Emy's おやすみ前に読む物語

Emy's おやすみ前に読む物語

  「ビロードの背中」 2



10:50。時計を確認した。彼はまだ来ていない。
・・・まずは謝ろう。

「姉さん。」
10:55、彼が来た。

長袖のTシャツ。ファスナー付きのカーディガン。チノパン。

ニット帽を深くかぶっていたので、声を掛けられるまで分からなかった。

「こんにちは。出発時間、ごめんね。」
「大変だったね。」

・・・優しく笑ってくれる。

ホームに立つとすぐ電車が入ってきた。
土曜日の昼頃、中高生のグループも多い。

電車に乗り込むと、私は意識して周囲を見た。
女性はさりげなく、女子中高生は明らかに彼を見ている。

私は得意げに彼の顔を見上げた。
彼は私に “ンッ?” という表情で微笑む。
私達は昨日の仕事の話、最近の映画の話をした。

東京駅から新幹線に乗車する時、昼食に駅弁を買う事にした。
二人とも、“駅弁なんて何年ぶりだろう。”と話ながら
売店での買い物一つも新鮮で楽しい。

乗車すると、彼が「暑い。」と、ニット帽を脱いだ。
髪が短くなっている。

「髪、切ったの。 ・・・あれ?
私、次に会う時は髪切って来てって言ったっけ。」

「もう、姉さん。俺の過去を責めるね。」

「いつ美容院に行ったの。 さっぱりして似合うけど。」

「違うの。カットモデル。あんまり切る気は無かったんだけど、
美容師見習いの友達に切られた。
俺の友達、約束とか予定聞くとか、そういうのナシで来るから。」

「他にどんな友達がいるの。」

美容師見習い、料理修行中、インディーズバンド、劇団員
などなど、まさに明日を夢見る青年達ばかりだった。

「みんなでいつか、一人前になるとか、
有名になるとか、夢語り合ってさ。
夜中に集まって朝まで酒飲んでさ。」

この仲間達の話をしている時の彼の顔は、生き生きとしていた。

“若い。”

彼は女性だけではない、同性の友達も多く、好かれている。

彼の、まずルックスの良さ。聞き上手。静かな口調。
自分の事を話さないミステリアスなところ。
私が感じる彼の魅力は、きっと友達も感じているだろう。

彼の、女優に見せるサディスティックなところは、
友達は知っているのだろうか・・・。

夜の彼は少し孤独に見えて、私がついていてあげたいと思った。
しかし、彼は私などいなくても、にぎやかな毎日を送っていることを知った。

彼がいなくて困るのは、私の方 ――。




到着駅に着いたのは、15:00近かったので、
寄り道せず旅館に行くことにし、タクシーで向かった。

着いた宿の、しっとりとした高級な外観に
唖然としてしまった。

“なんだか気を使って疲れそう。
観光ホテルのほうがリラックスできそう・・・。”

「――俺、緊張するよ。」
場違いな空気を感じつつ、玄関に入った。


しかし、中に入ってみると意外とあっさりした受付で、
部屋に案内された。

宿帳なるものに二人の事をどう書くか、と一瞬悩んだが、
会社名2人で取っているため、詳しくは聞かれる事も無かった。

テーブルに向かい合って座り、お茶を飲むと
彼が深く息を吐いた。

「・・・部屋そのものが緊張するよね、この広さ。」

8畳の部屋に真っ黒の板の床の間。
そこに大きな花の生け込み。

座布団一つも大きくて、落語家かお坊さんが使いそう。
上品な桜の柄のカバーがかぶせてある。
隣に6畳の部屋がもうひとつ。

「・・・誘ってよかったのかな?」

「こんな部屋、貴重な体験です。
・・・姉さん、混まないうちに風呂行かない?」

彼は、かばんから下着を出す。

“えっ、用意ってそれだけ?”

私はまず、荷物そのものを隣の部屋に移し、
そこから、下着・化粧品・自分のシャンプー
浴衣まで袋に詰めた。

「姉さん。 その袋って、風呂に何持ってくの。」





お風呂の前で、
「絶対俺のほうが早く出るから、鍵持ってく。」
「待っててくれないの。」
「姉さんのその荷物見ただけで、湯冷めしそうだもの。」



そういえば、大浴場に一人で入るのは初めてだった。
・・・心細い。

いつも家族や友達が一緒だった。
時間が早いせいか、誰もいないのが救いだった。
大きな湯船に入りながら、彼は大丈夫かと考えた。
大丈夫に決まっているけど。

“―― 泳いじゃおうかな。”

風呂を出た私を、上半身を映す大きな鏡が待っていた。

誰もいないのを確認すると、今夜、特別なことが起こりえる
この状況の為に、チェックしないではいられなかった。

もともとあまり大きいほうではない胸は、
20代の頃と変わらない。
しかし、23歳の女優には勝てないだろう。

首は・・・。
裸でボディチェックをしていたら、
声が聞こえてきたので、あわてて浴衣を着た。

年配の女性が4人入ってきた。
化粧水をつけてハッと気がつく。

“私、彼に素顔見せるの、初めてかも。”

ここで化粧も不自然なので、素顔で。
髪は大きなクリップでアップにした。
あのブレスレット、アンクレットもつけた。




部屋に帰ると、扉を開けるのがドキドキする。

“さてっ・・・。”

―― と、彼は眠っていた。



8畳の部屋の隅に、座布団に頭を乗せ、上品な青色のはんてんを着て、
こちらに背を向けて眠っていた。

私は静かに自分の荷物を片付けた。


私は仕事から、勝手に出発時間を変更して眠ってきたけれど、
彼は今朝の6:30から起きていたのかもしれない。

私は彼の横に座り、寝顔を覗き込んだ。

“一緒に来てくれて、ありがとう。”

