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2005.04.21
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私は朝おそくまでぐっすり眠った。新しい陽は私にとっておごそかな祭日として明けた。それは少年時代のクリスマスのお祝い以来味わったことのない祭日だった。私は、すっかり内心のおちつきを失っていたが、不安は少しももたなかった。自分にとって重要な陽が明けたのを感じ、私は、周囲の世界が変化し、深い関係をもっておごそかに待機しているのを見、かつ感じた。かすかに流れる秋雨も美しく静かで、厳粛に朗らかな音楽に満ちて祝日のようだった。始めて外部の世界が私の内部の世界と清く諧音を発した。――こうして魂の祝日は来た。生きがいができてきた。どの家も、どの飾り窓も、路地のどの顔も私を乱さなかった。すべてはあらねばならぬとおりであって、日常のありふれたもの空虚な顔をしておらず、すべては待機している自然で、運命に対しうやうやしく用意を終えていた。小さい少年のころ、クリスマスとか復活祭とかの大祭日の朝、私には世界がそんなふうに見えたのだった。この世界がこんなに美しくありうるとは知らなかった。私は自己の内に沈潜することに慣れていた。そして外界のものに対する自分の感覚が消えうせたこと、輝く色彩の喪失は幼年時代の喪失とさけがたく結びついていること、いわば魂の自由と成人との代償としてこのやさしい微光を断念しなければならないことに甘んじてきた。いま私は、すべてのものは埋もれ暗くされていたにすぎないのを見、また、自由になったものとしても、子どもの幸福を断念するものとしても、世界が輝くのを見、観察する子どもの深い驚きを味わうことができるのを知り、うっとりとした。(『デミアン』ヘッセ/訳=高橋健二/新潮文庫より)

 ヘルマン・ヘッセは古くから日本人に親しまれてきた作家だと言えるでしょう。そして、今回この一節を拾い上げ、私は何となくですが、その理由の一端がよく判るような気がしました。
 本を閉じ、私たちは思います。でも、本当にこんな朝が自分にやって来るだろうか?と。豊かな精神性と甘やかな感傷性はまさに紙一重ではないか、と自らを疑うこともあります。「すべてはあらねばならぬとおり」の世界が目の前に現れることなど、神秘的すぎる考えではないか、と。しかしながら、私たちは(少なくとも私は)それを待ち続けているような気がします。





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Last updated  2005.04.21 01:40:40
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