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漫画家になる夢をもっていた大人って、多い気がします。クラスに一人くらいは絵がうまい子っていましたよね。『バクマン。』は『デスノート』に継ぐ原作・大場つぐみ、作画・小畑健コンビによる漫画です。2010年から放送されたアニメの第一期25話を見ました。今週刊誌で連載されていたりアニメ化されていたりする漫画がどうやって世の中に生み出されて来るのか、この漫画で掴めます。物語りの主人公は中学3年生の真城最高(サイコー)。叔父さんがプロの漫画家だったので小さい頃から仕事場に入り浸り、自分も漫画家になるという夢を持っていました。連載漫画がアニメ化された後、何年もヒット作が出なかった叔父さんは過労で亡くなってしまい、サイコーも夢を失って日々の暮らしに埋もれて行きます。絵を書くと言っても授業中ノートに描く好きな女の子のスケッチくらい。ところがある日、サイコーがその落書きノートを教室に忘れたことでその後の運命が変わる出来事が起きます。同じクラスに成績学年トップの高木秋人(シュージン)がいました。シュージンは作家志望で、サイコーの画力に目を付け自分と組んで漫画家にならないかと誘うんです。この時はまだその気にはならなかったんですが、夜シュージンに再び呼び出されて片思いの女の子・亜豆美保がアニメの声優目指してる事を聞かされ心が動きます。亜豆の家の前で自分達の漫画がアニメ化されたら声優をやってくれと言ったら大感激されたサイコー。つい二人の夢が叶ったら結婚して下さいなんて言ってしまうんです。15歳でプロポーズ...。漫画家だった叔父さんが中学のときから好きだった女の子とずっと文通だけでついに別の男と結婚してしまった経緯が頭から離れなかったんですね。後で分かるんですけど叔父さんが文通してた女性は彼女のお母さんなんですよ。さらに夢が叶うまではそれぞれの夢に集中して付合わないという、これもめずらしいパターンですけどそう約束を交わします。【全巻漫画.com】バクマン。 (1-20巻 全巻)漫画全巻セット【中古本】【中古】afb【全巻セット】【10P18Jun16】価格:3170円(税込、送料無料)母親は学校があるのに漫画家なんてと反対しますが、父親と祖父は『男にしか分からない夢』を応援してくれました。あらすじ作るとき『ネーム』というざっくりとしたコマ割りを作る事、このアニメで知りました。子供でも内容が面白ければ持ち込みで読んでもらえるんですね。この漫画が出てから、出版社に持ち込みでやって来る年齢層がぐっと下がったという社会現象にもなったそうです。編集担当者の当たり外れもありそうだし、人気商売なのでいろんな意味でバクチのようだと作品の中でも語られています。NARUTOとかハンターxハンターとかドラゴンボールとかワンピースとか人気漫画の話しが随所に出て来るのでリアル感があります。あしたのジョーも出て来たな。同年代の天才漫画家とか、ライバルたちも話しを盛り上げるし、亜豆がアイドルとして活躍して行くのにサイコーが焦る気持ちも伝わります。去年実写映画が公開、サカナクションの『新宝島』が映画音楽として制作されました。この曲、よくラジオでかかるノリのいい曲なんですが、大将がこれを聞く度に『米米クラブの浪漫飛行かと思った。』って言うんです。全然違いますよね。それにしても中学や高校でこんな凄い漫画書けるのかとちょっとシュージン君にビックリでした。漫画って絵も大切ですけどストーリーはもっと大切な気がします。このあとアニメは第3シリーズまであるようです。リアルタイムでは見ていなかったんですが、二人の活躍と恋の行方が気になりますね。アニメの公式サイトはこちらです。NHKアニメワールド バクマン。
2016/06/30
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『6月29日水曜日。今日はビートルズの日です。』なにそれ?車のエンジンかけたらナビがそう言いました。今まで乗ってた車は正月とクリスマスしか特別メッセージ出さなかったのに、今度の代車は毎日なんかの記念日ひねり出して来るんですよ。仕事から帰ってテレビを着けると大々的に紹介されてました。『今日はビートルズ来日50周年記念日です。』ファンの方々や、特にそのライブに行かれた方にとっては感慨深い日でしょうね。ファンの方はよくご存知と思いますが、『Beatles』は単なる虫じゃありません。虫なら綴りが違って『Beetles』です。リズムの『Beat』を『Beet』におきかえて、掛け言葉みたいな造語なんですね。当時はそう言うバンド名の着け方が流行ってたみたい。ところで虫と言っても多種多様。何万種類も地球上に生息します。そのなかで『ビートルズ』って何の虫なんだろうと思いませんか?だれかに『カブトムシ』って聞いたことがあるような記憶があるんですが、英語圏の人に『ビートルズ』というと『コガネムシ』を思い浮かべる人が多いそうです。実は日曜日、マンションのエレベータの中にコガネムシがいたんです。出たくてブンブン飛び回るので1階に着くまで大将と二人でよけまくりました。出してあげようとしばらくドア開けてたんですけど逆に警戒して天井の奥に逃げ込んでしまい、しかたないのでそのまま出かけました。外出から帰るとエレベータの中は静かになっていましたので、うまく外に出られたのかと思っていました。ところが昨日の夜、買い物から帰ってエレベータに乗ったら、弱って床にうずくまっていたんです。このままだとエレベータの中でミイラになってしまいそう。ひとまず買い物袋を家において、ビートル・レスキューに向かいました。マンションの植え込みに連れていって放しただけなんですけどなんとか命繋げたかな。『今日はビートルズの日です。』多分、大丈夫。私が思い浮かべたのはミュージシャンではなく、元気になったコガネムシの姿でした。
2016/06/29
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金箔で覆われた豪華な肖像画は、裕福な実業家フェルディナント・ブロッホ=バウアーが、1907年クリムトに妻アデーレを描かせた作品でした。第2次世界大戦でナチスに略奪され、その後ベルベデーレ宮殿に飾られていましたが、アメリカに住む親族がオーストリアを相手取って訴訟を起こしたんです。国を相手に全く勝ち目のない裁判だと思われていましたが、名画はオーストリアを離れアメリカに渡りました。これは『オーストリアのモナ・リザ』と呼ばれるクリムトの名画にまつわる実話です。ロサンゼルスで洋品店を営みながら静かに暮らす80代の女性マリア・アルトマン。彼女はオーストリアの裕福な家に育ちましたが、ナチスの侵略から逃れアメリカに渡った辛い経験の持ち主でした。アデーレはマリアの叔母で、ウィーンの大きな屋敷に一緒に暮らしていました。クリムトやマーラー、フロイトといった学者や芸術家が集うその家に黄金のアデーレも飾られていて、マリアが9歳の時に亡くなった叔母の忘れ形見でもありました。マリアがオペラ歌手のアルトマンと結婚した翌年、ナチスがオーストリアを占拠。叔父のフェルディナントは先にスイスに亡命していて無事でした。ユダヤ人家系のマリアは両親をウィーンに残したまま、夫と共にかろうじてアメリカに逃れます。家も財産もすべて奪われ二度とウィーンには戻るまいと堅く心に誓ったマリアですが、オーストリア政府がナチスによって奪われた芸術作品を元の持ち主に返すという取り組みを始めた事を知り名画奪還に向けて行動を起こします。まだ若い弁護士ランディ・シェーンベルクを選んだのは、マリアの友人の息子だったから。彼はオーストリア生まれの亡命現代音楽家、アルノルト・シェーンベルクの孫でした。アルノルト・シェーンベルク:交響詩「ペレアスとメリザンド」 Op.5/ヴァイオリン協奏曲 Op.36ベルベデーレ美術館の目玉だった名画『黄金のアデーレ』をオーストリア政府が手放すはずはないと当人たちも思っていたようですが、ランディはマリアの辛い過去と自分のルーツに触れ、すべてを投げ打ってもこの訴訟に勝ちたいと思うようになって行きます。クリムトも映画の中に一瞬登場しました。返還を求めた裁判でマリアの要求を堅く拒み続けたオーストリア政府側が悪者に見えて来ます。仲裁措置として黄金のアデーレを含め5点の絵画がマリアのものとなった時、どうしてもその絵をベルベデーレ宮殿に残したい政府側がいくらでもいいから売って欲しいともちかけるんですがマリアは拒否。エスティ・ローダー社の社長に156億円で売却されます。アメリカの化粧品会社ですが、社長は駐オーストリア大使も務めた方でナチスに奪取された芸術作品の奪還をライフワークとされてるそうですね。ローダー家も東欧系ユダヤ人の家系とのこと。余談ですが私もエスティ・ローダーの口紅愛用してます。【あす楽】【期間特価】エスティローダー ピュアカラークリスタルシアーリップスティック 01,02 [ 口紅 / 婚活リップ ]エスティーローダー☆再入荷コスメ化粧品『黄金のアデーレ 名画の帰還』(原題:Woman in Gold)はサイモン・カーティス監督による2015年のアメリカ映画です。マリア役のヘレン・ミレンが、カリフォルニアの風に染まりきらないヨーロッパの古き良き時代のエレガントをステキに演じています。裁判に勝ち、ニューヨークのノイエ・ガレリエにこの名画が移ったのは2006年。このときマリアは90歳だったそうです。ベルベデーレ宮殿に10年前まで『黄金のアデーレ』があったこと、この映画で知りました。最近の記憶とリンクしてとても興味深い映画でした。公式サイトはこちらです。黄金のアデーレ 名画の帰還
2016/06/28
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夜、有明にレッスンに行きました。今日はラテンのみ。お台場エリアの夜景は本当に綺麗です。レインボーブリッジに大観覧車、フジテレビや様々な商業施設の灯りが東京湾に浮かんで、まるで巨大なアミューズメントパークのよう。この辺りでお仕事されている方々は毎日この夜景を堪能されるんでしょうね。しばらく試合もないのでチャチャのルーチンをリニューアルすることにしました。新しいチャチャは新婚ほやほやのララちゃんに作ってもらいます。ベースはクリスティーナ・モンシェンカにディアボロで習ってきたルーチンのようです。これまでは二人の絡みを強調した振り付けだったんですが、今回のはより戦略的で攻撃的な踊り。足数が多くて大変だけどかっこいいのです。戦略的というのは『背番号を見てもらうために動く』という意味、攻撃的というのはこれまでのように二人でじゃれ合っている感じではなく観客や審判にアピール光線を飛ばしまくるという意味です。飛び抜けて美しい選手とか上手な選手はどこで踊っても目に入って来ますが、だいたい級別戦は実力伯仲が普通です。その中で1点でもポイントを多くとった方が勝ちなんですから、アウェーの海外でも外人の強烈なアピールに負けない存在感が出せるようにならないと埋もれてしまうんですね。この辺は『勝ち』にこだわる元チャンピオンならではの強みですね。私たちも勝ち方を教えてもらいに行ってる気がします。師匠に作ってもらったときは、勝つというより群を抜いた芸術性で勝負みたいなところがありました。まず骨格を作ってそこからアートとしての価値を高めて行くために踊り方や表現を乗せて行く、言って見れば粘土細工のような創作方法だったんです。ダンサーの素材を活かした名コックの料理作りとも言えるかもしれません。その辺はいろんなタイプのの生徒さんを見て来た経験がものを言う部分だと思います。ユーリはどうだったかな。引き出しから次々といろんな薬品や部品を出してロボット組み立てるみたいなかんじとでもいいましょうか。とにかくパーツをたくさん持っているのでその組み合わせは無限大です。最終的にどんな形にまとまるかは誰にも分からず、ダンサーとの化学反応を楽しむような作り方だった気がします。今回のララちゃんの勝つための振り付けは、最初に石があってそこからイメージ通りの像を掘り出して行く彫刻タイプのようだなと思いました。イメージ通りになるまで妥協は許さない感じです。『今日は女子特訓!!』私も特訓大好き。ちはやふるの小学校時代みたいに、大将と二人で拳を突き上げ『特訓!』とかはしゃいでましたけど、素材の善し悪しによって出来ないこともあるので、私たちが相手だと全部イメージ通りにはいかないでしょうね。でも自分をなんとかイメージに近づけようと努力するので、今まで使わなかった筋肉も動き出して踊りの質を上げられるかもしれません。出来る事をやるだけではなく、私たちはもっと『変わりたい』んです。ルーチンを新しくすると二人で組んで練習するようになるので、今までのような9割がたシャドーよりずっと楽しいです。大将は最近『ニノになる』のを目標に掲げているようですので、ニノとクリスティーナの元チャンピオンコンビのように踊れたらいいなあと夢は膨らみます。まだ全部は出来ていませんが、ひとまず最初の1分間のルーチンは出来ました。
