中高年サラリーマンからの行政書士 独立・起業の舞台裏

中高年サラリーマンからの行政書士 独立・起業の舞台裏

第1話 事のおこり




 「お願いします。弟子にしてください!」
 道のど真ん中でオレの前でさっきから人目もはばからず頭を下げているのは,一人の青年だった。年の頃は25歳ぐらいか。
 「いい加減にしてくれよ。」オレはうなった。
 「弟子を取るほど偉くはないし,それも言うなら補助者だろう」
 「お願いします。先生を男と見込んでお願いに来ました!」
 男は上体を直角に折り曲げたままそう言った。横を通り過ぎていく女子高生がこっちを見てクスクス笑い合っている。だんだんこっちが恥かしくなってきた。
 「すまんが通してくれ。急いでるんだ」
 「いいと仰るまでは動きません」姿勢はさっきのままだ。このままじゃこっちが悪者にされかねない。
 「わかった。ここじゃ...」
 「ありがとうございます!! 轟先生ならきっとわかってくれると思いました!」男は満面の笑みを浮かべて上体を起こした。『わかった』と言うところに反応したらしい。
 「ちょっと待て。まだ雇うとは言ってない。このままじゃなんだから話だけでも聞いてやる,と言ってるんだ」
 「それで結構です。話せばきっとわかって下さいますから!」満面の笑みのままそう言ってのけた。ちっとも懲りないやつだ。


 「それでフリーターをやってる時に見かけたオレの仕事振りに惚れて,行政書士の資格を取ったって言うのか?」
 近くの喫茶店に入って,ひとしきり男の話を聞いてオレはそう言った。
 「そうです」男,名前は望月裕也と言うらしい,はこともなげにそう言った。一夜漬けで受験して通るような試験じゃないから,半年以上仕事をしながら勉強を続けて来たに違いない。ただの思い付きじゃないようだ。
 「先生が仲間の不払い給与を取り返したやり方を見て,自分の天職はこれだとわかったんです。」
 望月が言っているのは一年程前に担当した案件で,とあるコンビに勤めていたフリーターの青年が休みを取ったときに欠勤扱いとして給与が減額されたのを,アルバイトでも6ヶ月以上勤務していた場合は有給休暇が取得できるからとその賃金を支払わせた事を言っているらしい。多分あの時の店員仲間の一人だったんだろう。
 「まるで雷に打たれたみたいにビビっと来ましたから」何かにつけて大げさなやつだ。
 「事情はわかったが,さっきも言ったようにオレの事務所はそんなに大きくない。オレ一人が食ってくのがやっとだ。とても補助者を雇ってる余裕はない。すまんが諦めてくれ」
 補助者が雇えるような身分なら,さっさと娘の沙耶を引き取って一緒に暮らしてる。早く亡くなった別れた妻の両親から娘を取り返したいものだ。
 そんなことを思っていると,
 「給料は要りません。だから雇ってください」
 「給料なしでどうやって暮らして行く積もりなんだ?」
 「それは...。アルバイトします!」
 「アルバイトって...。事務所の仕事はどうするんだ。両立できるのか?」
 「そんなに忙しくはないんでしょ? アルバイトする余裕くらいありますよね」
 なんて事を言い出すんだ。
 「ほっとけ!
 「わかった。ただ,お前を雇ってやるわけには行かん。たとえ無給でもそれはこっちが願い下げだ。雇うならちゃんと給料を払う。」
 「代わりに,一人で事務所を開く気はないか? それなら提携事務所ということで仕事のやり方なんかは教えてやれるけど」
 「本当ですか! じゃ開業します!」
 「って簡単に言うけど,資金はあるのか? 行政書士になるだけでも30万円はかかるぞ」
 「登録料ですよね。知ってます。」
 「あと会費も支部会費を含めれば月に8000円位かかるし,いろいろな研修会や資料代や何かで結構お金はかかるよ。資格学校なんかが言ってる『資金なしで開業』というほど楽じゃないぞ。ま,お店をはじめるほどじゃないけどな」
 「轟さん,その辺も受験時代に一応調べましたので分かっています。それくらいの蓄えはありますよ。じゃあまず開業の手順から教えてください。」
 なんだかうまくヤツにはめられた感じがする。それにいつの間にか呼び方も『先生』から『轟さん』に変わってるし。でもまあ先生と呼ばれるのは好きじゃないからちょうどいいんだが。



