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珠玉の言葉集
→自分の選んだ道や方向はこれでよかったのだろうかと悩む人は多い。しかし、人はかならず、そのときどきで少しでも
いいほうを選んでいるのである。だから間違いであるはずはない
孤独をよく知る人ほど、他人のありがたみがよくわかる
→孤独を感じるのは別に悪いことではなく、そのことによって人との距離がとれるようになる機会でもある。ただし、他人の
迷惑さももっとよくわかるようになる。
人間関係は、うまくいかないのが当たり前
→自分の思い通りにならないことの代表が人間関係である。自分のことさえままならないのだから、他人をコントロール
できないことに腹を立ててもしかたないのだ。
できないことは後回し、できることから先にやろう
→いつまでも難しい問題にこだわっていると、試験では零点をとってしまう。簡単な問題から片付けていくのが王道だろう。
幸せとは、幸せを感じる力に宿っている
→幸せとは追求するものでもない。よく見渡せば、ささやかな幸せがそこら中に転がっているはずなのだ。不幸せな人には
それがよく見えない。
能力は居眠りしていることが多い。だから、ときには起こしてあげないと
→自分が苦手としているものは、実は今までその能力を発揮する機会がなかっただけのことであることが多い。
しない後悔より、する後悔を選ぼう
→後悔のなかでも、もっとも後味が悪いのは「あのとき、ああしていればよかった」である。思い残すことのないようやってしまえ。
人は、人生のオプションで悩むものである
→食べること、眠ること、何かしらやることがあれば、あとは人生のオプションと考えてもいい。生きることの基本がほどほど
できていればそれでよしとしよう。
楽しいから笑うだけでもなく、笑うから楽しくなることもある
→ためしに「ウィスキー、ウィスキー」と口早に繰り返すと、自然に笑顔になる。どうやっても笑顔になれない人、ニコニコ
できない人は、ときにかたちから入ろう。
怒りとは、悲しみのあらわれであることが多い
→自分が無視されたと思うとき、尊重されなかったと思うとき、相手との距離が離れてしまったと思うとき・・・ときに人は
悲しみを素通りして怒る。怒りっぽい人は自分の悲しみに気付こう。
≪出会いは偶然である。けれども、そこにいつも意味を見いだす人は生真面目に偶然を必然に塗り替える。
そういうこだわりとともにどこかで落ち着きたいと考える。
いつ、何が、どうなるかはわからない。世の中は偶然に支配されている。人との出会いもそうである。
それでもかまわずそれを面白いと思う人は何にもこだわらす波まかせの人生を送るだろう。
さて、どちらを選ぼう。でも、それは選べるものでもない。そんなことも気にせずあなたらしいと思う
生き方をしていればそれだけでいいのである。
夢、目的、生きがい あったほうがいいが、なくてもいいもの。けれど、人はその甘い響きに魅了され
人生の大画面にそれを探し求める。
そのとき、人は心を縛られてもいる。なぜなら、それらは、甘い響きとは裏腹にあなたの悩みが生まれいずる。
あの欲望が化粧した姿だから。だから、探し求めていた夢や目的や生きがいが見えなくなってしまった
ときこそあなたの前にはあらたな道がひらける。
そして、その道にはささやかな夢、ささやかな目的、ささやかな生きがい あなたのことをよく知って
いるたくさんの可愛い花が咲いている。≫
あなたが欲しがっているものは、ほかの人が欲しがっているものじゃないだろうか
→欲望とは、自分の欲望ではく、実は他人の欲望がすり替わっている場合がある。自分がいいと思うからではなく、
他の人がいいと思うから望んでいないか?