短い髪も手伝ってか、初めて見た寝顔は
少年のような美しさだった・・・。

ふっと、首のキスマークを思い出した。

“今の私からの向きだと、左側につけられる。
・・・つけてみようか。バンパイアって、こんな気持ちなのだろうか ――。”

彼のかばんの中で、携帯電話が鳴った。
放っておこうかとも思ったが、仕事の電話かもしれない。
私は、可哀想に思ったけれど彼を起こした。

彼は眠そうに起き上がり、かばんから携帯を取り、話し始めた。

「仕事?」

「ううん、友達。劇団の奴から。
東京公演が終わったから、飲もうって。」

「今日?」

「今日は楽日だから、明日かあさってってところかな。
姉さん、いつの間にか寝ちゃった。ごめんね。」

彼が携帯をテーブルに置いた。

「少し疲れたかな。」と私が言おうとした時、
彼の携帯が再び鳴った。

さっきとは違う短い音。メールだ。

彼は素早く、そして決まり悪そうに携帯を握った。

劇団の東京公演の終了、そしてメールとくれば、
私も彼も、相手は分かる。

「読んだら。」
彼は画面操作をする。

「姉さん、ちょっと見て。」

彼は私に受信画面を見せた。
送信者には「ナツホ」とあった。

彼は内容を読まずに消去した。
その後、携帯の電源を切った。

「ナツホ?・・・ナツホって、女優の名前?」

彼は軽くうなずくと、携帯電話をかばんにしまった。
気まずい空気の沈黙が、少しの間で破られた。

「お食事をお持ちしました。」
扉が開けられて、ほっとした安堵の空気に変わった。



大きなテーブルに乗り切れないのでは、と心配するような数の
豪華な料理が次々と並べられた。

ふすまが閉められ、隣の部屋では別の仲居が布団を敷いていた。
彼女からのメールがこのタイミングで来たのは、彼のせいではない。

せっかくの旅行、楽しく過ごしたい。

「すごい。超豪華料理ね!私絶対、全部おなかに入れるよ。
さっ、食べよ。 いただきます。」

「本当、一生分の上品を使った料理だな。」

「器も上品で、美しいわ。なんか幸せ。」


食事が満足の味だった事もあり、
旅行本来の空気が少しずつ戻ってきた。



「姉さん。、ご飯食べ終わったら、少し館内の散歩しようか。」

「えっ、私、お化粧してないし。」

「大丈夫。 姉さん、美しいっすから。」

「いーだ。」


私達は、館内を歩いてみることにした。

「姉さん、手、つなごうよ。」

彼は私の左手を取った。いわゆる恋人つなぎというもの。

男性と手をつなぐなんて、何年ぶりだろう。
私の手が、彼の大きな手で包まれる。
新しいマニキュア、新しいブレスレットに、
彼の長い指が優しく絡んでいる。

・・・嬉しい。

でも、私達は他の人から見たら、どんな関係の二人に見えるのか。
恋人、姉弟、夫婦、それとも不倫・・・。

ガラス越しに庭園を見ようと進むと、
私の親位の熟年夫婦(と思う)が、先に来ていた。

特に何も話さず、横に並んでいるだけなのだが、
この旅館の佇まいと、二人の姿がしっくりとはまっていて、
絵葉書を見ているようだった。

“仲の良い夫婦に、言葉は要らないのかも。”

「月が明るいわね。」

「・・・うん。 瑠璃、群青、紺、松葉、緑青・・・
自然の色のグラデーション。」

「あっ。仕事の顔。」

「・・・月明かりの色って、神秘的でしょ。心を妖しくさせるでしょ。」

「たとえば、今はどんな風に。」

「う~ん。部屋に戻って、ビールでも飲もうとか。」


私に彼が笑顔を向ける。 若い。
庭園を楽しむ熟年に比べ、花より団子、庭よりビール。
それに素直に賛成できる私も、まだまだ若い。


土産売店に入ったのは閉店の3分前だった。
急いでアイスクリームを手にすると、彼がお金を払った。




部屋に戻った。
時計を見ると21:10だった。

「売店の金額、いくらだった。私出すよ。」
「もう、姉さん。恥かかせないでよ。これくらいの金はあるよ。」

これは男の見栄というものだろうか。

思い出してみれば、今までも私達はずっと割り勘定で
彼に食事代を支払ってもらったことはあっても、
私のほうが多く払ったことはほとんど無い。

彼は駆け出しの絵本画家。私は企業の係長。
彼の収入に比べたら、私は大金持ちなのに。
しかしここは、若さゆえの見栄に乗らせてもらうことにした。

「ありがとう。ごちそうになります。」


ビール、コップ、おつまみなどを用意すると、
テーブルを前に、私は彼の左側に並んで座った。

彼の顔がグッと近づく。
口元とアゴに薄っすらとひげが伸びてきている。

「はい。旅行にカンパイ。」
とコップを鳴らしたものの、最初のおつまみはアイスクリーム。




「・・・さっきの話じゃないけど、絵の仕事は順調ですか。」

「定期的な仕事なら。子供向けの雑誌のとか。
でも、絵本の仕事がもう少し増えてほしいな。・・・姉さんは?」

「あと2週間位で、大きい企画が始まる。
・・・また帰りが遅くなるわ。」

「そっか。」

会話が途切れてしまった。
私は触れないように頑張っていたけど、やはり不自然。
彼もテーブルを見つめたまま、落ち着かない様子。

もう一度、心に言い聞かせた。女優のナツホが、
このタイミングでメールを送ってきたのは、彼のせいではない。

その前の友達の電話が無ければ、
彼もメールの相手を、私の為にごまかしたろうに。
バカ正直に携帯電話を見せて、メールを読まずに消去したことは、
彼の精一杯の誠意と受け取らなければ・・・。