2016/06/27
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車の中のお掃除、滅多にしません。いつのまにか必要のないものがいろいろ積まれていています。車検が切れる前に納車が間に合いそうもないので、急遽ディーラーさんに代車を出してもらうことになって今乗っている車とさよならすることになったんです。荷物を全部出してみたらすごい量なんですよ。なに積んでたんだろう?工具が2セット、封を切ってないチェーン、バッテリー上がりの時のケーブル2セット、ダンスシューズ、座布団の類、フリスビー、遮光ネット、ワックス類、掃除器具、正月飾りその他こまごましたもの。台車に積んだら引越し荷物みたいになってしまいました。燃費に影響してたでしょうね。ほとんどいらないものなので捨てて、今日引き渡しに行って来ました。『ちょっと程度があまりいいとは言えない代車ですが…。』といって代わりに出してもらった車は、ボンネットのペイントはげはげで相当古そうな小型車。テンション下がるわぁ。まあでもしょうがないですよね。ところがドアロック解除して開けようとしたら開かないんですよ。お店の方も『あれっ?あれっ?さっき開いたのに。』と大慌て。とうとう別の車をご用意しますということになってしまい、なんとハイブリットの試乗車を渡されたんです。『月とスッポンてこのことだね。』今度買う車よりハイグレードですからね。ほぼ新車だし。きっとメリー号(今まで乗ってた車)が『あんな奴にうちのご主人は乗せない』って最後の一仕事をしたんだって大将大喜び。私もしばらくはこれで仕事に行くことになるんですけど、こすったりしたら大事ですから緊張します。ハイブリット車って静かで加速もスムーズなんですね。エアコンも温度設定できるし快適だから、このままずっと代車でもいいんだけど。
2016/06/26
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ベルベデーレ宮殿は17世紀から18世紀にかけて活躍した軍人将校オイゲン公の夏の離宮として建設されました。上宮と下宮からなるヨーハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラントの代表的なバロック建築です。1752年にマリア・テレジアの所有となり、1770年マリー・アントワネットとルイ16世との婚姻を祝う仮面舞踏会がここで盛大に催されたと言います。招待客の数は16000人。その後、啓蒙絶対王政の理想をかかげたマリア・テレジアの息子ヨーゼフ2世が皇帝所蔵の芸術コレクションをここに集め、世界で最も早く一般市民に公開された美術館の一つとして1781年に開館しました。別名オーストリア絵画館。オーストリアで2番目に大きな美術館だそうです。2016年6月1日に行ってきました。こちらチケットの表と裏。一番有名なのはウィーンの画家クリムトの作品群です。グスタフ・クリムト『接吻』(1907-1908)グスタフ・クリムト『ソニア・クニプス』(1898)グスタフ・クリムト『ユディット』(1901)グスタフ・クリムト『フリッツア・リードラーの肖像』(1906)グスタフ・クリムト『ひまわりの咲く農家の庭』 (1912)彼の伝記的映画見ましたが、ウィーン世紀末コレクションの代表格となっている彼の作品は、金箔キラキラはかりではなく、穏やかな風景画とかもあるんです。こちらもオーストリア生まれの画家セガンティーニの作品。ジョヴァンニ・セガンティー『悪しき母たち』 (1894)そしてエゴン・シーレ。この人の絵には迫力があります。エゴン・シーレ『首を傾げた自画像』(1912)エゴン・シーレ『死と乙女』(1915)このほかに中世の宗教画から印象派まで幅広いコレクションがあるのでとても紹介しきれませんが、これだけは外せないというのがきっとみなさんご覧になったことがあるこの作品。ジャック=ルイ・ダヴィッド『サン・ベルナール峠のナポレオン』(1801)彼は同じ絵を5枚描いてヴェルサイユ宮殿に2枚、あと3枚はマルメゾン城、シャルロッテンブルク宮殿、そしてここベルベデーレ宮殿にあります。刺激的なウィーン世紀末もいいんですが、個人的には落ち着いた絵が好きです。フェルディナント・ゲオルク・アルトミュラー『聖体祭の朝』(1857)フェルディナント・ゲオルク・アルトミュラー『果実と花と銀製杯のある静物画』(1839)フェルディナント・ゲオルク・アルトミュラー『薔薇の花』(1831)この方の自画像もありました。美男です。ベルベデーレ(belveder)は建築用語で美しい見晴らしを意味するイタリア語だそうです。お庭も確かに素晴らしかったですね。ここでマリー・アントワネットも踊ったのかと感慨ひとしおでした。
2016/06/25
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ロンドン橋落ちた 落ちた 落ちたロンドン橋落ちた …この歌の最後、なんて歌っているんでしたっけ?イギリスが今日、国民投票でEU離脱を決めました。株価は大きく値を下げ、為替相場も大きく変動しました。ブラックプールに行った時イギリスの通貨はポンドだったので、てっきりEUには加盟していないのかと思っていたんです。ここにきて離脱か残留かのニュースで盛り上がっているので、遅ればせながらイギリスもEUだったのかと知りました。ニュースはその話で持ちきりでしたが、私個人としては職場の健康診断の方がメインイベントでした。毎年体重は増え続け身長は縮む一方。血液検査のためにスロバキアから帰国してずっとビールとポテチをがまんしていたんです。仕事帰り、腕に血を採られたあとの小さな絆創膏をしたままスーパーへGO!大将が帰ってくる前に先にビール一杯飲ませてもらいました。大将は歯医者に行ってきたそうです。歯の詰め物がとれたと言ってたのは去年だったんですよね。それからずっと歯に穴空いたまま、ご飯食べると爪楊枝でホリホリして半年以上放置なんて私には信じられませんがようやく行く気になったみたい。明日は目医者に行くそうです。網膜剥離かもしれないとか言ってました。背中が痛いのは内臓に異常があるのかもとか言って先週はマーカー検査受けてきたようです。急にどうしたんでしょうね。変なテレビでも見たのか?テレビでは今年第100回となる日本陸上競技選手権大会を中継していました。悪天候の中、リオ・オリンピック出場をかけた熱戦が続いています。冒頭のお花の写真は、職場でいただいてきたものです。上の赤いのがチェリーセージでしょうか、黄色がルドベキア。一番下が金魚草、右下のピンクが長生きのツリガネソウで先々週いただいたもの、右上の方に茎だけみたいになってるのがピンクの花のサルビアです。住んでいるマンションの1階ロビーで毎週こども英会話教室やってるんです。小学校に行く前のこどもたちを集めて、勉強というより英語で遊ぼうみたいな集まり。そこでよくやっている遊びがロンドン橋なんです。London Bridge is falling down,Falling down, Falling down.London Bridge is falling down,My fair lady.英語では最後、マイフェアレディと歌ってます。日本語ではなに?この歌、すごく長いんですね。5番くらいまであるんですか?最後まで聞いてたわけではないんですけど、崩壊と修復を繰り返したロンドン橋。イギリスの不屈の精神を象徴するような気がしました。
2016/06/24
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日食の時に出来る金環食のことではありません。古代文明の遺跡から発掘された王の指輪でもありません。空に浮かぶ太陽に、土星みたいな輪があった事をご存知ですか?夜中にやってたNHKのコズミックフロントNEXTという番組で詳しく解説されていました。太陽の輪が最初に発見されたのは今から50年前の1966年、ペルーで起きた皆既日食のときだったそうです。正体は宇宙に浮かぶ塵で、太陽の半径の4倍くらいのところを輪になって回ってたとか。皆既日食の度に存在の検証が行われたんでしょうね。1973年には、フランスのチームがコンコルド飛ばして日食を追いかけ、リングの存在を再確認したそうです。ところがだんだん存在が薄くなってきて1983年を最後に消えてしまったのだとか。2016年3月にインドネシアであった皆既日食で、NHKが日本の研究者たちの観測風景を密着。果たして太陽のリングは存在したのか。イマイチ歯切れの悪い観測結果だったんですが、以前より濃くなっていることはないということで、あるのかないのかよく分かりませんでした。それだけ薄っぺらで肉眼では勿論見えない存在なんです。赤外線で観測してグラフで見た時に太陽半径の4倍くらいのところに小さなたんこぶみたいな『なにかある気配』が見られるという程度。リングが出没したメカニズムを知りたいですね。太陽の周りを長い周期で回っている彗星の仕業かと思いますよね。ところがこれもどうも違うみたい。彗星が塵をまき散らしながら太陽の周りを回って、それが積もってリングになっていたとしたら急に消滅したりしないみたいなんです。コンピュータのシミュレーションで見せてくれていました。他に可能性としてあげられていたのは、小惑星同士の衝突です。多分これが原因なんでしょう。土星以外にも木星、天王星、海王星にはリング(環)が存在していて、引力にトラップされるんですね。行った事ないから分かりませんけど宇宙にはいろんなものが浮遊してるんだと思います。太陽のリングはなぜ消えたんでしょう。土星などの惑星とは違って、太陽は燃えてますからね。しばらく太陽の周りを回って、太陽からの風に押されて吹き飛んだのか、引力に引っ張られて一粒ずつ太陽の中に落下したのか。地球と太陽を1メートルの距離とすると太陽の輪が回ってたのは太陽から1センチのところです。そりゃあもう、熱かったに違いありません。太陽温度はだいたい6000度と言われてますが、それに比べると輪の方は1000度から2000度くらいと観測結果で求められています。火山噴火でドロドロ流れてる溶岩の温度は1000度くらいですから太陽の周りを回ってた塵も似たような温度な訳で、燃え落ちたりしないのかなと思いますね。とてもじゃないけど持ち帰って調査なんか出来ないしだいたいその距離まで人類が行けるように将来なるのかも疑問です。イカロスの伝説みたいになりそう。太陽の輪が小惑星の衝突によるものだとすれば、消えたとしてもまたそのうち現れそうです。土星とかの輪も新陳代謝があるようですので、太陽もきっとそうでしょう。ただ先ほども言いましたけど燃えてますからね。毎日観測出来る訳じゃなくて皆既日食の時が唯一のチャンスなんだとか。そうなると皆既日食のたびに辛抱強く観測して調べるしかないんでしょうね。第三者的には小惑星がぶつかって飛び散った塵が太陽の周りでリングを作るところをリアルな映像で見たいところですが。
