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森田理論学習で「かくあるべし」の弊害はよく分かりました。「事実本位」の生活態度を身につけることが大切だということもよく分かりました。でもどんなことに取り組めばよいのか、もう一つよく分からないという話を聞きます。今日はこの問題を解決するヒントを考えてみました。まず「かくあるべし」を減らす方法です。1、傾聴、受容、共感、許容の態度で接する。2、あたりまえのことに感謝する習慣を作る。3、他人から感謝・感激されるような行動を心がける。4、一方的な決めつけをやめて、両面観の考え方を取り入れる。5、あなたメッセージから私メッセージの発信を心がける。6、自己や他人の存在価値、資質、能力を最大限に活かすように心がける。7、純な心を実践する。具体的には素直な心、直観、初一念から出発する。8、否定語はすぐに取り消して、肯定語に置き換えるように心がける。9、人間関係では「勝負なし法」を取り入れる。次に事実本位の態度を獲得するための方法です。1、気分本位の態度を目的本位の態度に改める。2、事実確認を徹底する。自分の目でしっかりと確認する習慣を作る。3、嫌な感情、不快な感情からすぐに逃げないできちんと向き合うようにする。4、先入観、決めつけ、早合点、思い込みで事実を見誤らないように気を付ける。5、「あるがまま」の態度を養成する。不安を持ったまま、目の前の必要なことに手を付ける。これら全部に取り組む必要はありません。これなら実行可能と思えるものを2~3個ピックアップして、継続して取り組むことが大切になります。私の学習仲間は物の性を尽くす(自己や他人の存在価値、資質、能力を最大限に活かす)に愚直に取り組まれました。その結果森田のポイントが芋づる式に分かるようになったと言われていました。山口県岩国市 吉香公園
2024.04.18
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海洋冒険家の白石康次郎氏のお話です。3年かかって変な修行をするよりも、3年かかってもいいからいい師匠を探しなさい。これは生活の発見会の集談会でも言えるのではないかと思います。なにしろ集談会は素晴らしい人材の宝庫なのですから。まず森田理論に詳しい人がいます。自分一人で森田理論を学習するよりも、そういう人から教えてもらうことが効果的です。しかも集談会やモバイル懇談会に参加すれば授業料はかかりません。例えば、森田理論に「純な心」というのがあります。この言葉は、理屈や判断が入り込まない素直な感情と言われています。また自分の中で瞬間的に湧いた初一念のことだと説明されています。これは間違いはありませんが、内容がもう一つよく分かりません。森田理論を極めている人は、森田先生の皿を割った時の話、ウサギが野犬に嚙み殺されたときの話だけではなく、自分の体験を通した具体的な説明をされます。モヤモヤしていた「純な心」の意味がすぐに分かるようになります。森田には「純な心」以外にも、「物の性を尽くす」「思想の矛盾」「精神交互作用」「精神拮抗作用」「生の欲望」「あるがまま」「なりきる」「自然に服従」「見つめる、感じる」「今、ここ」「目的本位」「事実唯真」「不安と欲望の関係」「神経質の性格特徴の活かし方」「感情の法則の活用法」「認識の誤りの理解」「無所住心」「行動の原則」など大切なキーワードがあります。これらを詳しい人から自分の体験を通して具体的に説明してもらうとすぐに理解できます。さらに森田理論を仕事や生活に応用している人から学ぶことも多い。例えば、規則正しい生活、凡事徹底という言葉があります。規則正しい生活を心がけている人は、起床時間、就寝時間を守り、昼間活動しているときは淡々とルーティン作業をこなしておられます。代わり映えのしない日常生活の中に小さな楽しみや感動をたくさん味わっておられます。そういう人から具体的な森田の活かし方の話を聞いていると、自然に真似をしている自分に気づきます。いつの間にか自分の生活が少しずつ森田的に変化していきます。見つけ方はまずは地元集談会。次にリモートを活用した全国版JUPITERという懇談会をお勧めいたします。目的に応じて現在8つの部屋があります。こちらは会員でなくても登録すれば参加できます。詳しくは生活の発見会のホームページでご確認ください。
2024.03.13
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私は今までためになる話をたくさん聞いてきましたが、ほとんど覚えていないような気がするのです。その原因は、聞きっぱなしで、自分に引き寄せて考えていなかったからだと思います。その結果すぐに忘れてしまうのです。現在は講話を聴いた後に、レジメやメモを見てまとめをしています。そのとき自分の場合はどうなのかを考えるようにしています。また生活の発見誌や森田関連図書を読んだ後も、印象に残った部分を書き出して整理しています。そして仕事・生活・人間関係、趣味などに応用・活用しようとしています。これは森田理論を応用・活用するうえでは欠かせない作業だと思っております。この作業を続けていくという習慣を身に着けると、森田理論が宝の山に変わってきます。たとえば私は森田先生の行動の真似をしてきました。森田先生は第29回形外会の時、「鶯の綱渡り」という曲芸を披露されたという。(森田全集第5巻293ページ)好奇心の強い私は強い衝撃を受けました。私も森田先生のように人を喜ばせる芸を身につけたいと思いました。早速地元で活動していたチンドン屋に入れてもらいました。メインはアルトサックスの演奏です。それ以外に、どじょう掬い、傘踊り、浪曲奇術、獅子舞などの芸を身に着けました。気が付けばもう14年間も老人ホームの慰問、地域のイベント活動に関わってきました。楽しい人間関係の輪が大きく広がり、神経症以外のことで悩むことが多くなりました。森田先生の行動に学んで、自分の生活に取り入れることで、毎日の生活が楽しくなりました。集談会では他の人の応用・活用例を聞くのがとても楽しみです。興味が湧いたものはできるだけまねをするように心がけています。例えば映画や落語の紹介をされたら自分も見に行きます。イベントや観光案内の話を聞くとできるだけ行くようにしています。その他、ビールをおいしく飲む方法、魚の粗炊きの作り方、味噌作り、自家用野菜の作り方、カラオケを楽しむ方法などは自分でも取り組んでいます。人間関係ではやってはいけないことやらなければいけないことがあると教えてもらいました。毎日感謝することよかったことを1つずつ日記に書くことを聞いたので取り入れました。「あるがまま」というのは、規則正しい生活を心がけて身体がすっと動くような習慣を確立すると身に着けることができるというのも役に立ちました。仕事は生活費を得るだけと思っていましたが、自分の居場所作り、生きがい作り、人間関係を豊かにする、身体と脳を鍛えるなどいろいろな役割があるということを教えてもらいました。雑事に丁寧に取り組むと仕事を追っていけるようになるという話も役に立っています。森田理論は仲間とともに学習して刺激を与えあうことが大事だと思っています。
2024.03.07
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カウンセラーの東山紘久氏のお話です。新米のカウンセラーは、来談者から「先生は何も言ってくれないのですか。助言もしてくれないのですか」と詰問されるようなことがあります。これは、自分の話をするしないに関係なく、来談者が、カウンセラーの防衛的な、頼りない、自分をわかってくれないことにいらだっているのです。少しベテランのカウンセラーになると、このような詰問や、問いかけをされることはまずありません。本当はベテランのカウンセラーのほうが、よく来談者の話を聞いて、自分から話をしないものなのです。もし、あなたが話し手から、「何も言ってくれないのですか」と言われたら、あなたは聞き手ではありますが関与が足りないということです。カウンセラーは相手の話を聞くことによって、話し手自らが洞察を得るようにしているのです。言い換えるなら、カウンセラーは相手の心を映す鏡になるように訓練されます。けっして相手の心に侵襲し、自分の個人的影響を与えてはいけないと教えられているのです。(プロカウンセラーの聞く技術 東山紘久 創元社 57、59ページ)集談会には先生も生徒もいないといわれています。みんなが対等の立場で参加しています。しかしともすると森田理論を深耕した人が先生になってしまいやすい。ここで相手の心を映す鏡になるということについて考えてみたいと思います。集談会に参加した人は、神経症で苦しんでいる人です。仕事や生活がうまくいっていない人です。集談会では自分の現在の苦しんでいる状況を話します。なんとか手っ取り早い解決策を教えてほしいのだと思います。一方森田で立ち直った人は、その方法を手取り足取り教えて上げたくなります。しかしこれはあまり役に立たない。根本的な解決策にはならない。それは集談会に参加した人が自分でつかむものだからです。ではどうすればよいのか。東山氏は相手を映す鏡なることだと言われています。相手に優しく寄り添うことを心がける。まずは傾聴です。次に共感的受容です。相手の気持ちや考え方が分かったらそれを言葉にして返してあげる。これは無意識の感情を意識化してあげることになります。そうすることによって相手は自己対話を始める。自分の感情や気持ちを自分の頭の中で整理できるようになります。弾みがついてあとは自分で今後の方針を選択できるようになります。
2024.03.06
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森田理論はよく分かったのに、応用や活用法の糸口がつかめないという話を聞きます。今日はその方法について考えてみました。応用や活用のポイントがいくつかあると思います。思いつくままにあげてみましょう。1、あるがまま2、物の性を尽くす3、純な心4、見つめる、感じる5、生の欲望の発揮6、ものそのものになりきる。一心不乱に取り組む。7、不安常住、(不安に)なりきる、無所住心8、観念よりも事実を第一優先にする9、内相を整えるよりも外相を整える10、両面観、バランス、調和を目指す11、運動観12、神経質性格の活用13、感情の法則の応用14、認識の誤りの是正15、治るとはどういうことか16、人間関係の改善方法17、仕事を面白くする方法18、子育てへの応用19、心身の健康の維持増進20、生活のルーティンを作る。凡事徹底まずそれぞれの項目について、その言葉の意味するところを確認・整理してみましょう。森田理論学習の要点、現代に生きる森田正馬のことば、その他森田関係図書から整理する。さらに学習仲間と一緒になって、さまざまな応用・活用方法を出してみる。すでに応用や活用されている方からは、具体的な活用事例の説明をしてもらう。これは結論を出す勉強会ではありません。参加者がそれぞれ自分なりの応用・活用方法を見つけ出すことが狙いです。19項目の中から、1つでも応用・活用方法が明確になればこの学習会は成功と捉えるようにした方がよいと思われます。森田理論学習ばかりというのは、片肺飛行しているようなものです。理論学習と行動実践のバランスがとれてくると、前進することが可能になります。
2024.02.21
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仁志敏久氏は「プロフェッショナル」という著書の中で次のように述べておられます。プロ野球の選手は数字で結果を出さないと、選手生命は絶たれてしまう。結果を出すためには、3つの大切な視点がある。一つは「個性の発揮」・・・自分の売りは何かをしっかりと見極めて、そこで勝負していく。否定から入るよりも肯定から入ることが大切です。長所を磨いていく中で、短所を目立たなくするのが理想でしょう。 二つ目は「発想の転換」・・・守備にしても、バッティクングにしても理にかなったセオリーというものがあります。これが不十分で分かっていない選手がいます。自己流で無駄な動きや間違った体の使い方をしている。間違った考えや体の使い方というものは自分ではなかなか分かりにくいという特徴があります。三つめは「思考の継続」・・・自ら創意工夫、向上心を持ち、努力を継続して進化していく姿勢が大切になります。現役である限り、日々考えて精進していく人でないと選手として成功はしません。この考え方は森田理論学習にも言えることです。個性の発揮・・・神経質性格を持っていることをしっかりと自覚する。そのためには神経質の性格特徴を学習することです。メンタルヘルス岡本記念財団の前会長の岡本常男氏は、人間は10の欠点があれば10の長所があるといわれています。神経質性格にはマイナス面だけではなくそれと同じだけのプラス面もあります。ここではプラス面を自覚することが大切です。プラス面を意識して、ここで勝負していくという気持ちが持てるようになれば前途洋々となります。発想の転換・・・森田理論で、神経症の成り立ち、感情の法則、行動の原則、認識の誤り、不安の役割、不安と欲望の関係、治るとは何か、「かくあるべし」の弊害、観念よりも事実を大切にする生き方、生の欲望の発揮等を学習して、神経質者本来の生き方を理解する。学習するためのツールは無限に用意されています。自分にピッタリのテキストを探すことが肝心です。生活の発見会が出している「改訂版 森田理論学習の要点」は必須です。その他、「森田理論学習のすすめ方」というホームページでは参考図書を紹介しています。思考の継続・・・神経症は森田理論の学習だけにとどまっているとさらに悪化してきます。森田理論と自分の考え方、行動パターンを突き合わせる作業に取り組む。そして森田理論を仕事、人間関係、日常生活に応用・活用していく。積極的、生産的、建設的、創造的な人間本来の生き方を取り戻して、自信を持って生きていける段階に持っていく。そのためには自助組織に参加して仲間と切磋琢磨することが有効です。
2024.01.22
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プロレスラーのジャイアント馬場さんは60歳までリングに上がっていた。59歳のときこんな話をされている。自分から技を仕掛けるなんて、動作がのろいですし、力もそんなにありませんから、もう無理なんです。そこで相手の技をなんとか利用しないと通用しないのです。昔の武道書なんかに川のこちらから向こうまで投げ飛ばしたとかの話が出てきます。僕にはよく分かる。たとえば、その川を飛ぶだけの力がある人が向かってきたときに、その人の力を利用すると、川の向こうまで飛んで行ってしまうこともあるでしょう。ですから、僕がこうやって構えてますでしょう。相手が左足を出さなかったら絶対に投げられないということがあるんです。ところがその人が左足を出した途端に、ふっと左に引っ張るとその人は簡単にこけますよ。左足を出したときに右へ投げようとしたって絶対に投げられないんです。ところで相撲に「引き落とし」という決まり手があります。引き落としは、馬場さんの言われていることと同じ原理です。これは対戦相手が勢いをつけて左足を前に出したときに、その力を利用して斜め左に引くのです。さらにまわしをとった右手で加勢すれば、相手は膝から崩れ落ちます。左足を出したときに直線方向には確かに大きな力が入っていますが、横方向には入っていません。タイミングが合うとどんなに力のある力士でもあっけなく膝から崩れ落ちます。一瞬で勝負決まるので、相手はねこだましにあったような気持になります。力のない力士でも大きな力士をいとも簡単に倒すことができます。普通体力や気力が同等である相手と戦う場合、勝つことは容易ではありません。こういう場合は相手の動作の変化を読み、その変化を利用した方がよい。さらにその動きに加勢して向きを少し横にずらしてやる。相手の力や注意や意識がそこに集中しているので成功しやすいのです。そのためには注意や意識は相手の変化に向けておく必要があります。間違っても自分の心身の状態に向けていると勝負事には負けてしまいます。変化が起きるとスキが生まれます。そのスキを素早くついていくという方法が有効です。この方法を神経症で苦しんでいる人に応用するのは如何でしょうか。神経症を克服するためにあらゆる努力をしてきたが解消されていない人。薬物療法でも思ったような効果が現れない人。慢性的なうつ状態に陥り、生きる意味や希望を見失っている人。神経症で苦しんでいるときは、なんとかしたいというエネルギーはあるが、どうすればよいのか糸口が見えない時です。こういう方は自助組織NPO法人生活の発見会活動に参加すれば道が開けます。まずは生活の発見会の地元集談会に参加する。それでは物足りないという人には、全国版リモート初心者懇談会があります。パソコンがあれば自宅に居ながら誰でも参加できます。本格的に森田を学びたい方には、全国版モバイル懇談会JUPITERあります。8つの部屋があります。①本格的に森田を学ぶ部屋②対人の部屋③生活の発見誌を読んで感想を述べあう部屋④パニックの部屋⑤火曜日平日の部屋⑥平日夜間の部屋⑦居酒屋⑧若者限定の部屋至れり尽くせりです。会員でなくても参加できます。ニックネームで参加できます。ZOOMですが顔出しなしで参加できます。費用は無料です。途中参加、途中退席は自由です。詳しくは生活の発見会のホームページでご確認ください。これを活用すれば人とのつながりもできますし、森田の学習もできます。そしてゆきづまった人生に風穴をあけることが可能になります。
2024.01.17
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森田理論は理論と行動が車の両輪と言われています。理論学習に片寄って、理論の応用・活用面が不十分になりやすい傾向があります。バランスをとるためには、この際森田理論の応用・活用面に専念するというのは如何でしょうか。応用・活用は何から取り組んでもよいのですが、何らかの指針があったほうが取り組みやすいと思います。最適な参考書があります。帚木蓬生氏の「生きる力 森田正馬の15の提言」です。この本は森田理論を実践するための本といっても過言ではありません。帚木蓬生氏は応用・活用面を15点に絞って提案されています。1、一瞬一生・・・過去や未来ではなく、「今、ここ」に集中する生き方。2、見つめる・・・じっと見つめていると、感情が動きだして、気づきや発見、興味や関心が高まってくる。手を出すと、積極的、建設的生き方に変わる。3、休息は仕事の転換にあり・・・時間の性を尽くす生き方。4、外相整えば内相自ずから熟す・・・症状は不問にして、形を整えることを優先する。5、いいわけ・・・他人に見つかっては困るような事実から逃げる。隠蔽する、ごまかす、責任転嫁をするような行動を慎む。承服しがたい事実に従う生き方。素直な心を身に着ける。6、目的本位・・・気分本位の態度を改める。課題や目標から目を離さない生き方に転換する。7、無所住心・・・いつまでも意識や注意を一点に集中しないで、絶えず四方八方に注意を向ける生き方に転換する。不安が湧き上がり、一旦注意を向けても、用事が済んだら、すぐに離れる。8、即・・・0か100、良いか悪いか、白か黒かという二分法的な見かたを修正する。両面観のものの見方を身に着ける。9、なりきる・・・不安を取り除く、逃げる生き方から、不安をあるがままに受け入れ、不安と一体化した生き方を目指す。10、自然服従・・・感情を含めた自然現象に敵対しない生き方。そのまま受け入れる生き方。11、生の欲望・・・課題、目標、夢、希望を持った生き方。12、不安常住・・・不安の特徴や役割を見直し、不安と欲望のバランスを意識した生き方に転換する。13、事実唯真・・・観念優先の態度から事実優先の態度を身につける。14、あるがまま・・・不安を抱えたまま「なすべきをなす」生き方15、生きつくす・・・物、己、他人、時間、お金の性を尽くす生き方これらはすべて森田理論実践の核心部分だと思います。最初はこの中から1つか2つに絞って自分のものになるまで取り組むことがよいかと思います。私は現在14の「あるがまま」を身に着けることに取り組んでいます。「あるがまま」は不安を持ちこたえるという側面がありますがこれがなかなか難しい。「なすべきをなす」ことで、「あるがまま」を身に着けることができないでしょうか。私は仕事をしている時に、小さな問題点、課題、改善点、改良点、楽しみ、感動を見つけることを心がけるようにしました。一つでも見つかったら宝物としてすぐにメモしています。目標や課題が生まれて、工夫やアイデアが出てくるようになりました。すると仕事をすることが面白くなり意欲的になれました。結果的に不安を抱えたまま行動できるようになりました。つまりことさら意識しなくても「あるがまま」の実践ができるようになりました。
