素敵なEDOGA一家

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辿り着かなかった分娩台


調度その日は健診日だったので病院へ。待合室では、10分感覚の陣痛を感じながらも本を読む余裕があった。読んでいたのは、「胎児の環境としての母体」という新書。主治医に呼ばれる直前まで開いていたページには、胎児の器官がどの時期にどのように出来上がるかをまとめた表が載っていた。動物形態形成学が大好きなので。
出産が終わり、自力で立って歩けるようになり、二人部屋から5人部屋移り、様々な事が多少落ち着き本を開けることが出来る精神状態になるまで、私がこの本を再びみる事はなかった。出産前、最後に開いていたページが奇しくもここ・・・それはまるでこれから起こる事を暗示するかのようだった。

何時間も待ち(これはいつもの事)、その後3人の子供が全員世話になる主治医と会い、今朝陣発したことを伝えた。内診後、目の前の椅子に座る私を待って主治医は言った。

「子宮口が閉じたままで硬く、胎児も下がっていない。エドガーさんの身長も低いから骨盤の形と胎児の頭の形や大きさを診る為にレントゲンを撮ってきて。」

大きなお腹でレントゲンを撮る。後で他の人に聞いたら、何十時間も続く陣痛の中、レントゲンを撮らされた人もいたという。何日も続く陣痛のさなかに歩かされて撮らされる友人にも10年以上あってからであったりして・・・出産って本当に過酷な物よ。

レントゲン撮る時って、「はい、じっとして」って言われるでしょ?いや、陣痛来ちゃうとジッと出来ないもんね、難しかったです、はっきり言って。

結果は、「骨産道の形が男性型で歪みもある。胎児の頭の大きさと形との関係から診て、うまく赤ちゃんがうまく廻ってくれたらいけるかもしれないけど、下から生まれるかどうかは半々だと思う。でも、陣痛も来てるから試験分娩でまずは下から頑張ってみよう。無理そうだったら帝王切開になるかもしれない。」というものだった。

他に選択肢があるわけじゃなし・・・そうするしかないでしょう・・・

「帝王切開」まさか陣痛が起きてからこの言葉が出るなんて。今日の今まで下から産む事しか考えて無かった私。何も調べてないじゃない!けどもう仕方が無い。確か、妊婦用雑誌の特集に、「帝王切開になる時」ってのがあったはず・・・妊娠本にもちょっとだけあったかも?などと一人でグルグル考える。

戸惑う私に対して助産師さまは無情にも、「陣痛が5分間隔になったらまた来てね!あっ、破水の時もね。」という当時お決まりの一言を発し、至って普通に自宅に帰れと・・・

「今日持ってきた入院荷物は、こないだのと合わせて2階で預かっとくからね。」あぁ、ありがとうございます。

世田谷の病院から横浜と川崎の境目の自宅まで帰るのだけど、陣痛の間隔は徐々に短くなるし、痛みも徐々に増してきた・・・電車1回乗り換えとバスではたして私は帰れるか???結局は、気弱な私、贅沢にもタクシーで帰宅・・・料金5000円也!
タクシーのオッちゃんの雑談にも愛想良く答えられず。折角気を使って、自分の奥さんの出産話をしてくれたというのに・・・オッちゃんごめんね。

それ以降、私は何時間もリビングの床に横になったまま過ごした。経験者のいとこに電話して気を紛らわせたりしながら。陣痛はそのうち5分間かくになったり、遠のいたりを繰り返し、布団に入る気にもなれず、やがてはそれは眠れない痛みになり・・・そして夜中の2時ごろ、今まで一度も聞いた事が無い音が体の下の方で鳴った。

「ゴリッ!」
エッ?今の音何?破水?!生温かいものが流れてトイレでそれと確認。出血も多少ある。おしるしと破水が同時に起きたと判断。

すぐに病院に電話。最初はのんびりと話を聞いていた助産師も、破水があったと聞き、「即入院。」の指示。早速、旦那の運転する車で都内目指して真夜中の高速を走る!走る!ひた走る。

受付に辿り行くと受付のお兄ちゃんがのんびりしている。とろい!「早くしろよ!こっちは腹が痛ぇんだ!生まれそうなんだよっ!」って心の中で叫びながら助産師様のお迎えを待つ。

あぁ、車椅子じゃないのね?!テレビなんかじゃ車椅子を押して、あわててお迎えにやってくるじゃないの?・・・え?自力で歩けと・・・2階まで・・


第一子の出産、旦那は朝までフリーだったが、2階産婦人科病棟の看護詰め所隣の処置室のドアの前で中にも入れてもらえず待たされる・・・


処置室に入り、助産師が内診する。なかなか子宮口が触れないのか、しきりと何か言っている。しかも、「破水してます!」とはっきり告げたのに、「おかしいわねぇ・・・」なんてのも聞こえる。何が一体おかしいって?

