藤の屋文具店

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第三章 バチルス・ラジアノイド



【神へ】

第三章

バチルス・ラジアノイド


放射能生物「シードラゴン」は、市のはずれにある敷島研究所に
運び込まれた。ここは、世界でも希な個人の研究施設である。一般
には全く知られていないが、あらゆる科学の先端理論を有機的に統
合・分析し新しい分野を切り開く、総合科学研究所である。

現代科学は高度に専門化し、特殊な発達を遂げた。しかし、ある
分野の専門家は、隣の分野の研究については素人以下の理解力しか
ない場合が多い。もともと、化学も物理も生物学も、ひとつの事象
を眺める方向の違いであるに過ぎないにもかかわらずである。
だが、自然界が提示する難解な問題を理解するには、そのような
バラバラの専門知識だけでは大した役には立たない。複雑に絡み合
う因果の糸を解きほぐすには、総合的な見地からのアプローチが必
要なのである。

「放射線を出す部位は、腹部に限定されているようです」
大学から借り出してきた若い娘が、熱心にデータの検証をしてい
る。慣れた手つきでキーボードを叩くと、一週間分のビデオに感光
した映像が処理されて色分けされる。発生熱量からトレースした結
果より判断すると、腹部で発生した放射線を食道に並行した管が口
蓋まで導いているようだ。
「放射線伝導管と思えるものをチェックします」
美保子はマニュピュレーターを器用にあやつって、口腔内から粘
膜細胞をはぎ取ってきた。注意深くリンゲル液で湿しながら使い込
んだ顕微鏡にかける。
この顕微鏡は、単光色レーザーからプリズムで分離した特殊な光
子を利用して、検体細胞を生きたまま高倍率で観察できる。リンゲ
ル液の光学データを補正値として入力すると、干渉パターンから実
像を逆算するために、高性能コンピューターが唸りをあげ始めた。

「せんせ!」
ディスプレィに表示された画像を見て、美保子は小さく悲鳴をあ
げた。遠心分離器からクロマトグラフィーに検体を移していた博士
は、美保子の肩ごしにディスプレィをのぞき込む。美保子の髪がひ
なたくさい懐かしい匂いをさせる。
「ほう!」
コンピューターがはじきだしたシードラゴンの粘膜上皮細胞は、
SF映画の月面基地を連想させる正多面体のドームであった。それ
は、生体よりもむしろ鉱物の結晶を思わせる、幾何学的な冷たい美
しさである。

「分析ができました。データを転送します」
分析室からデータが入る、細胞の分子構成データである。結晶の
正体がわかった! 未知の重金属と色素体のエステル結合が、有機
結晶として析出していたのだ。
「ファイバーを管内に入れて、放射線発生器官の細胞をサンプリン
グしてくれ!」
10名ほどのスタッフがざわめいた。生物学の常識を覆すこの怪
物を理解しようと、科学者の血が騒ぐ。分子進化学のメンバーは直
ちにDNAの解析を始める。5S-RNAと呼ばれる共通塩基の変
異で分化した時期を探るのだ。解剖学のメンバーは、超音波スキャ
ナーと密閉されたタンクの発生熱量および排泄・消費物質から、代
謝率や循環システムのモデルを組み立てる。量子力学のメンバーは
原子崩壊のコントロールと放射線シールドのシステムについて調べ
る。

そして、敷島博士は静かに考え込んでいた。「何故?」この生物
は放射性物質を体内に取り込んでいるのだろう?
・・・・体内に毒素を持つ生物は珍しくない。昆虫や爬虫類、魚
に植物と、補食を避けるため、あるいは補食を容易にするために持
つと思われている。当然、このように敏捷で大型の生物には毒を持
つものはいない。トラやライオンには、獲物の動きを封じるための
毒も自分の補食を断念させる毒も必要がないのである。では、この
生物の持つ放射能には、毒以外の使い道があるというのか? ・・