2016/06/23
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ホワイトハウスに務める執事なんてどんな方々なのか想像もできませんでした。大統領が次々と変わって行く中、お世話係として常駐する彼らはずっとホワイトハウスに精通しているし、歴史が動いているのを間近で観察出来る職業なんですね。政治に口出しする事は一切禁止のようですが。これは実話だそうです。主人公のセシルは1940年代のまだ黒人差別が激しかった時代に生まれました。不遇な子供時代でしたが盗みに入った店の主人に救われて給仕の仕事を始めます。日本で言うところのおもてなしの心を叩き込まれたセシルは、仕事ぶりを認められワシントンの高級ホテルへの道が開け、さらにホワイトハウスの執事へと昇格して行きます。アイゼンハワー → ケネディ → ジョンソン → ニクソン → (フォード → カーター → )レーガンと34年間勤め上げる中、家族にも世の中にも大きな変化が。長男のルイスは優秀で大学にまで進みますが、黒人差別問題に活動家として向き合い何度も逮捕され危険な目にも遭います。次男のチャーリーはベトナム戦争で戦死。妻のグロリアは息子たちの不幸や夫の不在に心を痛め、酒に溺れた時期もありましたがずっとセシルと共にありました。黒人差別に対して異議を唱え続けたルイスは、白人社会に下働きとして仕える父親に反発していました。父親のセシルも、自分の仕事を否定されているようで息子の事が許せません。差別の問題というのはこんなにも根深いものなんですね。人種や宗教の違いだけではなく、現代にもあらゆる格差から生まれる差別が存在します。南アフリカ問題でレーガンに反発し職を辞したセシルが、初めて集会に参加し息子と和解。世界がアパルトヘイト反対の方向へと動いていきました。大統領の執事の涙■監督:リー・ダニエルズ//フォレスト・ウィテカー/オプラ・ウィンフリー■(2013) アスミック・エース■【Blu-ray】【中古】価格:1850円(税込、送料別)老齢に達しセシルは再びホワイトハウスを訪れます。黒人が大統領になる日が来るなど彼には信じられない奇跡だったでしょうね。オバマ大統領に招待されたんです。セシルを演じたフォレスト・ウィテカーが実にうまい。つい3年前の映画なのに、第34代大統領アイゼンハワーを演じたロビ・ンウィリアムスも、第40代大統領レーガンを演じたアラン・リックマンもすでにこの世にいないなんてとても残念です。『大統領の執事の涙』(The Butler)は、リー・ダニエルズ監督による2013年のアメリカ映画。原作はウィル・ハイグッド の『A Butler Well Served by This Election』だそうです。公式サイトはこちらです。大統領の執事の涙
2016/06/22
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夜8時頃だったと思います。車の窓から建物の間に変なもの見つけたんです。くすんだオレンジ色の丸い月でした。パチンコ屋の電気が付くアドバルーンかと思いましたよ。調べてみたら昨日が満月で、『ストロベリームーン』だったんですって?太陽が1年のうちで一番高い夏至の時期に出る満月は地平線に近い分、夕日のように赤っぽくなるのだそうです。2013年にはスーパーストロベリームーンが見られました。あれはどうみてもイチゴじゃなくてミカンだった。雲がかかると干し柿の様でもあった。皆さんはご覧になりましたか?雨で見られなかった?夏至の日はよく雨が降ります。日本では梅雨の最中ですので当然かもしれませんね。私たちが茨城県民になって丁度今日で7周年。7年前の引越しの日も大雨でした。
2016/06/21
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映画『ロッキー』は大好きでした。ロッキーのテーマなんか流れたら、どこかの階段駆け上りたくなりませんか。1作目は勿論、2作目もよかった。ロッキーが再びリングに立つ事をずっと反対していた奥さんが、病院のベッドで一言つぶやくんですよね。『Win!(勝って)』そしてロッキーのテーマが高々と鳴り響くんです。しびれました。それから3作目4作目と続いてそのうち見なくなってしまったんですが、最後の6作目から9年ぶりのシリーズ再開だそうです。ロッキーはレストランのオーナーとして余生を送っています。時々出入りするボクシングジムで稽古を付けて欲しいと頼んで来る若者もいますが、全部断っていました。この物語りの主人公はロッキーではなくて一人のボクシング好きな青年ドニーです。彼は裕福な家に育ち仕事も順調でしたが、ある日、すべてを捨ててフィラデルフィアへと旅立ちます。ロッキーの元へ。ドニーは、ロッキーの親友でライバルだったアポロの息子だったんですね。世界ヘビー級チャンピオン2世という華々しい肩書きを隠し、ロッキーに弟子にしてくれと頼みに行きます。親友の息子だからというより、彼のボクシングに向ける情熱や才能に魅かれ、ロッキーはトレーナーを引き受けます。必死のトレーニングで実力を付けて行くドニー。彼女も出来たり楽しい毎日です。いつもそうですが、上手い具合にすごーく強くてイヤな奴が挑戦状を叩き付けて来るんですよ。しかも必ず会場はアウェー。さらに試合を目前にしてロッキーが病気に。ロッキーはもう病と闘う気はなくて、エイドリアンのところに行くと言って治療を拒否します。でもロッキーだって、元ファイターですからね。このまま終わるはずがありません。メインはドニーのボクシングの試合です。見応え満点。試合内容も充実。『クリード チャンプを継ぐ男』(原題: Creed)は、2015年のアメリカ映画。ライアン・クーグラー監督作品です。ロッキーの病気は心配ですが、このあともさらに続くんでしょうか。生きている間は戦い続ける男なんでしょうね。公式サイトはこちらです。 クリード チャンプを継ぐ男
2016/06/20
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母の日の影に隠れてあまり目立たない存在だった父の日が、最近は随分クローズアップされるようになりました。どんな一日を過ごされましたか?うちは早起きしてお墓参りにいきました。太陽が高いのでこの時期晴れるとカンカンに暑くなります。少し曇っていてくれて助かりました。1ヶ月に一度はお参りに出かけていますが、夏は草が生えるのが速いので草むしりも大変です。車の中で母はしゃべりっぱなしで1ヶ月分の愚痴を聞かされ、運転してくれてる大将も助手席の私もそれを聞いてるだけでへとへとになりました。昔はこんなにしゃべる人じゃなかった気がするんですが、私たち以外に聞いてくれる方がいらしたのかもしれません。父だったのかな。お墓参りのあと、ここ数回必ず立ち寄るようになった和食の店に行きました。いつもすぐに席に案内してもらえるのに今日は予約の方で満席です。父の日だからなんでしょうか。待合室で一緒に待っていた方はご家族3人連れでした。多分父が生きてたらこんな感じだろうなと思われるご高齢のご主人と奥様、そして娘さん。一体どのくらい待つ事になるんだろうかと、後から来た何組かは店を出て行かれましたがこのご家族は私たち同様腹を据えて待つ覚悟です。娘 『どうせ家にいたって、暑い中、顔つき合わせてるだけなんだから、ここは涼しくていいじゃない。』父 『顔つき合わせてるだけでも嬉しいよ。久しぶりだから。』なんかこの会話でじーんと来てしまいました。父も私が実家を訪ねる度に言ってくれてました。『よく来たね。遠かったろう。』って。そんなに遠くないんですけど、何だかご無沙汰してることで後ろめたさを感じたものでした。私たちも親子三人でよく出かけた和食のファミレスがあったんです。今になってその時間がかけがえのないものに感じられます。父はいつもハンバーグや天ぷらやコテコテしたものばかり頼んでたっけ。母を家まで送って『扇風機の首が伸びない』だとか『リモコンで冷房に出来ない』とか『壁の飾りをひまわりに変えてくれ』とか、全部すぐに片付くような用事をいくつかこなしてから、今度は大将のお父さんが眠るお寺に向かいました。おまいりをさせてもらったあと、いつもなら練習に出かけるのですが、もうすっかり疲れてしまいそのまま家に帰って昼寝。スロバキアの試合からちょうど2週間が経過。まだ疲れが残っているのでしょうか。今日はお墓参りという形ではありますが、二人のお父さんに会いに行った一日でした。
2016/06/19
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激しい気候変動で人類が地球に住めなくなったら、どうしたらいいでしょう。絶滅を逃れるだけの知恵と勇気が人類にはあるでしょうか。このまま行くと近い将来相当マズい事になりそうな事が分かっていても、自分が生きている間は大丈夫だろうというスタンスで、人類の存続より人生の充実に視点を置き、相変わらず人類同士のせめぎ合いは続いています。今日ご紹介する映画はとてもよく出来ているSFです。あり得ない事とありそうな事が入り交じっているので、いつのまにか浦島太郎も実在したのではないかと言ったような世界観に引き込まれて行きます。ありそうなこと第一は、地球が危機的状況になるまで解決策が見つからずに地球に住み続けている事。急激な気候変動で食糧難になり、人々は日々生きて行くのが精一杯で宇宙開発とかに予算をさくどころではない状況です。NASAはすでになく、地下組織のような形で細々と人類存続に向けた研究が続けられていました。1 宇宙に似たような惑星を探して移住する2 スペースコロニーを打ち上げて移り住むここでありそうもないことが登場するんですね。かつて地球に飛来した地球外生命体が、土星近辺に別銀河からの道、ワームホールを作っていたらしいんです。プラン1実施のためにこれが使われます。何人かの宇宙飛行士が別銀河で住めそうな星探索にすでに旅立っていました。プラン2は難航しています。巨大なコロニーを宇宙空間に制作する時間もお金もないので、地球上で作ったノアの箱船のようなものを持ち上げる重力コントローラーが必要になって来ます。今までにも何度かこの話題には触れましたが、今のところ理論上不可能です。ここで登場するのが主人公のクーパー(マシュー・マコノヒー)。元宇宙飛行士ですが、NASAなき今はトウモロコシ農業を営んでいます。義父と息子のトム、そして娘のマーフと共に砂嵐と戦いながら暮らしていました。マーフは頭が良くて後に重力の研究に打ち込むことになるのですが、この時はまだ幼くて自分の部屋で起こるポルタガイスト現象におびえています。クーパーはそれが、幽霊の仕業ではなく何者かが送って来るメッセージだと理解するんですね。バーコードのように規則的に本棚から落ちて来た本や砂の並びをクーパーとマーフは解読します。そのとき暗号が解読出来ていなかったら未来はどう変わるのかちょっと興味がありますが、その辺は置いといて、それがきっかけでクーパーは再び宇宙に向かうことになるんです。マーフに必ず戻って来ると約束してましたけど、一体それがいつになるのか、それまで人類は存続しているのか見てのお楽しみです。インターステラー(Blu−ray Disc)価格:1500円(税込、送料別)宇宙は広いですからね。理論上はそうなると言われていても実際どうなのか、特にブラックホールとかワームホールとか、その中での時間経過がどうなるのか分かっていません。映像技術が素晴らしいので見て来たように制作されていますが、人類が絶滅する前に宇宙についてどのくらい人類は知り得るのでしょう。生きてる人間は無理でも種としての存続という事も考えるでしょうね。凍結受精卵を何年でもかけてどこかの住めそうな惑星に送り込む計画。これはありそうな話しです。実は人類はそうしてどこぞの星から送り込まれて来た生命体なのかもしれませんしね。『インターステラー』(原題: Interstellar)は、2014年のアメリカ映画、クリストファー・ノーラン監督作品です。SF好きな方には是非お薦め。大将とお母さんがこの映画を映画館で見て来て面白かったというので私も見てみることにしました。オデッセイでも火星に一人ぼっちだったマット・デイモンがこの映画でも似たような状況でいい味出してます。公式サイトはこちらです。インターステラーインターステラー/ゼロ・グラビティ/2001年宇宙の旅 ワーナー・スペシャル・パック [ マシュー・マコノヒー ]価格:2482円(税込、送料無料)
