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コンドルの系譜 ~インカの魂の物語~
第三話 反乱前夜(1)
【 第三話 反乱前夜(1) 】
ちょうど同じ頃、このペルー副王領の首府リマの壮麗な邸宅で、一組の書類に目を通しているスペイン人の男がいた。
植民地巡察官ホセ・アントニオ・アレッチェである。
この人物は、スペイン国王の命を受け、この植民地ペルーの行政を監督するために数年前から当地に渡っていた。
背が高く、がっしりとした肩幅の30代後半位の男で、いかにもスペイン人らしい彫の深い顔立ちをしていた。
髪や目の色は濃い黒で、その眼差しは冷徹であり、眼光には他者を射竦めるような鋭さがあった。
彼は当時ヨーロッパの中でも世界を震撼させ得る強大な海軍力を誇るスペイン国家の人間であることに、非常に高い誇りをもっていた。
一方、「インディオ」のたむろするこの未開の国を、そして「インディオ」を、ひどく蔑んでいた。
この植民地をいかに制圧したまま治めていくか、その非常に重要な王命と重責に応えるに足る人物として、スペイン本国の名門から選ばれたエリート高官だった。
実際に、彼には、この植民地行政を監督するための大幅な権限が与えられていた。
そして、まさにこの男こそ、この後、トゥパク・アマルの宿敵となっていく人物なのである。
今、彼の手にある書類には、「トゥパク・アマル」の文字があった。
それは、4年前にトゥパク・アマルが自らをインカ皇帝の子孫であることをスペイン側に承認させるため、この首府リマのアウディエンシア(裁判所)まで訴えにきた際の資料だった。
資料の中にはトゥパク・アマルの経歴などを調べた書類の他に、トゥパク・アマル自身が自らしたためた直訴状も混ざっていた。
アレッチェは、もう何度も読み返してきたその訴状を、再び広げた。
トゥパク・アマル直筆のその書類には、インディオとは思えないような整った文字と澱みないスペイン語の文体によって、自らがインカ皇帝の直系の子孫であることが系譜図を添えて理路整然と記されていた。
スペイン人でも、ここまで流麗な文体を書ける者は、そうそうはいないだろう。
アレッチェは苦々しい表情で、グラスに真赤なワインを注いだ。
4年前のあの日、アウディエンシアに訴状を持って訪れたトゥパク・アマルと対面した時のことが、グラスの中の澱のように甦る。
アレッチェは、血の色をした液体で満たされたグラスを傾けた。
グラスの端が鋭い光を放つ。
あの時、一介のインディオのカシーケ(領主)などに、なぜ会う気になったのかわからない。
自らがインカ皇帝の子孫であると名乗り出てくる自称「インカ(皇帝)」は、トゥパク・アマルが訪れてくる前にも何人もいた。
いずれも取るに足らない名誉欲ほしさの、下賤なインディオ連中ばかりだった。
アレッチェは、当初、トゥパク・アマルの件もまともに取り合うに値しないものと考え、その件は部下に任せて適当にあしらうように指示をした。
そして、自分は別のもっと重要な案件に取りかかりかけていた。
そこへ部下が戻ってきて、トゥパク・アマルが直々にアレッチェとの面会を強く求めていると、やや気圧されたような青ざめた顔で言う。
ほんの気まぐれだったが、あるいは、何かの直観が動いたのか、アレッチェはトゥパク・アマルに会うことにして、アウディエンシアの面会室に向かった。
アレッチェのような高官中の高官に直接の面会を求めてくるインディオなど、実際、初めてであった。
そのため、多少、好奇心を刺激されたというのもあったのだった。
トゥパク・アマルの待つ面会室に足を踏み入れようとドアを開けた瞬間、まっすぐにこちらに視線を向けていたトゥパク・アマルの目とアレッチェの目が、完全に合った。
そのインディオの視線、それは、矢で貫くような鋭い眼差しだった。
一瞬、射抜かれたと思ったのは、アレッチェの方だった。
しかし、アレッチェもすぐに視線を返し、二人はしばし無言で互いを見つめた、いや、睨み合ったと言った方が正確だろう。
インディオの目は恐ろしく冷静に澄みきっており、この瞬間にすべてを見切ったかのような自信すら湛えている。
アレッチェは直観的にそのインディオにひどく危険なものを感じた。
そして、そのインディオに自分も値踏みをされているのではないか、という言いようのない不快感と不気味さを覚えた。
このインディオがわざわざ自分に面会を求めてきたのは、この国の支配者の一人として多大な権限をもつ「植民地巡察官」たる自分を、それが一体どのような人物なのか、我が目で見定めておかんとの気構えによるものではないのか?!
そんな妄想が湧き上がってくる。
いや、きっとそうに違いない…――アレッチェの中でそれは確信に変わった。
トゥパク・アマルの突き刺し、見通すような鋭い視線は、アレッチェの妄想を確信に変えるのに十分だった。
尊大なほどに落ち着き払った一人のインディオの前に、冷静冷徹なはずの自分が動揺しているさまに自ら吐き気を覚えた。
この自分を値踏みしているのだ!