2023.12.30
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10月29日の瀬戸内支部研修会に参加した。以前は1泊2日で行われていたが、コロナ後はZOOMで行われている。この研修会は年1回行われているが今年は28回目である。この研修会は兵庫、中国、四国を中心として全国から参加者がある。私はほぼ毎回参加した。記録をきちんとまとめていなかったのが残念である。成果としては、全国の森田理論を極めた人の話が聴けたことである。その他著名な精神科医の貴重なお話も聴けた。これは普段の集談会ではとても期待できないことである。さらにこの研修会に継続参加している仲間との交流の輪が広がった。年1回しか会っていなくても集談会で毎月顔を合わせている以上の親しみを覚える。幅広く森田を学習し、森田を応用・活用している人たちと知り合いになれたことは私の財産となっている。森田理論学習は自助グループに参加して、切磋琢磨しながら身に着けていくものだということをひしひしと感じている。今回は関東の会員の方の体験発表と今後の学習の提案があった。2つとも素晴らしい内容であった。この方はリモート懇談会(JUPITER)を立ち上げた方であった。JUPITERはZOOMを活用して、ネットで開催される全国規模の集談会のことです。生活の発見会の会員でなくても参加できます。しかも無料です。顔なしで音声だけの参加も可である。私もさっそく登録して参加することにした。JUPITERは目的によって8つの部屋に分かれています。メインのJUPITER、対人の部屋、パニックの部屋、発見誌の感想を述べあう部屋、49歳以下の部屋(NOAH)、火曜日平日、平日夜間、居酒屋があります。基本的にはどれに参加するのも自由です。驚いたのは、生活の発見誌はとっているが集談会には何らかの原因で参加していない人たちが3割いらっしゃるということでした。また年齢層を見ると、30代から50代の人も多く参加されている。リアルの集談会が高齢化しているのとは対照的です。興味のある方は生活の発見会のホームページで検索してみて下さい。
2023.12.23
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王貞治氏のお話です。バッティングは感性だけど、根本は体に覚えこませる。徹底的に身体に染み込ませる。その繰り返しなんだよ。なぜ長い時間打つかといえば、長く打てば当然疲れる。疲れた時って体は正直なんだ。自然体になるんだよ。つまり、体が勝手に無理のない自然の動きをしてくれる。自分の脳が描いている理想のスイングではなく、体が自然に回転する動き、それって実は理想のフォームなんだよね。だから、徹底的に体を痛めつけて、もう限界っていうところでスイングしたのが理想だということ。どこにも力みがなく、どこにも邪念がない。徹底的に体を疲れさせたからこそ、体が一番スムーズなスイングをだす。この話は森田理論に通じる話だと思います。森田理論学習で規則正しい生活をする。凡事徹底に取り組むことが大切だと学びました。これを習慣化することは大変難しい。習慣化とは無意識の行動が次々にこなせる状態に持っていくことです。規則正しい生活とは、毎日同じ時間帯に同じ行動をとり続けるということです。まず起床時間と就寝時間を一定にする。そして3度の食事時間を一定にする。これが骨格のようなものだと思います。あとは人それぞれ毎日の行動を肉付けしていく。規則正しい生活を心がけていると、心身ともに健康体になります。注意や意識が外向きになります。規則正しい生活が習慣化してくると、生活にリズム感が出てきます。今度何をしようかと考えることはなくなり、自然の体が動いてくれるようになります。その中で、小さな楽しみや喜びを味わうことができるようになると人生は楽しくなります。習慣化するまではどうしても時間がかかります。体が順応してくれるまでは3ヶ月くらいかかります。それが1年続いた人は、完全にものにした人と言えるでしょう。次に王貞治氏は、練習で疲れた先に目指すべきバッティングの理想があると言われています。これを森田理論に置き換えると自分との対話を深めることだと思います。「森田理論学習の要点」などで森田理論の基礎的学習をすることは大切です。そこで自己満足している人が多いように思います。実にもったいないことです。森田理論は活用・応用してこそ始めて光り輝いてくるものです。森田理論には、規則正しい生活、凡事徹底の他、変化に対応する生き方、バランスをとる生き方、不即不離の生き方、物の性を尽くす生き方、物そのものになる生き方、不安の役割、不安と欲望の関係、神経質性格の活かし方、感情の法則の活かし方、生の欲望の賦活、課題や目標を持つ生き方、事実唯真の考え方などがあります。最初はこれら全部に取り組む必要はありません。自分が取り組みやすいものを1つか2つに絞って、深耕していく作業はどうしても必要になります。通り一遍の学習では地中奥深くにある豊かな金鉱にはたどり着きませんが、これに取り組むことで森田理論の全貌が目の前に開けてくるようになるのです。富士登山には5つの登り口があるそうですが、頂上についてみるとみんな同じところに到達するというのと同じことです。
2023.11.19
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森田理論を36年間学習してきました。途中で森田では自分の悩みは解決しないと思うことがありました。学習の限界を感じて、森田から離れようと考えたことも何度もありました。結果的にはなんとか踏みとどまってきました。それは集談会の中で世話活動をしていたことが大きかった。自分から進んで世話活動をしていたわけではありませんでしたが、結果的に世話活動が森田に踏みとどまる役割を果していたのです。森田から離れていたら神経質者の人生観の確立に至ることは不可能でした。生きづらさを乗り越えることができたのですから世話活動に感謝しています。森田に限界を感じていた時は、「人生の踊り場」にいたのだと思います。人生の踊り場にいるときは、将来の展望が見えない時です。このまま森田にしがみついても何にもならない。時間の無駄だ。他の手段に切り替えた方が得策だと考えるようになります。現代は薬物療法、精神療法、カウンセリングなどいろいろな道が用意されています。苦しいのでその苦しみを和らげることにはなんでも手を出していくようになります。 私が尊敬している玉野井幹雄氏も森田に限界を感じていたと言われています。玉野井さんは大分の片田舎に住んでいて一人で森田の学習をされていました。玉野井さんは30年もかかって神経症を克服された方ですが、その途中でこんなことがあった。私は、「森田」にある種のいきどおりを感じて「森田」を捨てることになりました。この症状が治らないんだったら、「森田」なんかのお世話になる必要はない。そんな余分なものは捨てた方がよい。その時は本当にそう思いましたので、あまり迷うこともなく「森田」を捨てることができました。つまり、自分から「森田」に見切りをつけたのであります。そして「森田」関係の本を目につかないところに隠してしまいました。もちろん「生活の発見誌」がきても読みませんでしたし、とにかく「森田」のことは考えない、見ない、聞かないようにしたのであります。そういうことで、今までいつも心の中にあった「森田理論」というものがなくなったお陰で、私はずいぶんさっぱりとした気持ちになりました。今考えてみますと、当時の私は森田中毒症になっていたように思います。それまでは、こうするのが「森田」だとか何とかいう「かくあるべし」のような理屈がいつも心の中にあって邪魔になっていましたが、そういうものがすっかりなくなったわけです。そうして、私に残ったものは何かと申しますと、症状に苦しんでいる自分と、自分を含めた家族の生活を維持してゆかねばならないという現実であります。生活を維持していくために、私はできる限り少しでもプラスになるようなことをしていかなければならない。そうしなければ自分も家族の生活も破綻することになる。そういう危機感を切実に感じ取ったのであります。治すためにするのではありません。治らないからこそそうせざるを得ないのであります。(いかにして神経症を克服するか 玉野井幹雄 自費出版 73ページ)森田にしがみついておくことも大切ですが、長らく壁にぶち当たっている人は、一旦森田から離れてみることは悪いことではありません。これは海外旅行をすると、日本の良いところや問題点が見えてくるのと同じことだと思います。そうしないと森田の良いところが認識できないという側面があるのです。その間を利用して他の精神療法の研究をしてみる。自分のやりたいことや別のことに取り組んでみる。玉野井氏のように自分や家族の生活を立て直す。子育てや親の介護に取り組む。どうせ壁がぶち破れないのだったら、一旦森田を突き放してみる。そうすると意外にも踊り場から抜け出すことができる場合がある。森田中毒症にかかると、深い霧の中で車を運転しているような状態に陥ってしまう。いったん森田から離れて、森田のすばらしさを再認識した人は本物だと思います。
2023.10.28
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「料理の達人」「経営の達人」などという言葉があります。この人たちは、料理や経営の分野で卓越した理論を身に着けています。しかし理論を身に着けているだけでは達人とは言いません。料理の達人は、実際に人を感動させるような料理を作ることができます。経営の達人は、瀕死の企業の再生を成し遂げることができます。誰もができないようなことを平然と成し遂げてしまいます。達人と言われる人は、畏敬の念を抱かせるような人です。「森田の達人」と呼べる人が存在するとすれば、森田理論をより深く深耕していると同時に、仕事や生活の中で縦横無尽に応用・活用している人だろうと思います。さらに気づきや発見、アイデア、夢や希望がどんどん膨らんでいて常に前向きです。集談会には、あの人のようになれたら人生は楽しくなるだろうなという気持ちにさせる人がいます。私は真摯に森田道を究めている人を、畏敬の念を込めて「森田の達人」と呼ばしていただきたいと思います。そういう人の特徴をまとめてみました。1、凡事徹底を貫いている。物そのものになりきることができる。2、心身ともに健康で規則正しい生活を続けている。3、不安取り扱い方を心得ている。不安を一つに絞ることがない。いくつもの不安を同時並行的に抱えている。状況に応じて気になる不安が次々に変化している。時と場合に応じた切り替えが上手である。現実的な不安と神経症的な不安の見極めができている。そして2つの対応方法が的確である。4、神経症的不安は欲望の裏返しということがよく分かっている。不安と格闘するのではなく、生の欲望の発揮にエネルギーを投入することが大事だということがよく分かっている。活動的である。工夫や発見、アイデアがどんどん湧きあがっている。そして不安が持っている役割についてもよく分かっている。欲望の暴走を制御するために不安を活用している。5、観念で現実や事実を否定することがない。事実や現状から物事を発想している。事実が主で、観念が従となっている。エネルギーの無駄遣いがない。そのエネルギーを課題や目標に投入している。感じから出発して、理知で調整するという基本がしっかりしている。「かくあるべし」の弊害がよく分かっている。変化への対応力がある。純な心(素直な心)を活用している。両面観、バランス・調和を意識している。人間関係では不即不離を応用している。傾聴、共感、受容、許容力が鍛えられている。包容力がある。6、生きとし生けるものにはすべて存在価値があると考えている。すべての生き物は命ある限り生き尽くすことが大事だということがよく分かっている。己、他人、物、時間、お金もその存在価値を最大限に活かす方法を考えている。適材適所に人や物を配置することを心がけている。森田でいう「物の性を尽くす」ことを心がけている。
2023.09.27
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東京下町の金型、プレス職人岡野雅行氏のお話です。岡野氏は、単価の安い仕事と技術的に誰にもできない仕事を手掛けることにしている。他の町工場では、誰もができて、単価がそこそこのものをみんなが競って手掛けている。しかしそのやり方では3年経てば、競争原理が働き、商品単価が下がり儲からないスパイラルに落ち込んでしまう。またそういう仕事は発展途上国に奪われてしまう。岡野氏は逆にそういう新興国でさえも単価が安すぎて投げ出したものを大量生産していく。だから競争相手はいない。逆に言うと競争相手がいないものしかやらない。そのためには機械で自動化していく必要がある。そういう金型やプレス機は自分で一から作り上げる。ところが3年から5年すると競争相手が出てくる。そこに自分の居場所はないと判断して、プラントごと売りに出すという。一つのプラントを作り上げて、自己満足して、そこに胡坐をかいて固執していると、会社の存続の危機を招くという。常に時代の変化を読み次々と新しい仕事に切り替えていく気持ちが大切になる。技術的に誰にもできない仕事は、2~3年の開発期間がかかっても、6割方成功の見込みがあるものは引き受けるという。その一つがテルモの依頼を受けて作り上げた超極細の痛くない注射針がある。競争相手がいないので、販売価格はこちらに決定権がある。こういうものが完成すると、金型とプレス機、その後のメンテナンスまでプラントとして販売するという。特に潤滑油はプレス機独自に配合しないとうまく機能しない。開発段階では試行錯誤の連続でもどかしいものがあるが、岡野氏はそれを楽しんでいる。岡野氏の話を聞いて森田理論学習の取り組み方のことを考えた。まずは規則正しい生活と凡事徹底がキーになると思う。これはやろうと思えばだれでも手掛けることができる。しかしこの取り組みを3年、5年、10年、20年、30年と愚直に継続することはとても難しい。水谷先生は私たちは風雲に乗じて成功を遂げるタイプではない。平凡を軽視しないで20年、30年と継続すれば、極めてまれな非凡な人になれるといわれていました。私達には瞬発力はあまりないが、マラソンのようにペースを守って42.195キロを走り抜くことはできるような気がする。次に森田理論は表面的な学習だけでは変化は起きないと思っている。森田も鉱脈や水源と同じである程度掘り進まないと宝物を手にすることはできない。そのためには、・活動的な集談会や全国版オンライン集談会に参加する。・生活の発見誌や気に入った森田関係図書やその他関連図書を読む。・項目別にインデックスを付けたノートに切り抜きや書き出しをする。・学習項目ごとに自分の場合はどうなのかを考えてまとめを行う。・森田理論の中でこれはと思ったことは、積極的に生活の中に取り入れる。
2023.09.23
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集談会に初参加の人がいらっしゃる場合の注意点について考えてみました。1、はじめて参加する時は勇気がいるものです。よくおいでくださいました。抵抗はありませんでしたかと聞いてみる。2、この会はどこでお知りになりましたかと聞いてみる。3、どんな心の問題を抱えていらっしゃいますか。差支えのない範囲で教えていただけますか。4、相手が話した内容を繰り返す。5、その内容で間違いないかどうか、相手に確認する。6、相手は自分の心の問題に対して今までどのように対処してきたのか聞いてみる。7、あるいはこれからどのように対応しようとしているのか。8、森田療法に対するイメージはどんなものかあるのか聞いてみる。9、生活の発見会の組織や歴史について伝える。10、集談会の歴史、運営方法、学習内容、先輩会員の様子などを伝える。11、とにかく相手との信頼関係を築くことに専念する。よくありがちなのは、1、初参加者に対してすぐに声掛けをしない。孤立させてしまう。勇気をもって参加したことに対して、ねぎらいの言葉がない。2、相手が抱えている問題を吐き出させるという気持ちが希薄である。3、傾聴、受容、共感、包容の姿勢が欠けている。4、先入観、思い込み、決めつけで相手の心の問題点を理解したつもりになる。5、相手が質問していないにもかかわらず、唐突に森田理論の説明を長々と行う。初参加の人は藁にもすがる気持ちで来ています。あまたある解決策の中から自分に合った精神療法を探しています。初参加の時点では、森田療法にも一縷の望みを持っています。初参加者は、森田理論の内容を知りたいのではなく、森田療法が自分に合うのか、合わないのかを知りたいのです。それを間違えると、いきなり森田の説明に入るようなことが起きるのです。初心者対応を間違えてしまうと、1回の参加で見切りをつけてしまいます。せっかくの学習機会を相手から奪ってしまうことになります。初心者対応をカウンセリング技法などで学習して、対応を間違えないようにすることは先輩会員の務めだと思います。岡山市 後楽園
2023.09.15