―― しかし旅行から帰ったら、彼は友達と会い、ナツホと会う。
この現実が生々しくて、頭から離れない。

「・・・帰ったらすぐ友達と飲みに行くなんて、忙しいわね。」

彼はこちらを見ずに、フッと笑った。

「そうね。飲みに行くのは楽しみかな・・・。
姉さん・・・。 姉さん、俺、東京公演が今日終わる事本当に知らなかった。」

「メールの話?・・・彼女とも、久しぶりに会うんでしょ。」

あくまで私だけが思っていただけかもしれないけど、
今夜は彼と特別な夜になるはずだったのに。

運命はとことん私に容赦しない。


「どう答えたらいいのか、正直わからないや。
せっかくの旅行が、こんなふうになっちゃうなんて・・・。」

「本当に。・・・責任取ってもらおうかな。」

「責任か・・・。はい。二人の良い思い出になるよう、なんでもします。」

「言ったな。では、せっかく二人で来たんだもの。本音ブッチャケトークショー!
私の質問に何でも答えてもらうわよ。」

私は拍手をし、軽くはしゃいだ。

「えー。全然やりたくないで~す。」

彼もふざけて、右手を上げて答える。

「どうして?聞かれて困ることあるの?この10歳も年上のお姉さんに。
なんでも相談に乗りますよ。」

彼はビールを一口飲むと、私をまっすぐ見た。

「ところで、姉さんへの質問も、答えてくれるのでしょうか。」

お酒のせいか、少し目が潤んでいて、眠いような、すがるような目。
年下・・・しかも男のくせに、なんて色っぽい目をするんだろう。




「・・・では、質問1。どうして私にメールアドレス教えてくれたのですか。」

「いい女だなあって思ったから。」

「だめ。本音トークなんだから、もっと詳しく褒めてよ。
時間はたっぷり。徹夜のつもりで聞くよ。」

「何?詳しく褒めるって。」

彼の顔、そして、浴衣から少し見える胸がピンク色になった。

“あら、思いがけず純情なのかも。”

「ほら、褒めて褒めて。」

「本人前にして、厳しいなあ。」

彼は私をちらっと見ると、目線をそらしてコップのビールを一気にあけた。
再び私を見て話そうとするが、照れ笑いで話せない。

「えっ、そんなにすごい話でもないじゃない。」

照れ笑いとは裏腹に、彼は静かに話し始める。

「俺、カッコイイって思う女が好きなの。
姉さんを初めて見た時、まず、目の力が強いのが印象的。
それでいてすごく冷たそうで。気高い美人て感じ。

レンタルの店内もスーツで、ヒール、カツカツ言わせてさ。
それを見て、一目で気に入ってしまいました。」

「・・・。で、メールは?」

「姉さんに挑戦してみたくなりました。男として、高嶺の花に
手を出したくなったの。だから、返信が来た時は大喜びしました。
あ~もう、勘弁してよ。」

「・・・質問2。私の好きなところ、詳しく教えてください。」

「・・・何でも俺に話してくれるところ。」

「会社の愚痴や不満や、あなたに対する年上の説教とかも?」

「いろいろ含めて楽しいよ。本の話なんかも・・・。」


静かな声が、耳に心地いい。
ピンクの胸元に、どうしても目が行ってしまう。

“思ったより色白なんだ。”
彼の話が耳に入らなくなってしまった。

“キスしちゃおうか。”

話とは全く違うことを考えてしまう。


でもまだ、本題が残っている。
こちらを聞かなければ、今日の意味が無い。

「・・・質問3。女優ナツホの好きなところは?」

「・・・姉さん、それ聞いてどうするの。答える必要ないでしょ。」

彼は黙ってしまった。私も黙ってしまった。

「・・・姉さん、せっかく二人で来てるんだから、
他の奴の話、すること無いでしょ。」

「・・・前回、彼女の話し聞いた時、正直聞かなきゃ良かったと思った。
悔しいけど、魅力的に思えて。私には無いものでいっぱい。
とにかく全然聞きたくないの。でも聞きたくて仕方がないの。
これって何なんだろ。私の為に話してほしいの。」

しばらく黙っていた彼が、根負けしたように話し出した。

「・・・俺は、聞かれたから話すんだからね。」

彼は私に、念を押すように確認する。

「・・・自信つけてもらったかな。 
俺、絵を売り込むのすごくヘタで。なかなか仕事もらえなくて。
出版社に絵を届ける時、

『絵の仕事って全然分からないんだけど、私なら、仕事以外の絵を
3枚位描いて渡してくるな。例えば、他の劇団の公演観て魅せられたら
自分の演じた舞台のチラシとか持って名前だけでも売り込んでくる。
もちろん、所属劇団の仕事がメインだけど、それがきっかけで
その劇団に客演で出してもらえるかもしれないし。
持ってった絵に厳しい事言われたり、もしかしたら捨てられちゃうかも
しれないけど、やらないよりは数倍マシじゃないかな。』

って。・・・スーツとかもそう。
絵を届ける時、ジーパンとかで行っちゃってたんだけど、
『まずは外見から。話を聞いてもらう姿勢をね。』って。

だめもとでスーツ着て、絵も、パターンの違うの3枚持っていったら、
けっこう好感触で。それからしばらくたってからだけど、
単発も含めて、絵の仕事が入るようになって来た。」

「芸術家同士の話ね。外見じゃないって言うけど、
オフィスはスーツが正解かも。よく社会人を心得てますね。」

「この間の臨時の仕事みたく、急できつい仕事も多いけど、やる気になるね。
で、俺は憧れの姉さんにも、勇気出してみようって思ったの。

姉さんみたいな人と友達にもしもなれたら、
俺も強運がめぐって来るような気がして。
まっ、俺の勇気はメールアドレスが精一杯だったけど。」

「・・・初めてメール交換した時は、私も嬉しかった。私、モテないから。」

「姉さんは出来すぎちゃうのかな。姉さん落とすの、難しそうだもの。
よっぽど男の方に自信がないと無理かな。
誰だって、アンタなんか相手にするわけないでしょ、って
言われたくないし。傷つくの怖いよ、男って。」