2週間が過ぎた。敷島研究所はフル回転をしていた。スタッフは
30人に膨れ上がり、県内の3つの大学の研究室が臨時の実験室と
してそれをバックアップしていた。NASAは宇宙生物工学のチー
フである若き天才科学者、土田亜理沙博士を送り込んできた。
敷島博士の要請により、弘前大学から伝染病学の実力者であり、
古くからの友人でもある大谷祐子教授も出向している。その他各分
野の実力者が志願してやってきた。
事実上、最高の知能がこの研究所に結集していた。こけおどしの
権威に背を向けた、真実を知る事だけが生きがいの者たちである。

「では、遺伝子分析の結果を報告します」
分子生物学グループの報告だ、はた目にはティータイムにしか見
えない雰囲気の中で会議が行われている。
「御存知の通り、われわれ地上の生物は共通の祖先を持っています
。それを証明するものが、DNAの塩基配列の共通性であるわけで
すが・・・・」
「・・その中で5S-RNAという塩基配列の変異によって、その
生物が進化のどの位置で分かれていったかということが類推できる
わけです」
配られた資料には、簡略化された進化系統樹とその塩基配列の変
異が分かりやすく描かれていた。
「この生物自身は、魚類から爬虫類に移行する途中の位置にある事
が確認できました。しかし・・・」
「・・しかし、この生物の体内に多量に存在する、放射性物質を抱
き込んだ細菌様の微生物は、地上の生物ではありません!」

全員の顔が、彼の口元に向いた。彼は言葉を続ける。

「もともと、ミトコンドリアなどの細胞内組織についても、地球外
の発生ではないかという意見はありましたが・・・、これが他の生
命体と決定的に違うのは、この微生物のもつ核酸には5S-RNA
塩基配列が存在しないという事です」
「御存知のとおり、地上の生命はすべてこの塩基配列をもっており
ます。それはまた、われわれ地上の全生物が共通の祖先を持つとい
うことでもあります。しかし、この微生物の特性を決定する遺伝情
報には、まったく異なる塩基しか使用されておりません」
「したがって、この微生物は地上の進化系統から発生したものとは
考えにくいわけです」

次に、量子力学のスタッフが口を開く。
「放射線シールドの生体メカニズムですが・・・・」
紙で作った正多面体の模型を持って彼は説明を始めた。
「詳しい原理は現在解析中でありますが、重金属と有機結合した膜
で構成された多面体の中に、放射性物質を取り込む構造になってい
ます。この膜には、微弱な生体電流が流れており、その電位がある
値を超えると、頂点の一カ所から中性子線のパルスを放出する構造
になっているようです」
「ちょっとまってくれ、その細胞膜は放射線を通さないのかね?」
「いえ・・・・・通さないというよりも、原子崩壊を停止させる効
果があるようなのです。さらに、一定状況では膜面が活性化して全
反射を行い、全ての電子線を立体内に封じ込める作用も確認されて
います」
「すると、れいの管は・・・」
「はい、光ファイバーとよく似たシステムで伝導するわけです」

「一体何のメリットがあるのかな?」
敷島博士が独り言のように呟く。
「その放射線細胞は、どのように増殖しますの?」
大谷教授が質問を向ける。どうみても20代にしか見えないが、
博士とは同期のベテランである。
「この細胞は増殖しません。接触した細胞に遺伝情報を送り込んで
自分の複製をつくるのです」
組織学のスタッフが説明をはじめる。
「ビールスの一種なのですか?」
「いえ・・遺伝子を核の中に送り込むのではないのです」
教授の端正な顔が困惑の表情になった。
「この細胞は、近くの細胞に中性子線のパルスを浴びせ、その細胞
の遺伝子を加工して複製を作るのです」
「まさか・・・」
「つまり、われわれの知っているビールスが、カセットテープを取
り替えるように遺伝子を交換するとするならば・・・この微生物は
カセットの中身を直接書き換えるのです。従って、放射線によるD
NA損傷にも大きな耐性があります」
「では、この細菌に寄生された生物は、細菌の集合体にされてしま
うわけですか?」
「いいえ、ガン細胞のように無秩序な増殖は、今のところ見受けら
れません。なんというか・・・秩序正しい寄生をしているのです」
祐子はぞくりと身を震わせて、博士の目をちらりと見た。

