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Emy's おやすみ前に読む物語
2) 「ビロードの背中」 1
30代って、誰と恋愛していのか分からない。
年上の素敵な男性は結婚しているし、
同じ30代の男性は20代女性を見てる――。
住み始めて1年になるこの町は、昼から起き出し、明け方に眠る。
だから、ビッシリ残業して帰って来ても生活できる。
24時間のコンビニ。ファミレス。スーパーマーケット。
そして、私が一番頼りにしているのが、26時までのレンタルDVDショップ。
大きなチェーン店でないのが気に入っている。
忙しすぎて映画を見に行く時間も取れない。
だから、ほとんどの金曜日、23時頃立ち寄る。
1つはレンタルのために。
もう一つは、レジより右の席のバイト男性に会いに。
彼は、今の言葉で言う「イケメン」で、25歳。
過去、首にキスマークをつけているのを、2回見たことがある。
その時は、DVDの俳優より彼のプライベートの方が見たくなった。
金曜日は、たまに後輩の松永(女性)が、家に泊まりに来る。
係長になった私を相変わらず慕ってくれて、
社を出れば”姉さん”と呼んでくれる。
まだ役職もなかった頃は仲良くしていた後輩たちも、
私の立場が上司となれば、お互いに接し方が変わる。
同期達もほとんど結婚退職してしまった。
残りの貴重な同期達は、部下になってしまった。
松永の存在は嬉しい。
金曜日、松永とレンタルショップに寄った時、
彼女は”右の席の男性”をとても気に入った様で、
店を出てからも興奮が冷めなかった。
「彼、ヒーロー系ですね!」
松永は男性をグループ分けする。
今までも、「王子様系」「ワイルド系」「セクシー系」
「アキバ系」「ヒルズ系」・・・色々あった。
そして、新しい「ヒーロー系」?
「知らないんですか?!
今、ウルトラマンとか、仮面ライダーとかのヒーローの男の子、
30代女性・特にママにすごい人気なんですよ!」
・・・解らない。
取りあえず次週、ヒーロ-DVDを借りてみよう。
松永には話していないが、私は”右の席の男性”とメール交換している。
DVDを借りた時、「原作も面白かった」と話してくれて原作本を貸してもらった。
彼のメールアドレスが挟んであった。
電話番号は書いていない。 メールアドレスだけのメモ。
それが不思議で、早速送信してみた。それ以来、ずっと続いている。
内容は、2行くらいの日常の事。
店では店員と客で、その他の話はしない。
その秘密が、DVDを借りる時、ドキドキさせる。
彼は23時にバイトの時間が終わる。
私は金曜日残業で、23時までに店に着けない時、メールで夕食に誘うこともあった。
彼もこの町に住んでいるので、近くのファミレスに行くのが
一番楽なパターンだった。
彼はいつも聞き役で、
「そっか。」 「そうなんだ。」を、繰り返す。
私は彼の、”そっか。”の響きが大好き。
子音だけの相づちで、耳に心地よい。
特に乗り出して聞くわけでもなく、求められるまで、自分の意見も言わない。
ここまで女性の話を聞けたら、彼はやはり、モテるだろうと思う。
そして、美形の彼と食事するのは優越感にも浸れた。
松永が私を呼ぶ、”姉さん”が気に入ったらしく彼もそう呼ぶ。
彼も映画が大好きで、意外にも読書家だった。
土曜日、休日の朝。
電話で、一言で語ると 『大嫌いな上司』 から会社に大至急来るよう呼び出された。
理由は、部下のミスを取引先にお詫びに、一緒に行くようにとの事。
・・・最悪。
このミスではない。
いや、ミスもだけど、・・・この上司が!!
謝罪の後、この上司と遅い昼食をとった。
食事中も説教になり、私のイライラは頂点に達していた。
”―― せっかくの休日なのに!”