「でも、彼女は勇気を出してあなたを落とした。髪まで切って、落とした。」

「別に付き合ってるわけじゃないし。彼女、自分の事全然話さないし。
大体、俺の事だって、どう思ってるのか。俺の事も聞かないし・・・。」

「それでも一緒にいるのは、少なくとも
あなたは彼女が好きなんでしょ。それとも、・・・したいから?」

彼は黙って下を向いてしまった。

沈黙が続く。

なんて質問してしまったの。
これで、彼女が好きだと彼が答えたら、
私はどうするのだろう。



「―― 姉さん。」
の声に、心が飛び上がる。

「俺、タバコ吸ってもいい?」

彼は立ち上がって、かばんからタバコを取ってきた。
私は、彼がタバコを吸う事も知らなかった。
ファミレスも、いつも禁煙席だった。

「タバコ吸うなんて、知らなかった。」

「あんまり多くないよ。一日半箱位かな。」

タバコを吸う彼を初めて見た。

人差し指と中指に深くはさんで、口元を覆うようにして吸う。
吸う時、少しだけ目を細める。

うっすらとヒゲの伸びた口元に長い指と切りそろえられた爪。
彼とタバコがキスする。何度も。何度も。

“なんだかエロティック・・・。私も彼と一度キスした。”


「・・・さっきの質問だけど。・・・絵がね。いいの。」

それだけ言うと再びタバコを吸うだけで、黙ってしまった。

「・・・それが答えです。」

「・・・それが答えなの?」


「・・・情けない話なんだけど、俺、彼女との事にすごく影響される。
そんなバカなって自分でも思うんだけど、スケッチブックを見ると、
以前の絵とは全然違う。

彼女の精神状態が俺の中に入ってきちゃう感じ、って言えばいいのかな。
―― なんかうまく言えないんだけど。

・・・で、 絵を描くと絵の表情が躍動的で、色彩も、
簡単に言えば自分が描いたとは思えない絵になるの。
技術とか経験とかじゃなくて、その時のパワーのような。
本当に?って思うでしょ。
どう説明していいのか分からないんだけど、すごくいい絵が描けるの。」

彼女が彼に浸透して、絵ににじみ出る。
そんな事あるのか?

「たぶん異常な関係だから、刺激が強いのかもしれないね。」

「異常な関係?」

「俺、本当に彼女分かんないの。姉さんは俺に何でも話してくれる。
それが嬉しいし、喜怒哀楽が素直で、よく分かっていいでしょ。
でも、彼女はさ・・・。」

考え込むように黙る。

「俺、しゃべりすぎだな。」
彼は続けて2本目のタバコに火をつけた。

「お姉さんは大人よ。大丈夫、続けて。
お酒のせい、お酒のせい。」

・・・彼は今まで、ナツホとの心の中を誰にも話せずに来たのだろう。

「俺に甘えてきて本当に可愛いなって思ってると、
『今日いい事あったんだ。』って言うから、
『何があったの?』って聞くと、『いい事。』って答えるんだ。

何度も何度もしがみついてくるように・・・聞くと
『今日は嫌なことがあったの。忘れたい。』って・・・。
半分泣いてるような時もあるし。
もう聞いても答えない事、分かってるから。」

「どうするの。」

「・・・ま、そのまま続けるとか。
でも、半泣きの女の子にって思うと、自分で自分が嫌になる。
前は心配して優しい言葉の一つも言ってあげられたらって思ってたけどね・・・。
俺に優しくして欲しくないって言うから。」

「なんで優しくされたくないの?」

「分からない。本当に分からないの。
だから聞こうとすると、はぐらかすように遮断される。」

「・・・だけど、自分の感情を素直にあなたにぶつけてる。」

ただ、普通の人と表現方法が違うだけ。
彼女はなぜかの理由を話したいのではなく、言い訳を聞いて欲しいのでもない。
彼によって、彼女は解放されたいのだ。

なら、ベッドから離れた二人はどうしているのか。
なぜ、彼女は彼に優しくされたくないのか。

「でも姉さん。人は話してコミュニケーションとるでしょ。
だから人なんじゃない。姉さんが話してくれると、俺ホッとするよ。」


自分の事を自分から話さない彼と、
彼の事を聞きたがらない彼女。

自分の事を語りたがらない彼女と、
話の聞き上手な彼。

ちぐはぐのような、かみ合っているような・・・。


「俺、少し彼女との関係に疲れてきてるのかな。」

彼がやっとこっちを見た。
彼女との話をしている彼は、何かを思い出すように
前を向いたまま寂しそうな表情をしていた。
こっちを見て、ホッとしたように微笑する。

「そろそろ姉さんの話し聞かせてよ。」

「もう一つだけ。ナツホの名前のイメージからだけど。
彼女、小さくて、あなたとの後あなたのシャツとか着て
下はパンティだけで、あなたの入れたコーヒー飲んでいそう。」

「あっ全然違うね。背も高いしさ。さっ、姉さんの話にしよう。」

「背、高いんだ。シャツは?」

「もうっ。・・・終わると彼女すぐ洋服着ちゃうの。
そのままベッドで話する事無いね。

彼女は泊まっていった事は一度もないんだけど、
泊まってくのかなって思うくらい遅くまで部屋にいて。

テレビや音楽を嫌がるからシーンとしてるって日もあれば
洋服着てすぐ帰っちゃう時もある。
・・・正直、そういう日はちょっと落ち込む。」

「帰らない日に、彼女の事少し聞いたりできないの?」

「俺が自宅のクッションに座ってコーヒー飲んでると 一緒に座ってくるんだ。

・・・で、『塗り絵、描いて。』って頼まれるの。
だからマジックで動物とか花とか描いて渡すと、色鉛筆で塗ってる。

俺には『本の続き読んでいいよ。』って。俺も本読んだり、仕事しちゃったり。
彼女も、窓開けて人の流れ見てたり、舞台の台本読んでたり・・・。」

「塗り絵なんて可愛いね。」

「そう、何度もダメだって言ってるのに、
仕事用の値段の高い方の色鉛筆使うんだ。」

「・・・絵については何て?」

「・・・『こんなに澄んだ絵、絵本になったら子供たちが読むんだね。
その絵本画家さんが、昼間っから女とヤってたなんて知ったら、
世のお母様方は驚くだろうな。』って言う。」

