライズを計画しました妹夫婦がちょうど休みが取れると言うことでそれなら父のお祝いもしようかと言う事になったのです前回、母の誕生日で驚かせようとしたとき、直前で父がばらしてしまった事があるので今回は両親ともに黙って行うことにしました。母には私たち夫婦がお祝いをするから、父に予定を空けておいてもらってとだけいい、妹たちがくることを黙っていることにしました。毎年父の誕生日を忘れてしまう私がお祝いをするといったものだから、それだけでも母は驚いていましたが、彼女もこういうことが結構好きなので一緒になって楽しんでいました。ただ母もうそをつけない性格と言うかすぐに顔に出ると言うか私と父の顔を見比べながらニヤニヤしたりするのでばれないかと冷や冷やしてました。でもこの親にしてこの子ありと言うか・・・・妹たちが来る当日、母についぽろっと言ってしまったんです・・・妹たちが来るの・・・( ̄□ ̄;)!!それから母のニヤニヤがもう止まらない( ̄ーÅ)ホロリ妹たちには怒られるし父にばれないかとひやひやものだしホント疲れた・・・父もなんか母の様子がいつもと違う気はしていたみたいなんでけどあまり深く考えなかったみたいで当日、両親と私たち夫婦と一緒にお寺におまいりに行ったとき、背後から妹夫婦もお参りしてて驚かせるようにしました。ビデオにその瞬間を収めたんだけど、人って驚いた時『目が点』になるって本当だと思いましたそれから夕方実家でお祝いパーティの準備。父たち男性は三人でマージャンしながらなんだかわいわい。息子がほしかった父はなんだか始終ハイでとても喜んでくれたようです。最後にケーキを食べるときプレゼントを渡したんでけど、そのプレゼントが父と息子達おそろいのジャージ。三人並んで着たら、大中小と面白いぐらいにそろっていて、大中に囲まれた小の父は全く子供のようでしたそこでもうひとつサプライズ!!( ̄∀ ̄*)イヒッ実はその日の翌日妹達夫婦の二回目の結婚記念日だったのです。具体的な日にちは忘れてたんだけど「そういや十月だったよね」と夫と話しひそかに準備をしていました。まさか翌日が結婚記念日とは思ってなかったんだけど・・・・父と妹夫婦と喜んでくれたでしょうか?でも普段話好きなほうなので黙ってなきゃいけないことがあるっていうのは本当に疲れるおかげさまで開放された後はぐっすり眠りました(@ ̄ρ ̄@)zzzz
2006年10月11日
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行ってきました。今流行りの岩盤浴!!冷え性なんかにいいと効いたので一度行ってみたいと思っていたところ近くにできたので深夜明けで行ってきました眠ってしまうかなぁとも思ったんでけど・・・甘かった。・゚゚・(>_
2006年09月05日
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結婚前に買ったパソコンの具合が悪くなりそれでも騙し騙し使っていましたがとうとう買い換えることとなりました。でも、でも・・・パソコンが置いてあるこのお部屋には、クーラーがありません( ̄ーÅ)ホロリ連日の猛暑でしかも唯一この部屋が涼しい夜間の仕事ばかりが続き、せっかく買ったのにずっと動かせないでいましたパソコン買ってしまったのでクーラーに出せるお金があるはずも無く・・・クーラーのある部屋にパソコンを移そうかとも思ったけど、部屋の片付けが間に合わず結局暑い部屋のまま置いておくこととなりました。一度つないでもらったコードをはずしていいのかもわからないし…と言うわけで、次回の更新は涼しくなる頃になるかもなぁ( ̄ー ̄; (やっぱり季刊誌だ、この日記・・・)
2006年08月08日