23時頃、レンタルショップに出かけていた。
イライラが納まらない私は、迷うことなくある韓国映画を手に取りレジに向かった。
珍しく、彼が声をかけた。
「この映画、暴力シーン多くて、
お客様にはちょっと苦手な作品かも。」
「いいの。今日、仕事で嫌な事あって、
刺激が強いの見たい気分なの。」
彼がレジを打ち始めた。立ち上がると、私より頭一つ分大きい。
彼は私をチラッと上目遣いで見た。
そして手続きすると、DVDを渡しながら耳元で言った。
”・・・一緒に出よう。”
「・・・俺の家に来ない。」
初めて家に誘われた。
“・・・これはもしかして、 間に合うかもしれない。”
レンタル店から徒歩で7分位。
部屋は、広くないが片付いていた。
部屋に上がり、パソコンデスクの椅子に座った。
彼はコーヒーを入れる。
・・・静けさが緊張させる。
「コーヒー入ったよ。」
私はコーヒーを取りに行き、彼の隣に立った。
一口飲んだ。 ・・・苦い。
「お砂糖ください。どこにあるの。」
コーヒーカップを置いて探そうとした時、背後から抱きついてきた。
・・・沈黙が緊張させる。
”来たーっ!・・・大丈夫。・・・彼なら大丈夫・・・。”
アゴを持ち上げられ、上からかぶさるようにキス。
”へぇー。背が高いと、こんなことも出来るんだ”
彼の舌がゆっくりと入ってきた。私も、ゆっくりと彼のほうを向く。
首筋へと、口唇がつたう。
”いつの間にか、ブラウスのボタンが3つもはずされてる。"
彼の右手が、スカートの中へ入ってきた。左の太腿からからお尻へ。
”そうだ。会社から帰ってきて、スーツからフレアースカートにはき替えた。”
彼の手がストッキングと下着にかかった。
”えっ、脱ぐの?脱がされるの?ここで?!もしかして、ここで?
・・・このまま、するの?ちょっと待って、シャワーは?ベッドは?避妊は?!
えーっ。 ・・・怖いよ! ”
私は彼から離れようとした。
”だめ。 思ったより力が強い。 このまま行くか。
・・・いや、ここは叫ぼう。”
「・・・ちょっと待って!」
出せるだけの大声を出した。
怖くてほとんど声になってなかったかもしれない。
彼の口唇と、右手が止まった。
「私・・・初めてなの。」
「・・・えっ。」
彼の口唇と、右手が離れた。
そう・・・私は34歳にして、ヴァージンなのだ。
しかもあと1ヶ月で35歳。
” 間に合うかも ・・・。” は、
”34歳でロストヴァージンできるかも!”って思ったから。
彼はあまりにも予想していなかった展開に、
驚いた表情のまま、私を見つめる。
「・・大丈夫。心の準備すぐするから。
大丈夫。 続き、できるから。
あっ、出来ればベッドのほうが・・・。」
「・・・姉さん。取りあえず、落ち着こう。」
彼は私を、クッションとも座布団とも呼ぶような物に座らせた。
さっきの強引さはどこへやら。
お年寄りの手を引くように・・・。
「・・・ごめんね。・・・大丈夫? ちょっと乱暴だったよね。
知らなかったから・・・。 本当にごめんね。」
・・・もう、続きはない。
このシチュエーションで、初めての男になりたい人なんていない。
でも、誰だって初めてがあるから、次があるわけで。
彼は、キッチンで冷たくなったコーヒーを一気に飲んだ。
私だって分かる。
彼が私を部屋へ誘ったのは、私を愛しているとか、
恋人にしたいとか、そんな理由ではない事くらい。
私とは、いわゆる大人の遊びがしたかっただけ。
年上のお姉さんと、刺激の強い遊びがしたかっただけ。
ここでヴァージンのお相手なんて、考えても見なかった事。
「・・・私、帰る。」
私はバッグを持って大急ぎで玄関に向かい、部屋を出た。
「―― ちょっと待って。送っていく。」
私は振り返って、真夜中なのに叫んだ。
「送ってほしくない。 ・・・これ以上、惨めにしないで!」
いつも、ここで失敗する。
こういうことは、何度かあった。 ・・・でも。
いつも私の理想とする、私の描くロストヴァージンとは全く違う展開が。
特に今回のは、ひどすぎる・・・。