なんたる侮辱か、たかが、野蛮で下賤なインディオごときに!
アレッチェは非常な屈辱感を覚えながら、トゥパク・アマルの前に立った。
「なぜ今更、死んだインカ皇帝の子孫であるなどの承認が必要なのだ。」
アレッチェはわざと聞き取りにくい早口のスペイン語で、冷たく言い放った。
「“インカ(皇帝)”を偽って名乗り、民衆を搾取し、苦しめようとする者が後をたたないためです。」
トゥパク・アマルの声は深遠なまでに冷静で、しかも、スペイン人のアレッチェが聞いても驚くほどに滑らかな美しいスペイン語だった。
アレッチェは4年前の、あのいまいましい記憶を消し去るように、グラスの中の赤い液体を一気に飲み干した。
『“インカ(皇帝)”を偽って名乗り、民衆を搾取し、苦しめようとする者が後をたたないためです。』
トゥパク・アマルのあの時の言葉が甦る。
確かに、偽って「インカ皇帝の子孫である」とかたり、スペイン人の役人と結託して悪行をたくらむインディオは実際に存在した。
トゥパク・アマルが、そのようなインディオ同士で苦しめ合うさまに、苦渋の念を抱いていたことは確かだろう。
「しかし…。」と、アレッチェは眉をひそめた。
あの時のトゥパク・アマルの言葉は、むしろスペイン人権力者への皮肉であり、批判のようにアレッチェには感じられてならなかった。
それを、直接、この自分にぬけぬけと、いや、敢えて言い放ったのだ。
アレッチェの脳裏に、一つの不吉な予測が頭をもたげてくる。
(あのインディオは、自ら『皇帝』となることで、この国の絶対的主権者になろうとしているのではあるまいか。
そして、それを政治的闘争に利用しようと企んでいるのではあるまいか。)
アレッチェはグラスを叩きつけるように机上に置いた。
(あの男なら、やりかねない!)
そして、トゥパク・アマルの書類を『最重要資料』の棚に戻すために立ち上がった。
トゥパク・アマル!…――あのインディオは危険だ。
動向に注意せねばならない。
アレッチェの眼が獣のように鋭く光った。
アレッチェがトゥパク・アマルに警戒心を抱いたように、トゥパク・アマルもまた、アレッチェに対して侮れないものを感じたのは同じだった。
あの巡察官の監視の目が光っている以上、へたな反乱や一揆は、かえって被植民地下で虐げられている民衆をさらなる窮地に追い込む結果になりかねない、とトゥパク・アマルは考えた。
非常に慎重に、そして、計画的にことを進めねばならない。
ところで、この後のトゥパク・アマルの行動を理解するためには、スペインによるこの国の統治機構について、ある程度の理解をしておく必要があろう。
16世紀の前半、中南米の征服をほぼ達成すると、スペインは、海の彼方に遠く離れた広大な土地の統治という、前例のない大問題に直面することになった。
建前上は、植民地に赴任されたスペインの役人たちは、植民地下のあらゆる問題についてスペイン本国にうかがいを立てるべきであり、本国の言うことを忠実に守るべきであった。
しかし、当時の海運事情を考えてみれば、隔絶したヨーロッパと南アメリカの間で、迅速な連絡などできようはずがなく、統治は非能率、不安定を極めていた。
植民地は、本来、ローマ教皇の教書により、スペイン王個人の持ち物とされ、王は植民地の産物の一切を要求してもよかったし、植民地に行く臣民を許可することも拒否することもできた。
しかし、実際上は、本国のスペイン王が一切の事務を執ることなど不可能であるから、複雑な統治機構が案出された。
そして、1524年、『インディアス枢機会議』という、植民地に関する司法、行政の最高府が確立された。
これはスペイン王に直属する機関で、その役人たちの権限は極めて広汎にわたり、法律の作成、司法の最高責任、貿易・金融の監督、軍隊の統治など、実に多様な権限を行使していた。
さきほど登場した巡察官アレッチェも、その中の高官の一人である。
なお、植民地における政治機構は、かの有名なコロンブスが総督に任命されたのに始まり、やがて副王制度が確立するに及んで、それは本格的なものになった。
副王は文字通りスペイン王を代表する者であり、スペインの名門中の名門から選ばれた。
副王は植民地の首府リマにある壮麗豪奢な邸宅に住み、大勢の廷臣にかしずかれ、非常な高禄をはみ、植民地のあらゆる問題を司ることになった。
副王が治める副王領は、さらに幾つかの長官領と総督領と呼ばれる小単位に分かれていた。