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人に見えてる自分の印象ってあまり当てになるもんでもないなぁってハイ、とっても唐突に書き出してしまいましたなんだかなぜか耳につくんです。「ココアさんらしいね」とか「ココアさんらしくない」とかそう言われる事に・・・別にそれに嫌悪感を感じるわけじゃないんだけど、自分で自分のことよくわからない部分があるから人に言われて「あぁ、こういうことが私らしいのか~」と気づかされたりする時もあるし例えばよく「怒らないよね」とか言われる自分では怒ってるんですよ。とっても!!ただ怒るタイミングが遅い(^▽^;)怒るような出来事があったとしてもその場では全然わかってない。だから笑っていられたりでも、あとからじわじわと「あれ?・・・あれ~!ムカッ( ̄∩ ̄#」って感じになったりするでも、時すでに遅し。相手もいなければ状況も変わってたり・・・で、時間が経つと自分も少し冷静になったりするけど、爆発できなかった自分の怒りは確実に残ってたりする。でも結局表面には出てこないので「怒らない」自分と言う印象になってしまう表面に出していないことを人にわかってもらおうとするのってかなり難しいでも見えてない部分が結構大事だったりする。見せてないけど、見つけて欲しいと言うかそういう部分だったりする。周りの人みんなにじゃなくても自分が大事だと思っている人にはこっちも伝える努力しないといけないんだろうなぁ自分が考える「自分」って言うのを考えてみた・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここには書けないやな自分や愛すべき自分がたくさん出てきた(( ̄ー ̄; ヒヤリのでちょっと非公開日記を使って保存だんだん何をかいてるかわからなくなってきちゃった(汗要するに、休みで出かけようと思ったのに雨、風、雷で出かけるのが億劫になってしまって時間を持て余しているということなのです
2006年07月05日
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・・・というわけで、サクラの時期も過ぎ、風薫る初夏になりましたこの時期が一番好きですね。寒くないし、汗かかないし・・・家の庭にある小さな紫陽花がブルーとピンクの小さな花をつけました何の手入れもしていないのに家の庭の花たちはたくましく育っておりますもちろん雑草たちもかわいい花をつけていたりしてスクスク(笑初めてここに画像をつけてみたのですがちゃんとできてるかな?(^▽^;)携帯を買い換えたのでちょっと嬉しくなって撮ってみました
2006年06月07日
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この9日間、珍しく全く深夜勤務がなかった。ちゃんと朝起きて夜には布団に入って寝る。。。というとてもシンプルな生活のリズムがすごく心地よかった。「やっぱり人間はそういうリズムで生活するのが一番体にいいんだよ」なんて妙に納得したりして・・・そして今日ひさびさの深夜勤・・・・・眠れない(ρ_;)・・・・ぐすん・・・で一ヶ月以上更新していない日記書いてみたりして・・・・・ますます眠れない・・・・いつもなら『不眠』なんて言葉が全然当てはまらないほど寝てるのに、いつも深夜前は寝るのに苦労する夜勤前に薬つかって眠る人もいるけどそれには抵抗があってどうしてもできないし(というか今度は起きる自信がない)9日も深夜しなくていいなんて何年もなかったので体がちょっとおかしいしばらくぶりに更新した日記は『眠れない』という独り言でした ( ̄へ ̄|||)
2006年04月28日
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職場の何人かで一緒にご飯食べようってことになって、どうせなら時間も気にせず子供も呼んでわいわいしようってことになって同僚宅でお好みパーティをすることになりました。お好みとたこ焼き、Nちゃんのおねーちゃんが作ったいちごロールケーキ・苺大福・カフェオレ大福・ショコラケーキ。うちからはめはり寿司(高菜の葉で巻いたおにぎり)とピザを持参しました。大人5人子供五人犬一匹でわいわい、ちょっと近所迷惑だったかも(^▽^;)たこ焼きは職場のK君がずっと焼いてくれててはじめは形がバラバラでとんでもなかったんだけど、途中からは職人のように一人もくもくと作ってました。