女性は、何をもって「当然ヴァージンじゃない」と思われるんだろう。
年齢?でも、ずっと独身だったら、ヴァージンの可能性もあるわけでしょう。
”ヴァージン?まさか。”って、何からなの。
家に着いたら、彼からメールが入っていた。
<無事に家に着いた?>
それから毎日、メールが送られてきた。
ただ一言、<返信ください。>と。
一度も返信しなかった。
レンタル店にも、しばらく彼の勤務時間は行かなかった。
<返信ください。>は、彼が私に頼んでいる状態。
―― 困らせてやりたかった。
・・・そのメールも来なくなった。
私は気がついた。私には、「メール」が来ないという事実。
仕事の確認とか、休日の約束とかならたまには来る。
けれど・・・。
彼のように、毎日の日常を送ってくれるメールは私を孤独にしなかった。
私は思い切って、彼を訪ねた。
――ドアが開いた。
彼は私の顔を見て、深く息を吐いた。
「心配していたんだよ。」
彼の、初めて聞く強い口調には心配と安堵が重なっていた。
心配?・・・私を心配するの?私を、心配してくれてたの・・・。
「・・・心配?」
「当たり前でしょ・・・あんな帰り方したし、泣いてたし。
メールの返信は来ないし・・・。」
彼は、普段から大きな声を出す人ではない。
だから、よほど心配していたのが伝わってきた。
私は彼と仲直り、というか話し合いたいと思って来たのに、
彼の様子が私の ”―― 私が悪いの?” という気持ちに
火をつけた。
「人をレイプしようとして、何えばってるのよ。」
いつの間にか彼の友人が訪ねて来たらしく、私の後ろに立っていた。
「レイプ?お前なら、やるな。」
友人は、彼の目をチラッと見ると冗談口調で言った。
彼は、ドアを大きく開けて友人を招きいれながら、
「してないよ。ねえ、してないよ!」
と部屋に入っていく友人の背中に叫んだ。 そして
「俺、1時間はずす。」 と言って、ドアを閉めた。
私たちはいつものファミレスに行った。オーダー以外は二人とも黙ったまま。
―― 私は沈黙に勝てない。
「メール、返信しなくてごめんね。」
・・・なぜ私が謝るのか。
これは、返信しなかった事についてのみの謝罪。
彼は私と目を合わさずに、下を向いたまま言った。
「俺も、軽率でした。ごめんなさい。」
「・・・いつも、ああなの。」
彼は、私の機嫌を損ねないよう慎重に話し始めた。
「男が部屋に誘った時は、相手も大方そのつもりなので
拒否されないって言うか・・・。」
ここでさらに責める、私は嫌な女。
「今まで、あなたの首に2回キスマークがついてるのを
見た事がある。・・・その人は、彼女なんでしょ?」
彼は言いにくそうにしていた。
私は ”ほら、彼女がいるくせに” と運ぶつもりで聞いた。
「違います。」
「・・・別れちゃったの?」
「最初から付き合ってない。・・・けど、そういう関係。」
”えっ、セックスだけのって事?
えっ、彼女もそれでいいの。
えっ、そんなことあっていいの。
えっ、何でそんなに気軽なの。
・・・羨ましいよ。 何でそんなに楽に生きられるの。”
でも、それを素直に言葉に出来なかった。
「・・・まだ20代の頃、チャンスが無かった訳じゃないの。
チャンスって言うのも変だけど、交際してれば、あるわよね。
でも、付き合って1ヶ月したら許したとか、3ヶ月ならとか
雑誌で見た知識とかで何だか頭でっかちになって今まで来ちゃった。
そのうち、本当の事も言えなくなっちゃって・・・。
レイプだなんて、ごめん。部屋には私も、そのつもりで行ったの。
・・・でも、20代って言うのは――」
私の話の結末は、『羨ましい彼女は悪女』。
そして私は、『34歳まで身持ちが堅すぎて、どうしようもない自分』を
正当化して頑張った。
いつもは聞き上手な彼が、私の話を静かに遮る。
「姉さん。それは、価値観の相違じゃないかな。
・・・だって、彼女の事、何も知らないでしょ。」
”何で彼女をかばうの。
というか、そもそも仲直りしようと思って来たのに、何で他の女の話になるの?!”
