それから、聞いていた外国の曲であく流行った1985年の曲はというと・・・ 「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」 BRUCE SPRINGSTEEN・・・「ならず者」を聞いていた私は、何たる迎合とちょっと憤慨したが、おじさんなのに頑張っているなあと同情もした次第。 「ケアレス・ウィスパー フリーダム」 WHAM!・・・こいつ、城持っているほど金持ちなんだろ。道楽で音楽成功したら、なーんちゃってあ~あだよね。もともとにやけてる感がいやーな感じだったな。 「イージー・ラヴァー ススーディオ ワン・モア・ナイト」 H PHIL COLLINS・・・彼の属するバンド、ジェネシスはプログレバンドだったんだよなあ。それからするとなんだこりゃって曲群だったような気もするが、彼のデブ顔とそれとは比例しない声のギャップがおもろいか。
「涙のフィーリング」 REO SPEEDWAGON・・・1981年ムチャンコ売れたレコードがあったよな。何だか聞くのが恥ずかしいロックだったのだが、「禁じられた夜」レコード持ってましたごめん。でも青春時代は早いものだ。4年の月日が流れ、ああ、懐かしいなと思ったものだ。 「マテリアル・ガール クレイジー・フォー・ユー 」 MADONNA・・・すみません、なんだかんだいって、未だにクレイジーフォーユーがマドンナで一番好きなままなんです。ごめんよ~。 「カリフォルニア・ガールズ」 DAVID LEE ROTH・・・このカルフォルニアガールは全部俺のおんな~というノー天気さ、デビリーロスの派手派手さ、そのアホさ、いいなあ。何だか知らないけど、バリ島のカセット屋でレゲエ一式と、デビッドリーロス買っちゃったりなんかして。あのころはアメリカに行ったことはなかったが、アメリカ人って馬鹿な人がいて楽しいねと思った次第であった。
「リラックス」 FRANKIE GOES TO HOLLYWOOD・・・考えれば、MTVが出てきて、ビデオバンドが出てきて、魂のないバンドが売れて(デュランデュランとかスパンアバレイとかとは言わないが・・・)、まあ、それでもおもろいビデオはあり、このビデオは面白く、いろんなバージョンがあり、レーガンとチェルネンコがリングで戦うのはおもろかった。ちなみに歴代書記長の頭はハゲ白髪の連続であったことは有名なことだね(ハゲシチョフ、フサレジノフ、ハゲンドロポフ、フサネンコ、ハゲバチョフ、フサツィン、ハゲーチン・・・ 「ウィ・アー・ザ・ワールド」 U.S.A. FOR AFRICA・・・ 「エヴリタイム・ユー・ゴー・アウェイ」 PAUL YOUNG・・・飛行機が飛んでいくのを新大阪駅のコンコースで見た。それで夜行バスでスキーに行ったんだよな。 「シャウト」 TEARS FOR FEARS・・・シャラップ! 「ザ・パワー・オブ・ラヴ」 HUEY LEWIS & THE NEWS・・・赤いパンツ。
「マネー・フォー・ナッシング」 DIRE STRAITS・・・そこらのポップとはなんか一線をがしていて、アルバムものっていたのだが、MTVを馬鹿にしたこの曲が、MTVで一気に大ブレイクしてしまいましたとな。 「孤独のヒーロー」 TINA TURNER・・・男を連れて来い、って本当かな 「テイク・オン・ミー」 A-HA・・・A-HO 「ダンシング・イン・ザ・ストリート」 MICK JAGGER & DAVID BOWIE・・・かっこいいね。 「パートタイム・ラヴァー」 STEVIE WONDER・・・昔バンコクで、アーチスト呼び屋の人と知り合い、スティービーワンダーは凄くいい人だ、一緒に来ている取り巻きは最低だ、ただ着いてきているだけの素行の悪いチンピラだったといっていた。スティービーはさ、目が見えなくても、全身が音楽で、何故かフィーリングで女の子を軟派するんだといっていた。 呼び屋のおっちゃんと屋台で食ったアンミツみたいのうまかったなあ。何で甘いの欲しくなっちゃうんだろうねえ。 まあ、そんなわけで、(どんな訳で?)1985年は私にとってエポックメーキングでメルクマールになる年だったのであった。