台湾迷(台湾マニアのブログ)

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各駅紹介NO2



花蓮(花蓮県花蓮市) ホア リエン/ホア レン/ファー リエン

花蓮は人口約10万人で台湾東部で台東に次ぐ町。かつては瀾港(ホエレンカン)と呼ばれ、その後、花蓮港(ホエレンカン)と漢字表記されるようになり、日本時代は花蓮港(かれんこう)という町だった。花蓮はタロコ(太魯閣)峡谷観光の玄関口。駅前からタロコ方面へ向かうバスも出ている。駅前には鉄道公園があり、ナローゲージ時代のディーゼルカー車両などが展示されている。花蓮駅から先は複線電化で、高速化されている。ナローゲージ時代の旧花蓮駅跡地は花蓮客運のバスターミナルや夜市になっている。花蓮は大理石の産地としても知られていて、海岸路には石彫公園がある。花蓮は国際港があるほか、空港には空軍基地があり、軍人関係者も多く住んでいる。市内は美崙山という小山があり、公園になっている。花蓮は慈濟功徳会という仏教団体が土地に根ざしていて、駅西部に慈済綜合病院がある。



北埔(花蓮県新城郷) ペイ プウ/パク ポオ

北埔は日本時代、研海という地名だった。これは佐久間左馬太総督の別号・研海から来ていて、タロコ族を軍事力で帰順させた功績を記念して名づけられたのだという。研海庄は戦後に新城郷と改められたが、タロコ国家公園内に佐久間山(2809m)と研海林道という地名は残っている。北埔駅は花蓮空港の裏手にあり、国軍花蓮醫院も近い。駅から東へ2キロほど行くと、七星潭という海岸があり、最近はマンボウ料理で注目を集めている。駅北側の康楽村には慈濟功徳会の発祥地とされる静思精舎がある。



新城(花蓮県新城郷) シン ツェン/シン シヤ

タロコ(太魯閣)峡谷の最寄り駅。新城から立霧(タッキリ)渓に沿うように登っていくとタロコ族が住む秀林郷。タロコ族は日本時代にほとんど山を下りでいるので、タロコ峡谷沿いにはタロコ族の集落は見当たらない。タロコ峡谷は大理石の断崖絶壁が約20キロにわたって続く大自然の魅力と同時に、退役軍人を動員して建設された花蓮から台中へ抜ける中央横断道路(中横公路)の美もタロコ峡谷の魅力である。長春祠は中横公路建設の殉職者たちを祀っている。断崖が大理石が侵食されて細かい穴が開いている燕子口はイワツバメの巣になっているという。この横に岩肌むき出しの素掘りトンネルがあり、ここから眺める燕子口はスリル満点。九曲洞は車道は新しいトンネルで素通りするが、旧道はやはり素掘りトンネルの連続で、当時の難工事が偲ばれる。天祥(タビト)は吊橋を渡ったところに祥徳寺がある。天祥からさらに3キロほど登ると川底に湧き出でる文山温泉がある。



和平(花蓮県秀林郷) ホー ピン/ホー ピェン

荒々しい岩が転がる立霧渓の橋を渡ると、蘇花公路最大の難関である清水断崖が近づいてくる。鉄道は崇徳トンネル、清水トンネル、和仁トンネル、和平トンネルと長い連続のトンネルを抜けると和平に着く。ここは近年、セメント工場と和平工業港が開発されている。



漢本(宜蘭県南澳郷) ハン ペン/ハン プン

和平渓を渡ると花蓮県から宜蘭県に入る。ここは蘇花公路の中間に位置しており、「はんぶん」が訛って「漢本(ハンペン)」になったと言われている。



武塔(宜蘭県南澳郷) ウー ター/ブウ タ

漢本から長い新観音トンネルを抜けると武塔駅に着く。ここはタイヤル(泰雅)族のブター村で、「サヨンの鐘」物語の舞台となった地。日本時代、村から出兵する巡査を見送りにきたサヨン少女が激流に流されてしまった話に、当時の長谷川総督が関心を示して鐘を建てさせた。駅近くにはサヨン記念公園ができ、戦後に一旦打ち棄てられていた「愛国乙女サヨン遭難碑」も近年立て直されて保存されている。



南澳(宜蘭県蘇澳鎮) ナン アオ/ラム オー

タイヤル(泰雅)族が住む南澳郷の玄関駅だが、駅は蘇澳鎮に位置する。南澳郷公所のそばにタイヤル文物館があり、タイヤル族の文化が紹介されている。碧候(ピヤハウPiexau)村の南澳北渓を上っていくと、川沿いに天然の温泉が湧き出でる四区温泉がある。