「帰りましょう。友達、待ってるんでしょう。」
私は席を立ち、伝票を持った。
彼を残し、振り返らずに歩き始めた。
店を出て帰る途中、中学校の頃を思い出していた。
私がある友人を家に招いた事があった。
友人が帰った後、母から、
「不良みたいな子とは友達にならないほうがいい」
と言われて、激怒した事があった。
「お母さん、彼女のこと何も知らないでしょ!」
冷静になって気がついた。彼が怒るのも十分理解できた。
私は、とんだ「おばさん」になってしまった。
彼は私を、深く心配してくれていたのに・・・。
引き続き、彼からメールは来なかった。
1度だけ、こちらから送信したら、<今、仕事中> とだけ返信された。
レンタル店の前を通って店内をうかがったけれど
出勤している様子はなかった。
嘘までつかれるなんて、嫌われたもの。
・・・とうとうヴァージンを抱えたまま、35歳になった。
会社でも気の重い日が来た。
営業成績の優秀者が表彰される日。
今年も上位に入ってしまった。
昨年は、ご褒美にシンガポールのペア旅行券をもらった。
旅行には松永を付き合わせた。彼女は大喜びだったけど。
部下達から “私なら彼氏と行くな” って口々に言われて、
下手な言い訳するのに辛かった。
今年は会社の景気もあってか、温泉の高級宿のペア宿泊券。
“―― いらない。”
一緒に行く相手を探さなければならない負担を考えてほしい。
一人旅は行きたくない。
無邪気な部下たちが、私を褒め、私に憧れ、
私の様になりたくない、結婚したいと考える・・・。
会社帰りにレンタル店を窓越しに覗いた。
―― やめたのかな。
店内に入って他の店員に聞いてみた。
「奴は臨時の仕事入ったからって、俺と10日間バイト替わったんです。」
「10日間?何の仕事?」
「絵本の。・・・絵、描いてるんですよ。」
絵本なんて。・・・知らなかった。フリーターかと思ってた。
10日間も。食事なんかどうしてるのかな。
何か作って持っていこう。
メールの <仕事中。> は、本当だったんだ。
でも、どんな顔して渡せば・・・?
私はスーパーに急いだ ――。
私はおかずとおにぎりを作ってアパートに向かった。
ドアチャイムを押すと、声が聞こえた。
「・・・はい。 開いてるから。」
「・・・こんばんは。」
「あ、どうしたの?・・・今仕事中で。」
彼は画用紙から目を離さず、描きながら答える。
私は静かに近づき彼の手元を見た。
「・・・素敵な絵。」
色えんぴつの美しい絵に見とれてしまった。
「ごめん。10日で6枚描きあげなきゃいけないんだ。
用無いなら帰ってくれる。」
「ご飯作ったの。・・・ここ、置いとくから。」
「はい。」
・・・やはり、嫌われてしまったらしい。
何日かして、諦めかけていたメールが入った。
<仕事終わった。>
また、夕方になると
<酒飲もう。姉さんの会社の近くまで行く。>
・・・ホッとした。
嫌われてしまった事は気にしない、と
かなり無意識に意識していた。
初めて会社の近くで待ち合わせた。
また、初めて見る彼のスーツ姿だった。
「絵を届けてきたから・・・。」
そして、初めて二人でお酒を飲んだ。
都内のバー。 落としたオレンジ色のライト・・・。
「どうしたの?私を誘うなんて。・・・若い女性に断られた?」
「姉さんしか声掛けてないよ。」