かなり上手に焼けるようになってました。子供って本当に正直ではじめK君が焼いたひどい形のは食べたがらなくって「これはたこ焼きと違う」とか散々いわれてたけど、めげずにやってくれてました職場を二年前に退職した子もきてくれてて、本当に会いたかった子だったのですごく嬉しくって・・・子供ちゃんも上は小学校三年生から下は二歳まで、ゲームやら鬼ごっこやらみんなで遊んでました。ちっちゃい子ってすぐ友達になっちゃうんだね。みんな、職場と少し雰囲気が違ってちゃんとパパ、ママやってんだなって感心しました。子供ちゃんたちもいい子で私がレン君、ジュン君にニンテンドーDSのゲームを教えてもらって「う~ん、難しい」とやってたら「どしたん?」と気にかけてくれて教えてくれたり(自分が遊びたかったのか?)・・・この子達は将来絶対いい男になるよと親に太鼓判押してきました。私はといえば久々のアルコールでかなりいい気分に♪( ̄▽+ ̄*)最近外で飲むことがなかったので、かなり嬉しかった。といっても小さい子がいる手前ちゃんと自制して飲んだんですよ。今回は粗相せずにすみました( ̄ー ̄; ヒヤリあんまり楽しくなってきたので近くに引っ越してきたばかりの同じ職場の子に電話して、引っ越し終わって一段楽しているところ「今すぐおいで」と呼び出し、全く素面状態の夫婦はさすがに出来上がったその場を見てびっくり。そんなに楽しく過ごしたメンバーなんだけど、4月からそのうちの二人退職してしまうのです。転勤で滋賀県のほうに行ってしまう子と、家庭の事情で退職してしまう子と・・・。本当に残念・・・いろいろ変化の多いこの時期は結構苦手なんだけど、今回その二人がいなくなることが本当に寂しくて・・・でも、この日楽しく過ごせて本当によかった。泣いてしまったらどうしようかと思ったけどそれどころじゃないくらい賑やかに過ごせたので「よし」かなと思ってます。
2006年03月26日
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明日、祖母の49日の法要があります。お彼岸と重なるということでちょっと前倒しになりましたが・・・11月のはじめから急性膵炎で入院していました。痛みはとてもきつくかなり重症化していました。一時は食事も始まり点滴も抜け車椅子で散歩できるまで回復していたので、お正月には外泊できるんじゃないかと本人も自分達も思っていました。それが12月の半ばから腰のあたりが腫れだし痛みを訴えるようになりました。結局膵液が漏れ出し背中に膿がたまっていたのです。それを取る為背中に管を3本入れられ痛みはかなり軽減しました。その間ずっとレベルはクリアでよく話し冗談言ったりしてました。でもその後敗血症を併発して2日後亡くなりました。。。。。。今初めて文章にしてみたけど。。。。なんかうまく表現できないな。。祖母ははじめ私が勤めている病棟に入院しました。はじめて祖母に付き添って泊まった日、夜中の病院が違ったものに見えた。夜の病院なんて今まで十分見ているのに・・・祖母は病室の窓から見える朝日を見るのがすごくすきで、「この太陽見てたらなんかすぐに元気になりそうな気がする」といつも嬉しそうに見てました。とても努力家で勉強家でおしゃれできれいで優しくて厳しくて思いやりがあって完璧な主婦で社交的で・・・私達家族が頼りにしきっていた大好きな祖母でした。祖母が亡くなった日私は夜勤でちょうど仕事していました。その時には別の病棟に変わっていたのですが、後少しで仕事が終わるというとき、病棟に電話が入りました。降りていきしばらくして息を引き取りました。変なんだけどその瞬間私は妙に冷静で涙も出ず、ただその後の段取りを父や主人に伝え自分の仕事に戻りました。それは「仕事をしなきゃ」という使命感みたいなのじゃなく、ただ「祖母の死」がその時点で理解できなかった。仕事に戻り申し送りを済ませ残りのカルテを書いているところで、何の前触れもなく涙があふれてきた。「わ~、もうちょっと待って~」って思いながらも止まらなかった。それからはひたすら涙が止まらなかった。祖父のときも思ったけど、私はもっと何かできたんじゃないかって。看護師として孫としてもっとそばにいて何かできなかったかなって。たくさんもらった愛情の少しでも恩返しできたのかなって。隣に住んでいた祖母にはいろいろ話を聞いてもらってました。甘えてばかりいて本当にごめん、そしてありがとうここまで書くのに、時間が必要でした。たくさんのことが頭の中で整理されてなくて・・・思いついたまま一気に書いたので意味がわかりにくいけど、一度ちゃんと祖母のこと書きたかった。今回はじめて自分がおばあちゃん子だったってわかった(^▽^;)