東澳(宜蘭県南澳郷) トン アオ/タン オー

南澳から南澳トンネルを抜けると東澳。三方を山に囲まれている難所。蘇澳の町まではあとひと山あり、鉄道は永春トンネルで抜け、蘇花公路は山を登りながら海沿いを走る。幸福セメントの東澳工場に近い。



蘇澳新站(宜蘭県蘇澳鎮) スウ アオ シン ツァン/ソオ オー シン ツァム

蘇澳新站は蘇澳市街からかなり離れていて花蓮方面との連絡駅という性格が強い。台北からの蘇澳行き列車はここから分岐して市街地にある蘇澳駅まで直通する。花蓮方面からの列車は、蘇澳新站で蘇澳行きに乗り換えか、バスで市街地まで向かうことになる。バスは冷泉に近い蘇澳駅や漁港がある南方澳まで向かうものがあるので便利。駅前はセメント工場があるほかは特に何もない。



冬山(宜蘭県冬山郷) トン サン/タン ソワ

冬山は冬山河を利用したボート競技が盛んな町。ここでは毎年端午節にドラゴンボート大会が行なわれ、9月には「宜蘭杯国際名門大学レガッタ大会」が行なわれている。郷西部の梅花湖周辺はリゾート農場がある。



羅東(宜蘭県羅東市) ルオ トン/ロー トン

羅東(ロトン)は平地原住民のカヴァラン語で猿の意味であるという。人口約7万人の宜蘭県内第二の規模の町。羅東中山公園周辺には大規模な羅東夜市があり、観光名所になっている。日本時代から太平山の森林開発が行なわれたことから、駅北側には山から持ってきた木材を貯蔵する貯水池がある。羅東からはタイヤル族が住む大同郷へバスが走っていて、太平山方面や寒渓(カンケイ)村へは羅東からバスで行くと便利だ。


宜蘭(宜蘭県宜蘭市) イー ラン/ギー ラン

宜蘭県の宜陽平原一帯はもともと先住民カヴァラン族が住んでいたところで、宜蘭はかつて蛤仔難(カバラン)や、[口葛][王馬]蘭(カマラン)と呼ばれていた。清の時代の1810年に[口葛][王馬]蘭の蘭をとって宜蘭(ギーラン)と改称された。町は駅の西側に開けていて、旧城内には清の時代から残る[女馬]祖廟である昭應宮があるほか、宜蘭河浜公園近くの右岸堤防には、日本時代に宜蘭庁長(県長に相当)を勤め、川の治水に貢献した西郷菊次郎(西郷隆盛の息子)を記念する碑が残っている。また、中山公園(宜蘭公園)には日本時代にタイヤル族を鎮圧した際に建てられた獻馘碑がある。この碑には納骨堂があり、タイヤル族がかつて首狩りでとった頭蓋骨や、武器が収納されている。その向かいには日本時代の忠霊塔があるなど、宜蘭市内には日本時代の遺跡がたくさん残る。日本時代、宜蘭神社はこの中山公園の場所にあったが、のちにいまの員山郷の員山公園に移った。戦後、員山公園の神社があった場所は忠烈祠になったが、いま本殿があったところは神社に関する郷土史館になっている。



礁溪(宜蘭県礁渓郷) チャオ シー/ター ケー

礁渓温泉の最寄り駅。礁渓(ターケー)とは水無し川という意味。このあたりは平地でも温泉が湧く。礁渓から鉄道は海沿いを走るが、道路は坪林を越えて新店へ抜ける北宜公路がある。S字に山を登っていく道路からは見下ろす礁渓の町は美しい。北宜公路は山を越えるので時間はかかるが、まもなく北宜高速公路が開通すると雪山トンネルを抜けて台北市まで一時間以内で行けるようになる。そうなれば台北~宜蘭は高速バスが鉄道のシェアをかなり奪うことになりそうだ。



頭城(宜蘭県頭城鎮) トウ ツェン/タウ シヤ

頭城は清国時代からの歴史ある町で、駅東の和平街に老街が残っている。頭城の海岸から約10キロ向こうに亀山島があり、頭城より北の海岸沿いを走る列車からよく見える。駅から東の海岸には頭城海水浴場がある。