長官領は、副王領の首府リマに比較的近く、副王の管理を受けやすかったが、総督領は辺鄙な地にあって、ほとんど独立の機能をもっていた。
そして、総督領はさらに代官領に分かれ、各大官領には代官が置かれていた。
代官の表向きの役割は、インカ族の人々を保護し、税を徴収し、領地内の平和を保つことにあった。
しかし、なにぶん首府から遠隔の地にあって上役の監視を容易に免れたため、勢力を思いのままにふるい、インカ族の人々を酷使して私腹を肥やした。
代官のすることは、二重課税などの違法な税の取立て、農産物の一方的な安すぎる買いつけ、インカ族の人々の水利権の剥奪、牢獄に等しい織物工場(オブラヘ)での強制労働、生きては戻れぬ鉱山への人夫の派遣など、どれ一つをとってもインカの人々の苦悩の種でないものはなかった。
他にも、代官は「強制配給」なるものを行い、カルタ、眼鏡、染粉など、生活上で殆ど無用なものを「配給」という名目で、信じられない高値で領民に強引に売りつけた。
さらに、代官はその土地の裁判官でもあり、行政官でもあった。
領民はどれほど理不尽な目に合っていても、そのような権限を持つ代官に逆らえようはずがなかった。
そして、これら、非人間的としか言いようのない代官の下には、インカ族の有力者、混血児などが、カシーケ(首領)として集落の長をつとめていた。
現在、トゥパク・アマルはそのカシーケの一人として、26歳の時からこのティンタ郡内の三村――スリマナ、トゥンガスカ、パンパマルカ――を治めていた。
カシーケの義務は、代官の業務遂行の補佐であり、具体的には、その土地の収税、賦役の割り当てや監督、簡単な裁判などであった。
カシーケであるトゥパク・アマルが、これら代官の悪行をただ漫然と黙認していられるはずはなかった。
あのアンドレスの館での会合の数日後、彼は自らの上司とも言えるこのティンタ郡の長、代官アリアガのもとを訪れた。
アリアガは代官としてスペインからはるばる派遣されてきた、事実上、このティンタ郡内最高位の役人である。
スペイン本国で、彼はわざわざ多額の賄賂を払ってまで、植民地下のこの肥沃な地域の代官に任命されるためのあらゆる裏工作を行ってきた。
そして、数年前、ついにその念願かなってこの地に派遣されてきたのだった。
この代官の地位を買うためにスペインの高官たちに支払ってきた多額の賄賂の分まで、この土地で取り戻さねばならない。
そして、当然のことながら、当初の目的である自らの懐も肥やさなければならなかった。
そのためには、インディオたちから絞り取れるものはすべて絞り取ることが必要だ。
必然的に、アリアガの搾取は非道を極めた形となっていた。
部下からトゥパク・アマルの来訪を告げられたアリアガは、いかにも煩わしそうな表情をつくった。
「また来たのか。」
この代官は、不当に徴収した二重課税の帳簿整理、ならず帳尻合わせに忙しかった。
「今日は先客があって会えないと伝えろ。」
「どうしてもお話したいことがあり、何時まででもお待ちしますと言っておりますが。」
部下も顔を歪めていた。
アリアガはでっぷりと太った巨体を苛々とゆすった。
「全くうるさい蝿だ。」
吐き捨てるように呟く。
トゥパク・アマルがこの地のカシーケでなければ、どんなに「仕事」がやりやすいだろうか。
いかにも煙たそうな表情で、アリアガはトゥパク・アマルの待つ一室へと向かった。
部屋の前ではトゥパク・アマルの腹心、あの鷲鼻のインカ族の男ビルカパサが、厳しい警護の目を光らせている。
アリアガが部屋に近づくと軽く頭を下げて礼をはらって見せるが、その目は激しい怒りに満ちている。
このインディオも全くいまいましい奴だ。
アリアガは蔑むように冷ややかに一瞥し、ビルカパサの礼を完全に無視して部屋のドアを荒々しく開けた。
部屋の中には、白い絹のシャツにスペイン風の上品な上着を身につけ、一縷の隙も無くいずまいを正したトゥパク・アマルが、能面のような表情でテーブルの前に座っていた。
テーブルの上には、一本の小さなナイフと粗末な布切れが置かれている。
瞬時に、アリアガはそのインディオが何を言いに来たのかを察した。
アリアガの中に憎悪に似た感情が湧き上がる。
(こいつは、やることなすことに、いちいち…!)
「アリアガ殿。」
トゥパク・アマルは感情の無い声で言った。
(『アリアガ様』、だろう!このインディオ野郎め!)
