言葉の散歩路

2008年01月30日
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すっかりこちらでのお友達も減って
わたしが、訪問したり書き込みしたりしなくなったこともあって
足跡は自動巡回さんばかりの今日この頃で
過ぎた日の日記となれば読む人もいないだろうと目論み
ひとりごと日記です(2月6日にアップしてます)




最近、こちらのお友達が
人の死や自分の死について書いてたのを読ませてもらって
わたしもすこしそんなことを考えてみたことあったなーと思い出して
幸い、まだそんなには、人の死に直接かかわったことは多くないですが
亡くなった人の姿って、いつまでも焼き付いていて
なんにもそんなこと考えてない時に突然蘇ることがあります

実際に火葬した姿まで見たのは母一人
わたしは母親と過ごした時間が殆どないので
悲しみより先にあったのは怖さでした
死んだ人体に会うのが初めてだったということもあります
自分で布を取って顔を見ることが出来ませんでしたしね
でも、病院のベッドに横たわるその姿が
どうしても、どうしても自分に見えて仕方がなかった、から
どうしようもない恐怖と嫌悪感…というのか
受け入れがたい気持ちがありました

30年以上一人暮らしをして
とても明るく旅行が好きで姉御肌だったらしい母
わたし自身や姉たちを見てると、母親がどういう性格だったのか
なんとなく想像は出来るんですけどね(苦笑)
その母がぷっつりと出かけなくなった
訪ねても昼間からカーテンも開けずにビールばかり飲んでいた
誘っても誘っても断ってばかり
母が亡くなってから母のアパートを訪ねた時には
小さな冷蔵庫に手をつけた魚の缶詰があっただけ
壁にはわたしの姉が以前に送った姉の子供たちの写真
古いアパートで、贅沢品など何一つない質素な暮らしぶりが窺えました
わたしが18で新潟へ出てきた時には
自分が貯めた定期100万円を崩してあれこれ買ってくれました
切りつめてやっと貯めた定期だったんでしょうね
でも当時のわたしは大して感謝するでもなく
逆に突然あれこれと身辺のことを口出しされて疎ましく思い
黙ってアパートを引っ越して連絡もしませんでした
電話番号だけは伝えてあったけどかけることもありません
何度かかけてきたことがあったようですが
当時はナンバーディスプレイなんてものなかったし
母も悪がって無言で切ったのでその時は母だと気付きませんでした
何年も、時折気になりながらも自分の生活のことばかりで
ようやくこちらから連絡を取ったのは27で結婚する時
ほとんど10年ですね
その時の電話での様子がおかしかったけれど
実際に会いに行くこともしなかったし、それ以上誘いもしなかった
そしてそれから…確か3年くらいのち
母が危篤、と父から電話をもらいました
母親の実家が、悩んだ挙句わたしの父に連絡をしたらしいです
いくら何も連絡を取り合っていないからといっても
子供は子供…あとで、どうして言ってくれなかった、などと言われても困ると
子供たちに連絡をしてほしいということだったようです
母と同じ新潟市内に住んでいたのがわたしなので
すぐにわたしが駆け付けました
危篤ではありませんでしたが言葉は失っていました
ガンで入院していたことも知りませんでした
その入院中に脳梗塞で倒れ、そこで連絡をくれたのでした
ガンが直接の死因になった訳だけれど
長い一人暮らし、生んだ4人の子供と生き別れ
わたしの父が悪いんだけど、自分を責めた日々もあったでしょう…たぶん
更年期によくあるうつ病…それが誰も病気に気付かなかった原因
病気になることを止められたとは思わないけど
もし
わたしが時々会っていたら
あのまま一緒に暮らし始めていたら
孫と時々会っていたら
うつ病にはならなかったかもしれないし
なったとしてもわたしが気付いたでしょう
病気も早期発見できたかもしれない

なにもかもが「かもしれない」で
死んでしまった今となってはどうでもいいことだけれど
母の亡骸を見ながら ワタシガコロシタ
そう思いました
何より、たった一人どれほど長い時を一人ぼっちで
孤独と向き合って精神を蝕まれていったのか
その日々を思うと…わたしにできたことをしなかったという罪が
どれほど重い罪か思い知らされる
だから時々怖くなる
自分もいつか同じように死ぬのではないか、と
母がそんな風に思うはずがないだろう、と言えるほど
わたしは母を知らない
三つ子の魂百まで、という言葉があって
自分が子育てをしてきてその言葉がどれほど信憑性があるかは
強く感じているのだけれど
2つか3つで別れた母がわたしの中に息づいているのかというと…
正直、わからないですよね


学生のころ、自分がちゃんとしなかったばっかりに
犬を死なせてしまったことがあります
人懐こい、足の不自由な、でも道行く人に可愛がられる人気者でした
とてもいい子でした
わたしが死なせてしまった、真冬の雪の中で冷たくなっていた
それは今も思い出せば苦い苦い消せない事実です
それも、母のことも
出来たのにしなかったこと
それが死ぬほどの結果になってしまった
時々自分がたまらなく嫌になるのは
そして、いつまでもどうしても人に近付けないのは
そんな自分への嫌悪感からなんだろうなと思います
人に優しい人を見ると
どうしてわたしには出来ないんだろう、と思ってしまう
わたしには優しさや思いやりが元々欠けているんじゃないのかなと
時々だけど、母に聞いてみたくなる時があります


暗すぎる日記でごめんなさい 人( ̄∇ ̄;)エヘ





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最終更新日  2008年02月06日 17時50分44秒
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