各地に広がる「ひもろぎ」の株分けは、いろいろな話題も提供してくれる。特に名古屋が注目された。米子教会の三回目の土地購入を申請した頃、名古屋の婦人会の幹部一同が、影身祖の許に、株分けのお願いに行く。そこで話された言葉は、特筆される。
「腕ずくでも、金ずくでも、ひもろぎは、動きません。ひもろぎに、籠もった生命の誠と、皆さんの誠が、ピタリと合った時初めて、ひもろぎが、動くのです。『どうぞ、この心癖を取ってください』と訴えられただけでひもろぎの霊力が働いて、皆さま方の心癖のなおらないところを取ってくださることになるのです」
この挨拶文が、各地に配られて、それ以来、ひもろぎ信仰が始まり、株分けの動きが加速した。影身祖の本「教えられるままに」にも収められている。ところが、その言葉「ひもろぎの霊力」がやがて反故になるとは、影身祖自身も思わなかっただろうし、その件は、知らされないまま、そんな世界で暮らしているのは、逆に幸せなのかもしれない。
二代教祖夫人の言葉が、そんなに軽々しいものだったのか、という反発をどう受け止めたらいいのか。
影身祖といろいろ話している時に、電話が鳴る。かなり長時間だった。
「それはいいところにお気付かれましたね。そうですよ。なんでもアッサリ素直に表現すればいいのですよ」
そんな言葉も聞こえた。
「名古屋の佐藤さんですよ」
「まだお元気なのですか。もう90近くではありませんか」
「よく知っていますね」
「新婚時代にお世話になり、感謝しています」
「そんな縁がありましたか。やっぱり世の中は繋がっていますよ」
「あの頃、影身祖さまは、二代さまと毎年のように西川流の名古屋踊りを見に来られていて、私はカメラ担いで取材していまいた。傍にいても言葉をかけるのも恐れ多い気持ちでした」
「まあ、そんなことまで覚えていましたか。あの頃は華やかでよかったね」
「佐藤さんお元気なのですか」
「あれだけの高齢で、もう悠々自適にお暮らしされているのも、やっぱりいつもアッサリ素直に表現しているからでしょうよ。教えられました。いつも神様、神様と申し上げて表現すればいいのですよ」
当然ながら、佐藤元会長の電話は、ひもろぎのお礼だった。
そこは、秀峰大山が一望できる。遮るものは、何一つない。やや小高い丘になっている。
「ちょっといい土地があります。一度ご覧下さいませんか」
「あなたのお勧めなら間違いないでしょう。今から案内してください」
駅から十分位。少し中心から離れているが、我慢できる範囲か。バス停から徒歩5分か。高齢者にもなんとか、なる距離だ。なによりロケーションがいい。
「どうしてこんな土地があったのですか」
「実は、ここはご覧のように高台に団地があります。その開発のために、ここをスーパーにする予定でしたが、何しろ商圏が小さく、どこも手が出ないので、土地開発の業者がPLさんならどうだろか、と、私に打診してきた次第です」
「それなら用途変更の変更手続きが必要ですね」
「それはなんとかなるのではと思っています」
「広さは」
「乗り面入れて670坪で、地価は20万切れています。現在の土地を売ればは充分にペイできます」
新殿堂の構想のイメージが膨らんでいた。大山をモチーフにして、玄関を入れば、大山が飛び込んでくる。額縁の中と同じ感じ。一番手前にあるのは、もちろん「ひもろぎ」である。
「ひもろぎ」のために教会を建てる。どの教会よりも「ひもろぎ」を中心に据える。「ひもろぎ」無くしてここの教会は考えられない。
しかし
不運に見舞われた。委員長が病に倒れ、教会神霊遷座式には、それを押して参列したが、翌月教祖の誕生の日に亡くなる。移転後の初の大きな行事は、その藤田会長の教会葬だった。大きな誠の人柱かもしれないが、耐え切れないものだった。もう二度とこんな目に遭いたくない。教会など建てないと固く決心せざるを得なかった。