2006年03月10日
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やっと2月が終わった・・・ここ2~3年、2月に気分が落ち込む出来事が多い。せっかくのお誕生日月なんだけどな。・・・・・いろいろ書きかけたら、まとまらなくなっちゃったので消しました(^▽^;)あ~、落ち込むのは後にして気分変えて宿題しよーっと (・・*)ゞ
2006年03月01日
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昨日の嵐のような天気とはうって変わって今日は快晴ですただ風邪はまだきついからきっと花粉症の人はきっとぐったりしているんでしょうね。こんな山が多くて、杉の木もたくさんある土地に住んでるのできっといずれ私もなるんだろうけど一日でも長く平和な日々を過ごしていたいものです。ただ今職場での宿題がかなりたまっており連日残業の日々。・゚゚・(>_
2006年02月27日
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「神はサイコロを振らない」という番組を観ました10年前行方不明になった飛行機が突然現れると言うお話・・・はじめSF?とかファンタジー系かと思っていたけどちょっと違った。ドラマ観て10年前の自分ってどんなだったかたぁと思ったりした。まだまだ仕事をはじめて間もない時期で何をするにも時間がかかってバタバタ働いてた。バカがつくほど素直(いや無知とも言うか・・・な?(^▽^;))に人の話を聞き、仕事がうまくいかなくて悔しい思いもすることもたくさんあって、悩んで悩んで気持ちを切り替えたりするのにとても時間がかかったり・・自分が理想とする看護師に少しでも近づきたくてもがいて、2~3年先輩がすごく先を歩いているように見えた。そのころ思っていたなりたい10年後になっているのか・・・公私共に10年じゃまだ理想に到達するには時間が足りない( ̄ーÅ)ホロリ
2006年01月21日
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昨日、年末に録画していた番組をまとめて観ていたのですが先月末にやっていた小田和正さんの「クリスマスの約束」と言う番組を観ました時期はずれなためその時期に観たほうがいいのかもしれないけど、それでも良かった。去年で四年目になる番組ですが毎年録画してみています。小田さんの歌って昔から聴いているので曲がかかるとよく聴いていた時代に気持ちが戻ってしまいます。もちろん定番の曲も歌ってくれるのですが、ただ今回はいつもと少し違った風に聴こえた曲がありました。「生まれくる子供たちのために」自分でもわからないけど涙が出てしょうがなかったんです。今までも何度も聴いたことがあるのにこんなことは初めてでした。いまだになぜ涙が出るのかわからないのですが「真白な帆を上げて旅立つ船に乗り、力の続く限り二人でもこいでいく。その力を与えたまえ」なんかこの部分がすごく心に残りました。物を作る人って本当に尊敬する。目に見えるものだけじゃなく自分の気持ちを表現できる人も・・・絵を描いたり、歌を作ったり歌ったり、本を書いたり、演じたり・・もちろんこういうブログで日々自分の感じていることを書いている人たちも私はまだ自分を上手に表現できないなぁ。自分自身で何考えているか分からないときもたびたびあるし(;^。^A アセアセ・・ここは私自身のリハビリの場でもあるんです。自分の考えていることを文章にして自分に知らせてる。(そんなにたいそうな内容でもないんですけど)何書いているか分からなくなってきました( ̄ーÅ)まだまだリハビリ必要みたい(^▽^;)