一年のうち、8ヶ月も冬眠する動物もいる
→マーモットというネズミのような動物がそうだ。これに日常の睡眠を加えるのだから、一生を寝て過ごしているようなものである。
人の引きこもりなど小さい、小さい。
実は、ほとんどの人が「自分は理解されていない」と思っている
→「誰も私のことをわかってくれない」と思ったり、嘆いたりする人がいる。しかし、「みんなが私のことをわかってくれている」
というのも気持ちのいいものではない。
今生きていることだけでも、充分に強運なのかもしれない
→病気、事故、災害、多くの人が毎日死んでいる。宝くじには当たらなくても、それだけでけっこうなことじゃないか。
自分を生かす場所を見つけること、たぶんそっちが才能と呼ばれるものだ
→誰にでも何かしらの才能があるものだ。何でもいいから場所を移動していけば、自分を生かす場所が見つかるだろう。
あるいはそうやって移動すること自体が才能なのである。
好き嫌いをいう前に、その人のことをどれだけ知っているのか考えよう
→よく知らないものを好きになることは不可能である。しかし、一度でも旅行した国のニュースが気になるように、人との関係
でも、相手を知るほどに興味や関心も増すのである。
依存するのはいけないというけれど、人は何かに依存しなくては生きられない
→自立しなさい、自分の足で立ちなさいとやたらにいう人がいるが、そういう人もまた”自立すべき”という思想に依存
しているのである。
欠点も弱点も含めて、自分らしさができている
→人は図々しいもので、自分の長所や得意なところが「自分らしい」ところと考えがちである。しかし、弱点も等しく「自分
らしい」ところである。それを愛してあげなければ。
気持ちの切り替えが下手な人は、粘り強さを持っている
→気持ちの切り替えが早い人はうらやましいが、彼らは彼らで自分の飽きっぽさに手を焼いているのである。
生きるのはつらい。でも、つらくても生きてこれたのはどうしてなのか、それを考えてみよう
→人はなぜつらいのかばかりを考えがちである。しかし、そのつらさを何とか耐えしのぎやってきたことのほうがはるかに
重みがあるのだ。
≪自分には何もない 特技がない 才能がない 将来性がない 目的がない やることがない 人間としての魅力がない
信頼できる友人がない 愛してくれる人がない 生きている価値がない
総じて、自信がないと人はいう。
ちょっと待って。そこまで何もないといい切れるその確信はどこから来るの?それに、そもそもそれがなくて
は生きていけないと思うのはなぜ?
折にふれて人は自分の価値を確かめようとする。そして、ときに自分は価値のない人間であると思う。でも、そのとき
自分自身を見ようとしていたのは価値を確かめようとしていたのはあらかじめもっている価値観。その価値観はどこから来たの?
自分で自分を見つめすぎるとあまり自分自身にこだわってしまうと自分がどんどん小さくなっていく。それは心の仕組み。
心の罠。
ときに、他の人の眼を借りてみよう。その眼はきっとこう語る。あなたが、そこにいるだけで生きているだけでそれだけで
価値がある。≫
自分の善行は見えやすく、人の善行は見えにくい
→誰もがみな自分本位でしかものごとを考えられないものである。自分ばかりが損していると、実は多くの人が考えている。
立派に生きるより、楽に生きよう
→人の期待に応えようとするのも、目的を立てて生きるのも悪いことではない。でもそれに疲れたら、楽に生きることを考えよう。
自分の気遣いは相手に伝わらないことが多い。しかし、相手の気遣いが自分に伝わらないことはもっと多い
→配慮というものは、その半分も相手に伝わらないかもしれない。では、無駄な気遣いはやめようとすれば、まったく配慮の
ない人間となってしまう。
どうせ、いつかは死ぬのだから、今死ななくても大丈夫
→出産に立ち会った医師はこういう。「おめでとうございます」と。しかし、その後に「ただしこのお子さんは、運がよくて80年
くらいしか生きられません」と続くのである。
不眠症はつらいが、それで死んだ人はいない
→うたた寝や寝だめなど、疲れた身体は、かならずどこかで休養を取り戻す。だから不眠はそう心配することではない。ただ、
自分で自分をコントロールできないことにイライラしているのである。
世の中には責任など取れないことが多い
→責任感が強いことは美徳とされるがゆえ、誰も直そうとしない。しかし、何でもかんでも自分の責任だと思うのはおかしい。