2016/06/18
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音楽の都ウィーンに行ったら、やっぱり音楽を聴きたくなりますね。いい音楽かどうかは別にして、ウィーンでは毎日のように宮殿や有名なコンサートホールで気軽に楽しめる音楽会が催されています。2016年6月1日、夜8時15分開演のモーツアルトの夕べに行きました。会場はウィーンフィルのニューイヤーコンサートで有名な楽友協会大ホール(黄金のホール)です。日本語ガイドツアーの時間を調べようとウィーン国立歌劇場の周りをうろついていたら、モーツァルトの格好してる人にチケット売りつけられた形でしたが、楽友協会大ホールも一度は入ってみたかったので渡りに船といった感じでもありました。こちらチケット。私のおごりです。ウィーンカード出したら少しは割引になったのかもしれませんが、突然呼び止められたのですっかり忘れてたんですね。ほとんどは観光客だと思います。みんなラフなスタイルで席がかなり埋まってました。楽団員はモーツアルト風のいでたちでちょっとコミカルにみんな知ってる曲を演奏してくれます。『魔笛』の夜の女王も登場。歌、とても素晴らしかったです。アンコールの最後は、ニューイヤーコンサートの定番『ラデツキー行進曲』でした。ちょっと残念だったのは指揮者の方がちゃんと観客の拍手に対しても指示を出してくれていたのにほとんどの人は(大将も含めて)それを無視し、手が痛くなるほど最後まで全力で叩きっぱなしだったことですね。指揮の方も途中で諦めてしまわれましたよ。お手本はこちら。皆さんもチャンンスがあったら是非どうぞ。 ラデツキー行進曲
2016/06/17
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イチロー選手が4257安打を達成しました。4000本安打は2013年8月22日です。インタビューを聞くと、ローズ選手のコメントも踏まえてかサラッと流した感がありましたがすごい記録には違いありません。子供の頃、みなさんの将来の夢はなんでしたか?それがそのまま現在の仕事になっている人はどのくらいいらっしゃるでしょう。子供が知り得る職業はごくわずかですし、大きくなるにつれて自分の本当にやりたいことが変わっていくのが普通です。そんな中、イチロー選手のように毎日やっても飽きない何かを子供の頃に見つけて脇目も振らずに取り組んで、そうして大成していくのは非常に稀な例だと思うんです。こんなふうに天からの手紙を子供の頃に受け取る人がたまにいるんでしょうね。同じように毎日練習しても同じ成果が得られるわけではありません。才能や環境や運や、いろんな要素が噛み合って記録的な偉業は成し遂げられます。『僕は天才ではありません。なぜかというと自分が、どうしてヒットを打てるかを説明できるからです。』イチロー選手の言葉です。決して感性でバット振ってる訳じゃないんですね。どうしたら打てるかをきちんと分析してそれが常にできるように練習を重ねて今のイチロー選手がいるわけです。『夢や目標を達成するには1つしか方法がない。小さなことを積み重ねること。』数ヶ月前にダンス教室の更衣室で女子トークをして、天からの手紙を受け取った人をもう一人発見しました。彼女は今私たちにラテンを教えてくれている元全日本ラテンチャンピオンですが、社交ダンスとの出会いは5歳だそうです。地元のお祭りでダンスを見て自分もやりたいと親にお願いして教室に行き始めたのだとか。私はてっきりご両親かおじいさんおばあさんとかがダンスされてたのかと思いましたが、そうではないそうです。お兄ちゃんも引っ張り込んで一緒に踊るようになり、ますますダンスが面白くなって毎日のように練習したんでしょうね。青春のすべてがダンスだったのでしょう。私と背格好が似てるんです。太さとか年とかは違いますけどね。でも彼女を見ていると自分が小さいことが成績が出ない理由にはならないと確信できるんです。同じように私を見て、太くても小さくても丸顔でもA級になれるんだって自信を持ってもらってる方がいらっしゃるかしら。確か明日が彼女の結婚式だと聞いた気がします。北海道の教会でとおっしゃってました。先生方の新たなる門出とイチロー選手のさらなる活躍を祈念して、関東一本締め。よーーぉっ!ポン!
2016/06/16
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白いドレスに身を包んだ女性が社交界デビューの場としてここでヴェニーズワルツを踊る、有名な『デビュタント』の会場にもなるウィーン国立歌劇場。社交ダンス愛好家なら一度は行ってみたい場所の一つではないでしょうか。オペラは見ませんでしたが、2016年6月2日劇場内を巡るガイドツアーに参加しました。日本語でガイドしてくれるのは一日一回のようで、入り口に貼り出されているタイムテーブルで朝確認してその時間に合わせてやって来ました。3時から、15ユーロ/2人。ウィーン・カード割引はありませんでした。他に英語やスペイン語、フランス語、などなどいろんな言語のガイドツアー参加者が一同に会して、ロビーで写真撮ったりしながらガイドさんが来られるのを待ちます。私たちは一番乗りだったのですが、いつの間にかどんどん人が集まって来て日本人も20人はいたと思います。ガイドさんはとても日本語の上手なオーストリア人男性でした。上のフロアに上がって最初に案内されたのは、左右の階段に飾られた二人の建築家のお話でした。とても素敵な建物だと思いますけど建築当時は不評で、王様にもイマイチな感想を言われ、一人は自殺、もう1人も病気になって死んでしまったそうなんです。150年くらい前に作られた建物ですが、第2次世界大戦で一部を残し焼失。再開したのは1955年とのことでした。ロイヤルボックスの裏に小部屋があって、紅茶の部屋と呼ばれています。王様がオペラに疲れるとここで紅茶を飲んでたという豪華な部屋。今では一般庶民も利用出来るようです。20分7万円で。20分というのは幕間の休憩時間の長さなんですが、昔はこの休憩時間がなかったそうなんです。オペラは長いですから、飽きた観客がおしゃべり始めちゃうんですね。幕間に休憩時間を設けて、上演中はしっかり見てもらおうというシステムにしたのは1897年から総監督に就任したグスタフ・マーラーだったそうです。フロアの周りをこういった休憩サロンが取り囲んでいて、観客たちが幕間にシャンパンやコーヒーを飲む場所として使われています。彼が執務室に使っていた部屋は、モーツァルトの『魔笛』をモチーフにしたゴブラン織りのタペストリで壁中を飾られたゴブランの部屋で、そこにマーラーが愛用していたという持ち運べるピアノも展示されていました。ここでウィーンフィルの就職試験みたいなものも行われるようです。ハイレベルなテストなんでしょうね。カラヤンの像もありました。大道具、小道具、衣装は演目が変わる度に制作されるそうなんですが、衣装は約18000着保管されているそうです。舞台の広さは客席と同じくらいの奥行きがあるそうで、高さも天井桟敷分までありますが、奈落も相当深くまであって舞台装置をごっそり入れ替えることができるようになっています。一番いい席は1階席で約3万円。一番安い席はロイヤルボックスの下の立ち見席で600円(5ユーロ)だそうです。そういえば外に並んでいる方がいらっしゃいました。ロイヤルボックスの下なら舞台正面ですから音響はいいでしょうね。気になるデビュタントですが、自分の娘や息子がデビューとなると親戚一同でボックス席を借り切るそうです。一体いくらすると思います?300万円ですって。結婚式の披露宴費用を親戚一同で負担みたいなものでしょうか。貴族じゃなくても参加できるということで、日本語ツアー参加者みんなが色めき立ったんですが、残念ながら年齢制限があるんですね。18歳から24歳までだそうです。知り合いがデビューしなくても単に見学することもできるとのこと。テレビでは見たことありますけど素敵ですよね。私はここ、ウィーン国立歌劇場で1度だけオペラを見たことがあるんです。27年前、演目はワーグナーのオペラ『トリスタンとイゾルデ』でした。その時の音楽監督はアバドでしたね。その後、小澤征爾さんも務められていました。演奏はもちろんウィーン国立歌劇場管弦楽団です。今回はオペラ観賞はしませんでしたが、普段見られない舞台裏を見られてとてもいい経験になりました。
2016/06/15
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5月26日(木)から6月3日(金)まで行われた2016ブラックプール・ダンス・フェスティバルの結果です。プロ・ボールルーム1 ARUNAS BIZOKAS & KATUSHA DEMIDOVA (USA)2 VICTOR FUNG & ANASTASIA MURAVYEVA (USA)3 ANDREA GHIGIARELLI & SARA ANDRACCHIO (ITALY)4 DOMEN KRAPEZ & NATASCHA KARABEY (GERMANY)5 VALERIO COLANTONI & MONICA NIGRO (ITALY)6 CHAO YANG & YI LING TAN (CHINA)去年の4位と5位が入れ替わりました。それ以外は変わらずです。単科戦の結果で上位50組に入った日本人選手の結果は以下の通り。<Waltz>24 KOTA SHOJI & NAMI SHOJI (JAPAN)33 GO HASHIMOTO & KEIKO ONDA (JAPAN)<Foxtrot>25 KOTA SHOJI & NAMI SHOJI (JAPAN)41 GO HASHIMOTO & KEIKO ONDA (JAPAN)<Tango>25 KOTA SHOJI & NAMI SHOJI (JAPAN)41 GO HASHIMOTO & KEIKO ONDA (JAPAN)<Quickstep>37 KOTA SHOJI & NAMI SHOJI (JAPAN)44 GO HASHIMOTO & KEIKO ONDA (JAPAN)プロ・ラテン1 RICCARDO COCCHI & YULIA ZAGORUYCHENKO (USA)2 MAURIZIO VESCOVO & ANDRA VAIDILAITE (CANADA)3 STEFANO DI FILIPPO & DASHA . (USA)4 TROELS BAGER & INA JELIAZKOVA (DENMARK)5 DORIN FRECAUTANU & MARINA SERGEEVA (MOLDOVA)6 EVGENI SMAGIN & POLINA KAZATCHENKO (RUSSIA)7 NIKITA BROVKO & OLGA URUMOVA (RUSSIA)8 NEIL JONES & EKATERINA JONES (ENGLAND)去年は決勝メンバーの3組が引退と言う劇的な変化の年になりました。