彼は仕事がうまくいったのか、
お酒が進んで、本当に上機嫌だった。
「―― これ、あげる。」
私は温泉のチケットを差し出した。
「会社でもらったの。誰かと行ってきて下さい。」
「・・でもこれ、姉さんの成績がとったものでしょ。」
「私の友達は、もうみんな結婚してて誘えないの。
ランチやディナーには付き合ってくれるけど、泊まりは無理。」
結婚していて、子供もいて、誘ってもみんな「夫に聞いてから」の返事。
たとえ会っても、夫と子供の愚痴。それが幸せそうで、羨ましい・・・。
―― 満たされている。
私は、夫、子供どころか、将来を考える彼もいない。
出産のことより、ロストヴァージンがテーマなんて
誰にも言えない・・・。
「・・・キスマークの子と行ったら?私、先月は
よく知りもしないのに悪口言っちゃったから、お詫びも兼ねて。」
「彼女は誘えないよ。」
「どうして?私、彼女の話聞きたいな。」
彼は話したがらない。
私は強く聞きたがる。
どうして彼女は自由に、楽に生きられるのか。
――知りたい。
「・・・姉さん、聞いたらぶっ飛ぶよ。」
・・・普段の彼なら絶対話さない。
でも、今夜は違う。
『お酒』 と 『上機嫌』 の力を借りて、
彼の心に一気に火をつけ・・・いわゆる、白状させた。
彼女は、俺の友達と一緒の劇団の女優で23歳。
千秋楽見に行ったとき、打ち上げに参加させてもらって会った。
みんなと話するより、飲み物や料理を配ったりしてて。
俺に酒渡すとき、目が合ったら少し笑った。
単純に ”可愛い。” って思った。
店出て二次会の話してる時、彼女に手引っ張られて二人で逃げた。
『アナタ、彼女いるの?結婚してるの?』
どちらも否定したら
『お金、持ってる人?』って。
借金頼まれたら嫌だなって思って
『あんまり無いかな。』って答えたら、
『なら、ホテル代もったいないから、私の家に行こう。』
って、彼女の家へ。・・・次は俺の部屋で。
俺も、いいのかなって思うのと、怖いなって思うのとあって、
彼女、俺と付き合いたいのか、どうすればいいかって
聞いてみたら怒り出して。
『私、ごちゃごちゃうるさい男、イヤなのよ!
私はルールを守ってるわ。
法律も、交通ルールも、劇団内での恋愛の御法度も。
前にもこういう関係の男はいたけど、
彼女が出来たって言われたその日に別れて連絡もしてない。
「約束」だって、「時間」だって守る。
あなたにも、先に女関係聞いたはず。
だから、ちょっと気に入った男とエッチすることくらい、
誰にも迷惑かけてないじゃない。
これくらいの自由・・・。
もしかして、「たった2回」で彼氏顔?
いい加減にして! ―― 私、帰る!』 ・・・って。」
「・・・帰っちゃったの?」
「でも、2時間位したら、メールが入って。 謝ってきた。
<さっきはごめんね。次に会った時
たっぷりサービスするから許してね。> って。
思わず吹き出して、笑っちゃったんだけど。」
・・・なんて可愛いの。素直で小悪魔で。
こんな風に謝られたら、男性はさぞかし気持ちいいだろう。
それに比べて私は・・・。
謝るのが本当に、ヘタ。羨ましい。。。
そこで彼が口をつぐんだ。
「もう、話したくない。」
「どうしたの?彼女、可愛いじゃない。」
彼はグラスの酒を一息で飲んだ。