私は笑ってしまった。
彼もやっと、少しの笑顔を私に見せた。



「さあ、姉さんの話しようよ。」

「私の事は普段話してるじゃないの。今日話さなきゃならない事なんて。」

「姉さん、俺の年くらいの頃って、どんなだったの?」

「・・・今、25歳だっけ。私の25歳は、にっくきゴルフ生活かな。
25歳か。戻りたいなあ、でも戻りたくないかなぁ。」

「ン?」

「自分に自信が無いのと、うぬぼれが強いのとが交差してた。
こう見えてもけっこう勉強家で、なんだか色々な資格取った。
一つ資格が取れるたび、女友達減っていった。

いつも、チャラチャラした人と私は違うって態度に出していたし。
テニスとかエアロビの教室にも通ってた。

ゴルフなんてすごく上手になっちゃって、接待ゴルフに毎週日曜日
スケジュールに入れられちゃって。自分の時間全然なくなって。
デートもできなかった。ま、彼氏もいなかったし。

でも、忙しくても彼氏のできる人はできるのよね。
でもそんなのダメなの。勉強なんかしなくていいのよ。
だって、『私できな~い。』って言ってる子に男性は優しいもの。
そして結婚とかしちゃうんだから。

だから視点を変えて料理も頑張ったの。でも結果は一緒。
仕事も係長までになったけど、孤独だし。
それでも若い頃は『飲みに行こう』って男性社員からよく声かけられたけど、
いつから無くなっちゃったのかしら?」



いつもの彼。自分の意見は言わずに
じっくりと私の話に付き合う。



「無くなってないじゃない。社員じゃないけど、
俺と飲みに行ったりしてるじゃない。」

“そうだ!みんながうらやましがるような青年と一緒だった。”

「あっ、そうだった。・・・私、なんでも勉強して努力すればって。
でも、セックスは別。 セックスは一人じゃ無理なの。
勉強する事はできても、パートナーがいなきゃダメなの。
だから・・・だから今でもヴァージン。」

ここまで話すと緊張が解けたのか、涙があふれボロボロと流れた。
「どうして頑張れなかったんだろ。あなたとのあの日も。」

「頑張るってものとは違うと思うんだけど。・・・あの日は俺が悪かったし。」

「私、ダメなの。」

・・・私はついに泣いてしまった。
しかも鼻水まで心配しなければならないような大泣き。
彼は私に干していた風呂タオルを差し出した。
私は顔を覆ってしばらく泣いた。

“私は今まで・・・。”

もう後は、泣いた勢いで支離滅裂な不安や不満を彼にぶつけた。

彼はずっと聞いてくれた。時折「そっか。」と言いながら。


泣くなんて久しぶり。 いつも我慢してきた。
我慢しなきゃならないと、立場や年齢を自分で決めてしまっていた。

“泣いてもいいんだ・・・。”


私の心も静かになってきた。
タオルの下の顔が想像するだけで怖い。
顔がアツく熱を持ってるし、まぶたは腫れてとても重い。

.しかし、ここまでの姿を彼に見せてしまったら、
気持ちが引くだろうと考えていたら、

「・・・どうした?落ち着いた?」

彼が私の頭を、子供にするようになでた。

「引いた?」

「引いてないよ。・・・引いてないし、姉さんは全然ダメじゃないよ。」

「・・・私、男の人とそうなるって思うと変に潔癖で、
シャワーを浴びないのか、相手の手がきれいに洗ってあるか、
避妊してくれるか、相手の家だったらシーツがきれいか、
とか他にも色々・・・。」

「そっか。そりゃ大変だ。」

「このまま一生ヴァージンだったらどうしよう。」

「それはありえないでしょ。」

「・・・?」

「その心配は、僕が解決しますから。・・・何てな。」

彼が左手を腰に当てて、右手を大きく上げた。
“ヒーローみたい。・・・ヒーロー?”

「助けてくれるの、ヒーロー?思い出したんだけど、
松永があなたの事、ヒーロー系だって言ってた。」

「仮面ライダーとか、ナントカ戦隊とか?」

「・・・に変身する前の美青年って事じゃない?」

「えっ、ヒーローって変身前は女性の相談にのってんの?」

「まさか!子供番組よ。違うわよ。あなたのルックスがヒーロー系なの。」

彼の冗談に2人で大笑いした。大笑いでごまかしながら
私は大胆にも彼に抱きついた。

彼の耳元で内緒話のように話した。

「今夜、解決して・・・。」

「・・・だって、約束したでしょ。」

彼は私の体を優しく離しながら答える。

「旅行に来る前、“レイプしない”って約束したでしょ。」

「約束なんか、破っていいもん。」

「酒も飲んでるし、またにしよう。」

「また、なんてないもの。旅行から帰ったらナツホとでしょ。
嫌なら断ってくれて・・・」

「断ってないでしょ。」

彼が珍しく、私の言葉にかぶせて否定した。

「姉さん。俺は姉さんと、酒飲んでそうなりたくないだけ。
俺なりに、姉さんとの関係を大事に思ってるから。
・・・さて。俺、先に寝ます。」

私の答えを待たずに彼が立ち上がった。

私も慌てて立ち上がろうとすると、

「姉さん。30分先に寝かせて。
一緒に部屋に行ったら、俺、もう無理。」

彼は就寝準備もすばやく床についた――。



「私との関係を大事に思う・・・。」


私はぼんやりと、彼の部屋に行った日の事を思い出していた。
あの日の彼は今でも正直怖かった。

・・・そして、そう遠くない日に・・・。

時計を見ると2:40をさしていた。
隣の部屋へのふすまを開けると、奥の布団で彼が背を向けて寝ていた。

近づいて覗き込むと、白い首筋にいたずらしたくなった。
左の耳からアゴに向かって、人差し指と中指でそっとなでてみた。

「ウッ・・。」
と息の漏れるような声を出した。

起こしたのかとあわてたが、そのまま寝息をたてていた。

私も布団に入り、目を閉じた。

“セックスの時、男性って声が出るのかなぁ・・・。”