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生活の発見会元事務局長の寺田和子氏のお話です。去る4月8日のメンタルヘルス岡本記念財団主催の東京講演会のことです。終了後の会食の席で、Sさんはしみじみと語られました。『人を評価する、ほめることは大切なこっちゃ。自分が昔「治るとはどういうことか」を書いたときに、あんな文章でええのかと不安でいっぱいやった。それを編集後記で寺田さんが「会心のホームラン」と言ってくれた。どんなにうれしく、励みになったことか。以来、毎月の発見誌の中で、一番心に残った記事を書いた方に、苦労をたたえ(慣れないものが原稿を書くのはえらいこっちゃから)、激励のハガキを出している。それが、先輩としての自分のつとめと思う』生活の発見誌にはモニター制度というものがあって、自分が投稿した原稿に対してモニターからの感想文が送られてきます。感想文には、感謝、感動、激励の言葉が並んでいます。それが多いときは20名近くの人からコメントがいただけるのです。そんな感想文が送られてくるとは夢にも思っていなかったときは感激しました。少なからず影響力があったことに驚くばかりでした。自分にも自信がでてきて、生きる励みになりました。このブログでも会うたびに評価してくださる方が何人もいらっしゃるんですね。毎回「いいね」マークをつけてくださる方にはとても感謝しています。これがモチベーションの維持に役立っています。さらに私のブログを自分のブログの「お気に入り」に入れて下さっている方が17名もいらっしゃいます。ありがたいことです。さらに自分のエッセイを定期的に送ってくださる人もいらっしゃいます。おもしろ動画を配信してくださる人もいます。ご機嫌伺いや相談メールや電話相談の連絡も時々あります。また私の森田の学習テキストもすでに150部以上メール配信しました。森田理論学習全体像の考え方が役に立つことを願って送り出しています。森田理論の学習方法についての要望に応えて、「森田理論学習のすすめ方」というホームページも立ち上げることができました。これも詳しい人のご協力のたまものです。思えば、このブログは、多くの人たちに支えられて、10年以上も毎日続いてきたのです。評価してくださる方は私の宝物だと思っています。いま振り返ってみると、後悔の多い人生でしたが、ムダにはなりませんでした。全て貴重な経験として宝物に変わりました。以前集談会で聞いた、鉛を金に変える錬金術を身につけることができたのです。森田が深まり、森田を通じた交流の輪が広がり、結局は自分自身が一番得をしていました。「我が人生に悔いはなし」この言葉は、広島カープの元投手大野豊氏の引退の言葉ですが、私も同じ気持ちです。さて、集談会は相手を評価して称え合い、お互いを乗せ合う場にしていきたいと思います。集談会は神経症で悩んだ人同士のアットホームな人間関係が一番の強みです。こういう集まりは世間一般では味わうことはほぼ不可能です。そのために心掛けることは、1、相手の話をよく聴く。ポイントをメモする。2、発言する機会があれば、評価できる点を説明する。3、休み時間に「すごいですね。頑張っていますね」とひと言かける。4、次の集談会で「前回の話とてもよかったですよ」と伝える。「その後どうですか」と聞いてみる。これらは意識して心掛けないと定着しません。集談会がこうなると、開催日を指折り数えるようになります。
2023.09.09
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ホノルルマラソンや東京マラソンを完走したいと思っても、完走することは容易ではありません。どうすれば目標を達成できるか。フルマラソンを完走したことのある人やコーチから直接指導をしてもらうことです。何回も完走した人は、走り方、練習方法、休みの取り方、ストレッチの方法、水分補給のタイミング、完走するための精神状態の維持など完走に必要なノウハウを持っています。これらを自分一人で一から作り上げることは、手がかりを見つけることすら難しい。時間も経費もかかります。その道の専門家からノウハウを学ぶことが有効です。ちなみに小出義雄氏は、インターバルトレーニングを取り入れないとフルマラソンは完走できないと言われています。練習に強弱をつけるということです。例えば5分全力で走った後に、軽いジョギング程度の走りを5分取り入れるのです。毎日同じペースで距離数を稼いでいるだけでは完走は難しいと言われている。私は社会保険労務士試験に挑戦したとき、最初の1年は自分一人で取り組んでいました。最初の年は合格者の枠に入ることはかないませんでした。2年目は地元で20名程度の合格者を出している受験対策校にお世話になりました。そこにはカリスマ教師と言われる人がいました。合格者をたくさん輩出するための情熱は半端ではありませんでした。また、受験対策校は合格のためのノウハウを豊富に持っていました。傾向と対策がこれでもかというくらいに用意されていました。ここでは単元ごとにテストがありました。ここで上位に入っている人は、1年後ほとんどの人が合格していました。運悪く不合格になった人でも、次の年は間違いなく合格していました。この方法は森田理論学習にも同じことが言えると思います。森田理論学習の目的は次のようなものだと思います。・森田理論を学習して神経症を乗り越える。・森田理論の主要な要点をより深く理解する。・森田理論を活用して神経質性格者としての人生観を確立する。自分一人で学習することは尊いことですが途方もない時間がかかります。途中でくじけてしまうこともあろうかと思います。ここでは森田理論を極めた先輩から学ぶことが有効になります。1、神経症を克服した先輩から学ぶ。2、森田理論を深耕している先輩から学ぶ。3、森田理論を仕事や生活面に応用・活用している先輩から学ぶ。どこでそんな人を見つけるか。生活の発見会の中で見つけることが有効です。生活の発見会は、今やSNSを通じて全国横断の集談会が開催されています。地元の集談会でそういう先輩が見つからなくても、日本全国という枠としてとらえてみると、数多くの優秀な先輩方が存在しているように思います。そういう先輩は惜しげもなくそのノウハウを開示しています。3つのバランスがとれている先輩を見つけることをお勧めします。その中でもとくに3に力点を置いて探すことをお勧めします。森田の応用・活用という面では、規則正しい生活、凡事徹底、物の性を尽くす、両面観、変化対応、不安と欲望のバランスを整える、生の欲望、事実唯真、思想の矛盾の打破、純な心、あるがまま、不即不離などの切り口があります。私が参考にさせていただいた先輩は、「物の性を尽くす」と「ものそのものになりきる」ことを生活信条として取り組んでいらっしゃる方でした。さまざまな工夫やノウハウを積み重ねてオーラが漂っていました。私は集談会でこの方のお話を聞くことがとても楽しみでした。広島県世羅町は花と果樹と駅伝の町として有名です。ここは梨の直売場です。市価より3割程度安いです。今年の梨は糖度がのってとても甘いです。
2023.08.24
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私の参加している集談会は今年の10月で発足50周年を迎えます。半世紀も継続していることは、実に感慨深いものがあります。1973年第1回広島集談会が広島市公会堂で開催された。これは1970年に新生生活の発見会が産声をあげてからわずか3年後のことだった。集談会を軌道に乗せるために、長谷川洋三氏をはじめ、入れ代わり立ち代わり本部役員や協力医の先生が出席されていた。おかげさまで広島集談会はその後10年、20年はどんどん参加者が増えていった。そして、広島土曜懇談会、岩国集談会に根分けしました。ところがバブルがはじけた3年後から参加者の減少が始まった。30年、40年目までは参加者の減少期であった。それも年を経るたびに減少が続き、歯止めがきかなかった。それにコロナが追い打ちをかけた。コロナが収まっても昔の幹事・世話人が戻ってくれないのである。うつ病などの心の病や生きづらさを抱えている人が増加しているにもかかわらず、森田に救いを求める人はきわめて少ない。その原因としては、森田の認知度が低いという面もあるが、主な原因は薬物療法、認知行動療法をはじめとした精神療法、カウンセリングなどが脚光を浴びるようになってきたことだ。つまり神経症治療としての森田療法は、森田先生の時代と比較すると格段に小さくなっているのです。森田療法を取り入れて治療に当たられておられる協力医や臨床心理士の場合は問題はないと思います。なぜならあまたある治療法の中から森田療法を選択された方々の受け皿が必要になるからです。ところが集談会が、神経症を克服するためだけの学習というのはちょっと筋が違うのではないかと思っています。なぜなら、生活の発見会の協力医や臨床心理士の先生方と同じ土俵に乗ることになるからです。あるいは、薬物療法、あまたある精神療法、カウンセリングなどと競合することになるからです。競合した場合、専門知識や経験、ノウハウを豊富に蓄積されている先生方とは勝負になりません。大人と子供が相撲を取るようなものです。神経症の蟻地獄から地上に這い出すまでは、専門家に任せるのが得策だと考えます。絶対に手を出してはいけないというわけではありませんが、治すだけの学習をしているとますます衰退してきます。それでは集談会の存在意義はどこにあるのか。神経症の蟻地獄から地上に這い出たとしても、社会経験の乏しい私たちは、そのまま社会の荒波に放り出されてもうまくやりくりできないことが多くなります。人生100年時代を迎えていますが、私達にとっては苦難の人生の始まりです。神経質性格を持った人が、しっかりとした人生観を確立することは極めて大事な問題です。具体的には、仕事への取り組み方、日常生活の楽しみ方、人間関係のコツ、子育て、心身の健康維持、自立した生き方などを森田理論学習によってつかみ取ることが大事になります。ここに特化した活動は競合することはありません。集談会の独壇場となります。学習方法や内容を色々と工夫していけば社会の中で存在感を放つことが可能となります。
2023.07.28
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フィギュアスケートの採点方法は、技術点(基礎点+出来栄え点)と演技構成点を合計して出している。基礎点は難しい演技を選択すれば当然高くなる。例えばジャンプのダブルアクセルの基礎点は3.3点です。これがトリプルアクセル(3回転半)なら8点、4回転トーループは9.5点になる。しかし、基礎点の高いジャンプを選択しても回転不足、転倒、演技の時間超過または不足があれば、出来栄え点で減点される。出来栄え点はプラス5からマイナス5の11段階で評価される。基礎点の高い演技構成でも、出来栄え点でマイナスされれば、点数は伸びない。例えばトリプルアクセルを選択しても、出来栄え点でマイナス5点なら、3点にしかならない。それよりも難易度の低いダブルアクセルを選択して、プラスの加点をもらった方が点数が高くなる可能性があります。基礎点というのは、森田でいえば森田理論の理解度のことではないだろうか。出来栄え点は、森田理論の活用・応用面と理解すれば分かりやすい思います。森田理論を高いレベルで深耕していても、活用していなければ出来栄え点で大きく減点されてしまう。森田の場合は、森田理論の理解度100点、活用・応用面100点。合計200点で評価されると心得ておけばよいのではないでしょうか。仮に森田理論の理解度テストで100点満点でもそれだけでは評価できない。出来栄え点としてどれくらいの上積みが見込まれるのかが問題になる。こちらが20点では、トータル120点どまりだ。同じ120点を目指すならば。理解度テストで60点、出来栄え点が60点のほうが取り組みやすいのではないか。ここで大事なことは、森田の理解度と活用・応用面のバランスがとれているかどうかです。森田理論の深耕ばかりに偏っている人は、自己満足に終わる可能性があります。森田理論を深耕することが問題だと言っているのではありません。バランスをとりながら深耕することが大事だと言っているのです。森田理論はよく車の両輪に例えられます。両方が同じ大きさの場合のみ、前進することができます。理論の車輪のみが大きくなると、応用・活用の車輪の周りを空回りするようになります。活用・応用するためには、集談会に参加している先輩会員の取り組みが役に立ちます。規則正しい生活、凡事徹底、仕事、家族や会社や友達との人間関係、趣味、日常生活の工夫、子育てなどに応用して、充実した生活を楽しんでいる先輩会員を大いに参考にさせてもらうことです。先輩会員は喜んで教えて下さると思います。広島県廿日市市 宮島山頂 弥山(みせん)
2023.07.26
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形外先生言行録という本があります。この本は森田先生にお世話になった人が、森田先生との思い出をまとめた本である。この本で出てくる61名の人たちの職業は多彩である。大学教授、学長、病院長、開業医、会社社長、会社役員、公認会計士、市長、教師、司法書士、社会保険労務士、会社経営、農業、主婦などである。どうして入院森田を受けた人が、これだけの人材の宝庫となりえたのか興味が尽きない。これは一つには社会的に生の欲望が強い人が多かったのではないだろうか。一家の繁栄、社会的成功を夢見ている人が多かったのかもしれない。その時代は田舎から都会に出て一旗揚げる。「立身出世して故郷に錦を飾る」というような気概の人がいたのである。森田療法には生の欲望が強いことが適応条件の一つとなっている。この点から見ると、森田先生の時代はこの必要条件を満たしていた。では現代社会ではどうだろうか。一家の末代までの繁栄、社会的な成功を目指している人が果たしてどれくらいいるだろうか。少子化のなかで自分の代で終わりという人も多くなっている。目標や課題に果敢に挑戦し、夢を追うような生活はしんどそうだ。現状にある程度満足していれば、そんなにガツガツしなくてもいいのではないか。世の中に刺激的で楽しいことはいくらでもあふれているのだから、あえて火中の栗を拾うようなことは敬遠したい。そういう社会の変化のなかで、不安と欲望の中身が大きく変わってきた。欲望が希薄化してきたと同時に、不安の中身が変わってきたのである。集談会では、自分の神経質症状を明確に説明する人は減ってきている。よくあるのは慢性的な抑うつ感で苦しんでいるという人だ。それとともに、自分の生き方の指針が持てていない人が多い。例えば、良好な人間関係の持ち方が分からない、仕事をすることが苦痛である、気分に振り回されている、凡事徹底の意味が分からない、自己肯定感が持てない、結婚することが怖い、子育ての自信がない、生の欲望が湧いてこない、神経質性格がよいとは思えない、感情の取り扱い方が分からない、規則正しい生活の必要性が分からない、変化対応力やバランスをとる生き方が理解できない、心から人生を謳歌しているという喜びが湧き上がってこないなどです。現代の森田理論学習は、生の欲望が希薄化していることを前提にする必要があると思う。また、慢性的で重苦しい閉塞感や抑うつ感をいかに解消していくかに焦点を当てた学習が求められているように思われます。抑うつ感は森田的生活を徹底することで克服できます。つまりルーティンワークを確立することです。規則正しい生活をする中で、絶えず小さな課題や目標を明確にして丁寧に取り組む生活習慣を作り上げる。それを継続することで、抑うつ状態を解消できると教えてくれました。山口県岩国市錦帯橋
2023.07.24
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「ブログの記事をプリントアウトしたいのですがどうすればいいのですか」という質問をいただきました。これは簡単です。まず該当の記事をドラッグして範囲指定します。そして青く反転させるのです。次に右クリックすれば、囲み枠が出てきます。その中に「印刷」というのがあります。これを選ぶとすぐに印刷できます。私もこの方法でプリンアウトしています。そして役立つ記事はいつも手元において読み返しています。老婆心ながら、このブログの活用方法を説明しておきたいと思います。ブログの上部に「新着記事一覧(全4584件)」というバーがあります。これをクリックすると別枠が開きます。ここに「カテゴリー別記事」というのがあります。カテゴリーは現在25個あります。例えば「対人関係」というカテゴリーには現在446の投稿記事があります。「欲望と不安」には259本、「最新の脳科学」には39本の記事があります。読みたい投稿記事が見つかる可能性が高くなります。なお、投稿記事の横の別枠を下のほうにスクロールすれば、category蘭があります。おなじことです。また「新着記事一覧(全4584件)」というバーをクリックすると、「よくよまれている記事」のリストが最大50個出てきます。このブログに毎日のようにアクセスしている人に聞くと、「本日の投稿記事」と「よくよまれている記事」を読むことが多いといわれていました。なお私は投稿記事を外付けハードディスクにコピーして保存しています。その際30個程度の項目別に分けています。人間関係、欲望と不安、最新の脳科学・・・といった具合です。その目的は、特に役立つ記事を抽出して冊子としてまとめることです。例えば、人間関係で躓かないコツ、仕事を面白くするコツ、子育てのコツ、人生を大いに楽しむ方法、心も体も健康にする方法、ボケないコツ、依存症にならないコツ、セロトニン神経を鍛える方法、最新の脳科学の応用・・・などです。私の人生は後悔や反省が多いのですが、それらを積極的に開示して、同じ苦しみを持っている人たちの参考に供したいと考えています。そういう社会貢献をして人生を締めくくりたいと考えています。
2023.07.06
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7月号の生活の発見誌(54ページ)に、実に面白い記事がありました。集談会に中間層やベテラン会員のみしか出席していない時には、近況報告や雑談で良いのでは、というのが最近の私の考えです。森田先生がおっしゃるように「ここではなるべく話が脱線した方がよい」という感覚です。この方は森田理論学習が不要だとは言われていません。ただ「理論ありき」「理論学習こそ発見会の要」という考え方に違和感が拭えないのです。この方の気持は理論学習が硬直化しているということではないでしょうか。一通りの学習が終わった人やベテラン会員ばかりの集談会では、学習の要点を読み合わせて感想を述べあう学習会は問題ではないかと言われているのだと思います。それよりは、森田理論の応用例・活用例の話が聞きたい。仕事、子育て、日常生活、人間関係へどう活かしているのか。森田理論を学習してどんな人生観を持つに至ったのか。現在の生活の中で取り組んでいる具体的な内容について知りたい。他の人に刺激を与える話、役に立つ情報、楽しい耳寄りな情報を聞きたい。例えば、病気と闘っている人の話、介護ついての知識、老人福祉施設の実情、おいしい手づくり料理の作り方、自家用野菜作りのコツ、趣味の話、公民館活動の紹介、運動や健康法、ボケ防止、ガン予防、医療保険の話、老後の生活資金についての考え方、簡単なスマホの使い方、オレオレ詐欺対策、子どもや孫取り付き合い、親戚や近所の人との付き合い方など・・・。森田理論学習をする場合は、その人の体験に基づいた具体的な活用例・考え方を教えてもらいたい。例えば感情の法則の実際の生活場面での活用方法について。こんな集談会でしたら、生涯学習として命ある限り参加してみたい。どんな集談会になるか。大胆に予想してみました。自己紹介では症状中心の話はなくなってくる。ここ1か月の生活を振り返って成果のあったこと。失敗した事などを話す。具体的な悩みや問題点が出てくるようになる。1か月間の日記読むと、取り上げたいテーマがいくつも見つかります。その中から2つぐらいのテーマについて話してもらう。これが充実してくれば、体験交流を兼ねることになると思われます。体験交流では皆さんにぜひ聞いてもらいたいこと。最近嬉しかったこと。感動したこと。悲しかったこと。うまくいったこと。失敗した事。成功した事。最近困っていること。悩んでいること。最近の森田実践について・・・。次に理論学習は、学習の要点の読み合わせと感想を述べあう学習会は少なくなっていく。森田理論の学習会をする場合は、まず話し合うテーマを決める。次に問題提起をする人を決める。例えば人間関係をどう改善するか、仕事をどうとらえるか、感情の法則の活かし方。神経質性格の活かし方、不即不離とはどういうことか、変化対応がなぜ必要なのか、バランスをとることがなぜ必要なのか、物の性を尽くすを生活面に活用するとは、規則正しい生活とは何か、不安の役割、不安と欲望の関係、生の欲望とは何か、純な心とはどういう意味か、私メッセージの活用例、気分本位の弊害、「かくあるべし」の弊害、子育てに森田を活かす、老後に森田を活かす・・・・。また誰かが森田理論学習のなかで新たな気づきや発見などがあった場合はそれをテーマとして取り上げる。次に毎回人を変えて30分ぐらいの時間をとって、「応用森田・活用森田」の体験発表をしてもらう。これは私の参加している集談会で1年半にわたってテストをしてみました。出てきた話題は、ペットのしつけ、生の楽器演奏、川柳作り、似顔絵作り、陶芸作品鑑賞、家庭菜園のコツ、趣味の話、読書の話、印象に残った映画、役に立っているテレビ番組、親子の人間関係、子育て、介護の話、神経質性格の活かし方、仕事の話、職場の人間関係、海外旅行の話、国内旅行の話、生活の発見誌の活用例、森田全集第5巻の読み方、森田関連図書の紹介、協力医や臨床心理士の情報、入院森田療法施設、新聞記事の紹介・・・。集談会が終了したら希望者を集めて喫茶店や居酒屋で大いに語り合う。希望者がいればカラオケ同好会やハイキング同好会などの趣味の会を作って月1回ペースで活動する。こういう集談会は、みんなが家で話す内容を準備してくる必要があります。前月のうちに来月の学習内容をみんなに周知しておく必要があります。新しい人が毎回来られる集談会では難しいかも知れません。最近新しい参加者がなくベテランばかりという集談会がありますが、この場合は実りある集談会になる可能性があります。私どもの集談会では、初参加の人がよくお見えになりますので、その方たちにシフトした集談会の運営をしております。私はこのような学習会はオンライン集談会に期待しているところです。
