《櫻井ジャーナル》

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2012.01.07
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 昨年は世界各地で抗議行動が展開された。中東から北アフリカにかけてのイスラム世界では「アラブの春」、アメリカでは「占拠運動」といった具合だ。支配層が明けた財政の大穴を庶民に押しつけようとしているギリシャでも激しい抵抗が見られた。

 そうした中、リビアやシリアでも体制を揺るがす動きがあり、リビアに君臨していたムアンマル・アル・カダフィはリンチの上で殺害されている。

 リビアの体制転覆を仕掛けたのはフランスとイギリスであり、アメリカが同調する形になっているのだが、地上軍の主力はアル・カイダ系のLIFG(リビア・イスラム戦闘団)だということが明確になっている。 アメリカ政府がテロリストだと「認定」 しているだけでなく、 LIFG側も自分たちとアル・カイダとの関係を隠していない 。カダフィ体制が崩壊した後、 ベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられていた

 抗議活動にしろ、民衆蜂起にしろ、それだけ体制に対する不満、怒りが充満しているからこそ起こるのだが、往々にしてある種の権力グループ(しばしば外国の勢力)、特にアメリカの権力者はそうした不満や怒りを利用してきた。

 歴史を振り返ると、例えば、1953年にはイランの民族主義政権だったムハマド・モサデク、その翌年にはグアテマラのヤコボ・アルベンス・グスマン政権、1973年にはチリのサルバドール・アジェンデ政権を倒しているのだが、いずれもストライキやデモで社会不安を高め、軍事力を使って倒している。言うまでもなく、この3名を独裁者と呼ぶことはできない。アメリカの巨大企業にとって不都合な政権だったということだ。

 その後、アメリカの支配層は「民主化」を思想戦の軸に据える。勿論、ターゲット国を本当に民主化しようというわけではない。「民主化」というフレーズを使って攻撃するというだけの話だ。旧ソ連圏の「民主化」も無関係ではない。

 1970年代にイタリア/バチカンでは大規模な金融スキャンダルが発覚、大問題になっていた。イタリアの大銀行、バンコ・アンブロシアーノやバチカン銀行(IOR)が不正融資を行っていたのだが、その資金が流れていった先はポーランドなどの「民主化勢力」。

 この時期、非公然結社P2や「NATOの秘密部隊」とも呼ばれている米英主導のテロ組織の存在が明るみに出ている。1980年に結成されたポーランドの自主管理労組「連帯」も資金の受け皿になっていた。

 1981年にロナルド・レーガンがアメリカ大統領に就任すると、「プロジェクト・トゥルース」という心理戦プロジェクトを始める。非政府組織と協力関係を築き、「民間」の資金利用することになっていた。すぐに名称は「プロジェクト・デモクラシー」に変更された。1982年にレーガン大統領はイギリス議会で「プロジェクト・デモクラシー」という名前を口にしている。

 日本では「左翼」の中にも言葉で簡単に操られる人たちがいて、「民主化」というと本当に「民主化」だと思い込んでしまう。「連帯」などは公然と西側の情報機関と交流していたため、西ヨーロッパの人びとからは冷めた目で見られていたのだが、日本には信奉者が少なくないようだ。

 アメリカの支配層はある国の体制/政権を倒すためにストライキやデモを利用してきたことは事実だが、勿論、ストライキやデモが全てアメリカ支配層の陰謀だというわけではない。

 2002年にベネズエラでクーデター騒動があった。アメリカの巨大企業にとって都合の悪いウーゴ・チャベス大統領を有力メディアが激しく攻撃、それに呼応する形で労働組合も抗議活動に参加、軍隊が出てきたのだが、その背景にはアメリカのジョージ・W・ブッシュ政権が存在していた。

 このケースでもデモは政権を攻撃する戦術として利用されたが、このクーデター計画を挫折させたのもデモ。反チャベス派と親チャベス派のデモが繰り広げられ、死者が出ている。有力メディアはチャベス政権の「弾圧」で死者が出たと主張していたが、実際の犠牲者は大半が親チャベス派だった。チャベス大統領が拘束されると、約5万人のデモ隊が大統領の解放と公務復帰を求めて官邸を取り囲んでいる。

 イギリスのオブザーバー紙によると、 クーデターの黒幕はジョン・ネグロポンテ、エリオット・エイブラムズ、そしてオットー・ライヒ 。アメリカ政府の高官がクーデター計画に関与していた。

 ネグロポンテはブッシュ・ジュニア政権で国連大使や国家情報長官を務めた。レーガン政権ではホンジュラス駐在の大使だったのだが、その頃のホンジュラスでは「死の部隊」が反政府派を弾圧、殺戮を繰り返していた。そうした行為をネグロポンテは黙認していたことを覚えている人は多く、国連大使としてなかなか承認されなかった。

 エイブラムズはネオコン、つまり親イスラエル派。イラン・コントラ事件では中心的役割を果たしたひとりだ。ブッシュ・ジュニア政権では国家安全保障問題担当副補佐官に就任、中東政策を仕切っていたようだ。

 キューバ系アメリカ人のライヒは1986年から89年にかけてベネズエラ駐在大使を務めている。なお、クーデターの最終局面で登場した軍人は、アメリカ陸軍が設置した「SOA(南北アメリカ軍事訓練所、現在は治安協力西半球機関)」を卒業したメンバーが中心だった。

 最終的にクーデターが失敗した原因は一般民衆が大統領を支持したことに加え、軍内部の少なからぬ部分がクーデターに反対したことにある。チャベス大統領が拘束されて暫定政権が発足した直後、日本のマスコミは「貧困層重視の主張が空回りして国民全体の支持を失っていた」と報道していたが、事実は違った。





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最終更新日  2012.01.07 23:00:55


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