2006年01月09日
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重い腰も久々上がり、新年のご挨拶がやっと書けます今年も引き続き「無理せず、あせらず」の精神でやっていこうかと思っています。今年は年末から年始にかけて何かと忙しくすごしていました実際はそんなにすることがあったわけではないのかもしれないのですが年末体調を崩し、ぼろぼろのまま元旦から仕事だったので調子が戻るまで時間がかかってしまいました。何をするにもスムーズに体が動かなくって・・・30日の晩から久々に嘔吐と下痢に苦しみました。昼間食べたお寿司が悪かったのかな?一緒に食べた母は何ともなかったのですが(ρ_;)・・・・ぐすんそういえば去年の年末も悲惨でした去年は親戚も集まり楽しく過ごしていたのですが、大晦日の晩妹夫婦と父とがうちに泊まることになりました。そこで妹の旦那さんがお土産にって日本酒を持ってきてくれてたので酒盛りが始まったのです。(それが悪夢の始まりだった)普段ならそこで楽しく騒いで新年を迎えるはずだったのですが私と父が大喧嘩!!お互い大きな声で怒鳴るは喚くは大泣きするは、一番びっくりしたのは妹夫婦で止めるまもなく自分達のやり取りを聞いていました(^▽^;)翌日私は案の定二日酔い。私酔ってても記憶があまり飛ばないんです。あのときほど酔って記憶を無くす人がうらやましいと思ったことなかった御節も食べれず初詣にもいけずおまけに半日恥ずかしくて部屋に引きこもってましたあれから妹夫婦からの日本酒のお土産はありません(最近は泡盛に変わりましたが・・)今年は細木数子(こんな字?)さんによれば大殺界の最後の年らしい。静かで平和に一年が過ごせるようガンバローっと
2006年01月05日
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「パッション」観終わってから久々辞書を調べたところ「the Passion][キリストの受難」って意味だったんだね十字架上での苦しみを表しているという意味そのままの映画でした。一言でいうと「・・・重い」って感じただもう一度聖書を読みたいと思わせるような内容でした。(クリスチャンではないのですが、母の影響でカトリックの幼稚園に入学してその後も教会に通ったりしたこともあり聖書を読む機会があったので)結構観るに絶えられないシーンとかもありもう一度見たいとは思わないんだけどねこういうの観た後はちょっとほのぼの系かスカッと系が観たくなるんです。ただ最近慣れないPCに向かう時間が増えたりDVD観たりでちょっと目が悪くなってるかも視力良いのだけがとりえなのに・・・。遠くの山でも見て視力回復しようかな(*^-^)
2005年12月09日
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長く更新しませんでした。自然消滅しそうな勢いでしたがやっと重い腰を挙げてきました(^▽^;)12月にはいってこの暖かい地方でも、ちらちら雪が降ってたなんて話が聞かれています昨日は風がひどくあまりに怖いので雨戸全部閉めて寝てたら、ぐっすり眠ってしまい起きたら10時前(^▽^;)雨戸開けたら快晴!!天気がいいとそれだけで気分がいいけど、寒さがその気持ちを半減してしまう。この季節は引きこもりになってしまうわけですで、家ではDVD鑑賞となるわけですが久々借りてきました一枚目は「パン君とジェームスのお買い物」・・・って題名だったかな?志村けんさんの番組でやってるコーナーでチンパンジーと犬がお使いするコーナーを集めたDVD。結構癒されました。あんなの見ると余計に犬が買いたくなるんだよね。・・で二枚目は、「パッション」以前からみたいと思っていたんだけど内容が重そうだったので手を伸ばせずにいました。