日本人が政界や芸能界のスキャンダルに気を取られている間に東アジアにおける軍事的な緊張は高まっている。そうした緊張をさらに高めるかのように、アメリカ軍の空母がこの海域に集まりつつある。
アメリカ軍の2空母、セオドア・ルーズベルトとカール・ビンソンは自衛隊とフィリピン海で軍事演習を実施しているが、それだけでなく横須賀には空母ロナルド・レーガンが入港中で、空母エイブラハム・リンカーンは今月の初めにサンディエゴを出航した。数週間のうちに空母ジョージ・ワシントンがロナルド・レーガンと交代するともいう。
2空母を参加させた演習は威嚇行為だと言えるが、それ以上に挑発的なことをアメリカ軍は1983年春に行っている。 千島列島エトロフ島の沖で実施した艦隊演習「フリーテックス83」だ。この演習にはエンタープライズ、ミッドウェー、コーラル・シーの3空母を中心とする機動部隊群が参加、演習では空母を飛び立った艦載機がエトロフ島に仮想攻撃をしかけ、志発島の上空に侵入して対地攻撃訓練を繰り返したとされている。(田中賀朗著『大韓航空007便事件の真相』三一書房、1997年)
米ソ両軍は一触即発の状態だったのだが、日本のマスコミは沈黙していた。その異様さを 香港の英字週刊誌「ファーイースタン・エコノミック・レビュー」はからかっていた。(Far Eastern Economic Review, June 16, 1983)さる高名な「軍事評論家」によると、この演習を調べること自体が「政治的」なのだという。その御仁は質問されたことに立腹していた。
演習当時の総理大臣は中曽根康弘。1982年11月に組閣、それから間もない翌年の1月に彼はアメリカを訪問、ワシントン・ポスト紙の編集者や記者たちと朝食をとった。 その際に彼はソ連のバックファイア爆撃機の侵入を防ぐため、日本は「不沈空母」になるべきだと語った と報道されている。
中曽根はそれをすぐに否定するが、発言が録音されていたことが判明すると、「不沈空母」ではなく、ロシア機を阻止する「大きな空母」だと主張を変えた。このふたつの表現に本質的な差はない。日本列島はアメリカ軍がロシア軍を攻撃するための軍事拠点だと中曽根は認めたのである。
ワシントン・ポスト紙は「大きな空母」発言以外に、「日本列島にある4つの海峡を全面的かつ完全に支配する」と主張し、「これによってソ連の潜水艦および海軍艦艇に海峡を通過させない」と語っている。こうした発言はソ連を刺激していた。
そして1983年8月31日から9月1日にかけて大韓航空007便が航路を北側へ逸脱、NORADの緩衝空域と飛行禁止空域を横断、アメリカ空軍の偵察機RC-135の近くを飛行してからカムチャツカへ侵入、ソ連の軍事基地の上空を飛行している。ソ連側の交信記録によると、ソ連領空へ侵入する際、機影が一時レーダーから消えている。
カムチャツカを横断した後、大韓機はソ連側の警告を無視して飛び続け、サハリン沖で撃墜されたとされている。ソ連側の通信記録を読むと撃墜された航空機はモネロン島の上空で右へ旋回しながら降下したと戦闘機のパイロットは報告しているが、レーダーの記録を見ると左へ旋回している。もしサハリンで飛行が終わらず直進した場合、そこにはウラジオストックがある。ロシア軍の重要な基地がある都市だ。
その年の11月、NATO軍はヨーロッパで大規模な演習「エイブル・アーチャー83」を予定していた。これを軍事侵攻のカモフラージュだと判断したソ連政府は核攻撃に備える準備をはじめるように指令を出し、アメリカのソ連大使館では重要文書の焼却が始まったと言われている。演習を計画していた1983年11月、レーガン政権は戦術弾道ミサイルのパーシングIIを西ドイツへ配備、作業は85年の終わりまで続いた。
その後、1991年12月にソ連は消滅、ネオコンはアメリカが「唯一の超大国」になったと考え、翌年の2月に世界制覇プロジェクトを作成した。それがアメリカ国防総省のDPG(国防計画指針)草案だ。この草案を作成したのはネオコンの国防次官だったポール・ウィルフォウィッツだったことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。その時の国防長官はネオコンのディック・チェイニーだった。
このドクトリンによると、旧ソ連圏を乗っ取るだけでなくEUや東アジアを潜在的なライバルと認識、ドイツや日本をアメリカ主導の集団安全保障体制に組み入れると同時に、新たなライバルの出現を防ぐともしている。アメリカはドイツやフランスなどヨーロッパ諸国をロシア攻撃に使うだけでなく、同時に破壊している理由もそこにある。
しかし、当初、日本はウォルフォウィッツ・ドクトリンに従おうとしなかった。ネオコンは怒り、1995年2月にジョセイフ・ナイが「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表している。その前後に衝撃的な事件が引き起こされたのは、おそらく「偶然」なのだろう。
つまり、1994年6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれ(松本サリン事件)、95年3月には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布され(地下鉄サリン事件)、その10日後には警察庁の國松孝次長官が狙撃されている。8月には日本航空123便の墜落に自衛隊が関与していることを示唆する大きな記事がアメリカ軍の準機関紙とみなされているスターズ・アンド・ストライプ紙に掲載された。
1980年代とは違い、空母を集結させる軍事的な意味は大きくない。対艦ミサイルの餌食になるだけだ。アメリカが中国と戦争を始めたならば、ロシアも出てくる。空母の意味は目立つことにあり、つまり示威行動に使える反面、目標にもなりやすいということだ。そういえば、アメリカ軍の戦略的、戦術的能力が低いことをウクライナでの戦闘は明らかにしている。