話したくないと言いながら、話したい気持ちがうかがえる。
私も、「聞きたい」と「聞きたくない」気持ちが交差する。
ここで大人になる。
彼に心を吐き出させてあげよう。
私はわざと陽気に振舞い、勝手に酒のおかわりを注文し、
彼に強引に勧める。
「でも、勝手に来て、勝手に怒って、
メールでごめんねじゃ納得できないでしょ。」
「・・だから、どっちが優位なのかきっちり教えてやろうと思ってさ。
<次に会いたいなら、髪をショートカットにして来い>
って送信したの。
返信来なかったから、ここまでかなって思ってたら彼女次に俺の家に来た時、
背中までのロングがうなじが見える位ショートになってた。
『お、似合うよ。』って言ったら、ニコリともしないで
『後は何をすればいいの。』って、俺を睨む様な目で見たの。
コイツ、カッコイイなって思って、女が下を向いた時、俺言ったの。
『お前は今日、なんで俺のところに来たの。』って。
そしたらまたキッと睨んでさ。
それが、怒りですっげー迫力でさ。 『許してもらいに来たんでしょ!』って・・・」
彼は、こんな話でも興奮せず、静かに話す。
静かに話すから、余計卑猥に聞こえる。
彼が私に見せる顔。バイトの店員の顔。
私の話をとことん聞く顔。素敵な絵を描く顔。
そして、ヴァージンに驚く顔。
私は、可愛い弟のような顔しか知らない。
キスマークの彼女に見せた顔。
サディスティックな男の顔。
改めて気づいた。彼は、25歳の大人の男性なのだ。
「そしたら彼女、水道の水、コップでゴクゴク飲んでさ。
いきなり脱ぎ始めて、下着だけになって。
俺も一瞬、何が起こったのかと思っちゃったんだけど。
彼女、俺の首に腕回してきて。
『何しに来たのか思い出した。』って・・・。」
・・・私も、彼に少しだけ怒った顔を向けてみた。
「ほら、だから話したくないって言ったでしょ。
髪の事は、俺も反省してるんだから・・・。」
「もしかして、彼女に何も言い返せないまま、
メール通り、手厚いサービス受けちゃってたりして。」
「それはノーコメント。 でも、ショートカットが好きなのは本当だよ。」
「何カッコつけてんだか。ノーコメントは
”はい、そうです”って言ってるようなものでしょ。」
「・・・そっか。」
・・・この ”そっか。” に弱い。
この ”そっか。” が可愛くてたまらない。
何をしても、全て許される男に変えてしまう。
「彼女とは、舞台稽古に入った日から千秋楽まで
連絡を取らないのがルールだから。
―― もう2ヶ月位会ってないのかな。」
キスマークの彼女の話を、彼から聞きたがった。
私が白状させた。
でもそれは私の、彼女に対する悪女のイメージを確認したかったから。
彼女は、相手の明日の状況も考えずキスマークをつける女。
誰とでも簡単にセックスしちゃう女。
男に馬鹿にされても、プライドも無く平気でいられる頭カラッポの女。
そして、彼から本当は迷惑と思われている女。
・・・全然違った。聞かなきゃ良かった。
「・・・じゃ、友達と行ったら。」
温泉のチケットなんて、無駄にしてくれていい。
ただ、私の手元に使われないままのチケットを置いておくのはイヤ。
くだらない見栄だけど、今年も松永を誘うのは気が引けた。
「・・・姉さん。俺と行こうか。」
―― この無神経さは、若さなのかしら!