放射性物質を取り込むビールスは「バチルス・ラジアノイド」と
命名され、培養が続けられた。放射性物質を選択して摂取する能力
に注目した博士は、大谷教授に命じて改良種をつくらせた。
すなわち、寄生できる細胞を特定の細菌に限定し、その細菌とペ
アでしか増殖しないように改良し、低レベル放射能ダストの回収を
させようという目論見である。この研究は、日本動燃事業団から多
額の援助を受け、あっというまに実用化寸前までこぎつけた。
硫黄細菌に代表される古生菌の一種を改良し、安全のために60
00世代で生殖能力を失うように改造された母細胞が、厳重な管理
の元におかれた。遺伝子操作には用心しすぎるという事はない。人
工の生物を野にはなす事は、絶対にゆるされない事なのである。

シードラゴンの研究は着々と進んだ。この生物は深海魚の変異体
である事がその後の分析でわかった。変異とバチルス・ラジアノイ
ドの因果関係を検証するため、ラットを使った実験が繰り返し行わ
れた。その結果は、非常に興味深いものであった。
菌を体内に持ったラットには、何も変化が見られなかった。体染
色体の一部に若干の組み替えが見受けられたが、それは個体の変化
には波及しなかった。だが、妊娠したラットにおける実験では奇妙
な事が起こった。授精卵の周囲に菌が多量に出現し、極めて微弱な
中性子線のパルスが桑実胚の時期から観測された。それは内胚葉の
発生時点でピークに達し、その後急速に通常値に戻った。
やがて感染したラットの第一世代が誕生した。8匹のラット達は
普通の個体よりも未熟に見えたが、おおむね健康で順調に育った。
変化は第2週に現れた、最初は偶然とった姿勢かと思われた。が
、すべての個体が相次いで同じ姿勢をとるにいたって、学者達の間
にちょっとしたパニックが起きた。第一世代のラット達は、直立歩
行を始めたのである。
成長に伴って腰椎に変化がはじまり、下垂する腹膜を締めあげる
ように腹筋が発達した。頚椎の支持位置の微妙な変化が脳の飛躍的
な成長を可能にした。肥大した脳幹を納める頭骸骨は前方に瘤のよ
うに突き出し、もはや誰の目にもラットとは異なることが明らかに
なっていったのである。

「これは・・・どういう事でしょう?」
亜理沙が質問とも感嘆ともつかない調子で呟いた。
「明らかに進化していると思えるな・・・」
淡々とした口調で敷島博士が答える。
「あの微生物の意志でしょうか?」
「いや、おそらくは・・ラットのとりうる進化の可能性を手助けし
たのではないだろうか?」
「では、あの微生物は・・・」
「・・うん、たぶん・・・あの微生物は生物の進化を促す作用があ
るのではないかと思う、わたしは」
敷島博士は実験室の隅のソファに体を沈めると、コーヒーメーカ
ーからポットを取り出した。白い無愛想なカップになみなみと注ぐ
と、浅炒りしたマンデリンの濃厚な香りがあたりに漂った。
「あいかわらずね」
となりに大谷祐子が腰をおろす。
「奥さん、可愛いひとじゃない」
祐子は、砂糖をどっさりと入れてかき回す。
「あれは、研究にはノータッチなんだ」
「そのほうが喧嘩にならなくっていいわ」
祐子はいたずらっぽく笑って博士に微笑んだ。亜理沙よりひとま
わりも歳が違うとは思えない、少女のような微笑みだった。
「ところで、」
博士の言葉に、二人は科学者の表情に戻った。
「進化のメカニズムについてはまだわかっていない事が多いが・・」
「最大の謎は、なぜ進化するのかという事だ」
「環境に適応するためじゃないの?」
祐子がいたずらっぽく聞き返す。
「それでは、海で発生した生命が陸に進出したことが説明できない」
「海が棲み辛くなったんでしょう?」
「いや、たんに生存するだけならば、海に勝る環境はない」
「というと?」
「道具や文明の発達には適さないという意味だ」
「文明を築くために陸上へ進撃を開始したといいたい訳?」
博士はかるくうなづいた。
「ほんっとに、昔からかわってないわね、その独断的なとこは」
祐子があきれたように笑う。しかし、その目は笑っていなかった。
「宇宙のほうが、文明にとっては有利ですわ」
亜理沙が口をはさむ。
「重力と大気の妨害の入らない宇宙は、生存には過酷な環境ですけ
ど、科学技術にとっては理想的な環境です」
亜理沙のほうを向き直って祐子がぽつりといった。
「あなた、このひとに似てるわね」
「・・・・光栄ですけど・・」
「うふ、考え方がストレートで自信に満ちてる!」
「で、わたしの仮設によれば、」
「われわれ地上の生命は最終形態への進化の途上にある」
「・・・何になるのかしら?」
祐子の質問に、力強い答が返った。