アリアガは心の中で毒づいた。
「一体、何の用だね。わしも忙しいのだ。
こう頻繁に来られては、さすがに仕事にさしさわる。
はっきり言って迷惑だ。」
「今回の領民への強制配給の品は、このナイフと布切れだったそうですね。」
「それがどうかしたかね。ナイフも布も、領民にとっては必要なものだ。」
「あなたは、この品々を一体、いくらで貧しい農民たちに買わせましたか?」
トゥパク・アマルはゆっくりとナイフを鞘から抜いた。
ナイフが濡れたように、鈍く光る。
アリアガは、一瞬、その肥満で膨れ上がった体を不器用に反らした。
トゥパク・アマルは、ナイフの刃をアリアガの喉もと辺りの高さに掲げた。
「な、何をする…!」
アリアガは引きつった声を上げた。
トゥパク・アマルの眼光がいっそう鋭くなった。
その瞬間、アリアガは確かに殺気を覚えた。
「ひいい…誰か…。」
「わたしは何もいたしません。今は…――。」
トゥパク・アマルは低い声で言った。
最後の方の言葉は聞き取れないほどの声だった。
そして、ナイフを下ろし、布きれの傍に置いた。
アリアガは、トゥパク・アマルの言いたいことは分かっていた。
先日、この代官は「強制配給」という名目で、このささやかなナイフと布きれを、本来の値段の10倍で領民に強制的に売りつけたのだった。
「わ…わしの一存でやっていることではない。
もっと上の役人からの命令に従っているだけだ。」
アリアガは動揺を隠そうとつとめたが、脂肪の塊のようなその額には、油汗がじっとりと滲んでいた。
「上の役人とは、どなたのことです?」
トゥパク・アマルが詰め寄った。
「そ、それは…。」
トゥパク・アマルの目が冷ややかに光る。
それは、先刻のナイフの刃を思わせた。
「しゅ…首府リマの、インディアス枢機会議で決められたことなのだ。」
アリアガは思わず自分の口をついて出た言葉が、あまりに稚拙だったため、自ら「しまった!」と心の内で舌打ちした。
トゥパク・アマルはアリアガを見下ろすように目を細めた。
アリアガの横顔を冷や汗が伝う。
「ほう…。では、この国のお偉い方々が、このような暴利な値で売ることをお決めになったと?」
「…。」
アリアガは言葉に詰まった。
トゥパク・アマルは険しい表情で言った。
「この信じられない強制配給のために、借金で首が回らなくなって自ら死んでいった者が、どれほどいると思っているのです?」
その目には、もはや、明確に怒りの色が燃え上がっていた。
「あなたは代官として、この地の領民たちを守る義務があるのです。それを…!」
トゥパク・アマルの声にも、さすがに感情が滲みはじめる。
そして、それを悟られまいとするように、急いで言葉を続けた。
「これ以上、あなたがこのような非道なことをお続けになるのであれば、私はあなたよりも、もっと上のお方に、これらのことをご報告するしかありますまい。」
「なっ…なに!!このっ…。」
アリアガは、ぴくぴくと脂肪を震わせながら顔を引きつらせた。
それは、自分の悪行を明るみに出される不安と共に、この一介のインディオにそこまで言われたことへの非常な屈辱感からであった。
アリアガは憎悪の目で、トゥパク・アマルに喰ってかかった。
「たかがカシーケの分際で…――!」
トゥパク・アマルは、すっと椅子から立ち上がった。
そして、ドアの方に向かって歩きはじめる。
「もし、あなたがこのようなことを今後もお続けになるのならば、私はそうするしかありますまい。」
「待て…!!」
トゥパク・アマルは振り向きもせず、そのまま部屋を出て行った。
去っていくトゥパク・アマルの後ろ姿を見やりながら、アリアガはチッと床につばを吐いた。
そして、ぐいと手の平で額の汗をぬぐった。
しかし、手の中にもぐっしょりとした汗が溜まっており、アリアガの額はかえって汗で照り返った。
「なんという、生意気な奴だ…――!」
アリアガは部屋のドアを乱暴に閉め、吐き捨てるようにそう言った。
しかも、いまいましいことに、自分の足が震えている。
耐え難い屈辱と、怒りと、そして、恐怖からだったろうか。
召使いを呼び、急いで厳重に館の門の錠を下ろさせた。
「わしを脅したつもりだろうが、上の者に訴えるだと?フンッ、まさか…。」
アリアガは引きつった顔のまま、蔑むように不気味に笑った。
「インディオの分際で、いちいちそんな大それたことなど、できるわけのないことだ。」
代官は、自らをなだめるように言い聞かせた。
(くだらん脅しにいちいち乗せられていては、代官稼業などつとまらんからな。)
アリアガは嘲笑するように、顔の脂肪を歪めた。
むしろ、アリアガの疑念は、別のところにあった。
それは、首府リマにいる巡察官アレッチェの、トゥパク・アマルに対する不可解なほどの警戒心だった。
アリアガはいつものようにいぶかしく思った。
実際、アレッチェからは、この代官アリアガのもとに頻繁に連絡があった。
トゥパク・アマルの行動の監視を決して怠るな、という趣旨のものだった。
万一にでも秘密裏に武器を蓄えるようなことのないよう、トゥパク・アマルの邸宅その他の関連施設は、予告ない家宅捜索により厳重なチェックを行うよう、執拗に命令されていた。
そして、特に、決して自らを『インカ(皇帝)』であると名乗らせてはならぬ、とアレッチェにしつこいほど言い渡されていた。
