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『中国古代史研究の最前線』4

<『中国古代史研究の最前線』4>
図書館に予約していた『中国古代史研究の最前線』という本を、待つこと6日でゲットしたのです。
甲骨文や金文など、言語学的な遺物に関心があるので、この本を予約していたのです。


【中国古代史研究の最前線】


佐藤信弥著、星海社、2018年刊

<「BOOK」データベース>より
 われわれ日本人は、日頃から古代中国に親しんでいます。日本語のなかに溶け込んだ故事成語、読み継がれた古典、そして『封神演義』や『キングダム』等のフィクション…。これほど身近な時代でありながら、残念なことに研究の進展はほとんど紹介されず、教科書の記述も古いままです。
 中国大陸では、国土の開発とともに、金文・竹簡・帛書などの文字史料ーすなわち「出土文献」が現在進行形で陸続と発見され、研究状況は劇的に変化しています。本書では、近代以降の研究史と最新の研究状況をもとに、ある面ではフィクションよりもダイナミックな中国古代史の実像を紹介していきます。中国古代史をもっと楽しむため、研究の最前線をのぞいてみましょう。

<読む前の大使寸評>
甲骨文や金文など、言語学的な遺物に関心があるので、この本を予約していたのです。

<図書館予約:(10/22予約、10/28受取)>

rakuten 中国古代史研究の最前線

始皇帝


漢王朝の成立あたりを、概観してみましょう。
p196~198
<第4章 統一帝国へ>
 本書では戦国期の始まりについて強いて具体的な年代を定めることをせず、前5世紀の前半頃に漸次春秋から戦国期へと移ると見ておきたい。

 戦国期は邑制国家から領土国家への転換点と位置づけられる。春秋期に数十存在した諸侯国は、有力な諸侯国の兼併によって、戦国期には十数ヶ国にまで減少した。その中で特に有力であったのが、燕・斉・趙・魏・韓・秦・楚の「戦国の七雄」である。各国の君主は王と称して争いあい、秦が最も有力となった。

 一般的には、孝公の時代に商オウを登用して変法と呼ばれる改革を進めたのが躍進の原動力になったとされる。儒家・道家・法家・墨家・名家・兵家・縦横家といった諸氏百家のうち、秦では法家の思想が採用された。始皇帝の宰相となった李斯も法家の思想家であり、「性悪説」で知られる荀子の弟子で韓非とは同門にあたる。諸氏百家が活躍した時代は、古代ギリシャでソクラテスやプラトンといった哲学者が現れた時代と重なる。

 そして秦王政は前221年に中国を統一すると、王より上位の君主号として皇帝号を採用し、自らを始皇帝とした。この秦による統一の過程は原泰久の『キングダム』のテーマとなっている。秦による統一が進められた時期、インドでもマウリヤ朝のアショーカ王によって北部・中部インドが統一され、仏教の信仰がインド各地に広められた。

 始皇帝はそれまでの諸侯封建を廃し、全国を複数の郡に分かち、郡の下に県を置き、それぞれ中央から官吏を派遣して統治させる郡県制を施行した。また文字・度量衡・貨幣の統一、万里の長城の修築、焚書抗儒といった政策を進めた。有名な兵馬俑坑は始皇帝の陵墓であるリ山陵の附属施設であるとされている。

 しかしその過酷な統治が人々の不満を招き、秦は三代15年で滅亡した。そして項羽と劉邦による楚漢戦争を経て、前202年に高祖劉邦を初代皇帝とする漢王朝が成立した。漢王朝は秦の法律制度を踏襲した。地方統治については、郡県制と諸侯封建を併存させた郡国制を採用したが、諸侯の権限は次第に弱められた。

 漢王朝は外戚の王〇による新王朝の創建を堺に前漢と後漢に分かれるが、前漢は第7代武帝の時代に最盛期を迎える。『史記』を著述した司馬遷は、この武帝の時代の人物である。そして武帝期から後漢の初代光武帝の頃にかけて、漸次儒学の官学化が進行した。

 特に1970年代以降、この戦国秦漢期の竹簡や〇書が大量に出土し、これら出土文献なくしてはこの時代の研究が成り立たないようになっている。また兵馬俑坑や、女性の湿屍体が出土した馬王堆漢墓、戦国期の曾候乙墓や中山王墓など、王侯の墓葬に関する発見も相次いでいる。本章ではそうした王侯の陵墓や竹簡の発見、そしてそれらから見えてくる世界を探っていくことにしよう。


『中国古代史研究の最前線』3 :「金文」の偽物
『中国古代史研究の最前線』2 :「中華文明」
『中国古代史研究の最前線』1 :甲骨文の発見エピソード


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