2023.07.03
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7月号の生活の発見誌に衝撃的な記事があった。森田の理論学習はある時期(基準型学習会を終了し、中間層となって以降)からはむしろ害になる可能性があると私は考えています。K先生曰く。あんまり「学習しましょう」っていう路線にしすぎない方が「本当の森田」のような気がするんですよね。最終的には学習から抜け出るのが、本当の森田のような気がするんですよ。さらに「森田全集第5巻」を念入りに読むと、森田先生が理論学習に陥ることの弊害をたびたび患者たちに諭していることが分かります。森田先生曰く。知識のある人が治りにくいのは、実行が伴わぬからで、(中略)時に不要の知識は捨てる事が大切。(興味のある方は50ページから55ページをご参照ください)これに対して私の見解を整理してみました。私は森田理論を深耕していくことは素晴らしいことだと思います。森田理論は学習すればするほど味わいが増します。森田理論の深耕は新しい発見の連続であり、楽しみ以外のなにものでもありません。問題点はそこにあるわけではないと考えます。森田理論学習と実践のバランスをとりながら学習を進めているかどうかが問題になります。森田では、理論と実践は車の両輪という考え方をとっています。実践を忘れて理論学習に過度にのめり込むのが問題なのです。理論の車輪が小さいときは、実践の車輪も小さくてもよいのですが、小さな車輪を必ずつけることを忘れないようにすることです。理論の車輪が大きくなれば、当然実践の車輪も大きなものに付け替える必要があります。同じ大きさの車輪でないと前には進みません。生活が停滞します。そのまま放置していると、行動の車輪を基点にして理論の車輪が空回りしてしまいます。こんなに森田理論を深めているのに、どうして苦しみがなくならないのかと後悔することになります。エネルギーのある人は、森田理論の理解度が浅いためだと勘違いして、さらに理論学習にのめり込み可能性もあります。その熱意は素晴らしいのですが、残念ながら神経症は好転するどころか悪化します。基準型学習会を終了し、中間層となってしばらく経過した人は、そのエネルギーの大半を実践に振り向けていくことが重要になります。
2023.06.30
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今日は森田理論学習の取り組み方を考えてみました。森田理論は神経症を治したい人に役立ちます。次に、神経質性格の活用方法を学びたいという人にも役立ちます。現在は神経症を治すためには、薬物療法があります。カウンセリングもあります。精神療法は認知行動療法をはじめとして選択肢の幅が広がっています。森田療法はその一つです。幅広い選択肢が用意されているわけですから、神経症を克服するためには、自分に合った治療法を選択する方がよいと思われます。しかし森田以外の療法で神経症が軽快しても、生きづらさをなくすることは困難です。症状が軽快すればその時点で治療は終了です。森田理論による人生観の確立の学習は、基本的にはそこから始まります。森田理論学習は、神経症の再発防止と今後の人生観の確立という2つの側面があります。私は37歳のときに森田に出会いましたが、もう少し早く出会っていたらその後の人生が大きく変わっていただろうと思っております。では森田理論をどのような方法で学んでいくのが有効でしょうか。一番大事なことは神経質仲間がいる自助組織で学ぶことが欠かせないと考えます。今のところ最善策として、NPO法人生活の発見会に入り仲間とともに学習することです。1ヶ月に1回半日程度の時間をとって集談会に参加することが有効です。生活の発見会の集談会は多少ばらつきもありますが全国各地にあります。また、ネットを通じたZOOM集談会も開催されるようになりました。自分にぴったりの集談会はきっと見つかるはずだと思います。傾聴、受容、共感、許容力のある集談会に参加するだけで癒されます。NPO法人生活の発見会には、人間的に魅力がある人がたくさんおられます。そういう人にお会いできるだけでもうれしいことです。また、森田理論を日常生活や仕事や子育てなどに応用している人を、生きた教材として間近に見ることもできます。NPO法人生活の発見会は、森田理論を分かりやすくまとめた教材を持っています。基礎的学習は集談会での理論学習で十分です。その他、森田関連図書、協力医や臨床心理士などの情報も手に入ります。学習会に参加して森田理論を学び、これからの人生に活用していけば、あなたの人生は光り輝いてくるはずです。霧が晴れたようになり、生きることに迷いがなくなります。神経質性格に生まれてよかったという気持ちになります。今後はその神経質性格を存分に活用してゆきたいと考えるようになります。そして学習仲間の存在が心の支えとなります。
2023.06.24
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私が森田理論学習の時に役に立っている資料です。内容は2013年3月29日、30日、31日に投稿しています。スキャンしました。まだ不鮮明ですが投稿してみます。
2023.06.10
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山本五十六に次のような人生訓がある。苦しいこともあるだろう云い度いこともあるだろう不満なこともあるだろう腹の立つこともあるだろう泣き度いこともあるだろうこれらをじっとこらえていくのが男の修行である森田理論を学習した私は次のように言い換えて座右の銘にしている。苦しいこともあるだろう云い度いこともあるだろう不満なこともあるだろう腹の立つこともあるだろう泣き度いこともあるだろうこれらをじっとこらえて不快な感情は自由に泳がしていくつぎに不快な感情と行動をきちんと分離する行動はその時その場で適切な選択を行い実行に移すこれが森田の修養であるなお修養とは、実行の復習であって、思想の規定ではない。実行によって精神の働きや動きを体得することを言います。森田先生は修養とはともかくも実行であると言われています。
2023.06.04
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「森田理論学習の要点」に「神経質の性格特徴」という単元があります。これを集談会の学習テーマとして取り上げることがあります。すすめ方としては、全員で読み合わせをして自分の経験と照らし合わせて感想を述べあうことが多いと思います。突然指名されても、ここに書いてある性格特徴が自分にも当てはまるというくらいの話しか出てきません。もっと学習効果の上がる学習方法を考えてみました。これを学習テーマとして取り上げた人が、話のテーマを膨らませることが大切だと思います。まず参加者が神経質性格をどのように捉えているのかを確認する。1、これはよくない性格だからできれば修正したいと考えているのか。2、あるいは神経質性格は細かいことによく気が付くし感性が豊かな性格なので、取り換える必要はない。むしろこの性格を大いに評価して活かしていくことを考えているのか。1の場合は、性格には悪い面ばかりではなく、裏から見るとよい面が隠れている。性格は両面から見ないと正しく見たことにはなりません。苦しんでいるときは、ことさら悪い面だけを取り上げて問題視しています。神経質性格の主な特徴は、「心配性である」「注意や意識が内向きになりやすい」「執着性が強くとらわれが継続しやすい」「よりよく生きたいという気持ちを持っている」と言われています。神経質の性格特徴を学習テーマとして取り上げた人は、自分の経験と照らし合わせて、神経質特徴に対して、今までどのような考え方の誤りをしていたのか具体的に説明する必要があると思います。・細かいことに不安を感じてしまう自分をいかに問題視していたのか。・注意や意識が内に向いてしまう傾向があることをいかに問題視していたか。・いつまでも不安が付きまとうことに苦しんでいたか。・いかに生きる目標と無縁な生活をしていたのか。その他、神経質性格者は、「観念的である、自己中心的で思いやりに欠ける、幼児や子供のような幼弱性を抱えている」と言われます。学習テーマとして取り上げる前に、これ等について具体的に自分の体験のまとめをする。現状認識がきちんとできれば、次にではどうしたらよいのかという話になってきます。その時役に立つのは森田理論です。特に性格の両面性の考え方です。性格の両面観の活用や応用で生活面がいかに変化してきたのか。私の場合でいうと、心配性というのは感性が鋭いということと裏腹の関係にあるということを体験しました。鋭い感性を仕事や趣味や人間関係への活用について説明する。さて、2の場合は、性格特徴を改めて学習する必要はないと思います。それよりは、神経質性格の考え方、活用例や応用例を披露して、参加者に刺激を与えるというのは如何でしょうか。他人の活用例に刺激されて、自分の生活に応用できるヒントが見つかればこんなにうれしいことはありません。森田理論学習は通り一遍の学習を繰り返しているとマンネリになります。マンネリになると集談会に行くことが苦痛になります。これは要警戒です。逆に学習にふくらみが出てくると、こんなに役に立つ学習会はないと思えるようになります。森田の豊かな鉱脈は、もう少し掘り下げたところに眠っているというのが私の実感です。通り一遍の学習を活性化させるためには、常に自分の生活と照らし合わせていくことです。学習した後に、自分の場合はどうなのだろうという考察は不可欠です。ひと手間かけた家での準備が肝心ということではないでしょうか。
2023.04.15
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私は37歳で森田理論に出会いました。就職する前に森田理論を学習していたらと思うことがある。高良武久先生のいわれる適応不安が少なくなるのではないか。特に人間関係の持ち方、仕事に対する心構えがしっかり持てたのではないか。森田理論は学校教育の中で選択科目として位置付ける必要があるのではないか。特に神経質性格を持っている人や雑多な社会体験が不足している人は必須であると思う。さらに愛着障害、パーソナリティー障害を持っている人にも大いに役立つはずだ。私が森田理論を学習して学んだことは次のようなことです。人間関係・・・人間関係のコツは「不即不離」にある。・引っ付きすぎない、離れすぎない人間関係を心がければよい。・必要な時、必要に応じて、必要なだけが基本である。・どちらかに片寄るといずれ問題が出てくる。・自己主張する前に、相手の欲求や気持ちをよく聞くこと。・よく聞いて理解できたら、自分の欲求や気持ちを伝える。・食い違いがあれば対等の立場で妥協点を求めて話し合いを行う。・相手の言動を非難、否定しない。不平不満を言わない。・笑顔での挨拶を心がける。・葬式には必ず参列する。・相手のよい面を探して評価するようにする。・相手の親切に対しては感謝の気持ちを伝える。・相手の役立つことを見つけてお役立ち行動をとる。仕事・・・仕事は人生の3分の1を占めているので、仕事が苦痛というのは、生きていくことが苦しくなる。この問題の解決のヒントを森田からもらえました。最初は上司の指示や命令で取り組むことになる。最初はイヤイヤ仕方なくの仕事ぶりでも何ら問題はない。この状態がいつまでも続くことが問題なのである。それを打ち破るコツは、目の前の仕事に一心不乱に取り組むことである。森田では物そのものになりきると言います。特に雑仕事に丁寧に取り組むことが大切です。そうすれば、仕事に追われるのではなく、仕事を追っていけるようになるというのが私の実感です。その中から、問題や課題を見つけ出すことができるかどうかである。すると改善点やアイデアや工夫が出てくるようになる。つまり仕事に対する意欲が出てくる。取り組み方が変わってくる。そこで頭を使えば、生産的、建設的、創造的な仕事になる。結果としてこれが天職だったという気持ちになる。仕事は他の人へのお役立ち行為である。お客様の喜ぶ顔が見たいということを最終目的にすると、世の中で認められるよい仕事になる可能性が高まる。仕事は自分と家族の生活を守る側面がある。苦しいときは、基本的に月給鳥という鳥になってせっせと餌を運んでいく。良好な人間関係を楽しむために仕事をしているわけではないという認識を持つ。仕事にはミスや失敗はつきものである。ミスや失敗をしたらごまかす、言い訳をすることはご法度である。その事実を認めて早く報告する。そして早く事後処理にあたる。ミスや失敗を数多く経験することは、決して無駄ではない。自分という人間の器を大きくしてくれているのだと心得る。神経質者が中間管理職になったら、マネージメントの基礎を学習して応用するようにする。ここでの怠慢は後々禍根を残して後悔することになる。我流では部下の信頼は得られないことを肝に銘じておく。
2023.02.07
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佐々木常夫さんのお話です。株主総会の質疑応答やテレビのインタビューなどで、上場会社の社長が、会社の数字や業界の数字を即答している姿を見たことがあるはずです。「さすが、頭がいいな」と思われる方もいるかもしれませんが、違います。社長というものは、株主総会の直前、2~3週間、株主総会を想定した問答集を経営企画部が作成し、何度も練習をしているのです。東レの場合は、問答集は500問近くありましたが、これをすべて記憶していました。社長も準備しているのです。(すぐ動くのはやめなさい 佐々木常夫 青春出版社 164ページ)上場会社の社長さんが、株主総会の前にこのような準備をしているとは思ってもみませんでした。この準備のおかげで、株主総会が滞りなく進行しているのですね。私はこのような準備を森田理論学習に参加する前に行うことを提案したいと思います。集談会では、自己紹介、近況報告、体験交流があります。ここで発言する内容を出発する前に、家でとことん準備するのです。自己紹介は初参加者がいる場合と顔見知りの人ばかりの場合を想定して2通り用意するとよいと思います。初めて参加した人は、たいてい神経症的な問題や生活上の問題を抱えてやってきます。そういう人には、私と同じように人生の悩みを抱えている人がいるということを知らせる必要があると思います。心がけることは、自分が神経症と格闘していたころの話をする。森田の自助組織があることを知り、初めて集談会に参加したころのことです。これは1回準備すれば、いつでも使えます。顔見知りの人の場合は、話の内容をガラッと変えた方がよいと思います。症状についてはみんなよく知っているわけですから、森田理論を学習して新たな発見があったことや森田理論の応用や活用の話を用意する。応用例や活用例は、ここ1か月の日記を見て整理します。1か月のうちにはいろんなことがあったはずです。その中から1つか2つをピックアップする。それを膨らませてみんなの役に立つように話を整理する。私が今回用意したのは、坂道でバイクがエンストして困った話と自家用野菜の灌水施設のトラブルの話でした。両方ともその後解決策が見つかったので、人によっては参考になる話だと思ったのです。今までを振り返ってみると、健康の話、ペットの話、介護の話、旅行の話、観葉植物、自家用野菜作り、加工食品、趣味の話、運動の話、音楽の話、テレビ番組の話などいろいろと参考になることが多いです。次に体験交流ですが、5名程度の小さなグループで行います。順番に話したいことを話して、みんなで意見交換します。ここでは体験交流用に自分の話す内容を家で準備しておくことが大事です。自分の神経質の症状、今月の生活の発見誌で参考になった記事、森田の単行本で感銘を受けたこと、学習会に参加して参考になったこと、今現在困っていること、人間関係のこと、最近楽しかったこと、感動したこと、趣味への取り組みなどです。これらから5分程度の話になるようにまとめていくのです。内容を整理して膨らませていく作業は楽しいものです。その話が参加者に影響を与えて、体験交流が盛り上がることになれば、こんなにうれしいことはありません。さらに喫茶店や居酒屋での懇親会は、弾みがついてさらに盛り上がりを見せることになります。こんな会合は、集談会以外ではほとんど思いつきません。「自己開示 懇親会で 全開放」これは私が以前作って最優秀賞をもらった川柳です。
2023.01.08
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今年の1月4日でこのブログは10年を超えることになります。毎日投稿しながら最初に設定した目標をついに達成しました。最初10年はとてつもなく長いと思っていました。過ぎてしまえば「光陰矢の如し」でした。この10年間を振り返ってみました。毎日投稿することで、リズムのある規則正しい生活が身に付きました。毎朝6時20分に目覚ましが鳴るのですぐに起きるようにしています。冬は真っ暗、夏は朝日を全身で浴びています。「早起きは三文の得がある」といいますがその通りだと思います。この習慣は投稿するという目的があるからこそ可能になったのです。次に自分でもびっくりするくらい森田理論の深耕ができたと思います。それを生活の中で、縦横無尽に活かすことができるようになりました。森田は表面的な学習をもう少し掘り下げたところに豊かな鉱脈のようなものが横たわっていると思っています。宝の山はそこに眠っているように思います。それを日々見つけていくのが楽しみになりました。高良武久先生は、10年一つのことに取り組んでいけば、その道の専門家になれる。それが自信になって、対人不安は気にならなくなるはずだといわれました。これについては、いまだはっきりしたことはよくわかりません。ただ森田理論学習に取り組んだ中で、一つだけ言えることがあります。神経症はケガや折れた骨がくっつくような完治はしないのではないか。神経質性格者に、大小さまざまな不安が次々と出てくるのは、どうすることもできないように思います。生活に支障のない状態になれば、それでよしとした方がよいのではないか。むしろ細かいことが気になるという性格を、実生活に活かしていくほうがより意味があるのではないか。私は神経症が治るとは、頭の中で神経症的な不安のことを考える割合が、どんどん減っていくことだと思っています。それが50%くらいになれば、もう治ったも同然だと思っています。仕事や集談会の運営、趣味や野菜作り、老人ホーム慰問活動のこと等を考えることが多くなった時点で、一応神経症の克服宣言をした方がよいと思っています。むしろ治り過ぎて尊大な態度になることの方が問題だと思います。つぎに読書の習慣がつきました。本が大好き人間になりました。1ヶ月に10冊から20冊は読む習慣がつきました。1年で120冊から240冊です。10年で1200冊から2400冊の本を読んできました。読書はブログのネタを探すという目的を持って読んでいます。森田の琴線に触れるところはすぐにキャッチできるようになりました。本はほとんど市と町の図書館からネットで予約して借りています本を読んでいると引用文献が紹介されています。芋づる式に読みたい本が増えてきます。先人の考え方や生きざまに接することは大きな喜びとなっています。そして今やブログの投稿は、私の趣味、生きがいになりました。最初は10年でやめる予定でした。今は弾みがついて、今後20年は継続したいと思っています。できれば命尽きるまでです。まさに生涯森田です。ボケる暇はなさそうです。そのために体力をつけたいです。現在、おおむね1ヶ月先に投稿する記事を今日書いています。1か月間寝かしておいた原稿をアップする時、再度読み返して、「自分の書いた記事に自分自身で感動することができるかどうか」投稿原稿は、そこを基準に考えていきたいと思います。不十分なら書き直すか、ボツにするつもりです。最後にみなさまの今年1年のご活躍とご健勝を祈念して年頭のあいさつといたします。今年も森田理論を大いに深めていきましょう。