実際、高官アレッチェの命に従い、アリアガはトゥパク・アマルの行動を監視し、武器のチェックも怠りはしなかった。
しかしながら、この代官は、アレッチェほどの危機感をもっては、それらを行ってはいなかった。
(確かに、トゥパク・アマルはインディオどもからの人気も高く、実に鼻につく生意気な奴ではあるが…。)
アリアガは、独り呟いた。
「アレッチェ様は、なぜトゥパク・アマルごときに、あそこまで警戒の目を光らせろと言うのだろうか。
インカ皇帝の血筋とはいえ、今となっては一介のインディオのカシーケにすぎぬのに。」
巡察官アレッチェのようにはトゥパク・アマルという人物を見抜けなかったこと、そのことが、アリアガにとって後に自らの命取りにまで発展しようとは…――、今はまだ、この強欲な代官には知る由もなかった。
人間たちの様々な思惑が渦巻くこのアンデスの地にも、季節だけはいつもと変わらずめぐっていく。
今年も夏がやってきて、アンデス高地のこのティンタ郡あたりにも、やっと緑豊かな季節が訪れていた。
この地を流れゆくビルカマユの川は、真っ青な空を映して、いっそう深い藍色に輝いている。
集落の道端に植わった柳やモイェの木々も、この地の短い夏の光を謳歌するように、緑の葉をいっぱいに広げて精一杯に陽光を受けていた。
濃い緑色に染まったジャガイモやトウモロコシ、キノアの畑がはるかに広がり、その間を黄緑色の牧草が谷間を埋めている。
自然からこれほど豊かな実りを授かりながらも、農民たちの手にはその一部すらも残りはしなかったのだが…。
それでも、税を納めねばならなかった。
それができなくなれば、それは死を意味する。
コイユールはささやかな畑で、丁寧に雑草を抜きとりながら、ジャガイモの葉の育ち具合を調べていた。
濃い緑色の葉は厚く、しっかりと成長している。
コイユールはその生命力を愛しく思った。
そして、軽く手の泥を払って、畑の中央に立ち、瞳を閉じた。
それから、畑全体を瞼の裏に思い浮かべた後、太陽と月のシンボルをイメージの中で描いて、そして、いつものようにマントラを3回唱えた。
そのまま静かに心を集中していると、上空からすっと光が降りてくる感覚があり、その光はコイユールの全身をめぐり始める。
そのまま彼女はイメージの中で、豊穣の祈りの思いをこめて自分の畑に光を送った。
イメージの中で、畑全体が光に包まれていく。
爽やかなそよ風が吹きぬけ、コイユールの頬をかすめていった。
緑の草の香りが風にのって、舞うように漂っている。
さらに、その閉じた瞳の奥で、光は、自分の畑を越え、隣の畑も包み、さらに、その隣の隣の畑に、そしてさらにはずっと遠くの平原を越えて、はるかコルディエラ山脈にも届くほどに広がっていく。
「コイユール!」
少し離れた所から、ふいに誰かが呼ぶ声が聞こえた。
コイユールはゆっくりと目を開いた。
あの時の少女、アンドレスの館であの夜出会った少女、マルセラがむこうの土手の方から手を振りながら元気に走ってくる。
「マルセラ!」
コイユールも笑顔で手を振り返した。
アンドレスの館で初めてトゥパク・アマルに出会った日の後も、アンドレスはコイユールに変わらず接した。
コイユールも、変わらず振舞っていた。
アンドレスがトゥパク・アマルの甥であったこと、つまり、皇帝末裔の血縁であったという事実は、確かに、彼女にとって、アンドレスとの間に隔絶的な距離感を突きつけてくるものではあった。
しかし、この国を思う気持ちは、とても似ていた。
それは身分や立場の違いを超えて、二人をさらに深い絆に導いていた。
そのアンドレスも、もう随分前に休暇も終わり、今は再びクスコの寄宿学校へと戻っている。
それから、あの夜に出会った少女マルセラと、たまたま年齢が近かったことや、同じ集落に住んでいたことなどもあり、こうして時々一緒に過ごすようになっていた。
マルセラはインカ族の貴族の娘で、トゥパク・アマルの腹心の部下の一人、先日の代官アリアガの館にも護衛として出向いていたあの鷲鼻の男、ビルカパサの姪であった。
まるで少年のような風貌をした少女で、短く切った黒髪をターバンでまとめ、いつもスカートをたくし上げて、すらりとした褐色の足でカモシカのように敏捷に動いた。
凛とした眼差しは、あのビルカパサ譲りであろう。
また、マルセラは、コイユールにとっては、よき「先生」のような存在でもあった。
貧しい農民のコイユールはまともな教育も受けることはできなかったが、貴族のマルセラはそれなりの教育を受けていた。
コイユールは、畑の端に大事そうに置いてあった、アンドレスからもらったあのスペイン語の教本を手に取った。
マルセラに聞きたい質問がたくさんあった。
「ねえ、マルセラ!」
コイユールが本を差し出しかけたのを、マルセラが素早く制する。
「それは、あと、あと!」
そして、コイユールの傍の土手に座ると、両手の平に乗るような石の塊を懐から取り出した。
周囲を削って星のような形に整えられた重そうな石で、中央に穴が開いている。
「それは?」
コイユールが不思議そうな顔をするのを、マルセラは「やっぱり、知らないのね。」と得意気な表情をつくった。
「あんたは、ほっんと、なんも知らないんだから。」
それは、コイユールと会う時のマルセラの口癖である。
そして、「ほらっ」と、その星型の石をコイユールの手の平にポンと投げ渡した。
コイユールの手の平にズシリと重さが伝わる。
「重い…!