亀山(宜蘭県頭城鎮) クエイ サン/クウ ソワ

梗枋漁港の最寄り駅。駅から海沿いに北東へ台2線を進むと北関海潮公園がある。列車の車窓からは亀山島がきれいに見える。山側は北関生態農場や頭城リゾート農場も近い。



大渓(宜蘭県頭城鎮) ター シー/タイ ケー

駅東約1.5キロに大渓漁港があり、新鮮な海産物が集まる漁市場がある。駅近くには天后宮があり、廟口海産小吃もある。



大里(宜蘭県頭城鎮) ター リー/タイ リー

列車は海沿いを走り、海岸線が美しい。大里は草嶺古道の最寄り駅で、ここから歩いて山を登り、台北県貢寮方面へ抜けられる。



福隆(台北県貢寮郷) フウ ロン/ホク リョン

海岸線沿いから三貂角をショートカットした草嶺トンネルを抜けると台北県に入る。福隆から先は山間部を走るため、駅弁が有名となった。福隆海水浴場は台北から手軽な距離にあり、台北市内からも海水浴客が訪れる。



貢寮(台北県貢寮郷) コン リャウ/コンガー リャウ

台湾が清国から日本に割譲されたとき、北白川宮能久親王がはじめて上陸した地点は、貢寮駅の北東、台2号線沿いの鹽寮で、いまここには抗日記念碑がある。また、この近くでは原子力発電所(核能四廠)が建設中だが、原発反対運動も起こっている。



雙渓(台北県雙渓郷) スワン シー/シャン コエ

貢寮から雙渓沿いに上ったところにある小さな町。台2線道路は山を避けて澳底や龍洞など海沿いの町を通るが、鉄道は山を登っていく。駅周辺はのどかで、軽く散歩するのもよい。



三貂嶺(台北県瑞芳鎮) サン ティアオ リン/サム ティアウ ニア

三貂嶺トンネルを抜け、平渓線と合流すると三貂嶺駅に着く。ここから列車は基隆河沿いを走り、山を下りてゆく。三貂嶺駅は基隆河沿いの、のどかな雰囲気が感じられるローカル駅。


侯[石同](台北県瑞芳鎮) ホウ トン/カウ トン

駅の東側の侯牡公路を少し上ったところに日本時代に神社だった鳥居が残っている。かつては石炭の町として栄えたが、いまはさびれていて、瑞三礦業の選煤工場跡がさびしく残っている。



瑞芳(台北県瑞芳鎮) ズエイ ファン/スイ ホン

映画「非情城市」の舞台となり、国際的観光地となった九[イ分](カウフナー)への最寄り駅。駅前から九[イ分]、金瓜石方面へ向かうバスが約15分毎に出ている。九[イ分]はかつてゴールドラッシュに湧いた坂の町で、坂の上から眺める海と山の景色は絶景で、坂の階段沿いに喫茶店が建ち並んでいる。九[イ分]からさらに山を登った金瓜石(キムコエチオ)も、九[イ分]と同様ゴールドラッシュで湧いた町。金瓜石は日本式宿舎などの建物が残り、日本情緒ただよう。黄金神社跡には鳥居や灯籠、社殿の柱が残っていて、社殿跡からの景色は絶景だ。黄金神社跡のふもとに金鉱博物館がオープンし、鉱山の様子が展示されている。



四脚亭(台北県瑞芳鎮) スー チャオ ティン/シー カー ティェン

台北県と基隆市の境の駅。瑞芳と四脚亭の間に深澳発電所へ向かう貨物線が分岐している。



暖暖(基隆市暖暖区) ヌワン ヌワン/ロワン ロワン

基隆河沿いの小さな駅。暖暖はノアンノアンという原住民の部落の名前から来ているという。暖暖から十分、貢寮、頭城へ抜ける基福公路が建設中で、これが完成すれば基隆から宜蘭方面の道路が便利になる。



八堵(基隆市暖暖区) パー トゥー/ポエ トオ

八堵の堵は土垣の意味で、かつて原住民から守るために作られたのだという。ここから台北方面に七堵、五堵と駅が続く。八堵から基隆へ路線が分かれている。通勤電車の多くは新竹~台北~基隆を直通している。駅周辺は特に大きな市街地はなく、基隆方面へ向かう電車は駅を出るとすぐ基隆河を鉄橋で渡り、トンネルをくぐり港のある市街地へ向かう。