《キスマークちゃん》 の話を聞いた後で、
私が ”やったー!”と両手を挙げて喜べるわけ無いでしょ。
「―― 浮気?」
「・・・だから、姉さん。 俺、フリーよ。」
状況としては、この女性が飛びつきたくなるような
松永も大絶賛の彼が、私と温泉に行こうと言っている。
私が一緒に行きたいと言った訳ではない。
彼が私と行きたいと願っている。
“・・・うん。悪くないかも。”
返事の遅い私に
「安心して。レイプしないから。」
プッ。 私は思わず口に含んだお酒を吹き出した。
「姉さん、大丈夫?」
―― 私は笑った。
「さあ、遅くなった。 ―― 帰ろう。」
私達は席を立ち、身支度を整えた。
「姉さん、今日、俺が払うから。」
今日の彼は、本当に上機嫌だ。
私たちの町についた。
彼は家まで送ると言ってくれたけど、この街は夜も明るい。
レンタルショップの前で別れることにした。
「今日はご馳走様でした。さっきの温泉の話なんだけど
・・・一緒に連れて行ってあげるね。」
「そっか。ありがたいです。じゃ、日にち決まったらメールで。」
彼とのメールを再開する。単純に嬉しい。
一人になって彼女の事を思った。
彼女は一見、自由奔放に楽に生きてるように感じるけど、
本当は・・・。
少なくとも、“決めた事、決まった事”は守り貫く、意志の強い人。
だから、髪を切ってでも、自分を解放できる場所が必要なのだ。
その場所を彼に求めた。
私も仕事漬けになる。係長という立場と孤独に耐える。
開放できるのは、DVDと、やはり彼。
彼女は彼とセックスをする。
私は彼と話をする。
彼も、彼女と私に見せる顔は違う・・・。
お風呂から出て、すぐに眠るつもりだった。
しかし、彼女の事がどうしても頭から離れない。
見ないテレビをつけ、ビールを飲んだ。
彼女は?私は?と、言葉遊びを始める。
彼女は、 23歳。
私は、 35歳。
彼女は、 ルールを気にする。
私は、 世間体を気にする。
彼女は、 2回しただけで彼氏顔?と言う。
私は、 2回もしたら彼女顔だと思う。
彼女は、 ロングヘアーをショートカットにする。
私は、 そんなことを言う男とは会わない。
彼女は、 彼のサディスティックな言葉を、あえて彼に甘えてかわす。
私は、 彼のサディスティックな言葉に怒って帰る。
彼女は、 彼女のしたい時にセックスをする。
私は、 誰ともセックスできない。
・・・惨敗。そして、撃沈。
・・・本当に、聞かなきゃ良かった。
彼女は、私よりも女性として上手だ。 認めるのが悔しい。
めったに見ない夢を見た。
いつも映画に出ている美しい女優達や、会社の可愛い顔の後輩達が
次々と彼の首に腕を回して甘えている。
そんな夢。
目が覚めたとき、最悪の気分だった。
何で、こんな夢 ――。
たとえ最悪の気分でも、会社の会議に遅れる訳にはいかない。
彼と私の仕事の都合から、旅行の日を決めた。
土日の一泊なので、仕事にかかることは無いが、
庶務課に連絡し宿泊先の部屋の確認を取らなければならなかった。
”誰と行くのか聞かれるのかな。
部屋が空いてるかなんて自分で確認したい。”
すぐに庶務課より連絡があり、日にちは決定された。
余計な事など聞くはずも無かった。
この時期、このご褒美のせいで庶務課は大忙しなのだ。
”ちょっと がっかり。”
昼休み、先日の彼からの受信メールをまた読み返した。
<はい。了解しました>
たった、これだけの言葉。
たった、これだけの文字。
普通すぎる返答に、ドキドキする。
何度も読み返してしまう。
旅行の日が来週末に迫った。
考えてみれば、男性と二人きりの旅行は初めてだった。
思い出してみれば、20代の頃は男女のグループで
スキーやゴルフ、温泉もよく出かけた。
そのうち、一組、また一組とカップルになり、
だんだんグループでいる必要も無くなっていった。
あの頃の私は、そのカップルを見て何を思っていたんだろう。
ふと、母に連絡すべきかと考えた。
10年前ならまだ家族と住んでいたから、
母にだけ『友達と行く』と嘘もつくのだろう。
わざと女友達の名前なんか出したりして。
今の私はむしろ、男性と二人で旅行などと言ったら
両親は返って大喜びかもしれない。父はともかく、母は。
そのまま結婚なんて夢を描かせても可哀想なので、
黙って行く事にしよう。
友達と行くことに代わりは無い・・・。
”友達以上・恋人未満”