これ、何?」
「それは、オンダの石!」
そう言いながら、また懐から、今度は毛織の太い紐のようなものを取り出した。
「そんで、これは、そのオンダを振り回して投げるためのバンド!」
マルセラが、嬉々として言う。
コイユールは合点がいった。
それは、インカ時代から伝わる伝統的な武器、投石器(オンダ)だった。
恐らく、その星型の石の中央の穴にその紐を通して、振り回して勢いをつけ、石を敵に放つのだろう。
「これ、オジ様から、もらっちゃったのっ!!」
マルセラは叫ぶようにそう言うと、勢いよくコイユールを振り返った。
その目は、まるで星のようにキラキラ輝いていた。
多分、『オジ様』とは、あのビルカパサのことだろう。
「そ、そうなの。良かったね!」
マルセラのその無邪気で、もう夢中な、少年のような様子がおかしくて、コイユールは思わず笑ってしまった。
「何が、おかしいのさ!」
マルセラが頬を紅潮させる。
それから、すっくと立ち上がって、再び瞳を輝かせてコイユールを見た。
「これ、投げてみようよ!!」
「ええ~!」
さすがにコイユールも目を丸くした。
が、一度こうと決めたマルセラの勢いを止められないことを既に知っているコイユールは、彼女の手を取って、急いで畑のあたりから離れた広々とした空き地の方まで引っ張っていった。
遠くの高台で、リャマの親子が二人の様子を見物している。
「じゃあ、行くわよ!!」
マルセラは興奮気味な目で、その星型の石の中央に紐を通した。
コイユールは周囲に人の気配がないことを確認し、それから、リャマの親子に間違っても石が飛んでいかないように、とマルセラに念を押した。
「そんなこと、わかってるわよ!
たしの運動神経の良さ、見てなさい!!」
マルセラは鼻息荒くそう言うと、紐を通した石をブンブンと勢いよく振り回し始めた。
コイユールは慌てて後ろに下がった。
「本当に、大丈夫…?」
マルセラの横顔は真剣そのものだ。
はるか前方の一点を鋭い眼差しで見つめている。
そして、高い掛け声と共に、石を放った。
石は素晴らしい勢いで宙を飛び、20~30メートル先の草の上にドスンと落ちて、その辺りの草を削りながら激しく回転をした後、ゆっくりと止まった。
高台から見下ろしていたリャマの親子が、飛び上がるように走り去っていく。
マルセラは肩で息をはずませながら、爛々と瞳を輝かせていた。
額には、うっすらと汗を滲ませている。
コイユールは、思わずパチパチと手を叩いた。
「すごい!」
「でしょっ!!」
嬉々とした眼差しで、マルセラはこちらを見た。
が、その瞬間、「痛ぁっ!」と右手首をおさえながら、マルセラはその場にしゃがみこんだ。
コイユールが急いで彼女の手首を見ると、真っ赤に腫れている。
「ひねってしまったんだわ。」
「いたぁぁ…。」
マルセラは先ほどの雄姿はどこへやら、半べそで恨めしそうにオンダのバンドをみつめた。
コイユールは彼女をゆっくりと座らせた。
そして、そっと自分の手をマルセラの患部に添える。
今はコイユールのことを知っているマルセラは、素直にコイユールのするがままに任せた。
しばらくすると、マルセラは自分の手首のあたりに、柔らかなあたたかさが波動のように伝わってくるのを感じていた。
次第に、痛みが和らいでいく。
一方、コイユールはマルセラの手首に意識を向けながらも、どこかで、全く別のことを考えていた。
彼女は、先ほどのオンダ(投石器)のことを思った。
確かに、あの石がぶつかったら致命的な打撃になるのかもしれないけれど、だけど、それとスペイン人たちの所持しているピストルや大砲とは、とうてい比べ物にならない、というか何か非常に次元の違うもののように感じられた。
いや、実際、次元があまりにも違うのだ。
こうした差は、武器に限ったものなのだろうか…。
コイユールは心の中で、深い溜息をついた。
なにか、自分たちがとても小さく、無力に思えてくる。
コイユールはその思いを打ち消すように、首を振った。
そして、マルセラの患部に手を添えたまま、空を見上げた。
インカの神、太陽の輝く空は、彼女に希望を与えてくれるはずだ。
しかし、今日の空は妙に遠く、高く、まるでとても手の届かない異界のように、ただ漠々と広がっているだけだった。
同じ頃、クスコの神学校にいるアンドレスも、不吉な思いに貫かれていた。
アンドレスはラテン語の教書を広げたまま、遅い午後の放課後、既に授業を終えて誰もいなくなった教室の一隅で、一人の親しい友を前にして身を硬くしていた。
まるで教会の中のような厳かな雰囲気の教室の窓からは、音もなく西日が静かに射しこみ、二人の影を黒々と長くひいている。