単科戦の結果で上位50組に入った日本人選手の結果は以下の通り。<ChaChaCha>24 SHINSUKE KANEMITSU & NATSUKO YOSHIDA40 MASAKI SEKO & CHIAKI SEKO<Samba>23 SHINSUKE KANEMITSU & NATSUKO YOSHIDA33 MASAKI SEKO & CHIAKI SEKO<Rumba>25 SHINSUKE KANEMITSU & NATSUKO YOSHIDA45 MASAKI SEKO & CHIAKI SEKO<Paso>28 SHINSUKE KANEMITSU & NATSUKO YOSHIDA46 MASAKI SEKO & CHIAKI SEKO<Jive>32 SHINSUKE KANEMITSU & NATSUKO YOSHIDA39 MASAKI SEKO & CHIAKI SEKOプロ・ライジングスター(ボールルーム) 1 LUKASZ TOMCZAK - ALEKSANDRA JURCZAK (POLAND)2 STAS PORTANENKO - NATALIYA KOLYADA (UKRAINE)3 VLADISLAV SHAHOV - EKATERINA POPOVA (USA)4 STEVEN GRINBERGS - RACHELLE PLAASS (AUSTRALIA)5 DENIS KUTEPOV - LESYA SINITSA (USA)6 ANDREA ZARAMELLA - KSENIYA SOVENKO (USA)50位以上の日本人選手は以下の通り。<上位日本人選手>35 KENJI MORIWAKI - MIKU MATOBA35 TAKAHIRO NIIKURA - YUKIKO NAKATA41 JUN MOTOIKE - NORIKO MOTOIKE43 KOJI KOBAYASHI - MIHO AKANUMA49 AKI NAKAAKI - JUN NAKAAKI プロ・ライジングスター(ラテン)1 ARKADY BAKENOV - ROSA FILIPPELLO (AUSTRALIA)2 ANDRZEJ SUCHOCKI - NATALIA PIECEWICZ (POLAND)3 DMYTRO PANKOV - OLESYA PANKOVA (UKRAINE)4 ANDREY GORBUNOV - KARLA GERBES (SINGAPORE)5 YI LONG XU - LIN YUE SHI (CHINA)6 MASAKI SEKO - CHIAKI SEKO (JAPAN)51位以上の日本人選手は以下の通りです。準決以下は順位が付いていないので皆同列です。<上位日本人選手>51 YUKI NISHII - AZUSA HARUNA51 TAKAHIRO NAKAMURA - ERIKA NAKAMURA51 YUKI MURATA - TOMOKO SAIKI51 MOTOMITSU SHIMIZU - MIYUKI MARUICHI51 TSUNEKI MASUTANI - MEGUMI SAITO51 DAISUKE MASUDA - MAMI TSUKADAアマ・ラテンでクレメンとサーシャが3位、ルカとアレッサンドラが8位に入っていました。今年初めて開催された50歳以上のシニア・ボールルーム部門で日本の松村選手が準優勝の成績でした。すばらしい!SENIOR OVER 50 BALLROOM1 XINGMIN LU - KATERINA LU (USA)2 TAKEKI MATSUMURA - EIKO MATSUMURA (JAPAN)3 BRUNO LAZZARESCHI - IDA ZOTTA (ITALY)4 ROBERTO DESTRI - GIUSEPPINA LENTINI (ITALY)5 LUCIANO FUSARDI - LUISA ROVETTA (ITALY)6 WOLFGANG KOSCHIER - BIRGIT FEHRMANN-KOSCHIER (GERMANY)去年の結果はこちらです。
2016/06/14
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1872年に建設が始まったこの建物は1876年までゴットフリート・ゼンパーが、その後カール・ハーゼナウアが担当しました。ゼンパーといえばドレスデンのオペラ劇場ゼンパーオパーを作られた方ですね。建築を命じたのは時の王様フランツ・ヨーゼフ1世。たくさんの期待を胸に、2016年6月2日に入館しました。ウィーン・カード割引で一人19ユーロ。こちらがそのチケットです。3階まであって1階が絵画フロア、下が古代エジプトやギリシャ・ローマ時代の彫刻、上がコインなどの博物館になっていると書いてあったので時間も限られている事だし強烈に広いのでエジプトやコインはパスして絵画だけをじっくり見ることにしました。何度か来日している絵画も多くて、最近では去年の11月に渋谷で見た風景画の誕生。フェルメールの『絵画芸術(画家のアトリエ)』は2004年に東京都美術館で開催された企画展『栄光のオランダ・フランドル絵画展』以来の再会です。ヨハネス・フェルメール 『絵画芸術』(1667)この絵の前で日本人団体客がガイドさんの説明受けて、一緒に記念写真撮ってました。写真撮っていいんだっけ?それなら私も、ということで遠慮がちに数枚とって来ました。ブリューゲルの絵で有名なのはほとんどここにありました。ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』(1563)ピーテル・ブリューゲル『雪中の狩人』(1565)ピーテル・ブリューゲル『農家の婚礼』(1568)ピーテル・ブリューゲル『農民の踊り』(1568)そしてラファエロの『草原の聖母』。どこかで見たことがあるデジャブ感がずっとあって、どうしても思い出せなかったんですが、どうも中学か高校の美術の教科書に載ってたみたいなんです。皆さんも見覚えないですか?ラファエロ・サンティ 『草原の聖母』(1506)ベラスケスのこの絵も教科書で見た気がします。ディエゴ・ベラスケス 『青いドレスのマルガリータ王女』(1659)スペインの王女マルガリータの最も有名な絵は本家本元のプラド美術館にありましたが、ここウィーンに彼女の絵が3枚あるのは王様との御見合い写真がわりだったようですね。3歳、5歳、8歳ですよ。こんなに小さな時からすでに結婚が決められていたなんてね。15歳で結婚して6人の子供を産み、21歳で亡くなってしまうんです。昔のプリンセスってホントにお気の毒。ルーベンスやカラヴァッジョ、ティッツァーノ、ティントレットなどなどすばらしいコレクションの数々でした。画家ごとにコーナーがもうけてあって、カラヴァッジョのコーナーに差し掛かったとき、二人の東洋人男性の会話が聞こえてしまったんです。この画風、オレは誰の筆か知ってるぜ的な口調で、『カバラッジョ?』え? カバ?するともう1人が、あの有名な画家だろ。オレだって知ってるぜ的な口調で、『カバラッジョ!カバラッジョ!』2回繰り返すあたり大阪の人みたいですけど日本人ではないみたいでした。私は吹き出しそうになるのを必死にこらえつつ、カラヴァッジョのコーナーを足早に通過しました。絵画のフロア見るだけで3時間かかりました。他のフロアも同じ広さだけあるので、全部見ようと思ったら1日では足りないかもしれませんね。心満たされるひとときでした。
2016/06/13
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iMacやiPhoneを世界に送り出し、2011年に56歳の若さでこの世を去ったスティーブ・ジョブズ。世界中が彼の死を悼み、強烈な牽引力を失ったApple社のこれからを案じました。この映画は彼の伝記ではありません。彼の人生の中の三大イベントをピックアップして、神経質でワンマンでカリスマである彼の傍若無人ぶりを描いています。1984年、Macintosh発表会40分前の舞台裏です。直前になって不具合発生のマシン、妥協は一切許さない彼は部下に『直せ!』と神のような圧力をかけます。楽屋にやって来た自分の子供とその母親を疫病神のように追い払い、最初の個人向けコンピュータApple Iの共同開発者ウォズニアックの提言をまるで下僕のようにはねつけます。このキャラ、ソーシャル・ネットワークの彼に似てるなあと思って見ていました。脚本書いた人が同じアーロン・ソーキンだったんですね。当初は監督も同じデヴィッド・フィンチャーの予定だったそうですが、最終的にはスラムドッグ$ミリオネアのダニー・ボイルになりました。でもこの映画を見たウォズニアックが、ジョブズの実体とよく合致しているとインタビューに答えているようで、脚本のせいで嫌な奴にされている訳でもなさそうです。第2幕は1988年、Next cubeの発表会前の舞台裏でした。ジョブズは自分が作ったApple社から追い出されて新会社を設立し、昔の仲間がお祝いに駆けつけてくれていました。最初に話したのはウォズニアック。続いて母娘。そして彼を退任に追いやったApple社長のスカリー。全部どなりあいでしたね。プレゼン前で多少神経が高ぶっているのはありかもしれませんが、ジョブズの傲慢で突っ込み鋭い言葉爆弾の連射に聞いてるこっちも疲れました。第3幕は1998年、iMacの発表会です。これは売れましたよね。カラフルなゼリーみたいなiMacがくるくる回りながらローリング・ストーンズの曲で踊るCM、今でもよく覚えてます。ジョブズはことのきApple社のCEOに復帰していて、その復帰第一弾となる製品発表会でした。相変わらずウォズニアックとは怒鳴り合ってます。どっちのいい分も理にかなっているので考え方の違いなんでしょうけど、両者ともそれぞれ全力で仕事に打ち込んでいるんだなという事は伝わって来ました。娘は大きくなっていてもう大学に行く年頃です。これまで従順にジョブズに付いて来た秘書のジョアンナが娘に対して冷たすぎると初めて彼に怒鳴ってました。この映画で上手いなと思ったのはエンディングの部分ですね。激し言葉の応酬で疲れきってた映画鑑賞者の心をふっと緩めてくれるんです。終わりよければっていう、新しい形のハッピーエンドに思えました。なんだ、ジョブズってそれほどヤナ奴じゃないじゃんみたいな。【送料無料】スティーブ・ジョブズ ブルーレイ&DVDセット/マイケル・ファスベンダー[Blu-ray]【返品種別A】価格:3533円(税込、送料無料)『スティーブ・ジョブズ』(原題: Steve Jobs)は、2015年のアメリカ映画。ウォルター・アイザックソンによる伝記『スティーブ・ジョブズ』を原案としています。言葉による他人の喧嘩をずっと見続けているようで疲れるんですけど、Mac愛用者なので一応押さえておこうかなと思いました。私は別にMacが『Hello』って言ってくれなくても気にしませんけどね。こだわりの強い人が世界を変えて行くのかもしれません。公式サイトはこちらです。 スティーブ・ジョブズ
2016/06/12