なんてヘンテコな言葉を思い出した。
そう考えたら、その言葉はキスマークの女優にこそ当てはまる。
彼と私の関係は、思い切り“友達”だ。
私は、話を聞いたあの日から、女優のことが頭から離れない。
何をやっても劣等感が拭えない。
でも一つ、はっきりした事。
私の中で、彼の存在は思ったよりも大きい。
他の35歳の人達から見れば、<子供相手に> と言われるかも知れない。
彼の恋人になりたいというのでもない。
ただ、特別な存在でいたい。
そして、彼を女優に取られたくない・・・。
今週の土曜日、気分転換もかねて
旅行の洋服の買い物と夕食に、松永を付き合わせた。
「姉さん、給料日前に銀座で洋服買うなんて気合入ってますよね。
旅行行くの、本当は男なんじゃないんですか。」
松永にも彼と行く事は話していない。もちろん、松永は信頼できる後輩。
でも、そういう意味じゃない。なんとなく話せない。
誘ってないけど、松永は泊まるつもりでいるらしく、
DVDを借りようとしている。
「昨日借りたから。」
「DVD借りなくても、レンタルショップに寄りましょうよ。」
・・・それは無理でしょ。
「右の席のバイト君、今日いるかな。」
松永にほとんど強引に連れて行かれ、レンタルショップに入った。
彼は出勤している。
「姉さん、何か借りましょ。借りないとレジまで行けない。」
と、内緒話のトーンで話す。
結局、松永の希望により松永の趣味のDVDをおごらされた。
松永がレジに並び、私はDVDを選ぶふりしていた。
松永と彼は次の客が並ぶまでしばらく話していた。
店を出てから
「バイト君、私の事、覚えててくれたみたいで、
『こんばんは』って話しかけてくれたんですよ。」
“・・・こんばんは は誰にでも言うでしょ。”
途中スーパーに寄って、ビールとポテトチップなどの
おつまみを買って帰った。
松永は家に付くまでずっと彼の話をしていた。
お風呂を出て、DVDを見ていたらメールが入った。
<後輩さんが、私の上司は男と旅行に行くのかもって言ってた。
俺とです、って言えばよかったかな。>
< バカ > と返信した。
今週の会社帰りは、毎日のように途中下車してショッピングビルに寄った。
どんなに仕事を早く片付ける努力をしても閉店一時間前くらいで、
ゆっくり見る事が出来ない。
旅行には、これ以上ないくらい準備したかった。
靴もかばんも、下着も。
アクセサリー売り場の前を通った時、
ボールチェーンの細いブレスレットを見つけた。
ごく平凡なデザインだけど、とても気に入ってしまった。
“・・・どうしようかな。”
店員が近づいてきた。
ガラスケースから出して、つけてくれた。
「このデザインと同じアンクレットもあるんですよ。」
”アンクレット。”
この響きが女性らしくセクシーで、エッチに聞こえる。
浴衣にアンクレットをつけている足を想像した。
・・・買いだ。
ブレスレットもアンクレットも購入した。
アクセサリーに合うマニキュアも買おう。
うまく行かないもので、金曜の夕方取引先よりクレームが入り、
私と部下達の残業が決まった。
例の大嫌いな上司も加わり、話が100倍こじれそうな気配になった。
“今日は早く寝て、明日はお肌つやつやの予定だったのに!”
今から分かる。 明日の肌のコンディションは最悪だ。
終電で帰宅し、到着したのは25:30。
女性職員を22:00に退社させ、私と男性社員と例の上司で、
何とか取引先を納得させるまでできた。
憎むのは「係長職」。
私の数少ないチャンスにまで容赦しない。
不幸中の幸いは、例の上司も疲れからか、
嫌味も説教も無く帰宅していった。
私は彼にメール送信した。
<真夜中に失礼。トラブル発生にて、今会社より帰宅。
明日はお昼ごろ出発にして>
予定では午前中から出発して、観光するつもりでいた。
観光したいというより、彼と昼間、歩いてみたかった。
私は3:00、就寝した。
8:00に起床し、メールを確認した。
<姉さんに合わせるよ>
6:30に受信されていた。
彼もバイトで、夜は決して早く寝てないはず。
私の勝手に、本当は怒っているかもしれない。
でも、このメールの答えが、私に見せる「彼」なのだ。
To Be Continued..... ― emy ―
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