クリスマスも近くなることですし、キリストについて振り返ってみるのも良いかと思って借りてきたんだけど、・・・まだ観てない朝から見る映画でもないかと思い、今晩じっくり見る予定・・で三枚目は「クリスマス・クリスマス」大倉孝二さんと伊藤歩さんのでてるハートフルコメディワハハ本舗の人が書いた脚本みたいで舞台の役者さんがたくさん出てました。何も難しいこと考えずにほのぼのと見れた映画でした。古田新太さんが出てましたがあの人は出演時間関係なくおいしいところ全部持っていっちゃいますね。三枚とも全くばらばらな映画なのです。どんなジャンルが好きとかとくになくって観たいと思ったら片っ端から観たくなるんです。久々マッタリとした休日を過ごせそうo(〃^▽^〃)♪
2005年12月06日
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最近、うちの親戚や家族が自分の職場にくることが多いのですが、スタッフのみんなによく言われるのが「ココアさんはお母さんの血が濃いね」とか「お母さんそっくりやね」「おばあちゃんに眼から鼻にかけて似てる」とか・・・自分達では鏡見てもさっぱりどこが似てるのかわからなくておばあちゃんに言っても「そう?初めて言われたねぇ」と笑ってました。特に母とは美容院も同じところに行ってるせいかなんかよく似てるそう。自分の将来の姿・・・( ̄ー ̄; ヒヤリ今度は髪伸ばしていこーっとコレで妹見たらみんな笑うんだろうな。妹の同級生(私は全く知らない子)が、入院してきて検温に行った私に「〇〇ちゃんのお姉ちゃんじゃないですか?」ってそんなに似るもんなんかな?親兄弟って・・・全く悪いことはできません。狭い町でどこで誰が見てるかわからないないんだから(;^。^A アセアセ・・
2005年11月14日
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一週間ぶりに書きます先週から今日にかけて(まだまだ続きそうだけど)あっという間に過ぎてしまった一週間前、祖母がうちの病棟に入院しました。3日間ほどICUに入りその後個室へ、、その三日間の間にICU症候群にもなり、人格化で変わってしまいました一時的なものだと自分で言い聞かせてもあの変わり様は本当にショックでした.今は少し落ち着き、以前のような穏やかな表情で話してくれるようになりました。前日まで何の症状もなかったので、突然の入院に本人はもちろん家族も戸惑いました。いろいろなチューブをつけられ、体験したことのない強い痛みに襲われのどが渇くのに水分さえ飲めない状況で高齢の祖母には過大なストレスがかかったのだと思います。今まで自立して何でも自分で決めてきた人が急に自分の知らないところでいろいろなことがされていく不安もあったのでしょう年配の人が元気でいてくれるということは実は大変なことなんです。祖母が今まで元気でいてくれたということは本人が努力したこともあるだろうけどそれでも綱渡りをしているようなもので、少しバランスが崩れると元の体勢に戻すのはかなり難しいそんな簡単なことに今まで気づかず祖母の元気さに甘えていました自分の親でもそう。元気でいてくれている事に感謝そして家族や自分自身が健康でいることにも感謝ですあたりまえのことができるって本当はとってもすばらしいことなんだって、何で毎回忘れちゃうんだろう「安全・安楽な入院生活を送る」そんな看護目標よく聞くけど実際どこまで「安楽」な看護ができているか実際今の祖母は「安楽な入院生活」は送っていません痛みや苦痛に耐えています。他の患者さんにだってそう。それでも「ありがとう」ってそれに対し自分ができることがあまりにも少なすぎるのです。なんか一気に書いたら訳のわからない文になってしまった(^▽^;)
2005年11月11日
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祖母がうちの病院に入院しました。命にか関わるとか言うのではないのですが、いやぁびっくりした。結局うちの病棟に入院。今日深夜入りで早く帰るつもりがこんな時間に・・・なんか眠れなくてつい書いてしまいました。早く横にならなきゃ・・・
2005年11月04日
