マムの素 *             青カバ・ウィリアムはかく語る

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2011.06.12
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スピーチ全文(1)

ひとりでも多くの方に読んで欲しいと思い前回に続き(2)
をアップします。
とにかく、まづ立ち止まりましょう。そして考えましょう。(マム)



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村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(2)



 日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。
我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意
ではない。
そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかも
しれません。
でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。

 しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで
許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくては
ならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる
問題であるからです。

 ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を
持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、
米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が
失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。
しかしここでは、その是非を問うことはしません。

 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、
生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、
時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど
破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷
跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。

 戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興
であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と
武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、
その二つが日本という国家の新しい指針となりました。

 広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。
そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、
我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。
その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて
被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、
またその力の行使を防げなかったという点においては、
我々はすべて加害者でもあります。

 そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、
三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し
続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にも
わかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな
核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。
我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、
我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。

 何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた
核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?
我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、
歪められてしまったのでしょう?

 理由は簡単です。「効率」です。

 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。
つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、
とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、
原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な
金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも
安全だという幻想を国民に植え付けてきました。

 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが
原子力発電によってまかなわれるようになっていました。
国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、
世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。

 そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまった
わけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは
電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられ
ます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が
広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、
ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、
「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

 そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、
今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。
それが現実です。

 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実
とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎな
かった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替え
ていたのです。

 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると
同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範
の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。
それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らを
も告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でも
あるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。
そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。

 ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心
になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、
大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう
言ったそうです。

 「大統領、私の両手は血にまみれています」

 トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから
取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」

 しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、
この世界のどこを探してもありません。

 我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の
意見です。

 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、
原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべき
だったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。
それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験
によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく
持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の
歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の
取り方となったはずです。
日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要
だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となった
はずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に
流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。

 前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は
自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服する
ことによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。
我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。

 壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になり
ます。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員
の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、
彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、
その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする
手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に
出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を
進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、
しかし心をひとつにして。

 その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たち
が進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、
新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした
新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。
それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌の
ように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、
まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。
その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。

 最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろい
ゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外
なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。
そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになって
います。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような
危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続ける
ことへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。

 僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞を
いただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れて
いますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。
しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、
同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、
日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、
人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの
物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説
家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分
かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。

 カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、
ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を
護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合える
ことがきっと数多くあるはずです。

(バルセロナ共同)
つづく





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Last updated  2011.06.12 00:37:32
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