2023.01.01
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感情には快の感情と不快な感情があります。この2つの感情にどう対応したらよいのか考えてみました。普通、快の感情はできるだけ多く、できるだけ長く味わっていたい。不快な感情はできればパスしたい。できるだけ早く逃れたい。これは人情ですが、感情は自然現象であるので難しいです。森田先生は、感情の取り扱い方は3つの段階があるといわれています。まず、不快であっても、必要なことはがまんして行動する。不快な感情に過度に振り回されないようにする。気分本位の行動には歯止めをかけるようにする。感情と行動は別ものであることをしっかりと理解する。感情は森田理論の「感情の法則」に任せる。行動は意思の自由がありますので、こちらの方に注意や意識を向ける。神経症を克服したい人は、まずこの段階をクリアすることです。これは努力すれば誰でも比較的早く達成できます。次に、観念中心の「かくあるべし」を前面に押し出さない。感情の事実を素直に認めるようにする。そのためには、森田理論の「かくあるべし」の発生とその弊害について学習する。さらに事実本位の考え方とそのメリットを学んでいく。理解できたら、事実本位の立場に立って、目的本位に行動する。森田理論では「思想の矛盾」の解消として説明されている部分です。コツを会得すれは、神経症的な葛藤や苦悩はなくなります。この段階のハードルはかなり高いです。なぜなら生まれてからずっと観念的な教育を受けてきたからです。森田先生が中学卒業程度、今でいう高校卒業程度の段階になります。観念主導の生活態度から、事実優先の生活態度への転換はすでに理論化されています。森田理論を学んでいる方はぜひとも克服して欲しい段階です。最後に、快の感情、不快な感情と区別しなくなる段階があります。湧き起こる感情に対して是非善悪の価値判断をしなくなる。不快な感情に対して、頭の中で敵対しなくなる段階のことです。不快な感情に振り回されている自分を客観的立場から眺めることができる段階です。しっかりと不快な感情に向き合い、味わうことができるという段階です。そして次々と変化してゆく感情に飛び乗っていけるようになる。森田先生が大学卒業程度と説明されている段階です。森田先生は「善し悪しとか苦楽という評価の拘泥を超越して、ただ現実における、「生命の躍動」そのものになっていく」ことだと言われています。森田理論では、不快な感情の対応方法は、この3つがあるといわれています。誰でもその気になれば、自分のものにすることができます。ただし、どの段階も、森田理論学習が欠かせません。その際、仲間とともに相互学習することが大切になります。さらにより効率的な学習が大切になると思っております。森田理論の学習方法の開発は必須と考えます。それらを身につける方法は、すでに整備されていると考えています。関心のある方はぜひ挑戦してみませんか。
2022.12.28
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私は原付バイクで通勤しているのですが、信号機が赤に変わったので停車しました。すると急にエンジンが止まりました。慌ててバイクを押して横断歩道を渡りました。そして手動でエンジンをかけようとしましたがまったくかかりません。原付バイクは、キックして始動することもできますので、一杯にアクセルを回してキックしてみましたがこれも駄目でした。仕方なく長い登坂を汗だくになりながら押して上がりました。翌日バイク屋に持って行くと、キックするとすぐにかかりました。私にはそれがとても不思議に思いました。店主曰く。アクセルを回しすぎてはかかるものもかからなくなる。アクセルには遊びがある。そこなら1センチ程度回してキックしてみなさい。2~3回チャレンジしたら何とかかかった。なるほどそうだったのか。理屈が分からないときに、やみくもに動かそうとしても、労多くしてよい結果には結びつかないことがよく分かりました。理屈が分からない段階で行動しても、混迷の度を深めるだけだ。店主は、このバイクは空冷式なので、エンジンに煤のようなものがこびりついて、突然エンジンが止まることがある。本当はエンジンを分解して洗浄した方がよいと教えてくれた。ちなみに現在のバイクはすべて水冷式だという。理屈で故障の原因が理解できるようになることはうれしいものだ。この経験から得た教訓。森田理論も詳しい人から学習すると早く理解できるようになるのではないか。一人で学習するよりも雲泥の差があります。これはパソコンがフリーズしたとき、詳しい人に尋ねるとすぐに問題解決につながるようなものです。詳しい人は森田理論をより深く深耕されています。森田理論は通り一遍の学習をもう一歩掘り下げたところに、素晴らしい宝の山が眠っているように思います。それを掴んでおられるように思います。また森田理論を自分の生活に活用・応用されている人は、理解に留まらず、森田を自分のものとして血肉化されているように思います。私は森田理論には基礎編と応用編があると思っています。基礎編は、森の中に入って1本1本の木を細かく観察するようなものだと思っています。応用編は森から離れて上空から森全体を観察するようなものだと思います。この両面から森田療法を学ぶとより早くより深く理解できるように思います。基礎編・・・森田適応者の診断をした後は、神経症の成り立ち、神経質の性格特徴、感情の法則、認識の誤り、治るとはどういうことか、森田理論のキーワード、まとめなどを学ぶ応用編・・・「森田理論の全体像」の学習の必要性から入る。各論として、生の欲望の発揮、不安の役割、不安と欲望の関係、「かくあるべし」の発生とその弊害、事実本位・物事本位の生活態度を養う。この4本柱を深耕するとともに相互の関連性をしっかりと学習する。関連性については、図示することができます。これをしっかりと頭の中に叩き込んで学習することが効率的です。神経症の克服とはどういうことかがよく分かるようになります。無駄な間違った努力はなくなります。興味のある方は過去の投稿をご参照ください。実践編・・・森田理論で生活や仕事に活用できそうなものはないか探していく。先輩に実践や応用方法を教えてもらう。あるいは観察して取り込む。できるものからどんどん実践に移す。弾みがついてくるとどんどん成長してきます。そして器の大きな人間になれます。以上の項目に従って繰り返して学習する。1年目は基礎編、2年目は応用編、3年目は森田理論の活用に力を入れる。私は森田理論を自分のものにするのに約15年かかりました。それは学習方法が確立していなかったという結論に達しました。この順番で取り組めば約3年で森田理論を自分のものにすることができます。一旦自分のものにすれば、森田理論は一生使える大きな財産になります。
2022.12.23
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日本語、英語、中国語が話せる中内玲子氏のお話です。言語を習得するコツは、「インプット1、アウトプット3」を心がけて実行することが大事です。日本人が中学・高校の6年間、あるいはそれ以上英語を勉強しているのに話せないのは、圧倒的にアウトプットが足りないからです。イギリスのレスター大学のジム・キング博士は、日本の学生が第2言語で話すことを苦手とする理由について、自信のなさや恥をかくことへの恐怖、目立つことを好まない文化的背景、会話を重視しない授業内容にあると指摘しています。中内さんは英語が話せないまま渡米しました。語学学校に通っていましたが10か月間全く英語が話せませんでした。中内さんはある時「今まで学んだ英語は全部忘れよう。笑われてもいい。簡単な英語でいいからとにかく話そう」と決め、文法は気にせず、赤ちゃんが言葉を話すように単語一つから始めて、ゼスチャーを交えながらどんどん人に話しかけるようにしたのです。その結果、3~4か月後には、かなりの英語が話せるようになりました。言語を習得するには、最初はインプットが必要になりますが、その後話せるようになるためにはインプットの倍以上、アウトプットが必要になります。特に日本の英語教育はインプットを重視する傾向があるので、なおさら「インプット1、アウトプット3」くらいを目安にするのがよいと思います。(世界一の子育て 中内玲子 フローラル出版 288ページ)この話は森田理論学習にも通じる話だと思います。森田では理論学習と実践・行動は車の両輪だといわれます。学習と行動のバランスを重視しているのです。現状を見ていると、学習の車輪は大きいものをつけていますが、行動の車輪は心もとないということはありませんでしょうか。バランスをとるためには、森田理論学習1、森田理論の応用・活用3くらいを目安にするのは如何でしょうか。そうするとやっとバランスがとれてくると思います。バランスがとれないとサーカスの綱渡りでいえば、地上に落下してしまいますので、注意が必要です。実際森田理論学習で最も大きな影響を受けるのは、森田理論を自分の生活や仕事に存分に活用し応用されている人のように思います。応用・活用している人は目の輝き、オーラを感じます。そういう人から影響を受けて、ともに成長していきたいものです。
2022.12.22
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私はこのたび傘踊りを始めました。仲間と5人で練習しています。これを老人ホームの慰問活動で披露する予定です。北島三郎の平成音頭と三波春夫の鳥取シャンシャン踊りの2つをほぼマスターしました。彩り鮮やかで見栄えが良くとても楽しい踊りです。関心のある方はyou tubeでご覧ください。「鳥取シャンシャン傘踊り」と「傘踊り基本踊りポイント」で大体のところが分かると思います。この踊りは傘をくるくる回す。足と手の動きの所作を覚えることがポイントです。最初はとても覚えられるような踊りではないと思っていました。執念は恐ろしいものです。何度も練習を続けているうちに、完全に覚えてしまいました。毎日の練習が楽しみで一杯です。傘踊りをマンターするコツについて説明します。・講師の指導を受ける。・講師の踊りをスマートフォンで動画撮影する。・家に帰ってスロー再生して覚えていく。・その際範囲を限定して繰り返して覚える。・最初のうちは手の動き、足の動きは別々に練習したほうがよい。・ある程度できるようになったら、音楽に合わせて通しで何回も練習する。・自分一人よりは仲間と一緒のほうが張り合いが出てくる。・先にできるようになった人が、できない人に教える。・仲間に客観的な立場からアドバイスしてもらい直すべきところを直す。・ある程度できるようになるとはずみがついて楽しくなる。・老人ホームで踊るという目標があると俄然やる気が出てくる。このコツは森田理論学習のやり方にも通じることです。・森田理論を深耕している人、森田を生活に応用している人に教えを請う。・学習は一人ではなく、仲間と一緒に取り組む。・時々まとめを行い、体験発表してアドバイスをしてもらう。・森田の基礎は「新版 森田理論学習の要点」などで学ぶ。・次に応用編として「森田理論全体像」の学習に入る。・応用できるところから、生活や仕事などに取り入れていく。・森田理論を踏まえて、森田以外のことも学習して視野を広げていく。・ブログやホームページなどで自分の考え方、応用方法を他人に紹介していく。・森田理論を学習する仲間を増やしていく。・仲間ができたら、学習以外の交流も楽しむ。
2022.12.21
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森田理論を学習するにあたっては多くの森田関連図書があります。これについてはホームページ「森田理論学習のすすめ方」にその一部を紹介しておりますのでご覧ください。今日は森田関連図書の活用方法について投稿してみます。会員になると月刊の「生活の発見」誌が月末に送られてきます。私は早速次の日に一通り目を通します。そのとき印象的な記事は、マーカーで色付けし付箋をつけていきます。全部読み終わるとその部分に戻って精読します。次にその記事に対して自分の体験や感想や考え方を余白部分に書いてゆきます。そして考え方がまとまったものはブログの投稿記事として取り上げています。毎月何らかの役立つ記事があります。また集談会で「今月の一押し記事」として紹介できるように心がけています。その月の発見誌で印象に残った記事を最低一つは見つけています。そのまま紹介しただけではわかりにくい面がありますので、自分の体験などを付け加えて、伝え方の工夫をしています。これが自己紹介や体験交流の話題として使えます。それから永久保存したいと思った記事はコピーをとります。あるいは切り抜いています。これを私独自のテキスト「これで納得!実践的森田理論学習」「すぐに役立つ!実践的森田理論活用法」の該当部分に挿入・貼付しています。あるいはキーワード毎にまとめているノートに張り付けています。森田正馬全集第5巻の活用方法をご説明します。この本は分厚いので3分割しています。持ち運びがよくなり、格段に読む回数が増えました。最初に通しで読むのは大変な努力が要りました。その後は弾みがついて楽しみの方が多くなりました。もう何回も繰り返して読んでいます。読むたびに新しい発見がありうれしい限りです。「噛めば噛むほど何とも言えない味が出てくる本だ」と思っています。読み方は、白揚社から「現代に生きる森田正馬のことば」という本が2冊あります。内容は森田理論のキーワードごとに森田先生の言葉を抜粋してあります。森田正馬全集第5巻からの引用が大半です。これを全集第5巻の該当部分にマーカーで色付けしてキーワードを書いておきます。この作業をしておくとポイント部分が分かっているので読みやすくなります。その部分を中心にその前後を合わせて読んでいくとよいと思います。より深く理解できるように思います。そんな面倒なことをするよりも、「現代に生きる森田正馬のことば」という本を直接読んだ方が効率的ではないかという話をされる人がいますが、実際にやってみると違和感があります。森田理論の核心部分を分かったうえで、その前後のやり取りをみていく方法は、回り道のようですが、実はその方が近道だと思われます。それからキーワード毎に5巻の内容を分類していくと後で役立ちます。これは記載ページ数をキーワード毎にまとめていくというものです。私が5巻の記事を引用する時は、このまとめが大いに役立っています。さらに気に入った内容を書き出すという作業も面白いものです。テーマごとに書き出していくというものです。たとえば、「不即不離」について書いてある部分をあちこちから拾い出して、集中学習をすると、言葉の意味がよく分かるようになります。その他森田関連図書の活用方法は無限にあると思われます。ぜひみなさんの活用方法を仲間に伝えてあげて下さい。そしてお互いに大いに森田理論を深めていきましょう。
2022.12.20
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神経質性格者は、森田理論学習に取り組むことで人生観が確立できます。その際、生活の発見会という自助組織に属して相互学習することが最も効果が上がると思います。自己流が悪いというわけではありませんが、ものにするまでに途方もない時間がかかります。仲間の援助がないと、途中で投げ出してしまうことにもなりかねません。また理解不能に陥ることもあります。さらに誤った理解をしてしまうこともあります。確実に人生観を確立するためには、今ある資源を活用する方が効率的です。「守離破」という言葉があります。武道に取り組むときは、まず先生の型や考え方をそのまま真似る。完全コピー出来たら、自分の個性やスタイルに合ったものを模索する。最終的には師匠から独立して、自分独自の型を作り上げていく。森田理論学習もこの段階を確実に踏んでいきたいものです。ここでまず大事なことは、素直に学ぶという姿勢です。納得できないと思っても、反発しないで先生や先輩達の指導に従うことです。「守」を無視すると型なしになってしまいます。型なしのままだと、次の展開が開けてくることは難しいです。集談会の仲間の中には、森田理論を深耕し、生活に応用している人がいますので、そういう人から謙虚な気持ちで学ぶことです。私は森田理論を自分のものにするのに15年くらいの長い期間がかかりました。その経験を振り返ってみると、独りよがりのつまみ食い的な学習をしていたと思います。最初は森田理論の基礎的な学習は大切です。でもそれだけでは不十分なのではないかと思っています。基礎的学習が終わったら、引き続いて森田理論の全体像を俯瞰する学習が大事になると思っております。一本一本の木を詳しく見ていく学習と、森全体を俯瞰する学習をセットで学ぶということです。私は森全体を見る学習を森田理論の応用編と呼んでいます。この両方の学習に実践編を加えて3年くらいかけて取り組むことをお勧めしています。具体的には「森田理論学習の要点」の内容を理解するところから始まります。要点には、神経症の成り立ち、神経質の性格特徴、感情の法則、欲望と不安、行動の原則、「あるがまま」と「純な心」、森田療法の人間観、治るとはどういうことか、「まとめ」のしかたという9つの単元があります。この冊子は、学習のポイントがコンパクトによくまとまっています。内容もとても分かりやすい。安価です。私が参加している集談会では、初参加の人に必ず紹介しています。この冊子で森田理論に興味が持てればしめたものです。後は相互学習で肉付けしていけば十分です。できれば集談会に1年くらい継続して参加することをお勧めします。集談会は全国に100くらいありますが、最近コロナの影響で参加者が減少しています。近くの集談会が一番良いのですが、必ずしもそうとはいえない状況です。目安としては常時6名から7名以上の参加者がいるところをお勧めしたいです。発見会本部に問い合わせればわかります。会員なれば、最近はネットを介した全国組織のオンライン集談会も多くなっています。パソコンやスマートフォンで簡単に参加できます。これは現在ZOOMを活用しています。全国の学習仲間と家に居ながら一瞬でつながるというのは驚きです。食わず嫌いの一品になってはもったいないというのが私の実感です。森田理論学習の応用編は、このブログや「森田理論学習のすすめ方」というホームページで紹介しています。興味のある方はぜひ参考にしてみてください。森田理論を仲間とともに学習し、全国の神経質仲間と交流を深め、ともに大きく成長していきましょうというのが私からの提案です。