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今日の夕焼けo(〃^▽^〃)o♪ちょっと感動なくらいすごくきれいで・・茜色っていうか紫っていうか・・う~ん文才がないものでどう表現したらぴったりくるか解らないのがつらいところなんだけど、すごく得した気分にさせてくれました。友人が好きな画家でわたしも好きな「カーク・レイナート」が描いた「ビヨンド・スプレンダー」に使われているようなピンクがかったオレンジというか(・・やっぱりピンとこないなぁ)とにかくとてもやさしい色。明日もいい天気になるかなぁ「カーク・レイナート」が描く絵ははじめ「ラッセン」の絵と似ているような気がしていましたがラッセンの絵が躍動的で男性的な力強い感じを表現しているなら、彼の絵は穏やかで女性的なやさしさを感じるような絵を描いています(と私は思うのです)絵の知識は全くなく、ただ直感で好きか興味ないかを感じてみているのですが、結構ふらっと観にいったりするのが好きで、でも最近見てないなぁ。大阪にいるときはよくいってたんですけど、こっちじゃなかなか絵画展とかやってこないし。取り留めのない日記でした
2005年11月01日
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薬飲んで一晩ぐっすり休み今朝はずいぶん体が楽になりました。私、具合悪くなっても短期集中型なんです。その日一日は歩くのもやっとなんですけど一晩寝ればたいてい復活。丈夫にできてるんですねそれで日勤のつもりで職場に行くと「今日休みやで」って・・・良くなったし出ますよといったけど今日はゆっくり休みなさいとのこと師長昨日私に電話するの忘れたみたいで、仕事する気できた私見てびっくり夕方勉強会があるのでそれに出席することは許可もらって帰ってきました本当にありがとうございます。恵まれてるなあと感謝しつつ家の事でもしようかな天気いいし洗濯して布団干して掃除して・・・ゆっくりした休みじゃないかでも体は動くし天気いいしもったいないもんね
2005年11月01日
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風邪をひきました(ρ_;)・・・・ぐすん昨日まで三連休で、今日からまた頑張ろうって思っていたら、夜中から胃は痛むし、吐くし熱出すしで、休もうかとも考えたのですが、勤務表見たら月曜日なのにいつもより人が少ないし・・・重い体を引きずりながら職場へ。一応受診手続きをしておいて、午前中の仕事一通りしてから、受診。先生「どうしたん?」私 「別に変なの食べた覚えはないけど、昨日の晩から胃は痛むし、 吐くし・・今日深夜入りなので、薬もらっとこうかと思って」先生「何ほしい?採血しとく?結果は自分で見れるやろ。点滴は?」・・・・こっちがしてほしいことや、ほしい薬ももらったけど、・・・・お願いだから診察してよ~!!全部私が言ったの出してくれただけじゃんムカッ( ̄∩ ̄#それは甘えなのでしょうか・・・?他の看護師の皆様もそんな扱いですか?とりあえず、夜勤も変わってもらい半休とって午後から帰って寝てましたおかげで?熱も下がり食事も少し食べられるようになりました。自分が弱ってると職場の人のやさしさが身にしみました明日は頑張って仕事しますね
2005年10月31日
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ここ一ヶ月ほどずっと首肩から腰、背中にかけてずっと痛かったんですことしの八月ぐらいからかな職場の子に誘ってもらって整体に通い始めました。でも場所が遠くって車で一時間半ぐらいかかるところ。普通の平坦な道を行くならまだいいけど峠の山越えをしないといけないようなところなんです。もっと近くにも整体やマッサージしてくれるところはあるけど、でも紹介してくれたところは本当に良心的で一時間三千円で頭の先から手足の指先までやってくれて最後にテーピングもしてくれる。状態が悪ければ次に予約はいってなかったら一時間以上でもやってくれます。そちらに通うようになって私も調子がよかったのですがまた首やっちゃったんです。