責任感の強い人は自分を過大視せず、もっと謙虚になろう。
あなたの期待は相手には重荷になっているかも
→人に何かを期待したり要求するのはいいが、それは過剰なものになっていないか。無い物ねだりになっていないか。
そこを吟味しておかないと、いつも裏切られたと感じてしまう。
ストレスは、大人の心に住み、それは餌にして成長する
→大人の心というのは、効率性、生産性、合理性をいつも追い求める。それはあくまで北半球に特有の原理なのだが、
ストレスはそういう心につきまとってくる。
自分に甘く、そして人にも甘く
→自分に厳しい人は他人にも厳しい。しかし、自分に厳しく他人に甘くでは立派すぎる。自分に甘くて他人に厳しい人は
嫌われ者になる。ゆえに、自分に甘く、他人にも甘くがいい。
いつも有意義に過ごそうと思っていないか
→有意義であることを追い求める人は、休みのときでさえも有意義であろうとする。いつも有意義に過ごしているのだから、
たまには無為に過ごしてもいいだろう。
≪自分をほかの人と比べること。誰でも、ときにそんなことをしながら自分が漕いでいる場所を確かめている。
でも、ほかの人たちと同じところに行かなければいけないと考え始めるときから独りでいることがとても淋しいことで
あるようなそんな気がしてくる。それは迷い。陽が落ちるときに訪れる夜の感情。
淋しさは腕にまとわりつきその重さにたえかね人は漕ぐことをやめてしまう。
けれども、淋しさを振りはらうにはふたたび漕ぎ出すしかないことも人はよく知っている。
人はみな孤独である。ひとりぼっちである。それは、この世に生まれ落ちたそのときから決まっていることかもしれない。
でも、それは決して悪いことではない。あなたが世界中に一人しかいない存在である以上誰とも替わりがきかない存在で
ある以上自由に生きたいと願う以上あなたは独りなのだ。それは自然のことなのだ。
その孤独と少し親しんでみよう。その必然と少しでも仲良くすれば、あなたはもう淋しい人ではない。もう、独りでいるのは
怖くない。だから人と一緒にいるのも怖くない。≫
世の中には解決がつくことなどほとんどない
→あなたが問題だと思っていることは、問題だと意識しているからにすぎない。きちんと解決することよりも、そんなことは
大した問題ではないとなれば、それでいいのだ。
相手を外国人と思うと寛容になれる
→自分と同じであって欲しいと思うから、イライラしたり腹立たしくなるが、生まれ育った文化が違うと思えば楽に付き合える。
他人とは異文化の人なのである。
「とりあえず」、「さしあたって」でいいと思えば、やることが見つかる
→「やりたいことが見つからない」と嘆く人、何もできずにいる人は、何か立派なことを、立派にやろうと考えているのかもしれない。
ゆっくりと歩く、ゆっくりと食べる、ゆっくりと話す、ゆっくりと呼吸する
→ストレスや不安や心配がいくらあっても、これさえ実行できれば、いつのまにか心は平穏になる。かたちから修正するのも
有効なやり方である。
最悪を覚悟すると、楽観的になれる
→ものごとをいろいろ心配するのは悪いことではない。そして、「たとえ、そういうことになってもかまわない」あるいは、
「しかたない」と覚悟できれば、ただの脳天気とは違うオプティミストになれる。
やりたいこと、目的がなくても大丈夫、生きていける
→そもそも生きることにはあらかじめの目的などない。それでは淋しいので、人は目的や生きがいを求めるけれども、
できるだけ大げさなものにはしないことだ。
季節が移り変わるように、悩みにもいろいろな時期がある
→怒る時期、悲しむ時期、絶望する時期、受け入れる時期など、放っておけば、気持ちもやがて移り変わっていく。
あわてて対策を立てたり、解決を図らないことだ。
大人になると人に相談できる
→人に相談することは、頼ることでも甘えることでもない。それはとても建設的なことなのである。
自分を出すということは、それに伴うリスクを背負うことでもある
→「自分を出す」ということは、自分の評価を他人に預けることなのである。自分がどう受け取られるか、理解されるか、それは
相手しだい。それを承知している人ほど、自分を上手に出せる。
「苦しい」と思うのは、逃げずに頑張っている証拠
→苦しい思いをしたくなければ、つらい思いから逃げ出せばいいのである。しかし、自分の現実に立ち向かっている人は当然に