「神だ!」

ふたりは、あっけにとられて博士を見つめた。表情ひとつ変えず
に博士は淡々と説明を続けた。
「我々をつくった存在は、彼らの姿に似せてにんげんを創ったとさ
れている。ならば、我々の進化の終着駅は彼らになる事だ」
「進化論を否定するの、いまさら?」
「進化論は、アメーバから人間までの変化を説明するだけのものだ
、なぜ、すべての魚はとかげにならなかったのだ? なぜ、猿は人
間にならずに猿のままで今日までいるのだ? 進化が偶然の産物な
らば、後戻りだってあるはずだろう? なぜ、こんなに効率よく生
物は進化してきたのだ?」
「・・つまり、あなたは進化そのものが最初から仕組まれたプログ
ラムだといいたいわけね」
「ちょっと待ってください、そうするとあの微生物は地球の外から
干渉するためにもたらされた・・・」
博士がこくりとうなづいた。
「そうだ、おそらくは地上の生命を進化させるために送り込まれた
、触媒のようなものではないだろうか・・」
「そういえば、いままでの生物の進化でも、特定の時期に爆発的な
進化が起こっていたわね」
「とすると、この微生物は定期的に大繁殖を繰り返すのかしら?」
「でも、そもそもシードラゴンはどこで発見されましたの?」

「じつは、この微生物は以前に発見されている」
ふたりは初耳だった。いや、この事実は米国海軍の最高機密とな
っていて、知るものは限られていた。
「数年前、大昔に沈没した原子力潜水艦スレッシャー号の回収が行
われた」
「ああ、試験航海で謎の沈没事故をおこした・・」
「そうだ、そして、水圧で破壊された原子炉の中には、ひとかけら
の原子燃料も残っていなかった・・・」
「・・・」
「この事故に微生物が関与していたと・・・」
「・・もし、意志を持ったくらげのような生物が大挙して潜水艦を
襲えば、冷却回路も浮上用の排水タンクも、作動を妨げられる」
「だけど、どうして原子炉の存在を知る事ができますの、その生物
は?」
「原子力潜水艦は、機関始動時に大量の廃棄物を艦外に出すんだ」
「じゃ、原子力発電所も?」
「いや、通常は大丈夫だが、以前の事故のさいに、湾内に一次冷却
水が流れ込んだ可能性がある」
「整理してみます」
事務的な口調で大谷祐子が言う、学生時代そのままの調子に、博
士は思わず苦笑した。
「核物質による海洋汚染の結果、未知の作用を持つ微生物が大量に
発生。その微生物によって進化を加速された水中生物が原子炉を持
つ艦船を攻撃。さらに微生物の影響により、あらたな新種の生物が
出現・・・・・・・・ということですね?」
「そうだ、そして・・・・」
何かいいかけたとき、ぐらりと揺れがきた。照明が一瞬暗くなる
がすぐに回復する。停止した送電線に代わって緊急用のバッテリー
が作動し、やがて自家発電装置が自動的に始動した。強固な岩盤に
支えられたこの研究所が揺れるという事は・・・・・・・

やがて、西の空が紅く燃え上がるのが見えた。




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