2022.12.14
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棋士の羽生善治氏のお話です。人間には思考を省略して考えることができる素晴らしい能力があるのですが、時にはそれが先入観や、偏見となって新しい発想を妨げることもよくある。(捨てる力 羽生善治 PHP文庫 90ページ)将棋の世界には定跡というものがあります。これは長い歴史の中で、こういう展開になれば、こういう流れで決着がつくというものです。定跡は長い時間をかけて練りこまれ、現在に伝えられているものですから信頼性が高いものです。ですから棋士は誰でも定跡の研究をしています。そしてそのパターンに入ってくると、無意識に定跡に従って黙々と駒を指すことがあります。素人相手だと何も考えなくても、定跡に従って黙々と指していけば難なく勝つことができます。しかし定跡通りに指しても、プロ棋士を相手にした場合は勝てないのです。過度に定跡に頼っているとカモにされてしまいます。それは定跡の攻略法も研究されているからです。定跡による先入観、決めつけ、思い込みは時として勝負の足かせになります。ここではまっさらな状態で、先入観なしに局面に対峙することが重要になります。自分独自のアイデアや判断力を付け加えることで初めて勝負の土俵に上がることができます。自分の感性やスタイル、個性や独自性を打ち出すと、それが他と差別化された強みに変わってくるのです。この考え方は、森田理論学習をしているものにとって参考になる話です。森田理論の学習をすると、多くの間違った考え方が修正できます。また神経質性格の活かし方もよく分かります。誰でも人生の羅針盤を手にしたような気持になります。たとえば、神経質性格の特徴では、神経質性格はプラスに捉えればこれほどはぐくみあいのある性格はないことがよく分かりました。感情の法則では、感情は自然現象であり人間の意志の自由はないことが分かりました。不安と欲望の単元では、神経症的な不安は、その裏に大きな欲望があることが分かりました。思想の矛盾の学習では、「かくあるべし」を押し付ける態度が、葛藤や苦悩を生み出していることが分かりました。人間関係は「不即不離」を活用していけばよいことも分かりました。これ以外にも数多くのことを学ばしていただきました。これらは将棋でいえば定跡のようなものだと思います。森田理論に出会い、定跡を学ぶことができたことは、とても幸運だったと思います。せっかく定跡を手に入れたのですから、ここにとどまっていてはもったいないと思います。今度は、この定跡を日常生活や仕事に十二分に応用し、活用する方向へ進んでいくべきではないでしょうか。森田理論学習と森田の実践・行動は車の両輪のようなものだといわれます。この車輪が同じ大きさのとき、力強く真っすぐ前に向かって前進します。しかし森田理論学習の車輪が大きなものに替えられても、実践・行動の車輪が小さいままだと、一向に前進しないで、そこに留まってグルグルと空回りするようになります。ある程度学習を積み重ねた後は、思い切って港を離れ、大海に漕ぎ出すことが大事になってくるのではないでしょうか。
2022.11.16
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コロナ下で使用会場が閉鎖されて、やむなくZOOMなどを使ったリモート集談会が全国各地で開催されるようになりました。現在はまだ初期段階で試行錯誤しています。さらに集談会の主力は対面集談会に戻りつつあります。しかし、リモート集談会は今までになかった利点もあります。そこで欠点と長所を整理して次の展開の準備をしておきたいと思います。長所・家に居ながら集談会に参加できる。交通費と時間の節約になる。・全国の学習仲間と瞬時につながる。仲間の輪が急に広がる。・時間の制限がなくなる。短時間の開催も可能になる。昼間でも夜間の開催も可能になる。・テーマが絞られた集談会に参加すると、得るものが大きくなる。・学習内容の濃い集談会になる可能性が高まる。・優れた学習仲間や講師に出会える機会が増えてくる。短所・人間同士の信頼関係が築きにくい。単発での人の集まりになりやすい。・相手のことがよく分からないので、自己開示ができにくい。表面的な話で終わってしまいやすい。傾聴、受容、共感、許容、感謝の気持ちが希薄になる。・自分自身の顔を画面としてみることになるので違和感がある。・ネットにつながることに最初から嫌悪感を持っている人も多い。・集談会で世話活動などの社会体験の場としての役割はなくなる。・集談会後の喫茶店や居酒屋での親しい交流はなくなる。・パソコンやスマホを持っていない人は参加できない。たとえ持っていてもwi-hiなどの通信料無制限でないと実質参加できない。・モバイルに強い人が存在するか、新たに養成する必要がある。・対面集談会とモバイル集談会を組み合わせる場合、ネット環境、パソコン持参、集音マイク、モニターなどを用意する必要がある。但し慣れれば10分以内で出来る。・多少の維持費がかかるが、その費用の負担の問題もある。私の関わり方について整理してみました。まずは月1回半日の対面集談会を重視します。地元の人で家族的でアットホームな人間関係のもとでの学習会に参加したい。みんなで役割分担をして、傾聴、共感、受容、許容、感謝を前面に押し出した会にしたい。森田理論学習は初心者を想定して、緩やかで継続性を重視したい。そしてみんなで刺激を与えあって、森田理論を生活に応用・活用して生活の質の底上げを図りたい。社会体験の場として活用したい。月1回の居酒屋での懇親会を楽しみたい。そのうえで年に1回か2回は、対面集談会とモバイル集談会を組み合わせた集談会を企画したい。これはハイブリッド集談会と言われている。そのための知識を蓄えて、テストをしたい。こうなれば森田を極めている人の話も企画することができます。さらにモバイルでのテーマ別ZOOM集談会に不定期で参加したい。魅力があるテーマで募集した全国の仲間がある程度集まれば、初めて会う人同士でも中身の濃いい集談会になることが予想できる。これだと目的をもって参加しているので、親密な信頼関係はあまり必要ない。但し森田理論学習を続けているという仲間であることは必要である。例え1回限りのモバイル集談会でも、得るものがあると判断すればメリットがある。私は生活の発見会が、定年退職した人がこれからの生き方を話し合う「生涯森田」のリモートワークに申し込んでいる。まさに目的がはっきりしている。今後はそういうテーマ集談会をいろいろと企画して実施していくことが必要になる。やり方しかたはこれから試行錯誤すればよい。テーマとして気づいたものをあげて見ると、・森田初心者の会 森田で神経症は治るの・神経質性格者の生きがいの持ち方・健康問題、認知症問題、介護問題・自立の問題、経済問題・高齢者特有の健康、経済問題、孤独との闘い・墓じまい、遺産の整理をどう進めるか・いろんな趣味の紹介・会社での人間関係の持ち方・夫婦の人間関係の在り方・子育てのポイント・子供との付き合い方・親との付き合い方・異性との付き合い方・隣近所の人との付き合い方、町内会とのかかわり方・仕事にどう取り組んでいけばよいのか・森田のポイントをどう考えるか・症状別の集談会・森田の応用や活用方法その他テーマはいくらでもあると思います。関心のある人が5人くらい集まれば役に立つ話し合いができるでしょう。だって、会員同士でこんな話ができる機会はほとんどないのですから。モバイルは大人数よりも6名から7名くらいがよいと思う。できれば1時間半か2時間で終わるような会だと気が楽です。運営方法は現在思案中です。モバイル集談会はテーマを明確にして、全国単位でフットワークよく運営されることがカギになっていくと思っています。楽しみで一杯です。
2022.10.02
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生活の発見会の集談会に参加して良かったと思うことをまとめてみました。1、集談会で他の人の活動内容の話に刺激を受けて、自分の生活が前向きに変化してきた。2、今まで無知だった物の見方や考え方を学ぶことができた。3、今までの自分の考え方がいかに間違っていたかということに気づくことができた。1ですが、集談会に参加している人の趣味の広さには驚かされます。絵画、俳句、旅行、楽器演奏、家庭菜園、陶芸、釣り、登山、ゴルフ、テニス、スノーボード、カラオケ、コンサート、絵手紙、書道、茶道、華道・・・。また、資格試験などにも果敢に挑戦されています。ボランティア活動にも積極的です。料理、加工食品作りなどにも取り組んでおられます。集談会や支部研修会などでは、ぜひともそれらを披露して参加者に刺激を与えるようにしたいものです。興味や関心を持つ人が一人でもいれば、紹介したかいがあります。参加者全員がそんな気持ちで情報を提供し合うことが大切になると思います。神経質者は好奇心が強いのが特徴ですから、きっと大きな影響を受けるはずです。2についてですが、森田理論の基礎を学習すれば、目からうろこのものの見方や考え方を学ぶことができます。大いに知識欲が刺激されます。神経症にならなければ、こんな貴重な学習とは縁がなかったはずです。参考書としては、生活の発見会が出している「森田理論学習の要点」があります。次に、実践森田療法(北西憲二 講談社)あたりがお勧めです。この本には巻末に森田適応者かどうかの診断表がついています。それ以外にも優れた書籍が目白押しです。「森田理論学習のすすめ方」というホームページで紹介していますので、ぜひご参照ください。私は「これで納得!実践的森田理論学習」というテキストを自作しています。私はこれをファイルして、余白に学習したことをどんどんつけ足しています。このテキストの特徴は、基礎編の学習が終わった人に対して、第5章から第9章まで「森田理論全体像」の説明をしています。森の中の1本1本の木を見ることも大切ですが、長らく学習してきて思うことは、森から離れて森全体を俯瞰する学習も必要だと思っています。例えば、巨大迷路に入ってもなかなか出口にはたどり着けません。ところがドローンや山の上から俯瞰すれば一目瞭然です。私は森田理論全体像の学習を思いついてきたとき、目の前のもやもやが晴れて視界良好になったことを思い出します。また、新しいものの見方、考え方を自分のものにするためには、自分一人で行うよりも、集団で学習する方が効果が上がります。それから学んだことを単元ごとに、きちんとノートに整理することをお勧めします。自分の場合はどうなのかを考えながらまとめていくのです。学んだ理論を実際に体験して検証してみると大きな効果があります。3ですが、森田理論を学習していると、この考え方ははたして間違いないのだろうか疑問に思うことがあります。この疑問は大事にしたいものです。こんな時は、まず自分のものの見方、考え方と森田理論で説明されているものの見方、考え方の違いについて明確にさせます。それを集談会の学習仲間に質問してみることです。次にとりあえず森田の言っていることを信用して、自分の生活で検証して本当に間違いないかどうかを確かめるようにするのです。体験によって真偽のほどを確かめるということです。この作業すると、気づき、発見、自覚が深まります。さらに集談会の体験交流の場でその経過を話すようにするのです。他の人の意見、アドバイスをもらってさらに確信・自覚が深まります。私が神経症で苦しんだことは、神様が私に対して大きな問題を出されたのだと思います。その問題や課題をどう料理していくのか、かたずをのんで見守っておられるのではないでしょうか。私は苦悩の真っただ中で、偶然に森田に出会いました。それから40年近く森田とその学習仲間と付き合ってきました。今思い返せば、エベレストやアコンカグアなどの山に挑戦するようなものだった。容易に答えが見つかるわけでもなく、葛藤や苦悩の連続でした。でも人生をかけるだけの課題に巡り合ったことは幸せなことだったと思います。仲間の支援を得ながら、その課題から逃げることなく今まで関わってきたことは、幸せ以外のなにものでもありませんでした。残りの人生も森田とともに駆け抜けていきたいという気持ちでいっぱいです。
2022.08.27
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7月号の生活の発見誌(65ページ)に素晴らしい記事があった。カウンセリングは、全プロセスを通して「傾聴」がカウンセラーのとるべき基本的態度となります。しかしカウンセリングは「傾聴」の技法で終わるわけではなく、クライエントが抱えている悩みの真の原因を洞察し(カウンセリングではそれを「見立て」と言います)、「質問」や「言い換え」などの様々な技法を使って、その原因にクライエント自身が「気づく」ように導いていきます。森田療法で、このカウンセリングの「気づき」に相当するのが「自覚」です。森田療法の場合には、患者への直接的助言や日記指導、作業療法、日常生活における行動、森田理論の学習など様々な機会と手段を通じて、「自覚」を促そうとする点にあります。もしもアドバイスが何も気づき(自覚)につながらなければ、それは一方的な指示や助言に終わってしまい、アドバイスを受けた人には押し付け感が残るはずです。この考え方は生活の発見会という自助組織に所属して各地の集談会に参加している人にとって、とても示唆にとむ説明です。これをもとにして、集談会での「気づき」「自覚」はどのように進められるのかを考えてみたいと思います。集談会は一度は神経症で苦しんだことのある人たちの自助組織です。他人とかかわりを持つことで「気づき」「自覚」が深まるということが重要だと思います。一人で学習していると、独りよがりになり、学習は思っているほど深まりません。表面的な学習は自分にとってほとんど利益ももたらしません。さらに問題なのは、森田理論を間違って解釈してしまうことです。そして森田理論を非難するようになっては、その人の人生にとっては不幸の始まりとなります。森田理論を参加者全員で学習する意味は大きいものがあります。分かりにくいところがあれば、先輩会員に聞けばすぐに解決します。また表面的な理解が、より広く、より深い理解に変わります。森田理論学習と森田実践は車の両輪だといわれています。集談会や懇親会では、森田実践・活用の話が、いろいろと出てきます。他人の実践に刺激を受けるということは見逃せないところです。他人の行動・実践に刺激を受けて、自分も興味や関心を持ったということは山のようにあります。そして自分の行動の幅がどんどん広がってきたというのが私の実感です。10個の話の中で、1個でも興味や関心のあるものが見つかれば、儲けものという感じがしています。私の趣味や日常茶飯事は、集談会の仲間から刺激を受けて取り組んだものばかりと言っても過言ではありません。これは行動ばかりではなく、キャッチフレーズや心に残る言葉などもそうです。たとえば「靴がそろえば心がそろう」「私たち神経質者は風雲に乗じて成功を収めるタイプではない。凡事徹底で誰でもできる小さなことをコツコツとこなしていく。それを10年20年と積み重ねると非常に非凡な成果を生み出す」「コップ一杯の人間関係を5つくらい作るのではなく、コップに少しだけの人間関係を50個くらい作る」・・・などです。先輩会員にひと言・・・先輩会員は森田理論学習では成功体験を持っています。どうしてもそれを上から下目線でアドバイスしたくなります。この方法は、ほとんど相手の琴線にふれることはありません。自己満足に終わります。そのうち相手の反発を招きます。そして集談会に来なくなります。集談会は、みんなが先生であり、生徒であるという関係です。相手が「気づき」「自覚」を深めるための黒子に徹することが大切だと思います。そのためには自分の普段の生活や実践・行動を語ることだと思います。そしてある日気がついたら、相手が自分と同じようなことに取り組んでいたというのが理想だと思います。そういうことができる人は、生活森田・応用森田に軸足を移して、愚直に取り組んでいる人だと思っております。
2022.08.20
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生活の発見会の集談会活動は、神経症を克服することが唯一最大の目標でしょうか。私は、神経質性格を持った人が、人生観を確立して味わいのある生き方をすることが最終目標ではないかと思っております。その集談会活動が現在停滞気味です。今日はその原因と打開策について考えてみました。今までの集談会は神経症を治すという目標を持って活動してきました。神経症経験者が、神経症克服のためのノウハウ、情報を教示して、護送船団方式で神経症克服を目指した活動を続けてきました。それは50年以上の歴史の中で、大きな成果を上げてきました。しかし現在神経症を取り巻く環境は大きく様変わりしています。様々な薬物療法、認知行動療法などの精神療法、カウンセリングなどが出てきました。森田先生の時代は、神経症克服については、森田療法が主力でした。現在の森田療法は、あまたある神経症克服の選択肢の一つにすぎません。神経症で苦しんでいる人は、アリ地獄から地上に這い出るために、自分に合った適切な治療方法を選択することが可能になったのです。森田療法に固執しない人の割合が多くなり、その結果集談会は低迷しています。そんな状況の中で、集談会が神経症の克服を唯一最大の目標に掲げて活動することに意味があるといえるのでしょうか。ましてや私たちは医療の専門家ではありません。私は神経症克服に向けての集談会の活動内容は、残念ながらその役割を終えつつあると考えています。では過去の栄光を取り戻すことは不可能なのか。私はそうは思いません。たとえ医療や精神療法で一旦症状を克服しても、神経質者の生きづらさは依然として続いていくわけです。神経症を克服した人は、行動的になっていますので、それに伴い生きづらさも今まで以上に増加してきます。今や集談会の目的は、神経症からの回復という大目標を放棄する時に差し掛かっているのではないでしょうか。酷なことを言うようですが、再生はここから始まるように思っています。でも今までの強固な成功体験を持っているために、目標を取り換えるということは、大きな抵抗が待ち構えていると思います。でも転換しなければ、再生することは出来なくなると思います。ではどんな目標に変えていくべきなのか。森田療法には神経症の治療という側面は確かにありますが、それ以上に、神経質性格者の人生観の確立という大きな役割があります。他の精神療法と大きく違うところはここにあります。この方面の世界は、ブルーオーシャンの世界です。どんなに頑張っても医療や精神療法が入り込めない世界です。この分野にフォーカスした活動が望まれていると思います。そういう意味では、集談会はさまざまな生きづらさを抱えながらも、なんとか日常生活を回している人が主な対象になると思います。神経症真っただ中という人は、森田療法でも構いませんが、それよりも自分に合った医療や精神療法やカウンセリングを受けて、地上に這い出ることが肝心です。地上に出るというのは、なんとか日常茶飯事、仕事、家事ができるようになるということです。しかし地上に這い出たからといって、そこに留まっていると、いずれ神経症は再発すると思います。また生きづらさは解消することは出来ません。この問題を解消するためには、生活の発見会の集談会に参加して森田理論学習を始めることだと思います。生涯学習として取り組むことが大切です。手順としては、1、森田理論の基礎的学習を徹底する。2、森田理論の全体像を理解する。そしてその骨子となっている4本柱を深耕していく。3、森田理論の活用方法について、その活用例を具体的に学習していく。4、応用例をもとにして、生活の変化や進展具合を集談会で確認し合う。神経質者が神経質性格を活かした人生観を確立して、人生100年時代に向かって船出をしたとき、輝かしい人生が開けてくるはずです。そして「我が人生に悔いなし」という心境になれると思います。