苦しい思いをする。それは悪いことではない。
≪先のことはわからない。予測できない。そんなことは頭ではわかっている。思い通りにしたがる。けれども、先のことは
神の見えざる手にゆだねられていてどうにもできないことがほとんどだ。
それでは今を積み上げていくしかないのか?と思ってはみても、それもまた気が重い。けれども、そう思って気が重く
なるのはあなたが今を生きている証拠なのだ。
大丈夫。人生は長いようで短い。たとえ100歳まで生きたとしても振り返ってみれば、やはり人生はあっという間だと
思うに違いない。
過ぎてしまったことはしかたないと頭ではわかっていてもそれでも人は憤り、そしてなぜこうなってしまったのかと嘆き
どうにかできなかっただろうかと悔やむ。
そしてまた力なく繰り返す 過ぎてしまったことはしかたないと。漆塗りのように何度も何度も繰り返す そして、あきらめる。
あきらめることは、生きるための知恵。
けれども過去はこれからのためにある。嘆いたり悔やんだり、そのみじめさを知る人ほどこれからはそういう思いをしない
ように生きたいと願う。そのとき人は、今を生きている。≫
昔のことにこだわる人も先のことばかり心配する人も今を生きていない
→どのような悩みも、実は現在(いま)のことなのである。今を充実させていれば、過去にも未来にもこだわらなくなる。
友だちが少ない人は、そのぶん友だちと長く深くつき合える
→友だちがたくさんいる人をうらやましく思うなかれ。彼らのほとんどは、広く浅くしかつき合えないのである。
人の目は、気になるのが当たり前だ
→人の目を気にしないようになりたいという人は多いが、人の目を気にしない人は、社会性が足りないというだけの話なのである。
現実の自分を受け入れれば、「本当の自分」ということにこだわらなくなる
→「本当の自分」ということにこだわっている人の「自分」とは、本当ではなくて、実は空想の自分であることが多い。
外面は悪くても、裏のない人と思われるほうがいい
→外面(そとづら)がいい人は、あの人の本音はよくわからない、裏がありそうだと思われやすい。それがいいのか?それとも?
努力しても失敗することはあるが、後かたづけは努力で何とかなる
→何事にも失敗は付き物である。だから失敗するのはいい。むしろ、失敗の後、それをどう処置しているのかが大事である。
他人はそのほうを見ているものだ。
人生は山あり谷あり、そして平地あり
→人生の教訓はいつも厳しいことばかりである。でも、よく考えれば、なだらかな時間もいっぱいあるのだ。
悩み事の裏にはかならず自分の欲があるものだ
→どんな悩みも欲とセットになっている。たとえば、人間関係に悩んでいる人は、相手に「こうあって欲しい」と思っているからである。
頭が柔らかければ、心は頑固でもいい
→頑固と頑迷とは違う。頭まで固いと、それは頑迷と呼ばれる。視野を広く、いろいろな見方や考え方ができさえすれば
それ以外のことは固くてもいいのである。
不安をなくしてからでなく、不安があっても踏み出すことだ
→次の一歩をなかなか踏み出せないでいる人は、不安材料をなくしてからでないとできないと考えていることが多い。
けれども、行動するということにはどんな場合もリスクがともなうものなのだ。
≪人は誰でも、その人にしかない宝物を心の中にもっている。それを1本の木に喩えよう。
誰もその木を切り倒すことはできない。
なぜなら、その木はあなたが生まれてからずっとあなたの心の中で成長してきたものだから。
楽しかったこと 嬉しかったこと 苦しかったこと 悲しかったこと 悔しかったこと あなたの人生で起こるすべてのこと
それを養分にして木は育つ。その木はあなたそのもの、あなた自身。何にも替えられない財産。
ときに雨風にさらされ ときにひでりに耐え しかし、あなたが生きている限り いつも木はそこにある。だから、誰でも
心の中にまもらなければいけないものがある。
ときには、生きていることに疲れ希望を見いだせなくなるときもある。意欲がなくなることもある。そんなときには心の中に
ひきこもり しばらく、その木陰で休むのがいい。その木にもたれるのがいい。あなたにとって、そこは誰にも邪魔されず
誰にも気遣わず安心して息をすけるところだから。≫
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