今、アンドレスの前に座り、やはり暗澹たる表情をした友人のロレンソはインカ族の若者で、代々インカ皇帝の片腕として皇帝を助けてきた腹心の家臣の末裔でもあった。
ロレンソは理知的な大人びた雰囲気の、アンドレスと同級生の若者で、ラテン語、スペイン語、ケチュア語、キリスト教などのあらゆる学科において、その成績をアンドレスと競い合うライバル同士でもあった。
もちろん、様々な身体的な競技でも、二人はその運動神経において凌ぎを削り合う間柄でもあった。
そして、何よりも、ロレンソは物事の本質を見抜く直観力の鋭さのようなものをもっていた。
入学当初は互いに競い合うばかりだった二人も、何年間かの共同生活の中で切磋琢磨しながら互いを知るうちに、その関係性は単なるライバル同士を超えて、まるで「同志」のような間柄に変わっていた。
このようなスペイン人の厳格な監視下におかれた神学校では表立った政治批判などはもちろんタブーだったが、二人は大人たちの目を逃れては密かにその思いを語り合った。
もともとアンドレスは、特にこの学校では、自分の身の上についてあまり表立って語ることを好まなかったが、勘のいいロレンソは、二人の会話の中で、アンドレスの身の上を直観的に悟っていた。
そして、今、この放課後の教室で、ロレンソは声を低め、搾り出すように再び言った。
「噂は、やはり本当らしい。
あのブラス様が、亡くなられたという…。」
アンドレスは耳を疑っていた。
ロレンソはこの神学校のあるクスコの地の出身のため、情報を入手しやすく、また、これまでもその内容が正確であることが多かった。
なお、『ブラス』とは、先日のアンドレスの館でのトゥパク・アマルらとの会合の際、スペイン国王への直訴のために海を渡る決意を表明した、あの初老の紳士である。
ロレンソは青ざめていくアンドレスの顔を直視できず、彼もまた、苦渋の表情で顔をそらした。
(まさか…!
だって、今頃、ブラス様は船でスペインに向かわれているはずだ…――。)
アンドレスの心の声を察したように、ロレンソは、彼もまた非常に苦しそうであったが、再び搾り出すように言った。
「ブラス様は身分を隠してスペイン本国行きの船に乗られていたが、その船の上で何者かに殺されてしまったらしい…。」
ロレンソはそこまで言うと、自分の口を押さえて、まるで嗚咽を抑えるように身を屈めた。
アンドレスは、自分の体が地中深く、どこまでも、どこまでも沈んでいくような感覚に襲われた。
何も考えられない。
呆然としたアンドレスの腕が触れ、ラテン語の教書が鈍い音と共に床に落ちた。
その教書の上に、窓から差しこむ放課後の西日は、相変わらず何事も無かったようにただ静かに注がれていた。
それからしばらくして、首府リマやクスコから離れたトゥパク・アマルらの住むティンタ郡にも、ブラス怪死の話は届いた。
血相を変えたアンドレスの叔父ディエゴは、トゥパク・アマルの屋敷に急いだ。
雨季に入った空は暗く、どんよりと重たく曇っている。
屋敷に着くと、トゥパク・アマルのいる部屋に急いだ。
部屋の中からは数名の男たちの呻き声が漏れている。
もう日も暮れかかっているのにもかかわらず、灯りさえともすのを忘れられたその薄暗い部屋は、陰鬱とした重々しい空気に呑みこまれていた。
中にいるのは、主にあのアンドレスの館での会合のメンバーたちだが、他にも怒りと悲しみに顔を歪めた数人のインカ族の男たちがいた。
あの線の細そうな混血児フランシスコは、殆ど泣きそうな顔をしている。
集団から少し離れた部屋の隅では、あの鷲鼻のビルカパサが怒りに震える腕を壁に幾度も振り下ろしていた。
部屋の中央には、目を閉じたまま身動きひとつせず、トゥパク・アマルが無言で座っている。
しかし、その肩は不自然に上下し、その呼吸は非常に不規則になっていることがわかる。
必死に感情を殺しているのだ。
トゥパク・アマルをよく知るディエゴには、彼の心中は言葉を介さずとも手にとれた。
そして、トゥパク・アマルの横では、年輩のインカ族の男ベルムデスが、まるで跪くようにしてトゥパク・アマルに必死の眼差しを向けていた。
「なりませぬ、トゥパク・アマル様。
決して、スペインに行ってはなりませぬ!」
トゥパク・アマルの父親のような年齢のその男は、しかし、実際のトゥパク・アマルの父母は彼が幼き日に他界していたが、もし生きていたらこのような人物であったかもしれぬと思わせるような、トゥパク・アマルにどこか似た雰囲気をもっていた。
実際、ベルムデスはトゥパク・アマルの父親のごとく、彼にとってはよきアドバイザーでもあった。
そのベルムデスは、必死な面持ちで繰り返した。
「なりませぬぞ、決して!