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午前中から有明でレッスンがありました。帰国して中3日あれば時差ぼけも解消して絶好調かと思ったんですが、全然ダメでしたね。夜眠れなくて、朝は仕事で起きなくてはいけないのでずっと4時間睡眠で、もう頭働かないんです。片道2時間かかるんですが3回乗り換えがあって乗り継ぎの待ち時間もあるので電車で寝られないし。家でも詰め替え用の洗剤を全然違うボトルに入れてしまったり、全く無意識に変なことしてる自分に驚いていました。ラテンは世界戦の報告とこれからの課題を相談しました。チャチャの最初の部分が二人が陰に籠り過ぎていて目に留まらないということで、新しく作ってもらうことになったんです。たかだか10秒くらいのルーチンなのに全然覚えられないんですね。自分で自分が嫌になるくらい。ホントまいりました。終わってから大将に『レッスン代全部あんたが払え』と言われてしまいましたよ。スタンダードは久しぶりという事でワルツの正しいデザイン確認が行われました。バウンスファーラウェイやタンブルターン、スローアウェイオーバースウェイなどを1歩ずつ、上半身の向き、下半身の向き、視線の位置などを確認。新しいルーチン追加はなかったのですが、こっちは別の意味で冷や汗でした。スローアウェイオーバースウェイに入るとき、右肩越しに自分の左足のヒールがLODに沿ってるか見ろと言われたんですが、お腹の肉が邪魔で身体絞れないんです。目玉だけ右端ギリギリに持って行っても見えないんですよね。見栄はって見えた振りしてしまいましたが、実は見えてませんでした。レッスンを見学に来られていた大将のお母さんには嫁のダメぶりに呆れられただろうなあ。優しい方なのでいつもどおりよく頑張ったと褒めて下さったんですけどね。ちょっと肩身の狭いレッスンでした。海外遠征の成績もぱっとしないし、足のたんこぶは治らんし。チャチャも次回までにはバッチリ踊れるようにして行かなくちゃ。
2016/06/11
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<チェコスロバキア>スロバキアは以前、チェコスロバキアという国でした。分離したのは1993年だそうです。もともと民族的にも言語的にも違う国だったようで、経済的な格差からチェコがスロバキアを切り離したような形で今に至るようです。画家のミュシャって、チェコスロバキアの出身だったんですね。チェコには行ったことがないのでよく分かりませんが、ユーロ圏に属していないそうです。通貨もコルナというあまり聞きなれないものです。一方スロバキアはユーロ通貨で、物価は安いし非常に快適でした。治安も良くて、街を警官が巡回しているのでなにか怪しげな人がいてもすぐに追い払ってくれてました。スロバキア語はスラブ系言語で、アルファベット文字の上にスラッシュやらカンマやらブーメランみたいな記号がついてるのやらいろいろで発音が難しいんです。ホテルのフロントの女性に『こんにちは』→『どぶりでん』と習ったんですが、それ以外は全く覚えられませんでした。ちょっと厄介だったのはカーナビですね。目的地を設定するのに記号も考慮して住所入力するんですが、空港で車借りてすぐに使い方が理解できず、うちが先導してホテルまでご案内の予定がえらく遠回りしてしまったんですよ。道がきれいに整備されていて、いつの間にか制限速度100キロの高速道路に入ってしまってたり、高架から下の道路に降りなくてはいけなかったのに降り損なって、料金所もないのであっという間に目的地から遠く離れていってしまうんです。U-ターンもできないし。慣れない左ハンドルで大将にはえらく大変な思いをさせてしまいました。スロバキア語で案内されても右なのか左なのか、上なのか下なのか、どうしていいのかわからないと思います。部屋に持ち帰っていじってるうちに英語モードのやり方が分かって、試合会場にも無事に行けるようになりました。スマホの日本語ナビも併用してスロバキア2日目からはずいぶん楽になりました。コシチェの街では他の日本人は見かけませんでした。それより驚いたのは、世界中どの観光地にも必ずある中華料理の店が一軒もなかったことです。海外旅行に行くと、よく日本食が恋しくなると言われますが、私たちはむしろ中華料理が恋しくて、日本に帰ってからすぐに食べたのはラーメンでした。帰りの飛行機も概ね順調だったんですが、行きのようにウィーン成田直行便ではなくてデュッセルドルフ経由だったんです。ウィーン発デュッセルドルフ行きの飛行機が機体整備か何かの関係で30分遅れ、乗り継ぎの飛行機の出発時刻15分前に到着するという事態になりました。空港関係者にとってはこういうのはよくあることなんでしょうね。これで乗り遅れたらいつ日本に帰れるんだろうかというのも気になりましたし、ちゃんと荷物が積み込まれるのかも心配でした。でも地上スタッフの素晴らしい連携プレーで出国手続きもスムーズに終わり、次の乗り場へ案内もしてもらえました。ちょっと走りましたけど私たちよりもまだ後に来られた乗客もいらして、ちゃんとみんなそろうまで待っててくれるものなのだということを知りました。今回の旅行も盛りだくさんでまだまだ書きたいことは山のようにあるのですが、ひとまずこれにてピリオドとさせていただきます。長い旅行記にお付き合いいただき、ありがとうございました。(おわり)
2016/06/10
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<ビールたくさん飲みました>今回の旅で飲んだビールをご紹介します。写真撮ってないのもあるのでこれだけではないんですけどね。まずはオーストリア、ウィーンのビールから。Ottakringer(ヘレス)オーストリア航空で『お飲物は何になさいますか?』と聞かれて『ビール』と言ったら出て来たビールです。オッタクリンガービールはウィーンに醸造所があって、試飲付きの工場見学が出来るというので一応調べて行ったのですが、宮殿やら美術館やらで時間がなくて行けませんでした。ウィーンでは売り上げNo.1ビールだそうです。くせがなくて、とりあえず1杯なビールです。Gösser (メルツェン)こちらもオーストリア航空機内で、2回目に出された銘柄です。ゲッサービールはウィーンのみならずオーストリア全土で人気No.1のビールだそうです。うちの近所のスーパーでも売ってた気がします。機内食のお供にOKな、メルツェンといってもピルスナーのようなビールでした。Kaiser(ピルスナー)シェーンブルン宮殿の中にあるカフェテラスで『ビール』と言って出された銘柄です。広大な庭園を歩き疲れて喉が渇いていたせいか、べらぼうに美味しく感じました。オーストリアにもアサヒスーパードライみたいなビールがあるんだなあ。<Salm Brau>ベルベデーレ宮殿を出たところにあった醸造所ザルム・ブロイ。調べて行った訳ではないのですが、引き寄せられるように入ってしまいました。ここで造っているハウス・ビールはピルス、ヴァイツェン、ヘレス、メルツェン、ボーミッシュ・デュンケルの5種類です。私たちはタイミングよく席があったんですが、地元の人たちにも凄い人気の店でどんどん待ってる人が増えて行くんです。隣の席で学生二人が食べてたスペアリブがおいしそうでした。造り立て自家製ビールなので酵母が生きています。ドイツ語で各ビールの説明が書かれていました。世界最高のホップを用い、1842年のオリジナル製法3回糖化方式によって造られたビールgebraut nach dem original dreimaischverfahren von 1842 mit der besten hopfensorte der weit<ヴァイツェン>伝統的なザルム・ブロイの製法を用いた典型的なバイエルン上面発酵ビール。オリジナルのバイエルン酵母使用Ein typisches bayrisches, obergäriges bier, im traditionellen Salmbräuverfahren.Mit original bayrischer Hefe.<ヘレス>マイルドで軽くフルーティな口当たり。少し苦みのある典型的なラガービールmild, süffig und fruchtig im geschmack.Typisches lagerbier mit geningem bitterwert<メルツェン>赤みがかった琥珀色で、1841年のオリジナル製法に基づくウィーンの下面発酵ビールDas original Wiener-Untergärige-bier von 1841 mit rötlicher Bernsteingarbe<ボーミッシュ・デュンケル>ダークモルトと2回糖化方式によって造られた昔のオーストリアの名物ビール。Altösterreichische Bierspezialität mit dunklem Maltz im Zweimaischverfahren以前も書いたかもしれませんが、メルツェンの語源は3月(März:メルツ)にあります。冷蔵技術の発達していなかった昔、低温発酵のラガービールは気温の低い冬に作るものでした。夏になると傷んでしまうんでしょうね。でも夏も飲みたい、むしろ夏こそ飲みたい。そこで3月にまとめてラガーをしこんで温度変化の少ない洞窟に氷を詰め込んで熟成したんです。長期熟成で赤っぽい色になり、味もまろやかでちょっとアルコール度数が高めなのが特徴。夏に飲みきれなかった分は10月に蔵出ししてオクトーバーフェストで飲みきりました。今ではそんな苦労しなくても下面低温発酵ビールは一年中造れますが、オクトーバーフェストビールといったらメルツェンが代表格になっています。ここからはスロバキアで飲んだビールのご紹介です。Pilsner Urquell世界のピルスナーの元祖。チェコのピルゼンで世界で初めて下面発酵ラガービールの醸造法を生み出し、現在のラガービールの基礎となったビールです。宿泊したホテルのレストランで『生ビール』と言ったら出て来ました。飲んでる時はとりあえずビールなら何でも良かったので気に求めませんでしたが、あとで撮った写真見て『おーー!これは!!』と思いました。中身は違ったのかもしれませんが、地ビールは専用グラスでサーブするのが普通なので多分由緒正しきピルスナーだったのだと思います。今でも1842年のオリジナル製法3回糖化方式によって造らているようです。ERBスロバキア中部バンスカー・シュチャヴニツァにある醸造所Pivovar ERBで作られているピルスナーです。古い鉱山町で世界遺産になっているという事ですから、日本で言ったら島根の石見銀山みたいな町でしょうか。スロバキア料理のレストランで出されたビールです。グラスが微妙に歪んでいるのが特徴。この形、意外と飲みやすいです。Bernardコシチェ空港に入ってすぐの店で買ったチェコビールです。ピルスナーばかりではなくたまには違ったものと思って、瓶ビールも買ってみたんです。VISCHと書いてあるので大将はきっとヴァイツェンだと言ったんですが、なんか黒っぽいし、よく見るとラベルのおじさんが頭にサクランボかぶってるんですよ。チェリビールでした。ブルーベリー黒酢のノンアルコールビール割りのような味です。コシチェ空港、出発搭乗口の売店で買ったビール。1954年創業の比較的新しい醸造所ですが、熱処理をしない生ビールとして有名だそうです。こうやって見ると随分たくさんビール飲んでますね。水より安いので日本とは大違いです。(つづく)
2016/06/09