 「いいかい,前にも行った通り,この身分証明書と登録されていないことの証明書というのは被後見人,保佐人でない事を証明するためのものだ。それと写真と住民票,戸籍抄本,事務所の賃貸契約書を用意して,あとは試験研究センターから合格証が届いたらそれを持って行政書士会に申請に行く,と言う段取りになる」
 「もう一回おさらいすると,1月の中旬に合格発表があり,そのあと大体1月の末から2月の頭にかけて合格証が届くはずだ。登録にはこの合格証の原本の提示が必要だから,登録申請は早くて2月上旬になる。」
 「合格発表から結構待たされるんですね。」
 「立派な賞状が届くわけじゃないから,もうちょっと早くしてくれてもいいようには思うが,確認とかいろいろ手間もかかるんだろう」
 「それに今審議されている試験改革案が通れば,合格発表がもっと遅くなるから登録されるのが3月末に間に合わない人が多くなるように思うな。これからは切りのいい4月1日開業が厳しくなるかもしれない」
 「早めに合格しておいて正解ですかね」
 「何でも試験は後ほど難しくなるって言うからな。とにかく必要な書類がそろったら登録料といっしょに都道府県の行政書士会に申請するだけだ。何もなければ大体1月半くらいで登録される。ただし県によっては支部長が事務所視察にくるところがあるらしい。東京はそんなことはしていないが。」
 「と言うことは登録は3月中旬ですか」
 「月に2回,15日と月末付けで登録されるから,多分3月15日だろう。私もそうだった。3月10日ごろに通知が届いたと思う。でも登録されるから『業務を開始していいです』と言う知らせをもらっても,登録式に行かないと登録証もくれないし,大体自分の登録番号さえわからないから,何もできないに等しいけどな」
 「その前に職印を作っておかないといけないんですね」
 「その通り。登録式に職印届を持って行くかなくちゃいけないから,作るなら早めに作った方がいいかもな。規定では「行政書士『氏名』之印」と縦書き3行で表すことになってるけど,それ以外の形でも認められてるようだ。」
 「と言うことは4月の開業まで2ヶ月ほど準備期間がある,と言うことですね」
 「資格学校の実務研修はその間を利用して開かれることが多いが,行政書士の本部・支部の研修会は登録後でないと受けられないから,実務を覚えるのは結構後になる。ただそんなことを言ってたら生きていけないから,開業までの2ヶ月間にやることは一杯ある。とても足りないくらいだと思うよ」
 「どんなことをするんですか?」
 「とにかく集客しないことには仕事は来ないから,まず,自分の専門分野を決めること。これが一番大事だ。行政書士の業務範囲はとにかく広い。名前を聞いただけでどんな仕事か分からない原因のひとつはそこにあると言ってもいい。でも仕事をするには『何々の専門家』と言った方が相手に対する印象も強い。それに新人の頃はいろんな業務を覚えるのは無理だ。だから専門分野を決めてその分野を深く掘り下げる。そうすればお客さんと話しているときも自信を持って対応できる。この自信というのは結構大事な要素なんだよ。頼りなさそうな人に大事な仕事を頼む気にはならないだろう?」
 「そうですね。分かりました。でもどうやって専門分野を決めたらいいんですか?」
 「決め方はいろいろある。自分の経験を生かすとか,趣味や好きなことから入っていくとか。いろいろな開業支援本に業務内容が紹介されているから,それを読んで自分の感性に合いそうなものを選ぶといい。いくら詳しくてもその仕事が嫌いなようじゃやらない方がいい。その辺も敏感にお客さんは感じ取るものだからな。」
 「じゃ,何冊か本を当って見ます。受験の時に読んでいた本では国際業務なんかが面白そうでしたけど」
 「国際業務も外国人の受け入れの在留許可をやる入管業務や外国企業との契約などをやる業務などいろいろと幅が広い。その中から自分で面白そう,やってみたいと思う業務をもう少し絞り込んで決めるんだ」
 「決めたら,それを徹底的に勉強するんですね」
 「勉強だけじゃだめだ。世間にそれを知ってもらわないと」
 「でもどうやって? 新聞に広告でも出すんですか?」