ブラス様やサンセリテス殿の時と同じことが起こるだけです。
あなた様がいなくなられたら、この国はどうなりましょうぞ。」
その様子から、ディエゴは、トゥパク・アマルが自らのスペイン行きを言い出したのだろう、とすぐさま察した。
「トゥパク・アマル様…――!
絶対に、なりませぬ。」
ベルムデスの表情は、殆ど睨みつけるほどの気迫を帯びていた。
トゥパク・アマルは目を閉じたまま、低い声で言った。
「ベルムデス殿、そして、皆の者よ、少し一人で考えさせてほしい。
また、近いうちに会合を開こう。」
そして、うつむき加減にゆっくりと立ち上がり、静かに部屋の出口に向かった。
皆が、トゥパク・アマルの後ろ姿を呆然とみやっている。
トゥパク・アマルは足を止め、静かに振り返った。
うつむき加減だったその顔をゆっくりと上げる。
その目は意外なほどに静かで、包み込むような眼差しだった。
「案ずるな。
必ずや、道はある。」
そう言って、かすかに笑った。
そして、部屋を後にした。
ディエゴは、自らも深く心に傷を受けていたが、しかし、トゥパク・アマルのことがいっそう案じられた。
急ぎ後を追うが、既にトゥパク・アマルは馬に跨り、館から門の外に走り出ていったところだった。
ディエゴはその後ろ姿を見送るしかなかった。
空はいっそう雲が厚くなり、今にも雨が落ちてきそうだ。
屋敷を出たトゥパク・アマルは、あてもなく、ただひたすら馬を駆った。
まもなく、空からは大粒の雨が激しく落ちてきた。
雨がトゥパク・アマルの全身を激しく打ち始める。
風足はさらに強まり、彼の全身に横殴りに叩きつけてきた。
しかし、トゥパク・アマルは馬を駆り続けた。
長い黒髪が、顔に、背に、べったりと張りついて、無数の雨水がそれを伝って流れた。
雨水は、また、彼の目から頬を伝い、流れ落ちた。
まるで、トゥパク・アマルの涙のように…――。
「ブラス様…――!」
彼の呻くような声は、ますます激しく降りしきる雨の中に、ただ虚しく吸い込まれ、かき消されていくだけだった。
一方、その頃、首府リマでは、いつになく満足気な表情を浮かべた、あの男がいた。
植民地巡察官アレッチェである。
インディアス枢機会議の本部が置かれた壮麗で堅固な西洋建築の中にある、豪華な執務室のソファにゆったりと身を沈め、高級そうな葉巻に火をつけた。
優雅なカーテンに縁取られた窓のむこうは、既に日が落ち、激しい雨が降っている。
アレッチェはゆったりと葉巻をくゆらせながら、何枚かの書類に目を通し、その中から慎重に数枚を抜き取った。
そして、抜き取った書類を蝋燭に近づけ、注意深く一枚ずつ燃やしていった。
ブラス暗殺に関する証拠は、一切、残してはならない。
ブラスの死については、インディアス枢機会議の感知するところであってはならないのだ。
アレッチェの目は蝋燭の炎を反射して、氷のように冷たく光った。
全く、くだらぬ手を焼かせられたものだ。
しかし、インディオによって本国のスペイン国王に直訴などされた暁には、この地の巡察官たる自分の立場も面子もあったものではない。
そのような事態を未然に防げたことには、やはり安堵の思いがあった。
この一件に関する書類が焼けて灰に変わっていくさまを眺めながら、アレッチェはトゥパク・アマルのことを考えた。
さぞ、悔しがっていることだろう。
アレッチェは唇の端を不気味につり上げた。
もしブラスの後を受けてトゥパク・アマルがスペイン本国に渡ろうとするならば、今度はおまえにも同じ運命が待っている。
むしろ、そうなったら、やっかいな懸念の種を一つ片付ける機会になり結構なことだが。
そんな考えに耽りながら、アレッチェは再び冷酷な笑いを浮かべ、葉巻を灰皿に押しつけた。
◆◇◆◇ここまでお読みくださり、誠にありがとうございました。続きは、フリーページ
第三話 反乱前夜(2)
をご覧ください。◆◇◆◇
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