2022.07.18
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人間関係については、たくさんの友達を作るよりも、心の底からなんでも話せる親友を数人作ることが大切だと考えている人もいらっしゃるのではないでしょうか。コップに少しだけの人間関係を100個作るよりも、コップ一杯の人間関係を5つくらい作る。このやり方ですと、仮に相手が気に入らない言動をとった場合、人間関係が壊れてしまうことを恐れて、自分の感情や欲求を抑圧するようになります。そのストレスに耐えかねて、感情を爆発させてしまうと、今まで大事にしてきた人間関係は壊れてしまいます。そして修復不可能となります。この考え方、やり方は認識の誤りですが、今までこのやり方でやってきた人にとっては別のやり方があるとは思えません。考えつかないのです。森田理論を学習すると人間関係の面では、イヤな相手でも挨拶だけはきちんとする。そして不即不離を人間関係に応用すると大きく改善できると学びました。この理論が理解できたら自分の実践や行動で検証することが大事です。理論の裏付けをとると、自覚が深まります。イヤな相手に出会うと避ける。挨拶をしないで相手のことを無視する。あるいは、一旦相手と約束しても、平気で予定を変えてドタキャンする。告別式は万難を排して出かけるのが常識ですが、自分の都合を優先して参列しない。こういう態度で人間関係を改善したいというのは虫が良いのではないでしょうか。こういう人は森田理論の感情と行動は別物という考え方が身に付いていないのだと思います。過去の経験でもある程度のことは分かりますが、今一度森田理論を意識して、マイナスの行動をとってその結果がどうなるか検証しては如何でしょうか。知っている人に出会っても挨拶をしないで無視する。不機嫌な顔をしてすれ違う。その後どんなことになるのか、実際に検証してみるのです。そしてその後起きたことをまとめる。集談会でその結果を発表する。こういう学習を行うと、本人だけではなく参加者全員が、人間関係の見方、考え方の誤りに気付くことになるのではないでしょうか。不即不離という人間関係は、必要な時に、必要に応じて、必要なだけの人間関係を心がけることです。引っ付きすぎず離れすぎないという人間関係です。濃密な人間関係ではなく、浅く広い人間関係になります。広い人間関係を作ろうと思えば、積極的に行動を広げる必要があります。仕事、OB会、同級生、趣味の会、集談会、町内会、勉強仲間、親戚関係などいろいろと広がります。私は集談会で年賀状1枚の人間関係も立派な人間関係だと聞いたことがあります。そこで500人に年賀状を出すという取り組みをしていた時期があります。あて名書きは筆ペンで書きました。たかが年賀状、されど年賀状なのです。すると同じような取り組みをしている人がいることが分かりました。その人は一枚一枚をなんと手書きしているのです。絵手紙にしているのです。さらに毛筆で書いた字に味わいがあるのです。永久保存しておきたいような素晴らしい作品に仕上がっているのです。その人が言うには、出していない人から自分にも送ってもらえないかとリクエストが来るというのです。全国に仲間がいるというのです。年賀状を書くことを生きがいにしているのです。その準備を1月からしているとのことでした。浅く広い人間関係作りを心がけていると、人間関係で右往左往することはなくなります。険悪な関係になった時は、しばらく距離を置いて注視しているだけにします。そのうち時間の経過とともに、必要な時に必要なだけの人間関係を築くようにすればよいのです。とても気が楽になります。また浅くて広い人間関係は、何か困ったことが起きたときなどに、適材適所でどういう人に相談すればよいのか分かるようになります。その体験を集談会などで発表して、参加者全員で人間関係の在り方について意見交換するのです。それぞれの立場で、気づきや発見が深まるのではないでしょうか。集談会は森田理論を学習するところですが、一旦理解できたらそれを実際の生活面で応用して検証し、その結果を集談会に持ちより、みんなで深めていくところだと思います。このような学習会を定期的に開いている自助組織は聞いたことがありません。この方面に力点を置いている集談会はとても魅力的です。
2022.07.10
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集談会活動で、認識の誤りに気づき、新たなものの見方や考え方を身につけるためにはどんな点に留意すればよいでしょうか。私たちは繰り返して森田理論を学習しています。学習の中でこれは本当だろうかと思うようなことが多々あります。この疑問を持つことが大切になります。・たとえば、神経症は治そうと思っているうちはいつまで経っても治らない。治すことを止めたらその日のうちから治ります。・不安を取り除こうとしてはいけない。不安を抱えたままなすべきことに淡々と取り組んでいくのが森田のやり方です。・小さなことにとらわれてしまうという性格は、感受性が鋭いということですから素晴らしい性格を持っているということなのです。・神経質性格の人は、普通の人以上に過大な欲望を持っている人なのですよ。・感情は自然現象であって自由にコントロールできるものではありません。・どんなに苦しくても、形を整えることを心がければ、神経症の苦しみはなくなります。・森田の神髄はあるがままです。不安はそのまま受け入れて、なすべきことに取り組んでいけば神経症で苦しむことはありません。・症状の為に逃げてばかりではいけませんよ。不安を抱えたまま行動することを心がけなさい。・気分本位になってやるべきことを回避してはいけません。少々気がすすまないことでも我慢してやることが大切です。はじめて森田理論学習した人は、その考えは本当なの、正しい考え方なのと思うことが多いのではないでしょうか。今までやってきたこと、考えていたこととは180度違う考えですからね。私は最初に集談会に参加した時のことを今でも思い出します。先輩から「あなたの症状はなんですか」と聞かれました。私は思わず、この人は私のことを精神を病んでいる人だと思っているのだと思いました。対人関係の悩みを抱えているが、精神的な疾患を抱えているわけではありませんと反発したことを思い出します。その証拠に毎日きちんと会社に行っていますよと言いました。その挙句、対人関係の改善には手を付けずに、実践目標を作ってそれに取り組んでいきましようとアドバイスされたのです。とても素直に受け入れられるものではありませんでした。今考えるとこれらの疑問や反発は大切なのだと思います。何の疑問も持たずに森田理論学習している人よりも、森田理論の言っていることに反発を感じる人の方が見込みがあるように思います。ただし、反発を感じながらもせめて1年くらいは真剣に森田理論の学習に取り組むという条件付きです。できれば3年を想定しています。学習の方法ですが、森田理論はこういっているが、これははたして本当のことか、自分で確かめてみてやるという気持ちを持ち続けることです。つまり自分の実践・行動で確かめてみるという態度です。盲従はいけません。具体例で説明しないとよく分からないかもしれません。私の例で説明します。私は以前、雑事や雑仕事は煩わしいものだと思っていました。できればそんなことに関わりたくない。人に任せたいと思っていました。そんなことに忙殺される人生は意味がないと思っていました。それよりも、自分にふさわしい、もっと大きな課題や目標に取り組んで、成果を上げて、多くの人から称賛されるようなことに取り組みたいと思っていたのです。集談会では先輩会員から何度も日常茶飯事に丁寧に取り組みなさいとアドバイスされていましたが、何を言っているのだろうと馬鹿にしていたのです。そんな時に生活の発見誌で次のような記事を見つけました。水谷啓二先生の「平凡に徹した非凡」という記事でした。神経質者は風雲に乗じて成功を遂げるタイプではない。平凡を軽視しないで、毎日の仕事に精を出す。そういう生活を20年、30年と積み重ねると、非常に非凡な成果を生む。私はこの「非凡な成果」という言葉にくぎ付けになりました。この考えが正しいのか自分の実践で確かめてみようと思ったのです。早速この考えを仕事に応用することにしました。当時は営業事務の仕事をしていました。一枚の仕入れ伝票をお金のように大事に扱うことにしたのです。今までは納品書は照合が済むと段ボールのようにものに放り投げていたのです。それをメーカーごと、日付ごとにきちんとファイルするようにしました。必要な伝票を3分以内に取りだすことを目標にしました。雑仕事と思って馬鹿にしていた伝票をお金のように取り扱うようにしたのです。慣れるのは大変でしたが、習慣化できた後は難なくできるようになりました。そうすると6か月くらいで大きな成果が出ました。雑仕事を丁寧にすると、仕事にゆとりが出てきました。凡事徹底に取り組むと仕事の能率がよくなり面白くなることが分かりました。この経験をもとにして、「仕事に追われる人と仕事を追う人の違い」についてまとめてみました。それを集談会で体験発表しました。ブログにも書きました。(2013年1月12日、2014年6月21日)これはほんの一例です。そのほかにも、森田理論を生活や仕事に応用して多くの気づきや発見がいくつもありました。神経症と格闘するような人はたくさんの認識の誤りを抱えています。それを解消するには。1、森田理論を系統立ててきちんと学習する。2、森田が言っていることははたして間違いないのか自分の体験で検証してみる。3、その結果を集談会で報告する。4、みんなの感想やアドバイスを聞く。この手順を踏まえて、理論学習と行動をシンクロさせていくと、誤ったものの見方、考え方が容易に修正できることが分かりました。そして集談会で報告して、参加者の意見を取り入れていくと、確信に変わっていきます。ですからある程度の理論学習をした後は、理論を自分の体験で検証していき、それを集談会での話し合いのテーマにしていくというやり方を取り入れることが肝心だと思います。
2022.07.09
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森田理論学習を続ける意味は、一つには、今までのものの見方、考え方の間違いや偏りに気づくことができるようになることだと思います。そしてもう一つは学習仲間の実践や行動に触発されて、自分の生活に変化が起きることだと思います。森田ではこのことを自覚を深めるといいます。自覚を深めるためには、自分一人の学習では限界があります。生活の発見会という自助組織に所属して、同志と一緒に学習に取り組むことです。仲間と切磋琢磨しながら、気がついたら、ものの見方や考え方、行動がより良い方向に軌道修正されていて、生きづらさが問題にならなくなっていたというのが理想です。そのために集談会で心掛けるべきことを投稿してみます。まず集談会に参加する前は、1ヶ月の生活を日記で振り返ってみることが肝心です。1ヶ月の内にはさまざまなことが起きています。楽しかったこと、苦しかったこと、問題を抱えてしまったこと、体調の変化・・・など様々あります。まずそれらを拾い出して整理してみましょう。そしてその中から一つをピックアップしましょう。それを自己紹介や体験交流などで具体的に分かりやすく説明できるようにまとめてみるのです。できれば、その時の写真などを持参して説明するとインパクトがあります。参加者がこのような気持ちで参加していると、お互いに刺激を与えあうことになります。興味や関心が生まれて、参加者の行動に影響を与える可能性が高まります。自分の実践や行動が他の人によい影響を与えることはうれしいものです。たとえば次のような例があります。この間紹介された本を早速読んでみましたよ。この前紹介された「ドライブインマイカー」という映画を見ましたよ。この間の話に触発されて俳句や川柳や面白小話作りを始めました。サックスの話を聞いて、フルートを始めることにしました。カラオケの練習の仕方が参考になりました。さっそく私も実践しています。私も家庭菜園やアジサイを育てることに興味を持ちました。メダカの飼育の話を聞いて、インコを飼ってみたいと思いました。公民館活動に興味を持ち近くの公民館に行って調べてみました。シルバー人材センターに行ってどんな仕事があるか聞いてきました。ウォーキングで、3分ずつ早歩きと普通歩きを繰り返す方法が運動効果を高めるという話が参考になりました。セロトニン神経系を活性化するための方法を教えてもらい取り組んでいます。この前紹介された「あいば学」の料理番組を見て釜めしを作ってみました。梅を買ってきて早速梅酒を作りました。ラッキョウ漬けにも挑戦します。今後は、そば打ち、味噌作りにも挑戦してみたい。このような情報の交流会を継続していると、参加者全員の生活レベルが格段に向上していくと思われます。全員に好影響を与えることは不可能ですが、10人に1人、20人に1人に参考にしてもらえればよいという気持ちで紹介するのです。こういう活動をしている集談会はとても魅力的だと思います。ものの見方、考え方の偏りや認識の違いについて、どのように参加者に気づいてもらうようにするか、難しい問題ですがこれについては明日の投稿課題とします。
2022.07.08
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森田理論学習で自覚を深める方法について考えてみました。2つの視点があるように思います。一つは森田理論学習によって、今までの考え方や認識が変わるということです。あるいは、ものの見方、考え方の視野が広がるという側面があります。もう一つは、森田理論学習は主に集談会に出席して集団で行っています。他人の体験談、実践例を聞いて刺激を受けるという側面もあります。最初の点ですが、生活の発見会が出している森田理論学習の要点、生活の発見誌、集談会での理論学習、森田関係図書、心の健康セミナー、DVD、YouTubeなどを使います。これらから自覚を得るためには、留意したいことがあります。これらを利用して森田理論の神髄を理解しようとしても、必ずしも思うような気づきや発見にはつながらないということです。いいところまではいくのですが、ある水準のところで壁にぶつかってしまうのです。もう少し学習が深まれば、豊かな水源や鉱脈に突き当たるのですが、学習している人にはそのことが分からなくなるのです。霧の中で車を走らせているような感じになるのです。実は私もそうだったのです。今考えると、実にもったいないことをしていたと思います。医学部に進学した人は、誰でも最初は医学全般にわたって学習します。しかしその後は内科、外科、精神科、眼科、産婦人科、耳鼻咽喉科などの自分の専門分野を決めてさらに研鑽を積みます。全部の分野で専門医になることはとうてい不可能です。そんな人はいません。これをT字型理論というそうです。全体を広く学んだあとは、自分の専門分野を選択し、それを極めてやっと人様に役に立つ医療行為が行えるのです。これは弁護士やファイナンシャルプランナーなどもそうだといわれています。広く浅く知識はあるが、専門分野を極めていないという状態では、ほとんど使い物にならないということだと思います。森田理論学習もこのT字型理論の考え方は参考になります。通りいっぺんの学習ではなく、もう少し深耕して学習することです。すぐ下にある水脈や鉱脈に到達するまで深めていくということです。学習に深まりをもたらすものは、森田理論を自分に引き寄せて学習することだと思います。表面的にさらっと理論を理論として学ぶだけでは不十分です。自分に引き寄せて、自分の体験で検証しながら、学習することが欠かせません。たとえば、感情の法則1では、感情は一山駆け上り、時間の経過とともに一山下っていくというのがあります。不安や恐怖の感情が湧き起こった時、果たしてこの理論は正しいのかどうかを検証してみることが必要になります。無意識的にはそれはある程度分かるのですが、ここでは森田理論を意識して体験により確かめてみるという態度が必要になります。この体験を学習材料として活用していくことです。この態度を維持しながら学習していくと、気づきや発見が生まれてくるのです。さらに今までの見方や考え方の誤りに気付いて自覚が深まります。ですから集談会では、学習の要点を読み合わせて、感想を述べあうだけでは不十分だと思います。学習がマンネリ化して、学習することが苦痛になってきます。そして学習仲間が去っていきます。次に2番目の、他人の体験談、実践例から刺激を受けて自覚が深まる側面を見ていきましょう。皆さんもいろんな趣味をお持ちだと思います。これらは誰かが取り組んでいるのを見て、興味や関心を持ったのではありませんか。そして自分も挑戦してみたくなってきた。私もいろんな趣味を持っていますが、それらのほとんどは友達の影響を受けて、のめりこんだものばかりです。神経質性格を持っている人は、好奇心が旺盛です。他人の実践や行動に影響を受けて、自分の生活が変化し活性化することが多いのです。ですから、集談会で他人と交流して大いに刺激を受けることが大切なのです。自分の人生を左右すると思って、集談会に参加することです。私は集談会でこんな体験があります。ある先輩の方で、いつも自分の日常実践をくわしく紹介してくださる方がいます。たとえば、ビールのおいしい飲み方、絶品のタイのあら炊きの作り方、カラオケが上手になる練習の仕方、路傍の花の楽しみ方、雑草退治を楽しく行う方法、盆栽の楽しみ方、ハイキングや散歩の心得、家庭菜園のコツ、大相撲の楽しみ方、近くの景勝地の紹介、感銘を受けた映画の紹介、夫婦関係を良好に保つためのコツ・・・などです。このような日常生活や体験談や工夫例を集談会で聞くことができると、来たかいがあったなと思います。次もまた来ようと思うようになります。そんな気持ちで参加し始めて早くも36年になります。気づきや発見、自覚が高まっていかないと、人生は活性化しないと思います。私は、森田理論学習による気づきや発見、自覚について、以上のように考えていますが如何でしょうか。
2022.07.07