後でわかったのだが、どうやら私の羊水は、PHが教科書どおりじゃなかったらしい。とにかく何かの手違いで、「陣発・破水・おしるしあり」なのに、「破水おしるしなしで陣痛のごく初期」だと引き継がれてしまったようだった。

さて、そろそろ陣痛室に移動しましょう・・・という訳で旦那とはここでお別れ。朝までフリーで張り切っていた旦那。せめて陣痛室に入れれば色々心強かったのにもったいない・・・そこは当時、立会い不可、陣痛室にも入れない規則だった。陣痛・分娩・手術・回復室エリアと入院病棟が金属製のドアで隔離されていた。

でもそれは最初からわかっていたことで、立会いが出来なくても、ここは小児科とNICUが併設され、母体搬送受け入れ先であり、何よりも母乳育児の力を入れているという理由で、わざわざ横浜から通った病院だった。

旦那と母乳を天秤にかけてそれを選んだのは自分だからしょうがない、とその時点では納得して諦める。

処置室から陣痛室までの廊下がとても長く感じられた。真夜中の病棟。何度か立ち止って壁に手を突いてもたれかかった。

重い扉を開けて出産エリアに入る。靴を履き替え陣痛室に入ろうとするとその異様な空気に一瞬立ち止まる。その日は出産ラッシュで、3台ある陣痛室のベッドも隣の分娩室のベッドも1台ずつ空いているだけだった。両方の部屋から聞こえる呻き声・・・戦場に足を踏み入れるような気分だった。

さらに入り口左横トイレからも呻き声が聞こえていた。暗い陣痛室はカーテンで仕切られていて、そこには狭くて硬い真平らなベッドが置いてあった。持参した風呂敷包みを足元の台に置き、ベッドに横になるように言われた。ここでもまた破水の検査が行われた。ラジオからは「1970年代初頭の歌謡曲」が流れていた。

陣痛はだんだん強くなったが、NSTの波形は微弱なのだそうだ。しかし、辛くて、硬いベッドから落ちないようにするので精一杯だった。NSTを取る為に真上を向けと助産師はおっしゃる。が、痛くてこんな真平らなベッド(というか台?)真上を向いた体制でじっとして陣痛逃せる人がいるのか非常に疑問だ。仕方がないので間欠期に足元の荷物を持ってきて枕代わりにし、体を斜めにする。こうすると少し呼吸が楽になった。助産師は確か二人いたが、分娩室にかかりきりで、手が空いた時にNSTの波形を見に来るだけだった。そして、波形を見て、「まだまだね。陣痛が来たら教えて。」と言う。

「来てるんですけど・・・」と言う言葉に目もくれず、隣の部屋に消えていく。言ってる事が変じゃない?誰かと勘違いしてる?それともNSTが胎児からずれてる?質問したくても周囲には誰もいないし、来ても聞く耳持たずだ。

朝の食事が運ばれてきた。食べれる時に食べてねと言われても、痛くて無理ですって。

やっと朝になり主治医が外来前の診察に来た。先生だけが頼りです・・・もう一度、破水の検査をして、あの温厚な主治医が珍しく助産師を叱っていた。「破水も・・・もしてるじゃないか!」

と言うわけで、陣痛促進剤のお世話になる事に。「様子が変わったら連絡して。」主治医は言い残して外来に消えた。

主治医様、私のことを気に留めて、外来から何度も電話を下さる。
しかしその時の担当助産師は私の様子を見に来る事もほぼなく、にも拘らずその電話に向かって、「変わりありません」とか、「順調です」とか賜る。その後、その彼女は意思疎通が不可能な助産師とわかるのだが、私は何度も届かない受話器に向かって叫びたい衝動に駆られた。

というのも、促進剤を入れてからというもの、陣痛の間欠期がなくなってしまったから。それまでの陣痛は、微弱と言われようがなんだろうが、お腹の張りとそれがない間欠期がはっきりと別れていたので耐えられた。しかし促進剤以降は、張りがない時にも恥骨周辺に痛みがあるのだ。つまり、痛くない時期が全くない。これには到底耐えられず、それを時たま通り過ぎる助産師に訴えるが相手にされず、昼になった。

午前の外来が終わった主治医が来て内診するが、子宮口4~5センチ。


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