帰りは新幹線に乗車せず、電車にした。

彼の朝の用意は、歯磨き・洗顔・着替えで10分かからず終わった。

電車に隣同士に座ると、夜からだいぶ髭が伸びている。

「姉さんと会う時は、バイトの後でしょ。
だからきちんとしてるけど、家にいる時は、こうよ。」

手入れされてしまった短い髪と、手入れされてない髭がアンバランスで、
いつも以上に大人に、セクシーに見える。

「携帯の電源、切ったままなんじゃないの。大丈夫?」

「でも、電車内で入れるのもおかしな話でしょ。・・・姉さん、こんな話
昼間からどうかとも思うけど、昨晩の話はよく考えてからにしたらいいよ。」

「早いほうがいいの。もうよく考えすぎたくらいだから。」

「・・・で。 その後、俺と姉さんはどうなる?」

「付き合って結婚する?」

「・・・姉さんと結婚か。」



“――その後なんて、考えたこともなかった。”

確かに彼とは友達以上の特別な関係でいたいと思った。
でも、『特別な関係』って何?

「姉さん、俺の子供産んじゃったりするの?」

「冗談よ。」

「・・・冗談・・・。そっか。」

彼は窓の外を見ている。
さっきまで冗談に笑っていた彼から一変、少し寂しそうに見える。

私は彼の手に触った。

「大丈夫だよ。俺、そういうの慣れてるから。」

彼は私に微笑むと、再び窓の外を見た――。









月曜日、出勤すると後輩達に給湯室に呼ばれた。
若い女性社員はこの給湯室で前日のデートの話をする。
上司に入れるお茶の準備をする間に。

最近はこのグループに入ることもなくなったが、
昔は嘘をつくのに大変だった事を思い出した。

デートコースならまだしも、セックスの話は見栄と嘘で頑張った。
でも、「先輩の彼はどうですか?」とか、
「先輩、どうしたらいいですか?」何て時には本当に困った。

.もちろんヴァージンとは言えなかったし、経験豊富な後輩達に逆に
勉強させてもらった。

「係長、昨日の旅行は誰と行ったんですか?
背の高い男性と電車に乗ってるの見たって人がいて。
帽子で男性の顔あんまり見えなかったけど、
服装から年下じゃないかって噂ですよ。」

“そう、見られたんだ。いっそ顔も見られちゃえばよかったのに。
驚くほど私とは不釣合いな美青年なのに。“

「いいの!さっさとお茶を入れて仕事しなさい。」

と、注意していながら、顔が笑ってしまった。

私も給湯室で嘘じゃない話をする日が来る。
―― 近日に。






夕方、携帯のメールを確認すると彼からのメッセージが届いていた。

<金曜日の夜、俺の家に来るか?>

夜、家に帰ってから返信する事にした。




帰宅できたのは、23:20だった。
彼もバイトから帰宅しているだろう。

すぐお風呂に入り、ビールを飲みながら携帯の彼のメールを読み返した。
何度読んでも同じ。 後は返信するだけ・・・。


2週間後だった新大型プロジェクトが
来週の半ばからと繰り上げ発表があった。
そしてこの企画のサブチーフに抜擢された。

チーフに39歳の男性社員の若いプロジェクトチームだった。
そのサブチーフは念願のポジションだった。嬉しい。

しかし、しばらく彼とは会えなくなる。
残業続きで、帰宅は深夜になることも多いだろう。

「その後、俺と姉さんはどうなる?」

彼の言葉を思い出した。

“ その後、か・・・。”


―― 私は、彼が可愛い。

それは、一緒に歩くだけで皆に羨ましがられるような美青年だから。
聞き上手で、疲れた私の心を癒してくれるから。
どんな状態の私をも優しく受け入れてくれて、否定しないから。
ナツホより私のほうがホッとすると言ってくれたから・・・。

私は今までナツホに勝ちたかった。
若さも、男性に対する考え方も、女としても、いつも劣等感がつきまとった。

でも、劣等感の最大の源、ロストヴァージンできれば負ける気がしない。
それも目前。

私の答え一つ。


相手は25歳。 若い体。しかも、美青年。
文句の付け所がない。

正直、彼が「その後」なんて言ってくるなんて、考えもしなかった。
私は彼との恋人としての交際は考えていない。
まして結婚なんて・・・。

駆け出しの絵本画家を私が養うような将来は
全くプランに入っていない。

私は彼に受け止めてもらう幸せを知った。
そして初めて、彼から求められる憂鬱を知った。

<金曜日、伺います。>
と返信する。

私は金曜日、ロストヴァージンする。
そして念願のサブチーフとして力を発揮する。

“その後、俺と姉さんはどうなる?”