7~8年ぐらい前に急に首が痛くなって首が動かせなくなりました。MRI撮ってもらったらヘルニアにはなってないけど頚椎の変形があるらしく神経さわるんだろうって。整形で牽引薦められたんだけどあの格好に抵抗があり(^▽^;)知り合いの麻酔科の先生が「それならブロックする?」っていってくれて神経ブロックしてもらいました。でも首の後から注射されるのって想像以上に不安。もちろん信頼できる先生だったのでお任せしたんだけど、注射されるのっていまだにいやなんですよね。でもおかげ様でそれからしばらくして痛みは消えここ何年も痛みしらずでした。それが去年あたりからまた痛み出して、初めの時ほどひどくはなかったけど。始め「整体」のイメージって「バキバキ」「ボキボキ」で痛そうだったんだけど、そういうのはあまりありませんでした。でも縮んだ筋肉や筋を伸ばしてくれるのでいつも「イタイイタイ」と叫びながらやってもらってます。調子が悪かったから詰めて行きたかったけどなかなか時間が取れずそれでやっと昨日いってきました。「また戻っていったね」といわれ首から腰からずっとテーピングされました(ρ_;)・・・・ぐすん頑張って通わなくちゃそして痛みをマシにして、その晩は職場の人の送別会に行ってきました(*^-^)ニコ送別会などの飲み会に参加はするのですが、車運転するからアルコールが一切禁。前はそれがなんか損した気分で寂しかったけど、今じゃ十分アルコール抜きでも楽しいと感じます。昨日は楽しいついでに2次会まで行き(最近は行く事なかったんだけど)久々カラオケで弾け午前様で帰ってきました(;^。^A アセアセ・・帰ったら主人はテレビ見ながら一人晩酌。怒りもせず「楽しかった~?」と。。。m(_ _;)m ゴメン!!ありがたいことです。ということで感謝を込めて晩酌に付き合いました(・・*)ゞ
2005年10月28日
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昨日から今日にかけて驚いたことが二つありました。ひとつはブログに初日からコメント残してくれた人がいたこと。何かしらの反応があるって言うのは、本当に嬉しいね。励みになります。でも正直、コメント書いてくれるのってもっと経ってからだと思ってたものでほんとにびっくりしましたそれからもうひとつは朝、時計を見て驚いた何年かぶりに寝坊した。。。( ̄ー ̄; ヒヤリ二度寝しちゃって起きたら開始時刻の15分前!!一瞬動きが止まって状況把握に数秒かかり、それから顔洗って歯磨きして着替えて大慌てで車に乗った(病院まではくるまで3分とかからないのですが。。)そんなときに限って駐車場は一番遠くしか空いてないし(あたりまえ?)そっからダッシュ。あんなに走ったの何年ぶりってくらいでした。タイムカード通したのが8分前。そこから再び制服に着替えて職場についたのが2~3分ぐらい前だったかな間に合っちゃったのです。d(゚-^*) ナイス♪でもさすがに寝起きで走ったので最初は気分悪かった。。。( ̄◇ ̄)もう少し、ゆとりを持って生活しないと疲れるね今日はこんなこと書く予定じゃなかったんだけど、まあいいかな。日記だしね
2005年10月27日
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ここまで来るのにかなりの時間を使いました日記を人が読むということに抵抗を感じたこともあったけど、「そんなに難しく考えることないか」と。他の人のブログ読んでても結構楽しかったし、人がみることを意識するんじゃなく、自分の振り返りとして少しでも長く続けられたらって思ってます。う~ん、日記書くのってかなり久しぶりで、変に緊張するポリポリ (・・*)ゞ学生のころは毎日書くって事はなかったけど、思いついたときに自分の感じたこと思ったことをノートに書いてました(日記とは言わないか)だからここでもそんな感じで書いていくんだろうな
2005年10月26日
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