 「今はそんなことをしなくても,安くみんなに知ってもらえる方法があるんだよ。」
 「なんですか,それは?」
 「インターネットだよ。インターネットでホームページを開設し,そこに自分が勉強したことをなるべく詳しく書く。手続きの方法なんかもできるだけ分かりやすく書くようにするんだ」
 「そんなことをしたら,仕事を頼まないで自分でやっちゃいませんか」
 「それがそうでもないんだよ。もともとよっぽど複雑な申請業務でない限り,役所などへの申請とかは普通の人が普通にできるようになってるんだ。そういう人は最初から行政書士なんかに頼まない。頼むとしたら忙しくて役所にいけないような人か,標準の手続きじゃなくて困っている人のどちらかだ。だから詳しく書いておけばおくほど,信頼される。「こういうケースではどうなりますか?」と質問してくる。情報を出し惜しみしている感じの人って嫌だろう」
 「そうですね」
 「あと最近はホームページだけじゃなくて,ブログもやったほうがいい」
 「ブログですか。毎日書くような仕事の情報なんてないですよ」
 「ブログは仕事のことより,趣味のこととか仕事について感じたこととか,自分の人となりを出すようにするんだ。前はメルマガがその役目を果たしていたが,最近ではブログの方が更新も楽だし,写真とかも使えて情報も提供しやすい。もちろんメルマガもまだ有効な手段だから,出したほうがいいけどね」
 「分かりました。ホームページを作って,それとあわせたメルマガを発行する。そして,ブログは側面支援で日々の活動なんかをブログで公開するんですね。」
 「ホームページとブログを合体させて,ブログで直接販売をしている人もいるが,私は分ける方がいいと思ってる。
 「なぜなら,人は嫌いな人からは物を買わない。知ってる人からは物を買いやすい。ブログでは見込み客と知り合いになるために使う方がいいと思ってうからだ。
 「でもどっちがいいかは自分で判断してくれ。最近ではブログなのにホームページのような外見を持たせられるものも出てきている。この辺のツールをどう使うかは日進月歩で勉強していくしかない。」
 「ソーシャルなんとかとか言うのを聞いたことがありますが」
 「ソーシャル・ネットワークだね。これもこれから有効なツールになるかもしれない。いまは昔のパソコン通信みたいにそれぞれの会員間の連絡手段がないけど,これが相互乗り入れできるようになったら爆発するかもしれない。だから勉強だけはしておいたほうがいい」
 「行政書士でやっていくのも,大変なんですね」
 「どんな職業だって,怠けてて金は稼げないよ。昔売れない飲食店を復活させる,っていうTV番組があったけど,そこに出ていた達人に共通していたことは『手抜きしない』『一生懸命調理する』って事だった。習いに来てる方は最初は楽して儲けようって人が多かった感じがするな。」
 「天は自ら助くるものを助く,ですか」

 4月1日は予定通り望月の事務所の事務所開きだった。と言っても二人で缶ビールで乾杯しただけだったが,それも無事終わり,ホームページの立ち上げ,ブログの開設まで何とかこぎつけて,いよいよ望月も一人の行政書士として仕事をはじめることになった。
 でも本当の勉強はこれからだ。襟に金バッチを着けていても仕事は来ないし,行政書士には実にいろいろな案件が持ち込まれる。自分の力不足で救ってあげられなかったケースなどつらい案件にぶつかる時もある。それを乗り越えて一人前になっていくものだ。

 しかしこの事務所,急いで探した割には駅からも近くしかも格安で掘り出し物だ。
 「これだけの物件が,オレに相談に来た1月下旬から探し始めて良く見つかったな。普通なら年末までに借り手が付いていそうなものだけどな。よっぽど急に前の借り手が出たか何かしたのかな」
 「実は轟さんに最初に頼みに行った時にはもう見つけて手付を打ってあったんですよ。理想は轟さんと同じ板橋で探したんですけどいい所がなくて,アパートに近い府中になっちゃいましたけどね。」
 「...」



2005/11/03


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