解答は未定 ――。

私は、欲しいものだけ手に入れる。
金曜日、会社の時計を見ると18:40だった。
定時はとっくに過ぎているが、いつもより早く帰れそうだ。

「係長、今日早いので飲みに行きましょうよ。」

20代の部下の女性達からのお誘いだった。珍しい。
体調不良って事にして断ると、

「係長、考え込んでいるようなので、旅行の彼の事かなって
話してたんですよ。 体調不良ですか。来週から新プロジェクトですよ。
新チーフ張り切ってますから、係長も元気出して。」

「ありがとう。また誘って。」

“鋭い。確かに旅行の彼の事なんだけど。”

考え込んでいるのではない。
なんだか緊張して、ため息が出る。
昼食もなんにも味がしなかった・・・。


「係長、帰らないんですか?
今日は新プロジェクト前のオアシスだって、みんな早帰りしてますよ!
・・・つーか、机の上、きれいですけど。」

ホッとさせられる。後ろから聞こえてきたのは松永の声だ。

振り返って応える。
「松永、夕飯おごる。付き合って。」

「え~、週末ですよ!私、デートなんですけど・・・。」

“週末デートな女が、係長の様子を気にして話しかけたりしないでしょ。”





私たちは会社を出て、近くのイタリアンレストランに寄った。
サラダとグレープフルーツジュースしか頼まない私を松永が心配する。

「姉さん、本当に体調不良なんだ。」

「・・・ねえ。松永って何歳になった?」

「今年31歳になりましたよ。主任にもなれてないけど。」

「ロストヴァージンていつ?」
「はぁ? う~ん、大学2年ですから、20歳か。」

「相手の名前とか、顔とか、覚えてる?」

「そりゃ覚えてますよ。」

「どんなだったか覚えてる?」

「あぁ、それは覚えてないですね。
あっ姉さん、チェリー君とチャンスありってヤツですか?
・・・まさか、高校生?!」

「ばか。犯罪でしょ。さっ、帰りましょう。
私これから行くとこあるんだ。」

「姉さんが言い出さないから、こっちも聞かなかったけど、
会社のご褒美旅行、年下の男といったって噂ですよね。
レンタルDVD屋さんだったりして。」


“・・・鋭い。確かに右の席の子なんだけど。”


私の体調不良を心配する松永と別れて帰宅した。
途中、レンタル店を覗いたが彼の姿はなかった。

“バイト、休んだのかなあ・・・。”

取りあえず歯磨きし、口紅を直して家を出た。






―― 彼の部屋についた。

ドアチャイムを押すと、
「はい、開いてます。」と声がした。

ドアを開けると机に向かって色鉛筆を持つ彼の背中が見えた。

「こんばんは。」

「・・・あ、姉さん。早かったね。」

時計は22:10を示していた。
席を立って彼が私の方へ近づいてきた。


「どうぞ。」
と部屋に招き入れ、ドアの鍵を閉めた。
彼は、私より頭一つ大きい。それは前から知っている。
その背丈の差が、今日はとても怖く感じる。

「何か飲む?って言っても、水かコーヒーだけど。」

「じゃ、お水。」

彼は冷蔵庫からボルヴィックのボトルを出して、コップについだ。
私は座る事もなく水を受け取ると、飲みながらベッドを見た。

「気にするんでしょ。 シーツも枕カバーも布団カバーも
全部新しくしたよ。」

水を飲み終えて、コップをキッチンに置いた。
2人でなんとなく、そして何も話す事無く立っていた。

彼が口を開く。

「シャワー、先に使っていいよ。」

彼はタバコに火をつけながら言った。

“そんな・・。まだ部屋に入ったばっかりで。“

彼が目をそらさず、じっと見る。

「少し話をしたいな・・・。なんだか気持ちも不安で・・・。」

「・・・じゃ、好きとか愛してるとか言えばいいの。
 そう言う事もしなくちゃいけないんだ。 ・・・色々注文多いね。」



―――― その後、俺と姉さんはどうなる ――――



彼はタバコを持ったままで両手で私の顔を挟み、キスしてきた。
タバコの匂いに一瞬むせる。

そして耳元でささやいた。

「シャワー、・・・一緒に浴びようよ。」

私は彼からとっさに離れた。
彼が寂しそうにフッと笑う。


「・・・お話はもういい?先にシャワーに行っといで。」

シャワーの脱衣所のドアを開けようとした時、

「はい、これ。新しいバスタオルと、洗濯済みのシャツ。」

私は受け取ると、ドアを閉めた ――。


今日のように冷たい事務的な彼を、私は見たことが無い。

彼は見抜いている。
ロストヴァージンの為だけに、彼を利用することを。

“こんなロストヴァージンでいいの?でも戻りたくない。
戻りたくなければ、彼に従うしかない――。”



私がシャワーから出ると、彼が続けて入った。

「少し寒いから、先にベッドに入ってていいよ。」

彼のシャツは長いけど、私の足はほとんど出ているので冷えてきた。
だからって、何だかベッドに入れない。
なんとなく、パソコンの椅子に座って彼を待っていた。

シャワーから出てきた彼は、私の姿を見て

「風邪ひいちゃうよ。ベッドに入って。」

「そうね・・。言うこと聞かなきゃね。」

彼が切ない表情で近づいてきて、立ち膝になった。
私の太腿に頬をつけて、腰を抱いた。

・・・私は彼の髪をなでる。
彼はそのまま話し始める。

「どうしたらいいのか・・・。姉さんに今、俺が何を言っても困らせるでしょ。
姉さんを困らせたくないし。・・・でも、大丈夫だから。 俺、ちゃんとするし。
・・・姉さんの・・・、 姉さんが・・・、・・・うまく言えないんだけど・・・。」