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<ダイエットシューズ>海外遠征の前は仕事も練習もぎゅーっと密度が濃くなるせいか知らない間に疲れが蓄積します。こういう時は怪我しやすいんです。出発の数日前、左足の付け根の部分を机の角にぶつけてでっかいアザを作ってしまいました。内出血が広がって、まるで腿にバラの入れ墨を入れているように見えてなんかカッコ良かったんです。それよりもっと凄かったのはDCB講習会のときのレッスンで、左足の甲にでっかいたんこぶを作ってしまったことです。骨に異常はなかったんですが、痛くて靴が履けなくなってしまいました。自滅なのでひたすら耐え忍ぶのみ。ウィーンにはスニーカーで行くつもりだったのが、痛すぎるので急遽靴を買いに行ったんです。出発前日の事でした。足の甲のたんこぶが当たらない靴はいろいろありましたが、どうせならダイエット効果があるらしいという靴を試してみる事に。クッションが効いてるしとても歩きやすい靴です。靴の注意書きの赤紙が付いていたんですが読まなかったんですね。皆さんも電化製品とか買ってもマニュアルなんか見ないでしょ?ウィーン二日目の朝、起きたら両足全体にもの凄い筋肉痛が来てたんです。一体何事かと考えてみましたが、この靴のせいとしか思い当たる節がありません。そういえば店員さんが、靴底を不安定な形にする事で無意識にバランスをとろうとして筋肉を使う、結果ダイエット効果が見込まれるとか言ってました。宮殿の玉砂利とかウィーンの街の石畳とか、ただでさえ不安定なところを不安定な靴で一日中歩き回ったせいでしょうね。更に翌日も懲りずに教会の塔の階段上ったり無意識の筋トレは続きました。本当はスロバキア入国初日にスピシュ城に登る予定だったんですが、雨で中止になって良かったです。翌日の試合で足動かなくなるところでした。足動かなくても結果は似たようなもんだったかもしれませんが。足の甲のたんこぶの方は青から紫になり、まだ膨らんでいましたが黒く塗るのでみんなに『どうしたの?』と聞かれるほどではありませんでした。ダンスシューズの紐で圧迫されて痛いんですけど試合になると不思議と痛さ忘れるんですね。帰国してからもたんこぶは膨れていて、色はほとんど消えたんですがまだスニーカーは履けません。スニーカーだけでなく、足の甲がかぶるティーチャーシューズも、たんこぶの上に紐が来るサンダルもムリ。注意書きの赤紙に書いてありましたよ。『ご使用いただく際は必ずごく近い距離でお試しになってみて、徐々に距離を伸ばすようにしてください。… 事故防止のため階段や坂、エスカレーター、電車やバスなどの乗り降り、滑りやすい場所でのご使用は十分注意してください。… この商品を着用して自動車などの乗り物を運転することは避けてください。…』真逆の事をやってしまいましたね。たんこぶが治るまではこの靴しか履けるのないので、自動車の運転だってするし信号変わりそうならダッシュだって全部この靴でやってます。靴底に丸いものが付いてて玉乗りみたいな感じとでも言いましょうか。以前近所にサーカスが来た時、大将と冗談で『サーカスのオーディション受ける』話しで盛り上がってました。私『玉乗りできますって言ったら雇ってもらえるかな。』大将『わたし、玉乗りの玉になれますって言えば雇ってもらえるかもよ。』なれないよ。(つづく)
2016/06/08
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<スロバキア料理>Slaviaというのは『スラブ人の国』という意味だそうです。ホテルのフロントで郷土料理の店を紹介してもらいました。このレストランで2日続けて夕食を食べました。夜風が気持ちいいテラス席です。店員さんはあまり英語が得意でないようでしたが、笑顔が素敵な可愛らしい女性で一生懸命コミュニケーションをとろうとしてくれる姿が好感が持ててみんな彼女が大好きになりました。2日目もそのお店に行くことにしたのは半分は彼女の功績です。どのお店でもお通しのように小さなパンとチーズが出て来ます。このチーズがいろんな風味が効いていてとても美味しいんです。日本で言ったら自家製の漬け物みたいな感覚でしょうか。私がたのんだのはカモ肉でした。柔らかくてジューシーでとっても美味しかったんです。皆で色んなものを頼んで少しずつ味見したんですが、カモはお薦めでした。ほうれん草のパイ包みみたいなものも特性ソースでクリーミーなお味に。一緒に頼んだシーザーサラダは、蒸した鶏肉も添えられていたパンもでっかくてボリューム満点。こちらは焼いた鳥です。下に敷かれているのはマメかな。シンプルなお味でおいしかったです。大将が頼んだのはビーフ。ビーフは一番こだわりがあるようで、サイズや焼き方やソース(別売)が選べます。スロバキア料理は基本肉でしょうね。内陸だし。メニュー見ても何だか分からないのものありました。カテゴリー的にはパスタのくくりに載っていたんですが、店員さんに聞いてもパスタじゃないけどパスタみたいとか言われて意味不明。『ピロギ』って書いてあって、みんなでなんだろーといいながら一つオーダーしてみることに。でっかい餃子でしたね。後で調べたらポーランド料理とのこと。羊のチーズが使われてます。こちらもめずらしい。ウサギの肉です。カボチャソースで甘くなっていますが、ちょっと臭みがある鶏肉のような食感でした。写真撮らなかったんですが、スープが激ウマでした。ほろほろに煮込んだ牛すじと野菜の透明なスープです。普通ならここでデザートなんですが、お腹一杯になってしまって食べられませんでした。(つづく)
2016/06/07
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<コシチェ市内散歩>最終日の午前中、ホテルから歩いて市内を散策しました。街はいたるところ花で飾られていてゴミも落ちてないしとってもきれい。幼稚園の子供達。みんなかわいいですね。公園で遊ぶ、のどかな月曜日です。公園を抜けるとコシチェの駅があります。最近改装されたらしくとても綺麗でした。駅から街の中心部へ向かう道です。道を横断する橋の欄干には、ありがちな誓いの鍵。ケルンでもこういうのありました。街の中心にある教会です。外は古そうですけど内装は綺麗に維持されてます。こちらは昨日晩御飯を食べたあたりの街並み。なんで教会の鐘が落ちてるのかな。こちらは劇場です。演劇をやってるみたいですね。小道には工芸品を売る店が立ち並んでいました。2時間ほど散策してホテルに戻ってきました。こちらが宿泊していたホテル。今日も快晴のいい天気でした。(つづく)
2016/06/06
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<スピシュ城とオープン戦>世界選手権から一夜明け朝ネットでタイムテーブルをチェックすると、今日昼からの予定だったシニアIIラテンのオープン戦が4時20分からに変更になっていました。8時に朝食会場に行くと大阪チームはすでに競技モードにばっちり決めていましたが、観光に行くならこのタイミングしかないということで日本チーム4組が2台のレンタカーに分乗してスピシュ城に行くことになりました。もう一組はオープン戦には出場せずに既に帰国の途。スピシュ城は天空の城ラピュタのモデルとなったと言われる美しい廃城です。スピシュ城観光してて試合に出遅れたのではシャレにならないので、もし12時までにホテルに戻って来れそうもなかったら途中で引き返そうということに。ただ、大将が車を借りた理由がこの城に行くためだったので、一目でもいいから見たかったようです。ナビの使い方もようやく分かったので片道73キロの行程を山道グネグネぶっ飛ばしてきっちり12時に戻って来れました。左折する時、大将もようやく右車線にすんなり入れるようになりましたよ。大会会場の向かいにあるスーパーに行って昼食のサンドイッチや飲料水などを購入。選手控え室の真ん中にピクニックのように陣地張ってお昼食べてるのは日本人だけですが複数組いるので心強いです。フロアではユースのラテン競技が行われていたんですが、そりゃもううまいのなんの。そういえば競技会場のトイレ、すべて鍵がありませんでした。扉が開いているのが空き、閉まっているのが使用中のような使い分けをしているようです。シニアIIラテンのオープン戦はほとんど昨日の世界選手権の顔ぶれなんですが、人数的には半分くらいで出場組数42組でした。日本人は4組が参加。1次予選からシャッフルの5種目戦です。シャッジは昨日とは少し顔ぶれが変わって、チェコ、ウクライナ、ハンガリー、ロシア、イタリア、ギリシャ、スペイン、南アフリカ、ポーランド、カナダ、タイ、ドイツから各1名ずつの13人でした。世界選手権よりジャッジが多いんですね。私は両日とも黒いドレスで参戦でしたが、皆さん2着ずつ持ってこられていました。昨日ドレスコードでひっかかったメンバーも今日は大丈夫のようです。似たようなドレス着た選手がお咎めなしで、なんでダメなのかよく分からなかったんですが、WDSFのトップ選手から買ったドレスでもダメな場合もあるんですね。ニーナさんのドレスだそうです。日本チームは全員2次予選までで落ちてしまいました。私たちは19位。昨日と同じようにちょうど出場者の真ん中くらいの成績です。優勝候補だったスロバキアの選手は2次でアクシデントがあったらしく、準決勝欠場していました。優勝は昨日4位だったロシアのカップル。2位がスペイン、3位ポルトガル、4位ロシア、5位ベルギー、6位ドイツと昨日の決勝メンバー何組かが出ていない分、順次繰り上がってきたような成績でした。夜中の3時に空港に向かう2組に合わせて私たちもガソリンスタンドで給油し、ホテルに戻ってからみんなで街に繰り出しました。昨日美味しかったスロバキア料理の店にまた行って、今日は別メニューにチャレンジしました。近所の教会の鐘ががんがん鳴ってうるさくて、なんなんだあれは除夜の鐘かとか言ってたんです。後から知ったところによると塔に登った観光客が勝手に鳴らしていいらしく、早めに敗退したダンサーが酔っ払ってならしてたんじゃないでしょうか。私も鳴らしたかったな。やけっぱちの鐘。(つづく)
2016/06/05
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<世界選手権シニアIIラテン>快晴のスロバキア、8時開場に合わせてホテルを出ました。40歳以上のラテン世界一を決める年に一度のシニアIIラテン世界選手権です。街のいたるところにこのポスターが貼られていて、地元スロバキアの選手が優勝候補として期待されているのがよく分かります。会場はこちら。車で15分くらいだったと思います。オランダ、イタリア、ハンガリー、クロアチア、ベルギー、オーストリア、ドイツ、ウクライナ、スロベニア、ラトビア、スペイン、ポーランド、チェコ、フィンランド、スイス、ロシア、ポルトガル、サンマリノ、アメリカ、日本、そして開催国スロバキアから80組がエントリーしていました。3組欠場で77組出場。そのうち5組が日本から参戦です。WDSF Kosice Open 2016 / Official Trailer最初から5種目戦のシャッフルで今年はテレビモニターにヒート分けの番号が表示されたので進行はスムーズでした。1次予選は楽勝だろうと思っていたら甘かったですね。36組UPの37位になってしまい、初めての1次予選敗退のピンチ、リダンス組になってしまいました。リダンスで敗者復活できるのは12組だけ。9人のジャッジはエストニア、スロバキア、モルドバ、スロベニア、タイ、カナダ、イギリス、ドイツ、フランスから各1名ずつでした。幸いリダンスは2位通過出来たものの2次予選でもスコアは伸びず、残念ながらここで敗退でした。日本人5組で3次に進んだカップルはいなくて、みんなで寂しく観戦しました。年々厳しくなっていきますが、それにしてももう少しなんとかならなかったものかと残念至極に存じます。夜7時からパレードの予定でしたが、2組が参加するということでしたのでのこりの3組は5時頃会場を後にし、街に繰り出してスロバキア料理を堪能しました。ビールも飲んじゃいましたよ。うまいピルスナーでした。モーニング娘。が好きとかいうスロバキア人に遭遇してしばらく立ち話したり、夜の街をぶらぶらしてホテルに帰る途中、パレードに参加してきた大阪カップルとばったり会いました。今年は旗持たないでプラカードの子供が先導するタイプの行進だったそうです。優勝はフィンランドの選手。マドリード、ニースに続き今年で3連覇です。準優勝が地元スロバキアの選手、3位と5位がスペイン、4位ロシア、6位がハンガリーでした。この6位のハンガリーの選手はコーチがつきっきりで、試合前なんども廊下でリハーサルを繰り返していたんです。確かに隙のないうまい選手でした。4位のロシアの選手は奥さんがしばらく子育てで競技を離れている間、プロみたいに上手なロシア美人とシニア1で活躍していた選手です。今年からシニア2復活みたい。ずっとファイナリストだったスペインのスーパースター、マニエルはもう世代交代ということなのか出てこなくなってしまいました。第1回大会の優勝カップルです。第2回大会優勝のドイツのカップルも去年あたりからいなかった気がします。第3回マヨルカで優勝だったウラたちは準決勝敗退。第4回サルソ・マッジョーレで優勝だったイタリアの選手も出場してませんでした。そして第5回から今年の第7回までが3連覇のフィンランドのティモ&エカテリーナ。私たちは今年で6回目の参戦なんですが、初戦の7位から9位→15位→21位→34位そして今年は37位と着実に順位を下げてます。ダメですね。どこかで一発大逆転できるんでしょうか。肉体改造でもしないと這い上がれそうもありません。女性、スタイル良い人多いんですよ。ビールばっかり飲んでちゃあ、だめだろうなあ。(つづく)