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集談会にやってくる人たちは、不安、恐怖、違和感、不快感に振り回されている人たちです。重度の神経症で生活に支障のある人は、クリニックにかかっていると思われます。集談会に参加している人は、葛藤を抱えながらなんとか生活できている人たちです。生きづらさの解消を求めてネットで検索しました。その結果、森田療法や生活の発見会という自助組織の存在を知りました。早速生活の発見会の本部に問い合わせました。そして地元の集談会を紹介されました。疑心暗鬼で恐る恐る地元の集談会に参加してみました。その結果はどうだったか。とくかく参加者が少ない。覇気がない。内容もよくなかった。たいしたことはない。理論がよく分からない。なんだか傷のなめ合いをしているみたいだ。治っている人もいたが、莫大な時間がかかりそうだ。考えて見れば、個人の名前を治療法に付けているのはなんだか怪しい。新興宗教に近いのではないか。1回参加しただけで雰囲気はよく分かった。もう二度と行くことはないだろう。即効性のある薬物療法、カウンセリング、認知行動療法などの精神療法があるのだからそちらのお世話になろう。残念ながら、こういう人が多いのでないかと推察する。この問題を我々森田理論で恩恵を受けてきた者としてどう考えたらよいのだろうか。生活の発見会という自助組織が生き延びる道、森田理論学習が未来永劫にわたり継続される道は残されているのか。難しい問題ですが、私は自信をもってその道は残されていると宣言したい。ただし今のままでは心もとない。大胆な発想の転換が必要だ。それは何か。未練はあるが症状森田から距離を置くことだと思う。症状を問題にする今までの方向から転換することです。医療やカウンセリングや他の精神療法と競合する分野からは完全に撤退すること。そして独自の道を模索していけば再び脚光を浴びる日が来る。森田理論の中身はこれはと思う素晴らしい内容が含まれています。これは神経症治療として森田療法を活用する方向からは決別することです。神経症というのは、不安などにとりつかれて、精神交互作用で蟻地獄に落ち込んだようなものです。そこから地上に這い出るというのが神経症治療としての森田療法です。考えて見れば、森田先生から始まった森田療法は、生活の発見会の活動を含めて、その一点にフォーカスしてきたのです。それを放棄することは、森田の存在意義がなくなってしまうと思われるかもしれません。なかなか受け入れがたいと思います。生活の発見会の森田理論学習に、薬物療法、カウンセリング、認知行動療法などの精神療法などと競合しない分野があるのか。それが一つだけあります。神経質性格者が、人生100年時代を迎えて、神経質性格を活かした人生観を確立するという分野です。現在人生観の確立を目的として活動している団体はほぼ見当たりません。全て症状を取り去るか軽減させることを目標にしています。しかし、神経症予備軍の人が、集談会に参加して、いくら神経症からの解放の方法を教えてもらっても、他にもっと良い方法がごろごろ転がっている状況です。わざわざ火中の栗を拾いに行く人がいるでしょうか。そんな人はよほどおめでたい人と言わざるを得ません。集談会が神経症の克服という目的を離れ、神経質性格者としての生き方にフォーカスした活動をはじめたとき、改めて脚光を取り戻すに違いありません。それは、今まで求められながらも、放置され続けた分野だからです。今まで手付かずのブルーオーシャンの世界が目の前に広がっているのです。集談会では、基本的には神経症からの克服を取り上げることは中止すべきと考えます。全てとは言いません。それだけを中心に据えた活動は自粛すべきです。アリ地獄から地上に出る方法は、他の専門家に任せればよいのです。我々はその人に合った適切な医療機関、専門医、カウンセラー、精神療法を紹介してあげることです。そのために、森田の協力医、カウンセラー、さまざまな精神療法の知識や情報は必要です。神経症の克服は集談会の役割ではないと決意したら、未練がましくそこにしがみついてはいけません。それにつがみつくと益々組織の停滞に拍車がかかるのです。集談会の役割は、神経質性格の活かし方、神経質性格を活かした生き方を参加者が一緒になって模索していくところです。主要なテーマは次のようなものになるでしょう。不安の特徴や役割、不安と欲望の関係、生の欲望の発揮、生きがいとは何か、欲望の制御能力の獲得、「かくあるべし」の弊害、事実優先の態度の養成、変化への対応、物の性を尽くす、不即不離、バランス、調和、人間関係の在り方、仕事との付き合い方、子育て、社会や自然との共生などです。この分野では私たちは相当なノウハウを積み上げています。そしてその活用例の情報交換をして、参加者全員がどんどん刺激を与えあうことが大事です。こんな学習会、自助組織、集談会が待ち望まれているのです。この分野は更地です。前途洋洋です。方向転換してこの分野に進むのか、旧態依然として神経症からの克服に甘んじた活動を続けていくのか。どちらの道を選択するかで、森田理論学習の盛衰は決まってしまうでしょう。
2022.06.13
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昨日の続きです。症状は減点主義でよいのですが、行動は減点主義ではまずいと思います。行動は加点主義の方がうまくいきます。神経症に陥るとどうしても症状のほうにエネルギーを使うようになります。神経症に陥る前を仮に100%とすると、行動力は下手をすると0になっています。日常茶飯事はほとんど手付かずで家族に丸投げ状態になります。仕事をしていてもどうしても効率が悪くなります。普段はしないようなミスや失敗も増えてきます。最悪の場合は仕事が手につかなくなります。この状態を改善することが大切です。0の状態を10%、20%、30%・・・というふうに行動力を回復させることが目標となります。私は症状で苦しんでいたころ、集談会の先輩から実践課題を立てて実行するようにアドバイスされました。本音はそんなことよりも、症状を緩和する方法を教えてもらいたかったのです。薬物療法も受けていましたが、それと並行して、ダメもとでそのアドバイスに従うことにしました。布団上げ、風呂の掃除、靴磨き、自動車の洗車などを実践課題として机の前に掲げて愚直に取り組みました。それを次の集談会までの課題として取り組みました。集談会でその状況を発表すると高く評価してもらえました。それを励みにして、さらに次の課題を付け加えて実践しました。趣味への取り組み、その他の家事、家族関係の改善、発見会での世話活動、町内会の活動、職場でのあいさつの励行、仕事での改善などです。この実践により、しだいに行動力が回復してきました。そのうち生活の発見誌で「紙切れ法」という行動・実践の方法を見つけました。気が付いたことをすぐに紙切れにメモして、後でそれを整理して、きめ細かい行動に結びつけていくというものでした。以後は微調整を繰り返しながら、この方法を採用して今に至っています。なお老婆心ながら実践・行動には注意してもらいたいことがあります。それは症状を取ることを目的にした行動は症状が悪化してしまうということです。森田でいう実践・行動は、自分の日常生活に密着したものでないとまずいのです。これは森田先生の入院療法をみればよく分かります。必要な時に、必要に応じて、必要なだけの実践・行動を心掛けていきたいものです。さて以上をまとめてみます。症状に対しては減点主義で頭の中で症状を考える比率を少しずつ下げていく。日常生活の方は加点主義で行動力を徐々に回復していく。この2つをセットとして取り組んだことがよい結果をもたらしました。よかったらご自分の体験で検証してみてください。
2022.05.03
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私は神経質の症状については「減点主義」を採用した方がよいと思います。神経症で苦しいときは、頭の中が症状のことで一杯です。どうすれば症状から逃れることができるか。でも妙案が見つからない。正面から症状と格闘しても悩みは深まるばかりになる。そこで闘うことをやめ、苦しみを回避することを考えるようになります。精も根も尽きたような状態になり、覇気がなくなります。こういう場合は、発想の転換をお勧めします。ここでは「減点主義」の考え方が役に立ちます。重症の神経症に陥った時は、100%症状のことを考えています。その割合を減らしていくという方法を考えて実行することです。その割合が、90%、80%、70%、60%・・・と減少していくことを目標にするということです。減少した10%、20%、30%、40%・・・は症状以外のことを考えているということになります。減少した分だけ、神経質症状が治っているととらえるようにすることです。神経症というのは大怪我が跡形もなく治るというような回復はしないものです。タマネギの薄皮をはがすようなものです。神経質性格はなくすることはできないわけですから、小さなことにとらわれやすい特徴はなくなりません。コアの部分はどうしても残ります。ですからホドホドに治すことを、肝に銘じておくことです。そして10%、20%、30%、40%と少し治ったことを大きく喜ぶようにするのです。最初のうちは日常生活に目を向けていくことが大切です。食事、掃除、洗濯、服を着替える、生活習慣を整える。特に食材の買い出し、食材を自分で作る、料理を作る。後片付けをする。加工食品作りを手掛ける。お菓子つくりに挑戦する。一心不乱になって、物そのものになりきることが肝心です。それが弾みとなってさらに生活の好循環が始まります。強迫神経症から解放されている人は、そんな治り方をしています。神経症が30%治った状態は本人は納得できないかもしれませんが、はた目にはだいぶ良くなっているように見えるものです。50%も症状以外のことを考えているような人は、もう神経症の克服宣言をすべきです。100%の治り方でないと納得できないという人は、いずれ墓穴を掘ることになります。良くなった部分を素直に喜べる人は期待と好感が持てます。次に森田理論がお勧めている、行動の方は減点主義ではいけません。加点主義の考え方をすることが肝心です。これは明日の投稿課題とします。
2022.05.02
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神経症の治療や森田理論の学習の中で、森田日記が導入されている。森田日記は自分が書いた日記を治療者や先輩会員に見てもらうことになります。そして生活指導、認知の誤りや行動上のアドバイスをいただきます。アドバイスの内容は赤字で書かれています。神経症の人にとって、普段の生活の相談に乗ってもらうことは心強いものです。また先輩の日常実践から大きな刺激を受けることになります。あんな先輩になりたいなと思えれば、森田日記に取り組んだかいがあります。このアドバイスを活かすことが出来れば、神経症が治るのだという希望も持てます。私が経験したのは、2週間分の日記を書いて郵送で先輩会員に送る。3週目、4週目の日記は、それとは別の大学ノートに書く。5週目、6週目は返却された大学ノートに書く。ですから2冊の日記が隔週で交換されることになります。それの繰り返しで3か月続きました。先生や先輩会員にコメントをいただくので、1行おきに書きました。それから、次の日の日記は余白を充分にとって書くか、次のページに書くようにしました。日記は毎日書くのですが、日付、曜日、起床時間、就寝時間は必須です。内容は日常生活の行動記録が中心になります。その結果どんな気持ちになったか。どんな感情が湧き起こってきたのか。行動した結果どんな風に状況が変わってきたのか。頭の中であれこれ考えたことは書きません。症状と格闘した経過についても書きません。森田日記は自分の神経症の悩みをくわしく書くものではありません。これは集談会でいえば体験交流の中で行うことです。ただし、これは心がけだけでよいと思います。どうしても出てくるものは仕方ありません。実践・行動した結果、気が付いたことや新たな発見があればそれを書きます。ポジティブな感情ばかりでなく、ネガティブな感情も出てきます。ポジティブな実践や行動は、赤字で高く評価されますので、自信になります。ネガティブな感情も無駄ではありません。本人は実践しようと思っていたのにどうしても体が動かないこともあります。これをもとにして、今後どのように対応していけばよいのか考えるきっかけになります。これを日記に書くことで、自分では気づくことが出来なかった認知の誤りを教えてもらうことが出来ます。井の中の蛙が外に出るようなものです。日記は長くても、大学ノート1枚に収まるのが限度です。あまりにも長いのは、読む人の負担になります。全く書いていない日があってもよいのですが、昼間は何らかの行動をとっているわけですから、日記の効果を上げるために真剣に取り組みましょう。日記の効用として、たとえ神経症で苦しくても、日記指導を受けている間は日常茶飯事に取り組むことが出来ます。今後の実践や行動のきっかけづくりになるのです。症状を持っていても、日常茶飯事はこなしていけることが分かれば十分ということになります。これが呼び水となって、神経症のことで頭の中がいっぱいだったものが、少しでも生活の方に注意が向いてくることが肝心です。
2022.04.22
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私たちは自動車を買うと定期的にメンテナンスをします。家やマンションを購入した時も、修繕積立をして定期的に補修をしています。1年に1回は生活習慣病検診をして、問題が見つかれば治療します。神経症から回復した人も、その後メンテナンス、アフターケアが欠かせないと思います。最悪期を脱して、生活が元に戻ったとしても、再発しやすいからです。また不安にとらわれることによる生きづらさは簡単に無くならないからです。精神療法でアフターケアまで視野に入れているのは森田療法だけだと思います。精神療法には、精神分析、認知行動療法、自律訓練法、内観療法、箱庭療法、サイコドラマ、家族療法、交流分析、その他いろいろありますが、その後生涯にわたってアフターケアをしていることを聞いたことがありません。一旦治療が終われば基本的には以後かかわりを持ちません。森田先生は元入院患者を集めて形外会を開催されていました。水谷啓二先生も啓心会を定期的に開催されていました。現在回復した人たちの自助組織があるのも森田療法の大きな特徴です。集談会に参加する人たちのほとんどは神経症を克服した人たちです。神経症で苦しんでいる人たちの援助とアフターケアを兼ねているのです。私は神経症の蟻地獄から地上に這い出た後のアフターケアは欠かせないと考えています。ではどんな点に注意してアフターケアを行うとよいのか。・不安にとらわれて生活が停滞していないか。・不安と欲望のバランスはとれているのか。・日常生活に丁寧に取り組んでいるか。・規則正しい健康的な生活になっているか。・観念優先で事実軽視に陥っていないか。・自分の長所や強みを活かすようにしているか。・人間関係では傾聴、共感、受容、許容を心掛けているか。・自己実現を目指すための生涯学習を続けているか。・その他これらが守られていないとまた神経症が再発する可能性が高いと思います。また生きづらさを抱え込むことになります。そのならないためのアフターケアです。これらは自分一人で取り組むことは難しいと思います。集談会のような自助グループに参加して相互点検を行うことが有効です。実行することはしんどいかも知れませんが、これを継続することで、人生の最後を迎えたときに、後悔がなくなり、感謝の念で満たされると思っております。
2022.03.12
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森田理論学習の歴史を見ると、水谷啓二先生がお亡くなりになった時が、大きな転機になっていることが分かります。この間の事情については、岡本重慶氏の本にくわしく書いてあります。それまでは、森田正馬先生、水谷啓二先生というカリスマ指導者がいらっしゃいました。二人の先生に師事することで、症状を克服して、森田的生き方を身に着けていったのです。両先生は、患者に対して自宅やプライバシィを開放して、付きっきりで指導にあたられました。このやり方は今では考えられないことです。1970年に水谷啓二先生というカリスマ指導者を失い、途端に方向性を失いました。そこで急遽「森田療法を検討する」という座談会が開かれました。出席者は、永杉喜輔氏(水谷先生の五高時代の同級生、社会運動家)、水谷先生が創刊された「生活の発見誌」の同人として長谷川洋三氏、青木薫久氏(啓心会診療所第4代所長)、森田先生に師事した和田重正氏(はじめ塾、人間の再教育家)らでした。ここで青木先生は、カリスマ指導者が神経症で悩む人を更生させるというやり方は、ともすると新興宗教的な色彩を強める可能性が高いと指摘されています。青木先生は医師の立場から、精神療法の科学性を重視して、宗教性を排除すべきだと主張されました。仏教や禅の考え方を排除して、精神分析に匹敵する確固たる理論に裏打ちされた世界に通用する精神療法として確立すべきであると主張されたのです。つまり森田療法を純粋に医学的な神経症治療として取り扱うべきであるという立場をとられました。精神科の医師としては当然のことかも知れません。もし、この方法を採用されていたとすると、森田理論の学習運動は途絶えていたと思われます。森田先生の指導を受けた和田重正氏はその主張に異を唱えています。「純粋に科学的にということだけではダメなんで、そこに人間的なものがもう少し加わっていくことが現実には必要」であって、「古い意味での宗教的なということでなく、やはり宗教的なというものはどうしても出てくるはずだし、それがなければ現実には人間と人間との間で導くとか、導かれるとかいうものは出てこないんじゃないかな」と述べておられます。さらに、長谷川洋三氏は、森田療法というものは、神経症の治療だけを対象とするのではなく、人間教育という側面が大きいのではないか。むしろこちらが主流になるのではないかと考えられたのです。森田療法は、神経症を治すという医療分野に特化するのも必要ではあるが、我々としては「森田人間学」の確立という視点で発展を図っていくべきではないか、と主張されたのです。医学的な神経症治療としての森田療法と森田人間学を深めるための森田理論学習をはっきり分けるべきではないかという見解を示されたのです。この意見に、永杉喜輔氏、和田重正氏が同調されました。この方向で、なんとか新生「生活の発見会」の誕生にこぎつけたのです。余談ですが、公益財団法人メンタルへルス岡本記念財団もこの流れの中で生まれてきたと思っております。というのは創始者の岡本さんは、生活の発見会で森田理論を学ばれた方だったからです。長谷川洋三氏は、会の運営を個人に頼むのではなく、集団指導体制で運営しよう考えられました。「生活の発見会」という自助組織の会則を作り、「生活の発見誌」を機関誌として位置づけて、森田理論の学習運動を全国的に推し進めようとしたのです。会員による会員のための自助組織作りを目指されたのです。このやり方は多くの神経質者に支持され、会員は一挙に7000名に迫る勢いでした。特に1980年代が盛況でした。少なくとも1993年までは勢いがありました。長谷川洋三氏、齊藤光人氏は森田理論学習における革命児でした。当時全国各地で開催の集談会には、神経症で苦しんでいる人が多数参加されました。私もその渦中にいましたが、集談会は常時20~30名近い人が訪れて、自己紹介で一杯一杯という状況でした。どんどん根分けをして集談会の数が増えていきました。内容としては症状の克服対応に終始していました。集談会の役割は、神経症の治癒にあるという暗黙の了解がありました。そして、神経症を克服した人がどんどん社会復帰していったのです。しかしながら、人生観の確立、生きづらさ解消という本来の学習運動の原点を目指すことはかないませんでした。今の生活の発見会の現状を思うとき、これが残念なことだったと思います。生活の発見会が医療と同じ土俵で戦っていたのです。医療と競合する限り我々の独自性は発揮できません。会員が増加の一途をたどっていたので、現状に満足したのかもしれません。長谷川先生が当初考えたように、森田理論学習運動は神経質者の人生観の確立にありという大目標を見失わなかったとすれば、医療との分業化が確立して、学習内容や会の運営は現在とはかなり違うものになっていたのではないかと思っております。そして会員は1万人、3万人規模で増えていた可能性があります。現在は森田理論学習の原点回帰が求められているのだと思います。本来の学習の原点に戻れば、必ず森田理論学習は復活するというのが私の立場です。なぜなら現在、神経質者の人生観の確立、生きづらさの解消までを視野に入れた学習運動、自助組織は生活の発見会以上のものは見当たらないからです。今はジャンプでいえばしゃがみこんで力をため込んでいる時ではないか。そして勢いよくこれから世界に向かって大きく羽ばたくタイミングを待っているのです。それが森田で恩恵を受けた人たちの社会に対する恩返しではないかと思っております。以上は、「忘れられた森田療法」(岡本重慶 創元社) 159ページあたりを参照しています。
2022.02.15
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