彼が体を離して、私の目を見た。

「・・・大丈夫だからね。」

と、いつもの笑顔を見せてくれた。

・・・私は安堵と罪悪感から涙が流れた。

「・・・姉さん。寒いから、ベッドに入ろう。」
2人でベッドに入り、彼が隣で私の髪をなでる。
眠くなるような気持ち良さに、目を閉じる。

と同時に、彼が重なってきた。耳にキスをしながら

「―― さっきはごめんね。」

と囁いた。 私は彼を見た。

「違う。謝らなきゃいけないのは――。」

「私の方」と言おうとしたら、口を塞ぐようにキスをされ、
こじ開けるように舌を絡めてきた。


彼は私の想いを承知で受け入れる。
そして、その事を私が謝ることを許さない。


キスは2度目。今度は歯磨きのミントの香りがする――。



・・・と思っていたら、いつシャツのボタンを全部はずしたのか、
私の左肩、袖が抜かれ、たちまちシャツは脱がされてしまった。

私は彼の両脇から手を入れ、初めて素肌の彼に触った。
顔や耳、肩、胸と、ゆっくりとキスが進む。

彼の柔らかくきれいな口唇が私の体を辿ると思うだけで、
熱くなってくる。


胸の下着は取らない。
カップの上からや、肩ヒモをずらしたりしてキスをする。

“ん、ブラは私が取るのかな・・・”と心配になったが、そのままにしてみた。

何の事は無い、その時が来たらホックなど付いていなかったかのように
簡単に脱がされてしまった。

彼がまた耳元で、ねだるようにささやく。

「姉さんも俺の事、抱いて・・・。
俺の背中、抱いて――。」

私は彼の背中に手を回した。

“え・・・これって。 赤ちゃんの肌みたい。”

赤ちゃんの肌とか、ビロード生地のような、
柔らかい、しなやかな質感・・・。

あまりに手のひらに気持ちよく、肩から背中から腰までの
広いビロード生地。
肌の質感なのか、うっすらと産毛なのかは
分からないけど、上質なのは間違いない・・・。

“ビロードの背中・・・。”

ぼんやりと目を開けると、私の胸元に彼の髪が見えた。
右手で彼の頬を優しく撫でると、喜ぶ子犬のように
私に唇を重ねてきた。

“まだ 男の子じゃないの・・・。”

―― 25歳。
年齢は大人だけど、私の為に私を満たそうとする彼は、
“男の子” のように、純に映った・・・。


ところが一変。
ショーツを脱がされた後は・・・。

いつもの彼の繊細さは、さっきの彼の純情は
どこへ行ってしまったのか、想像を超える大胆さで、
私の頭の中の回路がパニックを起こしていた。

そのショックと言ったら、草食動物と信じきっていた
見た目にも可愛い動物が、本当は貪欲な肉食動物だった、
と知った時のようだった。


「・・・姉さん、少し、ガマンしてね。」
と同時に、痛みが走った。

「――息、吐いて。」
彼の言うとおりにする。


私は彼を深く受け入れた。
ビロードに爪を立てる。

彼が動き始めると、私の髪や耳に彼の熱い息がかかる。
いつもの静かな彼からは想像もつかない、
早くて野蛮な息づかい。


ビロードに爪跡がつく。

でも、どこかで冷静で、彼がいとおしいと思った。
母性のようなものなのかも。

彼を、白くてフワフワした気持ちのよい何かで
包んであげたくなるような気がしていた――。


半分くらい意識が朦朧としていたと思う。
ぼんやり目を開けたときは彼がベッドから立ち上がり
1gも贅肉のついていないお尻が
ネイビーか黒のボクサーパンツに隠れていくところだった。

“そっか・・・。 彼もパンツ脱いだんだ。”

そのまま眠ってしまった・・・。




気がつくと目の前に下着が置いてあった。
たたまれていなかったのが不幸中の幸いだった。

ベッドから出て急いで着けた。
彼のシャツまで着て、再びベッドに入った。

外が少し白んでいる。
彼がうつぶせに、こちらを向いて寝息を立てていた。
シングルベッドなので顔が近い。

“まつげが長い。”

これは、旅行の時には気づかなかった。

指でそっとまつげに触れてみた。
ピクッとまぶたが動く。

―― 可愛い。

可愛くて いとおしくて、もう意地悪したくてたまらなくなった。

もう一度まつげに触れるとピクッと震えて、
まぶしそうに目を開けた。

「おはよう。」

「・・・おはよう。 今、何時?」

「5:30。私、帰るね。」

「待って。コーヒー飲もうよ。今すぐ入れるから。」
彼はTシャツに、スウェットのズボンをはいていた。
彼がコーヒーの用意をしている間に、私も私服に着替える。

彼の背中を見て、赤ちゃんの肌の質感を思い出した。

“ビロードの背中・・・。“

私は彼の背後から抱きついた。

「痛いっ。」

彼は小さく悲鳴を上げた。

「どうしたの。」

彼はTシャツの背中部分をつまむと、少し持ち上げた。

「これ、私が昨日・・・。」

彼のきれいな背中に、桃色の濃淡のミミズ腫れの痕ができていた。

「痛いよね。・・・ごめんね。」

「ま、いいから。コーヒー入ったよ。」

久しぶりに彼の入れたコーヒーを飲む。
・・・あの時のまま、苦い。

コーヒーを飲みながら、何も話さない。

“で、俺と姉さんはどうなる?”の解答を、私は出さない。

彼は、私を困らせるようなことは言わない・・・。

私は飲み終わったコーヒーカップを洗い、かばんを手に持った。
彼に笑顔を向ける。

「ありがとう、ヒーロー。解決してくれて。」

「ありがとうって、言わないでよ。」

静かに答える。

私は靴を履き、玄関を開けた。

「今日、いい天気になりそうね。」

「ほんとだ。・・・姉さん、 また・・・ またね。」

彼は何か言おうとして、やめたようだった。
彼の部屋を後にして、もう一度空を見上げた。
今日は晴れる。

土曜の早朝、人もほとんど歩いていない街。
なぜか全てが私を祝福してくれるように見えた。


―― 私は、心の重りから解放された。――


















To Be Continued..... ― emy ―


お読み頂きまして本当にありがとうございました。。
楽しんでいただけたなら、こんなに嬉しいことはありません。
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