2016/06/04
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<スロバキア初入国>ウィーンから飛行機で約1時間。いよいよ世界選手権の開催地コシチェに向かいます。こんなチャンスがなかったら多分一生行くことはなかったと思われる都市は、動画でこんな風に紹介されていました。Košice空港でテレビ見てたら、行方不明になっていた北海道の森林置き去り少年が見つかったというニュースが流れました。日本て他に何もニュースなかったんでしょうね。平和で何より。イスタンブール経由でやってきた大阪組とはウィーンの空港で遭遇し、同じ便でコシチェに向かいます。オーストリア航空のプロペラ機でBGMとして美しき青きドナウが流れてましたね。でも私の頭の中ではインディージョーンズのテーマがループしました。こちら上空から見た青くないドナウ。ドイツ南部の大洪水の影響でしょうか。パリでも大洪水でルーブルの絵画避難とか言うニュースを耳にしました。コシチェも雨でした。プラハ経由で現地入りした埼玉2組とコスチェ空港で合流し、レンタカーを借ります。FABIAなんて車、初めて見ました。チェコの車だそうです。当初の予定ではここから車で1時間ほどのスピシュ城に行くことになっていたんですが、雨だし皆長旅で疲れているのでひとまずホテルに落ち着こうという事に。大将が予約したホテルに他の3組も合わせる形であとから予約を入れたんですが、エレベータのないこじんまりとしたところでお値段もお手頃です。ところが部屋に入ってビックリ。ロココ調の豪華な家具に2間続きの広い部屋で、全ての照明はシャンデリア。なんとバス・トイレまでシャンデリアなんです。部屋にはそれぞれ固有名詞が付いていて、うちの部屋はバニラ。無駄に豪華なスイートルームでしたが何か決めるときに皆で集まって話すには最適で、『バニラに集合』が合い言葉になりました。皆で街に出てヒルトンホテルで試合前日から用意されている受付に行きました。バスの無料券とか新しいタイムテーブルとか特性のメモ帳などが入ったファイルをもらい、スーパーで買い物をしてホテルに戻ります。ホテル宿泊客は無料でスパが利用出来ると受付で聞いたんです。その代わり水着が必要とのこと。大きなショッピングモールがあって水着も調達出来そうでした。『明日早めに負けたら水着買ってスパに行くから。』こんなこと言うもんじゃありませんね。冗談では済まなくなるもんです。もう一組は別のホテルで連絡が取れなかったので、夕食は4組でホテルのレストランで食べました。お酒を飲めない二人を除いて『ビール6つ』頼んでしまったんですが、思ってたよりジョッキが大きかったんですよ。一つ小さいグラスにしてもらおうと思ったんですけど、もう全部継ぎ終わってたんでしょうね。『大丈夫、飲めるよ。』ウエイターさんに言われてしまいました。そりゃあ飲めますけどね。前日くらいは少し控えようと思ってたんですよ。もう試合に向ける意気込みみたいなものがしゅるしゅるとしぼんで楽しい観光気分に逆戻りです。スロバキアは日本と時差7時間で、ウィーン滞在中に時差ぼけ解消を狙ったんですがワクワクしすぎなのか疲れてないのか眠れないんですよね。飲みが足りなかったのかな。2時間ごとに目が覚めつつ、試合の朝を迎えました。(つづく)
2016/06/03
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<モーツァルトとシュトラウス>ウィーン観光名物モーツァルトの像とト音記号。大将が上司にこれだけは見て来いと言われたそうなので一応チェックしました。それから私が一番行きたかったウィーン美術史美術館へ。建物自体も素晴らしいんですが、ブリューゲルやフェルメール、ラファエロ、ベラスケス、カラヴァジオなどの絵画収蔵品は有名で、特にピーター・ブリューゲルの作品数は世界一と言われています。『バベルの塔』もここにあります。ロッテルダムにあった『小バベル』に対して、こちらは『大バベル』。ブリューゲルの2つのバベルをこれで両方見たことになりました。美術館を出たところに女帝マリア・テレジアの像。フランス革命で断頭台の露と消えたマリー・アントワネットのお母さんとしても有名な方です。昨日音楽会の券を路上で売ってたモーツァルトさんたちに類似の方々が、今日は別の音楽会のチケットを宣伝してました。美術館で3時間歩き回ったあとでしたが、引き続き日本語ガイド付きのオペラ座見学に向かいます。ガイドは嘘みたいに日本語が上手なオーストリア青年でしたね。さすがに疲れたのでここでスィーツ休憩。アップルパイのバニラソーズ添え。このバニラソースがソフトな甘さで暖かくて超おいしかったですよ。ばっちりエネルギー補給したところでシュテファン大聖堂に向かいました。階段上るのは嫌なのでエレベータ目指してまっしぐらのつもりだったんですが、チケット売り場にいたおじさんがこうのたまわったんです。『エレベータじゃ半分の高さまでしか行けないよ。』私は半分でも全然OKだったんですけど、大将がそれなら絶対階段で一番上まで行くと言い張り、チケット売り場でもめました。私が根負けして渋々チケット買う事になるまでの経緯を面白そうに眺めていたおじさん。頑張れよ的に手振ってくれましたよ。こんな狭いグルグル回る階段上るのにもお金かかるんですよ。2人で9ユーロも。しかもウィーン・カードの割引なし。343段もあるんです。上からの眺めはこんな感じでした。売店があってお土産売ってるんですけど、ここの売り子さんトイレ行くとき階段降りるのかしら。下まで降りて教会の中に入ると、綺麗な歌声が響いていました。ウィーン少年合唱団じゃないみたいですけど澄んだ歌声に心癒されます。教会を出てぶらぶら歩いてたらモーツァルトが住んでた家がありました。二人で19ユーロ。日本語の音声ガイドを借りて家の中を巡りました。彼は何度も引越しを繰り返していたようで、ここは羽振りが良かった時に住んでいた大きな家です。閉館時間まで粘ってゆっくりと見学し、そのあとワルツ王ヨハン・シュトラウスの像を見に行きました。今回の旅で一番たくさん聴いた曲は彼の代表作『美しき青きドナウ』でしたね。スタンダードの試合じゃないのにヴェニーズ・ワルツですよ。ウィーンですからね。(つづく)
2016/06/02
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<宮殿めぐりと音楽会>ウィーン観光に便利な『ウィーン・カード』というのがあります。市内のバス、地下鉄、トラムが乗り放題でほとんどの観光名所の入場料に割引特典が付いています。空港の観光案内所で48時間有効のウィーン・カードを21.9ユーロ(2750円くらい)で購入しましたが、空港は市内ではないのでそこまでの切符2.2ユーロは別に買う必要があります。自販機でいちいち買うのが面倒だったので、まとめて二日分往復の切符を買いました。日本の様に切符を買った時の日付が入るのではなく、乗る時に打刻する仕組みですので前もって何枚も買っておくことが出来ます。Sバーン(普通電車)とUバーン(地下鉄)を乗り継いで、シェーンブルン宮殿にやって来ました。いろんなセット券があるのですが、武器とか熱帯植物とか別に見なくてもいいものもあるので、宮殿内と庭園だけのクラシック・セットを買いました。日本語音声ガイドを聞きながら宮殿内を巡るだけでも結構時間がかかりましたよ。なにせ広いんです。さらに庭園なんか遥か遠くまであって、大将に言わせると『玉砂利が京都御所やな』だそうです。小高い丘に滝みたいな噴水。更に上るとテラスハウスみたいなカフェがありました。歩き疲れたので水分補給です。セット券に庭園迷路もあったんですが、ここで時間を使うのは勿体ないのでちらっと入ってすぐに出て来ました。ウィーンの天気は変わり易くて、時々夕立みたいな雨が降って来るんです。電車に駆け込んでオペラ座に向かいました。一日一度、日本語ガイド付きのツアーがあるのでその時間を調べようと思ったんです。そしたら、モーツァルト風の恰好してる人に今晩の音楽会のチケットを買わされてしまいました。もともとちょっとは興味があったし、料金も普通に買うのと同じだったのでダマされた訳ではありませんよ。次にトラムでベルヴェデーレ宮殿に向かいました。いくら観光が2日しかないといっても、1日で宮殿2個はちょっと足に来ます。でもここは外せない理由がありました。現在ではオーストリアで2番目に大きい美術館になっていて、有名なクリムトの『接吻』や教科書で見たことがあるナポレオンの馬に乗ってる絵があるんですよ。上宮にそれらの絵があって、これまた広大な庭園をはさんで下宮にもバロック絵画などが展示されています。果樹園とかもありましたけど足が棒でもうささっと流しました。朝から歩き回ってすでに夜の7時ですけどまだこんなに明るいんですね。宮殿出たところにある地ビールのお店にふらふら〜っと吸い込まれて、エネルギー補給です。ウィナーシュニッツェル(ウィーン風カツレツ)食べました。市の中心部に戻り、夜8:15から音楽会。場所は毎年ニューイヤー・コンサートが開催されるウィーン楽友協会の大ホールです。今日の演奏はウィーン・フィルではなさそうですが、楽団員全員がモーツァルト風の衣装を着て演奏会というよりショーですね。演奏してくれるのはモーツァルトの有名な曲、小夜曲とかオペラの中の曲とか、歌も上手でしたが安い席でしたのであんまり音響がよくなくて、時差ぼけとビールで眠くなってしまい何度も居眠りして大将につつかれました。アンコールで演奏してくれた『美しき青きドナウ』と『ラデツキー行進曲』が一番ウケてましたね。10時頃終わって電車を乗り継ぎ、ホテルに帰って来たのは真夜中近く。一日フル活動で観光してへとへとですが、また明日も更にエンジン全開で観光に励む所存です。(つづく)【送料無料】 New Year's Concert ニューイヤーコンサート / ニューイヤー・コンサート2015 メータ&ウィーン・フィル 【BLU-RAY DISC】価格:3131円(税込、送料無料)
2016/06/01
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