七堵(基隆市七堵区) チー トゥー/チッ トオ

七堵は基隆市内にある駅だが、駅前には大きな車庫があり、都市という感じはしない。駅から西へ2キロほどのところに六堵工業区がある。



汐止(台北県汐止市) シー ツー/シェク チー

基隆と台北の間の町。汐止周辺は基隆河が曲がりくねっており、最近まで基隆河の洪水に悩まされる町だったが、ショートカットの水路が貫通し、洪水は起こりにくくなった。汐止は特に大きな町ではないが、市内に高速道路が交わる汐止JCTがあり、道路交通の要衝となっている。汐止駅から西に5分ほど歩いたところにある消防署の横は旧汐止神社跡で、鳥居や灯籠が残っている。市内北部の五指山国軍墓地に故・蒋介石総統の墓地を新しく造る計画がある。



南港(台北市南港区) ナン カン/ラム カン

南港トンネルを抜けると台北市内に入る。汐止と南港の間には貿易経済センターを建設する計画があり、そのアクセスとしてMRT内湖線やMRT板南線の延伸工事が行なわれている。南港駅は将来、台湾新幹線(高鉄)とMRT板南線とのターミナル駅となる。駅の南の方向には中央研究院があり、南港区は学問の町としても知られている。南港の北、基隆河を渡ると内湖区で、こちらはMRT内湖線の建設に合わせてニュータウンや工業区として注目されている。



松山(台北市松山区) ソン サン/ション サン/チュン サン

台中、高雄方面へ向かう列車の多くが、ここ松山駅を始発にしている。駅北側は饒河街夜市があり、駅南側は五分埔衣服問屋街になっており、観光客や買い物客でにぎわう。松山区や内湖区、信義区からだと台北駅へ出るより、松山駅を利用したほうが便利だ。ここから板橋駅まではずっと地下化され、台北駅までは市民大道の下を走る。松山駅から北西の南京東路五段から松山空港の間の民生社区は空軍関係者の住宅として発展したエリア。将来は、南京東路を走る台北捷運(MRT)新店松山線が松山駅まで乗り入れる計画がある。



台北(台北市中正区) タイ ペイ/タイ パク/トイ ペッ

首都・台北の中心ターミナル駅。駅舎は正方形のビルに大きな屋根が美しく、内部は大きな吹き抜けとなっている。2階には東南アジアの輸入品を売るお店やレストラン、1階は切符売り場、地下1階が改札、地下2階がプラットホームとなっている。もともとホームが4面あったが、いまは2面閉鎖されて、新幹線用のホームが建設中だ。台北駅を出発すると進行方向の左側に新幹線の線路が見える。台北駅では台北MRTの淡水線と板南線と乗り換えができる。将来は中正空港快速鉄道も台北駅まで建設される。駅南は予備校・学習塾街となっていて若者でにぎわっている。駅前の新光三越ビルは台北市のランドマークとなっており、46階の展望台からは台北市内が一望できる。東部幹線の列車は台北駅からさらに台北県の樹林まで直通している。


八堵(基隆市暖暖区) パー トゥー/ポエ トオ

八堵の堵は土垣の意味で、かつて原住民から守るために作られたのだという。ここから台北方面に七堵、五堵と駅が続く。八堵から基隆へ路線が分かれている。通勤電車の多くは新竹~台北~基隆を直通している。駅周辺は特に大きな市街地はなく、基隆方面へ向かう電車は駅を出るとすぐ基隆河を鉄橋で渡り、トンネルをくぐり港のある市街地へ向かう。



基隆(基隆市中山区) チー ロン/ケー ラン

基隆は台湾北部最大の港町。基隆はもともと先住民ケタガラン族の「ケタガラン」からケーランと呼ばれるようになったと言われている。ケーランは台湾語では鶏籠と漢字表記するが、清の時代に「基隆」と漢字が改められ、日本時代は「きいるん」と呼ばれていた。基隆は雨が多い町として知られ、駅前にはカッパを着た蒋介石総統の銅像が立っている。駅北側の埠頭からは連江県馬祖方面を結ぶ台馬輪号フェリーが発着する。廟口には小吃街がありおいしい食べ物屋台が集中している。港の東側の中正公園から見下ろす基隆港は絶景。和平島波の侵食でできた奇岩が見られる。港西側の山にある仙洞は、洞窟の中に港が見える展望台がある。基隆からは野柳、金山や九[イ分]、金瓜石方面へ向かうバスもあり便利。台北へは鉄道のほか高速道路を利用したバスも駅前から頻繁に走っている。



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